詩集 修羅と名も無い僧 七章

七章

 人生を、賛美以外の言葉で表すことは、不可能である。
 生きる事が、喜びであるだとか、幸せであるだとか、
 受動的に対価を欲する心から、賛美するのではない。
 人生は、苦しく、悲しく、醜く、耐え難い。
 なればこそ、なればこそ、賛美の声を上げるのだ。
 それは、お前自身の人間賛歌となる。

 今まさに、己の体を燃して、光り輝く流れ星が、
 つらいから、苦しいからといって、逃げるだろうか。

 神様、ひとつ質問をさせてください。
 生きる喜び、生きる悲しみ。
 生きる幸せ、生きる苦しみ。
 これらには、一切の差異が無いと確信しました。
 私には全てが「賛美」であると感じられます。
 この私は、生きていると言えますか。
 それとも、誠実な命を、やっと掴んだのでしょうか。

 私がドアを開いておくよ。
 皆は私の背中を指さし、馬鹿にするかも知れない。
 だが、開かれたままのドアを認めてほしい。
 いつの日にか、同じ苦しみに耐えた、誰かが通る。
 その時、ドアを開く力が残っていない事を理由にして、
 諦めながら、来た道を戻ってほしくないんだ。

 井戸を掘ること、仏像を彫ること。
 まったく同じこと。人を救うこと。

 生きる苦しみと、生きる幸せ。
「苦しみはいらない、幸せだけがほしい」
 歪んだ望みは、おやめなさい。
 苦しみだけなら、言うまでもないが、
 幸せだけになっても、人間は、生きた心地がしないよ。
 嘘だと思うなら、幸せだけに、なってごらん。
 生きている心地の半分は、辛苦なんだよ。

 地獄で、仏様に会えたね、いやあ、うれしいなあ。
 これほどに救われたら、私はもう、幸せ者だ。
 地上で、皆に会えたね、いやあ、うれしいなあ。
 これほどに恵まれたら、私はもう、幸せ者だ。
 天国で、誰かに会えると思ったら、誰もいない。
 これほどに寂しい雲の上、私はもう、泣けないな。

 段々と、自身の中にある自己確立の壁が、
 音も無く崩れていくのが、分かる。
 恐怖、否。狂気、否。それは、稲光である。
 瞬時を照らして、その一瞬に我が輪郭を描くのだ。
 稲妻に耳を塞ぎ、一切の苦しみを踏破しかけた。
 その果報として、私は人間性を徐々に失う。
 幸せは光だ。無慈悲な加速だ。

 虎は、赤ん坊を守りたかった。
 けれど、人間達が猟銃を手に、追いかけてきた。
 自身の毛皮ならくれてやっても良い。
 だが、腹を痛めて産んだ我が子だけは、守りたかった。
 虎は眠っている息子をあまがみして、崖に落とした。
 憎まれても良い、お前が無事なら、それで良い。

 古本屋の棚に埋もれた文庫本に輝きを見た

 異郷の地の風 初夏の服は我一人

 ごみを散らかす鴉のように 幸せを啄み荒らす人がいる

 秋の夜半に明けの空を、高い空を想う。
 涙を堪えながら、残りの時間を共に過ごす。
 二人で二杯飲んだ、ルシアン・コーク。

 東の朝は鋭い 我が涙よ 地に落ちて龍と成れ

 赤い糸 紫の糸 愛しい人から糸電話
 陽も月も忘れて 常しえの衣を織ろう

「お母さんが死んじゃう」
 幼心に、何故か、死というものを理解していた。
 毎晩、毎晩、貴女が眠る度に、
「お母さんが死んじゃった」
 寝顔は死に顔、寝相は死に様。
 親を亡くす悲しみを、毎夜毎夜と刻まれた。
 母のまだ温い亡骸を抱きしめ、私も眠った。
 けれど、夜明けと共に、何故か母は生き返った。

 悪鬼羅刹に生まれ変わっても良い。
 生きていられるなら、己を改める事も叶うだろう。
 決して人を食い物にすることも無く、
 餓えてでも正しい道を、歩むべきなのだ。
 心を知らずして、如何なる仕打ちを受けようとも、
 私は私の苦しみに賛美したい。

 私は蛙。鳥の君の傍に居る。
 君を想うたび祈るから、鳥居の前を飛び跳ねる。
 おうい、おうい、と寂しくて、幾度も跳ねる。
 私は帰る。土産に君の羽を貰う。
 君と語り合うため矢文を書く。
 二の矢を継がず、東を狙う。
 この手の中に君がいる。放つに放てず、矢を戻す。

 折れたペン先から滲む黒インクが、まだ青い。

 折節の花を一緒に眺めようと、五つの子をおんぶして、
 里端から見上げた山の彼方、赤翡翠が鳴いていました。
 今でもそうですが、当時の妹は私に良く懐いてくれて、
「お兄ちゃん」と連呼しながら、追いかけてきました。
 良い兄に成れた、とは思いません。
 私は素晴らしい妹に恵まれました。

 背後から受けた罵声は地に堕ちる。
 眼前より降る天気雨は頬を濡らす。

 泥水に跳ねて、笑顔で居られる蛙の様に、暮らしたい。

 傷を負っても、右の手を差し出す薬師如来像。
 底無しの大慈悲を、二十四日の深夜に拝んだ。

 その苦難は、障害に成り得ない。
 いつだって、背後に連なる壁の方が、大きい。
 塵の山は踏破された瞬間に、勇気、確信に変わる。
 いつだって、震える脚で、繰り返してきたじゃないか。

 今も、一刻一刻と、亡霊に命を掴まれている、
 あの後輩に対して、あの男に対して、
 私が如何なる言葉を叫んでも届かないだろう。
 耳に入らぬ、心に響かぬ、何も、意味を成さない。
 だから、せめて永く魂に突き刺さるように文を綴る。
 生きる事への執念を思い出せ、と手紙を書く。

 お前が、寂しい寂しいと嘆きながら、
 真っ暗な喧騒の街で、友達を自称する者達に囲まれる。
 散々利用された挙句、お前はいつも、何度でも、
 手のひらを返した者に裏切られている。
 お前に、幾度と手紙を送った。
「仲が良い事と、都合が良い事は違うものだ」
 私が得た実学を、何度でも書き殴った。

 後輩、お前の命はいつも、半分浮いていて、半透明だ。
 お前まで、死ぬるつもりか。
 暗い部屋で、てるてる坊主の真似事か。
 そんな暇があるのなら、深夜の防波堤まで散歩しよう。
 私が真に苦しい時、繰り返し足を運んだ場所だ。
 一緒に海へ叫ぼうじゃないか。共に長生きしよう。

 幸せの中にいて不幸だと嘆くならば、真の幸せだろう。
 それ程に贅沢な幸せが、あるものか。
 不幸の中にいて幸せを見出せたならば、一体何だ。
 それ程に、言葉とは、本当の美しさを形容できない。

 人を何と呼ぼうが勝手だ。
 日本語は卑怯な面を持ち、皆が使いこなしている。
 他者への形容詞で、負の意味を込める。
 安い侮蔑で、相手の命の価値を下げることができる。
 相対評価を崇拝した結果生まれた悪癖だ。
「私は自己の起点だ、終点だ、そして基点だ」
 絶対評価の神髄はそこだ。

 人間愛よ、希い願わくば、三つの信条を果たせ。
 広く普遍であり、深く不偏であり、高く不変であれ。
 持たざる者に多くを与えて、自らはごく僅かで在れ。
 疑問を持たぬまま、努めて尽くし、報われてくれ。

 その苦しみは、お前の勝利だ。
 ただの一度たりとも、敗北であったことは無い。
 自らに幾度と言い聞かせ、何度も倒れた。
 この苦しみは、私の勝利だ。
 ただの一度たりとも、称賛されることの無い、勝利だ。
 この胸ひとつに、僅かでも義が在ると確信した。

 涙を呑んで笑ってやれ 青いあざに項垂れて
 流した血潮に生きている 殴り返さない俺を誇れ
 数多の星がゆれる世界 欲望や感情の意図だけ光り
 赦しの道を歩んだ過程 余計なモノは放り棄てた

 怒りも敵意も悲しみも 全て捨てきって自由な空へ
 俺は俺だって言ってやれ 皆を赦すと叫んでやれ
 学生時代 過ごす街で 大勢に殴られ罵られて
 果てに苦しみを笑われて それでも俺も人間だよ

 神奈川県の平塚市で 二人で見上げた明けの空に
 強く輝く孤独な星 俺達の心ふたつ照らす
「私は地獄に落ちました、あれほど願った幸せは」
 その続きだけは言わせない お前の隣なら望み征こう

 どす黒い泥の中でも、胸を張って笑顔でいられるか。
 真に苦しい時、誠実な熱意や勇気が微塵も無い時、
 一寸先は闇だ、と震えながら、この夜の道を歩けるか。
 一歩の為に夢は破れて、次の一歩で喜望峰を拝めるか。
「私は誰で在り、誰に成るのか」
 問いに答える声も無いまま、この闇を進むのだ。

 有象無象の喧騒に溺れる世界で、君の静けさを心に聴く。

 弱り切った心身に、追い打ちの言葉があっても、
 擦り切れた信心に、如何なる試練が重なるとも、
「私は弱い人間だ」なんて情けない事は言わない。
 常に自己と闘うのだから、苦しくて当たり前なのだ。
 亡霊の様な歩き方で防波堤に立ち尽くそうとも、
 一声叫べば、嗚呼、まだ人間だ、生きているぞ。

 朝から買い出しに出かけて、冷蔵庫を食材で満たす。
 生きている実感が、湧いてくる。勇気が湧く。
 この鶏肉はどの様に調理しよう、だとか、
 冷凍のフライドポテトは、何味に仕上げよう、だとか、
 こういった食事への思案は、名前の無い、喜びだ。

 久々に母から電話がかかってきた。
「あなたが頑張る姿を見て、お母さんも頑張っているよ」
 実家にいた頃は何を言われても「しつこい」と想っていた。
 一人暮らしを始めてから、電話の一本が有難い。
 なんだか、家族って、お母さんって、良いなあと思った。

 しかし、作家が絶望を語るからと言って、
 人間の生涯に、絶望がある証明にはならんですよ。
 また、作家が作品の中に絶望を刻むからと言って、
 人間の絶望が、永遠である証明には、ならんですよ。
 己に負けちゃなりません、屈してはならん。
 闘うしかないのだから、眼前の炎に叫んでやらにゃ……。

詩集 修羅と名も無い僧 七章

詩集 修羅と名も無い僧 七章

  • 自由詩
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-09-08

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