雨音
開ける前から外がどんなかわかっていたけれど、開けてやっぱり雨だったことを確認した。ソファーの上で横になって雑誌を広げていた姉が、頭を持ち上げて、雨? ときいた。
私は頷いて、出窓からおりる。正式な名を知らない観葉植物(あだ名はツルコ)の隣をすり抜けると、買ったばかりのジャケットの袖がツルコにふれて、彼女の葉は横にスンスンと揺れた。
読んでいる途中の新聞を畳む。畳まれる新聞は、合わさる端と端が、どんどんズレてしまう。もっと、読みたかった。
姉に話しかけられると、動揺する。抑揚をつけただけのたった一文字でも。小さな震えが幾度となくうまれては、指先にまであらわれる。
何か言われやしないかと姉を横目で見ると、くっきりとした目の輪郭はすでに雑誌へと向いていた。雨なのにきれいな服を着ているのは、ずっと前からの約束を果たすためだとわかる。誰に会うのかはわからないが、それは素敵な会なのだと思う。
でかけるね。姉はソファーから起き上がって台所に立つ母に伝える。母は、ごはんはいいの? 聞く。姉は、大丈夫、と答える。いってらっしゃいと言う母の声は少し弾んで聞こえる。
姉のバッグは白と黒のエナメルで、雨の光でもツルリと輝く。
それは残像になると、よりきれいだった。
私の使い古したエコバッグは手当たり次第に雨を吸収する。さらに、入れた物の形を浮き彫りにしてしまうので、美しくない。
ひそかに食事に気を遣う姉とは違い、私は母の作るものをすべて受け入れる。昼ごはんは、唐揚げとキャベツの千切りがメイン。定食みたいにきっちり漬物までつけてくれるこの食事を、姉はすべて食べきることができない。それくらい、胃が小さい。
雨の音と唐揚げの揚がる音にまぎれて、私はどちらにも似た一つの音になりたいと思う。
新聞には、私が前から好きだった人の絵画展が美術館で行われているという記事がある。この地の出身だからと特集まで組まれて、三日連続で掲載されて、今日がその三日目だった。また、この新聞紙上で募集していた郷土小説大賞の受賞作が発表されたのが今日のことだった。小説に対する講評と、大賞受賞作が全文載せられているのが通例だ。さっき一瞬だけ確認したけれど、私の文章でないことははっきりとわかった。
食事をすべて終えてエコバッグを持って、でかけるからと声をかけると、どうして? と母に聞かれる。ここで、でかけたいから、などと答えるとでかけることは叶わないから、図書館で勉強しに、と答える。そうすると母は、そう、と興味ないように言う。どうして私の外出は目的を答えなければならないのだろうと、述べるたびに思う。雨の音が強くなる。
テレビを見ている母の邪魔にならないように出窓の近くを通る。
ツルコは人がかきまぜた空気に酔って、すでにフイフイ揺れていた。
いってきますの声は、テレビよりも遠くで発する。
なんにもわるいことはない。となえながらでかける。雨だけど、予定通りに美術館まで。
雨音
ありがとうございました。