祖父に似た貴方
祖父に似た貴方
神様、私の人生は、愛に満ちていました。
確かに私は、貧困続きの生涯で、職を失い、家を失い、家族を失い、
果てには、毎日の衣食住を手に入れるだけで精一杯の暮らしでした。
この様に、隣人を愛する余裕も無いほどに困窮した私を、救ってくれる、心優しい青年と出会いました。
彼との出会いは、今から十五年ほど前の事でした。当時の真夏は今以上に、太陽に照らされて、町全体が、のぼせる様な熱さでしたが、不幸中の幸い、雨が降る事も多かったので、私はゴミ捨て場で拾ったブルーシートを加工して、合羽代わりに用いていました。食べられるものを探して、自分が腹いっぱいに成ったら、まだ残っている食べ物を親友にも分けてあげました。その親友は退役軍人という、立派な務めを果たした男だったのですが、戦地で左足を失い、自力では食べ物を探して回る事も、困難でした。ですから、余力のある時は、私が代わりに食べ物や飲み水を探して、分け与えていたのです。
ある日、親友とテントで涼んでいた時の事でした。彼は涙を堪えた声で語りました。
「なあ、バーニー。俺はこんな人生を強いる国が憎い。もちろん、生きる能力に乏しい俺自身の事も憎い。だが、憎しみばかりで、人間は救われない。俺は今でも思い出すんだ。若かった頃、目の前にいる負傷兵が、血塗れで呼吸も苦しそうに残した言葉が。『ママ、パパ、助けて、家に帰りたいよ』ってな。信じられるかい。ついさっきまで最新の装備と一張羅の野戦服に身を包んで、笑っていた男が、敵に撃たれたり、爆発に巻き込まれたり、とにかく重傷を負った途端に、縋るのは自分じゃなくて両親なんだよ、実家なんだよ……。」
私は、黙ってジョンの話に耳を傾けていました。彼は、その双眸に涙を湛えて、続きを語りました。
「どれほど強くたって、どれほど一人前の男になった積もりになったって、一人では生きていけない。それどころか、追いつめられたら、母に、父に、神に縋ってでも、救いを求める。……情けない話だと思うかい」
「いや、決してそんなことはないよ、ジョン」
「俺達は確かに、社会の底辺だ。ただのホームレスだ。でもよ、バーニー。生かされている毎日が嬉しいとは思わないか。俺は現役の兵士だった頃から、無宗教論者だったが、漠然と思うぜ。『生かしてくれてありがとう』ただ、この一言を言いたくて、まだ生きているんだ……」
ジョンは涙していました。涙を流しながら、息を引き取っていました。
私は、彼の冥福を祈ると共に、「もっと彼のために何かできたのでは」という葛藤が芽生えました。
神様、あなたも御存じの通り、人間とは利己のためだけに生きられる生命ではありません。
親友の亡骸を行政に引き取ってもらってから、彼が集団墓地に埋葬されて、私は心が空っぽになりました。友達というものは、そう簡単に作れるものではありません。親友なら尚更です。
私は、生きる糧を分かち合う仲間を失った事により、一人、食べ物や使えそうなものを探して、住宅街のゴミ箱を漁っていました。すると、どの家からも怒声を浴びせられて、追い払われましたが、ある一軒の家だけは違いました。
「何がご用ですか、何か探し物がありますか」
その家の青年は言葉遣いもしっかりしていましたが、それ以上に、慈悲の眼差しが私には眩しかった。
「ああ……えっと、食べ物と、それと、テントを修理したいので、ダクトテープを……」
「お爺さん、少し待っていてください。すぐに戻りますから」
青年が家の奥から戻ってくると、両手には、サンドイッチの詰め合わせと、ダクトテープがありました。
「どうぞ、お爺さんの生活の糧にしてください」
私は驚きました。これほどに、人から親切にしてもらった事が無かったのです。
お礼を伝えて、贈り物を受け取り、私は住宅街を後にしました。
その日の晩、私は不思議な考え事をしていました。あの家の青年の、凛とした清らかさはどこから生じるのだろうか。皆、生きる為に必死なこの世界で、あの青年は、何の対価も求めず、嫌がるそぶりさえ見せず、喜んで探し物を差し出した。あの潔さは一体どこから生じるのだろうか。
あの出来事から二週間が経とうとしていた頃でした。私は再び、食べ物や使える物がないか探すために、住宅街を歩き回っていました。すると、あの青年が庭の手入れをしていたところ、声をかけてくれました。
「ああ、お爺さん。今日は良いお天気ですね。どうぞ庭に入ってきてください。今、椅子を用意しますから」
青年は裏庭の方へと回り込み、少し埃を被った、しかしそれでいて白く塗られた綺麗な椅子を二つ、用意してくれた。促されるままに、二人して椅子に腰かけると「嗚呼、最後に落ち着いて腰かけたのは、いつだっただろうか」と感慨深くなりました。
「どうです、立派な庭でしょう。祖父の代から受け継いでいる庭なんです」
「……ええ、そうですね。私も若い頃は、庭師をやっていた時期がありますから、この庭が愛情を込めて手入れをされている事が伝わってきます」
そこから、青年と話が弾みだした。自分も将来は立派な庭師に成りたいとか、曾祖父の代から庭師だったとか、そして、青年の祖父が昨年、この世を去ったとか。
私も親友を亡くしてから日が浅かったですから、青年の気持ちは痛いほどに分かりました。それも、家族を亡くしたのであれば、どれほどに傷ついたか、想像に難くありません。
青年は、身の上話の続きをしてくれた。何故、自分が両親と別居をして、祖父の家で暮らしているのか。彼に軽度の発達障害があって、父も母も、それを理解してくれなかった事。
祖父だけは、彼の大好きな庭の手入れの才能を見出して、認めてくれた事。祖父が勉強の半分を教える代わりに、学校にもちゃんと通う約束をした事。
青年の話を聞いているだけでも、彼が如何に祖父を愛していたのか、また、どれほど祖父から愛されていたのか、深く伝わって来た。
「お爺さんをみていると、祖父を思い出すんです。いつも、気難しそうな表情をしていましたからね。なんだか、とても懐かしいんです」
青年の本心を聴けた時、私は、まだ長生きをしなければならない、という使命に気付いた。今まで、人に救われて、人に支えられてばかりの人生だったが、もしかすると、この心優しい青年のために、何か恩返しができるかも知れない。彼の祖父が勉強を教えた様に、今度は私が、彼に庭師としての仕事を教えられるかも知れない。それこそが、私自身を生かしてもらう道だとしたら、私が迷う事は無いのだ。
神様、それから私は、彼の『お爺ちゃん』としての役割を担っています。彼の家族となり、二人で庭を整えて、美しい緑に囲まれています。十五年経った今でも、この務めを全うし続けています。
ですから、私はまだ、あなたの国には招かれません。この場所での仕事が残っています。
ですが、もしも、あなたが私に「帰ってきなさい」と命じて下さるならば、私は遺書を残しました。いつでも、あなたの下へと帰ります。
全ては神の思し召しですから。
祖父に似た貴方