『昨夜から振り始めた雨が昼過ぎに病んだ時』

蒸し暑い夏の深夜だったと思います。もうすぐ、日をまたごうとしていた時、姉が泥酔して帰宅してきました。ほぼ、帰巣(きそう)本能だけで帰ってくる姉には毎回呆れる私でしたが、今回だけは何かが違う感じがしました。それが何なのかは分かりません。しかし、物凄く嫌な予感がしたのは確かでした。前日に、ある夢を見ました。今住んでいるボロアパートの台所で、白い着物を着た女性が、何かを切り刻んでいました。まな板の上を包丁で、何かを刻んでいたのです。見知らない女性でした。姉でもなく母でもない、まったく見知らない女性でした。その女性に近づく私。声をかけることもなく近づく私。そして、まな板の上をのぞき込みました。そのまな板には……生のネズミが、みじん切りにされていました。「サクサク」と。「サクサク」と。夢の中のお話ではありましたが、時期的に『昨夜から振り始めた雨が、昼過ぎに病んだ時』だったと思うのです。

姉はベロベロになりながらも、聞き取りにくいヘベレケ語で、私に「水を一杯ちょうだい」と求めてきました。私はできる限りの介抱をしました。しかし、あまりにも酔いが酷く、まともに立たせることすらできません。仕方がなく、私は姉をそのまま台所に寝かせることにしました。夏用の毛布をそっと掛け、朝までそこで過ごしてもらうことにしたのです。当の本人は、気持ちよさそうに口を開けて、すでに爆睡し始めていました。その寝顔は、とても幸せそうでもありました。台所の床で寝かせるのは、今日が初めてではありません。気持ちよく眠っているのを無理に起こすのも可哀想だと思いました。しかし、その瞬間に、あの不気味な夢が脳裏をよぎったのです。そう、あの「生ネズミを刻む女」の夢です。暗い台所、白い着物、そしてサクサクという包丁の音。一瞬、ここに姉を一人にしていいのかと躊躇(ちゅうちょ)しました。ですが、私自身も仕事の疲れが限界に達していました。「まさか、ただの夢だし大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、そのまま奥の寝室へ行って眠ることにしたのです。朝になり、目が覚めた時でした。やはりどうしても昨夜のことが心配で、私はすぐに台所へと向かいました。「お姉ちゃん、朝だよ」静まり返った台所で、床に横たわる姉に声をかけました。しかし、何の反応もありません。おかしい。いつもなら、うるさそうに寝返りを打つはずです。その時、部屋の空気が妙に冷たく感じられ、体中の血の気がすっと引いていきました。心臓が嫌な音を立てて跳ね上がります。恐る恐る近寄り、毛布をめくって姉の顔をのぞき込みました。そして、恐れていた最悪の予感が的中してしまったのです。「あ……っ」その時、初めて私は激しい後悔に襲われました。姉は、口から白い泡を吹いて死んでいました。まるで見えない何かに首を絞められ、もがき苦しんだかのように、指先まで硬直していたのです。昨夜、もし私が無理にでも姉を部屋へ運んでいたら。あの不気味な夢の警告を信じて、そばにいてあげていたら。私はこの凄惨な瞬間、この世でたった一人の大切な親族であった姉を、永遠に失ってしまったのでした。

私はパニックになりながらも、すぐに警察へ通報しました。しかしそこから、事態は思いもよらない、とんでもない方向へと転がっていったのです。なぜなら、被害者である姉の身内であるはずの私が、まさかの「容疑者」にされてしまったからでした。「容疑者……私がですか?」信じられない思いのまま、自宅の台所には科捜研のような白い服を着た人たちが次々と入ってきて、慌ただしく検死を始めました。通報から4時間が経った頃、私はそのまま警察署へと連行され、薄暗い取調室で厳しい追及を受けることになったのです。姉との普段の関係、昨夜の帰宅時のいきさつ、そして殺害の動機について。何度も何度も同じことを聞かれ、私は心も体もへとへとになってしまいました。あまりの理不尽さに耐えかね、私は目の前に座る「松田」という刑事に、思い切って疑問をぶつけてみたのです。「なぜ、私が容疑者なんですか? 私はただ、通報しただけです」すると、松田刑事はフッと鼻で笑い、こう言いました。「長年の刑事の勘だよ」そう口にしたものの、彼のプロフィールを盗み見ると、まだ勤続4年の若手でした。その浅い経験のどこが長年なのかと呆れましたが、彼の次の一言に私は息を呑みました。「それとな……お前が『青酸カリ』を隠し持っていたからだ」確かに、姉の死に方は異様でした。口から白い泡を大量に吹いて息絶えていたのです。素人目に見ても、ただお酒を飲みすぎて吐き喉を詰まらせたような、ありふれた「ゲロ死」ではありませんでした。そもそも姉は、骨の髄までひどくケチな人間です。せっかくお金を払って飲んだお酒です。もったいなくてゲロを吐くような真似は、あの姉なら天地がひっくり返っても絶対にしません。それどころか、一緒に住んでいるこのボロアパートの家賃も、毎日の生活費も、私は姉から一円たりとも貰った記憶がありませんでした。そんなケチで強欲な姉の悪行は、それだけにとどまりません。かつて、実の母親を言葉と態度でジワジワと精神的に追い詰め、最終的に自殺に追いやったのもあの姉でした。実の親すら手にかける冷酷な人間だったのです。ですが、それは過去の話であり、今の私が姉を殺す直接の動機にはなりません。さらに姉は、私が我が子のように大事に飼っていた愛猫までも、言葉の暴力で精神的に追い詰め、自殺に追い込んだのです。猫が自ら命を絶つなど信じられないかもしれませんが、あの姉の陰湿なイジメは、動物の心さえ破壊するほど残忍でした。これに関しては、確かに姉を今すぐぶち殺してやりたいほどの動機になります。しかし、愛猫が亡くなったのはずいぶん前のことです。なぜ、今になって私が姉を殺さなければならないというのでしょうか。松田刑事の疑いは、絶対に間違っているはずでした。

生きている時間すら忘れてしまうほどの、過酷な取り調べでした。終わりの見えない追及に精神的にすっかりやられてしまい、疲れ果てた私は、いっそ「私がやりました」と嘘の自白をして楽になろうとした、まさにそのタイミングで救われたのです。なぜなら、いくつかの決定的な事実が明らかになったからでした。まず、死んだ姉には多額の保険金など一切掛けられていませんでした。さらに、私が隠し持っていたあの「青酸カリ」ですが、元々は姉がどこからか手に入れてきたものであり、危険に思った私が姉から事前に取り上げて保管していた物だと証明されたのです。そして、私を完全に救った最大の理由は、ついに提出された「検死の結果」でした。これにより、姉の死に事件性は無いと正式に認定されたのです。しかし、安堵したのも束の間でした。科学捜査研究所の、まるでドラマの沢口靖子さんのようにキリッとした美貌の女性研究員から、直接その検死結果を聞かされた瞬間、私は体中の毛穴が逆立つほどの驚嘆に包まれたのです。彼女は冷静に、しかし驚くべき真実を告げました。姉の死因は、青酸カリでもなく、急性アルコール中毒でもありませんでした。それは――『お姉さんの喉の奥に、大量のゴキブリが……隙間なく詰まっていました。それが原因の窒息死です』その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏にあの夏の深夜の光景がフラッシュバックしました。白い着物の女が、台所で「サクサク」と生のネズミをみじん切りにしていた、あの不気味な夢。姉が喉に詰まらせていたのは、本当にただの虫だったのでしょうか。それとも、あの夢の女が刻んでいた「何か」だったのでしょうか。すべては、昨夜から振り始めた雨が、昼過ぎに病んだ時の出来事でした。《完》

『昨夜から振り始めた雨が昼過ぎに病んだ時』

『昨夜から振り始めた雨が昼過ぎに病んだ時』

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
  • 強い反社会的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2026-08-27

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