詩集 修羅と名も無い僧 三章

三章

 修羅、お帰りなさい。
 ここはお前の家だ。
 好きなだけ妄執的正義を蓄えて、怒りを手にして、
 常しえに争い続けると良い。
 私もお前がいないと、抜け殻の様になってしまう。

 山の語り部が 私に話してくれた
「大きな悩みは 人に話してはならないよ」
「それほどの悩みなのだから 山に話しなさい」
 最初のうちは 私にはその意味が解らなかった
 山を下りてから やっとその言葉を理解できたのだ

 私が普段から「自由」と呼んでいるものは
 その実態は「不自由」の事であった
 鎖を断ち切ったつもりでいながら
 実は温かな愛を拒んでいた という事も あり得るのだ
 完璧な恋人などいない
 それでも 長年連れ添った恋人は
 いつも私を温めてくれる いつも私を想ってくれる

 私の聴覚を通して心に侵入する不調和に
「不退転」の一言をもってして 黙らせてあげたいのだ

 君のためにマッチを持ってきたんだ
 一瞬の灯 小さな希望 僅かな温もり それでも
 私が君に手渡したマッチであることは 本当だよ
 ここに長い蝋燭があるだろう 私たちの未来だ
 マッチの火を蝋燭に受け継がせて ほら 灯った

 人を思いっきり傷つける言葉を選ぼうと 想う事もある

 自らの腰に縄を結び付けて 暗闇に身を投ぐ務めがある
 そうして どす黒い想念をバケツ一杯に汲み取る
 口を閉ざした蟻達が 荒縄を引き上げてくれる
 薄暗い闇の底から這いあがった私に お礼の言葉は無く
 ただただ 無明の衆生が バケツ一杯分の闇を貪る
 この姿を 幾度と見守ってきたのだ

 最愛の恋人に恵まれることは 作家として喜ばしい事だ
 想念を豊かにしてくれる上に 良い具合に馬鹿になれる
 酒を飲んでくだをまくだけの友に囲まれる事もあるが
 これは作家として 非常に好ましくない事だ
 想念を鈍らせて己を見失い 筆も持たぬ 愚者になる

「大丈夫だよ」
「一緒にいよう」
「愛しているよ」
「おはよう」
 この輝く言葉の全てが 君から受け取った真心なんだ

 お金で手に入る栄光なんて 別に要らない
 今 財布の中にある一万千数百円だけで
 私の何が不足していると どこの誰が言えるのか
 栄光のための飾りじゃないよ 衣食住を満たす糧だよ
 近所の弁当屋で 夕方頃の半額になった弁当を狙う
 この暮らしの中で 本当の栄光を狙って 筆を走らせる

 不幸の痛みを 反省と共に嚙み締めた者は
 同じ不幸を身に被る者が増えないように 友人を助ける
 不幸の痛みを 後悔と他責で飲み込む者は
 同じ不幸を身に被る者が増えるように 不和を働く

 小さな世界の大きな闇に眼を向けて 苦しむより
 大きな世界の小さな光に突き進んで 苦しみたい

 明かりを消した部屋の片隅 震える猫を抱きしめて
「お前は逃げなさい 自由に生きなさい」
 そして 一言をつけ足して愛を伝えた
 猫は我が胸の内にて いつものか細い声で鳴き
 一歩も動かず ただ傍にいてくれた
 私の亡き後に お前が生きていられるように
 この鉄戸を開いておくからね

 夜半の月が朧げに 地上の世界を惑わせる
 幼子を抱いた母の声 泣かず動かずの冷えた子に
 祈るように歌った子守歌 滾り落つ悲しみ 流離の命
 菩薩様の両腕に救われるからね
 一緒に夜明けを待とうね
 怖がらないで 母さんがお前を 愛しているからね

「お父さんがね 旗になって帰ってきたの」
 泣き腫らした目で語る少年の声は 震えていた
 悔しいだろう 悲しいだろう 思い出さえもが痛みだろう
 少年の傍に立っている父の御霊も
 親心ゆえに あらゆる悲しみに耐えながらも
 我が子を想うからこそ 勇敢に背を向けて歩き出す

 人の心に悪意があると決めつけていると
 自身の心にこそ悪意が宿る
 人の心に善意があると信じていると
 自身の心にも善意が宿る

 復讐を成し遂げようと 思いっきり痛めつけた後に
 実は 相手に悪意が無かったと気づいたならば
 あなたはどうしますか 傷を負った相手のためを想い
 自らの拳と正義心で 自身に復讐を果たしますか

 北上の鳥 巧みに風を掴み 啄み巣に持ち帰る 北の星

 はらからを背負い 歌います母の歌
 暮れ方に山を背にして 揺らしてあやす 三つの子
 山鳴りも静かに 弟の寝顔を守っている
 地蔵菩薩の御前に 幾度と頭を下げるのも
 小さな指で 私の後ろ髪を 愛しく掴まれたから

 私が敷いた座布団に 父が座ることを待ち望み
 昼から暮れ方 いつしか真夜中
 会いたくても会えない暮らしの中で募らせた 思いの丈
 何故だか 歓喜とは違う涙が零れ落ちるものだから
 母に見られぬようにと 寝るふりをして拭った

 怒りや憎しみを海に流せば 海が可哀そうではないか
 怒りや憎しみを山に放てば 山が可哀そうではないか
 怒りは自らに 憎しみも自らに 還る因果を知るならば
 この胸中が張り裂けんばかりに 毎夜叫べよ 心を砕け
 幾年も掛かり苦しむだろう だが必ず 救われるだろう

 真っ赤な落陽が 空と海との境に溶け込んでいる
 山に飛び交う赤翡翠が 遠い故郷を思い出す
 空を覆う雲でさえもが 愛の色に染まりゆく
 山を下る里人が 母の背に揺られた温もりを思い出す
 この世に起きる事象は 全て 差異が無い事が明らかだ

 赦す努力って 不自由に見えるかも知れないけど
 実は素晴らしく 単調かつ純朴に 自由な事なんだ
 その根も 葉も 茎も 蕾も 花も 種も
 それらが終わった後の 枯れた姿でさえもが
 等しいと気付ける程に 自身の心は自由になるんだ

 私は孤独の器の中にいて 孤独と別居しているのだ
 器の中には温かな家族と 心より愛する貴方がいる

 人間は誰しも孤独だと 古より言われ続けてきたが
 アラビア数字のゼロの如く 実現し得た孤独は無い

 金を掛けて、巨大な教会を立てて、賛美歌を歌って、
 立派に見えても、美しく見えても、遠く離れた心だ。
 ぼろを着た母が、我が子を胸に抱いて温めながら、
 村の中で、一曲の子守歌を昼夜問わず歌い続ける。
 人の営みの中で、唯一変わらぬその姿を愛と学ぶ。

 愚者と思われたければ 語るまでも無い事を語れば良い
 愚者を黙らせたければ 荒原に無償で井戸を掘れば良い
 賢者と思われたければ 部屋と学び舎で本を読めば良い
 賢者を黙らせたければ 貧民の為に学校を建てれば良い

 皆が傷負い 争い 咎を追い
 生きている限りは老いるのに
 死への片道 怯えるあまりに
 誰も彼もが ひとりぼっち
 怒りは悲しみ 憎しみも同じ
 自らをぶち壊す それほどに苦しい
 自由のために 全てを手放し
 生きる理由に 愛情を選びたい

 怒りを燃しても、毎朝、花壇に水をあげる心。
 物に八つ当たりして、壊せば気が済むかも知れない。
 防波堤から叫べば気が済むかも知れない。
 だが、まずは水をやらない事には、花が枯れてしまう。
 怒りに身を任せて、大切なものを失う訳にはいかない。
 怒りを鎮めるのは、その後でも良い。

 怒りを抱えて苦しむ時、私は数時間の忍耐を行う。
 十秒、十分、その様な単位では、静まる筈が無い。
 それだけの思いの丈を、自ら炎にくべたのだから、
 轟々と、炎々と、燃え続けるのは当然じゃないか。
 救い無き孤独の中で、心を研ぎ澄まして赦すのだ。

 皆が私のことを、恥知らずだと、恥ずかしい奴だと、
 口を揃えて否定しようと、馬鹿にしようと、構わない。
 恥を知らない事と、恥を恐れない事は別だ。
 恥もかけない人生なんて御免だ。

 生きている事が苦しくて、涙した夜の数よりも、
 生きている事が嬉しくて、涙した夜の数の方が、
 ほんの少しだけ、上回っていれば、私は幸せだ。

 自らの怒りを凝視していると、時折想う事がある。
「何故」だなんて、大袈裟じゃないか。
 手に取ってみれば、実にくだらない破片でしかなく、
 ただ、その破片があまりに鋭いため、手に傷を残す。
 真っ赤に染まった手の、ありのままを眺めて人は、
「何故」と憤りを覚えるのだ。

 思春期の頃に、親を嫌っていた自分が、情けない。
 両親も、分かってくれていたとは、思う。
 自分達だって年頃になった時、同じことを考えていただろう。
 ただ、親としてはやはり、つらい想いもしただろう。
 お裾分けで頂いた、父の手料理を食べると、
 美味しいけれど、反省の味もするのだ。

 割れた硝子窓の隙間から、私は迷わず飛び出した。
 陽の明かりが、瞬時に雲を裂いて、我が道を照らした。
 背後では、人の皮を脱ぎ捨てた鬼達が慟哭していた。
「置いて行かないでくれ、苦しいのだ、助けてくれ」
 彼らに硝子を砕ける筈が無い。
 自らの心も砕けないのだから。

 芋虫は、蛹に成ることを、夢見ていた。
 蛹は、蝶に成ることを、夢見ていた。
 蝶は、何度も芋虫に生まれ変わることを、知っていた。

 思うがままに海を泳ぐ事を、自由であると言う。
 その海に棲む魔物に食われると、不自由であると言う。
 動かせない体に苦しむことを、不自由であると言う。
 自らの心に静けさを見出して、自由であると言う。
 一切の差異が無い事を、知らないままに。

「苦の種に差異は無く、楽の種にも差異は無い」
 名も無い僧は、そのように教えた。
 修羅は、道の落ち葉を片付けながら、言った。
「きっと、苦楽にも、差異は無いのだろうね」

 私は、星が落ちる姿を見た事があるけれど、
 星は、右へ、左へ、落ちていきます。
 私の真上から落ちる星は、見た事がありません。

 血の滲むほどに、壁に頭を打ち付けても、
 まだ煩悩は去らぬと言う。まだ悪は去らぬと言う。
 私の認識に、善悪があるから苦しいと、自ら想う。
 快楽は清らかなものだ、と書にある。
 善も悪も無い、と君が言う。
 私の苦しみは、深く、早く、鋭く成る。
 私の心は、いよいよ絶海に置き去りと成る。

 天より落ちる光を辿る、その資格を、持たない私。
 地の底の炎に身を投ぐ、その資格を、持たない私。

 蒲公英の子らが、高く高く飛ぶものだから、
 思わず、おーい、おーい、と声をかけてしまった。
 残された母の花が、もしも、人間であったならば、
 嬉しさと、寂しさで、泣くのだろう。
 それでも、母親だから、笑うのだろう。

 怒りを抱えたなら、怒りと向き合う詩を書く。
 苦しいなら、心を静めるために詩を書く。
 悲しいなら、涙を拭うために詩を書く。
 嬉しいなら、はしゃぐために詩を書く。
 愛を知ったなら、君のために詩を書く。
 人を呪う気持ちがあっても、詩は書かない。

 人が人を裏切った例は無く、ただそこに在るのは、
 自らと闘い、疲れ果てた、影も不確かな姿だけ。
 自己との闘いに勝ち、或いは敗れて、
 周囲の皆との縁が、近づいたり、遠ざかるだけ。
 生きとし生ける言葉を用いても、その理解は難しく、
 単純に片づけるために「裏切り」と形容されただけ。

 自ら流した涙滴のひとつひとつに、
 あれ程強く、救いを願った夜を忘れて、
 人は己が可愛いあまりに、
 憎む心を甘やかすあまりに、
 増上慢に陥り、追い打ちや報復を、正しいと思い込む。
 理性を取り戻した後に、苦い思いが胸を満たす。
 痛かっただろうな、と振り返る。

詩集 修羅と名も無い僧 三章

詩集 修羅と名も無い僧 三章

  • 自由詩
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-08-26

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