詩集 修羅と名も無い僧 一章

一章

 不思議な事に 心だけが残った いや 残されたんだ
 小さな神様が 毎日できる限りの水を持ってきてくれた
 燭台の明かりが失せても 真っ暗な獄に来てくれた
 私は分け与えられた真水を 祈りながら飲んだ
 牢の内側でも 私の想念は 常に自由でいられたんだよ

 鳳凰木の花が咲いてくれると 畏怖と感謝を込めて祈る
 私はまた あの花が咲くまで生かされた 命が続いた
 またどうしてか あの樹木は私に輪廻を教える
 真っ赤に咲いて 真っ赤に路面に散って
 不変の在り方に その姿に 勇気と事実を見出す

 子供が母親と 手を繋いで歌を唄う
 愛の意味を知らなくとも 愛される幸せを知っている
 母親が子供と 手を繋いで歌を唄う
 我が子を愛する喜びを 愛しながら学んでいる

 暮れ方の町に二人並んだ 母の荷物を一緒に持った
 家に帰れば 貴女に怒鳴られるかも知れない
 家に帰れば 貴女は死んだように眠るかも知れない
 家に帰れば 父が帰ってきてくれるかも知れない
 かも知れないの繰り返し 全てただの夢かも知れない

 三年間 人を赦したい一心で艱難辛苦に耐えた
 その度に魂は砕けてしまい バラバラの破片を集めた
 赦そうと努力をする度に 破片はより細かく砕けた
 遂には砂状になってしまったので 浜辺に撒いてあげた
 その日から海が 悲しみの受け皿の様に思えて
 水晶の船を浮かべて 私は船頭になった

 海の向こうの父と電話をする 幼い私には夢があった
 家族全員で一緒に暮らしたかった
 やっとの想いで帰ってきてくれた貴方も
 一週間も過ごさずに また海を渡ってしまうのだから
 私が軒端に貴方の幻を見てしまうのも 当たり前なんだ

 月の満ち欠けは知らない カーテンの内側に豆電球
 僅かな明かりを二人して見上げていれば
 いつの間にか手を繋いでいる 語り合っている
 君が愛しい 愛しいから もう少しこうしていたい

 遠い原に光と雨がある 我が原にはどちらも無いと 自ら言う
 誠に育んだ原であるならば 幻を祓え 我が原にこそ光と雨がある

 明け方 カーテンの隙間より陽が射しこむ
 力を込めて振り下ろした拳を 悔いる事がある
 自ら人に優しくなれたならば 全てが報われる
 私の苦しみとは 私が他者に咎を追うからだ
 想念の世界は 全て自身の管理のもとにある
 ゆえに 私は今すぐ 人に優しくなりたい

 迷う事も無い 焦る事も無い 絶やす事も無い
 ただ 愛せ ただ命ある時間を愛に使え
 ただ 働きを繰り返して 地を愛で満たせ

 鳥も とかげも 人も 皆が歌を忘れるけれど
 お空の上の 温かな雨粒が 草花を満たすころに
 お母さんとお父さんの呼ぶ声に気づいて 手を繋いで
 一緒にお家に帰る途中で 歌い始めるんだよ

 花咲く原っぱに突っ伏した
 心の震える部分に手を重ねた
 残りの命を賭して 星の落ちる丘を目指した
 星は私を迎えてくれた その胸に倒れこんだ
 ああそうか お星さま 私はとうとう動けない
 けれど 報われたよ 救われたよ
 この喜びを前に 涙もついに絶える
 花咲く原っぱに風が吹いた

 命ひとつを落としました では 済まないんだよ
 殴られても 侮辱されても 騙されても
 俺は生きてやる 俺の命の返却先は 神様の膝元だ

 大地の裂け目に叫びを投げ込むのだ
 鋭い空間は やがて切先の如く意志に埋め尽くされる
 それでも 叫びを投げ込むのだ 山を築き上げよ
 かの山を定命の民達が 畏怖を込めて見上げる日まで

 修羅は争いを胸の内にしまい込み 倫理を片手に眠る
 かの者は鏡を用いること無く 自らの心に問いただす
 心が痛くて涙が溢れてくるのだが 良いのだ
 生きる証だからだ 真の戦いに身を投じたのだ
 臆病でも 弱くても 立ち向かい 巨悪と対峙する
 巨悪とは 成長できない等身大の自分だからだ

 人は人を押すだろう 力強く押せば倒れるからだ
 自分の意図する通りに 相手を変える事に逃げる 
 人は壁を押さないだろう 揺らぎもしないからだ
 壁とは何か 自らの弱さに目を伏せた逃避の心だ

 最近、苦楽の時の垣根無く、小さな神様を近くに感じる。

「ぽっぽっぽ はとぽっぽ」と歌ってくれた祖父が
 時折 暮れ方の公園に姿を現しそうで 寂しいよ

 想念を燃え上がらせる技法と 想念を静めるための技法の
 ふたつを学ばないことには 私は呼吸ができなかった

 私はその虎の首を断ち切り 自らの頭に毛皮を被る
 虎面の修羅と成り果てて 餓鬼道や畜生道と闘うのだ
 人道に背を向けて 修羅道の血に従って 争うのだ
 ハ ハ ハ これが 私の 本性だろうか そうだろうな
 流れる涙は 粉々に砕け散った 思いの丈全てだろうな

 嘘つきという名の羽虫が 私の血を吸ったとしても
 憎悪の想念 憤怒の想念により 喉が焼かれるだろう
 解るか 解らぬか そうか お前には解らぬ
 人道の者には指一本触れさせぬ お前達はここまでだ

 全てが綺麗に見える心は 全ての穢れが見えぬ心だ

 神様に裁かれたいという詩の上での叫びでさえもが
 正直者だと思われたいという 私の卑怯な逃避なんだよ
 人に嘘をつけば その嘘はその場で終わったとしても
 作品で嘘を書けば その嘘は一生残り続ける

 神仏に裁きを求める心は 自らの罪と向き合う心ではない
 むしろ その想念は逆の事をしている
 自分の咎に目を背けるために 裁きをも欲する
 自身の胸中を眺めて 私が卑怯者だと 今に気づく

 倫理でさえも 振りかざせば血の通わぬ凶器
 中道をこそ想えば 言動の端々より滲み出る血
 けれど その真っ赤な血潮は 頑張った証
 正しさが存在しない洞の中で 挑んだあなたに
 誰かが流してくれる涙のように 偽りが無い

 逃げるな 自身から逃げた者が 理想の形容に逃げるな
 一匹の人間未満の 修羅がもがく姿を理想と呼ぶな
 逃げた上で 知ったような言葉を用いるよりも
 逃げた先で 真に乗り越えがたい壁と向き合うのだ
 鏡を割ることで 逃避行の続きを渇望しても
 割れた破片が 人々の魂に突き刺さるのだよ

 幸せのあまりに 私が理性を失い 狂う日が来る
 旅をする鳥達が 愚者と化した私を眺めている
 遠くの遠く 愚かな幸せ者がいるのだと 話が飛び交う
 蕩けるような日々の中で 私は木漏れ日に懺悔する
 その光をもたらす大樹が 私を支えているのだけれど
 大樹も私無しには 生きていないのだ

 自分のことを 愚かだ 未熟だ と言いすぎると
 まだ生きているのに この脚は震え出す

 誠実に命を燃した者のみが 自らの命の重さを知る
 しかし 重さを知るからと言って 知った気になるな
 お前は生きていろよ とこしえに生きていろよ
 風が吹けば飛ばされるように 軽くとも
 真っ暗な海に沈むほどに 重くともだ
 人が計り知れるほどに 命とは簡単なものではない

 お前の魂が砕けてしまうならば 私の心臓を割ろう
 この血潮をもってして その破片を繋ぎ固めよう
 お前の魂が黄泉の足音におびえる事もあるだろう
 その時には私が手を繋いで 是が非でも生きてもらおう
 生きている不思議に 声音も震え涙も溢れるなら
 私も一緒にわあわあと泣き がたがたと震えよう

 彼は自身の心が盲目であると知っていたから
 自らの罪と向き合う術を探していたんだ
 やっとの想いでたどり着いた御山を前に
「これが私の罪か」と一言 驚嘆の声をあげると
 その後は静かに 有難く手を合わせて涙しているんだ

 鉄を構成するものは三つあるのですが
 それが倫理 正義 中道 であることは
 意外にも 知られていないのです
 また それらの配合が実に難しいことも
 同様に 世に知られていない事実なのです
 原初の民が 隕鉄を用いて鉄器を造るのは
 天がもたらした鉄に理想を見出したからです

 あなたに「結婚しよう」と言う瞬間、私は世界で一番の幸せ者になっているのだ。

 神様 私は三年以上 他者を赦す努力をした
 だから 怒りをぶつける努力も 始めたい
 私は人形ではないのだから 言動を持っている
 散々殴ってくれた 散々嘘を言ってくれた あの連中に
 一矢報いずして 何が命か 想念か 魂か 叫びか
 それが分からなくなる前に 動き出す必要があるのだ
 けれど 涙を流す頃には この心底より 祈りが生まれる
 真に人を赦したいと 願う叫びがこだまする
 怒りも憎しみも 根まで辿れば それは悲しみだからだ
 私は 偽我か真我かと問われれば 後者を選ぶのだよ

 卑怯者達が自らの責と咎を隠している夢を見た
 彼らは自身のことを棚に上げて 私を責めていた
 嘘つき達よ 今一度 自らの胸に問いなさい
 人間とは 他者を責める時 矛盾を産む生き物なのだ
 お前達の言動の全て 水面に映して眺めてみろ
 それでも心が動かぬなら 生きながらに死んでいるのだ

 産まれた日より減りゆく 定命の砂時計
 恐れている暇も 計算をしている暇も 無いから
 勇猛果敢であれよ 誠実であれよ 命を燃すのだ
 燻ぶりながら 尽きていく命では 色気が無い

 街灯に群がる蛾を眺めていると 哀れである
 自ら光を産む術を持たず 真夜中の灯に縋るのみ
 あの蛾に面影を見るのだ お前の命を思い出すよ
 全ての街灯が消える明け方には お前も消え入るのかい

 揺り籠に憩い 眠る赤子が 揺り籠を否定するだろうか
 倫理に守られ 生きる者が 倫理を否定するなら勝手だ
 身を投ぐ想いで 真に倫理無き世界に 身を置きたまえ
 身を投ぐ想いで 真に倫理無き者達に 囲まれると良い
 そうで無ければ他者に善心を求めるだけの 我儘と学べ

 私は 怒り狂った後に やはり涙の後味を知るのだね
 正しい義を背後につけたと思い込み 振り下ろす怒気
 砕け散ったのは 自身と 誰かの 少しの痛み
 けれどね 不思議と後悔だけはしていない
 その妄執的正義により 多くの邪を祓ったから

 私が九歳の時に 母は統合失調症を患った
 母の孤独 苦悩 叫びを知る私としては
 血の通わぬ心で病を語られては 悔しいものがある
 病とは 商品に貼るラベルでは無いのだから
 何よりも前提として 我々は機械ではなく人間だ
 価値の有無ではない その人自身を見るのだ

 お前達 あの子を笑ったね 見下したね
 あの子がどんな想いで花を手渡したか 知っているのか
 あの子が愛した苦悩も 激情も 涙も 知らないだろう
 お前達 悪いことは言わない あの子に謝りなさい
 あの子の思いの丈 全てを汲み取りなさい
 人間一人分の想念というものを 思い知りなさい

 浄衣を纏ったお坊さんが 雪の道に倒れている
 菩薩様が彼を抱き起そうと 手を差し伸べた
 お坊さんは青白い微笑を浮かべ 心から答えた
「私の誓いは 死の誓いではありません 私の誓いは」
 そこで 彼の命は ふっと消えてしまった
 菩薩様は涙に震えながら 僧を懇ろに弔った

 人道まで登れば 苦しみは四苦八苦の一言で済む
 これほど解りやすく 幸せな事など他には無い
 修羅道まで登れば 苦しみは赦しひとつで片付く
 これほど解りやすく 幸せな事など他には無い

 他者の過去を標的に 攻撃を繰り返すことは容易い
 これは私自身が反省すべきことだ
 記憶の中の 過去の相手は 一生成長しないのだから
 少なくとも現在より 永遠に未熟なままである
 幼子の絵画を相手に 怒号を浴びせるに等しい
 最も成長するべきは 今を生きている自分なのだ

 願わくば 私は蛹でありたい 愛の蛹でありたい
 陽光の下でその時を待ち 我が胸を突き破り 飛び立ちたい

 街に出る時は背広を着て 人に囲まれて孤独を学ぶ
 野に出る時は僧衣を着て 全て満たされて未熟に気づく
 街に倒れる時は 人々に抱き起こしてもらいたい
 野に倒れる時は 鳥獣に身を施し 神仏に会いたい

 雑音に塗れた町中で 心に小さな隙間を作る
 その空間に第三の私を安置して 静寂を生む
 騒音の悪魔は手を出すでしょう
 すると 頭上高く赤翡翠が舞うように飛び
 私を襲う魔の合いの手を 啄んで遠くへ運んでくれる
 私は静けさの加護を得て 小さな神様に祈る

 眠る前から怒りを抱えていた 目が覚めても同じだ
 遠くに聴く蝉の鳴き声が 心を癒す 邪を祓う
 生きる事 耐える事 尽くす事 単調な繰り返し
 それこそが命の原型であると 蝉の歌に学ぶ

 街を染め上げる夜のように 私の胸中に留まる声音
 修羅はもう疲れ果てているけれど 憤怒は治まらず
 四海の中央に垂れた一滴の墨のように 世を濁らす
 溶けて境がぼやける頃に 我が想念は苦の歌を知る

 私だって 気づかぬ所で人に赦されているんだ
 そんな私が 人を赦さず 怒りを抱える事は
 なんだか とても卑怯な事だと思うんだ

 私が視線をどこに向けても 怒りが映る
 常に怒りと向き合わなければならぬ
 既に想念も燃え尽きて 怒りに対して疲弊して
 瞼を閉じたとしても 怒りの影に覆われる
「私が人を赦すだけの 最低限の勇気をください」
 一言だけだった それで 楽になった

 過ちの道にさようなら
 正しい道にこんにちは

 間違いも正しさも 志が無くては価値が無い
 間違いから学ぶことも 正しさに反省を見出すことも
 揺るがない志があってこそ 初めて行える
 立派な人物の足場に心があると書いて 志である
 私は愚鈍で未熟な ただの物書きだけれど
 自身の想念と向き合う信念だけは 偽れないものである

 鬼が膝をついて 両手で顔を覆い 泣いていた
「俺は何もかもを赦したい けれど難しくて 苦しい」
 炎を宿した仏様が 鬼の肩に手を置いた
「赦したいと願うお前の心が 間違っている筈が無い」
 胸の内を救われた鬼は 震えながらも 立ち上がった

 愛しく想えば夏の陽に 秋に散り損ねたこの命
 御里の父母と兄弟の 尊顔の浮かぶ涙目に
 惜しい悔しいと 歯を食いしばり耐えた日々
 東の君を想えばこそ 我が魂は奮起する ひたすらに
 命の一滴を燃し尽くす その日まで 生きてやる

 修羅の私に、赦すための勇気をください。
 最低限の、一握りの勇気で良いのです。
 もしも、それさえも叶わぬならば、砕いてください。
 我が身も心も、躊躇無く打ち砕いてください。
 神よ、仏よ。私は天を試さず、挑発もしない。
 ただ、本心を叫ぶのみなのだ。私の偽我を砕き給え。

 自らの胸の内と向き合うと、時折想うことがある。
 この程度の辛苦ならば、放っておけば良いと。
 黙って耐え抜き、雪解けを待てば良いのではないか。
 黙々と地に根を張り、雨水を飲み、育つ樹木の様に。

 お前の名を言ってみよ。
「怒りだ」
 では、お前の名を言ってみよ。
「悲しみだ」
 嘘をつくな。
 お前達の名は、太古の言葉で証明されている。
 たった一言で、お前達の化けの皮は見破られる。

 今は、ただ、ぎこちない照れ笑いをしながら、
 家族達に、お礼を言いたいだけの、馬鹿息子。

 怒りの意志を石に譬えて、積み上げてみようか。
 鬼達が、邪魔をしようと、やって来るだろうか。
 私はその鬼をも、赦さねばならぬ。
 でなければ、石が、またひとつ、ふたつ、増えるだけ。
 赦すことが、我が魂の是非を、決めるのだ。

 これ以上の怒りは、抱えきれない。
 このまま地に膝をついて、うずくまり、
 憤怒を内包した蛹と化して、陽月に見守られたい。
 私の真我と、激情とを折衷して、自らを破るのだ。
 白か黒かを決意した、一羽の蝶に成ったなら、
 花の咲かぬ荒原をただ、力尽きるまで、飛びたい。

 怒り、怒り、それでは、振りかざす刃と何が違うのか。
 私だって、大勢を傷つけたし、悲しませた。
 私の知らぬ陰にて、誰かが涙を呑んで赦してくれた。
 私ばかりが、これぞ身勝手に怒り散らして、何になる。

 だからこそ、反省を止めてはならないのだ。
 私は肉体船の船頭。指針は自らの真意にて正せ。
 中庸、中道、正道の考え、その濁流に呑まれず、
 また、放棄することもなく、乗り越えるのだ。
 意志の櫂を手放すな、我が務めを、私こそが果たせ。

 私は、途端に恥ずかしくなった。口ばかりだからだ。
 感情なんて、赦しなんて、口にするまでも無いこと。
 ただ生きて、生きて、寿命を使い切る。
 必然の如く生きることが、一番難しいことなのだから、
 生きることが、善い。生きられるだけで、善い。

 春の一期を想うからには 怒りも憎悪も似合わない
 千日の詩の山を置き去りにして 私は街に出る
 友のため 冬の夜に祈った 神様の樹の前で
 真っ暗な海に咆えた あの防波堤の前で
 何もかもが 痛みに満ちていたと思っていたが
 振り返れば皆が皆 一切合切の お礼であった

 空と海を越えておいで
 想いを募らせ バス停にて君を待つ
 我が心 二十八度の空模様

 生きている喜びに涙して
 父母に「産んでくれてありがとう」
 ただ一言を言えた時
 最も大きな親孝行をしたと
 自惚れている 馬鹿息子
 そんな私を愛してくれる
 無上の光と見紛う 親達を想えば
 再び滾り落つ 大粒の涙

 絶望とやらにぶちのめされても
 胸の内に橋無き崖が姿を現しても
 いつだって足を運んだのは あの防波堤
 深夜には真っ暗な水の塊だとしても
 陽が昇れば 金銀の光を弾く 希望の海原

 二人のアルバムの 全ての写真が 今の幸せへの階段

 道路越しに 互いのバス停より手を振る 恋人たち

 橙色の明かりを見上げながら
「好き」を繰り返し 囁いて
 手と手が触れ合うか 肩が触れるか
 寝返りを打ち 目と目が合った

 さあ 寝ようか 布団から伸ばした指先で
 君の手に触れる つついてみる もう少し おしゃべりしたい
 くすぐったい と笑う君 嬉しくて笑う私
 静かな声音 静かな喜びよ

 私は単純な男になりました
 貴方と手を重ね合うだけで
 永久を願う程に 熱くなってしまう
 私は単純な男になりました
 貴方とひとつの屋根の下
 共にいられるだけで この心は宙に舞う
 私は単純な男になりました
 貴方の幸せが
 私の幸せになりました

 明かりを消した寝室で
 唇に触れた温もりが 魂を燃やした
 今にも溶け落ちそうな想いのまま
 手加減もせず 君に抱き着いた
 君の何もかもが 私の全てになった

 穏やかな寝息を立てる 愛しい君を見守りながら
 愛を綴ろうと 愛を表現しようと 言葉を選ぶ
 作家とは不器用なものだ
 詩の上では言葉を考えないといけない
 恋人とは単純明快だ
 偽れない想いのままに 真っ直ぐに甘えれば良い

 魂を焦がす恋をしました
 難しい考え方が出来なくなるぐらい 馬鹿になりました
 ならば 月でさえもが恥ずかしさのあまりに
 見て見ぬふりをするような 愛に生きてしまおうか

 やがては夏が去り 秋が去り 冬も去るのだろう
 けれど 四季を重ねても 千夜を渡り歩いても
 我が胸の内にて甘えてくれた 貴方の温もりが残る
 左手を重ねてくれた 貴方の心の残り香が
 この部屋に残っている 我が胸を満たす

 地に足のついた生き方 宙に舞うような胸の内
 肩を並べて浜を歩めば 砂の城には目もくれず
 共に過ごした時を想う またこの場所で会おう

 指を絡め合って 互いをくすぐり
 笑い疲れて眠る 正午過ぎの空調の音
 貴方の黒髪を片手で撫でると
 言葉を失う 愛しさのあまりに

 恋人とは何ですか
 手を繋いでいる相手の事です
 恋とは何ですか
 手を繋ぐ以上の事をしたくなる心です
 愛とは何ですか
 二人して 世界を置き去りにして 幸せになる事です

 明日 君はバスに乗り 手を振る私に見送られる
 君が乗ったバスが見えなくなるまで 涙を堪えるのだ
 けれど 寂しいと言ったって それは温かいものだ
 離れても離れられないように 君の中に私を残したから

 君のノートパソコンから、日本語ラップが流れる。
 二人で電子タバコを吹かしながら、ぼんやりと過ごす。
 私達の煙、煙、煙。
 絡め合った腕、指、心の様に。
 部屋の宙に舞い、溶け合う、混ざり合う。

 明日には君が帰ると思うと、寂しくて、手を握った。
 私が一度握ると、君も一度握り返してくれる。
 二度、三度、何度だって。
「寂しいよ」と言いたい代わりに、繰り返し握った。
 君は何度も何度も、握り返してくれた。
 部屋に香るジャスミンを、私は忘れないだろう。

 君が寝返りを打って
 僕の枕に近づくのも
 愛の成せる業なのか

 君がお土産に持ってきたシウマイを温めて 食べたんだ
 これが 君の生まれ育った地の味なんだな と思うと
 今朝 バス停から見送った あの姿が想われる
 バスの窓から 寂しげな顔で手を振る君を思い出す
 涙を堪えて手を振るのがやっとだった
 今ではどうだ 涙の味が 一口 二口 喉を通る

 君ともっとキスがしたくて 口元が寂しくなる
 紛らわすために 電子タバコを必死に吹かした
 吐き出す煙は 絡まる相手を見つけられずに散る
 最後の夜は 私が泣けば 君が手を握ってくれた
 今泣いたら 私は本当に一人だ
 このアパートは 今の私には広すぎる

「一緒にいようよ」の声ひとつ
 胸に投げ込む想いがひとつ
 暗い想念を拭い去り 君のために筆を執る
 今までだって歩いてきた 無難な道など無かった
 我が務めを互いに果たしてきた
 僕たちはこんなにも遠い 美しい原まで来た

詩集 修羅と名も無い僧 一章

詩集 修羅と名も無い僧 一章

  • 自由詩
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-08-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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