蜃気楼は上空の空にまでは影響しない 第1部 

蜃気楼は上空の空にまでは影響しない 第1部 

“内地”があり、それ以外の“外地”がある。外地とはなんだろうか? 心の外側のこと? 人生の、世界の、宇宙の? 外側のこと。考え方の枠組みを取ったら、忘れかけた物語と再会できるだろうか?

1/100 蜃気楼は上空の空にまでは影響しない


 彼女を夢中にさせたのは、線を引くことだったーー



それが、上空のどの辺りにまで影響していたのかは分からない
朝になると、退屈な気分はなくなっている
その不思議さに関して、探求したことがあっただろうか?

昨日の晩、マイルスデイビスのMoon Dreamsを聴きながら寝落ちしたのだと思う

それが夢にどこまでの影響を及ぼしただろうかーー



 彼女の名前には「線」という字があった


それは、彼女の気質、性質、態度など
存在そのものを示す充分な印象だった


ーー漫画を読むときには、それは効果線となり、集中線となる

線の伸びる先や、屈曲するポイント
或いは、“線が束ねる刻(とき)”

ーー子供の頃の習字では、言葉やその形よりも、線の滲みかた、掠れ具合いに

それでも、川という字の線や、漢字の数字の線には魅力を感じて、よく書いた

ーーそれが、天体を観たとき

天体を結ぶ線が想像させる星座に

ーードローイング

絵画、と云うよりも、線画に



 言葉よりも、線が、彼女により語りかけた


ーー人の感情を線の入り乱れ具合で置き換えて捉えていた

左斜めに消える、逸れた線
勢いの良い線
丸みを帯びた線も見逃さなかった
だけど、直線的なものの中にあるちょっとした【ねじれ具合】を愛でるようになっていった

ーー次に愛したのは、雲だった

多くは丸みを帯びた形だったが、不意に感じられる直線的なものがあるのに気づいた
天使の梯子や、雨上がりに射す光(ひかりを、かげ、と呼ぶこともあることを知った)
部屋の中、屋内駐車場に作る射線
線にも柔らかさがあることに気づいていった

それらが彼女の性格を作っていった


彼女は、

 「それは、直線的な考え方よね」


 「それは、この【間際】に斜線を引くってことよね?」


物事を解釈する言葉にも表れていった態度に
しかし、どこかで曲がることを望んでいる直線のようにもなった

ーー夜の、特に夕闇のドライブが好きになった

等間隔に置かれた中央線や、道路の線上を走る車たち
街灯が導き引いてゆく線
余計なものが、とりわけ彼女にとってだが、余計なものが取り払われて見えるようになるからだ
道路の本線や、環状線など、それぞれの役割についても興味を抱いた
その夕闇の織りなす線の虚像にーー木々や植物の枝が自在にーー複雑にーー奔放にーー伸長する線を見つけたときだったーーそれはかつて彼女を夢中にさせる切っ掛けとなった起点にある何かを知らせた

ーーそれから、世界のシンボル、紋章、それと再び数字の中の線、それらが彼女に語りかけてくるものになった

象徴的な、寓意的なものが、人の世の根本に繋がる


 彼女が見ていたもの、見ようとしてきたもの
 繋がりのある線だったことに気がついた

ーー量子力学を知った頃、干渉者の視点から引くことができる線があるように思った

その線は懐かしみのある、まさに交錯するためのものである、と

ーー彼女の交際関係は、華やかなものでは決してなかった

10代の頃はとにかく直線的なものを思わせること、だから、背の高い男性が好きだった
容姿よりも、その直線性
思春期を迎えた頃、彼女は男性器の直線性に気づいた
直線性の中にある生き生きとした【捻れ具合】
魅力的な線の啓示を得たあと、その生き生きとした線的な動きに夢中になった
それは、道路の交通標識のような線にも似ていたが、それは一度折れてしまうと不完全さを象徴するものになってしまうことにも思った


 取り代わりのないものを得たのだと、思った


ーーそれは人生を退屈なものにさせない

スポーツや音楽ではなく、彼女にとっては線を感じさせるものを世の中に見ることで、点との出会いは線上に点を打つことになった
その異性となる点は、線はある意味で影そのものであることに気づく粒子という点の連なりからの線
線は何かの集合となる

ーーそして、彼女の前に起立しているそれが、言葉であったと気づく



      言



という字、それをノートに書いた

彼女の筆跡は、筆圧の軽さ、その癖は、“言”という字を走り書きにさせた

それは、彼女にある姿を思い起こした



 ーー鶴だった


或いは、タンチョウ


その立ち姿だった


彼女はそれから、“言”という字を巡り
言葉の世界へと足を踏み入れてゆく






 ーーさて、

 そして私が、働きアリのトップオブトップだ

 なぜこんなところに出てきたのか、きみは知る由もない

2/100 言い伝え

2/100 言い伝え

彼女が言葉の世界へと足を踏み入れてから、意味で溢れたこの世界が情報過多な目眩を起こすものであることに気がついたーー


「もっと、シンプルであればいいのに」


彼女は世界の混沌を嫌うようになっていた



 ーー彼女は、【ルーン】と呼ばれる“秘密の文字”に出会う


 

『ルーン』


ルーン文字(ルーンもじ)は、ゲルマン人がゲルマン諸語の表記に用いた古い文字体系であり、音素文字の一種。成立時期は不明であるが、確認されている最初期のルーン銘文は1世紀頃のものである。ラテン文字に取って代わられて使用されなくなったが、スカンディナヴィアでは中世後期まで用いられた。一部の地域ではルーンの知識は初期近代まで民間に残存していた。
「ルーン(rune)」という名称の語源としては、「秘密」を意味するゴート語の runa が挙げられる(cf. 古英語: rūn, 古ノルド語: rún)。
個々の文字をルーンと呼び、ルーン文字のアルファベットを、初めの6つのルーンから「フサルク」 (fuþark) と呼ぶ。このうち、第3ルーン (þ) はソーン (þorn, þotn) と呼ばれ、現代でもアイスランド語で使われている。
本来、木片などにナイフで刻みつけて表記していた。そのため、木目と紛れて読みにくくなりがちな横線が避けられ、縦の長い線と斜めの短い線とを組み合わせた字形になっている。
(ウィキペディアより)



 彼女はそこに、一目で見渡せる意味の視覚的簡略性を覚え惚れ惚れとした。そして、それは線形で表されて彼女の行動規範に当てはまっている。情報過多なこの時代にこのシンプルな構造。彼女の幸せホルモンは絶頂だった。



ーー言葉の世界に足を踏み入れてから、彼女は図書館へと通うようにもなった


(ただ、そこに到るまでには必要なステップがあった)

最初、彼女の行動には本を買う姿も見られていた。しかし、彼女の欲求への対象は一途な方向に向きがちだった。それは手始めに、給料で得る金額の食費をまず侵し、次に彼女の銀行の口座の貯金額を侵し、ついでに彼女の化粧品が100円ショップで買えるものに変更させ、着実に彼女の身体と共に生活レベルをか細いものに変えたあと、彼女のパンドラの箱に残されたのは月のスマホの代金を極限にすること。彼女自身の情報が薄まっていく中で、パンドラの箱に手をかける彼女の手を止めたのは、彼女の親友だった。


「あなたにぴったりの場所があるわ」


親友は、彼女を荒れ地から救い出した

図書館、そこは楽園だった


ーー彼女はいつものように図書館へと向かった

敷地内には、公園があり
神社もそのうちにあった

神社があることに気づいたのは何度も何度も図書館に通ってからであった

なんとなく神社に寄りたい気持ちが芽生えて、両親と毎年通っている正月の参拝の作法を思い出してみた。
鳥居をくぐる時の礼から、右側歩行、本殿での礼や拍手。
手を合わせたところで、ふと、私は何か願うことでもあったか?と。
考えてはみたが、浮かぶものはない。
手を合わせたまま、本殿の中を眺めて見た。
「金刀比羅」の名が見えた。

金比羅というのは龍神であると、親が言っていた事が思い浮かんだ

「龍神……」

頭に浮かべながら、その文字をなぞったーー文字のなぞりが視界の端に伸びて、その伸長した部分が弧を描いて線になった。ふと、隣を見ると参拝者が居て、賽銭を賽銭箱に入れたようだった。礼や拍手の音を聴かせたあと、彼女の姿など気にすることもなく本殿に向け、何かを唱え始めた。


彼女はそれを聴いたことがあった


これは、祝詞だ


隣の参拝者が諳(そら)んじる言葉が、頭の中で文字を起こし、彼女にそれを浮かべさせるように、なぞらせていったーー


その何か、地力のようなものを得ていく感覚に眼を閉じた彼女の内側が集中したあと、参拝者の息吹が本殿へと筋道を辿ってゆくように消えるのを感じた

眼を開けると、参拝者はすでに後方へと立ち去っていった

自分が感じたことをどう理解するか、彼女は言葉を探していた

今の彼女には言葉でそれを表現する力がなかった
それに気づいただけでも彼女は言葉の世界を推し量る能力を得てきたことを意味していた


ーー彼女は本殿を離れると、入り口の鳥居に向かうまでの境内に粗末な摂社があることに気がついた

哀れに思った彼女は参拝することにした



頭の整理がつかないまま、本来の目的である図書館へと向かうことにした。
なぞっていたはずの祝詞の文字は消えていた。
頭の中にすっかり残っていなかった。
思い出すことができない。
それがどうにも悔しくなり、何度も思い出そうと努めてみた。
ダメだった。
彼女は完全に頭の中のことに気を取られていた。
足下のそれに気づいた頃には遅かった。
痛みが走った。
頭の世界から、現実の身体へと気が向くと、足下に1匹の蛇が居て、自分の脹脛を噛んでいることに気づいた。
これは夢の中にいるのだろう、と彼女は自身を閉眼してみたが、それよりも痛みの鋭さが上回った。


「ッ痛い!!」

人生で初めてとも思える【痛み】という感覚の自覚だった。
彼女の生理的苦痛を超えるものだった。
しかもそれは、噛みついたまま離れない。



   【 毒 】 



毒という漢字が頭に浮かんだ。
彼女は、それを反射的になぞった。
象形文字ではどのようなものになっているのか?
彼女の頭には毒に対しての処置的な観点が不足していた。

そしてそのまま気を失った




さて、働きアリのトップオブトップのこの私から言わせれば、彼女の一途さは今後も不幸を招くことだろうね
現実世界に閉眼したまま、危うい人生を歩むことだろう

まあ、ひょっとしたら……思わぬ幸運もあるかもしれないが

蜃気楼は上空の空にまでは影響しない 第1部 

忘れかけた物語との再会

蜃気楼は上空の空にまでは影響しない 第1部 

村上春樹 蜃気楼 マイルス・デイビス 線 言葉 ルーン文字 金比羅 アリ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-08-26

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  1. 1/100 蜃気楼は上空の空にまでは影響しない
  2. 2/100 言い伝え