『ルーシー・リー展 ー東西をつなぐ優美のうつわー』レビュー
陶芸家として国際的に名を馳せたルーシー・リーの故郷には、かの有名なウィーン工房があった。産業革命以後、量を重んじて質を軽んじる風潮に異を唱え、手仕事による制作を通じて日常生活にも美を齎そうとするアーツ・アンド・クラフト運動に強い影響を受けた工房では、建築から日用雑貨まで至るまで、幅広い作品が総合芸術の理想に元に作られていった。若き日のルーシー・リーが入学した工業美術学校ではウィーン工房に所属していた職人ないしデザイナーが教鞭を取っており、そこで多くの教えを受けた彼女はろくろ作陶に出会い、その面白さに目覚め、陶芸家になることを決意する。
「かたち」から始まり、「色」や「かざり」あるいは「手ざわり」といった構成要素を一つの器として表現する陶芸において求められる美は、綻びのない完璧さに収斂するものでは決してなく、その見た目が歪で無骨な有り様に転じたとしても人の目に止まり、心を魅了する奥深さがある。かかる美の推移を大雑把に西洋と東洋の括りに押し込めれば、ルーシー・リーの作陶は東西の違いを股にかけ、スケールの大きい表現活動を果たしている。
第二次世界大戦時におけるナチスドイツの迫害から逃れる為にイギリスに亡命したルーシー・リーは、ロンドンの地でバーナード・リーチと出会う。香港で生まれ、幼少期を本邦で過ごしたバーナード・リーチは再来日後、六代目尾形乾山を継いだ三浦乾也の元に入門し、作陶を開始。思想と技術の双方で東西の美の橋渡しをなす精力的な活動を行なった。中国の陶芸にも通じていた彼から受ける更なる教えに、ウィーン工房由来の洗練さも掛け合わさって至る美は、混線を免れた見事なハーモニーとなってルーシー・リーの名を唯一無二のものにする。
バーナード・リーチから「君の作品は不健康」と言われ、一時期、自分の作風を見失うも、制作面で生涯のパートナーとなるハンス・コパーからかけられた「君は君の作りたいものを作るべき」という言葉を胸に自分のスタイルを模索した。その中身は実験精神に富んでいて、例えば①2種類以上の土を用いる練り込みの技法で仕上げた素地の焼成後、その表面に現れる溶岩が沸き立ったような気泡の痕跡が土の美しさを荒々しく魅せる溶岩釉を独自に作り出したり、あるいは②針などで素地に掘り込みを入れ、その窪みに異なる色の顔料を埋め込むことで手仕事を感じさせる文様を焼き上がった器の表面に描く象嵌という技法を積極的に活用し、多岐にわたる器の表情を形にしたりとバリエーションに優れた創作活動を展開した。ついにはバーナード・リーチにも認められ、互いの良さを引き立てるような評価軸が確立される。
ルーシー・リーの表現力はジャンルを選ばないという点でも掘り下げられる。戦時中の苦しい時期に満足な作陶が出来なかったルーシー・リーは、生活費を稼ぐために手に入る材料を用いてボタンの制作に取り掛かった。親指で押しただけのような形、そこらの海岸で拾ってきた貝殻のような形と彼女が手掛けるボタンはユニークなものばかりで、最低限の実用性を備えつつ、身に付けた途端に心が晴れやかになるようなデザインの力に溢れていた。それをたまたま目にしたのが日本を代表するデザイナー、三宅一生。はやる気持ちで仕事場を訪ねた彼は深い親交を温め、コレクション作品にルーシー・リーのボタンを用いたりした。
そんなルーシー・リーの作品だからこそ、アール・デコ様式の粋を尽くし、国の重要文化財にも指定されている旧朝香宮邸=東京都庭園美術館の雰囲気とベストマッチなのは想像に難くないだろう。吸い寄せられるように各展示室に鎮座する彼女の陶芸作品を鑑賞した後、一歩、二歩と下がって見やる空間は震えるほどに美しく、器として完成された作品の良さを拡張するような応答がその場で成される。歩みも自然と遅くなって、非日常の時間に身を投じる幸せで心を癒すことができた。一部の作品を除いて撮影が可能であったため、遠慮せずに彼女の作品をばしばし写真フォルダに収めたが、データとして見ても彼女の表現は損なわれることがない。眺めた分だけ具な発見にも出くわせる。会場を後にしても、見返すのが楽しくて仕方ない毎日が待っているという点は特筆すべき『ルーシー・リー展』の良さといえるだろう。本展の会期は来月の13日まで。とても素晴らしい展示だったので万人にお勧めしたい。興味がある方は是非。
『ルーシー・リー展 ー東西をつなぐ優美のうつわー』レビュー