詠み人知らずの歌に寄す

読み物としては面白いな、と、坂口安吾に言われてみたい。

 ぼくほどに出不精な人間もそうはいないけれども、山口県の或る温泉街を日帰りの小旅行というかたちで訪れたのは、ひとえに其処(そこ)に敬愛する詩人の記念館があるからなのだった。
 その記念館の展示物はぼくを幾度も涙ぐませたのだった、かの詩人の直筆原稿から、かれの息遣い、いたみ、悲痛なる努力の跡が血交じって香るように想起させられ、かのような生き方をしたかの天才詩人が、嘗てはたしかに在ったのだという当然の事実は、現在を生活しているぼくをおもわず()き止めるようにして呆然とさせたのだった。
 然り。かれはたしかに天才詩人であった、その自恃(じじ)をもって詩人として生活し、仲間内でその豊かな才能を認められながらも、その生れついた(はげ)しい火の如く変質的性質とかれ固有の詩人的信条を守護しようとするむりな生き様、そして他様々な不可視の要素等による条件下にあったために、ひととは衝突(また)衝突、対人関係、確かに甚だしい難あり、その生は(あたか)も、孤独を宿命とした詩人らしいそれであったといっても遜色はないであろう。
 ところでぼくなんかも詩を書いていて、このように私小説風の文章だってかってに書いている身であるけれども──ぼくは自分にはない心理を登場人物のうごきのうちに投影・描写してはならない、かってに決めつけてはならないとごくごく自然に思い込んでいるためか、そういう意味であれば「私小説なんてジャンルはない、あらゆる小説は私小説であるべきだ」という意見に賛成ではあるけれども、正直、だからといって「私小説」という言葉の存在を裁く考えをもつほどこの問題に関心をもったことはないから、ふつうに使用している怠慢者である──、わが身は文学のサークルのようなものに一切所属しておらず、とくべつな愛着をもつ詩での業績だって一度賞で入選をいただいたくらい、投稿したことは数回あるけれども、雑誌に載ったことすらないのである。くわえて現在は、詩を投稿することをやめてもいるのだ。
 双方の立場の、どちらが孤独であったか。それを測ることなどできるわけがないだろう、その魂の孕む淋しさは屹度(きっと)等価であったと信じるのがぼくという人間だけれども、その刹那刹那に肉が感ずる孤独のいたみ、或いはそれの総合した質・量、それに釣合をとりえる喜びや慰めの質・量を比較することなぞ、一人間なんかにできやしない。ぼくの考えでは、ぼくにそれをする権利をぼくに与えられない。なぜといいぼくは、自分以外になって他者のいたみを経験することはできないのだから。
 詩人としての己に閉じられた誇りこそあれ、世に出られうる才のないことを自覚するぼくという人間は、このまま詩を書き殴り”犬死”を()つのみであろうというような感慨をまるで持ちあるいているかのような心情、そいつはつねづね胸締めつけるようにわが身を切なくもするし、時々くらいは、わが身をいじらしくおもうような自己憐憫にこころの琴線をふるわされることだってあるから、そのたびに自責の補いをするという惨めったらしさ、だが書く、書かずにはいられぬ、書かないと生きていく自信をすぐさまに失うから──それが、わが現実の生活、いや、恰好をつけさせていただたこう、詩生活である。
 されどそのようなわが身への忖度(そんたく)の不在した現実というものの本性、或いはぼくの投影された世界観とも云えようか、それは恰も硝子盤のような乾ききった冷然硬質な想念にはちがいないのであって、ぼくはその現実の冷たさに、かの詩人のこのむ云い方をするならば、不断に”前途茫洋”たる想いをしているのだった。

  *

 帰り道、ぼくは道に迷ってしまった。
 その記念館から駅までは徒歩で二十分もかからないのだけれども、如何せんぼくは宇宙級の方法音痴であって、なにかしらの能の欠落を疑われるレベル、先ずもって歩いてきた周囲の風景をまったく覚えていない、見ようと意識してもすぐさまわが想念に閉じ籠り、独り言をぶつぶつ呟いてなにかに頻繁にぶつかるのだから、はやどうしようもない。地図は殆ど読めない。「こう見たらこう読める」とひとにいわれても、絶対に殆ど読めない。
 然るに”銀の街”とぼくに名付けられた都会を夢みるような気持でふわふわ彷徨(さまよ)うのがぼくにとり最大の娯楽ともいえるのだから、ぼくは、こんなわが欠点を充分に楽しめる種族なのである──ついでに行っておくと、福岡市はどこかには地下鉄の駅があるので、福岡市の中だけでするならなんとかなる──。
 こういうところはかなりぼくの大大大好きな放浪者、萩原朔太郎にちかいのであって、かれへの愛おしさを自己に投影して了うという自己愛がぼくに(すこぶ)るつよいのだといわせうる自意識を、いまここで披瀝しよう──なぜここで話を脱線させたかというと、ぼくのこういったすぐさま閉ざされて畝畝(うねうね)に行き誤りかねない思考が、(また)歩行にもあらわれているのかもしれない、という推測の説明が、これによってできるだろうと判断したからである──否、ぼくはいつだって書き殴りすぎてしまうので、後で削ろうか迷ったが、前述の考えで残すという判断をしたというだけである。
 ヴァレリイいわく、韻文詩はダンスであり、散文詩とは歩行である。
 ぼくはこの分け方がとても好きなのだけれども、考えれば考える程反抗したくもなる。ぼくは基本的に(うたぐ)り深く、断言しなければいけないと自己に課する近代作家に多いようにも思われているのだけれども──それは責任がともなうので立派な態度の一つであるけれども──、一つの考えでなにかをぱっくりと分けるように裁くということをしたくはない。断言するなら、自分の感情だけの話にしたい。ぼくは萩原朔太郎が、大大大好きだ。こういうものは、断言しまくりたい。
 したがって──話が脱線しすぎて、何に「したがって」なのか推敲の時点でぼくが一瞬わからなくなった──、そのような性質のぼくにとり、こう歩けばいつか着くだろうという楽天的な判断でおもうままに進むほかはなく、気付いたら駅がどこなのか見当もつかなくなり、周囲の風景は勿論みたことのないそれ、しかもやがてぼくが迷いこんだのは、どこか鬱々とした雰囲気立ち込み濃い緑を揺らせる林のまえであった。ぼくは財布に交通費と安いホテル代と食事代くらいはあるのをいいことに、本日中に家に帰る予定を諦めて、こころの空白からうでのびるような好奇心のまま、林のなかに侵入していったのである。
 おもえば無謀きわまりない選択であったけれども、のちの石盤との邂逅によりこのような小説が書ける次第であるのだから、けっきょくのところ、それも亦人生において時々ある偶然の出会いの一つであったのかもしれない。

 夏の一季節であった。
 みしらぬ土地の七月らしい風景は、幾夜幾夜の無為な内面戦争によってねじくれた、鬱蒼にささくれたわが心を爽やかに洗いあげた。しろいTシャツは背にべったりと張りつき、頬へ汗が流れ、激しい陽射しはその場いったいを灼熱で澄ませるような印象すらあった。
 夏には夏の、純潔な真白がある──風景として、そして音楽として。
 ぼくは、そう想う。
 空仰げばまっさらな青空、これ以上ないくらいの陽のつよさであったけれども、ぼくの住む海辺の町に比してそれほど湿度は高くない気候のために、殆ど不快はない。
 海からの風が吹かないというのはかなりの差をうむのであろう。濃い緑を天へ振りあげる木々はさやさやと夏らしいしずかな音楽を立てており、ぼくはそのなかでひとまずは切り株をみつけたので、其処に座ってかの詩人の夏の詩を読みなおした。
 名声高き、詩篇である。
 かれをとりわけ好きではなくても、聞いたことくらいはあるひとも多いだろう。かれがひろく読まれるようになったのは死後であるけれども、その詩はその価値にみあう対価を日本中から受けとったといって、一面的にいえばまちがいはないとおもう。ぼくは知らない地域で迷子になったというある種解放の状態からくるむしろ爽やかな気持から、如何なる嫉妬もない──告白をするが、ふだんは結構あるし、かれに敬愛されたランボオに対しては、詩を書かなくなったことが理由でもっとある──澄んだ心でかれへの祝福を喜んだ。
 ふだんのほとんどが淋しい気分でいて、「いつも暗い顔で話しかけづらかった」と頻繁にいわれるぼくであるけれども、その時、じりじりと照りつける太陽が葉群にやわらかく透かれていることでだってたのしさを感じるくらいには、ぼくは明るい心情であった。
 もうすこし歩くと、滔々(とうとう)とながれる小川がみえてくる。暗い(みどり)の水は陽を弾いてなびくようにきらきらと光りながら波打っていて、飲んでも問題はなさそうなほどに清んだ印象である。
 はや此処まで奥にすすめば、林を出ることすらぼくにはむずかしいにちがいない。しかし愉快な気分のままにぼくは掌でそっと水を掬って一口だけ飲み、そのおいしさに夢みるような心地──と云うのも青年期ぼくはドイツの近代文学にえがかれるような森の散歩の描写に憧れのようなものをもっていて、まるでヘルマン・ヘッセの小説やハインリヒ・ハイネの詩をわが足で実際に歩行しているような、そんなロマンチックな心情のうちにぼくはあったのである。
 ぼくはふだんから俯きがちの人間で──これ、比喩ではない──、下ばかり眺めて夢想に耽り、さっきも書いたが電信柱や木の枝にぶつかるのが頻繁である。その時考えているのはたとえば「愛はひとをどううごかすのかしら」「憂鬱な眸のみせる青空とは、果して蒼い馬のざらつきの陰影なき張り付きであるのかしら」というような如何にも漫画などに出てくる詩人タイプのそれなのだから、わが身ながらかわゆらしいと笑えてもくる。
 であるからその時も夏という観念から喚び起されるイマージュを詩的言語に翻訳しようという已むにやまれぬ衝動に想念をふくまらませていたら、石の段につまずいて転びそうになった。
 ぼくは性格や作風から屡々意外におもわれるが筋力と運動神経が発達しているところがあるので(球技はできない。いわゆる、ボールを遠くには飛ばせるがどこに飛ぶのかわからないタイプである)、よろけても直ぐにもちなおしたのだが、ふっと安堵して上をみたら樹の枝先の隙間から綺麗な青空が割れたように燦爛、こつぜんとぼくの身は其処に漂うような気持、陶酔めいた心地で前を向きなおすと、なにかひとが作ったように整う空間が、林のなかにひろがっていたのだった。
 よくみれば、石張りの空間が拡がり植物が綺麗に刈られて植えられていて、奥には幾つかの古色蒼然(こしょくそうぜん)な石板が立っている。
 ぼくのいた距離からはみえないけれど、石板にはなにか文字のようなものが刻まれている様子、ちかくに看板があったのでそれを見にいくと「戦火のなかで書かれた無名の言葉たち」というようなことが説明に書いてあり、匿名性・無名性を志向するぼくはエミリ・ディキンソンの詩を抽斗(ひきだし)からさがしだすような気持で、一つひとつ丁寧にそれを見ていった。
 書いた者の名は刻まれていない。看板の内容を信じるならば、敢えて書いていないのではなくどうもそれじたいを喪失しているようである。ぼくはそれに胸を締めつけるような甘美な気持を与えられたのだった。
 この世で生きて歌って絶たれた余りにあまりにたくさんの命の殆どは名前を喪失し、世界からその一生涯じたいを忘却させられる。けれどもかれ等ひとりひとりに精一杯の生活とささやかなそれであってもなんらかの誇りがあった筈であり、それは他の誰とも完全に一致することのない、そのひと固有の心のうごき・葛藤・涙があった筈である。
 歌だけがこうして石板に刻まれるというかたちで無機物の硬質に残されるも、われわれはかれ等と逢い話をすることなどできっこない。はや砂のような存在としてこの世界に(はべ)っている全体、それが死者という存在なのではないかと時々だけれどもぼくには想われてならない。死ぬ迄の生というのはその全体からある種浮きあがり疎外されて歌うのだから、そして光を失い全体に侍るのを待つのみなのだから、産れて生きて歌って死ぬという一生涯の辿る宿命は、切ないほどに淋しいものではないか。
 すべての人間は歌いえるものだ。
 ぼくは、そう思う。歌うとは、わが生はこうであれという夢をもつことにほかならないのだから。歌うことすら憚れる世の中は切ないけれども、だからこそ込みあがるその時代らしい歌だってある。屹度ある。いつでも、ある。
 石川吉朗は嘗て捕虜であり失語症に苛まれたらしいけれども、終わりの日すらみえない虐待の日々の中で、歌うことをやめなかった。
 ある種のひとよ。他者に歌わせることを禁止し、その歌をかるがるしく侮辱するのをどうかやめておくれ。ひとの夢を嗤わないでおくれ。我の考えで、他者の存在を裁かないでおくれ。
 したがって、あなただって歌っていい。あなたの歌で歌ってもいいに、決まっている。
 石板の詩の幾つかを眺める。
 単純素朴な平和への願い、児を失った母のかなしみ、人間の体制への思想的慟哭を感じさせる怒りの言葉。
 正直に云わせてもらえばどれもどこかで読んだことがあるような内容・表現ではあったけれども、その平凡と平易にこそ、ぼくはある種の詩的価値が宿るものだと信じたい。
 ひとの心の奥底にはおなじましろのアネモネの花畑のような領域があり、其処の風景によってぼく等は林立しているのではないかしらという推測を、ぼくは愛そうとしている。それがぼくに、自殺しない理由を与えつづけているのだから。

  *

 されど一つ、そう一つだけぼくを打つように暫し立ち止まらせた石板があったのである、それはまさに詩のような言葉で書かれていて、文体は古風ではあるが表現は平易そのもの、独自性のまったくもって欠けた素朴な比喩はぼくにとりむしろこのましく、けだし「匿名の歌」というぼくの志向そのものがこれではないかしらという感慨が、ぼくの脳裏で恰もめざめるようであった。優しいひと。そんな印象があった。どこか、笹井宏之の短歌にも似ていた。
 このひとの名前を呼びたい。引き上げてみたい。匿名性という暗みに侍り直された一特別な存在として。無明という、光なき絶世の光として。ぼくは、そう、つよくつよく希った。
 あなたは、もしや、そんな気持になったことはありませんか? 或いは、一特別な存在として引き上げられてほしいと希ったことは、ありませんか? 一特別として愛されてみたい、そう希ったことは、もしやありませんか?
 ぼくの名前を呼んで──。
 この歌は、どこまでも平凡なそれであるような気がする。だからぼくにとり、この夢は、普遍の詩の一つである。断言。

  *

 その後のことは想いだしたくはない。
 翌日の夜中、血の交じる足を引きずり──歩き回る旅行とわかっていて、ロンドン・ボーイさながらのクールなヒールブーツを履いていた。なんでだ?──、極度の睡眠不足で家に帰ったぼくは、もう一か月は仕事以外では外出したくないという気分であった。

詠み人知らずの歌に寄す

読んでくれてありがとうございました。生き抜こうね。

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短編小説 私小説

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-07-25

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