坂の途中②
八話 神様のいる庭
八話 神様のいる庭
十二月だというのに、今日は本当にええ陽気でした。
庭にも神様がようけ集まって、とっても賑やか。
景石をよじ登っている神様に、山茶花の根元では丸くなって寝ている神様もいて、風の囁き声もどことなく楽しそうだわ。
私は火鉢を傍らに、縁側に座っていました。
足を悪くしてからは、用事がない時は大抵ここにいました。
そうしていると時々、学校へ向かう子どもたちや買い物帰りのご近所さんが声を掛けてくれるのです。
私がいろいろ忘れてしまっても、この町の人たちは笑って話しかけてくれます。
番茶を飲んでいると、門から大きな声で名前を呼ばれたわ。
何事かしらと私が顔を上げると、一人の女の子が庭に入ってきました。
制服姿の女の子は笑顔でこちらに手を振ります。
「あら、また大きい迷子さんね。どうしたの?」
「迷子じゃないよ、ミチさん」
彼女は笑って、私の傍に座りました。
私の名前を知っているから、きっと知り合いなのでしょう。
ここのところ、どうにも人のことをすぐ忘れてしまって困ります。
「ナギだよ、ミチさん。うらべなぎ」
「そうなの?私の知っているナギちゃんはまだ小学生なんよ」
ナギちゃんの身長は、彼女の肩あたりだったはず。
「そっか。じゃあ、その子と同じ名前なんだ私」
彼女はへらっと笑いました。
その笑い方は小さいナギちゃんに似ていて、私は思わず「まぁ」と小さく声を漏らしました。
「今日はいいお天気だね、ミチさん」
「そうねえ、神様もようけ集まっているわ」
神様は暖かい場所が好きみたい。
冬の時期にこれだけ賑やかになるのは滅多にありません。
「ミチさんはまだ視えてるんだね」
「そうよ。ナギさんにも視えるの?」
小さいナギちゃんと混同しないように、私は彼女をナギさんと呼びました。
「……前はね。もう、ほとんど視えないんだ」
彼女は少し困ったように笑いました。
「調子がいいと声は聞こえるんだけどね」
彼女は空を見上げました。
雲一つない冬空はどこまでも高い。
私には訪れなかった別れが、彼女に近付いている気がしました。
「あら、ちょっと待っててね」
私は台所へ向かい、番茶とお茶請けにサブレを持って行きました。
彼女はサブレを見て、顔を綻ばせました。
「私これ好きなんだ。ミチさん、ありがとね」
「あなたも好きなのね」
彼女はサブレを手に取ると、首を傾げました。
「このサブレ、ミチさんの家にいつもあるよね?」
「ナギちゃんが好きなんよ」
ナギちゃんはいつもサブレを口いっぱいに頬張っていたわ。
「そっか……ありがとね」
彼女は小さくお礼を言って、サブレを一口齧りました。
「今年も山茶花、たくさん咲いてるね」
彼女はサブレを食べながら、山茶花を指差しました。
「皆、あれを椿と間違えるんよ」
私と似たような年の人は間違えることはないけれど、最近の若い人は知らないみたい。
「私も最初、椿だと思ってたよ。山茶花ってミチさんに教えてもらったよ」
「まぁ私そんなこと、言いよったかね」
「うん。この庭にある植物の名前は、大体教えてもらったよ」
彼女はそう言って、順番に庭の植木を指差しました。
「あれが金木犀。秋になると庭中、いい匂いがしてたね」
「それで、あの赤い実が南天でしょ?昔、食べようとしたらミチさんにお腹壊すって怒られたよ」
笑いながら話す彼女に、ちょっぴり申し訳なさを覚えました。
彼女とは、ずいぶん親しかったのでしょうね。
「そういえば、あなた学校はええの?」
私の記憶が間違いでなければ、今日は平日のはず。
彼女は手を横に振ります。
「今日は午前だけだったの。自習で残ってる人もいるけどね」
「あなたは残らんくてええの?」
「勉強好きじゃないから……」
庭を眺める彼女は、何か考え込んでいる様子でした。
「ミチさんは、松野恒平くんって覚えている?」
私は少し考えて、思い出した。
あの日に焼けた男の子。
「松野さんのお家のね、ナギちゃんとたまに遊びに来てたわね」
「そのコウちゃんがね、卒業したら町を出るんだって」
この町の子は大きくなると外へ出ていく。
「そうなの。ナギちゃん、寂しがるね」
ナギちゃんの学校の話には、恒平くんの名前ばかり出てきた気がします。
「……そうだね」
彼女は番茶を一口飲むと、庭の山茶花に目を向けました。
「お別ればっかりだよ」
ぽろっと彼女は零しました。
玉砂利を踏む音が聞こえました。
門の方からシロさんが重たい体を揺らして、庭に入ってきました。
昔は毎日来ていたのに、シロさんはここのところ、たまにしか来ません。
「シロさん、久しぶりやね」
「あぁ、ミチとナギか」
シロさんは私と彼女の間に割って入り、どっかり座りました。
「シロさん、全然来ないから心配しとったよ」
私はシロさんの背中を撫でました。
シロさんはすっかり冬のものに生え変わって、柔らかさが伝わりました。
彼女はしばらく黙ってシロさんを見つめていました。
唇の端をきゅっと噛んで、何か堪えているようでした。
それからゆっくりと、シロさんの背中へ額を押し付けました。
時折、肩がかすかに震えていました。
シロさんは黙って彼女を受け入れていました。
その姿はナギちゃんと重なりました。
時々、ナギちゃんは泣きながらここへ来て、シロさんの背中にしがみついていました。
何があったのか聞いても首を振るばかりで、シロさんもどこか困ったような顔をしていたような気がします。
私は彼女の背をさすりました。
「ナギさんは大人になるんやね」
「……ならなくていいよ」
声を詰まらせながら彼女は言いました。
顔を上げた彼女は、目も鼻も赤くして、ぼろぼろと涙をこぼしていました。
そのまま涙も拭わず、またシロさんの背に顔をうずめました。
「視えんようなっても、皆おるんよ」
私はただ、彼女の背をさすることしか出来ませんでした。
「あの子ら、寂しがりやけぇね。たまに思い出してあげて」
彼女の頭がコクコクと頷きました。
忘れてばかりの私が言えたことではないけれどね。
ようやくシロさんから顔を上げたナギさんは、じっと庭を見つめていました。
山茶花の花びらが一枚落ちました。
庭の神様たちは相変わらず騒がしくて、冬の日差しは穏やかでした。
明日には忘れてしまうかもしれない。
それでも、今日の日のことを覚えていたいと思いました。
坂の途中②