『exponentia~うたかたにたゆたうなんかのゆめ』

読込:プロダクションテルル

「間崎!あんた、なんて人を口説き落としてきたの!!」
 
「勢雄祥匡さんですよ。高校の大先輩で、よくは知らないんですが、昔有名だったんでしょう。僕は海外にいたんで知らないんですが」
 
「勢雄様よ!勢雄様っ!分かってるの?あんた!」
「はい。だから勢雄祥匡さんです。wiki見てたら声優経験もあるようですし、高校の大先輩だし、ちょうどいいかなーと思って……」
 
「何言ってるの!!うちらが探してたのは、セイレンの父親役で、お情け程度のエンドしかない、おまけキャラなの!勢雄様にそんな端役、やっていただくわけにはいかないのよ!」
 
「ちょっと名前が通ってたら、誰でも良いって言ったのは、邨先さんじゃないですか。赤生くんと石舘くんで予算食っちゃったって。なんだったら、高校演劇程度の僕でもいい、とか言ってたじゃないですか」
 
「……間崎、もしやあんた、知らないの?勢雄祥匡様を」
 
「なんですっけ?二十年ほど前、うちのゲームに出てたんですよね。なんでしたっけ?」
 
「うちが下請けしたゲームな。あれは売れたわーイベントも、アリーナとかでやったりして」
 
「まじっすか。ぱねぇすね」
「なにそれ、ばかにしてる?」
「してませんよ。お金あったんだなーって思っただけです」
 
「上がな。っつうことで、勢雄様に相応しいクリスに。いや、勢雄様がやるならクリス様とお呼びせねばなるまい。今から詰められるだけ詰め込むから。滅私奉公決定な」
 
「えー?今からですか?!リリースまで半年ですよっ!間に合うんですか!!」
「間に合うんですかじゃねぇ……間に合わせるんだよ。勢雄様に輝かしい場を用意せねば、アイツに顔が立たねぇ」
 
「アイツ?」
「昔の同人仲間の友だち。めちゃ勢雄様ファンのコスプレイヤーがいたのよ。キャプテンコスやらせたら右に出る者がない、伝説のコスプレイヤー……!」
 
「キャプテン?」
「『だいこうかいものがたり』も知らないのかよーもうやだ、あんた」
「すいませんね。海外にいたんで知らないんですよ」

「ほんとっ、やだ!生きて帰ると思うなよ!」
「え?僕、広報ですよ!なにができるんですか?!」

「あたしのサンドバッグに決まっとろうが」
「せめて、使いっぱにして下さい……」
 
 
 

<div>01;酔ひに虚ろう白河夜舟

口を押さえた指の間から、滑った液体が這い出る。
胃液と、血のにおいが、鼻を突く。
光と、耳を覆う空気。
明るいまま、闇に沈む。

—— 

 「悪役は嫌われてなんぼです」

 夏休みだった。

 昼間の、派手な格好をしたオバサンが、自分の部屋にゲストを招いた体でするトーク番組。

 その週は、夏休みの子供に配慮した、『超人部隊・バードX』に出演していたキャストが日替わりで出演することになっていた。
 当時小学生だった俺は、ヒーロー物が大好きで、昨日のバードレッドから引き続き、ブルーを期待して見ていたのだけど。

 これは誰だ?
 画面の中の、女性にも見えるほっそりと優しい微笑みを持つその人物に、ピンクではないよな、という事は分かった。

「敵の、バット長官の人だよ」
 ほら、と一緒に素麺を啜っていた親父の指す画面には、バードXの憎き敵、バット長官の画像があった。

 バット長官?
 画像と並べられても、穏やかな顔と、恐ろしいバット長官が全く重ならない。
 そのくらい、宮嵜 元久の面持ちは、バット長官と似ても似つかなかった。
 そういえば、声が同じだろうか。
 しゃべり方はまるで違うのだけど。

「石を投げられることもおありだとか?お辛くはありませんか?」
 と、聞くオバサンに、
「それだけ、うまく出来てると思うことにしています」
 と、宮嵜 元久は微笑んだ。

 この事が、自分に落ちるまでまだ数年かかるわけだけど、わからないなりに役者を目指したのはこれが切っ掛けだったと思う。

——ああ、そうだ。

 役者になりたかった。
 舞台でも、映画でもいい。
 重厚な、存在感のある、宮嵜さんのような。
——そんな役者。

 でも役者なんてどうやってなるんだ?
 関東とはいえ、都心から離れた城下町の蒲鉾屋に生まれた俺には未知の世界だった。
 それからの小、中学生の間は夢だけ持って、どうやったら役者になれるんだろうと考えていた。

 高校で、演劇部なんてもんがあって、意気揚々と入ってみたものの、高校の演劇部なんて女の園だ。
 力仕事ばかりやらされていた。
 それはそれで楽しかったけど。

 で、大学進学の折。

 演劇サークルが多数ある大学を見て回ったけど、なんかしっくりこない。
 そしたら、宮嵜さんの主催する『義塾・生生流転』のワークショップに潜り込めた。
「役者は——、自分で演るか、自分が演るか、です」
 その言葉は、不意に落ちた。
『悪役は嫌われてこそなんぼ』
 そうか。
 悪、だから嫌われるんだ、と。

 俺は進学せずに、宮嵜さんの義塾の研究生になることを決めた。
 親父もお袋も「やれるだけやってみな」
 と言ってくれた。

 宮嵜さんにくっついて、ドラマやら映画やらにちょこちょこ出演()させてもらったりして。
 小銭が貯まったころ、劇団で共演することの多かった女と籍を入れた。

 けどさ。
 一人ならなんとか暮らせるけれど、二人で暮らすには些か余裕がない。

 そんな時、洋画の吹き替えの仕事が舞い込んだ。
 悩んだよ。
 勝手が違いすぎる。

「やってみるがいいさ。他人の間で芝居をする、またとない機会だ」
 と、宮嵜さんに後押しされた。

――そしたら。

 そいつが、うっかり人気なんか出てしまって。
 そのまま、アニメだ、ゲームだに引っ張り出されることになって。
 ずるずると抜け出せなくなって。

 歌ったり、踊ったり、喋ったり。
 芝居しない舞台(ステージ)は、いつもと明らかに違う。
 まぁ、俺もちやほやされて、若干いい気分になってたのは否めない。

 

 芝居は芝居。
 言い聞かせてたんだと思う。
 ある時、すっと熱は冷めた。

 やるせなさを少しずつ、舞台の方へ重きを置くようにし始めたら、嫁が出ていった。

 そんな嫁でも、愛していたらしい。
 俺は、虚無感に苛まれた。
 どれくらい、自分を見失っていたのか覚えていない。

 ある日お袋から、頬を叩かれるまでの記憶がさっぱりない。

(蒲鉾屋)なんて継がなくていいから、戻ってらっしゃい」
 いうや否や、お袋は荷造りをした。
 ちっぽけな、名ばかりのマンションはあっという間に空き室になった。
 お袋の冷たい細い指は覚えてる。

 俺が実家に戻るのを待っていたかのように、血を吐いて親父が倒れた。
 お袋と、妹と俺と、代わる代わる病室を訪ねた。

「祥匡……」

 そんな日、親父が俺の名を呼んだ。
 体のあちこちに管をつないで、
 すっかり痩せこけた、親父。

「祥華さんを頼む……て、言いたいんだけどさ。言いたくない」

 己の食い扶持でさえ心許ない俺では、安心できないんだろうか。
 いっそ、役者なんて諦めて、実家(蒲鉾屋)を継げってか?

「俺じゃ頼りなくて、お袋が心配?」

 継ごうか?とはあえて言わず、自嘲すると、
 そうじゃない、と親父は首を振った。

「祥華さんをさ、頼みたいけど、頼みたくないんだ。
 僕がいなくても、幸せでいて欲しいのに、
 僕じゃない誰かと幸せに笑う祥華さんを考えたくない」

 なんとも切ない——惚気。

 ドア口にお袋が立っていた。
 目にはいっぱい涙を溜めて、でも零すまいと懸命に耐えて。

「お家帰るわよっ!章匡くんっ!」

 そういって、お袋は絶対安静の親父を家に連れ帰った。

 

 お袋の献身にも拘らず、親父はみるみる弱っていって、三か月たたずに死んだ。
 通夜も葬式も、お袋は泣いてなかった。
 それどころか、俺に三本の指を立ててこう言った。

「一に産声、二に父親の死んだ時、三に財布を落とした時、男ってのはね、それ以外涙を流して泣くもんじゃ無いんだよ。
 ……よっくんは一と二を済ましたから、後は財布を落とした時にだけだからね」

 何を言ってるんだ?この人は。
 わが母ながら、訳がわからん。

「お袋の時はどうすんだよ」

 お袋はきょとんとした後、うーんと考えて、

「笑えばいいんじゃないかな?」
 と、破顔一笑した。

 
「蒲鉾屋は、あたしが太朗ちゃんと継ぐんだからね!兄貴はやりたいことやりな!」
 という、なんとも男前な妹に背中を押されて、俺は見事パラサイトになって役者を続けた。

 実家は、妹が婿を取って切り盛りしてる。
 優秀な妹婿は、蒲鉾文化を広めるためとかで、店の隣に居酒屋をオープンさせた。
 昼は蒲鉾屋で、夜は居酒屋とは忙しいこった。
 お袋もいつも元気だ。

 俺はと云えば、小劇場の客演やら、映画やドラマの端役で食うには困らない程度の稼ぎで糊口を凌いでいた。

 そんな時、高校の後輩だというゲーム屋、間崎が声をかけてきた。
 なんで、俺?他にもいるだろうよ、と思ったが、確かにうちの高校出身の芸能人は、やけに高名な方々ばかりが肩を並べていて、ゲームに出てくれなんて言いにくそうだ。

 ましてや――乙女ゲーム……

 『デイムメイカー』って。
 最近は、子持ちでも攻略対象とかどんなだよ。
 溜め息しか出ないが、金払いはいい。
 既に入っていたスケジュールもあって、調整には手間取ったけれど、了承するとすごい勢いで喜ばれた。

 ま、仕事は、仕事だ。
 さすがにこの年で、歌とか、踊りとかは勘弁してくれよ。

 愈もって発売されたゲームは、鳴かず飛ばずだった。
 今時、ディスク販売というのは結果が出にくいようだ。
 時代も変わったもんだ。

 初のリアルイベントまでこぎつけたのは、発売から半年たっていた。
 って、最近はショッピングモールのショップでやるのかよ。

 長机にパイプ椅子だけの控え室。
 パーティーサイズの袋菓子と、ペットボトルのお茶が用意されたケータリング。

 「はじめまして。セイレン役の石舘 二葉です」
 うわ、わっか。
 てか、イケメンてやつか?
 てか、セイレンてことは、俺の息子役かよ。
 ほんとの息子でもおかしくない年廻りだな、おい。

「クリストファーを演らせてもらった勢雄です」
 短く答えると、なんか怪訝そうな顔をされたが、握手を交わした。
 なんか、変なこと言ったかな?

 SE(音楽)が入り、MC……ってもゲーム屋だけど、キャストを呼び込む。
 俺が最後(トリ)でいいのかよ。
 ロープで仕切られただけの、高さのないステージに、キャストが並ぶ。
 ベンチを置いただけの客席は、若い女の子で埋まってる。

 良かったな、間崎。

 それにしても、明るい。
 こんな明るい場所に立つなんて、運動会以来じゃないか?

 と。

 ぐっと胃から胃液とは違う塊が競り上がる。
 咄嗟に口を手で覆うけれど、押さえきれず吹き出た塊。
 指の隙間に粘る黒。
 錆びたにおいが口と鼻につく。

 血か?

 ふっと、足がなくなったみたいに、その場に崩れ落ちた。
 喧騒は分かるのに、分厚い硝子に阻まれた水の中みたいに、音が届かない。

 ああ、俺が違うのか。

 若い女の子が、なにか言って、口の中に手を突っ込んできた。
 なかなか、勇ましいお嬢さんだな。

 すまんね。

 ブラウスを血塗れにしちまった。
 それ、俺の血か。
 そんなに出てるのか。

 ——このまま死ぬんだろうか?
 それはそれで、いいのかも知れない。

 あれ?そういえば一昨日って、俺、誕生日じゃなかったっけ?
 いくつだっけ?

 ああ、四十二か。
 ――なんだ。
 親父が死んだ年じゃないか。


 

<p>02;天の夜船の綱心


 セイレンの翠の目が、光なく俺を捕らえる。
 俺の息子。
 
 ミリアが生まれ、妻が亡くなって、
 彼はすっかり変わっていた。

 まだ、おむつも取れないミリアが無惨な姿で見付かって、セイレンは居なくなった。

 認知の齟齬。
 予測の認識エラー。

 辺りは黒くなり、溶ける。
 完全に、黒になる周囲。
 ……。

 と、光が刺す。
 眼を開けていられるのが、不思議なくらいの光の洪水。
 
「クリストファー様。――様でございます」
 家職のラドスに名を呼ばれる。
 ――?
『クリストファー』?
 ああ……?俺か。 

 先日初冠(おとな)の祝いの席で紹介され、婚約を結んだ——。

 気の良い爺さん(ラドス)とラドスの娘が毎日世話を焼きに来てくれる、広いだけの俺の家。
 俺が生まれた時に母親が死んで、最近親父が死んだ。
 初冠前の子供に両親がいないことを考えたら、施設行きが妥当なんだけど。
 親父の仕事を手伝っていたことだし、継ぐことにした。
 何より、ラドスがいるし。

 そんな感じで始まった新婚生活。
 悪くない。
 長男セイレンが生まれて、
 六年後、長女ミリアが生まれて、
 ――が、死んだ。

 暗転、そして、光。
 ——?

「クリストファー様。メアリ様でございます」
 家職のラドスに名を呼ばれる。
 今日は、メアリが家に越してきた。
 結婚生活って、どうなんだろうね。
 陽に透けると赤くなる黒茶の髪。
 気の強そうな、茶色の瞳……
 女の子に茶色しか言ってない。
 だめだね、俺は。

 特に嫌でもなかったので、そのまま結婚する。
 
 次の期間で俺も初冠(おとな)なので、ひとつ違いか。
 ま、誤差の範囲だ。
 初めての事だから、戸惑うね。

 でも、悪くない。
 長男セイレンが生まれて、
 六年後、長女ミリアが生まれて、
 メアリが、死んだ。
 そして、ミリアが殺された。

 光?
 ——?


「クリストファー様。メアリ様でございます」
 家職のラドスに名を呼ばれる。
 娘のサーラと、拵えてくれた食卓。
 
 俺はメアリを、今日から一緒に暮らせる喜びに、思わず抱き締める。

 いいね。
 銀髪のセイレンが生まれた。
 暫くして、ミリアが生まれた。
 引き換えるようにメアリが亡くなった。
 ミリアが殺された。
 セイレンの髪が赤くなった。

 荒むような目で俺を見るようになった。

 光が、辺りを包む。
 ——?

「クリストファー様。メアリ様でございます」
 家職のラドスに名を呼ばれる。
 おー!メアリ!!
 今日からの新婚生活!!
 歓喜に溢れて、メアリを抱き締める。

 陽に透けると赤く輝く黒い髪。
 気の強そうな、大地の瞳……
 
 幸せだな。
 幸せ?

 セイレンの銀髪はメルクリオスならではだし、何よりいい子だ。
 暫くたって生まれたミリアも、メアリに似て美人になるぞ。
 その矢先にメアリが死んだ。
 出産時に命を落とすことがある、のは聞いていたが、こんなにも呆気なく命は散るものなのか。
 ——?知ってる?

 更にミリアも、まだ乳飲み子というのに何者かに殺された。
 そうして、髪を赤く染めたセイレンが町の子を殺した。

 白い靄と光が、そこら辺を覆う。
 ——?

————

 ——指、痛えな。
「よっくん!」
 この呼び方は、お袋か?
 俺もいい年なんだから、止めてくれや。
 
「よっくんが、目を開けました!……違う、祥匡。えっと、五〇二号室のよっく……勢雄です!勢雄祥匡です!!」
 お袋、落ち着け。

 視界には、狼狽したお袋が俺の頭の上に話しかけている。
 安心したように、息を吐く妹夫婦もいる。
 全員集合してるのに、家じゃないな?
 薄暗い、硬質な室内。
 
 え?
「全く!倒れるまで無理すんじゃないよ!」
 そう言った瞬間、お袋の目から涙が零れた。
 
 そうか。
 まるで、クロンダイクの山札が全部開いて、自動で札が回収されるように、今の己を顧みる。

「心配させたな。すまん」
「し、心配はしてないもんっ!あっくんがあたしより先に、よっくん連れにくるはずないもんっ!」
 ……もんって、いくつだよ。

「勢雄さん、目を覚まされましたね」
 と、部屋の中に知らない声がする。
 腕から伸びたチューブの先に、点滴を見つけた。
 病院か。

 看護師が指先から器具を外し記録を取り、またつける。
「落ち着いてきましたね」
「指、痛い」
「当分つけといて下さいねー」
 あれ?
「君……。もしかしてイベントでも処置してくれてた?」
「覚えてるんですか?」
「なんとなく。その、ブラウスダメにしちまったろ。申し訳ないな」
「……ぷっ。血、吐いて倒れた人がなに言ってるんです。明日は処置がありますから、眠られて下さい」
 
 処置?
「手術ってことか?」
「そんな大掛かりなものじゃないですよ。胃カメラでちょちょい、です」
「……胃カメラ……」
 も、そんなに楽なもんじゃないよな。
「切腹より良くないですか?」
 エア切腹をする看護師。
 
「……確かに」
 切腹する役は何度かやったが、多分比較対照にはならん。
 なんてアホなことを考えていたら、
「病院にいるついでに、隅から隅まで検査するようサインしといたからねっ!」
 なんてことしてくれるんだ、お袋様。
 ほら、看護師さんも堪えきれて無いじゃないか。

「母さんが決めたんだから、兄貴は腹を括りなね。あ、文字通りじゃん」
「章華ちゃん、流石!」
 病室で夫婦漫才繰り広げている妹夫婦に、
 「病院ですので、お静かに」
 と、看護師さんは「しーっ」と、指を立てた。

 看護師さんは手早く、点滴を代えたりの作業を済ませた。
「患者さんも目を覚まされましたし、くれぐれも安静にお願いしますね」
 と、いうと部屋から出ていった。

「じゃ、私たちは一旦帰るね。何か欲しいものあったら母さんに伝えて。すぐには無理だけど持ってきてあげるから」
「お義兄さん、頑張って下さいねー」

 ああ、章華()たち、帰るのか。
「遠い所、済ま……ありがとう」
「ま、お兄様がありがとうですって!!聞きました?太朗くん?!」
 ひどくねーか?妹よ。
「春の嵐どころか、台風でも来そうですね、章華ちゃん」
 輪を掛けてきやがる。
 退院したら、覚えとけよ。
 
「馬鹿言ってないで、とっとと帰んな。くれぐれも気を付けてね。ああ、明日の準備に……」
 お袋は明日の店の算段をしているようだ。
 俺にはよくわからん。

「じゃあ、お前もお休み」
 と言って、お袋たちは出ていった。
 
 ドアが閉まると、急に静かになる。
 眠るには、明るい闇。
 規則正しい、機械音。
「胃カメラかあ……」

 とろとろと、眠りに落ちた。

 ——

 赤い髪をしたセイレンが、
 赤いナイフを手にしている。

 セイレンの足下には、倒れた少年。
 彼は手にしていたナイフをその場に落とすと、
 俺の顔をじっと見据えた後、出ていった。
 少年に息はない。
 
 がくんと、地がずれる感覚。

 追いかけることも出来ず、俺は途方にくれていた。
 
 白い靄と、光と。
 纏わりつくように、俺を包む。

 ——

「よっくん、朝よ」
 お袋の声がする。
 
 あー、病院か。
「帰ったんじゃなかったのか」
「お店があるから、章華ちゃんたちだけね。息子の一大事に帰れますか。昨夜は駅前のビジホに泊まったわよ」
 寝てないんだろうな。
 いつも通りに振舞っているが、声が掠れている。
 
「悪かったな」
 お袋は俺の顔をしんみりと眺め、すっと微笑んで、
「そう思うなら、しっかり治しなね」
 と、鼻を摘まんできた。
 いくつになっても、ガキ扱いだ。

「お腹空いてない?」
「……どうなのかな?空いてる気はするけど、だるい」
 石を詰められた狼ってこんなのかね?
「ま、食べられないんだけどねー」
「……ったく、お袋は?朝めしは?」
「食べてきたよん。駅前のバーガー美味しかった!」
 ……ま、そういうことにしといてやるよ。
 
「勢雄さん、準備ができましたから処置室に向かいましょう」
 昨夜の子とは違う、『主任』の名札をつけた年配の看護師。
 
 がらがらと点滴台を押しながら、廊下を歩く。
「昨夜の看護師さんは?」
 すると、主任さんは警戒を纏い事務的な口調になる。
「彼女は夜勤ですから、上がりましたよ?何かご用件でも?」
 
 これはもしや、ナンパと間違えられたかな?
 困ったな、そうだ。
「ブラウス、弁償します。って伝えてください」
 と、言うと、主任さんの顔から警戒が解けた、と思う。
「受け取れませんから、結構ですよ。お気持ちだけ頂戴します」
「厳しいんですね」
「厳しいんですよ」
 なんて話していたら、処置室に着いた。

「お母様はこちらでお待ちください」
 主任さんはお袋に声を掛け、廊下の椅子を促した。
 処置室の扉を開く。
 
「よっくん、頑張ってね」
 両手を合わせ、芝居がかった声を出すお袋。
 遊んでやがるな。
 そっちがその気なら。
 
「……骨は拾ってくれや」
 なんかの時代劇の台詞を、わざとらしく作った声色で返してみた。
 ら。
「……はぅ、勢雄祥匡だ」
 と、主任さんから思わぬ声が漏れた。
 あら、主任さん。
 俺をご存知でしたのね。

「コホン……では、勢雄さん、こちらにどうぞ。喉麻酔を致します。これを3分ほど喉に溜めておいて下さい。飲み込んじゃダメですよ」
 主任さんに小さいカップを渡される。
 胃カメラの何が苦手って、これも結構苦痛だよな。

 液体を喉に流し、カップを主任さんに渡す。
 主任さんはタイマーをセットしたあと、横に砂時計……いや、オイルタイマーっていうんだっけ?それを置いた。
 水の粒が下へと移動するやつ。
 なるほど、無機質なタイマーの数字より、気は紛れるかもしれない。

 時間になり、液体を吐き出し、ベッドへと誘導され横になる。
「眠くなるお薬をいれていきますね」
 主任さんは点滴に、液体を足す。

 口に器具を嵌められた時には、うつらうつらとしていた。
 カメラが舌の上を通過するのを感じて、意識は閉じた。

——
 
 赤い髪のセイレンが、町の子を刺した。
 
 偶然その場に居合わせた俺は、まず、刺された少年に駆け寄ってしまった。
 セイレンは、蔑むように藍緑の目で俺を見て、その場を立ち去った。
 少年は、息絶えていた。

 俺は少年の遺体を葬った。
 少年に家族はなかった。
 叔母という女性に謝罪した。
「いつか、こんなことになる気はしてた」
 と、吐き出すように女性が言った。

 セイレンは探しても見つからなかった。
 下町では、柄の悪いやつらを集めている、赤い髪の、藍緑の目をした少年がいるという。

 幾つかの期間が巡った。
 セイレンは見つからない。

 町では“聖女”が現れたとの騒ぎが起こり、
 地図の真ん中に、テルルという新しい街が出来た。

 セイレンが、結婚したと数年ぶりに家に戻ってきた。
 髪は赤いままだったが、隣にいる黒髪の少女が俺にも報告に行こうと誘ったらしい。
「マーリアと申します。これからよろしくお願いします」
 この子のお陰で、セイレンは立ち直ったのだな。
 セイレンの目が優しく、マーリアを見詰めている。

 眩しい光が差し、辺り中が白い霧に包まれる。
 微笑みあう、赤い髪のセイレンと、黒髪のマーリアが、白い靄と、眩しい白い光に包まれ見えなくなる。

 認知の修正。

 真っ白になる。

 ——

「よっくん!」
 デジャヴかな?
「よっくんが、目を覚ましました!五〇二号室です!」
 お袋……言い直すこともしなくなったな。
 規則正しい機械音が聞こえる。
 もう、頼むからもう泣くな。
 親父が死んだ時でさえ、笑ってたじゃないか。
 
「おはよう」
 と、貼り付いた咽を無理矢理開いて声にする。
 全く、誰の声だよ。

「目覚めたようで、よろしかったです。悪性のものは見つからなかったので、数日絶食して様子見ですね」
 主任さんが言う。
 絶食かよ。
 酒で消毒すればいいんじゃないか?なんて軽口も思い付いたが、言わぬが花だろう。

 それにしても、何だろうあの夢は。
 続いているような、途切れているような。
 まるで、ゲームを何度も繰り返してるみたいな。
 同じ場所に引き寄せられてるような、夢。

 ……夢を考察すると、気が狂うっていうし、止めておこう。

 

『exponentia~うたかたにたゆたうなんかのゆめ』

『exponentia~うたかたにたゆたうなんかのゆめ』

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-07-11

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  1. 読込:プロダクションテルル
  2. <div>01;酔ひに虚ろう白河夜舟
  3. <p>02;天の夜船の綱心