【第四話】監禁されたヤンデレ部屋からの脱出


【第四話 監禁されたヤンデレ部屋からの脱出】


 また、閉じ込められた。
 折原はベッドの上で仰向けになっていた。大の字のポーズだった。手首と足首には拘束具が付けられ、鎖はベッドの脚へと伸びていた。試しに起き上がろうとしてみるも、無理だった。他人の匂いがする掛け布団から背中を浮かすことすらできない。
「へ、へへ……。先輩、好きです……」
 身動きの取れない彼のことを、ジャージ姿の女性が見下ろしていた。名は品村。毛量の多い髪をしきりに撫でており落ち着かない。三白眼の小さな瞳孔も、きょろきょろと左右へ走っていた。生傷が耐えないのか、顔や手に数枚の絆創膏を貼っていた。
 ここは品村の自室。窓もドアも既に締め切られている。
「あ、あの……。手とか痛かったら、すみません……」
 小柄な体躯を更に背を丸めて、気弱そうな雰囲気を醸している。
 だがその両手には、無骨なスタンバトンが握られていた。下手に抵抗すれば、どんな目に遭うかは明白であった。
「じゃあ、その……。へへ……。き、キスしますね……? そうすれば、儀式は完了ですからね……!」
 そう言って、品村は折原にまたがった。
 彼女の唇が容赦なく降ろされていく──。

 中学二年生のときだった。品村は折原と共に音楽室に閉じ込められた。二人は学年も違えば部活動も違う。それまで接点は全く無かった。それなのに、品村は彼のことが大好きになってキスがしたくてしたくてしたくてたまらなくなった。
 だが音楽室の扉が開くと共に、そんな気持ちは萎んでいった。
 帰り道、品村は折原から事情を聞いた。縁結びの神様、呪いだか祝福だかを受けた折原の血筋、偶然の重ね合わせ、運命の手招き、引き起こされる儀式──。そして巻き込まれた相手は、密室にいるほど好感度が上がっていく……。
 折原は巻き込んでしまったことを申し訳なさそうに謝罪した。
 なぁんだ、と品村はがっかりした。彼女は恋心が初めてだった。これから面白いことがわんさか起きそうな高揚感がしていたが、しかし、それは儀式によるまがい物で、もう没収されてしまった。
 本物だったらいいのに、と思った。
 ──すると。
 一日経っても、一ヶ月経っても、半年経っても、──萎んだはずの恋心は消えてくれなかった。むしろ、あの楽しかった脱出のことを思い返す度、折原のことがどんどん好きになっていった。
 今度こそ本物だ、と品村は舞い上がった。
 だが彼女は頭を抱えた。折原には既に〈想い人〉がいたのだ。故に儀式を拒絶し続けていると話していた。
 彼女は考えた。この初恋を成就させるには、どうすればよいのか。
 ……儀式を利用すればいい。儀式の最中にキスをしてしまえば、想い人がいるかどうかなんて関係なく運命が結ばれる。
 だが再び頭を抱えた。儀式を警戒している彼が、自分とまた二人切りになってくれるだろうか。
 彼女はもっと考えた。
 そして、想い人の捜索に協力することにした。その名を雨野円という。半年以上もの間、彼女は雨野円を一緒に探した。それは、折原が自分以外の女性のことをどれだけ強く想っているのか確認する作業でもあった。しかし品村は歯を食いしばり、本気で捜索し、時間をかけて彼の信頼を得ていった。
 中三の五月末のこと。雨野円の正体を特定するに至る最後のヒント──『リスト』をついに手に入れた。
 これを渡せば、彼は雨野と再会してしまうかもしれない。でも、だからこそ彼は絶対に欲しがるはず。
 最初で最後のチャンスだった。
『……すみません。私の家まで来てもらえませんか』
 品村は勝負に出た。
 折原が家に来たのは、七月中旬、夏休み直前のことであった。
 品村は一軒家に両親と共に住んでいた。両親は現在旅行中であるため、しばらくは帰ってこない。この機会を狙っていたのだ。品村はある事情から引き篭もりになっており、自宅はおろか自室からもほとんど出ないで生活していた。そのため、両親に自分を置いて楽しんでくるよう説得するのは容易であった。彼等はバツが悪そうな顔をして、空港へと向かった。
『玄関開いてるので、勝手にどうぞ……』
 そうラインしたら、一階からドアの開く音が聞こえた。「お邪魔します!」と折原の張った声も聞こえた。彼女は引き篭もりなので、下へ迎えに行くのも億劫であった。それに一階で会ってしまったら、そこでリストを渡せばいいという話にもなりかねない。彼女は三階の自室で蜘蛛のように折原を待ち構えた。
 彼はなかなか上がってこなかった。対策をしているのだろう、と品村は察した。儀式の条件は、・二人切りで、・閉じ込められること。その二つを満たしにくいように、窓を開けておいたり、家の構造を頭に入れたり、しているのだ。
 折原は既に疲れた顔で三階まで上がってきた。
「遅くなりました。すみません、他人の家なのに物色してしまい」
「いっ、いえいえ……! 儀式怖いですからね!」
「えぇ。この部屋も、ちょっと対策させてもらっていいですか?」
「う、うっす……! どうぞお好きに……!」
 折原はまず窓を全開にした。風が舞い込み、部屋の埃が舞った。サッシのところへ英和辞典を置いておき、もし窓が独りでに閉まっても挟まるようにしておいた。
 次にドアを全開にした。折原は部屋のなかから中身の詰まった大きなゴミ袋を引きずり出すと、それでドアを固定した。動かせるもののなかでそれが一番重たそうだったからだ。
 品村は顔から火が出るような思いでそれらを見ていた。自室がどれだけ汚部屋であるのか、強調されていくようだった。
「──さて、お待たせいたしました。さっそくリストを見せて頂けますか?」
「は、はいっ! えっと……。今出すので、ちょっと座って待ってて下さいっ。あ、あの、ベッドとか、腰掛けちゃっていいですから!」
 折原は勧められるままに、ベッドへ腰を落とした。
 ので、品村は隠しておいたスタンバトンを取り出し、彼の首へと押し付けた。
 とても可愛い悲鳴が上がった。

 意識を飛ばすほどの出力はできない。品村は日頃のイメトレを思い返しながら、痺れて動けない折原の両手両足に拘束具を取り付け、鍵で留めた。
 ゴミ袋を部屋の中へ戻し、ドアを閉める。鍵を回し、そのままポケットへしまった。内側からも外側からも施錠できるタイプの扉だった。
 机の上へ英和辞典を戻し、窓を閉める。最後にクレセント錠をくるりと上へ回した。
 これで準備は整った。
 二人きりで、閉じ込められること。儀式の条件は満たされた。
 この半年間、虎視眈々と待ち続けた瞬間が、ついに訪れたのだ。
 品村の胸の奥で、熱がじわりと膨らんでいった。
「じゃあ、その……。へへ……。き、キスしますね……? そうすれば、儀式は完了ですからね……!」
 そう言って、品村は折原にまたがった。
 彼女の唇が容赦なく降ろされていく──。 
 瞬間。
「誰かーーーーーーーーーーッ!!」
 麻痺から回復した折原が叫んだ。近隣一帯へ響き渡るような大声だった。
「ちょちょちょちょっと! 何してるんですかっ!?」
 慌てた品村が、彼の腹へスタンバトンを一瞬だけ押し当てた。バチッ、と火花の散るような音がする。
「……っ……!」
 折原は痛みに声を失って悶絶した。蹲りたいが拘束によって叶わず、苦しそうに腰を捩っていた。
「しーっ、です! しーっ、ですよ! なに当然のように叫んで……! ひぇぇ……び、ビビったぁ……」
 品村はばくばくと高鳴っている心臓を抑えた。
「痛いですよね? 本当にごめんなさい。で、でも! そうやって抵抗したり大声出したりしたら……またコレでお仕置きですからね……! 大声を出そうとしても、コレでキャンセルさせますから……! すみません……」
 彼女はスタンバトンの先端を折原の首へ当てた。スイッチは切ったままだったが、彼は本能的にびくりと硬直してしまう。二度の痛みがトラウマとして刻まれていた。
 腰は低く、気弱そうに、おどおどと顔色を伺いながら、そんな恐ろしい脅迫を行う。
品村という女性の本性を、折原は初めて目撃した。
「部屋に僕を呼んだのは、このためですね……?」
「はいっ。あの、チャンスだったので……。へへ……」
「品村さんはそれで良いのですか? 僕が雨野円のことをずっと探してるのは、よく知っていますよね? これでキスをしても、あなたは儀式の効果によって好かれるだけです。虚しくはありませんか?」
「え? ……あの、先輩。もう嘘つかなくていいんですよ?」
 品村がきょとんと首を傾げる。
「雨野円を探してるなんて、嘘ですよね? 本当は探してないんですよね?」
「いやいや、何を言っているのですか。今日だって現に、彼女のリストを受け取るにここへ──」
「本当は……、私に会いに来た……くせに……っ!」
 品村が顔を真っ赤にして言った。
 折原は言葉の意味が分からず眉をひそめた。
「……………………あの、本当に違いますけど……」
「わ、分かってます。先輩ならそう言いますよね。だって照れ臭いですからね。分かります、分かってます。だけどヒントは沢山ありました──」品村は自らを洗脳するような早口でまくしたてた。「──ラインの返信は平均五分以内に返してくれますし、スタンプは使わずに文章だけで返してくれますし、調査のことだけじゃなくて私が休日なにしてるのかとか訊いてくれますし、これまでに十四回くらいおやすみなさいって言ってくれましたし、通話中は二十分に一度は絶対笑いますし、電車からわざわざ降りて通話に出てくれましたし、音楽室に閉じ込められたときは家まで送ってくれましたし、もう自分のことは何とも思ってないか訊いてきますし──。つまりこれって、わわわわ私のことが好きってことですもんね!? どう考えてもそうですよね!?」
 折原は愕然とした。
なにもかも、まったくの見当違いであった。品村に対して恋愛的な興味は無い。
「だ、だから! 照れ屋な先輩の代わりに、私が一肌脱いだんです! ここまで追い込まれたら、流石に素直になってくれますよね……? もう雨野円のことなんてどうでもよくて、全部私と喋るための口実だったって……!」
 品村は胸の前で祈るように両手を組んだ。自分の推理を信仰しているようだった。その目は陶酔するようにうっとりとしている。
 折原は、なんだか自分自身と対峙したかのような気分となった。彼女は、彼女なりにヒントを集めてこたえを出した。そして、賭けに出たのだ。それは脱出のときに自分がいつも行っていることと同じだ。
 ただ一つ、大間違いであるという点を除けば。
 彼は天を仰ぐような気持ちで天井を見上げた。
「……え? なんの顔ですか、それ? えだって、合ってますよね? 本当は私のこと、好きですよね?」
 折原は目を閉じた。
 よし、と彼は決心し、戦闘モードになった。品村の方へと顔を戻す。
「──その通りです。よく分かりましたね。品村さんは凄いです」
「へへへ……っ! うわ、超嬉しいです……っ。人から褒められるなんて、いつぶりだろ……」
 彼女は折原にまたがったまま、頬を抑えて赤くなった。
「じゃ、じゃあ、結ばれてもいいですよね!? 両思いですからね!! ささ、早速、キスの方を──」
 再び近づいてきた彼女の顔を、
「待って下さい」ぴしゃりと止める折原。「その前にやることがあります」
「……やること?」
「このままキスをしても意味が無いです。儀式が成立していません」
「え……? でも、あの、ドアも窓も閉めてます。鍵だって!」
「その鍵は今、品村さんが持っているのですよね。では、すぐにでも開けられる状態だということです。そんなの、閉じ込められているとは言えません」
「……!」
「儀式を成すため、今から僕と本当の密室を作りましょう!」

「施錠した状態でドアに鍵を刺したまま、持ち手の部分をハンマーで思い切り叩き割ってください。そうしたら、鍵穴が詰まって容易には開かなくなります」
「は、ハンマーですか……」
 品村は机の引き出しやクローゼットを開けて、中身をひっくり返した。ハンマーなんて持っていないので、代わりとなるものを探した。
 ゴミや服や小物で散らかった床を、まるで砂金採りのように這いつくばって探した。
「こ、これとか……?」
 彼女は恐る恐る、エナジードリンクの細長い空き缶を見せた。折原は苦笑いして首を振った。
 品村は困った。「うぅ……」頬の絆創膏をぽりぽりと掻く。
 ハンマーなんて、家にあるかどうかも分からない。彼女の父親に日曜大工の趣味は無い。
 すると、折原が見かねたように助け舟を出した。
「もし無ければ……フライパンで代用しましょうか」
「ふ、フライパンで?」
「えぇ。過去の脱出で、代わりとして使ったことがあります」
「すぐに取ってきます! すぐにぃ!」
 彼女が部屋のドアへ向かう。一応、スタンバトンは持ったままだった。
 床には文字どおり足の踏み場もなく、部屋を出るには、先ほど引き入れた大きなゴミ袋を飛び越えなければならない。
「──あでぇっ!?」
 ゴミ袋の結び口が品村の足先に引っかかり、ピーンと張って彼女を転ばせた。体勢を崩して、顔面からドアへ突っ込んでしまう。
「……大丈夫ですか?」
「うぅ……大丈夫です……。私、運が悪いんです……。痛いぃ……」
 折原は、彼女の顔や手にいつも絆創膏が貼ってある理由を知った。不幸の星のもとで生きているらしい。
「じゃあ、持ってきますぅ……」
 半ベソで額を擦りながら、彼女は階段を降りていった。
 まずは家中の窓を確認した。折原が自室に上がってくるまで、結構時間がかかっていた。儀式対策として窓や玄関を開けていたのだろう、と彼女は考えていた。
 だが、予想に反して窓は全て閉まったままだった。鍵もかけてある。
 不思議に思いながら一階へ向かうと、玄関の鍵だけは開いたままだった。やっぱり、と彼女は鍵をかけた。
 戸締りを確認してから、フライパンを得るためキッチンに向かった。彼女は半年ほど前から料理をよくするようになったので、フライパンの収納場所は知っていた。足元にあるコンロキャビネットだ。
 品村は取っ手に指をかけて、斜めに引っ張った。いわゆるフラットダウン扉である。
「……あれ?」
 中を覗くと、フライパンが無かった。食用油の容器が横になって転がっている。
 母親がなんらかの事情で別の場所へ片したのだろう。彼女はそう考えて、キッチンの棚を順番に開けていった。
 シンクの上にある大き目の戸棚。その取っ手に指をかけて、ちょっと背伸びしながら斜め上に引っ張った。いわゆるフラップアップ扉である。
 フライパンが見つかった。
 それは戸棚の内部で、扉に対して寄りかかるように置かれていた。
 そのため、何も知らずに開けた品村目掛けて──落ちてきた。
「……~~~~っ!!」
 たらい落としのように彼女の額を打った後、フライパンは床へ落ちて激しい音を鳴らした。
 品村は両手で頭を押さえて、痛みに足をばたばたとさせた。
 ──何故、私は、こうも運が悪いのだろう……。
 彼女は自身の運命を呪った。そのまま蹲ってしばらく落ち込みたかったが、愛しい先輩が待っていることを思い出した。半泣きでフライパンを掴んだ。
 三階へと一段飛ばしで駆け上がる。
 ……いや、こういうことしてるから転ぶのかも。
 彼女はそう思い直し、途中からは歩いた。
「も、戻りましたぁー……」
 品村が自室の扉を開ける。奥にあるベッドでは、変わらず折原が拘束されたまま仰向けになっている。
 彼女は少しだけ胸を撫で下ろした。先輩のことだから、もしかしたら目を離した隙に脱出しているかもしれない。そんな想像が頭をよぎったのだ。
 しかし彼は、自分に惚れていることを認めた。儀式の成就に積極的だった。さらに言えば、拘束具の鍵は自分が肌身離さず持っている。流石の先輩でも抜け出せまい。
 大丈夫、大丈夫……。
 私はもうすぐ、先輩と結ばれるのだ……。
「その大きさのフライパンなら使えそうですね。では、折って下さい」
「はいっ!」
 ドアを閉め、鍵をかけ、刺したままにする。
 そして品村は、フライパンを振り被り──振り下ろした。
「ひえええ……っ! えいっ、えいっ!」
 何度かドアに当たってしまったり、空を切ったりしたものの、鍵は無事に折れてくれた。
 カラン、と持ち手部分が床へと落ちる。
 これで内側からも容易には開けることが出来なくなった。
 ──密室。
 二人切りで、閉じ込められた。
 儀式が成立した。
 品村は高揚感を抑えきれずにニヤニヤと頬が緩んだ。その表情のまま振り返り、ベッドへ向かうべく目の前のゴミ袋を──。
「ちょっと待って下さい!」
 折原の声が飛んできた。
「…………また、飛ぼうとしました?」
 品村はハッとした。確かに、性懲りも無くジャンプして飛び越えようとしてしまった。先程それですっ転んだというのに。
 彼女はそっと足を伸ばして、慎重にゴミ袋をまたいだ。結び口はまるで狩猟の罠の様に輪っかを作り、ベッドの方へ倒れていた。それを睨みながら、気を付けて通り抜けた。
「……これ、窓には何もしなくてもいいですかね?」
「三階ですからね。流石にそこからは出られません」
 ふと、品村の心に疑問が湧いた。
先輩はどうして回りくどいやり方を指示したのだろう……?
わざわざ鍵を折る必要はあったのだろうか? だって、窓から投げ捨てれば済む話じゃないのか?
品村は頭を振って思考をキャンセルした。
 ……考えたって無駄だ。もうゴールは目の前なのだから。
「じゃあ、準備完了って……ことですね?」
「えぇ。──どうぞ」
 折原は受け容れるような笑みを浮かべた。まるで恋人が同衾するときのようだ、と品村はたちまち妄想を膨らませ、赤面した。
「し、失礼します……」
 彼女は近くの平机にスタンバトンを置いてから、ぎこちない動作で折原にまたがった。
 ──あぁ。
 これで、やっと……!
 先輩と結ばれる…………!!
 胸から溢れ出る歓喜の促すがままに、彼女は彼に唇を重ねた。
 キスをした。
「……」
「……」
 品村は拍子抜けしたような顔で、身体を起こした。肉体にも心にも、特に変化は起きていない。
 これで本当に運命が結ばれたのか……?
「……どうしました?」
 折原は変わらず微笑んでいる。だが今の彼女には、その笑みがなんだか胡散臭く思えた。
「これで、儀式は成就されましたね」
「は、はい……。そうですね……?」
「さて、まずはこの部屋から脱出しないといけませんね。取りあえず拘束を解いてもらっていいですか?」
「……」
「……どうしました?」
「あ、いえ……。なんか実感なくて」
「そうですね。僕もありません。でも、実際はこんなものなのかもしれませんね」
「で、ですかね……! じゃ、じゃあ、今拘束を解きます……」
 品村はジャージのポケットに手を突っ込んで、拘束具の鍵を掴んだ。
 瞬間。
 彼女の脳内に、ある人物の言葉がよぎった。紛れもなく折原の言葉である。彼は儀式から脱出する度にその詳細を品村に教えてくれた。この言葉にいつも助けられるのだとよく話していた。

 ──でも、本当にそれで良かったのでしょうか?

 品村は思考した。なにか、違和感はなかったか。見落としていることはないか。本当に、このまま彼を解放していいのか──。
 そして、あるこたえに辿り着いた。
 それはとても残酷なものだった。彼女は泣きそうになるのをぐっと堪えた。
「し、品村さん……?」
 品村はポケットから手を出した。その手は何も持っていなかった。
 代わりに、そのまま横にある平机へと腕を伸ばして──スタンバトンを掴んだ。
「……先輩、ひどいです……」
 彼女はスタンバトンを逆手で持つと、振り被り、鯨の腹へ包丁を突き立てるが如く──折原の顔面目掛けて振り下ろした。
「…………っ!!」
 それは、折原の頬を掠めて敷布団へ突き立った。遅れて、彼はどっと冷や汗を掻き始める。
 スタンバトンの先端は、折原を狙っていなかった。
 その背後──ベッドの裏を狙っていた。
「…………誰か、いますね?」

「どうして、そう思うのですか」
 折原が横目でスタンバトンを見ながら言った。品村がひょいっとベッド下を覗けばそれで済む話だが、彼は訊いた。訊くことで、半ば認めたようなものだった。
 品村は質問に応えることにした。彼女のなかに、舐めるな、という怒りが湧いたからだった。
 身体を起こして、話し始める。
「あの……玄関の鍵が開いてました」
「儀式対策のために開けておきました。勝手にすみません」
「でも……窓はどこも開いてなかったんです。それって、あの、変ですよね……? だって対策をするなら、全部開けておこうと思うのが普通です。そこで私、思いました。……先輩は、儀式対策なんて最初からしていないんじゃないかなって……」
「そうですか? でも今日、僕は品村さんと二人切りになってしまうのが分かっていました。だから対策くらいはするのが普通じゃないでしょうか」
「いえ、しないと思います。考えみればそうなんです。だって、先輩はいつもいつも……私と初めて会った日も……自分のせいで儀式に巻き込んでしまうのは申し訳ないって謝っていました。そんな人が、見知らぬ家のドアや窓を自分都合で開けっ放しにするとは思えません。防犯的に良くないですから」
 品村は唾を飲んだ。一日の内でこんなに沢山喋ったのは久しぶりだったので、喉が渇いていた。平机の上に目を走らせるも、並んだ缶はすべて空だった。
「なるほど。ですが、玄関の鍵は開いていたのですよね? それなら、防犯も何もないのでは?」
「でも、玄関の前にずっと誰かがいたとしたら……防犯的には大丈夫じゃないですか?」
 折原の眉がピクッと動いた。きっと図星だ、と品村は嬉しくなった。いつもクールなのが彼の魅力だったが、今ばかりはその態度に苛立っていたのだ。
「げ、玄関の前にずっと誰かがいて……私が自室から出たタイミングで侵入してきて……。それで、こっそりベッドの下に入る……。そして、そのことを知らない私が戻ってきて……先輩にキスして……儀式が終わったと思い込んで拘束を解いてしまう……。本当は、儀式なんて成立していないのに……! これが計画──ですね?」
「家の外にいたなら、品村さんが部屋からいなくなるタイミングなんて分からないのでは? 僕がスマホで連絡することもできませんし」
「拘束された直後、先輩は思いっきり叫んでました。あれは多分合図です。玄関の前だったらそれくらい聞こえたはずです」
「でも、そのとき部屋に上がってきても、品村さんと鉢合わせてしまいますよ」
「叫び声を聞いて家に入ってきたときは、まだ一階にいたんだと思います。防犯を気にするなら、玄関の近くのトイレや和室のクローゼットなど……ですかね? 部屋まで来たタイミングは、その後私がキッチンに行ってるときです」
「……」
 折原は答えずに、彼女の続きの言葉を待った。
「先輩が家に来たとき、なかなか三階まで上がってこなかったのは……儀式対策をしていたからじゃありません。キッチンで仕掛けをしていたんです。……フライパンがいつもの位置にありませんでした。足元のキャビネットではなく、頭上の戸棚にあったんです。それで、開けたら落ちてきたんです。落ちて──大きな音を立てたんです。他の部屋にも聞こえるほど、大きな……」
 だから折原は、わざわざ鍵を折る方法を提案したのだ。品村をキッチンへ誘導し、戸棚を開けさせるために。
「その大きな音で品村さんがキッチンにいると把握できたから、この部屋まで来れた、ということですね?」
「ですね? って……。へへ……。何言ってるんですか……」品村が肩で笑う。「じ、自分が仕組んだくせに……っ。私に嘘ついて……、私を、騙して……!」
「……申し訳ないです」
 折原が心の底から申し訳なさそうな声を出したので、品村は少しだけ溜飲を下げた。
 彼女は力なく笑いながら、ドアの前にあるゴミ袋を見た。
 その結び口は、こちら側へと倒れている。
 部屋から出ていくとき、彼女はそれに足を引っ掛けて転んだ。それならば、結び口はドア側に倒れているはずだ。しかし戻ってきたとき、結び口はベッドの方へ倒れていた。
 自分のように『よく転ぶ誰か』がドアからベッドへ移動しようとして、同じように足を引っ掛けたのだろう。
 品村ではない、誰かが──。
「──無事にバレたようね」
 突如、折原でも品村でもない声が部屋に響いた。
 ベッドが揺れて、その下から制服姿の人間が這い出てくる。品村は「ひええええ」と悲鳴を上げながら、スタンバトンを構えた。
そして立ち上がったのは、制服姿の女性だった。大きな黒縁のメガネをかけ、口元はマスクで隠している。黒髪をうなじ辺りで二つに束ねて、肩に優しく落としていた。
 身長は品村とあまり変わらなかったが、背筋が伸びているため目線は高かった。
 真面目な優等生、といった印象を受ける風貌。その顔つきはどこかあどけなく、見る者に庇護欲を誘った。
「はじめまして」と、彼女は大胆にも握手を求めた。「由紀島と申します。仲良くしましょう」

 由紀島の姿を見るや否や、品村はすぐに窓を開けてフライパンを投げ捨てた。
 良い判断だな、と折原は感心した。彼女がこの部屋で力を持つには、武器になりそうなものをできるだけ減らしておくべきだ。
彼女は頭が回るし思い切りも良い。折原はすっかり彼女を評価していた。
 フライパンが植木へ衝突する音が響き、由紀島の肩がびくっと跳ねる。
「うわっ。びっくりしたぁ」
「すみませんすみません……」
「いえいえ。そういうことする人好きよ」
 彼女は微笑んで、再度右手を差し出した。
 品村はおどおどと困ってから、観念したように左手で握った。
「あっ、手汗……。手汗すみません……」
「いえ全然」
 由紀島は飄々としていた。目の前にスタンバトンを持った人間がいるというのに、まるで意に介していなかった。
 対照的に、品村はさっきよりもずっと落ち着かなかった。家族や折原以外の人間と喋るのは久しかったからだ。自らの推理で侵入者をベッド裏から引きずり出したはいいものの、この後のプランは無い。
「取りあえず座りましょうか」
「はい。あの、いま片づけますんで。あ、あとクーラーもつけます……暑いですよね、最近もう……。はは……」
 二人は床のものを壁際へ寄せて、何とか二人分のスペースを作った。
 そして平机を挟んで向かい合った。何故かどちらも正座した。由紀島は淑やかに背筋を伸ばし、品村は猫背で縮こまって目元まで伸びた前髪を弄っている。傍目には説教でもされているように視えた。
 横には、相変わらず拘束されたままの折原が横たわっている。
 異様な光景だった。
 三人はしばし黙った。クーラーがごうごうと唸っている。折原は腹が冷えるので風向きを上のまま固定にして欲しかったが、言わなかった。
 最初に口を開いたのは由紀島だった。
「あの壺はなに?」
 彼女が指した先には、部屋の隅で埃を被った大きな壺があった。
「あ、えっと……。三ヶ月前くらいにオンラインセミナーで買ったんです……。わ、私が不幸体質なのは、なんか背後霊が怒ってるからって言われて……それを宥めるために……」
「いくらだったの?」
「百八十万でした」
 折原は絶句した。なぜ、近くにいながら気づいてやれなかったのだ、と悔やんだ。
 彼は横目で由紀島を見た。彼女の目の奥がギラリと光る。マスクの下では、こっそりと口角を上げているのが分かった。
「高いわね。効果はあったのかしら?」
「全然……。だから捨てたいんですけど、重すぎてあそこから動かせないんです……うぅ……。こ、これってやっぱり騙されたんですかね!?」
「まだ分からないじゃない! これから効果があるかもしれないわ」
「で、ですよね……! うわぁ、いい人だぁ……」
「うふふ」
 由紀島のマスクがもぞもぞと動く。舌舐めずりをしているのだ。彼女は優等生のフリをして猫を被っているが、他人の不幸が大好きでたまらない歪んだ性格をしていた。
「でも、そんなお金よくあるわね。あなたまだ中学生でしょう?」
「ば、バイトしてるんです……! 年齢誤魔化して……コーディングのバイトを……。それで、月四十五万くらい……」
「あら凄いわね! 尊敬するわぁ」
「えへ、えへへ……! もっと言ってください……」
「一日どれくらい働いているの?」
「なんか炎上してる案件に入っちゃって……最近は十三時間とか……。もう全然寝れてなくて……」
「ん~~~~あなたとっても最高♡」
「そ、そこまで褒めてくれるなんて……!」
 二人は両頬に手をやって、歓喜に身体をくねらせた。
 ──由紀島が「最高」だと言ったのは、彼女があまりにも可哀想だからであろう。あくまでシャーデンフロイデを味わっているだけだ。
 言わぬが仏か、と折原は口をつぐんだ。
「私たち、お友達になりましょうか」
「は、はいっ! 是非お願いします!!」
「それで、折原くんのことが好きなの?」
「うえぇ!?」
 不意打ちを食らって、品村が飛び上がった。
「だって、監禁なんてしているじゃない」
「うぅ……。ま、まぁそうなんですけどぉ……」
 彼女は赤い顔でスタンバトンを撫でた。
「でも監禁したのは……先輩のためです……。本当は私のことが好きなくせに、素直になれないから……」
「だけど彼、こうして私を連れてきて儀式を無効化したわよ。つまり、すべてあなたの思い違いではなくて?」
「うぅ……! ……そうだったんですぅ……っ!」
 品村が泣きそうな声を出した。由紀島のマスクがもぞもぞ動く。
 折原は罪悪感に胸を痛めながらも、聞き役に徹していた。余計な口を挟まず由紀島に任せた方が、色々訊きだせそうな気がしたからだった。腹黒い彼女は、品村のような相手に特効があるのかもしれない。
「なら、今日はもうお開きでいいのではないかしら? だって、折原くんが自分のことを好いていると思ったから監禁したのでしょう。違うなら、もう解放すべきよ」
「だ、駄目です……」
「どうして?」
 品村はスタンバトンを強く抱き締めながら、目を伏せて呟いた。
「──学校に行きたいから、です……」
 意外な言葉が飛び出した。折原と由紀島が驚いて目を合わせる。そして首を捻った。
「……学校?」
 品村はこくこくと頷いた。
「どんな関係があるのか、良かったら話してくれるかしら」
 由紀島の(表面上は)優し気な顔を見て、品村は深呼吸をしてから、事情を語り出した。
「……中三に上がって、新しいクラスになって……。そもそも全然いなかった友達が……マジで0人になっちゃって……へへ……」
 彼女は自嘲気味に笑った。
「新しく作らなきゃって、思ったんですけど……。全然無理で……。もう大体、みんな仲良いグループがあって……。そうしたら、学校行くの無理になっちゃって……」
 折原は思い出す。彼女は半年ほど前から外出を嫌い、雨野円探しの進捗もラインや通話でしかやり取りしていなかった。
「怖いんです……他の人が……! 去年まで普通だったのに……一回意識したら、もうずっと……!」
 品村は絞り出すような声で訴えた。
「人が何を考えてるのか分からないのが怖い……っ。人の気持ちが分からないなんて、耐えられない……」
 折原は「分かるよ」と共感を示そうかどうか迷った。彼も幼少期に似たようなことで悩んでいたからだ。
 しかし品村からどう視られているのか分からない。きっと、あっち側だと思われているだろう。安い同情だと受け取られ、彼女を悲しませたくはなかった。
「先輩の真似をして、色々考えたりしたんです。ヒントを拾って、伏線回収みたいに、その人の考えてることを当てようって! ……でも、確証は得られませんでした。安心できなかったんです。というか結局、先輩の気持ちも間違えましたし……」
 俯いた品村が、膝に置いた手で自身のジャージを強く握り締めた。
「だから儀式を成したい、です。成就させてください……お願いします! 儀式が成されたら──先輩の気持ちが確定するってことですよね。私を好きだという保証ができますよね。それなら安心なんです! 気持ちの通じ合った先輩がいるなら、また通えます!」
「……中学は?」
 折原の問いに、品村は首を振った。
「諦めます。だって、無理ですし……」
「……」
「……こうやって引き籠ってちゃダメだって、分かってるんです……。私はまた学校に通いたい……。だから……安心させて下さい……先輩……」
 品村が横を向き、折原に目を合わせた。長い髪の隙間から、縋るような目つきが覗いた。
 折原は何も応えられなかった。
彼はこの状況に強く責任を感じていた。先ほど脱出のために嘘をついて傷つけたことも、尾を引いていた。
 彼女の恋心は、儀式の残滓のせいだ。彼女の推理は、自分の言葉のせいだ。彼女が引き籠っていたことだって、もっと早く気がつけたかもしれない。
 それらの責任をとって儀式を受け容れれば、彼女を救えるかもしれない。そうするべきなのかもしれない。
 諦める。
 それは、初めて頭に浮かんだ選択肢であった。
「し、品村さ──」
「私は嫌よ」由紀島が口を挟んだ。「儀式を成就させるなんて絶対に認めない。そもそも、だからこうして邪魔しに来てるわけだし」
「え、え?」と品村が動揺する。「ま、まさか、由紀島さんも先輩のことを……?」
「そんなわけないでしょう。あのね、この人もあなたと同じく学校じゃ友達いないのよ」
 品村が折原に憐れみの眼を向けた。彼は少しだけ苛ついた。
「私の目的はね、儀式がもっともっと起こること。儀式によって折原くんが可哀想な目に遭ったり、不思議な世界に足を踏み入れたり、そういうものがもっと見たいの。もっと話を聞かせて欲しいの。御伽噺とか……宇宙人とか……夢の世界とか……。そんな世界が、現実にあったなんて!」
 由紀島がうっとりとした表情を浮かべた。
「だって日常は退屈でしょう? 私、もう飽きちゃったの。だから刺激が──刺激が欲しいの。もっとカオスが! もっとドーパミンが! 欲しいの……!」
「そ、そんな理由で……。知らない人の家のトイレに忍び込むなんて……できるんですね……?」
「まぁ、暇はしなかったわ。あと、トイレじゃなくて和室よ」
「ふふ、不法侵入ですよ!」
「あのね、品村さん。人生で最も優先すべきことは刺激よ。存分の刺激を浴びることこそ、人生の悦びよ」
 品村は開いた口が塞がらなかった。思ったよりヤバい人と話しているのかもしれない、と彼女はようやく気がついた。
「も、もっとまともな人かと思いました……。めっちゃ、真面目そうな見た目なのに……」
「刺激とは振り幅なの。普段は優等生として、品行方正に、抑えて抑えて抑えるからこそ──いざってときにクるものよ」
「は、はぁ……」
 品村が頬を引き攣らせた。そして「あっ」と気がつく。
「儀式が目的なら、なにも先輩にこだわることはないですよね……? ならあの、私が先輩と付き合えたあと、別の折原性を紹介するのはどうですか! 調べたので知ってるんですけど、中二の子がいたはずです。……いましたよね? 先輩?」
折原は無視した。親戚を売る気は無かった。
「んー」由紀島は品良く顎に指を添えた。「……駄目ね。その子に折原くんのような意思や実力があるか分からないもの。折原くんは儀式を繰り返しすぎたから、御伽噺の世界や宇宙人まで出てきたの。その子がそうなってくれるかは分からない」
 品村はがっくりと肩を落とした。
 今度は由紀島から提案があった。
「この場は一旦諦める、とかどうかしら? 私まで来ちゃったことだし」
「ここ、こんなチャンスもうありませんから…… 先輩がまた、この部屋に来てくれるわけないです……! 今、決めなきゃ駄目なんです……!」
 品村は決意を表すように、胸の前でスタンバトンを握り締めた。
「取りあえず折原くんの拘束は解いてくれない? あなたはスタンバトンを持ってるし、別にいいでしょ?」
「何を言ってるんですか……。二人がかりだったら、流石に奪われちゃいますから……っ」
「うふふ、その通り」
「うぅ……いい人だと思ったのにぃ……! この人怖いぃ……」
「とにかく、私たちがやることは一つかしら」
 由紀島が確認するように折原を見た。品村もつられて顔を向ける。
 折原は頷いた。
 自分と由紀島の目的は、もちろんここから抜け出すこと。品村の目的は、自分と儀式を成就させること。だがそのためには、まず由紀島を追い出さなくてはならない。
 つまり、三人の目的は表面上一致しているのだった。
「──脱出ですね」

「警察に通報して助けてもらいましょうか」
 当然の提案をした折原に、品村と由紀島の二人は渋い顔を向けた。
「い、嫌です……。先輩のこと監禁してますし……」
「却下するわ。私、不法侵入だもの」
 言ってみただけであった。折原は肩をすくめてから、本題に入った。
「ここは三階なので窓から出ることはできないと考えていいでしょう。命がけで壁を降りるという方法もあるかもしれませんが、ずっと引き籠っていた品村さんの膂力が持つとは思えません」
「えへへぇ……。先輩が私の心配してくれてる……。嬉し……」
「よって、我々は部屋の扉をどうにかして開けるしかありません。──由紀島さん。僕のポケットに小さいピンセットが入っているので、それを取っていただけますか」
 折原の右のポケットを由紀島が探った。そして細長いピンセットを取り出した。
「な、なんでそんなもの……」
 この状況を予期していたかのような準備の良さに、品村がたじろいだ。
 折原が得意顔を浮かべる。
「いつでも対策はばっちりですから」
「ひええ」
「それを品村さんに渡して下さい」
 由紀島は言われた通り、スタンバトンを持っていない方の手に置いた。
「こ、これで鍵を引っ張り出せってことですか? け、結構無茶な……」
「頑張ってください」
「ひええ……。頑張りますぅ……」
 品村は緊張した面持ちで作業を始めた。スタンバトンは盗まれないようしっかりと抱えている。
「……由紀島さん。僕のポケットから接着剤を取ってください」
 彼女はもう一度右のポケットに手を入れて、今度は接着剤のチューブを取り出した。
「あと、鍵の頭も拾っておいて下さい」
「──これね」と、彼女はすぐにつまみ上げた。「これを鍵山と接着剤でつけるわけね」
「はい。でも今は、窓を開けて、両手を外に出しておいてください」
「ふぅん? 分かったわ」
 首を傾げながらも、由紀島は言う通りにした。
 外気がふわりと彼女のおさげを膨らませる。上半身を乗り出して、階下の路地裏を眺めていた。
 品村がハッとして振り返り、「うぅ……。私のこと全然信頼してない……っ!」と恨みがましい声を上げた。彼女はその指示の意味が分かったのだ。
「えぇ、もちろんです」と折原。「あなたがスタンバトンを使って由紀島さんを麻痺させたら、彼女は鍵と接着剤を落とします」
 接着剤とピンセットが登場したことで、この部屋から脱出する方法は早くも確立した。すると折原が警戒すべきは、品村が由紀島をさっさとスタンさせてしまい、アイテムを奪って、一人で部屋を開けることだった。その後、由紀島を廊下へぽいっと捨ててしまえば、すぐにまた折原と二人きりである。
 それを防ぐため、鍵と接着剤という必要アイテムを人質に取らせたのだ。
「なるほどね」
 と由紀島が納得する。そして、二つのアイテムを危なそうにつまんでぶら下げた。ふらふらと揺らしてみる。
「自分で落とさないで下さいよ……?」
 由紀島ならやり兼ねないので、折原はヒヤヒヤしていた。
「先輩……抜かりないなぁ……」
 品村はぶつぶつ言いながら、ピンセットを鍵穴に差し入れてカチャカチャやっていた。
 そして三分ほど経ち、
「──と、取れましたっ!」
 品村が鍵山をつまんで掲げた。
「やるわね。結構早かったじゃない」
「凄いです、品村さん」
「えへ、えへえへ……。今日なんか一生分褒められる……嬉しい……」
 由紀島が品村へ手を伸ばした。それを寄越せ、と手招く。もう片方の手では、つまんだ接着剤を脅す様にゆらゆら揺らしている。
品村は大人しく鍵山を渡した。
 由紀島は窓の外へ両腕を出した状態で、接着剤を断面に塗り、そっと貼り付けた。そして乾かすために、両手の上に乗せた。
 しばらく、待ちの時間が発生した。
「……」
「……」
「……」
 三人は黙った。全員、あることに気がついたからである。
 確かに現状では人質が効いている。しかし、いざ鍵が出来てしまったら、窓から手を引っ込めなくてはならない。そのタイミングでスタンさせられたら、結局は同じことであった。
 折原と由紀島は、最早詰んでいるとも言えた。
 だが各々はそれ以上追及しなかった。代わりに、別の話題が沸いた。
「折原のどんなところが好きなの?」
「うえぇっ!? す、好きなところ……ですか……?」
 何故か床に正座していた品村が、顔を赤くしてもじもじと膝を擦る。
「いや、恥ずかしいので……」
「言わなきゃ鍵落とすわよ。ほら、ほら」
「ひえええええ止めて下さいいぃ……!」
 由紀島は振り返るようなポーズで顔だけ部屋に向け、品村をからかって遊んでいる。どちらがどちらを監禁しているのか分からなくなるような光景だった。
「あの……えと……」彼女は指先をつんつんと合わせながら言った。「……だ、脱出するところ? ですかね……。どんなにひどい状況でも、先輩は諦めず、私の思いつかないような手段で絶対に脱出してきます。いつも、あっと驚かされるんです。そういうところが……かっこいいなぁって」
「だってよ、折原くん」
「こっちに話を振らないで下さい」
 二人分の赤面を見れて、由紀島はほくほくだった。
 折原はそっぽを向きながら、先ほど沸いた迷いを恥じた。
 ──諦めるのは、やはり無しだ。
 ここから脱出しよう。彼女のためにも。
「あー……脱出と言えばさ、折原」
「何ですか」
「君ケ園さんもよく、あなたのことを話しているわ」
 品村の耳がぴくっと動いた。
 その名前は知っている。弁当箱から脱出した話は、折原から聞いていた。『脱出記録』にもまとめている。
「なんか、ちょっと熱っぽい口調でね」
「由紀島さん。この場でそれを言うのは性格が悪すぎますよ。だいたい、君ケ園さんに限ってあり得ません」
 折原は品村のほうを気にしながら言った。
 由紀島は意地悪そうに微笑んで続けた。
「そうでもないわ。バレー部の帰り道で、よくあなたのことを聞くのだけど」
「でもあの人、電車では隣に座んなって言ってきましたよ? 僕はやはり嫌われています」
「あれは、座ったら突き破っちゃいそうで心配しただけよ」
 突き破る? 品村はその言葉が気になった。自分には分からないエピソードを前提にしたワードだろうか。
 彼女は、折原と由紀島の会話をよそに、考えてみた。彼女の直感が、それは大事なことであると囁いていた。
 突き破る……突き破る……。座ったら、突き破っちゃいそう……。
 ──まさか。
「……っ!」
 品村はあることに気がつき、飛び上るように立ち上がった。
「……どうしたの? 鍵はまだ乾いて無いわよ」
 由紀島に言われて、彼女はハッと我に返る。「い、いえ……」とまた縮こまるように正座し直した。照れ隠しで長い髪を弄り出す。
折原に目線をやると、彼もこちらを見ていた。「へへ……」と愛想笑いで誤魔化す。
 スタンバトンを握る手がじっとりと汗ばんだ。
 彼女は気がついたのだ。──詰んでいるのは私の方かもしれない、と。
 なら、私はどうすればいい?
 どう行動するのが正解か?
 考えなくては。考えるのだ。折原のように。先輩のように。
 好きな人のように。
「……あの、由紀島さんっ!」
「はい?」
「由紀島さんにはいませんか? 好きな人とか!」
「いないわね」即答だった。
「なら……好きなものは? 大切なものとかは?」
「……急に何かしら」
 由紀島が警戒するような目つきになったのを見て、品村は慌てて両手をぶんぶん振った。
「い、いえいえいえいえ! 全然! 普通に! 雑談です! あははは!」
 品村が必死で取り繕うほどに怪しさは増していった。
 そんな姿を見て、由紀島はマスクをもごもごと動かしていた。
「私はさっき答えたんですから、いいじゃないですかぁ!」
「うふふ、確かにそうね。なんか可哀想だし言ってあげたいけど……。でもホントに思いつかなくて……」
「──スマホじゃないですか?」
 折原が口を挟んだ。彼が顎で指した先には、平机の上に黒い手帳型ケースのスマホが置いてあった。どうやら電源は切られている。
「そこにある、由紀島さんのスマホには……沢山の写真が詰まってるじゃないですか」
「……そうね、確かに。言われてみれば宝物ね」
「しゃ、写真とは?」
「私、オカルトや心霊が大好きなのよ。それでよく、心霊スポットへ自撮りをしに行くの」
「あ、頭おかしい……」
「たまに心霊写真が撮れるときがあってね。それは宝物ね」
「なるほど……。 え、あの、それってやっぱり、パソコンとかに移して保管しておくものですか?」
「あー……やるときはやるけど……。面倒だし、最近は全然……」
「そ、そうですか!」
 品村が謎に嬉しそうな顔をしたので、また由紀島が怪訝そうに目を細めた。
品村は俯いて目線を逸らした。……大丈夫。怪しまれたけど、目的はバレてないはず……。
「──よし。そろそろ乾いたわ。回すときは慎重にね」
「あ、ありがとうございます……っ」
 由紀島がくっついた鍵を片手に持ち、窓枠から身体を引っ込めると、品村と対峙した。
 ──二人の間に緊張が走る。
「……どう渡したらいいかしら?」
「……な、投げてくれますか?」
「うっかり落として、また割れたら嫌ね」
「じゃあ、……近づきましょうか」
「そうしましょう」
 二人は、一歩、一歩、と近づいていく。
 折原はその様子をじっと眺めていた。
 品村が右手を差し出す。左手には、スタンバトンを握っている。
 由紀島が腕を伸ばして、鍵を垂らすようにつまむ。そして、品村の手の平へ、そっと置こうとした。
 そのとき──。
「あっ!」
 と、由紀島の声が響いた。
 彼女の肘が、学習机の上にあった缶ペンケースを押してしまい、床へ落下したのだ。
 スチール製のそれは、フローリングに叩きつけられることで激しい音を鳴らし、中身をぶちまける──寸前。
 品村の右手が、それを宙でキャッチした。
 そして彼女はあることを確信した。やはり、詰んでいるのは自分の方だ。
「き、気をつけて下さい」
「あら、ごめんなさいね」
 品村は缶ペンケースを床に置きながら、素早く目線を走らせた。折原と由紀島の顔は、平静を保っているように見えるが、どこか焦ってているような印象も受けた。
 彼女は今度こそ鍵を受け取って、ドアへ近づくと、鍵穴に差し込んでゆっくりと回した。あまり力を入れないように、ゆっくりと。
 ──カチリ。
 ドアが、開いた。彼女が自分で閉ざしたドアが、彼女の手によって再び開かれた。
 ゆっくりと回したので、開錠音は小さく、その瞬間は品村にしか分からなかった。故に彼女の動きは速かった。平机の上に手を伸ばし、黒い手帳型ケースに守られたスマホを掴んだ。
 そしてスタンバトンを前にしながら、廊下へと飛び出した。
 ──誰もいない。
 誰もいないことが確認できたので、彼女は部屋の方を振り返り、言った。
「由紀島さん! ……と、取引ですっ!」
 品村はスタンバトンの先端をスマホに向けた。
「このスマホが……なかのデータが惜しければ……先輩を裏切って下さい! そして……もう一人が隠れている場所を──教えてください!”」

「君ケ園……という名前の方ですか? 二人目の侵入者は……」
「どうしてそう思うの?」
 三階の廊下で、二人は西部劇のガンマンのように対峙した。
 由紀島は飄々とした態度を崩さず、胸の下で腕を組み微笑んでいる。ドアの内側に立ち、あと一歩踏み出せば部屋から脱出できる位置にいた。
 品村は階段をすぐ背後にしていた。スマホを人質に、由紀島から離れた位置で通せんぼするように立っていた。
「……突き破る、という言葉です」
 品村は背後をちらちらと気にしながら言葉を続けた。
「君ケ園さんについて話してるとき……。せ、先輩の横に座りたがらないのを、突き破りそうだから心配してただけ──って、言ってましたね」
「そうね」
「私の知らない話題から出たワードだと、思ってたんですけど……。一つ、思い当たることがありました。……先輩の右ポケットです。そこには今日、接着剤とピンセットが二つ入っていました。君ケ園さんのしていた心配というのは、ピンセットの先が接着剤のチューブを突き破るんじゃないか──という心配だったのでは、ないでしょうか……?」
 由紀島は目を細めたまま、ドア枠に寄りかかった。
 その不気味な余裕を、品村は負けじと睨みながら、推理を続けた。
「──だ、だとすると! だとすると、ですよ? その会話は、今日ここへ来る直前に行われたものだと考えられます。せ、先輩たちは、三人で私の家まで来た──のかもしれません……っ!」
「なるほどね」
「そう考えると、もう一つの違和感も解消されます。由紀島さんは和室でずっと待機していた……のですよね。そのとき暇はしなかったと言っていました。でも、スマホの電源はこのように切られています。なら、どうやって暇潰しをしてたのか……? ……君ヶ園さんとこそこそ喋っていたのです……!」
「……」
「最後に、確信したのは……缶ペンケースです。鍵を渡すとき、わざと落とそうとしましたよね。あれは──フライパンと同じです。大きな音を立てて、下の階に合図するのが目的だった──と考えました……っ!」
 由紀島が感心したように目を開く。ぱちぱちぱちと小さく拍手した。
「──凄いわ、あなた。本当に凄い。私がいたことも、もう一人いることも、どちらも暴いてしまうなんて」
「へ、へへ……。どうも……。ま、まぁ、確実にそうってわけじゃないんですけど……。まぁ、先輩ならそうするかなって……?」
「見事だわ」
「うへへ、褒められた……」
 品村はにやにやと頬を緩めながら、鼻を高くする。
「褒められて嬉しいかしら?」
「めっちゃ嬉しい……」
「じゃあスマホ返してくれる?」
「えっと、駄目です」
「駄目かー、うふふふ……」
「へへへへ……」
 二人は笑い合った。
 足元に漂うスモークの如き緊張感が、彼女たちをくすぐっていた。
「どうして部屋を飛び出したのかしら? 私をスタンさせてから開けても良かったはずよ」
「そ、そうしたら、由紀島さんを廊下へ引っ張り出さないといけません。私にとってそれはけっこう大変です。引っ張ってる間は隙だらけなので、襲われる可能性があります。だからまず飛び出して、ドアの前に待機してたらそっちをスタンさせようと思いました。いなかったら、こうして居場所を訊きだして先に潰しに行く……。これがベストだと考えたんです……っ」
「うん、そうよね。その通りよ。そう考えると思ったわ。──ねぇ? 折原くん?」
「品村さん」部屋の奥から折原が声を張る。「こたえに捕まりましたね」
「──へ?」
 品村が頓狂な声を上げた。
 同時に、由紀島がノブに手をかけた。腕を引き、ドアを閉めようとする。
「ま、待って──」
 品村が手を伸ばした。強い焦燥から、ぶわりと鳥肌の立つ感覚がした。スマホもスタンバトンも床へ落として、全身全霊で手を伸ばした。だが手を伸ばしても届かない距離を保っていたのは、自分だった。
 一歩、二歩、とほとんど転ぶように慌てて近づいた。
 ドアが閉まっていく。彼女には、スローモーションに視えた。由紀島が別れを告げるように会釈した。そんな気がした。
 ──バタン。
 扉が閉まった。と同時に、品村の手が外側のノブを掴んだ。
 回そうとする。が、しかし。
 ──ガチャリ。
 すぐに施錠されてしまった。
 そして、ばきっ、と鍵を折る音が聞こえた。接着剤でつけたばかりなので、拳を振るうだけで簡単に折れたことだろう。
 品村は勢いのまま、ノブをめちゃくちゃに動かした。無意味だと分かっていながらドア全体を押したり引いたりして、怒りをぶつけた。閉じ込められたのはまるで彼女のほうだった。
 当然、開くわけがない。
「──品村さん」
 折原の声が聞こえて、彼女はぴたっと動きを止めた。
「拘束具の鍵をドアの隙間から渡して下さい。さもなくば──儀式が始まってしまいますよ」

 品村はドアを拳で叩いた。壊そうとしたのではなく、悔しさを発散させたのだ。
 ……やられた……!
 彼女は人生で初めて、満身の敗北感を覚えた。
「早くしないと、接着剤を窓から捨てるわよ」
「ゆ、由紀島さんはそれでいいんですか……っ」
「嫌に決まってるじゃない。だからほら、早く鍵を渡しなさい?」
「うぐぐ……っ。す、スマホはこっちにあるんですよ!」
「それ折原のよ。私はそもそもスマホを持っていないの。あんなの、ドーパミンの坩堝だもの。日頃の摂生こそ脳汁を出すコツなのよ」
 言われて、品村は記憶を瞬時に辿った。
 確かに、スマホについて水を向けたのは折原だし、それが由紀島の物であるように振る舞ったのも彼だった。
 恐らく、自分の意図をすぐに察したのだろう。人質になりそうなものを探している、と。その考えを利用され、すっかり騙されてしまったのだ。
「うぅ……!」
 彼女は歯を食いしばりながら、俯いて床を睨んだ。
 どうにか儀式を再開させないように動いているものだとばかり思い込んでいた。
 逆だった。
 品村を弾いた状態であえて再開させ、拘束を解くよう脅迫する計画だったのだ。
 まさか彼自身も儀式を利用してくるなんて。
 勿論、折原と由紀島の儀式が成就してしまうなど、品村には到底許せるはずがない。だが、鍵を渡さなければ確実にそうなってしまう。この場は涙を呑んで諦めるしかない。到底不可能に思えるが、次のチャンスを待つしかない。
 彼女はジャージのポケットから、拘束具の鍵を取り出した。
 しばし葛藤し、ぎゅっと強く握り締める。
「うううぅぅぅ~~~~っ!」
 ぐしゃぐしゃと髪を掻きまわしながら廊下にへたり込んだ。
 考えれば分かったはず……。いや、もし気がつけたとしても、君ケ園が部屋の外にいるなら飛び出す以外なかったか……? ぐるぐると考えがまとまらない。
「あら、なんだかドキドキしてきたわ。これが好きってことかしら……」
 由紀島のわざとらしい声に、品村がハッと顔を上げる。
「だ、駄目ですっ! 我慢して下さいっ!」
「我慢してと言われても……。何故か、折原くんがちょうど拘束されているし……」
「わ、分かりました! 分かりましたから! すぐに鍵を渡しますぅ……!」
「いい子ね、偉いわ。……ちなみに、君ケ園は来てないわよ。だから安心してね」
「…………え?」
「あの子は今日、母親とライブに行ってるわ。呼べなかったの」
 品村は愕然とした。
 脳内に疑問符が溢れだして、口をぱくぱくとさせてしまう。
「……え、いや……え?」狼狽えた声を出してしまう。現実そのものに裏切られたような気分だった。「だ、だって、……あの、突き破る話は?」
「嘘よ。事前に打ち合わせておいたの」
「……和室で、暇しなかったとか……」
「暇で暇で仕方なかったわ」
「かかっ、缶ペンケースだって!」
「最悪、また僕が大声を上げる予定でした」と、折原が答えた。「ですが、丁度いいものがあって助かりました。やっぱり、何かを落とした方がフライパンの件を想起させやすいですからね」
 品村は総毛立った。悪寒すら覚えた。
 焦りや悔しさは最早消え失せ、──恐怖に包まれた。
 ヒントを集めて、推理をし、折原の企んでいることや考えていることを当てたつもりであった。
 しかし、実際は違かった。ヒント自体が企みの一部として用意されていたのだ。それを元に考えてしまったから、推理が誘導され、君ケ園が潜んでいると勘違いしてしまった。結果、部屋から飛び出してしまった。
 こたえに捕まりましたね──とは、そういう意味の言葉だったのだ。
「じゃあ、つまり……。先輩は、そこまで考えてから今日うちに来たんですか……?」
「危険なことは分かっていました。しかしリストを得るには、部屋に入ることは必要不可欠だと判断しました。……だから対策を練ったまでです」
「……へへっ。なんですかそれ……」
 彼女は脱力し、呆れて笑った。自分にも折原にも呆れていた。
 ……自分は、他人の考えていることが分からなくて怖いから、いつしか外に出られなくなってしまった。
 でもそれは、考えたら分かるものであるはずだ、という傲慢から来る思考だったのかもしれない。
 憧れの折原の真似をして色々考えた。今日だって、折原の考えていることを当てようと試みた。
 でも無理だった。おかげで、このざまだった。こんなの──ずるい。ずるすぎる。
 自分の試みは、危ないことだったのかもしれない。ヒントを視ること。こたえを得ること。その危うさを分かっているから、折原は利用してきたのかもしれない。
「……」
 品村はてっきり、自分はこれから絶望するものだと思っていた。だからその場に蹲り、顔を膝の間に隠した。
 ──しかし。
「……あれ?」
 畏怖とも感動とも取れる高揚感が彼女の胸に沸き上がった。敗北したというのに、心が躍るようだった。頬が熱を帯び、「ぷはぁ」と息継ぎのように顔を上げた。
 彼女は気がついた。思い出した。この感覚は恋だった。一年前──音楽室に閉じ込められたとき、予想外の方法で脱出を成した彼に覚えた、あのときめきであった。
 そうだ。自分は、やっぱり先輩が好きなんだ。こういうところが好きなのだ。
 あっと驚かせてくる、この人が。
 ならば自分がすべきことは──。

 折原は痛む腰を抑えながら部屋のドアを開いた。背中には由紀島がべったり張り付いており、微かながら儀式の影響があったことが伺えた。
 廊下では品村が待っていた。通り道を塞ぐように立っていた。
 その手には──スタンバトン。
 折原が警戒し、後退った。
「……二対一だよ、品村さん」
「はい。で、でも……この狭い廊下なら、何とかなるかもしれません」
 彼女は剣のようにスタンバトンを掲げた。
 折原は由紀島を庇うように身構えた。最悪、部屋の窓から逃げることまで考えた。
 一瞬の静寂のあと、
「……な、なんちゃって~」
 品村は精一杯におどけた口調で言った。
「驚きましたかね……? へへ……。……あ、全然ウケてないですね……。うぅ……やらなきゃ良かった……」
 彼女はしょぼしょぼとしながら、スタンバトンをそっと床に置いた。そして、折原の方へ転がした。
 彼はそれを拾い上げると、部屋を振り返ってベッドの方へ投げた。そしてすぐに、ドアを閉めた。
 ようやく肩の荷が降りて、折原は深い溜息と共にだらんと両腕を伸ばした。
「あら。つまらないの」と由紀島が不服そうな声を出す。「もう一ラウンド見れるかと思ったのに。……いいの? こんなチャンスもう無いんじゃないの?」
 品村は肩の力を抜いて頷いた。
「儀式は……もういいです。ていうか、しちゃ駄目です。先輩は、なに考えてるのか分からないから良いんです。そう思い出しました」
 彼女は吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「あの、例の雨野円がいるかもしれないってリスト……。実はスマホにもう入ってて……今すぐ見せられます。リビングでいいですか?」
「はい」と返事してから、折原は少し考えて言った。「いや……良い時間ですし、どこかで食べながらにしません? 品村さん、奢りますよ」
「あら。いいじゃない」と由紀島が手を合わせる。「私も半分出してあげる」
「え……っ。いや、でも」品村が慌てたように二人を交互に見た「……いいんですか? わ、私なんかと、食事とか……」
「どうしてですか?」
「どうしてって……。こ、怖くないんですか」
「怖いですね。でも、行きましょう」
「人は怖いものに惹かれるのよ」
 品村は二人の顔を呆気に取られたように見つめた。そのあまりにも自然な言い方に驚いていた。
 自分もそんな態度を持ちたい。彼女は強くそう思った。
「私、激辛担々麺が食べたいわ。そこの商店街の」
「そ、それ! 私も好きです……っ」
「そうなの。なら決まりね」
 激辛が苦手な折原は物凄く嫌そうな顔をしたが、由紀島に無視された。
「そうそう。これまでの脱出を全部記録しているそうね?」
「は、はい。『脱出記録』としてファイルにまとめてます」
「今日のこれも記録するわよね? なら、また明日ここに取りに来るわ。……ちなみに魔法陣についての情報もある? 私、消してる最中しか見れなかったの」
「ありますよ! 実はあれ、ワームホールらしくて……」
 つい先程まで監禁したりされたりしていたのが嘘のように親しくお喋りをしながら、三人は一階まで降りてきた。和室で由紀島の靴を回収してから、玄関へ向かった。
 靴を履き、ドアを開けると、熱をはらんだ夕方の風が舞い込んだ。
「……っ」
 街は橙色に照っていた。眩しい外の景色を見て、品村は少し怯えた。
 そんな彼女に、折原が手を差し伸べた。
 彼女は「……へへ」と照れ笑いをしてから、手を取り、手を引かれ、外へ出た。


第四話 監禁されたヤンデレ部屋からの脱出 終


【エピローグ・4(あるいは、なにもない世界からの脱出)】

「めっちゃギリじゃん……」
 食い入るように話を聞いていた雨野が、背もたれに寄りかかって脱力した。怒涛の話が終わり、やっと一呼吸入れられたのだ。
「ぎりぎりだったね。まぁ、いつもそうではあるんだけど」
「だってさ、接着剤で直した鍵を渡しちゃったら、由紀島ちゃんはもういつスタンバトンでやられちゃうか分からなかったじゃない? というか、私が品村ちゃんだったら絶対そうするもん。例え家のなかにもう一人いるとしても」
「部屋のなかで気絶させても、倒れた由紀島さんを廊下へ運んでるときにもう一人に襲われるかもしれないよ。警戒しながらゆっくりやったら、今度は由紀島さんが復活するかもしれない」
「じゃあ、スタンバトンを使って脅すのは? 廊下へ出ろーって」
「その場合は、もう鍵が開いてるってことだから、もう一人が部屋に入ってきて二対一になっちゃう可能性がある」
「なるほどー……」雨野は手番の来た将士のように腕を組んだ。「となると、やっぱりいきなり飛び出して、二対一になる前にスタンさせちゃって、もしいなかったら居場所を聞き出して先に潰す──のが最善なのか。由紀島ちゃんをスタンさせてから飛び出したとしても、もう一人がドアの前にいなかった場合、やはり運んでる最中に襲われるかもしれないもんね」
「最善かは分からないけど、とにかく品村さんがそう考えてくれることに賭けたんだ」
「もし品村ちゃんがこたえに捕まらなかったらおしまいだったね。だって実際にはもう一人なんていなかったんだから。品村ちゃんが推理をせず、普通に由紀島ちゃんをスタンさせちゃってたら、ゲームオーバーだったわけよね」
「その通りです。本当にギリギリでした。……でも、彼女なら考えてくれると思って」
「賢い子だねぇ。……で、品村ちゃんはその後どうなの? 外には出れたんでしょ?」
「うん。中学にも、とりあえずは保健室登校で行ってる」
 折原は『脱出記録』のフォルダを閉じてリュックへ仕舞った。このファイルも、半分くらいは彼女が書いてくれたものだ。
「良かったぁー。行きたがってたもんね」
「仕事は辞めさせました。普通に駄目なので」
「よくやった」
「たまに相談にも乗ってますよ。由紀島さんとも、割と仲良くてご飯とか行くみたいで」
「相談って……。なに、まだ会ってるの?」
 突如、雨野の声色に剣呑なものが混じった。
「え? う、うん」
「……ふぅん」
 彼女は面白くなさそうに唇を尖らせた。折原がピリッと緊張する。なにか、怒らせるようなことを言ってしまっただろうか。
「……折原くんさぁ、ちょーっとデリカシー無いんじゃない? 脱出の話してって頼んだのは私だけどさぁ……。私以外の子とキスしちゃった話とか、普通する?」
 雨野は怒っているのではない。
 折原はそう気がついて、頬が緩みそうになるのを我慢した。
「……私のこと、好きって言った癖に」
 彼女は嫉妬しているのだ。


 第五話へつづく

【第四話】監禁されたヤンデレ部屋からの脱出

【第四話】監禁されたヤンデレ部屋からの脱出

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更新日
登録日
2026-07-10

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