【第三話】夢の城からの脱出


【第三話 夢の城からの脱出】


 また、閉じ込められた。
 折原は城のなかで目覚め、最初はこそこそ隠れながら脱出方法を探っていたものの、すぐに兵士に見つかってしまった。兵士は足音無く近づいてきたので、彼は気がつけなかった。「侵入者め!」驚いた勢いのまま走って逃げたが、しかし兵士の足はあまりに早く、あっという間に捕まってしまった。
 城の地下は監獄になっていた。折原は二人の兵士によって独房のなかへ押し込められた。尻もちをついた彼の前で、スライド式の自動ドアが鼻で笑うようにぴっちり閉じた。
「これは夢です!」
 ドア越しに、折原は訴えた。
「夢の主に会わせて下さい!」
 分厚いアクリル製の窓の向こうで、兵士は首を傾げてからさっさと去ってしまった。
 試しに言ってみただけだ。折原は特に落ち込むことはなく、床へと寝転がって頬をべったり付けた。走り回ったので疲れていた。
 彼はぐるりと狭い部屋を見回し、窓すら無いと分かって、深い溜息をついた。

「…………さて、と」
 呼吸も整ってきたので折原は立ち上がった。行動、開始。
 彼はまず独房のなかを観察した。
 天井が低く、とても窮屈だった。背伸びすれば容易に天井へ触れられた。ひんやりとした金属の質感。天井も壁も銀色で、床だけがくすんだ緑色をしていた。足の裏へ力を込めると、少し柔らかかかった。子供の頃に行った公園で、滑り台の根本がこんな感じだったのを思い出した。
スペースオペラのセットのようだ。折原はそんな印象を受けた。自分はさしずめ、帝国に捕まったレジスタンスだ。
 ドアも天井に合わせて小さかった。自動の引き戸で、ノブや引手は存在しなかった。折原は膝をついて軽く揺すってみたが、びくともしなかった。
 壁には簡素な時計やしなびた張り紙が貼ってあった。折原の腰丈くらいの低い位置だった。彼は屈んで、張り紙に目を凝らした。
 まず目立ったのは、横一線の染みだった。折り目みたいに、紙の真ん中くらいに薄く引かれていた。そして下半分が薄く黄ばんでいる。ここまで水没したように視えるが、それにしては紙がふやけていない。
 紙には未知の言語が書かれていた。夢のなかなので、折原にはそれが読めた。
『ガス注意! 激しい動きや破壊活動が検知された場合、鎮静ガスが噴出されます!』
 成程、と折原は頷いた。そしてドアへ近づき、思い切り蹴り飛ばしてみた。
 ビーッ、と機械の怒った音が煩く鳴った。
 そしてドアのすぐ横にある壁が開き、小さなノズルが現われた。透明な気体が噴出される。折原は時計をチラッと見た。時計の数字は相変わらず未知のものだったが、午後三時十六分を指していることは分かった。それを覚えてから、気体を大きく吸い込んだ。無味無臭だった。一分ほど経つと、身体の力が抜けて、気が遠くなった。
 夢は都合のいい場所だ。
 たとえ致死性のガスだったとしても、死にはしないのだから。
 なんて思った矢先、目覚めた。すぐに時計を見る。午後三時二十二分。五分程度ノびていたようだ。
 折原はその時間を頭にメモした。この独房から出るには、多少激しく動く必要があるかもしれない。そのとき判断を迷わないよう、猶予のある今の内に試したのだ。
 ガスは案外優しい効果だった。五分経てば完全に動けるようになる。指を動かしたり、その場でジャンプしてみたり、身体の機能に支障はない。だからこそ、気軽に使われるのだろう。
 と、窓から兵士が覗いていることに気がついた。彼は折原をしばし睨みつけてから、また去っていった。
 成程、駆け付けてくるには十分な時間なのだ。
 折原は床へ仰向けに寝そべった。彼は今靴を履いているので、そこは屋外と同じ扱いなのかもしれない。だが非常に綺麗だったので、彼は気にしなかった。なにより、なんの嫌がらせかこの部屋には机も椅子も無かったのだ。
 ……折原は自らこの夢のなかへ来た。この夢には主がいて、城も牢屋も未知の言語も彼女の頭から出てきたものだ。
 彼女。
 そう、夢の主は今──折原と共にある場所に閉じ込められている女性だった。いつものように儀式が始まったのだが、彼女は眠ったままだった。このままでは時間だけが過ぎて、好感度がいつの間にか閾値を超えてしまい、大変なことになってしまう。早く覚醒させるため、そして脱出するため、こうして夢に入って来たのだ。
 さて、どうしたものか……。
 シンプルな独房内をあらかた調査し終えた折原は、次の手を考えていた。
 すると、突如としてドアが開いた。
「えっ」と驚きながら、折原は跳ねるように身を起こした。
 ドアの向こうには、立方体の機械がふよふよと浮かんでいた。
「──ドアとカメラをクラック致しました。どうぞ、おいでください」
 抑揚に乏しい合成音声だった。折原は警戒して、その機械を眺めた。
 片手サイズの大きさだった。付属のパーツは無く、どうやって浮いているのか分からない。側面からコードが二本伸びており、廊下側にある操作盤へ刺さっていた。それでクラック──慣れた言葉で言うならハッキングをしているのだろうか。
 どういうわけか、立方体の上にはメイド然としたホワイトブリムがちょんと乗っかっていた。
「わたくしは〈メイドキューブ〉で御座います。お嬢様がピンチなのです。どうか、お救い下さい」
 機械は名乗りをあげると、まるで無いスカートの裾をひらりとつまむように、前方へ四十五度傾いてお辞儀した。
信用してもいいのか? このまま出ても良いのか? 躊躇した折原の脳内に、ある人物の言葉がよぎった。陶芸家をしている従伯父の言葉である。彼は、三十九人いる親戚の一人であった。
 ──粘土は、回し始めてから形を考えても遅くない。
 今は、取りあえず行動してみよう。
 折原は恐る恐る廊下へ這い出た。周囲に兵士の姿は無かった。薄暗い通路には、独房のドアが左右に二つほど並んでいた。その先は角になっていて視えない。
 天井は独房内と同じく低めで、照明にも手が届いた。最悪叩き割ることもできそうだ、と折原は考えた。
「──こちらに」
 メイドキューブを自称する謎の立方体が、つらりと優雅に方向転換をして、廊下の奥へと進んだ。折原はそのあとを追いかけた。
 すると行き止まりの壁から、なにやら赤い布が飛び出しているのが視えた。天井付近が丸く盛り上がっている。
 近づくと、それは誰かの臀部であることが分かった。ダクトのような場所から尻から強引に出ようとして、自身の脚が引っ掛かり、そのまま挟まってしまったようだ。
 どうにか抜け出そうと左右に身を振っている。
「んーっ! んんーーっ!!」
「……これを助ければいいんですか?」
「是非」
 メイドキューブがまた傾いた。機械のお辞儀を不思議そうに見ながら、折原は赤い布の腰辺りを掴んだ。
「んひゃぁっ!?」
 すぽんっ、と綺麗に引っこ抜けた。
 長い金髪がばさりと広がる。彼女は思ったより小柄で、非常に軽かった。折原は、この子が夢の主だ、と分かった。そして持ち上げたまま、どう降ろしていいのか分からず止まってしまった。
「──我に触るな、無礼者ォ!」
 彼女の尻尾が、勢いよく折原の頬を打った。

 身体の大きさは折原の半分ほどしかない。それを覆い隠す赤いマントを羽織っていた。王様のつもりだ、と分かったのは、頭の上に小さな王冠が乗っていたからであった。ゴムのようなもので頭に固定しており、子供が仮装しているような印象を受けた。
 折原はヒリヒリと痛む頬を抑えながら、彼女を見下ろした。
 長い金髪の隙間から、キッ、と鋭く睨みつけられる。
「お前、我を誰と心得ておる! クォビ家王女、コネリ=クォビであるぞ!」
「……どうも、王女様」
「図が高いぞ! なんだその偉そうな立ち方は!」
「そんな言いがかりな……」
「膝をつけ!」
 折原は仕方なくそうした。するとコネリは「ふん」と機嫌が悪そうに鼻を鳴らした。
「立場が分かったようだな!」
 なんて世界観だ、と折原はこっそり溜息をつく。
 王女という設定だけでもお腹一杯なのに、そのうえ彼女には尻尾がついていた。向日葵のような明るい黄色の尻尾だった。更にはマントの下から、四本の触手のようなものまで伸びている。恐らく背中から生えているのだろう。彼女は異星人であることを見せつけるように、触手をうねうねと彷徨わせていた。
 否──この場所では、異星人なのは自分のほうか。
 彼女の言葉が分かるのは、ここが夢だから、だろう。
「──お嬢様。この方は助けて下さったのですよ。まずは感謝の意を」
「ふんっ。地球人なんかに礼など述べぬ! 当然のことをさせたまでだ!」
「……誠に申し訳有りません」
 メイドキューブが折原へ深々と頭を下げた。……と言っても、彼女には頭に該当する部分しかない。箱の傾きがさらに急になっただけだった。
「御覧の通り、お嬢様は大変精神的に幼いのです。後先をあまり考えず、向こう見ずな言動ばかり起こすクソガキなので御座います」
 従者の口から飛び出した暴言に、コネリが顔を真っ赤にする。
「ク、ク、ク、クソガキ!? クソガキって言った!? メイドのくせに、王女にクソガキって!!」
「客観的な事実で御座います」
「むぎぃーーーーーっ! ママに言いつけてスクラップしてやるから!」
「承知致しました。その場合、お嬢様が昨晩にキッチンから菓子を盗んだ映像や、怖くて眠れないと私に泣きついてきた映像などが、うっかりお城中のモニターへ放送されてしまうかもしれません。なにせスクラップにされてしまっては、どう故障するのか把握致しかねますので」
「脅してんじゃないわよーッ! 今すぐスクラップにしてやる!」
 コネリがメイドキューブへ飛びついた。キューブも負けじと宙を旋回して逃げようとしている。
 自分をそっちのけで盛り上がる二人に、折原は苦笑した。
 この王女、メイドから滅茶苦茶舐められている。このメイドも、しっかりしてそうで主人のことを全然敬っていない。おかしなコンビだった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、……。それで、地球人よ。お前はどうやって城のなかへ入ってきたのだ」
 喧嘩を止めたコネリが、マントを正しながら訊いた。
「どうやっても何も……これ夢じゃないですか。城のなかから始まっただけです」
「夢?」
きょとん、と首を傾げるコネリ。その反応に、折原は「おや」と思う。
「……自覚ありませんか?」
「何を言っておるのだ? なにか煙に巻こうとしているな?」
「思い出して下さい。コネリさんは今、夢を見ているんです。この夢の主なんです。僕はそこに介入してきて──」
「……はぁ? 意味が分からぬ!」
 折原は、城のなかで目覚めた瞬間からここが夢であるという自覚を持っていた。自分がどうやって眠ったのかという記憶も持ち合わせていた。だから彼女もそうであると、思い込んでいた。
 しかしコネリは怪訝な表情を浮かべていた。「ここは夢である」という折原の指摘をまったく本気にしていない。
「では、この場所へどうやって来たのかを思い出せますか?」
 夢は突然どこかから始まる。なら、その前が存在しないことを指摘すれば自覚を促せるのではないか。そう考えての質問だった。
「当たり前だ。秘密の抜け穴を通ってきたのだ」
「その前は?」
「部屋で映像を見ていた」
「その、前は」
「ベッドにいた。……おい、なんの質問だ! そんなに答えたくないなら、もうよい!」
 ふんっ、とコネリは気分を害したようにそっぽを向いた。
「ここは夢なんです。僕たちは夢を見ているんです」
「そんな訳なかろう! 地球人って、やはり馬鹿なのか!?」
 ──どうやら簡単な指摘では思い出すことができないようだ。折原はそう察した。
 彼女は自分とは状況が違う。夢である自覚が何故か無い。では自覚を与えるにはどうすればよいだろう? より核心的な指摘が必要だろうか。しかし自覚したところで、明晰夢になるだけで夢からは覚めないか? 現に自分自身がそうであるし……。なら、彼女を目覚めさせるにはどうすれば?
 考え込む折原のスネを、げしっとコネリが蹴った。
「おい、地球人! 我を地球に連れていけ」
「……はい?」
「我はこの星から抜け出したくてな。ずっと、宇宙船を強奪して家出する計画を練っていたのだ。行き先は地球が一番良い。共に来て案内せよ」
「いいですけど……。どうやって地球まで行くのですか」
「この城には何隻か宇宙船がある。それに乗ればよい。宇宙船の場所も把握しておるし、運転は任せよ!」
「──宇宙船」
 折原は考えた。
 そして、そこに行けば夢から覚めるための重大なヒントがありそうだ、ということに気がついた。
「……分かりました。宇宙船へ行きましょう」
「うむ、ゆくぞ! 着いて来い!」
 折原の返事に気を良くしたコネリが、たたたっ、と走り出す。
のを、
「──お待ち下さい」
「ぐぇっ」
 メイドキューブから飛び出したアームが、マントの裾をつまんで止めた。
「何をする! 首が締まったではないか!」
「落ち着いて下さい、お嬢様。地球人は今、不審者として牢に入れられているのですよ。このままノコノコ歩いていって、兵士に見つかったらどうするのですか」
「……むむむ。確かに」
 その通り、と折原も頷いた。
「コネリさん、まずはこの監獄から脱出する方法を探りましょう。その後で、一緒にこの星から抜け出しましょう」
「……うむ、分かった。ところでお前、名はなんと言う? 申せ」
「──折原です」
「オリハラ」コネリは復唱し、くすっと笑った。「変な名前だな!」

 出口は一つしかなかった。
 この地下監獄はL字型の構造をしていた。その縦線に独房が五つ並んでおり、一番奥の壁にはコネリが侵入してきた秘密の抜け穴がある。折原には狭すぎるので、これは使えない。小柄なコネリでさえ詰まるくらいしか隙間が無いのだ。
 よって、その反対にある横線の奥──出口の扉を目指さなくてはならない。
「まずは、どんな様子か偵察に行きましょう。コネリさん、お静かにお願いします」
「そのやかましい口を今だけはお閉じになって下さいね」
「むぎぃーっ!」
 無礼すぎるメイドキューブに怒る声も、ちゃんと控えめにしていた。
 天井が低いので、薄暗い通路はまるで洞窟のようだった。折原は足音を立てぬよう、抜き足差し足で進む。するとコネリから指摘が入った。
「オリハラ。その変な歩き方、疲れないのか?」
「これが一番静かだと思います」
「そうか? 地球人はやっぱり変だな」
 実際、折原がどんなに気をつけようと、コネリの静かさには叶わなかった。彼女は忍び足がとても上手だった。足音はほとんどしていない。それは折原を捕まえた兵士や、出口で見張りをしているであろう兵士たちも同じだった。
 折原は耳を澄ませ、出口に兵士が何人いるのか予測した。あんまり数が多ければ、角から顔をひょいと出すのも危険である。
 微かな足音を探るように聞いて、──四人くらいだろう、と彼は予測した。
 しかし、そっと覗いてみれば、実際は二人しかいなかった。出口の鉄扉の前で、暇を持て余したようにうろうろしている。どちらも折原より身長がありそうで、体格も良かった。強引に突っ込んでいっても勝てないだろうし、間を走り抜けようとしても捕まってしまうだろう。足の速さでは既に負けている。
 出口に鍵はかかっていない。だが、扉についたレバーを倒せば即座に施錠できそうだった。
 折原たちは、元々いた独房の前まで戻り、作戦会議を始めた。
「二人しかおらぬなら、楽勝だな! 我があいつらの元へ行って、お喋りで気を引こう。その隙に後ろからこっそりと出ていけば良い」
「……うーん。一人ならまだしも、二人は厳しそうですね」
「ならなら、不審者を連行することになったと嘘をつき、連れて行くのは?」
「そのような連絡をお嬢様から聞くのは不自然で御座います。最悪、お母様などへ確認がいき、嘘が露見するのでは」
「そうだ! メイド、クラックで警報装置を作動させよ。それを聞いた兵士がこっちへ来るとき、別の独房へ隠れておき、通り過ぎたら出口まで走れば良い」
「あ、それはいい案ですね」
「しかしお嬢様。警報装置が鳴ってしまったら、監獄外からも兵士がやってくるのでは? 二人どころでは無くなり、出るのが難しくなるかもしれません」
「むむ……。ではいっそ、ここを消灯させてしまうのはどうであろう」
「うーん、そうですね……」と折原。「そうしたら、まず扉を施錠して、一人はその場にい続けるんじゃないですかね」
「むむむむぅ……」とコネリが悩ましげに俯く。
兵士は二人しかおらず、扉は空いている。なら抜け出すのは簡単──かと思いきや、確実な手を考えてみると意外と難しいのだった。
 折原は「でも、素晴らしいですよ」とコネリをフォローした。自分とメイドキューブの二人がかりで彼女のアイデアを潰していく流れになってしまっていたので、気が引けたのだ。
 彼は感心していた。第一印象よりずっと、コネリは頭が回る。
「気を使うでない。……オリハラはなにか思いつかないのか」
「ガスですかね」
「……あの独房のやつか」
「はい。無味無臭で、吸ったら倒れてしまう。こんな便利なものがお誂え向きにそこら中にあるのです。使わない手はないでしょう。……独房内の張り紙に横線のシミがありました。あれは恐らく、何度もそこまでガスが溜まったことで出来た痕でしょう。つまり、空気より重いのです。溜めれば、出口の方まで流れていきます」
「確かにな! よし決まりだ! やれ、メイド!」
「お待ち下さい、判断早すぎお嬢様」とメイドキューブが謎のあだ名で口を挟んだ。「わたくしのクラックで、各独房からガスを垂れ流すのは可能です。しかし監獄の通路にガスが溜まって見張りの兵士が吸い込む前に、お嬢様が吸い込んでしまいませんか。それは承服致しかねます」
 成る程、もっともな意見であった。いくら後遺症が無いとは言え、この国の王女に囚人を懲らしめるためのガスなど吸わせたくはないだろう。それに、吸ってしまったら自分たちも動けなくなってしまう。兵士と仲良く通路で寝転がる羽目になる。
 では、少しの間息を止めていればよいか? それも難しかった。ガスの効き目があるのは約一分後だと、折原は自分の身で実験していた。ガスが溜まり、出口の方まで流れ、そして兵士が吸い込み、更に一分待つ。この時間を無呼吸で過ごすのは厳しい。
「メイド、ガスをどれくらい出すかは調節できるの?」
「はい」
「なら、兵士の顔に届くくらいまで出しておき、我とオリハラはメイドに捕まってしばらく天井付近まで浮いていればいい。そうすれば吸わないだろう」
「申し訳有りません。わたくしにそこまでの馬力は御座いません」
 そして、もし一人だけ浮いていても仕方ない。折原が気絶すれば、脱力したその身体をコネリが出口まで引きずっていくことになる。一回りも身体の小さい彼女には難しいだろう。そしてコネリが気絶すれば、出口から出たあとどのように宇宙船へ向かえばいいのか分からない。折原単独で動けば、また最初のときのように捕まってしまう可能性が高い。出口の先に身を潜ませる場所が無ければアウトだ。
 儀式からの脱出は一か八かで賭けるときが多が、まだ序盤だ。そんなタイミングではない。
 確実に逃げ出し、確実に宇宙船まで行きたい。そのためには、二人のどちらも気絶してはいけないのだ。
 コネリがぷくっと頬を膨らませた。
「──むぅ! なんなのだ、まったく! さっきから、簡単そうで全然簡単ではないではないか!」
「それが生きるということです、お嬢様」
「テキトーに喋るでない!」

 コネリは独房の床へぺたんと腹ばいになった。「御行儀が悪いですよ」と小言を挟む世話焼きな機械を、げしげしと足で追い払う。
「そうだ、まだ残っていたな……」
 彼女の背中の触手が、マントの下をごそごそと探る。そして、先端に焼き菓子のようなものをくっつけて現れた。
「オリハラにも恵んでやろう」
「えーっと……頂きます」
 コネリがメイドキューブを一瞥する。機械の箱はホワイトブリムを揺らして一礼すると、自身の中から小さな器を取り出して床へ置いた。大きくはないが、何でも出てくるようだった。
皿は円錐台で、上部が丸く窪んでいる。そこへ、カランと焼き菓子が一つだけ放り込まれた。
「……」
 どう見ても餌皿だった。
自分は犬じゃない。折原はそう思ったが、口には出さなかった。正座の姿勢で、片手で拾い上げて食べる。
当のコネリは皿を断り、そのまま触手を口へ伸ばして器用に食べていた。ぼろぼろと食べカスが落ちるのを、メイドキューブが吸引ノズルを展開して横から吸い取っている。いつもこんな感じなのだろう。
 菓子は甘くて美味しかった。折原は空きっ腹にじんわりと栄養が広がっていくのを感じた。少しだけ、緊張が緩和されていく。
「……コネリさんは、どうしてこの星から出たいのですか?」
「我は閉じ込められているのだ」
 彼女は不貞腐れたように口を尖らせた。
「父上も、母上も、城の外に出してくれぬ。城の外のことも教えてくれぬ。外の世界は危ないから、怖いことが沢山あるから、ここで楽しく過ごしていろと言う……」
 折原は思わず姿勢を正した。物憂げなコネリの顔が急に大人びて視えたのだ。
「でも、そんなの無理なのだ。どう耳を塞いでも、外のことは必ず聞こえてきてしまう。……我は不安で仕方ない。この国が、この星が、正しく機能しているのかどうか……。否、きっとそのうち限界が来る……」
 折原は驚いた。はじめはお転婆な印象しか無かったが、彼女は王女としての責任感や使命感をちゃんと持っているらしい。自国のことを考えて憂いている。
「近い未来で、我が国を引っ張っていくとき、きっとこの星の考え方だけではやっていけない。我は、次世代のリーダーとして、外界を勉強しなければならない。色々なことを知らねばならない。……だが母上たちは、なにかに怯えて我に目隠しをしてしまう。だから、家出したいのだ」
「……素晴らしい志ですね」
折原は音のない拍手で称えた。彼にも、外界へ出たい、外のことを知りたい、と強く思った経験があった。彼女の気持ちはとてもよく分かった。
「しかし、どうして地球なのですか?」
「調査によって、我の星と大気や重力といった環境がほぼ同じだと分かったからだ。ただ、それよりも……」
 コネリはちょっと照れたように言った。
「……〈うみ〉とやらをこの眼で見たくてな」
「海を知っているのですね」
「アニメで見ておる」
「……この星でもやってるんですか……?」
 折原の疑問には、メイドキューブが答えた。
「稀に、他の惑星の古い電波が届くので御座います。それを録画したものが高値で流通しているのです」
「母上の目を盗み、どうにか手に入れた!」コネリがえへんと胸を張る。「持っているのは〈にほんむかしばなしうらしまたろう〉というものだ。そこに、青くて大きな〈うみ〉が出てくる! ……なぁなぁ! うみの底には、我が家のような城があるのだろう!?」
「え? えぇ、まぁ……」
 彼女があんまり目を輝かせていたので、折原は真実を伝えそびれた。
「城に閉じ込められては、友人もできぬからな……。寂しい時には、遠く離れた地の景色を見るのが良い。そして、そこに我がいることを想像すれば……寂しさも紛れる。繋がっているような気分になれる」
「……心中お察し致します、お嬢様」
 メイドキューブの合成音声も、心なしか寂しそうだった。
「地球へは、わたくしも着いていきます。……クソガキ一人では心配ですので」
「またクソガキって言ったなぁ!? 一言余計だ! ……大丈夫、我は失敗せぬからな! なぁ、オリハラ?」
「うーん」
「悩むんじゃない! 忘れたのか? 我はクォビ家王女のコネリ=クォビだぞ。宇宙船の操縦くらいできる! 勉強したからな!」
 折原は頷きながら、残りの菓子をすべて飲み込んだ。甘味が思考の助けとなって、折原の脳内にある人物の言葉がよぎった。マジシャン見習いをしている従弟の言葉である。彼は、三十九人いる親戚の一人であった。
 ──隠すから客は注目するんだ。当たり前に置いておけば、誰も気がつかない。
彼の言葉を思い出し、折原はあることに気がついた。
ここは夢で、そして異星だ。地球の常識で考えてはいけない。
地球の常識で考えてはいけない──。
「……うわー……」
 突如、折原ががっくりと項垂れた。コネリが怪訝そうな顔をする。
 彼は頭を抱えながら、ぶつぶつと呟いた。
「僕はなんて馬鹿なんですか……。こんなの、考えるまでもなかったのに……。問題ですら無かったのに……」
「どうした、気味の悪い」
「……兵士をどうにかする方法を思いつきました」
「本当か!」
「いや、正確には……思いついたわけではありません。話していた通り、鎮静ガスを流して気絶させましょう」
「ガス? しかし、実際には難しいかもしれないという話をしたばかりではないか。兵士が気絶するまで、我とオリハラが揃ってガスを吸わないようにする方法が見つかっていない」
「えぇ、でも……」
 折原は恥じるように目線を逸らした。
「……そんなこと、気にする必要ありませんでした。本当に失態です。──さぁ、コネリさん。早速立って準備しましょう」
「む? わ、分かった……」
 釈然としない顔でコネリが立ち上がる。
 折原も立ち上がった。
 コネリが、彼を見上げて首を傾げる。
「……だから、何なのだ。その偉そうな立ち方は? 疲れるだろう」
「すみません。地球人は──あなた方と違って基本的に二足歩行なんですよ」
 と、折原は今一度彼女の姿を眺めた。
 頭に小さな王冠を乗せ、赤いマントを羽織っている。その下からは、背中から生えた四本の触手と、尻尾が覗いている。
 彼女は四肢を床について、長い金髪の隙間から折原を睨んでいた。
 まるで猫のように、美しい毛並みの揃った、その顔で──。

 メイドキューブのクラックによって、すべての独房のドアを開けっ放しにし、そのまま鎮静ガスを垂れ流す。空気より重いそれは、折原のお腹あたりまで充満した。気をつけていれば吸い込むことはない。
 コネリは彼に肩車されていた。彼女の体重が軽くてずっと持ち上げていても苦でないことは、抜け穴から引き抜いたときに確認済であった。
「……そろそろですかね」
 そっと廊下の角から覗くと、出口の横で兵士が二人倒れていた。コネリと同じ星の住人である彼等は、まるで猫が眠りにつくように身体を丸めていた。
 折原はその間をそっと通り抜け、開いた鉄扉に身体を滑り込ませ、地上へと続く階段を昇っていった。
ある程度のところで、「もうよいっ」とコネリが飛び降りた。背が凝ったのか、前脚を揃えて前に出し、ぐーっと身体を伸ばした。
 折原は自身の体たらくぶりをまだ引きずっており、溜息を付いた。
 考えるまでもないことだった。
 彼等が四足歩行であることなど、夢の世界に入った瞬間から目撃していた。だからこそ兵士の足があまりに早くて、すぐに捕まったというのに。
 天井が手の届くほどの高さしかないのも、ドアが這わないと出られないほど低いのも、独房内に机や椅子が無いのも、時計やポスターが腰丈くらいに設置されているのも──すべて彼等が四足歩行だからだ、四足歩行用のデザインなのだ。
 出口の様子を見に行くとき、足音に耳を澄ませて人数を予測した。四人かと思いきや、正解は二人であった。……四足歩行であるため、足音が倍だったのだ。
 菓子だって、餌皿のようなものを床に置かれたのは嫌がらせでもなんでも無い。彼等はそのように床で食べるのが常識であるからだ。
 考えるまでもない。
 折原は、コネリや兵士が四足歩行をしている光景をずっと見ていた。それなのに、頭が回っていなかった。
兵士は折原より身長も体格も恵まれている。だが、四つん這いなら関係ない。二足歩行である折原より顔はずっと低い位置にある。だから、ガスも先に吸い込む。折原は浮かぶことも息を止めることもしなくてよい。ガスの量を調整したなら、後はただ立っていればいいだけである。
 コネリからの提案が無かったのはどうしてか、折原は考えてみた。
 彼女は「その変な歩き方、疲れないのか?」と言っていた。抜き足差し足への指摘かと思ったが、あれは前脚を床から離したまま歩いていることを指していたのだ。彼女たちにとっては「変」で「疲れる」ポーズであるから、発想に無かったのだろう。
だが彼女たちは地球産のアニメを見ていると話していたので、地球人が二足歩行であることは知っていたはずだ。そもそも、それで折原が地球人だと踏んで助けに来たのかもしれない。その上で提案が無かったのは、やはり、折原と同じく失態であった。
「気合を入れ直さないといけませんね」
「うむ、本題はここらだ!」
 折原はぺちんと自身の両頬を打ってから、獣人の王女と機械のメイドと共に、階段を駆け上がった。

 コネリの案内で、宇宙船の格納庫まで迷わず行くことができた。巨大なハンガードアがあり、そのまま発進までできそうだった。
宇宙船は三階建ての一軒家くらい大きかった。
 乗り込む寸前、運悪く兵士に見つかってしまった。警報のようなものが鳴り響いたので、二人と一体は慌てて船内へと飛び込んで、入ってきたハッチを閉めた。
 折原は外の様子に耳を澄ました。格納庫に多数の兵士たちが集まってきているのが分かった。騒ぎ声のなか聞こえてきたのは、
「地球人が王女様をさらう気だ!」
「王女様を人質にして、宇宙船に立て籠もった!」
「早くハッチをこじ開けろ! 王女様を助け出せ!」
 というものだった。
「わはは、勘違いしておる」とコネリが笑った。「我が自分の意思で星を飛び出そうとしていると知ったら、どいつも腰を抜かすぞ」
「……このまま誤解を解かないで出発したら、僕はこの星で大罪人になってしまうのでは
……」
「まぁまぁ、よいではないか」
 何もよくなかったが、折原は黙った。どのみちここは夢だ。
「まずは宇宙船を起動させるぞ、こっちへ来い!」
 たたたっ、とコネリが駆け出す。
 折原が後を追うと、すぐにコックピットのような場所に辿り着いた。
「とりゃ!」と、コネリが操作盤のような箇所へ自身の足を乗せた。すると『ドライバー認証完了』とアナウンスが流れ、唸るような駆動音が響き出した。スイッチやレバーが準備完了とばかりに光り、足元がぶるぶると揺れ始める。
 宇宙船が起動したのだ。コネリは今、指紋認証のようなことをしたのだろう。
 操縦席のシートも四足歩行用になっており、クッションの効いた平均台のようなかたちをしていた。そこへ腹を乗せて、前脚と後ろ脚の計四本を使って操縦するのだ。
 さっそくそこへ座ろうとしたコネリを、折原が止める。
「……待って下さい、コネリさん。その前に見て欲しいものがあります」
「見て欲しいもの? 今は一刻を争うのだが……」
 彼女は怪訝な顔をしたが、折原の真剣な眼差しを見て、しぶしぶ操縦席を後にした。
 彼はある部屋に彼女を案内した。それはコックピットのすぐ後ろにあった。
「──この部屋を見て、なにか思い出しませんか」
「……っ!」
 コネリは目を見開いた。そして、強い頭痛に襲われた。脳の裏側から、何かが這い出てこようとする感覚だった。捨てたはずの何かが戻ってくる。開けたはずの空間に、何かが再生成されていく。
「……わ、我は……!」
 消えたはずの記憶が、コネリの頭で輪郭を強めていく。彼女は頭を抑えて苦しんだ。
 それは奇妙な部屋だった。金属製のベッドが六つあり、どれにも透明なカバーがついていた。まるで半分に切り裂いた巨大なカプセルが並んでいるような光景だった。

 ──〈楽園システム〉

 コネリの脳裏に、そんな名前が浮かんだ。楽園システム……? なんだ、それは。……いや、違う。私はそれを知っている。宇宙船について勉強したなら、知っているはず。このベッドたちの名前は、〈楽園システム〉。そんなもの常識であるはずなのに、知っていたはずなのに、どうして頭から抜け落ちていたのだろう。
「お嬢様、大丈夫ですか。落ち着いて下さい」
「大……丈夫だ……っ。……なぁ、オリハラ。お前は何者だ……? 何を知っている……?」
 記憶が一気に溢れたことで、コネリは激しく混乱し、前後不覚に陥っている。そんな彼女に、折原は膝をついて優しく語りかけた。
「僕が知っているのは……。あなたがこのベッドの一つで寝ていたということです。今では、僕も横に寝ています」
「じゃあ……我は……。〈楽園システム〉を使っているということだな……?」
 彼女は思い出した。少々複雑な、現況を。
楽園システム。
 それは宇宙船に搭載されている──夢を見るための機械。
 自分は今、そこにいる。
 その楽園システムのなかで眠り、今、夢を見ている。そのことを、思い出した。夢を自覚した。
「……ここは、オリハラの言う通り本当に夢の中で……」
「はい」
「……現実世界の我は、楽園システム、つまり宇宙船のなかにいて……」
「はい」
「地球人のオリハラが同じ夢のなかにいるということは……。つまり、我は──」
 コネリは驚愕のあまり震えだした。折原は彼女を落ち着かせようと、肩に手を置いた。
それでも、告げた。
「あなたはもう地球に来ています」

 折原が不時着した宇宙船を見つけたのは、とある砂浜だった。

 彼は〈雨野円〉探しの一環で、生まれ故郷である神奈川県に来ていた。目当ての情報は得ることができたので、あとはぶらぶらと散歩でもしようと海岸沿いを歩いていた。
 五月初旬。初夏の気候はまだ肌寒く、頬に当たる潮風も冷たかった。アウターを持ってくるべきだったと後悔しながら、折原は長袖の上から腕を擦った。
 この市は特段観光名所も何もなく、世間はゴールデンウィークであるというのに閑散とした雰囲気が漂っていた。海辺で遊んでいるのも、地元の子供たちばかりである。
 寂しさを懐かしみながら、折原は一時間近く歩いていた。町からは大分離れていた。
 彼は岩陰の奥に、孤立した砂浜を見つけた。
 サッカーコートほどの広さだった。波は静謐としていて平たい。周囲は黒い岩に囲まれ、そうして縁取られた空や水平線はまるで自分のためだけに描かれた絵画であった。
 折原は美しさに息を吞んだ。ほとんど無意識のまま、砂浜へと入っていった。
 こんな場所あっただろうか? ここを宣伝すれば、市にも沢山の観光客が来るだろう。いや、ここを誰にも教えたくはない。この美しさを犯してはならない。そんな風に考えてしまうほど、彼は感動していた。
 彼は目を瞑ってみた。波打つ音に心を委ね、この楽園を堪能しようと砂浜を彷徨うように歩いた。それは何とも極楽な体験であった。
 ──と。
 突如、硬いものを踏んだ。
「……ん?」
 あまりに急なことだったので、彼は数歩進んでから気がついた。
 足元を見る。柔らかい砂の白ではなく、金属のような黒い質感が視えた。
 振り返る。美しいビーチが長方形に切りとられている。そして、ぷしゅぅ、とハッチは閉まった。
 こうして折原は、偶然にも宇宙船のなかへ乗り込んでしまい、そして閉じ込められてしまった。
 そのことに気がついた彼は、まず自身の間抜けっぷりに頭を抱えて床で悶絶した。
 そして羞恥から回復すると、彼は船内を捜索し始めた。
まさにUFOと呼ぶべき、巨大な楕円形──。
 ビーチを歩いているときはこんなもの視えていなかった。異星の技術力によって透明にカモフラージュされていたり、気がつけないような認識操作があったりしたのだろうか。
当然、初めの内はまさか宇宙船に入ってしまったなぞ思いもしなかった。だが各所で見られる未知の言語、謎の機械、そういったものから折原は徐々に気がついていった。そして確信したのは、ある部屋に入ったときだった。
 六つのカバーつきベッドがずらりと並んだ異様な室内。
 その一つに、見知らぬ生物が眠っていた。
 大きな猫のような見た目をしており、黄色い毛並みが尾まで続いている。小さな王冠とマントを身に着け、背中からは四本の触手が生えている。顔は人間と動物を混ぜ合わせたようで、美しい寝顔のまま動かない。
 胸がゆっくりと上下しており、彼女が生きていることは分かった。
 宇宙人だ。折原はそう理解した。
 この宇宙人が、このUFOに乗ってきて、この砂浜に不時着したのだ。
 折原は『うつろ舟』の話を思い出した。江戸時代の文献に見られるという、日本のUFO伝説の一つだ。大きな釜のような乗り物が砂浜に漂着し、中から未知の言語を話す美女が降りてきたという──。
 彼はもう一度、船内を捜索した。彼女を起こさずともハッチを開けられる手段がないか探した。しかし船内には他に誰もいなかった。コックピットのような場所があったが、どのボタンを押しても反応が無かった。操作盤の端には大きな円形のくぼみがあった。そこになにかを嵌め込むことで認証し、起動させるのだろうか。そのなにかはあ、の宇宙人が持っているのか、あるいはどこかに置いてあるのか……。
 やがて彼は限界を感じて、眠り姫のもとへ戻って来た。
 王様のコスプレをした大きな猫が、カバーのなかで眠っている。起こそうと思ってカバーを叩いたり大きな声を出してみたりするも、無反応であった。カバーを開こうとしても、無理だった。
 六つのベッドは一つの機械へ繋がれていた。これはただのベッドではなく、何らかの機械かもしれない。
 折原は、紙束が床に落ちていることに気がついた。拾い上げ、呼んでみる。異星の言語で書かれているため読むことはできなかった。しかし所々にある写真や図から、このベッドの説明書であることは何となく察せた。
 かろうじて読みとれた内容は、このベッドで眠ると意識が奥の機械へ飛ばされる、ということだった。
 これは──夢を共有する機械だ。
 なら、宇宙人を起こすためには、自分も隣で眠って同じ夢へ入るしかない──?
 勿論、この機械が安全であるかどうか、地球人でも大丈夫なのか、そもそも本当に夢に入るものなのか、分からないことは多かった。
 そして何より気になるのは……。
「……仕方ない。呼ぶか」
 折原は背負っていたリュックを降ろし、なかから筆箱を取り出した。赤い蛍光ペンを手に取ると、低い天井へ手を伸ばして大きな三角形を描いた。
 その真下に立って、一度だけ溜息を挟んでから、三角形の中央を──コンコンとノックした。
 少し間を置いて、軽やかな女性の声がした。

「──はーい、お呼びかなー?」

 ガチャッ、と天井をドアのように繰り抜いて、逆さまの折原が現われた。
 ──彼女の名前は、
「……………………綾子さん」
「いや、自分から呼んどいて嫌な顔しないでよ」
「そんな姿で出てこられたら、嫌に決まってます」
「えー? じゃあ……」
 三角形の向こう側からは、赤い光が漏れ出している。逆さまの折原は上半身をだらりと垂らしながら、自身の胸を叩いた。
 叩く度に、折原の母、折原の父、そして親戚の従姉、伯父、叔母、と姿を変えていく。
「どの姿と喋りたいかな? ストップって言って」
 目まぐるしく変わっていく親戚たちに、折原は吐き気が込み上げてきた。
「…………もういいです、最初ので」
「ははっ」
 パッ、とまた折原の姿になった。楽しそうにニコニコと笑っているのは、まったく折原らしくない。
 折原本人は不愉快そうに顔をしかめながら、「……お久しぶりです」と言った。
「久しぶりだね。それで、何の用かな? 今日も忙しいから、用件はパパッと短めに頼むよ」
「あなたの呪いのせいで、僕はまた儀式に巻き込まれたのですが──」
「いいね」
「多分、夢の中に入らないと脱出できない気がするんですよね」
「いやいや、しなくていいんだぜ。もう諦めなよ」
「夢のなかでキスしてしまったら、それでも儀式が成されてしまうのでしょうか? それをお聞きしたくて」
「あぁ、するよ」
 あっけらかんと言われたので、折原は苛立った。
「だから夢のなかに入るのは危険だよ。……あ、でも、そうしないと彼女を起こせないか。このまま宇宙船のなかで飢え死にしたくなかったら、早く入らないといけないね」
「……分かりました。もう帰ってください、綾子さん」
「またねー」
 逆さまの折原は手を振りながら、三角形の奥へ身体をずるずると戻していく。
 ──バタン、と天井が閉まった。後は何事も無かったかのように元通りとなった。薄暗い天井に、ただの三角形が描かれている。
 折原は彼女と喋ったことで精神が削られて、その場にしゃがみこんだ。本当に、人の神経を逆なでするような神様であった。
 今回の儀式の相手は宇宙人。フィールドは宇宙船かつ夢のなか。情報過多で、複雑だ。
 儀式もとうとうここまで来たか……。
 恐ろしい。
 だが、やるしかない。
 彼は覚悟を決めて立ち上がった。
 雨野円にまた一歩近づけたところなのだ。今回も、絶対に、脱出しなくては。

 夢の中では、異星人であるコネリと言葉が通じた。独房の張り紙も読むことができた。
 ならば、あの床に落ちていた説明書も読むことができるはず。そこには必ず、覚醒させる方法も書いてあるだろう。折原はそう考えて、宇宙船を目指したのだ。
 そしてその考えは合っていた。
「……〈楽園システム〉……」
 彼は表紙を見て呟いた。時間が無いので全体を流し読みして、要点をかいつまんでいく。分からないところはコネリに訊くのが良いだろう。
 簡単にまとめると、こうだった。

・〈楽園システム〉とは、皆で同じ夢を見ることができる装置。

・夢の内容には、夢の主(ホスト)の記憶と無意識が反映される。
 しかし、主だからと夢の内容を好きに改変していくことはできない。「こんなことはあり得ない」という無意識が働くからだ。よって、基本的には現実的な夢を見ることになる。

・夢での姿は、入眠した瞬間の姿がカバーにスキャンされて反映される。

・目覚めるには〈覚醒符号〉と呼ばれる行為が必要となる。夢に入る前に自分独自の〈覚醒符号〉を設定しておき、夢のなかでそれを行うことで、いつでも起きることができる。
 うっかり行ってしまわぬよう、覚醒符号に関連するものは〝見て見ぬ振り〟をするよう認識調整がされる。
 設定せずに入眠したときは、「赤くて丸いものに噛みつく」という行為が自動設定される。

・楽園システムは、主に宇宙船に搭載されている。
 理由は、長い航海のなかで心を病まないため。また、万が一のことがあっても幸せなまま逝くため。

・万が一の場合に備えて、楽園システムには非常事態モードがある。非常事態を検知すると、楽園システムに入眠するまでの経緯、そして〈覚醒符号〉となる行為、この二つの記憶が消去される。
 これにより、夢の中の者はここが夢であることを忘れて、幸せなまま死ぬことができる。

「…………なるほど」
 多少時間がかかったが、折原はなんとか飲み込むことができた。
 彼の手はいつの間にか汗ばんでおり、紙が張り付いていた。まさか、ここまで恐ろしい代物であるとは思っていなかった。
 記憶を消去するなんて。
「お嬢様……」
 メイドキューブの不安そうな声が聞こえる。
 折原が振り返ると、コネリが部屋の隅で蹲っていた。彼が説明書を読み始めるときと、まったく同じ体勢であった。
「……我は……なんて愚かなのだ……」
「そんなことはありません」
 口の悪い従者も、今ばかりは暴言など吐かず主人を慰めるのに徹している。
「お嬢様は家出を成功させたということではありませんか」
「……夢の中でも、お前は言って欲しいことを言ってくれるのだな」コネリは自虐的に笑った。「……成功なものか。墜落し、今の今まで夢の中にいただなんて……。一体いつからこうしているのだろう? 我はどれほどの時間を無駄にしてしまったのだろう? 地球に着いて、目覚めたら……母上にちゃんと連絡するつもりであった。しかし、それもできていない。どれだけ心配をかけてしまったのか……」
「……」
「……家出なぞ、すべきではなかった……」
「お嬢様。どうか、お気を確かに……」
 折原はかける言葉が見つからず、取りあえず楽園システムの部屋を後にした。メイドキューブが傍にいるなら大丈夫だろう。
 目指すは食糧庫。既に探索した船内なので、場所は分かっていた。
 冷凍庫のなかに、林檎によく似た、しかしそれにしては柔らかい果実が何個かあった。彼女が家出用に事前に準備していたものだろうか。
 折原は二つ手に取った。そして楽園システムの部屋に戻るも、彼女の姿が無かった。通路をうろうろしていると、メイドキューブが飛んできて「こちらです」と案内してくれた。
 狭い倉庫を開けると、その奥で隠れるように身を小さくしていた。
「探しましたよ、コネリさん。何をしているんですか」
「……我なんかには、こういうところがお似合いなのだ……」
 彼女はまだショックから立ち直れていなかった。
 折原は近寄って、膝をついた。
「あの、これって食べられますか? 赤くて丸いので、覚醒符号に使えると思って」
 コネリが顔を上げる。生気のない目で果実を見ると、「……食べられるぞ」ボソッと言った。かつての自信たっぷりな態度は、すっかり消え失せていた。
「コネリさんの覚醒符号は何ですか?」
「……設定していない」
 つまり、「赤くて丸いものに噛みつく」という行為だ。
「では、一つ差し上げます。これを使って一緒に覚醒しましょう」
「…………我はいい」コネリは首を振った。「我は、このまま残る」
「どうしてですか」
「…………怖い」ぎゅ、とコネリが自分を抱く。「怖いのだ……。なぁ、オリハラ。一つ頼みがある。恐らく、我の寝ている近くに電源の落ちたメイドキューブがある。それを起動してくれぬか──」
 彼女は勢いのない口調で、淡々とメイドキューブの起動方法を伝えた。六面を特定のリズムと回数で叩くと起動するらしい。
「そして、母星への連絡を命じてくれ……。そうすれば、そのうち母上たちが迎えに来るだろう……。次に目覚めたとき、我はいつもの城のなかだ……」
 コネリは折原を見上げ、すべてを諦めたように微笑んだ。
 折原は少し躊躇いながら、質問した。
「メイドキューブがいれば、宇宙船のハッチも開きますか?」
「……あぁ」
 ならば、これで一件落着だった。
 この果実を齧って目覚め、メイドキューブを起動しドアを開けてもらう。コネリは眠ったままだから、キスされることもない。
 万事解決した。儀式はもう終了したようなものだ。
「……」
 安堵すべきはずなのに、折原はどこか腑に落ちない。
 これでいいのか?
折原のなかに、小さな葛藤の芽が開いた。
──そのとき。
 激しい轟音と共に、宇宙船全体が大きく揺れた。
「きゃあああっ!」
 驚いたコネリが悲鳴を上げる。折原もバランスを崩し、彼女へ覆い被さってしまう。彼の顔が、彼女の顔へと落ちていく。上向きだったコネリの顔へ近づいていく。重力に従って、唇と唇が肉薄し──。
「……ふんっ!」
 間一髪のところで、折原は両手を床についた。二人の鼻先があと数ミリのところで向き合っている。
「お、オリハラ……」
 コネリは驚いた顔のまま、みるみる頬を赤くしていく。
「……きゅ、急に何だ……。そういうことをするには、まだ時間が早いのではないか……? というか、傷心しているところに付け込むなど、少々下品ではないか……」
 言いながら、しかし最初のときのように尻尾で振り払うことはしない。むしろ、嬉しそうにぶんぶんと揺れていた。
 そのリアクションの差に、折原は夢の中だろうと儀式の効果が出ていることを思い知った。
 メイドキューブがここぞとばかりに口を挟んでくる。
「何を破廉恥なこと仰っているのですが、マセガキお嬢様」
「誰がマセガキだ! 茶々を入れるでない!」
「お顔が真っ赤で御座いますよ」
「うるさいうるさい! 言わなくていい!」
 コネリが顔を隠して悶えだす。
 いつもの絡みをしたことで、少しは元気が戻ったように見えた。折原はほっと嬉しい気持ちになった。
 だが、すぐに奈落へと突き落とされることとなった。
 ──べちゃあ。
「「……あ」」
 折原とコネリの声が重なった。床に手をつく際、彼は持っていた果実を思い切り潰してしまっていたのだ。
 不幸中の幸いか、それは左手のみの話であった。右手に持っていたもう一つの果実は、直前に放ることができて、コネリの頭の近くをころころと転がっていた。
 残った一つをそっと持ち上げながら、折原は立ち上がる。
「……コネリさん。あの、尻尾が」
 折原の足首に、彼女の尻尾がくるりと巻き付いていた。
「あっ!? す、すまぬ……。何でもない……っ」
 コネリはビョンと飛び上り、すぐに尻尾を引っ込めた。照れ隠しのように顔をしきりに撫で始める。
 ──どぉん、と少し離れた場所から音がした。床に振動が走る。
「……今の音は?」
 折原が耳を澄ませる。だが、その必要は無かった。
「探せーっ!」
「早くお助けしろーっ!」
 宇宙船のなかへ無数の声が雪崩れ込んできた。兵士たちがハッチを破って突入してきたのだ。今の衝撃はそれだった。
 折原はすぐさま倉庫のドアを閉めた。コネリが横から脚を伸ばし、ノブの横にあるパネルへ足裏を押し付ける。ピピッ、と電子音が鳴り、ドアの鍵は閉められた。
 その直後、すぐ外にある通路を走り抜けていく気配がした。「どこだ!」「いたか!?」「食糧庫にはいないぞ!」という声が、部屋の前を行ったり来たりしている。
 もし捕えられたら、また牢屋からやり直しだろう。絶対に見つかってはならない。
 そして、鍵をかけたからといって安心はできない。その内、探していない部屋はここだけになる。そうすれば、ハッチを破ったようにこの扉も破られる。
「は──早くそれを食え!」
 コネリが慌てて叫んだ。
「捕まっては面倒だ、早く!」
「いえ、一緒に食べましょう。同時に噛めば一つでもいいのでは?」
「駄目です」とメイドキューブが答える「他人の噛んだものは〝丸い〟と認識されなかった事例が多く御座います」
「大体、我は夢から覚めたくないと言っているだろう! それはお前が使え!」
「本当に……。本当に、それでいいのですか? せっかく家出したのに、城に戻されてもいいんですか?」
「何を気にしておるのだ! こんな……。こんな、遠い星の、宇宙人の、我のことなんて、気にするでない!」
 ──遠い星の宇宙人。
 そう言えばそうだった、と折原は状況に似合わず笑った。彼女と共に行動している内に、そんな認識はすっかり薄れていた。まるで、クラスメイトか、部活の友人か、そんな風に近い存在のような気がしていた。
「母星への連絡だけ頼むぞ。……我は未熟だったのだ。もう城へ帰ったほうが良いのだ」
「……」
「また会えるなら、また会おう。……寂しいときはお前を思い出すよ、オリハラ」
 別れの言葉を受け取らず、折原は考える。
 宇宙船内は兵士で溢れ、外には出られない。
 食糧庫にも行けないので、残る果実はこれ一つ。同時に噛むのが無理なら、夢から覚めることができるのも──一人。
 そして目の前の王女様は、家出を後悔しこのまま残ると言っている。
 何を悩むことがある?
 万事解決した。儀式はもう終了したようなものだ。
 このまま果実を齧って、自分だけ外へ出るべきだ──。
葛藤する折原の脳内に、ある人物の言葉がよぎった。小説家をしている叔母の言葉である。彼女は、三十九人いる親戚の一人であった。
 ──この世に無関係なことなんてない。
「……この世に無関係なことなんてない、か……」
 折原は想像を巡らせた。遠い星で独りぼっちだった王女様の気持ちを。友達のいない城では遊び相手もおらず、どんなに寂しい思いをしていたのだろう。アニメで海を見れば、なぜ繋がっているような気分になれたのだろう。家出を決意するまでに、どれほど葛藤し苦しんだのだろう……。
 折原は、口元へと寄せたその果実を、そっと降ろした。
 そして最後にもう一度だけ逡巡し、口を開いた。
「──確かに、コネリさんの家出は軽率でした。外界を知りたいなら、もっと適切な方法があったはずでず」
「……ふんっ。最後の最後に説教とはな」
「でも……。世界を知ろうとしたその気持ちは、その覚悟は、報われるべきだ」
 彼は再び膝をついて、彼女に目を合わせた。
 なにが万事解決だ。そんなものは嘘っぱちだ。
 彼は決心した。それは、大きなリスクを取る決心だった。
「──あなたに海を見て欲しい」
 コネリはぽかんとした顔で、折原の声を聞いていた。
 やがて言葉の意味を理解すると共に、その顔は込み上げた歓喜でくしゃりと歪んだ。
「城へ帰るのは、その後にしましょう」
「…………──うむ!」

「あとはここだけだ」「鍵が閉まってるぞ」「王女様ーっ! なかにいらっしゃるのですかー?」「おい地球人、早くドアを開けろ!」
 倉庫のドアが激しく鳴らされる。兵士たちが密集し、頭突きでもしているのだろう。
 この空間には他に出入口が無く、換気ダクトはコネリすら入れないほど狭かった。
 よって、脱出するには覚醒するしかない。覚醒符号の自動設定は「赤くて丸いもの」を噛むこと。つまりこの果実を噛むしかないが──もう一つしか残っていない。
 だが折原は、彼女と共に目覚めると決めた。
 ──考えろ。なにか方法があるはずだ。
 二人で覚醒する方法が……。
「……赤くて丸いものは、別に食べ物じゃなくてもいいはずですよね」
「そうだ。いざとなったら他のもので代用できるよう、アバウトな設定になっているのだ」
「じゃあ、倉庫になにかあるかもしれません。探しましょう」
 二人は早速捜索を始めた。
「赤いもの……。丸いもの……」折原は連想を働かせる。「だるま……国旗……サイコロの1……ビリヤードの3番……」
 だが、どれもこの倉庫内にあるとは思えなかった。宇宙船の修理機材や掃除用具、または茶色くて細長い保存食ばかりが出てきた。
「むぎぃーっ! 全然無いではないか! これではアバウトになっている意味がない!」
 その通りだ、と折原は不思議に思う。
 普段は無意識に見て見ぬ振りをしているが、意識すれば気がつける。それが覚醒符号だと説明書に書いてあった。今ははっきりと意識しているので、見つかるはずなのだ。
 しかし、見当たらない。
 赤くて丸いものなんて、探してみると全然ない。なら、どうしてこれが自動設定になっているのだろう? 意識さえすればすぐに覚醒できる設定でなければ、不便ではないか。
 もしこのまま見つからなければ、刃物で肌を丸く切り取り、血で赤くなったところへ噛みつく……という猟奇的なアイデアを実行すべきだろうか。いや、「丸く」なんて多分無理だ。激痛で手元がブレるし、切れ味の良い刃物が必要だ。そもそも、この幼い王女様にそんなシーンは見せられない。
 ──と。
 カチャリ。
とうとう鍵の開く音がした。
「「……!」」
 兵士たちがマスターキーか何かを持ってきたのだ。折原もコネリも、捜索のため這いつくばっていた。今からドアへ飛びつき、回されそうになっているノブを掴むことはできない。
「っ、──メイド!」
 コネリの叫びに応じて、メイドキューブが飛んでいく。アームを展開すると、間一髪でノブを掴んだ。
 そして認証パネルへコードを突き刺すと、再度施錠した。
「あ、閉じられたぞ!」「仕方ない、やはり突き破るしかない」
 そんな兵士の声が聞こえてから、ドアが一層と激しく打たれ始める。みしっ、みしっ、と耐久力の削られていく音が聞こえた。時間の問題だろう。
「やめよ! やめよ!」
 コネリがドアの向こうへ叫ぶ。
「我は無事だ! ドアを破ることはない! 全員戻れ!」
 しかし兵士たちは突進を止めなかった。どんっ、どんっ、とまるでカウントダウンを刻むかのように断続的に音が響く。
「なんなのだ、もう……。なぜ、我の言うことを聞かぬ……!」
 王女様は苛立ちながら捜索に戻った。だがもう、倉庫内のものはあらかたひっくり返していた。それでも目当ての「赤くて丸いもの」は出てこない。
「コネリさん。自動設定について、なにかちょっとでも思い出せませんか」
 楽園システムの非常事態モードによって彼女の記憶は消された。覚醒符号にまつわる記憶で、まだなにか思い出していないことがあるかもしれない。
 彼女は下唇を噛みながら、自分の尻尾を追うようにぐるぐると倉庫内を回り出した。
「むむむ……! 我が思い出せれば、思い出せれば……! このッ、未熟者……! 未熟者ぉ!」
 コネリが自分の頭を触手でぽかぽかと叩きだしたので、折原は慌てて掴んで止めた。
「ちょっ、何してるんですかコネリさん!」
「我はなんて駄目なのだ──うわぁっ!?」
 コネリが転がっていたドライバーを踏みつけ、転んでしまった。折原も巻き込まれ、そのまま二人は床へと倒れ込んでしまう。
 つい先程も見たような光景だった。
 但し、今回はコネリが折原に乗っかっていた。彼女はすぐにどかず、至近距離でじっと折原を見つめた。
「……コネリさん?」
「……我と違って、オリハラは賢いな……」
「あ、ありがとうございます」
「無関係なことなんてないと言ってくれて、嬉しかったぞ。……一人で地球のアニメを見ていたときの、あの繋がっているような感覚……。それが報われた」
 彼女がとろんとした目つきになった。
 折原は焦り、声を大きくする。
「コネリさん! こんなことしてる場合じゃないですよ!」
「良いではないか……」
 だが彼女は酔ったような雰囲気で、赤らめた顔を近づけてきた。
 キス──しようとしていた。
「正気に戻ってください、コネリさん! …………マセガキのコネリさん!」
「誰がマセガキだぁ! ……はっ!」
 折原がメイドキューブの暴言を真似すると、反射的にツッコミが入った。それにより、彼女は我に返ることができた。
「わ、我はどうしたというのだ……?」
 コネリがバッと身体を起こして狼狽える。そんな彼女の様子に、折原は強い危機感を抱いた。
 儀式による好感度がもう閾値を超えている。
 今すぐ、今すぐ脱出しなければ。そんな折原の焦燥に応えるよう、あるいは引導を渡すよう、ついにドアが壊された。これで儀式は終了──ではない。ここは夢であり、現実で眠る折原とコネリは宇宙船という密室のなかでまだ二人切りである。
 メイドキューブが弾き飛ばされる。コネリが短い悲鳴を上げる。折原はメイドキューブをキャッチして、身構えた。
 兵士たちの突入までに、二人は覚醒することができなかった。
 ──だが。
 ドアが蹴破られたその瞬間、ようやく、折原は気がついた。
 二人で覚醒する方法が、分かった。
「地球人。大人しく王女様をこちらへ引き渡せ」
 重々しく告げる兵士を無視して、折原はコネリの方を向いた。
「コネリさん、分かりましたよ。覚醒符号がどうして〝赤くて丸いもの〟なんて設定になっているのか、分かりました。……ここは地球じゃないですからね。常識を捨てないといけないのは、ガスのときに分かっていたはずなのに──」
 折原が喋っている背後で、しゅる、しゅる、しゅるしゅる──と音がした。
「……コネリさん?」
 彼女の背中から生えた触手が、折原の身体へと巻き付いた。
 そして、
「…………えいっ!」
 彼に思い切り飛びついた。どよめく兵士たちの前で、折原が押し倒される。メイドキューブが左手から離れ、ころんと床へ転がった。
「……どうやらここまでのようだな、オリハラ?」
「え? いや、違います! 話聞いてました? 覚醒する方法が分かったんです!」
「我を励ますために言ってくれているのだろう? ……もうよいのだ。やはり、オリハラだけが目覚めよ。少しでも夢が見れて嬉しかったぞ」
「いや、あの──」
「その代わり……。最後の思い出に、接吻させよ」
 兵士たちから悲鳴が上がった。絶対にするな、許さん、俺たちの王女様を、とヤジが飛んでくる。
 当のコネリは意にも介さず、「ほら……ここに……」と目を閉じて口を尖らせた。
折原は首を振った。
「──違います」
「違う?」
「地球の接吻は、違います。口は閉じないで、開けて下さい」
「むむ……。随分、破廉恥なのだな。地球人は……」
 彼女は照れながら、んぁっ、と口を大きく開けた。
 折原は──そこへ果実を突っ込んで食わせた。
「もがぁっ!? ふぁ、ふぁふぁしふぁなぁ!!(だ、だましたなぁ!!)」
 驚いた声と共に、コネリが果実を吐き捨てる。そこにはしっかりと歯形ついており、顎の力でひしゃげてもいた。
 噛んだのだ。
 彼女は、赤くて丸いものへと噛みついた。
 覚醒符号が成されたので──彼女は裏切られたような表情のまま、静かに姿を消した。
「なっ……王女様が消えたぞ!」
「お前王女様をどうした!」
 兵士たちが騒ぎ出し、辺りをきょろきょろと見回す。
 そして残された折原へ武器を構えた。その切っ先が彼を囲む。
「……とにかく来てもらうぞ。今度はその身体を完全に拘束してから、牢屋に入れてやる」
「それは嫌ですね。全力で抵抗します」
 折原は挑発するように肩をすくめた。
 その態度が気に食わなかったのか、先頭にいた兵士はすぐさま毛を逆立てて、「確保ーっ!」と叫んだ。
 四足歩行の宇宙人たちが、飛び上がって彼に群がった。
 折原は屈んだ。できるだけ身を小さくした。成功率を上げるためだった。
 彼等と同じように四つん這いとなり、獣の体勢で口を開いた。
 そして飛び込んでくる兵士の、その前脚の、裏側についた──赤い肉球に噛みついた。

 赤くて丸いもの。
 普段は無意識に見て見ぬ振りができるが、意識さえすれば気がつけて、いつでも噛むことができるもの。
 だけど探してみればまったく見当たらない。
 倉庫にものが少なかったからか? 儀式による効果で、偶然近くになかっただけか? それも理由の一つではあるだろう。しかし、もっと大きな理由があることに折原は気がついた。
 自分が地球人だから。
 彼は赤くて丸いものを持っていなかったのだ。何故なら、地球人は二足歩行で──身体に肉球など無いのだから。いつでも噛むことができる想定なのは、それがアイテムではなく身体の一部だから。
 兵士やコネリの足音が極端に小さかったのは、消音効果のある肉球で床を踏んでいたから。
 何より、折原はそのかたちを既に目撃していた。現実世界の宇宙船では、操縦席に認証パネルのようなものがあった。そこには大きな円形のくぼみがあった。そして夢のなかで宇宙船に乗り込んだとき、コネリはそこに足裏を乗せることで、宇宙船を起動させた。丸い肉球を、まるで指紋認証のようにして──。

 折原は目覚めた。
 すると、彼を覆っていた透明なカバーが自然と開いた。
 隣のベッドにはコネリがいた。彼女はなんとか立ち上がろうとして、足に力が入っていなかった。かなり長い間眠ったままだったのだろう。声もうまく出せておらず、口からは空気の擦れる音だけが聞こえていた。この様子では、力付くでキスをしにくることもできまい。
 メイドキューブは足元に転がっていた。浮遊も会話もしなければただの立方体にしか視えない。だが黒く汚れたホワイトブリムを付けたままだったので、気がつくことができた。
 コネリから教わった方法で起動する。
 読み込みに時間はかかったが、無事に機械仕掛けの従者は目覚めることができた。
「──お嬢様。ご無事ですか」
 コネリは弱々しく頷いた。
「……わたくしが着いていながら、なんとも不甲斐ないばかりで御座います……。すぐに母星へ連絡致します」
 そう言ったきり、メイドキューブは宙に止まって動かなくなった。通信には時間がかかるのかもしれない。
 折原はコネリを背負って、宇宙船のハッチへと向かった。ドアの横にある認証パネルにコネリの足裏を合わせたら、すぐに開いた。これで、儀式は終了した。
 ごうっ、と潮風が吹いてくる。コネリが怯えて、首に抱く力を強めた。
 折原はゆっくりと砂浜へ出て、波打ち際まで近づいた。
見上げれば、飛行機雲が一筋描かれた青天。目の前には、太陽の輝きを反射した青い星空のような海。そして身体を通り抜ける風の涼しさ。潮の香り。寄せては返す波のさざめき……。
「綺麗ですね」
 折原は呟いた。
 遠い星の王女様は、彼に頬ずりをした。その毛並みは少し濡れていた。


第三話 夢の城からの脱出 終



【エピローグ・3(あるいは、なにもない世界からの脱出)】

「宇宙人っているんだね」
 雨野は丸眼鏡の向こうで目を丸くしていた。
「しかも、夢を見る装置まで……。なんか情報量多くてくらくらする」
「確かに、〈楽園システム〉についてはちょっと覚えることが多かったな」
 折原は『脱出記録』をぺらぺらとめくり、該当のページを開いた。そこには、あの宇宙船のことや、コネリのプロフィール、そして〈楽園システム〉の説明書に書いてあった内容などが記されている。
「夢の内容には記憶と無意識が反映されるので、現実的な内容となる。夢での姿は眠りについた瞬間の姿が反映される。〈覚醒符号〉と呼ばれる行動を取れば目覚めることができる。覚醒符号を設定していないときは、赤くて丸いものに噛みつくという行動が自動で設定される──」
「わー、頭痛くなってきそう。私だったらテンパって覚えらんないな。凄いね君」
 雨野は頭痛を起こしたようにこめかみを押さえた。
折原は微笑んで、ファイルを閉じた。
「赤くて丸いものに噛みつく──か。最後は、それが見つからなくて苦労したんだよね」
「はい。果実がなんやかんや一つだけになってしまって」
「あのさ、一旦夢から出るって手もあったんじゃない?」
 彼女の言葉に、折原がきょとんとする。
「……夢から出る?」
「そうそう。君が果実を食べちゃって、とりあえず夢から覚めるじゃん? それで、どこかから赤くて丸いものを探してきて、それ持ったままもう一回寝れば──その姿がスキャンされて反映されるんだから、それを所持した状態で夢の世界に再登場できたんじゃない?」
 確かに、と折原は膝を打った。あのときは気が付かなかった方法だ。
 彼はなんだか負けたような気分になった。
「……なかなか鋭いこと言うね」
「へへ、私もやるでしょ」
気を良くした雨野は、ぐいっとカクテルを飲み干した。とん、とコースターの上に空のグラスを置く。
「……ま、でも。君なら思いついてもやらなそう」
「そう?」
「だって、その状況で、王女ちゃんのことその場に置いていける? 理屈では平気でも、心では抵抗あるんじゃない」
 それもまた、確かに、と折原は頷いた。そして雨野に惚れ直した。彼女はやはり聡明であるし、自分の心を見透かしたように話してくる。その油断のならなさが、とても魅力的であった。
「王女ちゃんはその後どうしてるの?」
「人間の姿に化けるスーツみたいなのを着て、同じ高校に通ってるよ」
「マジか。偉いなぁ。……あ、なんか飲む?」
 雨野が「すみませーん」と店員に手を振った。「少々お待ち下さい」と言われて、腕を机に戻す。
「……それで、次の脱出は?」
「うーん」折原は何を話すのかを考えた。時系列順に行くと、新しいものが一つある。内容的にも、雨野の期待を満足させるものであるだろう。「──実は一度、キスを防げなかったことがあってね──」


 第四話へつづく

【第三話】夢の城からの脱出

【第三話】夢の城からの脱出

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更新日
登録日
2026-07-09

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