ペリドット

その事に気がついたのは、日曜の昼だった。
昼といっても、夜更かしがたたって今まで寝ていたんだから、私にとっては朝である。
ひなたぼっこがてらトーストをかじり、庭をぼんやり眺めていたりすると、普段は気にもとめない様な事に気が付くものだ。
我が家の小さな花壇には、少しづつ春の花の芽が出始めて、賑やかな様相を呈してきている。
水仙、蔓薔薇、アイリス、石楠花…母が気の向くままに植えたので、咲く時期もバラバラになってしまってあまりパッとしない花壇ではあるが、それでも初夏まで花が楽しめる。
それを楽しむのはもっぱら人間様で…我が家の飼い猫のマルにはあんまり関係しないらしい。
日当たりが良いのだろう、器用に芽を避けて花壇のど真ん中で丸まって昼寝中だ。
…気持ち良さそうだこと。私も、も一回寝ようかな。
よいこらしょ、と立ち上がりかけた時、マルもあくびをひとつして歩き始めた。
「お、どこへ行く」
私一人が二度寝では様にならんではないか。
するとマルは、花壇の隅に置かれた植木鉢の前に座って、一声「にゃーん」。
はて、あの植木鉢には何が植えてあったのかな。何の芽も出てないみたいだけど。
マルは座ったきり動かない。あの植木鉢に、何かいるのかな。
「おい、何がいるんだよ」
近づいてみると、その植木鉢には土が入っているがカラカラに干からびていた。
が、猫の好きそうな生き物がいる様子は無い。見るとマルがこちらを振り向いて、何か言いたげにペリドットの眼で見つめている。
「…何よ」
「にゃあーん」
気のせいだろうか、何か責められているような。
「どうしろっての」
「にゃ」
うーん、この状態の植木鉢にする事って言えば…。
「水でもやれと?」
「にゃあーん」
これは、肯定とっていいのだろうか…。
「分かったよ、あとで花壇にやるついでにやっとくから」
言って戻ろうとすると、足元をするりと抜けて通せんぼする様に座った。
「ぅにゃ」
…どうやら、今すぐやれって事らしい。
「わぁったよ」
台所に戻って、ちょっと行儀悪いがやかんに汲んでたっぷりと注ぐ。すると、存外するりと染み込んでいった。
「どうだマル。気が済んだか」
マルは植木鉢をじっと見詰めて、もう一声「にゃーん」と言って去ってしまった。
後には呆然とした私が一人。
「猫と会話しちったい」


こんな事があったもんだから、この植木鉢の事が何だか妙に気になって、見るにつけ水をやる羽目になってしまったのだが、当のマルはそれきり関心をなくしてしまったかの様だった。
と、思っていたのだが…。
「ねぇマルがさ、この頃庭で座り込んで何してるのかと思ったら」
夕食時、切り出したのは玉葱を刻む姉だった。
「ん?マルがどうしたの」
ジャガイモを剥きながら母は、少しだけ上の空だ。
それを気にも留めず、姉は続ける。
「あの隅っこにある植木鉢、なにが植えてあるのか知らないけど…あれの前に座ってんの」
「え?マル、まだアレにご執心な訳」
いきなり会話に割って入った私を、二人はいっぺんに振り返った。私のひき肉を炒める手が止まる。
「あ、いや、先週の日曜さ、あいつが例の植木鉢の前に座り込んでいたから覗いてみたんだけど、まぁ何も無かった訳だけど…どうもあいつが水をやれって言っている様な気がして」
「水をやったの?猫に言われて?」
姉は信じられないという顔。
「うん、マルが」
母がくすりと笑った。
「あんた、昔から動物と話してたもんね」
「また、人を変人みたいに」
「だってあんただけでしょ、マルと話できんの」
姉まで尻馬に乗ってからかってくる。
「…もう」

夕食後、気になって庭を眺めたら案の定、マルの背中が見えた。あの植木鉢の前だ。
マルの横にしゃがんでも、彼女はビクともしない。
じっと、鉢を見詰めている。朝、私が水をやったからまだ少し湿っているようだ。
「なぁ、マルさんよ。あなた一体この鉢の何がそんなに気になる訳」
問うてみても、答えはない。ただ一言。
「にゃーん」
そのまま、ぷいと何処かへ歩み去ってしまった。
ふと、既視感を覚えた。こんな事、何処かであった様な。あのマルの顔、何処かで見た様な…。



翌朝、すっかり習慣づいた水遣りをしようと庭に出ると、既にマルの背中が定位置にあった。
「おい、マル。早いじゃないの」
ジョウロを手に近づくと、不意に彼女は振り向いた。
「にゃあん」
と言って、さっさと何処かへ行ってしまう。
「何なんだ、あいつは」
唖然として見送った後、ふと鉢を覗くとそこに、思いがけないものを見た。
「これ…チューリップかなぁ」
小さな緑色の突起は、まっしぐらに天を目指していた。少し誇らしげに。
「偶然、じゃないよね」
その時、思い出した。マルのあの顔、あれは私が落ち込んだ時にする顔だ。
マルは、普段恐ろしくそっけない奴なのだが不思議な事に、落ち込んだり、悲しかったり、寂しかったりすると、いつの間にか傍に来てあの顔でじっと見詰めるのだ。
まさか、忘れられていた球根の寂しさに気付いた…とか?
ありえない、と言い切れないのが猫のこわい所。もとい、良い所。
このまま枯らせてしまおうものなら、彼女に恨まれかねないな。
私は鉢を日のよく当たる場所に移して、水をやった。きっとマルはもうこの鉢には眼もくれないだろう。
私が立ち直ると、何事も無かったかの様に無愛想猫に戻って、どんなに呼んでもかまってくれないのだから。

しばらくして、真っ赤なチューリップが咲いても、彼女は見向きもしないのだった。

ペリドット

ペリドット

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-06

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