網傘茸とお風呂
宿についた。松本で仕事を終わらせ、すぐに都内のマンションにもどることもできたが、五月の連休が明日からはじまる。中央線沿いの宿を三泊ほど予約した。妻の雪子が一日遅れてくることになっている。
ホテル「峰越」の車が駅で待っていた。宿までは車で三十分、着くと竹林や雑木林に囲まれたとても静寂なところで、築百年はたっている三階建ての落ち着いた木造の建物だった。地元では名の知れた宿のようである。
玄関からあがると黒光りした床が広がり、番頭さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、お客様は三階の曙茸でございます」
と荷物を持とうとしたので、大丈夫と自分でもったまま、番頭さんのあとをついていった。
エレベーターで三階に行く。廊下の両側に部屋がある。曙茸は南側の角、隣の部屋は香茸だった。
部屋に入って、風呂は別棟になっていることの説明をうけた。
「ここは眺めがいい部屋です」
確かに山の淡い緑が眼を打つ。このあたりはまだ春の盛りだ。
「部屋の名前が茸なんですね」
「ええ、茸の料理が得意なんですよ、今の時期は山菜料理がいいですから、夕食はいろいろ用意いたします、今年の春はじめてなんですけど、うちの竹薮に絹笠茸がはえまして、お客様みなさんに出すほどはとれませんけど、きれいですよ、今日もまだ生えてます、風呂の別棟に行く途中に竹薮がありますけど、そこにはえています、ごらんになれますよ」
「長野は茸の有名なところだから」
そういうと、番頭は、
「いえ、ここは長野の境で、山梨県になります、うちの宿の名前、峰越は「さくらしめじ」という茸の、このあたりの方言なんです」、そう言って、
部屋にはいってすぐの壁にかかっている額を指差した。写真は薄紫かかった、丸みのある笠の茸が写っていた。
峰越(さくらしめじ)と書かれている。
その隣にかかっている写真が「あけぼの茸」で、宿屋の雑木林の中にはえたものだと教えてくれた。紫色のとてもきれいな茸だ。ただ食べられるか分からないということだった。
「ごゆっくりおすごしください、お風呂に行くところの渡り廊下の脇から木の中を見てください、絹笠茸がはえてます、一日でしおれてしまいますから、是非ご覧ください、風呂はまだ早いので誰も入っていないと思いますよ、ゆっくりできます、お勧めです」
番頭は茶の用意をすると部屋をでていった。
絹笠茸に関しては思い出がある。
1999年のことだからずい分昔になる。若い頃のこと、香港に仕事に行った時、干した絹笠茸をみつけた。絹傘茸というのは中華料理で有名な食材で、名を知っていたのだがまだ食べたことはなかった。生えているときはレースをかむったような、とてもきれいな茸であることも知っていた。
香港で売っていることを知っていたので、見かけたら買おうと思っていた。
街の中をぶらついていて、裏通りに入ったところで、一軒の店の中に、干した絹笠茸が山盛りにおいてありるのが見えた。天秤がそばにおかれている。
絹笠茸を卸している店だろう。そう思ってのぞいたら奥に人がいる。奥の人が入口に向かってきた。どうしようか迷ったが、なれない英語で売ってもらえるのか聞いた。だめだろうと思っていたら、売るよと言う答が返ってきて、どのくらい、と聞くので戸惑っていると、土産かいというので、そうだと言った。
それじゃ、このくらいかと秤に載せてくれたので頷いたら、手際よく包装してくれた。二袋買ったが、一袋50と90香港ドルだった。香港ドルはそのころ十五円程度だから、大した値段ではない。喜んで受け取ると、日本人かと聞かれた。そうだと言うと、嬉しそうに日本語でありがと、と言った。結構日本びいきの店だった。気分がとてもよくなった。
別の日に、マーケットでも、包装された干し絹笠茸があったので買った。竹笙とかかれており、15香港ドルだった。憧れの絹笠茸をたっぷり買うことが出来た。
香港土産は大量の絹傘茸となった。
日本にもって帰って雪子にわたした。それはいいが、どのように食べるのか、袋に書いてある中国語は全くわからない。
雪子がインターネットを開いた。
「干した絹笠茸はね、なめても塩味のしない程度の塩水に二十分浸し、水を切って、1分間沸騰したお湯につけるんだって、そのあと冷たい水に曝すのよ」
そうやってみた。半分干からびていた絹笠茸がぬるっと太くなり、それに冷たい水道水をかけたらしゃきっとした。なるほど。
「このまま食べられるのよ」
テーブルの上にレモンと黒胡椒が用意されている。僕は冷えたビールを冷蔵庫から出した。
戻した絹笠茸に、レモン少々、黒胡椒少々かけ、そのまま食べた。
くにゃっとしているものかと思ったら、さくさくと噛み切れ、臭といわれている絹笠茸特有の匂いは無い。
「おいしいじゃない、これでスープ作ってあげる」
雪子の料理は早い。サラダ用ミックスビーンのかんずめを開け、絹傘茸と一緒にコンソメスープにいれ暖めてて持ってきてくれた。
「このしゃきしゃきかんは見た目とはぜんぜん違うね」
驚いた歯ざわりである。スープに合う。おいしい茸だ。
その後、床下の貯蔵庫に入れておいて、時々取り出して食べた。
絹笠茸のずいぶん前の思い出である。
浴衣になり、湯上りタオルをもって、風呂場にむかった。一階におり、湯殿と書かれた矢印のほうに進むと、裏口から外に出た。サンダルが置いてあり、履き替えると、屋根のかかった石畳の道になっており、片側に竹林がある。
立ち止まって眼を凝らすとあった。
竹林の中に、白いレースを広げた絹傘茸が立っている。頭の部分は茶色い凸凹した帽子のように見える。大きな卵のようなものから生えている。絹傘茸はその周りにも何本か生えていた。きれいなものだ見とれてしまう。
ふっとその脇奥を見ると、黒い凸凹頭で、レースのない茸が一本たっている。やっぱり根元に卵をもっている。絹笠茸を調べたときに、図鑑にのっていたスッポン茸だ。マントを羽織っていないだけで、スッポンになってしまった。だがよく名づけたものだ。スッポンの頭にそっくりだ。
はじめて生の絹笠茸を見て、少しばかり気分よく風呂場に向かった。
半露天風呂のある建物はとても眺めもよく、いいところにあった。
男性用とかかれた浴室の二重の戸を開け脱衣場に入った。
番頭さんは今の時間は人がいないだろうと言っていたが、すでに何人か入っているようだ。壁の脇にある棚の丸い柳行李のいくつかに、白いふわっとした着物がぐちゃっといれてある。面白い浴衣だ。棚の下のほうには白い玉の布が転がっている。
自分も浴衣を脱いでタオルを持って湯殿のガラス戸をあけた。
ふーっと熱いもやった蒸気が襲ってくる。
かなり広い石造りの風呂だ。ところが部屋中が蒸気でもやっていて、周りがはっきり見えない。
湯殿はミルクほどまではいかないが、かなり白くにごった湯がたゆっている。
前面には周りの山並みの緑が見えるのだが、もやっていてはっきり見えない。
湯にはやはり人が何人かすでにはいている。黒っぽい頭がならんでいる。みんな外を見ているようだ。
僕は蛇口のところで顔を洗い、からだを簡単に湯洗いして、白い湯にはいった。
窓のほうに行きたかったが、何人も外を見ている。しかたがないので、入ったすぐのところの石に腰掛けた。
湯は少しぬるいほどで、ゆっくりつかるにはいい。
戸の開く音がした。誰か入ってきた。
振り向くとでこぼこしたパンチパーマの人がはいってきた。その人はからだを洗うこともせず、いきなり白い湯の中に飛び込みんだ。
仲間のようだ。
その人は湯の中で立ち上がると、窓の真ん中に行って、みなの間に割り込んだ。
僕は気持ちよく温まったし、あとで人が少ないときにまたこようと思い、湯から立ち上がった。そのとき声が聞こえた。
振り向くと、後から入った人が他の人に何か言ったようだ。
すると前から湯に浸かっていた人たちがいっせいに立ち上がり、脇のほうから湯からあがるとガラス戸をあけ、脱衣場に殺到した。すごいいきおいだ。あっとうされ、もう少し浸かろうかと思ったが、またくるとして、ともかく自分も出ることにした。
ゆっくりと湯殿からあがって、脱衣場にむかった。
ガラス戸をあけて、目玉が飛び出た。本当に飛び出た。
脱衣場では、脱衣籠から取り出した白いレースを首からかけようとしている茸がたくさんいたんだ。みんな絹笠茸だ。
「あらごめんなさい、ここ男湯でしたわね」
レースをつけ終わった絹笠茸の一つが僕に行った。
まだつけていないのもいた。
茶色の尖った頭に、白く太った胴、脱衣籠に頭を突っ込んでいる。
マントを付けた茸は壊れたような卵に胴体を突っ込んだ。卵は絹笠茸のはきものだった。
そこに最後に入ってきた男が湯殿から脱衣場にでてきた。
「お前たち気をつけなよ、人間にみつかっちまったじゃないか」
絹傘茸たちがあたまをたれている。
「すんませんな、こいつら人間世界をあまり知らんでしてね」
後から出てきた茸は卵を足に付けただけだった。マントはない。
スッポンタケだ。
スッポンタケが茸の王様になって茸の女王、絹笠茸たちをとりしきっているようだ。
「おい、誰か、ほら、この方の面倒をみなさい」
そう言われた全部着終えた絹傘茸の一つが前にでてきて、僕の前でお辞儀をした。
僕はともかく唖然としていて、何もしていなかった、ということは真っ裸だった。
前にでてきた絹笠茸が、絹のマントを広げ僕にかぶせた。
僕はマントをかぶってしまった。
絹傘茸の頭が目の前にある。二人で一つのマントをかぶっている。
白いマントがふわっと柔らかく僕のからだに吸い付いた。
すすすす、と上下に茸のからだが動くと、自分体がこすられ、ワーッと思う時間もあっという間に過ぎ、自分の前から体液が放出されてしまった。
「おわったようだな、竹薮に帰るぞ」
スッポン茸の声が聞こえた。
絹笠茸たちがスッポン茸の後についていき、脱衣場からでていってしまった。
僕の頭の中に快楽が渦巻き、また湯殿に行った。
白い湯に飛び込むと、白い湯がからだにまとわりついた。絹笠茸のマントのようにからだをこすり、僕はまたもや白い体液を放出し、ぶくぶくと白い湯の中に沈んでしまったのである。
網傘茸とお風呂
私家版茸指小説「夢見茸、2027、一粒書房」所収予定
絵:著者