茸の絵師
夢遊茸
茸酔 プロローグ
江戸に茸酔という茸の絵師がいた。茸酔は茸狂(じきょう)と呼ばれたほど茸好き。江戸随一の茸絵師である。茸酔帖という摩訶不思議な茸たちの出会いの書も残した。
茸酔は江戸のはずれ、内藤新宿の旅籠屋の次男坊で、名前は二助であった。子供の頃から兄の伊助、二人の姉のアキとキクとともに、飯炊きや部屋の掃除、洗濯の手伝いをして両親を助けていた。その旅籠屋「井草」はなぜか絵描や歌詠み、それに学者が使う宿であった。おそらく宿賃がほどほどであり、飯もそれなりのもので、宿の前に小さなせせらぎがあり、絵になるばかりではなく、気持ちの落ち着く場所だったためであろう。
二助は宿に泊まる絵師が宿前の小川の土手で絵筆を走らせているのをよく目にしていた。小川には翡翠(かわせみ)の姿がよく見られる。二助は青く輝く羽を持った翡翠が好きだった。絵師が筆をささっと動かし、一気に翡翠を描くのを見たとき、二助は大きくなったら自分も描きたいと思ったという。
宿には行商人もよく泊まった。信州からくる熊蔵は茸や熊の胃、毛皮などを江戸に持ってきて売りさばき、江戸のものを買って、信州で売るという商売をやっていた。井草でも熊蔵から茸や熊の胃を買っていた。
ある時、熊蔵が荷物の中から両手で抱えるほど大きな茸をとりだした。
「舞茸だ、昨日の夜採ってきたので新しいぞ」
夜通し歩いて、昼過ぎに宿に着いたのである。
「お、こりゃみごとだ、うちにおいてっておくれ」
熊蔵は二助の母、クサに舞茸の調理法を教えた。
「味噌汁、澄まし汁、煮ものもいい、うめえ出汁のある茸だ、舞茸飯もいいな、天ぷらときちゃあこんなうめえ茸のないぜ」
「焼くのはどうかね」
「松茸みてえにか」
「ああ」
「あまりしねえが、もちろんうめえさ、松茸のように匂わんけどな」
二助はその様子を見ていたのだが、食うより、その茸がとてもきれいに見えた。
そのとき、熊蔵から買われた舞茸が土間の竈の脇におかれていた。それに気付いた二助は帳場の筆と墨を持ち出して、破れて捨てられていたふすま紙に舞茸を描いた。
そこへ水をとりに一人の絵師がやってきた。絵師は子どもがなにやら一心に描いているのをのぞきこんだ。
「ぼうず、いくつだ」と尋ねた。
二助は八つと答えたところ、「うまいぞ、もっと描いてみろ」
絵師は部屋にもどり、半紙をもってくると二助に渡した。二助は白い紙を見て喜んだ。何も言わず受け取ると、いっきに舞茸を描いた。
「うまいものだな、頭の中に見えたとおりにかいておる、茸が元気だ、わしも子供にかえらねば」
そこにクサと姉たちが夕飯の準備にやってきた。
「おや、お客さま、なにかご用でしたか」
「いや、筆のために水をもらいにきたのだが、坊主がずいぶん上手い絵を描いておった」
「二助がですか」
「二助というのか、絵は誰ぞに教わったのか」
「いえ、絵師の方が川縁で絵を描いておられますのをよく見ていますが、絵を描くのは今がはじめだと思います」
「家の者で絵を描く者はおるのか」
「主人の井造は筆が達者でございますが絵はどうでございますか、私も不調法で」
「ほう、そうか、わしの父は絵師でな、跡継ぎだといわれておるが、父の力量の半分もなくての、子供の頃から父と同じ絵描きになると思っていたことが災いしている、二助のように頭から自然にわき出るように描けぬ」
二助は自分がほめられているようでなぜか嬉しかった。
「水はすぐに部屋の方にお持ちします、お客様どの部屋でございますか」
「楓じゃ」
「ああ、円山様でございますね、京都からいらした」
「そうじゃ」
「でも、なぜ、江戸のはずれにお泊りなのでございます」
「明後日、信州にまいる、ここで連れが来るのをまっておる」
「そうでございますか、今日は舞茸ご飯にいたします」
「ほう、それは豪勢な、二助ちょっと部屋においで」
絵師はそう言うと、二助に手招きをした。
二助が後をついて部屋にはいると、絵師は硯箱のふたを開け、筆を三本とりだした。
「これは長く使っておった筆で、捨てようと思ったが、二助にやろう、まだまだ使えなくはない、これでいろいろなものを描いてみるとよいぞ」
そう言うと絵師は筆を二助に渡し、さらに、
「これは、先ほどそこの川で描いたものだ、記念にやろう」
描いたばかりの絵をみせた。絵には青い桔梗と赤い茸が描かれていた。
「桔梗のそばにこの茸が生えておってな、いつもは描かぬのだが、あまりにもきれいなので描いてみた、できはよくないが、楽しめたものだ」
この絵師は円山応挙の長男、円山応瑞であった。父親の応挙があまりにも偉大であることから、いつも陰になってはいたが、やはり超一流の画家である。もらった絵は子供の目から見ても、あまりにもきれいなものであった。
それからというもの、二助は筆をもって河原に行くと、長い時間飽きず、草や虫や鳥を描くようになった。時々茸を見かけて描いた。石ころでもおもしろいかたちだとおもうと描いた。あの絵師にもらった絵のように、いつか色をつけて描いてみたいと思っていた。
そのようなことがあって二年経ち、二助も十になった。長男の伊助と同じように、武家屋敷に奉公することになった。井草屋は知り合いの口入屋を介し、子供たちを武家の家に奉公にやる。長男の伊助は十の時に江戸の信州の殿様の武家屋敷で三年働いてもどってきた。娘たちはもう少し大きくなったら、どこぞに見習い奉公にだすつもりである。
二助の奉公先は加賀の武家屋敷であった。二助の小さな荷物の中には絵師にもらった筆と親にねだってもらった古い墨と硯があった。
小者になった二助は広い屋敷の拭き掃除、飯炊き、庭掃き、なんでもやった。
一年も経つと仕事にもなれ、働く合間に絵を描いたりする時間がとれるようになった。二助は庭に生えている草を絵に描いた。
加賀の屋敷の中はとてもきれいだった。襖には豪華な絵が描かれており、置いてある焼き物などは目を見張るように美しい物ばかりであった。その当時ご法度だったことから、金は使っていないにもかかわらずきらびやかだった。そういった絵の修復のために屋敷には絵師たちがよく出入りしていた。
庭に出てきた絵師の一人が、二助が庭で熱心になにやらしているのに気付いた。
まだ十そこいらの子供が墨で一心不乱に絵を描いている。のぞきこむと、これまた絵師顔負けの趣のある絵である。
「おい、小僧、上手いものだな」
二助はしかられるかと思って立ち上がると絵を後ろに隠した。
「大丈夫だ、ちょっと見せてみろ」
二助は描きかけの春蘭の絵を見せた。
「誰かにならったのか」
二助は首を横に振った。
絵師は二助のもっていた絵筆を見た。
「この筆はどうした」
絵師の顔が怖かったのだろうか、二助の顔がこわばった。
「どうした」
絵師がまた聞いた。二助は自分の家である旅籠に泊まった絵師からもらったことを言った。
「名前を覚えているか」
二助は首を横に振った。
二助に声をかけた男は深川に住んでいる「虎酔」と呼ばれる五十になる絵師だった。
絵の腕は誰もが認めていたが、仕事をしているところをあまりみない。好きで虎の絵は描くがそれ以外のものは描かないという。ただ加賀の屋敷の仕事は引き受けていた。理由はわからないが、虎酔が加賀の生まれのためではないかと噂されていた。
男には二助のもらった絵筆が、そこいらの絵師では持つことができないようなものであることがわかったのである。
「ぼうず、わしのところに来ないか」
二助には意味がわからなかった。
「絵を描かせてやる」
その言葉も二助には理解できなかった。
「まあ、いい、あとで屋敷の者が言ってきたら考えろ」
初老の絵師は仕事に戻っていった。
その夜、仕事が終わり、奉公部屋に戻っていると中間の男が入ってきた。
「二助はだれだ」
小者部屋には五人が生活していた。一番年下の二助ははいと答えた。
「おまえか、ちょっときてくれ」
二助は女中頭のところに連れて行かれた。
「二助、お前、虎酔先生に家にこないかと言われただろう」
二助はうなずいた。
「その気はあるのかい」
まさか本当に言われるとは思わなかった二助は、まともに考えてはいなかった。だけど絵が描けるのは嬉しい。
「お父とお母がどういうか分かりません」
「いいと言ったら行くかい」
二助はちょっと戸惑ったが頷いた。
「なにをさせられるか知っているのかい」
「絵を描かせてくれるそうです」
「あの先生、嘘は言わないよ、だけど、買い物、家の掃除から食事の支度もしなければならないよ、ここより大変だよ」
「今と同じです」
「確かにね、それじゃ、おまえの家の方に使いをやって、きいてみようかね」
それから数日後、女中頭から話を聞いた。
「いいと言うことだよ、お前の兄さん、よくやっているということだよ、それにおまえの姉が嫁に行くそうだが、その婿さんがおまえのところの宿も手伝ってくれるそうだ、男手が増えるので、自分の好きなことをしていいということだよ、よかったじゃないか、祝言をあげるときには戻ってくるようにということだが、それは虎酔先生にいっとくよ」
いい武家屋敷に奉公したものである。姉のアキは武家屋敷に奉公するつもりだったが、雑司ケ谷の大きな宿屋の次男坊との見合いが整い、しかも井草の手伝いをすることになったということだった。
二助はそれから半年ほど加賀の屋敷に奉公したあと、虎酔の住み込み弟子となった。二助、十二の時である。
虎酔の家は深川にあった。虎酔はほとんど仕事をせず、虎の絵を頼まれたときだけ、描くことに励んだ。いつもはというと、庭に来る野良猫、虎と呼んでいたが、その猫の姿を絵にしたり、たまに気が向くと庭にきた狸に餌をやって、慣れてくると、絵筆をとった。紙に描かれた狸は今にもかみつきそうなのもいれば、懸命に餌を食べているものもいた。二助はその絵は生きているみたいだと思った。虎酔は花を描くこともある。それはもうすぐしぼみそうな朝顔だったり、黒く細かい種がこぼれおちそうな松葉ボタンだったりした。どれもみな風にゆられていた。二助にはそう見えた。
加賀の屋敷で言われたこととは違い、二助の雑用は少なかった。掃除、洗濯、飯炊き、水くみくらいで、食事の用意は毎回虎酔がくれる小銭を持って豆腐を買ってきたり、漬け物を買ってきたり、焼き魚を買ってきて食べた。ただ味噌汁だけは二助に上手に作れと言って、上等な味噌を買ってこさせた。
二助はどこからお金が出てくるのかと不思議に思っていた。しかし、絵を描く時間ができたことは嬉しかった。しかも虎酔はこれを使えと、自分が使っていた墨や絵の具を渡してくれた。だが筆は貸してもらえなかった。
虎酔は「おまえの持っている筆の方が数段に上等だ、俺のを使っても上手くならん」と言った。二助にその意味はまだわからなかった。
二助は粗雑なものではあったが紙をふんだんに使うことができた。時間があるときは虎酔のように草や虫を描いた。
虎酔は二助が描いているとき、覗き込んだりすることはあるが、なにを言うでもなかった。
ある日、虎酔に茶を持っていった二助に、珍しくこんなことを言った。
「二助、俺が描いているものと同じものばかり描いているが、他の物を描いてみろ」
自分の描きたいものを探せということだったのだろうが、二助はそうとらなかった。虎酔と違ったものを描けと命令されたと理解した。いままでも真似をしていたわけではなく二助も草や虫や獣、生き物が好きだったので描いていたのである。それはともかく、師匠の言葉はいいきっかけになった。
まじめな二助は、いわれたとおり家の中のものを描くようにした。火鉢や団扇、茶碗、皿、土間では薬缶、鍋釜、しかし虎酔はそれを見ても何もいわなかった。家の中のものは何度も描いた。ときどき土間に現れる蜘蛛やカマドウマなども描いた。
梅雨のある日、土間におり、また柄杓を描こうと思って水瓶の脇にいくと、塗り壁の崩れたところから黄色い茸が二つ生えていた。とても新鮮に見えた。
壁から生えている茸の絵を一気に描いた。黄色い色もつけてみた。
描き終わったとき、虎酔が水をとりに土間におりてきた。
虎酔が二助の茸の絵を見た。立ち止まったまま動かない。
「よく描けている」
そう言われて嬉しかったのはもちろんだが、筆をくれた絵師のことを思い出した。
あの時、絵師が筆と一緒に本人が桔梗と赤い茸を描いた絵をくれた。奉公に出るとき小さく畳んで手籠にしまった。今も入ったままだ。
「お師匠さま」
「なんだ」
「筆をくれた絵師の人が描いた絵を持っています」
「ほう、なにを描いた絵だ」
「桔梗と茸です」
「珍しい取り合わせだな」
「うちの宿の近くの川岸に桔梗がたくさん咲きます、茸がたまたま生えていたようです」
「みせてくれ」
虎酔は二助が自分の部屋として使っている納戸についてきた。
二助は自分の荷物の中から手籠を引っ張り出すと、黄色っぽくなった、折り畳まれた紙を取り出し虎酔にわたした。
虎酔はいい紙だと言いながら広げると驚きを露わにした。
「応瑞だ」
「ご存知ですか」
「わしと一緒に絵を学んだ、円山応瑞という名の絵師だ、わしはその父親の応挙の弟子だったことがあった」
虎酔はそれ以上のことは言わなかった。後で二助が知ったことだが。師匠は加賀から京都に絵の修行に出かけ、円山応挙の弟子になった。初めは応挙の絵をまねたが、いつしか虎に魅せられた。虎ばかり描くようになった。虎の奔放な絵を描くことから、虎酔と呼ばれるようになり、一部の者からは支持されたが、端正な応挙とは一線を隔すことから、なかなか認めてもらえなかった。それでも虎酔は円山応虎を名乗ることをいったんは許された。しかし名前をもらわず自分から離れ、京都から江戸に渡ってきたのである。
虎酔は「おまえのもらった筆はわしでももてぬほどよいもの、応瑞なら使っていても不思議はない、それにその絵、手本にするがよい、応瑞もおまえの力がわかったようだ、もらったその絵はわしが一幅の軸にしてやろう、一生の宝になる、預けぬか」
二助はよくわからずにうなずいてその絵を渡した。その後、それは立派な掛け軸になり、二助に渡された。
「茸が好きか」
「はい」
「江戸の茸を描いて見ろ」
そう言われて、二助は好んで茸の絵を描くようになった。町の中を歩くと思わぬところに茸が生えている。虎酔の手伝いの合間に近くの長屋に入れてもらって、生えている小さな茸を描いた。ちょっと長く時間がとれるときは武家屋敷を歩いた。草地に生えていた赤い茸が応瑞の描いたものと同じだった。紅茸である。それを熱心に描いた。しかし、家に戻り応瑞の紅茸を見ると、自分の描いたものとは全く違っていた。応瑞の茸は今にも胞子を散らしそうである。
長屋では子供たちがよってきて二助の描く茸の絵を喜んだ。二助は本物とは違った色をつけて子供たちに配ったりした。武家屋敷あたりでも二助の茸絵が知られるようになり、茸が生えていると呼び止められ、庭の中に入れてくれて、描くように勧めてくれるようになった。
岡引きたちの間でも二助のことは知られるようになり、顔見知りになった岡引きが、向こうの地蔵の脇に、こんな茸が生えてたぜ、と教えてくれもした。
ある時、二助が武家屋敷を歩いていると、悲鳴が聞こえ、飛んでいくと若い女性が男につかまっていた。物取りのようである。二助が行くと男はあわてて逃げたが、二助が襲った男の顔をすぐさま絵にして駆けつけた岡引きに渡した。それが元でその男がお縄になったのである。物取りではなく思慕による誘拐のようであった。そんなことから番所に頼まれ、似顔絵も描くようになった。
虎酔に仕えて五年、茸酔十七の頃である。虎酔が加賀屋敷の襖の修復に呼ばれ、二助も手伝うことになった。昔奉公にいたときの女中や中間もまだ働いていた。
「二助も虎酔さんの手伝いができるようになったんだね、たいしたもんだ」
と言ってくれた。
「まだ、まともには描けません」
そうは言ったが嬉しくないはずはない。
そのとき初めて、虎酔は襖のあまり目立たないところの修復を二助にさせた。
「よくできた」
虎酔にほめられたのが一番嬉しかった。
それからは師匠の絵の手伝いもたびたびするようになった。
ある日客人が虎酔を訪ねてきた。茶を二つもって部屋に行くと、恰幅のいい老人が一緒にいた。
二助は茶を客人の前に置いた。
「二助だ」
客人に紹介された。
頭を下げると、虎酔が「座れ」とうながした。
「この男は加賀の医師でな、秋鸞という、わしの幼なじみじゃ、こいつがな」
と話そうとしたところ、
「おれが話すよ」と秋鸞が遮った。
「実はな、俺の作り出した茸の薬のことを、書としてしたためようと思っておる、山に行って薬になりそうな茸をとってきて、新しい薬を作っておる、もう八十ほどの薬がある、風薬、眼の薬、精力の薬、心の臓、肝に効く薬、様々じゃ。採ってきた茸は干したものを絵にしてあるのだが、なにせわしは絵が苦手じゃ、それで誰かに生のままの茸の絵を頼もうと虎酔に相談したんじゃ、そうしたら、弟子に茸の好きな男がいるというじゃないか、それじゃ、その男に絵をたのめんかと思って今日きたわけだ、二助さんどうじゃろう」
いきなりの話に二助は面食らった。自分でいいのだろうかと師匠の顔を見た。師匠はいつもと変わらない顔をしている。自分で判断しろということだろう。
「私でいいんでしょうか」
ここで虎酔が口を開いた。
「おまえの茸の絵を持ってきて見せなさい」
二助は書きためた茸の絵を持ってきた。色つきの茸の絵の下には、日付、描いた場所、状態が描かれている。江戸の茸帖である。
それを見た秋鸞はうなった。
「見事だ、これだけでも本になる、是非頼みたい」
二助はまた虎酔をみた。今度は虎酔がうなずいた。二助は両手を畳について頭を下げた。
「私ごときでよければ」
「たのみますぞ」
二助は加賀屋敷の隣にある秋鸞の療養所に出入りするようになった。
秋鸞の指示のもとに茸の絵を描き、またその茸が生えて様子を描くためいろいろな山にまで出かけた。遠くは信州近くまでも行った。その途中で、自分の生まれた宿、「井草」にも客として泊まった。
両親や兄弟は絵師の仲間入りをした二助を喜んだ。二助は宿の襖や屏風に茸の絵を描いた。宿屋、井草の茸の絵は評判になり、宿の繁盛にも貢献した。
二助は秋鸞のもとで茸を描いているときに、秋鸞の幼なじみだったという虎酔の生い立ちを聞くこととなった。それで虎酔が加賀の身分の高いお侍の外の子であることを知り、京都の円山応挙に弟子入りしたいきさつも知ったわけである。応挙に虎の図を描くようにいわれ、虎酔は虎の毛皮から勇猛な虎を描いた。それに至るまで狂ったように虎を追い求め、何枚も虎の図を描き、最後には酔うようにして虎の図を作りあげたそうである。それは応挙の名で世にでた。虎酔と呼ばれたのにはそのような背景もあった。
こうして師匠が虎酔と呼ばれるわけと江戸の加賀の屋敷のお抱え絵師であることの理由がわかった。
二年の歳月をかけて、秋鸞の薬茸草子はできあがった。そのとき虎酔は二助に茸酔(じすい)という名を与えたのである。
二助は茸を真正面ばかりではなく、後ろや斜めからも眺めすがめつしながら酔ったように観察していた様子から、二助にその名前を考えたようである。
茸酔と名を変えた二助は、それから七十年にわたり茸の絵を描き続けた。特に江戸の隅々まで歩き回り、江戸の茸図譜はその当時流行はじめた浮世絵と同じように、江戸の人々に好かれたという。茸酔はおもしろい茸を見つけると狂ったように喜んだ。そんなことから江戸の人たちは茸酔を茸狂とも呼んだという。
茸酔という名になって、しばらくたったときである。円山一門の者が江戸で売られていた茸酔の茸の絵を持って京都に帰ったところ、円山応瑞の目に止まり、会いたいとの手紙が茸酔のもとにとどいた。京に行ったことのなかった茸酔は喜んで旅をした。しかも、あの井草の宿で筆をくれた人からの誘いである。
京都の宿に落ち着き、応瑞と話をすると、応瑞は茸酔が宿屋井草で筆を与えた子供であったことを知り、しかもあの虎酔の唯一の弟子と知った時には驚くほど喜んで、円山の名を与えられた。それからは円山茸酔となったが、茸酔自身はあまりにも恐れ多いと、まるやまとは名のらず、自からはえんざんと呼ぶようにしていたということである。
江戸に帰り、その名をもらったとことを虎酔に告げると、六十を越していた虎酔は涙をうかべて喜んだということである。茸酔二十三のときのことであった。
茸酔は九十をすぎるまで茸の絵を描き続け、茸にまつわる出来事を集めた文も書くようになり、草子もたくさんだした。生涯嫁をとらなかったことから、茸酔が亡くなったあと、終生手助けをした姪の木野に遺品は渡された。茸酔は不思議な茸の話をずいぶん書いた。未刊の下書きもたくさんあった。木野はそれをまとめて茸酔帖として年ごとに整理した。その中から、特に奇妙な茸のことが書かれているものを選び書肆、蔦屋にみせた。蔦屋はぜひ本にしたいと言った。
茸酔帖は「わたし」で書かれていたが、版元は「わたし」を「茸酔」と直し、「茸の絵師」という草子に仕立てたのである。
次の話はその中の最初の一つである。
夢遊茸
虎酔師匠の家からしばらく歩いたところに一つの長屋があった。松笠長屋である。
長屋の入り口には大きな赤松が植えられている。なぜ赤松なのかわけがある。長屋の大家であり家主の治兵衛が大の松茸好きで、秋になると、江戸からちょっと離れてはいるが山に行って松茸をとってきて味を楽しんでいた。しかし江戸市中で松茸はほとんどとれない。赤松があったにしても松茸が生えたところを見たことはなかった。
凝り性な治兵衛は、身近に松茸をおきたいと考え、大きな赤松の木を八王子の植木屋に運ばせた。植えて十年、赤松は立派に根付いたが、松茸が生える様子がなかった。長屋の入り口にはただ松笠だけがころころところがっていた。それで誰からとなく松笠長屋と呼ぶようになってしまった。
松茸こそ生えなかったが赤松の根元にはあやしげな茸が生えることはあった。その年は黄色かかった白っぽい見たこともない茸が生えた。だが数日で枯れてしまう。
形がとても面白い。茸酔と名のるようになったばかりの二助は、毎朝松笠長屋に出かけていって茸の絵を描いた。
傘は饅頭型ではなく、よじれていたり、二つに丸まったような形をしていたり、それは奇妙な茸である。高さは両手の指を重ねたほどだから三寸ほどだろうか、面白いことにどれも形が違った。
そのころになると茸酔も茸の図譜をもっていたが、その茸は載っていなかった。似ているのに登竜というのがあった。それも頭の部分はいろいろな形をしているようだが、松笠長屋の茸はもっと大きい。登竜の仲間かもしれないが、まだ名前のない茸のようだ。
毎朝通ったことからかなりの数の絵がたまったとき、この茸の最後はどうなるのか見てみたいと思った。
茸酔は師匠の食事の用意をし、握り飯をもって、暮れ六に松笠長屋に行った。秋半ばの薄暗くなってきた時間である。朝生えていた茸がしぼんでいくところだった。握り飯を食いながら、その様子を絵にした。
その茸が縮んでいく様はかなり変わっていた。柄の根本がとろけて短くなっていく。まるで茸が土の中に沈み込むように見える。最後には奇妙な形をした傘の部分が土に触れ、とろりと溶け出すと、土の中に吸いこまれていった。松がすべてを吸い尽くすようにである。
ではこの茸はいつの時に生えてくるか。そう思った茸酔は夜中におきあがると、提灯に明かりをいれて松笠長屋に行った。
松の木の根元で待つこと一時、夜の五つ頃だろう、松のうねった根の端から白く小さな粒がでてきた。筆を持って紙に向かったときにはぐんぐん大きくなった。四半時もすると凸凹の傘をもった茸になった。
しばらく経ち、これ以上は伸びないだろうと思ったときである。茸が松の根から離れ、ぴょこぴょこと跳ねながら動き始めた。
茸が動くわけはない。茸の中に何かはいっているのだろうと思った茸酔は、どこにいくのか見届けるためついて行った。茸は松笠長屋の中に入っていく。木戸が閉まっているので茸酔は中に入れない。外から見ていると、茸は長屋の中を飛び跳ねるように進むと端までいって戻ってきた。
茸は長屋の木戸から出てくると、今度は道の端を滑るように動いて、一軒の大きな武家屋敷に入ってしまった。少し待っていたが庭からなかなか出てこない。眠くなってきた茸酔は家に戻ることにした。虎酔師匠が寝ている。そうっと自分の部屋にはいった。
朝日が差してきたとき、眠い目を無理やりに開けると、師匠の朝食を用意して松笠長屋に行った。松の木の根本には昨夜生えた茸が崩れていくところだった。
やっぱり動いたわけじゃない。夜中に無理をして起きて、眠い目でみていたから動いたように見えたのだろう。狸にでも騙されたのかもしれん、と思い家にもどった。
朝餉を食べていた虎酔がどこに行っていたのかと尋ねた。
昨日の夜のことを話すと師匠は嬉しそうに笑った。
「さすが茸に酔っぱらう絵描きだ」
師匠におちょくられたと思った茸酔は「すみません」と謝った。
「何で謝るのだ、おまえは自分を信じろ」
そう言われた。
「はい、明日確認してみます、朝餉がおくれるかもしれません」
「ああ、かまわんとも」
昨夜と同じころ、茸酔は画帳をもって、松の木のところに行った。しばらく見ていると提灯の明かりの下で、新しい茸が生えてきた。薄黄色の頭をもたげ、一時もすると大人の茸になった。
絵を描こうと筆をとったとき、茸が根っこから飛び出した。大きくなった茸はそのままゆるゆると動いて道の脇を進んで行った。昨日見たことと同じだ。
茸酔が見送ると、やがて茸が角を曲がって見えなくなった。
茸が動いていたのは間違いではない。生えたはずの茸は松の根元にはない。自分の目をこすった。やっぱりいない。
松の木の脇に腰をおろした。
かなりの時間が経った。眠くもなってきたし、自信も揺らぎ始めたとき、道の端をちょこちょこ動く白っぽいものが見えてきた。目を凝らしていると目の前に現れたのはあの茸だった。どこかに行って帰ってきたのだ。
茸は茸酔の目の前で、松の木の根本の自分が生えたところに立った。
目の錯覚ではない。茸はもう動かない。茸酔はようやく腰を上げ家にもどった。
それから寝たにもかかわらず、いつもの時間に目が覚めた。茸酔が朝食の支度をしていると虎酔師匠が起きてきた。
「お、なんだ、いつもの通りじゃないか」
「はい、目が覚めました、師匠、松の木の下に生えた茸は確かに動いてどこかに行き、朝の暗いうちに戻ってきました」
「ほー、そんな茸があるのだな、その茸は何という名前だ」
「茸の図譜にはありませんでした」
「ではおまえが名前を付ければよいではないか」
「はい、もっとよく見てから付けることにします」
その夜も松の木のところで待つと茸が生えてきた。大人になった茸は、いままでと同じように、松の根から離れると道の端を動き始めた。茸酔は追いかけ、その茸をつまみ上げようとした。指が茸に触れたとたん、茸は人で言うと、はっとしたような面持ちで立ち止まり、慌てて松の根本に戻った。それからはまったく動かなくなってしまった。
次の夜にも同じようなことが起きた。動き出した茸に触れると松の木に戻った。
この茸は生えてしばらくすると動きだし、触ると気がついて元に戻る。
そのおかしな様子を虎酔師匠に話すと、
「茸は立っているばかりでは疲れるものなのかな」
とまじめな顔で聞くので、茸酔は、
「きっと、茸も草木も生えてきたときは動きたいのかもしれません」と答えた。
「そうであろうな、子供は良く動くものよの、そしてよく眠る」
「茸も寝るものでしょうか」
「寝る子は育つだ、よく遊んでよく寝るのが子供のしごとだ」
虎酔師匠が言わんとすることはわからないでもないが、顔を出した子どもの茸が動くなど信じられない。それを察した師匠が言った。
「寝ているときに歩き出す病があるのを知っておるか」
「知りません」
「わしは一度かかったことがある、師匠の代わりに絵を描いていたときだ、これはわしには大変な仕事だった、それをやり遂げたとき、丸一日寝ておった。そのときからしばらくの間、寝ていると起き出してなにやら絵を描いていたそうだ、それは弟子の仲間が見ていたことで、わしはなにも知らなかった、寝ているのに体が勝手に動くのじゃ、夢遊病とかいうものだそうだ、しかしいつの間にか治っておった」
「茸が夢遊病になっていたとおっしゃるのですか」
「そうじゃ、生えてきて、ぐっすり寝ていた茸が夢遊病で動きだしたんじゃ」
「夢遊茸でございますね」
「よい名前が付いたじゃないか」
その茸は茸酔が夢遊茸と名付けたことになってしまった。
確かにその茸は松の木から生えてきて、しばらくすると動き出す。しかし触ると目が覚めたように慌てて松の木にもどった。
夢遊茸がどこまで行くのか後をついていったことがある。茸たちはかなり遠くまで行く。ある茸は深川の土手を歩いて戻ったり、ある茸は武家屋敷の方までいって戻ってきたりした。神社の境内の中をぐるぐる回る茸もいた。
茸酔も夜中に茸を追いかけるのがだんだん疲れてきた。しばらくして夢遊茸を追いかけるのをやめたが夢遊茸の絵はたくさんたまった。
茸酔は夢遊茸を追うのを止めた後は、別の茸の絵を書き始めた。近くの神社や寺、それに林にいくといろいろな茸が生えている。彼の今まで続けてきた日課である。
秋ももうすぐ終わりという頃、夜になると奇妙な思いをした。夢を見たという記憶もなく、朝気持ちよく目覚めたのであるが、枕元に茸がおいてあった。そのころ茸酔は茸の名前をずいぶん覚えていた。枕元にあったのは、猪口であったり、紅茸であったり、さまざまであった。どれも林の中で描いたことのある茸たちである。
誰が枕元に置いたのであろうか。虎酔師匠だろうか。虎酔師匠は酒を飲んで寝てしまうとちょっとやそっとでは目が覚めない。おそらく違うだろうが聞いてみた。
「師匠、ここ三日ほど枕元に茸がおいてあります、もしや、師匠がおいたのではないでしょうか」
「わしは茸を採ることはない」
確かに師匠は茸を食べることは好きだが、自分から採りに行ったりしない。
「なぜ枕元に茸があるのか、全く心当たりがありません」
「その茸がみな夢遊病になったのであろう、林からおまえの枕元に歩いてきおったんだ、お前が茸の絵を描いているから慕われたのだ」
そう言われて松笠長屋の夢遊茸のことを思い出した。だがほかの茸も夢遊病になるものなのだろうか。
「この茸が夢遊病になるかどうか、今日の夜、林に行って見てみます」
「どのような茸も夢遊病になるなら、松茸あたりが夢遊病になって、おまえの枕元にくるとよいなあ、食ってやる」
虎酔師匠は笑った。
その日の夜、屋敷から少し離れてはいるが、茸がよく生える林に画帳をもって行った。林の中は真っ暗で、提灯を持っているとはいえ何か気味が悪い。林の一角にいつも紅茸の生える草原があった。紅茸は白い卵から生えてくる。今で言う卵茸のことである。
赤い顔をのぞかせた子供や、傘が饅頭型で大人になっていないものなど、様々な大きさの紅茸があった。
朝まで見ていたが、その茸たちは動こうとはしなかった。やはり夢遊病になるのは松笠長屋の茸だけのようである。それではなぜ茸が枕元においてあるのか。
その夜、寝たふりをして床に入っていた、しかし朝になってみたら椎茸が一つおいてあった。
「昨日寝たふりをしておりましたら、いつのまにか椎茸がおいてありました」
「おお、食える奴がおいてあったとはいいじゃないか」
「しかし、誰も忍び寄ってきませんでした」
「やはり椎茸が突然飛んできたか、それともだ、いいか、自分が寝ていないということに自信を持てるか」
「ええ」
「それは自信を持ってはいけないことなのだ、寝てないと思っても寝ていて、その間に誰かがもってきたかもしれんぞ」
「いえ、目をつむってはいましたが、起きておりました」
「知っておるか、年寄りは眠れん眠れんと言いおるが、傍で寝ていた家族の者は年寄りが寝息を立てているのを聞いておるもんよ」
「そういうものでございますか」
茸酔は納得がいかなかった。その日から毎日、平茸、滑子、占地、そしてとうとう松茸、その後は黒皮までが枕元にあった。
師匠は「なんと、食べられる茸が茸酔の枕元に現れるとはたいしたものだ、黒皮とはおそれいった」と驚いた。
虎酔は松茸よりもほろ苦い男の茸、黒皮に心酔していたのである。
「だがますます不思議にございます」
「たしかにな、それで、おまえの草履を見たら松葉がついておる、松茸や黒皮の生える場所に行ったのではないか」
松茸と黒皮は同じようなところに生える。しかしこのあたりで松茸がとれるところは知らない。あっても日野の宿とか八王子にいかなければならないだろう。まして、寝ている私が自分で採ってきたということはない。草履の松の葉は松笠長屋のところのものだろう。
ところが、ある所で奇妙なことを言われた。
師匠にたのまれた薬を買いにでて、松笠長屋の木戸の前を通ったときである。
「おじちゃん、夜になにしてたの」
長屋の入り口で遊んでいた男の子が寄ってきた。木戸を入ってすぐのところの坊主だ。何度か話したことがある。
「なにって」
「昨日の夜、しょんべんしたくて外に行ったら、おじちゃん松の木のとこでなにかしていた」
男の子は夜中におしっこをしに家の外にでたという。以前、夢遊茸の絵を描いていた頃のことだろうと思い、「ああ、松の木に茸が生えてくるのを見ていたんだよ」
と答えた。男の子はふーんという顔で長屋に入っていった。
用事をすませて師匠の家に戻ると、師匠が「咳止めはあったかな」と聞くので、買ってきた薬を渡した。ここのところ喘息持ちの師匠の咳がとまらない。
「ところでな、いま松笠長屋の家主の治兵衛がきてな、変なことを言っていたぞ」
「なんでしょう」
「なんでもな、店子が言うには、茸酔さんが夜中に大きな茸と歩いていて気味が悪いそうだ、あれはなんだと聞いてきたよ」
「少し前、そこで茸が大きくなるのを見ていたからでしょうか」
「いや、今の話じゃ、このごろ毎日だそうだ、あそこの長屋の人が何度もみているそうだ、なんでも大きな奇妙な茸と手をつないで、歩いていって、しばらくすると、戻ってくるそうだ」
「そんな変なことはしておりません、だいたい人と同じ大きさの茸などあるわけがない、しかも茸と手をつなぐなどというのはもっとおかしい、茸に手はないではありませんか、長屋の人が夢遊病にでもなったのではないでしょうか」
「確かにそうだが、茸から手がでていて、仲がよさそうだったとみなそう言っているそうな」
「私はよく寝ておりますが」
「そうだな、だが枕元に茸がおいてあるのはどういうものかな」
「いっこうにわかりません」
「わしが食える茸ならいいといったら、食える茸に変わったな」
「はあ、たしかにそうでございますが」
「まあいい、しばらく様子を見よう」
「はい、私も気をつけています」
その夜のことである。茸酔にとって驚くことがおきた。
寝ているといきなり肩をたたかれたのである。
「茸酔、目を覚ませ」
茸酔が驚いて目を覚ますと、茸酔は道の真ん中にいた。手に万年茸をもっていた。
目の前に虎酔と治兵衛が立っている。隣を見ると大きな茸がいて、茸酔が目を向けると、小さく縮んで、すーっと滑るように行ってしまった。
「私はなにをしてたのでしょう」
なにもわからずに尋ねると、師匠が答えた。
「今日、わしは寝ないでおまえを見張っていた。するとな、夜中に部屋を出てきた。寝たまま歩いていたのだ。そうして松笠長屋の前に行った。わしはそこで家主と待ち合わせをしておった。
おまえさんは松の木のところに行くと、生えていた夢遊茸に「さー行こう」と声をかけた、するとな夢遊茸はむくむくと大きくなって、おまえと同じほどになると手を伸ばした。おまえは茸の手を取ると、一緒に歩きだした。茸は川の縁に立っていた梅の木のところにおまえを連れて行くと、指さした。霊芝が生えておった。おまえさんはそれを嬉しそうに採ると、また茸と手をつないで戻ってきた、それでわしが長屋の手前で声をかけたというわけだ」
家主も「不思議なことでございますな」と神妙な顔をしている。
「茸酔、おまえは茸が好きになり、茸もお前が好きになり、あの茸の夢遊病がうつったのだ。茸も寝たままお前も寝たまま、夜中を夢遊しておったのだ、毎夜林に行って茸を採ってきて自分の枕元においた。わしが食べられる茸がいいと言ったら、夢遊茸に教わって松茸や黒皮までで採ってきた。師匠思いよのう、今日はほれ見ろ」
虎酔は私の手を指さした。
「それは万年茸、なににでも効く薬じゃ、わしの咳を止めようと採ってきたのだろう、ありがたいことだ、もらっておくぞ」
そう言って茸酔のもっていた霊芝を懐に入れた。茸酔はただただぼーっとしていた。
「家主殿、この不思議なできごとは、みな茸酔が茸に酔いしれていることからでたこと、誰にも迷惑をかけないこと故、長屋の皆にはそう伝えていただけないか」
「はいはい、とてもよいお話でございます、師匠思いのお弟子様をおもちで虎酔さんもお幸せで」
「茸酔、帰るぞ」
三人は歩きだし、松笠長屋の前まできた。松の木の根本には先ほどの夢遊茸が、何事もなかったように立っていた。
茸酔と師匠は家主とわかれて家に戻った。
それから松笠長屋の松の木から夢遊茸が生えなくなるまで、彼の夢遊病は治らなかった。
そんな茸がこの世にあるのである。
夢遊茸はその後、茸酔がだした茸図譜「江戸の茸帖」にあったが、あれ以後誰も見つけることはなかった。
それから何年もたち、虎酔師匠は六十六で世を去った。茸酔は虎酔の養子として加賀のお屋敷から家のあとを継ぐように頼まれた。加賀屋敷の襖絵の補修などを続けるよう言付かったのである。
砂金茸
茸酔がもうすぐ二十六になろうとするとき、こんな経験をした。
師匠の虎酔が存命中で茸酔と一緒に暮らしている時の話である。
茸酔は「円山茸酔」としておおいに活躍していた。
「いま金箔を使うことができないが、昔は豊富に使って絵が描けたものじゃ、金の光は必ずしもわしの好みではなかったが、虎の目がするどく輝くのだよ」
江戸徳川の世になり贅沢な金を使った絵は禁止されてしまった。
「本当をいうとな、今でも加賀では密やかに金を楽しんでおる、お前にも金を使った絵を書かせてやりたかったな」
虎酔はそう言ったが、本心は最近仕上げた絵の虎の目に金を使いたかったのである。
そのころになると虎酔よりも茸酔の絵のほうが売れていた。というより師匠は虎の絵しか描かないことから、あまり頼まれることはない。茸酔は茸の絵なのでかなり需要がある。毒茸と食べられる茸の解説本がかなり出版されることと、薬としての茸の説明書も多く出される。そういった書には必ず茸の絵が必要になる。茸酔の関わった本はすでにかなりの数になる。
「金色に光る茸はないのかね」
師匠は金にこだわる。
「聞いたことはございません、黄金茸という黄色のきれいな茸がありますが、それが日の光で輝くと金のようだといいます、しかし江戸のどこででるかわかりません」
「だが金箔のようには使えまい」
「はい、残念ながら」
師匠は金の代わりになるものがほしかったのだ。黄銅も使えないわけではないが、本物の金に及ぶものでは全くない、何か代わりになるようなものがないか考えてみたところで、お上は本物の金だろうが、そうじゃなかろうが、きらきら光るものを禁止したわけで、なににしてもおとがめは受けてしまう。
師匠はそれ以降、金のことを言わなくなった。
そのようなとき、佐渡の養生所から茸の絵を頼まれた。
佐渡の島には金山で働く男たちの病を治す医院がある。そこの一人の医師は漢方に通じており、佐渡の山野草、茸、海のものから薬を作って、ずいぶん病人を救ってきた。だが寄る年波でそろそろ隠居を考え、後輩たちの為に生薬の処方をまとめていた。その絵を茸酔は頼まれたのである。今回は茸だけではなく、動物、植物、鉱物、薬になるすべての物の絵を描くことになる。半年後に佐渡に来てくれないかということだった。医者の名前は鴨居東経と言った。
佐渡には興味があったが、留守をするとなると虎酔師匠を一人にしておくのが心配である。師匠はかなりの歳になる。そんなことを実家の両親に漏らすと、すぐ上の姉の娘が十二になるので、今から奉公に出してもいいという。半年あれば姪っ子も様子を覚えることができるだろう。
そのような話を師匠にすると、たいそう喜んでくれた。
姉の三女、キノがそれから七日後にきた。無口だがよく働く娘で言ったことはよく覚えた。虎酔師匠も気に入ったようで、茸酔もほっとしたところである。
佐渡は冬になると寒い。茸酔にとって未知の場所、彼は江戸育ちなので寒さになじめるかどうか心配だった。小さな島で流人のいるところでもある。しかし、佐渡で暮らしたことのある人が、それは間違いだと正してくれた。佐渡という島は確かに寒いが、江戸より広く、流人といっても、島の中では規律を守って自由に暮らしているということだった。ただ金山で働いている人たちは大変な肉体労働で、体を悪くする者も多いということである。そう教えてくれた人は、佐渡は海の物もいいし、産物も多い、なによりも茸酔さんの好きな茸がいろいろ採れる、という話もしてくれた。茸酔も佐渡が待ち遠しくなった。
江戸から佐渡まで半月ほどで行くことができる。だが無理をせず、行く先々で茸の絵を描きながら一月ほどかけて歩く予定をたてた。
知り合いの絵師に絵の道具や材料、特に色を付ける絵の具を月に一度ほど送ってもらう算段をした。佐渡で紙や絵の具がどの程度手にはいるかわからなかったからだ。
出かけたのは七月の半ばである。梅雨が明けてすぐ出発した。姪のキノがよく面倒を見てくれているおかげで、師匠の虎酔もにこやかに見送ってくれた。
江戸日本橋から京都に通ずる中山道を高崎まですすみ、そこから佐渡道の三国街道で日本海にでる。江戸から遠く離れるのは京都の応瑞に会いに行った時以来である。幸い身体は丈夫で足には自信があった。
といっても歩きはじめてすぐ、足が考えていたほど動かないことに気が付いた。はじめて長く江戸を空けることになり、緊張していたのだろう。蕨で一泊して、大宮桶川、熊谷、深谷と宿があるたびに泊まってしまい。自分の甘さをつくづく感じた。七泊した後にやっと三国街道の入り口、上州高崎に到着した。その間、筆をとる余裕すらなかった。ただ宿では商人や初めての里帰りの人、湯に入りにきた人、さまざまな人たちと声を掛け合うことができた。
上州の榛名山に行く一行にあったのは幸いであった。榛名神社に詣でる人たちはそのあたりに詳しく、高崎の榛名山にはいい湯もあるし茸もたくさん採れるので、寄るといいと教えてくれた。そのお陰で、茸酔の緊張も少しばかり和らぎ、数日榛名山に行って茸を描こうという気持ちの余裕ができた。
榛名山麓で宿を探していると、榛名山講の一行は茸酔より一日先に着いていたようで、山頂への道を歩いていくのが見えた。榛名山自身は高い山ではないが、上の神社には岩の切り立った修行の場があるという。
茸酔は宿を見つけ何泊かすることを告げると、宿の者が、さっき榛名山講の方たちが山に入ったと言った。今日は月夜なので、夜に登るという。偶然同じ宿に泊まることになったようだ。
榛名山の麓には茸の生えている森がたくさんあった。泊まっている間、方々を歩きまわり、茸の絵を描いた。好きな茸の絵が描けるのが茸酔にとって一番の薬である。久しぶりにゆったりとした気分になり、佐渡の暮らしに夢を抱くようになった。
宿にきて三日目の夕、その宿の湯に入ったとき佐渡島の様子を知ることができたのは茸酔にとって幸いだった。
野天湯に藁の屋根をかけだけの粗末なものだったが、周りの景色も湯加減も今までになくくつろげる気持ちのよいところだった。先客が二人いた。どちらも坊主頭で体格がいい割になぜか生白かった。
「入らせていただきます」
茸酔はいつものように、丁寧な言葉をかけ湯に身を沈めた。
「この湯はいい湯だぜ、得した気分だ」
一人がこんな具合に話しかけてきた。
「他はどこの湯がよかったのです」
「ああ、佐渡の島の湯だ、あそこだって悪かねえ、だがよここの湯のように柔らかじゃねえ」
茸酔には湯のかたさなどわからなかった。
「佐渡にいらっしたんですか」
「遊び遊山じゃねえよ、おれたちゃ稼がなきゃ暮らしていけねえからよ、銀山で働いてたんだ」
佐渡には銀山もある。
「私もこれから佐渡に行きます」
「その様子じゃ、金山、銀山で働こうって訳じゃなさそうだな、医者か」
「いえ、絵師です」
「いいね、楽しみに行くだけか」
「いや、お医者さんが薬の本を書くのでその手伝いに」
「そうか、ご苦労なこった、医者はあまりたくさんいねえがよ、ずいぶん世話になった、みないい医者だったぜ、何しろ怪我人はしょっちゅうだからな」
「佐渡はもうやめたのですか」
「ああ、借金返すぐらいは貯まったので出てきたんだ、あそこで働いていたら死んじまう」
もう一人が誰の手伝いかと聞いた。
「東経という医者に頼まれました」
「なに、東経先生か、先生たちの先生だ、いい先生だぜ、だけどもう年で、佐渡じゃつれえだろうな」
「はい、それで若い先生のために薬草、茸、海のものの説明や、薬の作り方をまとめるそうで、その絵を描く手伝いに行きます」
「そりゃあいい、うまい海のものを食いな」
「おれたちゃお先に、明日は江戸に向かうんだ、おまえさんは三国街道だな」
二人はそういって湯からあがった。
茸酔は東経先生の名前まで聞くことができ、暗いイメージのあった佐渡島が花一面、いや茸一面の園にみえてきた。
部屋に戻ると、ここで描いた茸の絵を見直した。おもしろい形の茸ばかり描いたようだ。薬の本をつくるには普通の形の茸もうまく描かなくてはと肝に銘じた。それにしても榛名山では久々に茸をじっくりと描くことができて楽しかった。江戸の中だけでは見ることのできないような茸に出会えた。茸に囲まれて幸せであった。
それから二日おいて高崎をでた。
三国街道でも金古、渋川、中山、などいくつもの宿場にとまり、高崎から半月ほどかけて寺泊についた。ここから船で佐渡にわたる。
寺泊の宿では海の具合で三日足止めを食った。やっと船が出せるようになったが、船は混み合った。客達の荷物がかなり積んであり、馬が三頭繋がれている。佐渡まで一日かかる。
やっと船がでた。
力に自信がありそうな男たちが何人か集まって札で遊んでいる。金を掘る人足なのだろう。商人風の男たちもかなりいる。茸酔は船の端に寄りかかり中の人々の動きを眺めていた。船に一日乗るというのもはじめての経験である。いったん絵筆を取り出したのだがあまりにも船が揺れるのでしまってしまった。
「なにをしに行かれるのかな」
茸酔よりだいぶ歳のいった侍姿の男が声をかけてきた。
「何もすることがなくてのう、わしゃ畑中伝衛門と申す」
丁寧な物言いにちょっと安心した茸酔は名乗った。
「円山茸酔と申します、お医者様の薬の本の絵を描きに参ります」
「絵師であったか、わしは奉行所で人足たちの見張りじゃ、つまらん役割よ、人相書きなどはできるかな」
「はい、一度手伝ったことがあります」
「実はな、わしも絵は得意でな、奉行所でそういったことをさせられるようじゃ、佐渡は魚が美味いそうだから志願した」
「私は一年いますが畑中様はいつまでですか」
「わからんなあ、わしみたいに三男坊で独り身じゃいつ帰してもらえるか、まあ楽しいことを見つけようと思ってまずぞ、あそこは能の舞台が有名じゃ、寺も立派なのがある」
伝衛門は笑った。流人の行くところと思いこんでいた茸酔は伝衛門の話しに驚くと同時にさらに安心した。
佐渡島の赤泊についたのは夕刻である。船を下りると、待ち構えるように役人が伝衛門に駆け寄った。役人が深く腰を曲げて挨拶をしている。姿格好ではわからないが、彼はかなり位の上の人のようだ。
目的のところへは歩いて一日かかる。赤泊に宿を取って、のんびりしてから行くかどうするか茸酔がまよっていると、伝衛門が声をかけてきた。
「茸酔殿は馬にのれますかな」
「師匠に少しですが教わりました」
子供の頃、実家の宿に馬で来る人もあり、その馬を裏の小屋につなぎに行ったことは何度かある。大人になってからは虎酔に加賀の屋敷に連れて行かれて、馬屋で馬の絵を書く練習をさせられたことがある。そのとき虎酔が馬を描くには馬に乗ってみるとよいと言った。虎酔がひょいと裸馬にまたがった。馬の扱いなれることは他の生き物を見るときにも大事だと乗り方を教えてくれた。
「師匠はなんと申されるのか」
「虎酔と申します」
「おお、存じておる、虎ばかりかいている絵師だな、加賀ゆかりの者であろう、いい虎の目を描く」
「はい」
「虎酔は武士であろう、わしと同じような生まれじゃ、虎酔は絵がうまかったので絵師で身を起こせたが、わしはそのような才がなく、髷をゆっておるのでござる」
「そうでございますか」
「どちらに行かれる」
「相川と言うところです」
「なんだ奉行所のあるところではないか、金山のあるところだ」
「そうでございますか」
「わしは馬が好きでな、わしの馬を連れてくる条件で佐渡に来たんじゃ、三頭連れてな、佐渡で馬を増やして、足がわりにするのよ、同じ方向だし、よかったら馬に乗りませんかな」
「うまく乗れるかどうかわかりませんが」
「またがることができれば大丈夫」
そこに年を取った男が伝衛門のところにやってきて、
「支度が整いました」と言った。
「おお、茸酔殿、これは平佐じゃ、馬の扱いになれておるばかりではない、馬の病などにも詳しいので一緒にきてもらった、船の中では馬に寄り添ってくれておったのじゃ」
「絵師の茸酔にございます、お世話をかけます」
「これで男三人になった、平佐が二頭を引き連れる予定だったが、おかげで、馬を走らせることができる」
茸酔にとってもとても助かる申し出だった。
佐渡は本土よりを小佐渡、大洋に面したほうは大佐渡と呼ばれる。赤泊まりは小佐渡であり、奉行所も相川も大佐渡にある。歩くとなると半日かかる。
三人はゆっくりと馬を歩かせ、急ぐこともなく大佐渡に入った。金山近くの奉行所は厳重な立派な構えだった。
大きな門構えで長い堀に囲まれている。後で知ったことだが、掘り出した金銀を抽出する工場があり、それを管理するため、お城のように頑丈な作りになっているという。佐渡島は徳川直轄の地、すなわち天領である。
馬が奉行所の前につくと、
「畑中さまがいらっしゃいました」と門番が中に声をかけた。
その声であわてて大勢の役人が外に出てきた。
「畑中様、お久しぶりです、よく佐渡にいらして下されました」
馬から下りた伝衛門に正装をした役人が深々とお辞儀をした。
「おお、奉行殿、こちらこそよろしく頼みます」
伝衛門は馬から下りた。
茸酔は奉行より伝衛門の方が上の役柄なのには驚いた。
伝衛門は茸酔を紹介した。
「茸酔どのだ、医者のところで薬の本を作りに来なすった」
茸酔も馬から下りた。
「奉行の松川真之介でございます」
「今日から一年、東経先生のところで働きます、よろしくお願いします」
「おお、東経先生とお仕事をなさるのですか、奉行所の者はだれもが東経先生にやっかいになっております。先生はここからほど遠くないところの養生所にいらっしゃいます」
「そりゃあよかった、茸酔どのちょっと休んでから行かれたらどうです」
「はい、ありがとうございます」
「松川どのよろしく」
そう言って伝衛門は奉行所の中に入っていく、茸酔は後ろに従った。伝衛門とはどのような男なのか。
座敷に通され、茶が出された。
「伝衛門様には海の近くに家を用意いたしております。釣りが楽しめるところです」
「それはありがたい、馬も一緒に願いたいが」
「はい、馬屋もございます」
「仕事は明日からで良いな」
「どうぞゆっくりなさってから、奉行所の方においでいただければけっこうです」
「そうしよう、松川殿、金山の者たちはどうです」
「さまざまで、のらりくらりしている奴らにはきびしくしております」
「働かせすぎて体が悪くなる者が多いと聞くが」
「少ないとはいえませんが、無茶には働かせておりません、ただ穴の中は落盤が絶えませんで、怪我人が多いことは確かです」
「気をつけてくだされ」
「一度ごらんになってください」
「そうしたいと思う、茸酔どの、なにかあったら、松川どのに相談されるがいい、江戸の殿の信頼厚いやり手ですからな」
「よろしくお願いします」
「必要なことがありましたら、何なりと申し付けください」
「ありがとうございます」
そのあと馬にまたがり、伝衛門の家に向かった。海に近い広々とした庭のある屋敷である。わざわざ彼のために作られたとのことで真新しい。いったいこの御仁はなんなのか。
「茸酔どの、平佐と馬で行きなされ、平佐が奉行所から東経殿の養生所は聞いておる、馬は平佐が連れて帰る。たまには酒でも飲みにきてくだされよ、退屈だからな、いや、わしがじゃましに行くかもしれん」
「何から何までありがとうございます、どうぞ私のところにもおでかけください」
「退屈になったら行きますぞ」
平佐に案内されたおかげで、鴨居東経の養生所はすぐにわかった。平佐に礼を言い、そこで別れて、鴨居養生所と書いた門をくぐると、たくさんの人が入り口の縁台に腰掛けていた。
「ごめんください」いくら声をかけても誰も出てこない。
茸酔は草履を脱ぐと勝手にあがった。廊下にも人が腰を下ろしている。
「ごめんください」と、また声をかける。今度ははいという若い女性の返事が聞こえた。
東経と書かれた部屋の障子戸が開くと、割烹着すがたの女性が顔を出した。
「患者さんはならんで待っててくださいな」
そういって引っ込もうとする女性に、
「鴨居先生に茸酔がきましたとお伝えください」と告げた。
「あら、患者さんじゃないの、ちょっとまってて」
そう言って女性は奥に入った。
すぐに東経が顔を出した。白い髭を生やした大男だ。
「東経です、茸酔さんですな、よく来てくれました、見ての通り、夕刻まで暇なしでしてな、紅葉に宿所に案内させますので、それまで休んでいてくださらんか」
さっき顔を出した女性が、
「茸酔さん、わらじをもってどうぞこちらへ」
診察室の中に手招きをした。
中に入ると、東経先生が患者の口の中をのぞいている。
「こちらです」
反対側の廊下に案内された。廊下にそって同じような部屋がいくつかならんでいる。中でそれぞれの医者が患者を診ているようだ。
「たくさん先生がいらっしゃるのですね」
「はい、今通った部屋で東経先生が最初に患者見て、薬をちょっと塗るだけの人はそこで終わりです、もっと詳しく診なければならない患者をこちらの方に回すのです、急患の人をみる場所もあります」
「患者さんがずいぶん待っていますね」
「金、銀を掘り出す人は危ないところで仕事をしていますから、怪我が絶えません」
「先生は何人ほどいらっしゃるのです」
「東経先生を入れて五人です、それに私たち女が十人います、傷薬を塗るくらいのことは私たちでおこないます」
案内されたのは診療所のはずれの屋敷だった。東経先生の住まいだそうで、その部屋の一つに案内された。中にはいると江戸から送った荷物がとどいている。
養生所の庭はとても広く、いくつもの屋敷が建っている。医師たちが住むところだとのことだった。手伝いの女たちは自宅から通う者もいるが、多くは養生所の二階に自分の部屋があるという。
ありがたいことに、敷地の中に野天湯があり、自由にはいることができるとのことだった。患者の湯は別に養生所の中にある。
荷物を解いて絵の道具を並べているところに東経が入ってきた。
「おじゃましますよ、よく来てくださったな、あちらに書をしたためるところがありますでな、見てくださらんか」
東経についていくと、二階に案内された。その部屋にはいくつもの机がおいてあり、様々なものがのっている。
「この机の上のものはこのあたりで採れる薬に使う草木などの標本でしてな、この机は茸じゃ、こちらは石、ここは海のものだが、腐るものはわしの下手な絵で描いてすててしまいます。どれも名前は調べてあるので、生えているところにいって、生きているところを描いてくださらんか」
かなりの量になる。一年で終わるだろうかと心配になった。
「本文は八分ほど出来あがっとるので、後で見せましょう、そこに色の付いた絵を入れたいんじゃ」
「わかりました、精一杯力を注ぎます」
「よろしく頼みます、茸酔殿に助手をつけますので、植物や茸取りに行くときは手伝わせてくだされ、海のものは漁師に言ってあるので、採れた時には持ってこさせますから、描いてくだされ」
助手は山歩きの達者な巖(いわ)という老人だった、東経が佐渡にきたときから診療所に出入りしており、東経の薬草取りなどを手伝っていた。佐渡で生まれて漁師をしていたのだが、左の小指と薬指を得体の知れない魚に食いちぎられ、それからは畑をやりながら山菜や茸を採って暮らしていたという。東経先生が薬草を採ってくれる人を募集したところ、巖さんが応募してきた。海のことばかりか、佐渡の山を隅々まで知っており、東経先生の薬づくりに貢献している。その巖さんは茸が好きで、珍しい茸を採ってくると言う。それは頼もしいと、茸酔は期待した。
佐渡には相川の金山から、大佐渡を縦に走る大きな山々が連なっている。
その中でも金北山は高くそびえた立派な山である。
茸酔は巖さんと次の日に会った。
巖さんは「巖でごぜえます、お手伝いさせていただきます」と日に焼け、しわくちゃの小さな顔に満面の笑顔でおじぎをした。
「こちらこそよろしく願います」
おじぎをしながら、答えながら、この人とならとてもうまくいくと茸酔は嬉しくなって自然と笑みが浮かんだ。
「海のものは、このあたりの漁師に声かけときゃ、あがったら教えてくれますで、わしがもらってきます、薬の草と茸は茸酔先生がこれをとおっしゃれば採ってきますので言いつけてください、薬の石は養生所の方にあるのでいつでも見ることができます」
「私は名前の通り茸の絵師です、巖さんが山にはいるとき、一緒につれてってもらえますか」
「ええですが、ちっと危ないとこもあるで、茸酔先生に何かあると、わしが困りますがの、すぐ近くの山でも茸は採れますで」
「東経先生に許可をもらいます、それならいいでしょ」
「へえ」
それから茸酔は精力的に絵を書き始めた。貝、魚、海老、蟹、海の草は初めてのものばかりで、形のおもしろさ、色の美しさに魅せられ筆がすすんだ。薬草に関しては道ばたに生えているいつも見慣れている草が薬になるということを知り、東経先生が作ろうとしている本が、世に出ると大変役に立つものだと改めて感心した。絵を精確に描く努力をしなければと、葉の生え方、花の色など熱心に観察をした。
茸は好きなこともあり、巖さんと何度も山に行き、初めて見る茸を見つけると、薬と関係なくすべてを写生した。
「ほう、まだ一月なのにこんなにたくさん描かれたのか」
東経先生が仕事場に入ってきて目を見張った。
「海のものを描くのは初めてで、とても面白く描かせていただいています、それに巖さんが山のあちこちに連れて行ってくださったので、薬草もかなり描けました」
「これは何かな」
東経は別の机の上に積んであった紙をめくった。
茸酔の描いた茸の図である。採った場所、日時、天気も書き添えられている。
「お、これは茸酔殿のお仕事でござるな、みごとだ、まとまったら図譜を出されるとよいのう」
「いえ、そういうつもりでなく、茸の姿を写したくなり、山に行くたびに描きためたものです」
「ともかくたいしたものだ」
東経は薬に使う魚介類の図をめくった。
「よく描けておりますぞ、おやこんなものもあがりましたかな、珍しい」
一つの絵を手に取った。
「はい、巖さんがこれは珍しいといっていたので絵を描いておいたものです」
橙色の風船のようなものが描かれている。
「これはこの辺では採れないものでな、睦のほうでとれる、ホヤと申して、あちらじゃ食うそうだ」
「いい匂いはしませんでした」
茸酔がそういうと、東経もうなずいた。
また一枚の絵を手にした。
「これはバイ貝と申して、時によって毒がある、ご存じかもしれないが海の魚や貝、それに蟹などは、元々は毒をもっていなくても、季節によって毒を持つ、それを食べると腹をこわしたり、死ぬことさえある」
「それはどうしてでしょう」
「ある季節に毒を持つ小さな生き物が海に発生して、それを食べた魚や貝の体に毒がたまるからだと言われている」
「それは怖いことです、人間も同じように食べれば毒をもつでしょうか」
「ハハハ、毒をもった人間か、いないことはないな、いや、それは冗談だが、人間の体には悪いものを吐き出す臓器がある、しかしたくさんの毒がいっぺんに体にはいると、臓器が働かなくなり死んじまう」
「それはどこでしょうか」
「肝の臓じゃ」
「それでは食べ物のなかに金がはいっていると、そこに貯まるのでしょうか」
「いや、金は胃や腸からからだの中に入らないからクソと一緒にでる」
「草、木も同じですか、毒を貯めますか」
「草木や茸には臓器がないが水などと一緒に吸い上げるかもしれんな、からだにいれて貯めることもあるだろ、白い花を切って赤い水にさしておくと赤くなるであろう、水に入っているものは草に吸い取られるだろうな」
「茸も同じでしょうか」
「おそらくそうじゃろう」
茸酔はそれを聞いて、金の粒を土から吸い取り、金色になった白い茸を想像した。
「川に砂金がありますが、植物が吸って葉などに貯めることがありますか」
「砂金の大きさにもよろうが、ないとはいえないな、茸酔殿は植物を使って金を土から吸い取らせようというお考えだな、それは面白い。できるできないは別にして、茸酔殿の発想は普通の人ではありませんぞ」
茸酔はただ金色の茸はきれいだろうなと思っただけで、そこまでは考えていなかった、むしろ東経の才気に茸酔は驚き、薬の本は立派にしなければと、意を新たにした。
伝衛門は釣った魚などを持って東経先生の養生所にふらっとやってくることがあった。時には平佐さんが馬に積んで採れたものを持ってきてくれる。
「茸酔殿、忙しそうでよいのう、わしゃつまらん仕事ばかりでくさっとる」
伝衛門はそうぐちる。
「この海はあまりいろいろなものはおらんな、江戸の海は色とりどりの魚がおるに、ここは海が黒い」
釣りの好きな伝衛門には面白くなさそうである。
「能舞台はよいな、馬を走らせるにもいい島じゃ、しかし、もう少しなにかほしいな、茸酔殿はどうですかな、この島は気に入りましたかな」
佐渡には日連聖人や世阿弥が島流しになり、住んでいたこともあって、寺や能楽堂などが作られていた。
「はい、とても面白い、私にとって海のものを絵に描くなど初めてのことですが、おかしな生き物がこんなにもいるものだと驚いています、ともかく、山には茸がたくさんでてとても楽しく暮らしております」
「それはよかった、一度儂も茸採りにつれてってくれまいか」
「はい、ここには巖さんという東経先生の片腕がおります、茸ばかりではなく、どんな植物がいつ頃どこに生えるかよく知っています、その人について行くと、面白い茸に出会うことがあります、私はとても楽しんでおります」
「うまい茸もあるのであろうな」
「舞茸はうまい茸で、巖さんはそれが出るところをよく知っております」
そこにぐあいよく、巖さんが庭に入って来た。
「あ、伝衛門さま、巖さんがきました」
巖さんは客がいるのを見て引き返そうとした。茸酔が呼び止めて上にあげた。
「巖さん、奉行所の畑中伝衛門さまです」
それを聞くと、巖さんはいきなり畳の上に座って蛙のように平べったくなった。
「巖でございます、畑中の殿様にはお世話になりました」
「おー、もしかすると、父がすごい漁師が佐渡にいるといっておったが、その巖さんか、父が世話になった」
「いえ、よくしていただきました」
「どのようなことなのです」
茸酔が聞くと巖が答えた。
「伝衛門さまのお父様は、私が若く、漁師をしている頃、勘定奉行をなさりながら、佐渡のお奉行をもなさっておられました。とてもよくしていただきました。佐渡が住みやすくなったのは、畑中様のおかげと皆申しております。畑中様は江戸にもどられ、お子さまが跡を継がれたと聞いておりました」
「いや、跡を継いだのは長男でな、儂は外腹で、のらりくらりしていただけじゃ」
茸酔にはだんだん伝衛門のことがわかってきた。
「ところで、巖どの、面白いものが釣れるところはないか」
「へえ、蟹釣りは面白いのではないかと思います、ここの海にはうまい蟹がいます、蟹を釣るやつなどいませんが、釣り針を工夫して、餌をつけて海に沈めますと、意地汚い蟹は挟んで放そうとしません」
「面白そうだ、いつか教えてもらいたい」
「へえ、いつでも言ってください」
「まず茸狩りにつれてってくれ」
「明日金北山へ猿の腰掛けを探しにいきます、そこには面白い茸も生えています」
「猿の腰掛けにもいろいろな種類があって、明日探しに行くのは薬の効能が強い茸です、巖さんしかわかりません」
茸酔が付け加えた。
「面白いのう、巖は馬に乗れるか」
「へえ」
「ならば我家にきたらどうだろう、馬が三頭いるが」
「ありがとうございます」
いつもは歩いていく。金北山までは三里ほどで、かなり時間がかかる。相川の山からも続いているので山の頂沿いに行けないことはないが、金北山だけが目当ての時は、平野を歩いていく。
朝にでて昼につき、飯を食って山にはいる。
「遠いので、山の近くの寺に泊まらせてもらって、寺で採ってきたものの絵を描きます」
「野天湯はあるかね」
「近くにあります」
「おおそれはいい、そこに泊まろうじゃないか、儂は釣りの道具は持たなくてよいから、食料を担いでいく」
次の日、茸酔は巖と伝衛門の屋敷に行った。屋敷の脇にある馬小屋には馬が四頭もつながれていた。平佐が出迎えてくれた。
「久しぶりです」
「茸酔様、奉行所の馬を一頭借りてきました、私も参ります」
そこに伝衛門がでてきた。大きな風呂敷包みを背負っている。
「や、待たせましたな、四人分の飯を作ってもらいました」
伝衛門の後ろから若い娘が二人出てきた。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「おう、後は頼む」
伝衛門はすぐに自分の馬にまたがった。
「手伝いの女子を雇いましてな、うまい飯を炊きます」
そういって背負っている風呂敷包を指さした。
馬にまたがった四人は金北山にむかった。
茸酔も馬の上から見る道々の景色はまた違うもので、新しい佐渡を見るような気持ちで馬をすすめた。
馬だと早い。昼よりかなり前に、金北山の麓にある禅寺についた。
いつものように、住職の六庵にいくらかの寄進をし部屋を借りた。
「こちらは奉行所の畑中伝衛門さま」
そう紹介すると「あ、畑中様でいらっしゃいますか、お父上様に私の父がお世話になりました、おかげでこの寺も細々ではありますが、生き延びております」
聞くと、この寺をほかの宗派がつぶそうとしていたところを、伝衛門の父親が宗派間の争いごとがないように取り計らってくれたそうである。
住職は四人を部屋に案内し、茸酔たちはそこで昼飯を食べた。
その後、兵佐は残って馬の世話と夕飯の買出しということで、三人して山に向かうことにした。
金北山は真冬でなければ、登るのにすこぶる危険という山ではない、しかしなれていない者だけでいくことはやってはいけないことだ。どの山でもそうだ。茸酔は養生所から近い山に一人で入ったことがあった。茸がいろいろ生えていて夢中になって絵を描き、奥に入っていったとき、帰る道がわからなくなった。山になれた人ならば日の位置から方角が分かるのだろうが、そんな初歩的なことも知らなかった茸酔は帰ろうと思ったとき、あっちこっちを一刻もうろうろして、気がつくとすぐそばにいつもの道があって安堵するということがあった。
それからは山にはいるときの注意を巖さんに教わり、自分一人で行くときには方角を確かめながら歩いていくことを守った。
金北山は近くの山とは違う。
巌がたずねた。
「伝衛門さまは山になれていらっしゃいますか」
「儂は暇人だったのでな、山はよく歩いた。だが山はすべて違う、その山のことをよく知っている人間に案内をこうのが一番安心でな」
強者になるには深く広い経験と、それに裏打ちされた慎重さだと茸酔は納得した。
巖さんは道と呼べない草深い斜面から山に入った。いつものところと違う。
「今日は東経先生の茸を探しますので、ちょっと大変かもしれんが、途中に神の穴がございます、そこからちょろちょろ水が流れ出し、草木に囲まれていましてな、茸もかわったものがでます。もちろん旨い奴も生えております」
「東経先生の茸とはどのような茸です」
茸酔が尋ねた。
「真っ黒な腰掛けでごぜえます」
「名前は何というのです」
「東経先生もわからんとおっしゃっていましたので、おらは東経茸と呼んでいます」
「何に利くのだ」
「腹の出来物がなくなるのだそうで」
「それはすごい」
茸酔は茸を描きながらいくので、二人からだいぶ遅れる。ともかく茸の種類が多い。
「すみません」
おいつくと、二人は祠の入り口をのぞいている。人が一人しゃがんで通れるくらいの祠だ。伝衛門が巖に聞いている。
「洞の中はどうなっている」
「わからんですが、その昔、入った人がおって、中に入れば立って歩けるくらいだそうです、だがその男は病を患って死にました、神の穴だと言われておりますだ」
「深いんじゃろうな」
「誰も知らんです」
「面白そうよの、巖は入らなかったんだな」
「へえ、この洞は金色に光る神様が佐渡においでの時に、ここでお休みになるという話が伝わってますで、恐れ多くて」
「いつからそのよう話があるのだ」
「儂はじいさんから聞きましたから、大昔からだと思います」
「なにかありそうだ、入ってみたいが、どうだろうな」
「へえ、畑中様がそうおっしゃるならかまわないとは思いますが、東経茸を採ったらここに戻ります、あとでよろしいでしょうか」
「そうしよう」
それから下草の覆った斜面を、巖を先頭に登ること半刻、急斜面の一角に樹齢千年といってもいいほどの大きな老木があった。三人が手をつないでも囲えないだろう。
「これは楠でございますが、ほれ、あそこに東経茸が生えております」
確かに黒光りをしている猿の腰掛けがいくつもついている。
「この茸は大きくなるのに五年かかります、それで一年に一つだけ大きくなったものを採っていきます」
「この木にしか生えないのか」
「へえ、若い楠にはありません、この楠だけです」
そう言うと巖は袋から鎌を二本取り出し、一本をのばした手の先の幹に刺した、それをつかんで木に飛びつくと、ぐいと木にかけた足に力をいれ、左の鎌を上に刺し、両足を同時に上の方に飛ばし、体を上に持ち上げた、右の手の鎌で黒い猿の腰掛けを払い落とした。
その様子を茸酔は素早く絵にした。
巖は木から飛び降りると落ちた茸を拾って駕籠に入れた。
「みごとなものよのう、隠れの者のようじゃ」
伝衛門はしきりと感心した。
「これで儂の仕事は終わりましたで、神の穴にまいりましょう」
三人はまた神の穴に戻った。伝衛門が入口に顔を近づけた。
「冷たい風が吹いておる」
洞窟からちょろちょろと水が流れ出て、小さな流れをつくっている。流れの周りにそって、傘は真っ白で、柄が黄色っぽい茸が、たくさん生えている。茸酔は画帳を開いて茸の様子を描いた。
小さな流れの水底にキラッと光るものがある。
茸酔は顔を水面に近づけると、自分の頭が陰になって、水底がよく見えた。きらきら光るものがゆっくり動いている。
茸酔ははっとした。
「砂金だ、砂金が流れています」
「なに、砂金とな」
その声に伝衛門が流れの中を覗いた。
「たしかにそうだ、とすると、この洞窟の中に金のでる石があるやもしれんな、ちょっと儂が入ってみる、茸酔どのはどうなさる」
「はい、まいります」
「儂ははいらんでもいいでしょうか、昔からの話には何かありますで」
「もちろんじゃ、まっててくれ」
「蝋燭を持っております、お使いください」
「用意がいいのう」
「山から降りられなくなったこともあり、そのようなときは野宿をいたします、明かりは必要になります」
「確かにそうだな、では借りていく」
巖はなれた手つきで、火打ち石を打った。蝋燭に火がついた。
「たすかる、すぐにもどる」
伝衛門と茸酔はかがんで中に入った。いわれていた通り、中は人が立って歩けるほどの高さがあった。外にもあった白い傘の茸が壁から伸びている。
穴は二人並んで歩くほどの幅があり、下にはちょろちょろと水が流れている。壁から染み出した水が流れに加わっていく。それにそって茸がたくさん生えている。
ほんの少し歩いただけであるが、行き止まりになっていた。下には水が溜まっている。水を覗き込むと、底からポコポコと泡がでている。
「水がわき出ているが」
伝衛門は茸酔に指差した。水は澄んでいる。泡と一緒に蝋燭の火の元でもきらきらと光るものが吹き出ている。
「砂金じゃないか」
明らかに砂とは違う。
茸酔も見た。確かに砂金のようだ。
「ここには金鉱があるかもしれんな、茸酔殿、願いがあるんじゃが」
「はい、なんでしょう」
「このことは言わんでほしい」
「はい、またどうして、新しい金鉱が見つかれば将軍さまも潤うのではないですか」
「なあ、茸酔殿、将軍が潤っても、民は潤わぬ、それに金北山は人が入れんようになり、赤裸になる、そんなにはしたくないからのう」
伝衛門の言葉に茸酔は胸が打たれた。
「はい、申しません」
「巖には、神聖な場所で途中で怖くなって引き返したという」
「はい」
茸酔は穴の壁に生えている白い傘の茸を指差した。
「穴の外の流れにそって、この茸が生えています」
「ほう、なんという茸かな」
「私もはじめて見ます、採ってもよいでしょうか」
「茸はかまわんだろう」
茸酔が白い茸を引っこ抜いて、手の平の上にのせた。茸の柄の裂け目から砂が落ちてきた。あれっと思って、茸酔が手の上を見ると、砂ではなく砂金である。
「伝衛門さま、茸から砂金がでて参りました」
伝衛門も驚いている。
「この茸は砂金を吸い上げておるようだ」
「師匠の虎酔は虎の目に金を使いたいと常々申しております」
「そうであろうのう、だがお上が許さぬわけだ」
「はい」
「茸を江戸に送るのはとがめられんだろ、この茸を採って、送ればよいではないか」
「よろしいでしょうか」
「茸ならみつからん」
「干した茸を送ります」
「この茸は美味なのかのう」
「私が食べてみます」
二人は穴から出てきた。
巖が「穴の中はどのように」と心配そうに尋ねた。
「穴の奥に行くと、妖気を感じたので、戻って参った、やはり神聖な場所のようだ」
「そうでございましょう」
巖は穴に向かって深くお辞儀をした。
「巖さん、この白い茸はなんでしょう」
「さあ、わしゃ知りませんが」
「きれいだから少し採っていこうと思います」
そう言って茸酔は流れの脇の茸も採って袋に入れた。
「うまい茸は向こうにありますで」
巖は斜面の少し下に二人を連れていった。
古い樺の木の根元に、見事な舞茸がどでんと生えていた。
「おお、美味そうじゃな」
「毎年ここに生える舞茸はお奉行様に差し上げているものです、伝衛門様に今年は召し上がっていただきたいと思います」
「それは嬉しい、屋敷にもどったら、二人とも茸飯にご招待だ、あの奉公の娘たちの作るものは旨いぞ」
「ありがとうございます」
こうして、寺に戻り、一晩すごした四人は、次の日の朝早く、馬をとばし、それぞれの住まいに戻った。
茸酔は診療所の東経の家に戻り、自分の部屋で白い茸の柄を裂いた。
紙の上にぱらぱらと砂金がこぼれ、小さな砂山を作った。明らかに金を取り込んでいる茸だ。これを陰干しにして持って帰り、師匠への土産にしよう、そう思った茸酔は畳の上に紙を敷き茸をならべた。
そこに東経が入ってきた。
「巖が持ってきた黒い腰掛けは見事じゃったな」
「はい、巖さんは大した人です」
「たしかにな、あいつがいなけりゃ、儂の薬も作れなかったじゃろう、それでな、巖と儂の一緒のところを描いてくれませんかな、薬草や薬茸採りの名人として本にのせたいのじゃが」
茸酔は喜んだ。
「はい、喜んでお描きします」
「そこの白い茸はなんですかな」
砂金をためる茸をみた。茸酔は一瞬迷ったが、伝衛門の言ったこともすべて、東経に話してきかせた。
「すごい茸じゃ、土から砂金を吸い上げて貯めるとは」
「師匠にもって帰ってよろしいでしょうか」
「もちろんじゃ、それに伝衛門殿のおっしゃったこと身にしみる、さすが畑中様のお子、金北山を守ってくださったのだな、儂も人には言わぬ」
「ありがとうございます」
「それで、ちと頼みがある、その茸、わしにも一つくださらんか」
「はい、どうぞお好きなのをお持ちください」
「それはありがたい、その茸を増やしてみたい、庭に池があるじゃろ、水は湧水じゃ、池に金鉱から彫りだしたくず石を壊していれ、周りにこの茸を生やすのだ、くずの石といっても少しは金を含んでおる。ほんの少しでも茸が取り込んでくれれば、砂金茸としてお偉方に高く売りつける、この療養所の資金にすれば貧乏人はただで見てやれる、金はからだによいと信じられているからのう、若返る薬とでもいうと、みんな買うわい」
東経が笑った。
「金北山に行けばまだたくさん生えています」
「いや、それをすると、伝衛門さまの意にそむいてしまう、いつか知られてしまうかもしれんからな、ただうまく増やせるまでは種茸を巖に採ってきてもらうかもしれないが、あそこのことは言うまいぞ」
「わかりました、私も場所は知っていますのでお手伝いします」
こうして茸酔は砂金茸の育成も手伝うことになった。
次の日、伝衛門から茸飯の誘いがきた。茸酔や巌ばかりではなく東経も誘われた。
伝衛門の屋敷は海が見える。座敷に座布団が三つおいてある。伝衛門、東経、茸酔がすわった。同じ部屋にもうひとつ席があった。座布団が四つある。平佐と巌が座った。二人の若いお手伝いが三人に膳を運び銚子をおいた。
「眺めがよいですな」
伝衛門から酌をされて東経が恐縮している。
「東経先生は酒が強そうだ」
伝衛門も相当強い。
二人のお手伝いの女性は、膳を平佐と巖の前におくと、さらに二つの膳をもってきて、自分達も座った。
「お前たちも好きなようにやってくれ、酒も良いぞ」
伝衛門が四人に声をかけた。茸酔は驚いた。
「茸酔どの、伝衛門さまは人のあるべき本当をよくご存じだ」
東経が茸酔に言った。
「はい」
よくわからなかった茸酔にさらに東経が言った。
「人は皆同じ、侍も農民もない、私も常々そう思っていましてな、袴を脱ぎ着物をとって素っ裸になった侍は、農作業の野良着をとって素っ裸になった農民とどこにも違いがない」
東経はこうも言った。
「伝衛門殿があそこに四人の席を別にしたのは、本当は一緒に喰いたいのだが、そうすると、あの者たちは気を使い、窮屈の思いをするからな」
それをきいて、茸酔は佐渡にきて本当によかったと思った。考えたこともないことをこの二人の先達から教わった。
「ところで、伝衛門さま、ご相談がありまして、金北山から茸酔さんが持って帰った白い茸ですが」
東経がそこまで言ったとき、伝衛門が、
「砂金茸ですな、東経殿は薬になさいますか」と自ら砂金のことを言った。
茸酔は他人にしゃべらないと約束したことを破ってしまい、どう伝衛門に謝ったものかうつむいて、言った。
「伝衛門様、私が東経先生に説明をしてしまいました、申し訳ありません」
茸酔がそういったのだが、伝衛門は「いや、わしからもあの洞窟のことは東経先生に相談するつもりじゃった」と軽くいなした。
「金を吸った茸は体によいと、江戸の偉い連中に宣伝して差し上げよう、決して採れる場所は言わんでほしい」
「はい、決して外には漏らしません、実は我が屋敷の池に金の石を砕いて沈め、砂金茸をはやし、体の生気を養う薬茸として売るつもりです」
「それで東経先生は貧乏人をただで見てやるご所存でござろう」
「はい、おっしゃるとおりです」
「これは美味い」
伝衛門は焼いた舞茸を箸で摘まんだ。
「どうぞ箸を進めてくだされ」
茸酔と東経も舞茸の煮しめをたべた。とてもうまい舞茸である。
「実は茸酔殿が砂金茸を見つけたとき、この茸を金山にはやすと、人間の代わりに茸が金を吸い上げてくれるのではないかと考えた、金山には掘ったが、金の多い石が出てこなかったので放棄された穴がいくつもある。儂ならば奉行に言って、その穴を東経殿が薬になる茸を栽培することを頼める、穴は水も滲み出すし茸をつくるにはよいのではないだろうか」
東経は、その話に大きくうなずいた。
「それはすばらしい考え、そのようなことができるのなら、それに越したことにありません」
茸酔も伝衛門の知恵の回るのにはおどろいた。
こうして、使われなかった金の採掘の穴で、砂金茸を栽培することになったのである。それに金を取り出した後に、食べてみたところ、なかなか味の良い茸であることもわかった。
それから一月、東経に伝衛門が用意してくれた廃坑から、白い茸がぽつぽつと生えはじめた。
冬になり雪に覆われても廃坑の中は暖かかった。砂金茸はどんどん増えてくれた。
茸酔の絵は、冬の間に標本になっているものはほぼ描き上げられていた。秋と冬に特異的に見られるものも描き終っている。あとは春と夏にしかみることのできない植物や魚や貝の絵を描けば完成である。
春は新芽の季節、とてもいそがしい思いはしたが、茸酔は精力的にうごき、夏の半ばには、絵はあますところなく完成することになった。
東経は絵と原稿を越後の本屋に送り、秋には本がでることになった。
夏の終り、茸酔は、東経をはじめとし診療所のみなみな、それに伝衛門とその家の者たちと別れを惜しみつつ、また来ると約束をして、帰途についた。
茸酔の荷物の中には、乾燥した砂金茸がはいっている。
来たときとは違い、半月もかからず江戸に戻った。
虎酔師匠は茸酔の顔を見ると、深いしわのよった顔をほころばせた。
「キノ、酒にウナギをたのむぞ」
キノも背がのびて、しっかりとした女の子になっている。
「おじさん、おかえりなさい」
そう言って、買い物に飛び出して行った。
「師匠、私が見つけた茸を持って帰りました」
紙からだした干した砂金茸を師匠の前に置いた。
「この茸はからだにいいのかい」
「はい、食べることのできる茸だとわかりましたが、それより師匠、茸の傘をとってみてください」
虎酔が茸を一つ手にとり、萎びた傘をちぎると、さらさらと金の粉が紙の上に落ちた。虎酔の目が金の粉に釘付けになった。
「おい、これは金なのか」
「はい、金を吸い取る茸です。これで虎の目を光らせてください」
虎酔の目が潤んだ。
「嬉しいことよの」
虎酔は残りの茸の傘をちぎり金を皿に集めた。
茸酔も手伝い、すぐに膠の用意をした。
砂金を膠にとき、虎の目にまぶした。
屏風の虎は眼光まぶしく獲物をねらう顔になった。
「出来たのう、茸酔」
虎酔は声が詰まってそれしか言えなかった。
それから一月後、虎酔は天上した、齢六十六であった。
東経の本は秋になって出来上がり、茸酔に届けられた。絵師、円山茸酔とある。立派なつくりであった。
最後のページには、茸酔の描いた東経先生と巌さんの姿があった。
すでに江戸どころか、国中で売れていると、東経の手紙が添えられていた。
伝衛門からも書状が届いた。
廃坑の砂金茸は増え、よく売れており、これから診療費を無料にしたいとあった。
あの二人がいる間に佐渡にはもう一度行こう。
茸酔はなつかしく思い出している。
目眩茸
園生が茸採りから帰ってきた。
園生は朝日が顔をだすころ、裏の林にいって、食べられる茸を背負い籠いっぱい採ってくる。
「今日もいいのあったかい」
長屋の縁台でたばこを吸っていた新生(しんしょう)が籠の中を見た。
二人は今助長屋に住む売れない落語家である。
「おい、園生、籠が空っぽじゃねえか」
「そうなんだ」
そう言って縁台にこしかけた。
「林に茸が全くないってことはないだろう、だれかに盗まれたか」
園生は首を横に振った。
「茸はいつものようにたくさんいたんだ」
「それで何で採らなかったんだ」
「くしゃみしてた」
「なんだそりゃ」
「咳もしてた」
「どうやって」
「頭を曲げて、こほこほいってた」
「狢にでもだまくらされたんじゃねえか」
園生はまたも首を横に振った。
「赤い茸が言ったんだ、はやり風邪ってな」
はやり風邪とは今のインフルエンザである。
「茸がしゃべるわきゃねえだろ、おめえ、熱があるんじゃねえのか」
「いんや熱なんかない」
そこへ黄色い声が聞こえた。
「いいお医者さん知らない」
「誰が言ったんだ」
新生が園生を見る。
「俺じゃねえよ」
「ここよ」
園生は空の籠を背負ったまま腰掛けている。その籠から声が聞こえたような気がして、新生が見ると籠の底に赤い小さな茸が転がっている。
「こんな小さいの採ってきたのか」
新生が赤い茸をつまみ出した。
「おれこんな赤い茸採らんよ」
園生が首を傾げた。
そのとき、赤い茸が新生の手の中でぴょいと立ち上がった。
「おっかさんたちの風邪を治す医者しらない」
新生がびっくりして、手の平をひっこめそうになった。
「落ちちゃうじゃない、気をつけてよ」
そう言われて、改めて見ると赤い茸の傘がぱくぱく動いている。
園生が言った。
「おれたちゃ、医者知らずでね、それに人の医者じゃ茸の病を治せねえ」
「そうなの、困ったわ」
「茸に医者いないのかい」
「うん、でも茸の長老もはやり風邪ははじめてなんだって、人間じゃだめなら、梟にでも頼もうかしら、それじゃ帰ろう」
「どうやって帰るんだ」
そこに黒い鳥が降りてきて、茸を咥えると山へ戻っていた。
「なんだい、あいつは」
「烏じゃねえな、少しちっちぇ」
「椋鳥じゃねえか」
「ちょいと違うな、それより茸がしゃべりやがった」
「うん、夢かもな、茸が風邪ひくなんてな」
「俺たち二人が見たじゃねえか、ほんとなんだよ」
「二人とも何かにとりつかれたんじゃねえか」
「大丈夫だとおもうがな」
「茸の医者なんぞいないが、茸をよく知っている人に聞いてみるか」
「そうだな、大家の隠居だって茸のことはよく知っている」
「そうだ、大家に話してみよう」
「俺たちまともじゃねえような気がする、きっと酔っ払ってたんだろうとか何とか言われそうだがそうするか」
二人は大家の家に行った。
「大家さん」
「二人そろってなんだい」
「茸の医者はいますかね」
「なんだいそれは」
「裏山の茸がはやり風邪で、みな熱を出してます」
「茸がかい」
「園生が見てきました、あたしも茸と話しました、まともでしょうか」
「ふーむ、お前さんがた噺家はいつもまともじゃないから、まともなんだろう」
なんとも信じたくなるような理屈です。
「茸が医者をさがしてます」
「茸の医者はしらんが、茸と仲のよい人は知っておるよ」
「教えてください」
「深川にすんでる茸狂さんだ、ほんとうの名は円山茸酔さんだ」
「なにやってる人です」
「茸絵かきだ」
「病気のことも詳しいんですかい」
「そりゃわからんが、茸酔さんは佐渡の医者の元で、薬の本のための絵を描いていたことがある、そのとき医師がいろいろな病気の患者を診察するのを見たり、手伝ったんじゃないかな、そういえば茸が夜歩くなんてことも言ってたから、茸の病気のことも知っているんじゃないか、お前さんがたの仲間だろう」
「そりゃいいですね、茸酔さんとやらの家を教えてくださいよ」
そういうことで、園生と新生は茸酔のところに行った。
「随分立派な家じゃねえか」
茸酔の家はその昔、師匠の虎酔の家だった。亡くなるときに虎酔にすべてやると言われ、茸酔は住み続けている。虎酔は加賀の偉い殿様の外腹だったこともあり、瀟洒な屋敷である。
「へえい、こんちは」
玄関で新生が中に声をかけると。「はーい」と若い女の返事が返ってきた。出てきたのはまだ十三、四のおかっぱ頭の子供である。
「ハイ、何でしょう」
「あの、茸の医者探してるんで」
新生がそこまで言ったら、女の子は笑い出した。
「茸の医者はいないけど、絵描きならいるわよ」
「あ、そいつだ」
園生が頭をかく。
「おじさん、お客さん」
女の子が中に声をかけた。
「どなたかな」
茸酔が玄関に出てきた。
「なんでしょう」
「いえ、長屋の家主が茸の医者はいないが、茸の絵を描く人がここにいると言うんで、きやした」
「どこの長屋ですかな」
「今助長屋で」
「おお、そうですか、今助さんは元気かな、まあ入ってください」
「ありがとうさんで、私は新生、こいつは園生です」
「茸酔です、今助さんは私の師匠の虎の絵が好きで、屏風を買ってくださった」
「へえ、大家さんの部屋においてあります、みんなにみせびらかせて喜んでます」
そこへさっきの女の子がお茶をもってきた。
「私の姪で、キノといいます、今は木野と書くんですよ、私が佐渡に行っている間に、虎酔師匠がこの字を使えとキノに書いて渡したそうです」
木野は茸酔が佐渡に行っている間、師匠の虎酔の世話をするため、この家で働いていた、茸酔の姉の娘である。師匠が亡くなった後もこの家に奉公している。
「おじさんたち茸のお医者を捜しているそうです」
木野が笑いながら言った。
「へえ、裏の林に生えている茸が風邪をひいてくしゃみをしていまして、治してやろうと思うんで」
それを聞いた茸酔は,おやここにも生きものと話ができる人がいると園生を見た。
「園生の奴、茸がしゃべるなんていうものだからおかしくなっちまったかと思いましたが、籠の中に入っていたちっこい赤い茸がやっぱりしゃべりやした。あたしも見ています、ほんとうにしゃべりやした」
新生が言うと茸酔はうなずいた。こいつもだ。
「茸だって人と同じように眠るし夢を見るし、夢遊病にもなる。私も経験があります。だが私は茸の医者じゃない、ただの絵描きですよ」
「今助の大家さんは、茸酔さんは佐渡でお医者の手伝いをなさっていたから、病気のことはよく知ってなさる、それに茸のことは江戸で一番よく知っている方だと言っておりやした」
「いや、病気の名前は耳で覚えましたが、治療の仕方はわからない、まして、茸の病気についちゃ知りませんな」
「だけどぜひ、茸の風邪をみてやってください」
「風邪を引いた茸の絵を描くのも面白い、昼過ぎてから木野と一緒に伺いましょう、今助長屋の裏の林には何度か行ったことがあります、確かに色々な茸が生えていましたな」
というわけで、茸酔は木野をともなって今助長屋にやってきた。木野は絵の道具をもって茸酔のお供をすることがある。
「茸を見る前に、今助さんに挨拶をしておこう」
茸酔は大家さんの家に顔を出した。
「おや、茸酔さん、園生と新生がとんだ話をもっていっちまって、すまんことですが、まあ聞いてやってください」
「ご無沙汰しています、私の師匠がお世話になりました、話しは聞きましたよ、お二人ともいい人たちだ」
「それなら、よござんした。茸酔師匠の目に金の入った虎、いいですな、毎日楽しんでおりますよ」
虎酔晩年の虎の絵はこの今助がどうしてもほしいと買っていったのである。金を絵に施すことは江戸では御法度、茸酔が佐渡で土から金を吸い取って貯める茸を見つけ、お上にみつからぬよう、乾燥させ虎酔に土産としてもってきたのである。
「それじゃあ、園生さんと新生さんと茸を見て参ります」
「後で様子を聞かせてくださらんか」
「ええ、茸の風邪ひきとは珍しいですから」
茸酔と木野は長屋で待っている二人のところへ行った。
「あ、先生お待ちしてました」
園生と新生は茸酔を裏の林に案内した。
林の中はひんやりとして、少し寒いほどである。
歩いていくと、茸酔は目を見張った。下草の間で色とりどり、形が様々な茸が転がっている。
「みんな寝込んじまってる」
園生がしゃがむと、そこへ赤い小さな茸が飛び出してきた。
「おじさん、お医者見つけたの」
園生に向かって傘をふるわした。
「いやな、医者じゃないが、茸のことをよく知っている先生をつれてきたよ、ほら茸酔先生だ」
「母ちゃん、父ちゃん、姉ちゃん、兄ちゃんみんな風邪ひいた」
確かに茸が話をしている。茸酔は夢遊茸ことを思い出した。茸酔も茸と話をしたことがあった。
「おまえさんは大丈夫かい」
園生が赤い茸に聞いている。
「うん、あたいは傘を露でよく洗って清潔にしてるから大丈夫」
「えらいね」
「さて、どうやって治すかな、佐渡の東経先生は風邪を引いた患者に卵酒を飲ませていたな」
「俺だったら嬉しいが、茸が酒を飲みますかい、だいたい口がない」
新生は大酒飲みだ。
すると、茸酔の足もとに転がっていた茶色の茸の笠に大きな口が開いた。
「何でえ、茸も飲兵衛じゃねえか」
「父ちゃんは猿酒が大好きだ」
赤い茸の子供が言った。
「子供茸にゃあ何がいいでしょう」
「うむ、甘酒がよかろう」
「あたい、風邪ひいていないけど甘酒いいな」
「ああ、もってきてやろう」
茸酔は茸の父親に聞いた。
「ところで、どうして風邪などをひいたのだ、寒いとこに生えていたり、雨の中に立っていても風邪をひいた茸など見たことがない」
「いつだったか、茸を採りにきた人間がくしゃみをしてましてな、何度も何度も大きなくしゃみをして、唾が林の中を充満しおった、俺の笠のてっぺんに唾がかかったら、よろよろとなりました。
「きっとそいつに違いない、はやり風邪が出始めておるようだ、今年のは茸にもうつったようだ」
「茸酔さん、大家に言って酒を都合してもらいやしょうや、いったん長屋に戻って大家に談判だ」
大酒飲みの新生がはりきっている。
「そうしましょうか、茸のみなさん、百薬の長を都合してきます」
茸たちは寝転がりながら、「よろしくお願いします」と声を合わせた。
茸酔は木野がもってきた画帳をとりだすと、寝ている茸たちの絵を描いた。
と言うことで、茸酔たちは長屋に戻り、大家の今助にこれこれこうだと話をした。
「茸がしゃべるなんてことはよくわかりませんが、茸酔さんがそういうのなら、濁酒を用意しますか」
今助はほとんど信じられないようだが、それでも頷いた。三人で飲むつもりではないかと勘ぐっているようでもある。
「いや清酒じゃないときかないそうです」と言ったのは新生。
今助は茸酔が黙っているものだから、
「茸もいいやつじゃなきゃきかないのか」
ぶつぶつ言いながらも、「それじゃ、一本買っといで」
園生を酒屋に走らせた。
「子供の茸には甘酒がよいようで」
茸酔がいうと「ばあさんにすぐ作らせますよ、ところで、元気になった茸は採ってくることができるんでしょうな」
今助は元気になった茸を食うつもりのようである。もっともそのために酒を買わせにいったわけだ。長屋を経営する大家さん損得勘定はおてのものだ。
「そうですが風邪が治るのは数日、今の茸は枯れるでしょう、だが新しく生えてくる茸に風邪はうつらない、それは食えるでしょう」
今助はそれを聞いておやおやと思ったようだ、それでもうなずいた。
園生が酒を買ってきた。甘酒はすぐにはできないが、白い炊いた飯に酒を少しかけ、甘味を少しばかり入れて、ぐつぐつにて、即席甘酒にした。
「茸酔さん、どうやって茸に飲ますのかね」
口もないのにと思った今助はまだ信じていない。だが茸酔はまじめに反応した。
「そうですね、小さい徳利を持って行きましょう」
「寝ている茸一つ一つに飲ましたら、いつ終わるかわからない、鉄瓶のほうがよかねえですか」
新生の思いつきである。
茸酔が今助に一緒に行きますかと訊ねたのだが、家で待っていると答えた。林の中などはにがてのようだ。
背負い籠に清酒の入った一升徳利、甘酒の入った鉄瓶、それに大きめのお茶の茶碗を三つもって、三人は裏の林に入った。
「薬を持ってきたぞ」
茸酔が大きな声で叫ぶと、木の下で横になっていた茸たちが立ち上がり、ずらりとならんだ。
「こりゃあいい」
茸酔は茶碗を三つならべ酒をいれた。鉄瓶はふたを取っておいた。
それを見た茸たちが、茶碗の酒の中に笠を浸した、鉄瓶には子供の茸がごろごろと入った。次から次へと茸が酒浴びをした。
酒に頭を浸した茸は「こりゃあ暖まる」と林の中に散っていくと、ごろりと横になった。
三人は茶碗に酒が足りなくなると徳利からたしてやった。
こうして林の茸がみんな酒を浴びた。
赤い子供の茸が「ありがとう」と三人に礼を言うと兄弟のところに戻っていった。
茸酔はその様子を絵にした。
新生は「みんな飲んじまいやがった」と残念そうだ。
「いや面白い絵が描けました、これもお二人のおかげ、戻って我家で一杯のみましょうか、酒を一本買ってきていただけると助かります」
「もちろんで」
茸酔が銭を二人に渡すと、「先に行って買っときやす」
二人の足は軽やかになった。
その日は茸酔の家で酒宴となった。木野が茸の煮しめを作り、つまみをいくつか用意した。
「木野さんは料理がうまいね」
二人は美味そうに酒を飲んだ。茸酔はというと、ちびりちびり。さほど飲むほうではない。
「いや、園生が茸がしゃべったと言ったときにゃ、こいつおかしくなりやがったと思ったが、いってみると本当に茸がしゃべった、俺もおかしくなったんじゃないか、誰も信じないだろうと思ったら、茸酔さんも茸はしゃべるという、嬉しかったね、俺たちはおかしくなかった」
「茸に限らず、植物、動物、石ころ、みなよくしゃべります、なのに、それが聞こえる人は少ない、今度のことが終わったら、落語にして話しにしたらいいでしょう、きっと受けます」
「そうだ、それにちがいない、新生、一緒に小咄をつくろうぜ」
「ああ、そうしよう」
「それに三日も経てば子供の茸が大きくなる、採ってきて食べよう」
「大家さんにも持ってってやろう」
その日は楽しい飲み会で終わった。
それから三日目の朝。園生と新生が二人して茸酔のところにやってきた。
「おや、今日は、おじさん落語やる人がまたきたわよ」
木野が奥に声をかける。茸の絵を描いていた茸酔が玄関に出てきた。
「園生さんに新生さん、おいしい茸が採れましたか」
園生は首を横に振った。新生がこんなことを言った。
「園生の奴、茸をとりに行ったんだが、こないだと同じで、籠は空っぽ、しょげて帰ってきやがった、それでどうしたいと聞いたら、林の茸がみんな、ふらついているって言うので俺も見に行った、この前子供だった茸がみんな大きくなって旨そうになっていたんだが、園生の言うとおり、皆よろよろしていた」
「それで茸はどうしたと言っているのです」
「茸の心の臓がどきどきして、目が回ってしまったと言ってました」
「めまいというやつですかな」
「どうもそうのようで」
「しかし、めまいは流行病ではないと思いますよ」
「それで茸にどうしたと聞いたんです、そうしたら、暑さのせいだと言うんです」
「そんなに暑い日がありましたか」
「ありやせんね」
「あたしがもう一度行ってみましょう」
「茸酔さんに診てもらえば茸もすぐ治ると思います」
こんどは木野をともなって、茸酔は二人について長屋の裏の林に行った。
林に入ると黒っぽい鳥が一斉に飛び立った。中の一羽がぎゃああと鳴いた。
「やな声だなあれは何でしょう」
新生が茸酔に尋ねた。
「ぎゃあと鳴いたのは鵺(ぬえ)ではないかな、周りの鳥は椋ですよ」
「鵺ってと、あの妖怪のたぐいですかい」
「そう言われていますね」
鳥に気を取られていた三人が下草の中を見ると、茸たちがよろよろと動いている。
「確かに目を回したときの歩き方だな」
ところが茸酔が離れたところに目をやると、真っ赤な茸や黄色い茸はすっくと立派に立っていた。
特に大きな赤い茸が茸酔の目に止まった。
「おまえさん、もしかすると、あの子供だった赤い茸じゃないかい」
「そうでございますよ、親が風邪をひいたときには、私は甘酒をいただき、親はお酒をいただきました、親はもう昇天しまいましたが、とても喜んでおりました、お礼を申しあげます」
「随分立派な紅天狗茸になったものだ」
「ありがとうございます、甘酒のおかげだと思いますが、大きくなることができました」
「ところで、おまえさんは目を回さなかったのかい」
「ほほ、そこの二人のお兄さんには悪いのですが、目を回しているのはおいしい茸たち、食べられないあちきのような毒茸は立っています」
茸酔には様子がわかってきた。
「食べられる茸は親になにか言われたのだな」
「病気になると人間に採られることはないから、病気になりなさいと親の茸に言われたのでしょう」
「それで、目が回ったふりをしているんだな」
「さあ、どうでしょう、私のような毒茸にはわかりませんが、あそこに目を回した猪口がいます、聞いてみてくださいな」
ちょっと離れたところで、猪口がふらふらと揺れている。
「これ、猪口、なぜ目がまわっておるんだ」
「自分でもわからない、急に目が回ったんだ」
「あそこの紅天狗茸が、風邪をひいた親に病気になれば人に食われないといわれたから、おまえさん方は目を回したふりをしていると言っていたが」
「あの毒茸は食べられる茸がうらやましくてそんなことを言うんだ」
「どういうことかね」
「茸は人間に食べられるのは本望なんだ、おいしく食べてもらってこそ茸のすばらしい一生になる、毒茸は虫には食われるが、毛の生えた動物には食われない、もちろん人も食べない、それでそんなことを言うんだ」
「ということは、目を回している茸達は食べられてもいいんだな」
「もちろん、だが、どうして目が回ったのか、原因がわからない、そんな俺たちを食べて、どうなるかしらんけどな」
それを聞いていた新生は不思議そうに聞いた。
「目を回しているのは食べられる茸なわけだ、だがあそこの壷のある真っ赤な茸が目を回している、紅茸だ、あれは毒じゃないのか」
茸酔が「あの茸はよその国ではうまい茸として食われているようだ」と説明した。
紅茸とは卵茸のことである。
「ほー、食ってみるか」
園生が猪口に尋ねている。
「目を回しているのが食べられる茸だとすると、選ぶのに容易だが、採ってかまわないかい」
「ああ、茸は食べられたいのだよ」
「それはありがたい」
「さっき言ったように、めまいの茸が人の体に悪さをしなければいいが」
「目を回すと言っても、おまえさん方目はどこにある」
新生が聞いた。
「傘は目でも、耳でも、口でもあるんだ」
「そういうもんか、それじゃ、いただくよ」
園生と新生は目を回している茸をかごに入れた。茸酔は茸が目を回している様子を描いた。
それで、ふと思い立って、紅天狗茸のところに戻ると尋ねた。
「おまえさん方、毒茸も動物に食われたいのかね」
紅天狗茸は答えた。
「そりゃあそうですよ、わちきなど、赤くて綺麗とよく言われる、それはそれでうれしいけど、旨いね、と言われるのが茸の本望よ」
「毒茸は塩漬けにすると毒が抜けると言うが、おまえさんもそうして食ってもかまわないかい」
「お願いしますよ、あたしらは猛毒といわれているが、それほどの毒じゃありゃしませんよ、一つ二つ食べても大丈夫」
「それじゃ、採っていこう、木野、袋はないか」
「小さな籠を持ってきてる、食べられる茸を少し採っていこうと思ってたから」
「おお、それはよい、籠をかしておくれ、食べられる茸は園生さんと新生さんが採っている、わたしはこの紅天狗茸を採って食してみようと思う」
「大丈夫ですか」
木野は手籠を茸酔に渡した。茸酔は紅天狗茸を一つ採って籠にいれた。
「あたしを食べてくれるのかい」
「ああ、食べてみよう」
「嬉しいね、おいしく食べてくださいよ」
紅天狗茸は手籠に横たわった。
「茸酔師匠、わてらの籠が茸でいっぱいになりましたよ、こんな楽な茸採りははじめてだ」
こうして、園生と新生は食べられる茸を持って今助長屋にもどり、茸酔と木野は二人から食べられる茸を分けてもらって、それに紅天狗茸をもって家に戻った。
家に戻った茸酔は「紅天狗を食べてみよう」と木野に言った。
「どうやって食べる、おじさん」
「生は危ないから、煮るか焼くか炒めるか」
「熱を入れるということね」
木野は小さいながら頭の回る娘である。
「それじゃ、食べられる茸の煮つけと、紅天狗茸の天ぷら作ってあげましょう」
木野は料理も上手である。
夕餉には茸の煮付けと紅天狗茸の天ぷらがお膳にのった。
「うまそうだ、お酒をつけておくれ」
家にいるときは木野と差し向かいで食事をとる。使用人主人という関係ではない。姪っ子と一緒に住んでいるといった関係である。
「おじさん、あたし初めてしゃべる茸を見た」
「ああ、そうだね、茸も草もみんなよくしゃべるのだよ、木野も茸に慣れたね」
「うん、私茸料理の店をやりたい」
「ああ、そうなったら、この広い家を直して、お店をつくればよいな」
「いいの」
「いいよ、木野がもっと大きくなってからだけどな」
茸酔は茸の煮しめを食べた。
「これは栗茸だ、なかなかうまい」
「平茸もおいしいわ」
茸酔は酒をちびちび飲みながら茸を摘まんだ。木野は茸の煮しめでご飯を食べる。
「おじさん、なぜ食べられる茸はめまいを起こしたのかしら」
「人間だと風邪をこじらせたり、首がこったりしたときにめまいをおこす、耳が悪くてもめまいが起きる」
「もう風邪は下火だし、茸の首はこるかしら」
「そうだな、とすると耳だな、耳に何か聞こえてめまいを起こしたんだろう」
そう言った茸酔は林に入ったときのことを思い出した。椋鳥に混じって鵺がいた。
「鵺かもしれない、夜に大きな声で鳴く、しかも血をはくような不吉な声だ」
「それで、茸は目眩を起こしたのね」
茸酔は紅天狗茸の天ぷらに箸をのばした。
塩をちょっとつけると口に入れた。
「お、うまい」
そういいながらあっという間に全部食してしまった。
「おじさん、その茸大丈夫なの」
まだ子供の木野には紅天狗茸を食べさせなかった。
「いい味だ」
そう言ったとき、茸酔は徳利を持って部屋の中を歩き出した。
「おじさんどうしたの」
心配そうに木野が茸酔を見た。
茸酔は徳利から酒を飲みながら、ゆらゆらと部屋の中を歩きまわった。
「おじさん、目が回っているみたい」
そしてとうとう、着ているものをすべてとってしまうと、畳の上に大の字になって寝てしまった。
「恥ずかしいこと」
木野は茸酔に脱いだ着物を掛けた。
四半刻もすると、茸酔が目を覚ました。
「おじさん目を覚ましたね、大丈夫なの」
茸酔は自分が裸であることに気がついて、あわてて着物の袖に手を通した、
「わしはどうしたのだ」
木野は見たことを話して聞かせた。
「おおそりゃあ、驚いたろう、悪いことをしたな、紅天狗茸を食したら、目の前にいろいろな色が現れてくるくるまわった。真ん中に紅天狗茸が現れ、わしゃ、それを追いかけた、目は回ったが周りは光にかこまれ、気持ちがよくなって寝てしまったんだ、紅天狗茸は目眩の茸だ、だがとても美味いものだった」
その後、茸酔が茸の病気という絵草紙をだしたら飛ぶように売れた、園生と新生は茸の病という新作落語で大当たり、二人ともども真打ちになったのでございます
茸喰らい
ここのところ、「茸喰らいて候」と書かれた旗をもって歩いている、侍姿の男が噂になっている。うまい茸の佃煮も売っているが、それだけではない、旗に書かれているように、茸を食べてくれるのだ。
「おじさん、茸喰らいの侍、寺町の方にでたっていう話よ」
茸絵師、茸酔の家に奉公している姪の木野が、夕飯の支度をしながら、炊事場に水をとりにきた茸酔に言った。
その侍は町人が採ってきた茸を、毒か食べることができるか見分けてもくれるが、たのめば本人が食べて大丈夫かどうか試してくれるという。いうなれば毒味である。そのかわり、それなりの食事をださなければならない。
「頼む人なんかいるのかい」
「かなり繁盛しているということよ」
茸酔は毒味など頼む者などいるわけはないと思ったが、そうでもないらしい。
木野の話ではまず武家屋敷。そこの殿様が茸を好きだとなおさらで、仕入れた珍しい茸を実際に食べてもらうのはお毒味役だが、毒味役などおいていない武家の家にとって、助かることらしい。主が死ぬとお家が絶えることもあるので気をつけなければならない。
商人の家では必要はなかろうと思うが、むしろ茸好きな主人は、賄いの者たちに毒味しろなどというと、どのような目で見られるか分からない。そこでその侍をもてなして、食べてもらうということらしい。特に大商人の家から声がかかるという。時として茸ではなく、釣り上げた見知らぬ魚や、山野草なども毒味を依頼することがあるそうだが、草は引き受けるが、魚は断られるそうだ。
「その侍さんどこからきたのかな」
「知らない」
「茸を食べるだけでよくやっていけるものだ」
「売っている茸の佃煮がおいしいという話し、樽に入れて小さな大八車で押してくるんだって、よく売れてるんだって」
「その侍が、近くに来たら呼んでくれるか」
「うん」
茸酔はその侍からおもしろい茸の話が聞けるのではないかと期待した。茸酔は茸の絵だけではなく、話も書くようになっていた。不思議な茸の話に絵をつけて本にするのである。
江戸の中堅どころの版元が、売れる読本を作りたいとその話をもちかけてきた。茸酔はせっせと茸を探しに行き、きれいな絵図にしていたが、文を書くことにはなれていなかった。話を書く人に書いてもらってそれに絵をつけたいと言ったのだが、版元は、素人の文章でいい、その方が身近に感じてよい、と言って、版元のほうで間違いを直すことを条件に引き受けたのだ。
それがやってみると意外と面白い。変な茸の話を江戸の人から聞くことができる。だれそれがどこの山で採った茸を食ったら、ひょっとこのような顔になって踊り出したとか、ばあさんが長屋の板塀に生えていた茶色い茸を醤油で煮て食った。すると急に色づいて、化粧を始めたとか、話しはいくらでもころがっていた。
一方、茸酔は茸採りの名人に会ってその極意を教えてもらったり、茸をおいしく料理する者に話を聞いて、茸に関する解説本も書こうと思うほどにもなっていた。ともかく、茸に関わる面白そうな事柄を拾い出し、話しにまとめる作業は、茸酔にとって今までになかった楽しみとなった。毎日が忙しく充実している。
そのようなある日、紙屋の旦那が顔を出した。頼んでおいた紙をもってきたのだ。
「茸酔さん、昨日ね、茸喰らいの侍さんから茸の佃煮を買いましたよ、そりゃあ、美味いものでしたよ、白い飯に茸の佃煮がとてもよかった、食べると何というか、幸せ感にひたりますな」
「それは何の茸でしたか」
「聞いたら紅茸半分に紅天狗半分といっていましたがね、そんな毒茸食えるわけがない、本当のところは教えてくれないってことざんしょ」
「そうだね、紅天狗は食べると気持ちがよくなって、頭がどうかなっちまうからね」
茸酔は紅天狗茸を食べて、知らない間に裸になって踊ったことがあった。
「茸喰らいのお侍にはどこに行ったら会えるでしょうか」
「気ままに歩いているようだから、どこにいるのかわからないですね、だけど一度きたところには現れないようだから、ここらがまだなら、いつか来ますよ」
待っていることしかできないようだ。
「それから、今日の朝早く、釣りに行ってきましてな、平目がたくさんかかりました、木野さんにわたしときましたよ」
「それはごちそうになります」
「それじゃ、あたしはこれで、今度越後の紙が入りますからもってきますね」
「おねがいします」
越後紙は茸酔お気に入りの紙である。
次の日の夕方のことである。木野が「茸喰らいて候」と旗をたてて車を押しているお侍が、雑貨屋の前を歩いていると言いにきた。
「どうしよう、おじさん」
「呼んできておくれ」
ほどなく木野に案内されて髭面の侍が茸酔の家の玄関にやってきた。
「おじさん。茸喰らいの人つれてきた」
茸酔が玄関に迎えにでると、でっぷり太った恵比寿さんのような男がにこにこと笑顔で立っていた。
「お役に立てることがありますかな」
丁寧な言葉遣いである。
「あ、よく来ていただきました、私は茸酔と申す絵師でございます。茸のお話をしていただければと思い、この娘に声をかけさせていただいたわけでございます」
「あ、こりゃ失礼、ためし食いじゃないのですな、わしゃ、信州の浪人者、田辺草衛門と申す者で、茸の佃煮や茸の薬などを売っておりましてな、茸の見分けを教えたりもしております。
一度江戸の地を踏んでみたいと思いまして、今年こうやって出てきた次第、茸の話とはどういうことでございましょうな」
「失礼しました、どうぞお上がりください、うえでお話をさせていただければと思います、木野、案内しておくれ」
「それでは、失礼して」
小さな大八車を玄関のわきにおくと、草衛門は玄関に入った。
座敷に上がった草衛門は、棚に積んである本をちらっと見ると、「お、ずいぶんたくさんの茸の本がございますな」と見たそうなそぶり。
「ごらんになりますか、どうぞ」
「よろしいですかな」、本を手に取ると開いた。
「これはすばらしい、特に佐渡の本は圧巻でございますな、これはみな茸酔どのが描かれたものですか」
「はい、薬を作る医師の手伝いに佐渡まで行って参りました、茸ばかりでなく、草木、魚、石からいろいろな薬を作る先生が、その方法を書き残したいとのことで、私は絵を描かせていただきました」
「わしも薬を作るが、この本はどこに行けば求めることができるのですかな」
「この出版元は今でも私の茸の本を出してくれています、越後の本屋ですが、私のところで取り次いでおります」
「高いのであろうな」
「はい、かなりのお値段がついております」
「いずれ、買いたい」
「そのときには、おとり計らいいたします」
「信州にはこられたことはあるかな」
「一度ありますが、まだ若い頃でした」
「奇妙な茸がたくさんありますぞ」
「また行きたいと思ってはおります、どうぞおすわりになってください」
茸酔は座敷に案内して、草衛門に座布団を勧めた。
そこに木野がお茶をもってきた。
「この娘は私の姪でして、木野と申します、茸採りも手伝ってもらっております」
「元気な娘子さんだ、大きな声で、茸喰らいさんと呼ばれましてな、びっくりしましたわ」
「はは、それは失礼をしました」
「いや、いや、元気が一番、茶をいただきます」
草衛門は手を伸ばした。
「それで、草衛門さま、今、わたくし本屋から頼まれまして、茸のおもしろい話を集めております、それに茸の絵をつけ、本にするわけでございます、茸のことはよくご存知のことと思います、茸について面白い経験などございましたら聞かせていただきたく、お呼びした次第です」
「おお、あるある、いろいろあるが、忘れることのできない、わし自身に関わる不思議なめにあったことがありますぞ」
「それはぜひお聞きしたいと存じます、話がつきるまでこの家にお泊りいただければ幸いでございます、ここから茸の佃煮や薬を売りに行かれるのもよいかと思いますが、いかがでございましょう」
「おお、それはありがたい」
「草衛門さまはお酒に強そうでございますな、すぐ用意させます」
「あ、それは結構、結構というのは、いらないと言うことでござる、わしゃ、下戸でな、飯はたくさん食うが、こんな顔をしておるが、酒は一滴も飲めませんのじゃ」
「失礼しました、魚は食べないと言うことも聞きましたが」
「そんなことはありませんぞ、魚の毒のことは知らぬので、魚の毒味はできないとは申しておりますが、食える魚は大好きでござる」
「それはよかった、昨日、平目をもらいまして煮てあります。一日たって、じっくり味がしみこんだ平目も旨いものです」
「それはいい、味が濃くなって、飯が何杯も食える、あ、いや、わしの茸の佃煮も食ってくだされ」
草衛門が小包にしてあった茸の佃煮を懐から出した。
草衛門とは気楽に話ができそうだ。
「それでは、湯でもお使いください。その間に夕飯の用意をします、食べた後にでもゆっくりとお話を聞かせてください」
「おお、それはありがたい、内湯とは贅沢なものですな、三日も湯に入っておりませんでな」
「この屋敷は、我が師、虎酔のものでしたが、亡くなったあと、私が住まわせていただいているものです、虎酔師匠は加賀のとある偉い方のお子さまだったことから贅沢な作りになっております」
「ほう、加賀の方の屋敷であったか」
「木野、草衛門さまを部屋に案内して、湯殿におつれしてくれ」
その後、草衛門は平目の煮付けで三杯も飯を食ったが、至っておとなしいもので、茸酔が思っていたほど豪放な御仁ではなく、かなり繊細な人間であることが知れた。
夕餉の後、茸酔は草衛門と自分の画室で話をした。
「草衛門さまはどうして、茸が好きになられたのでしょう」
「そうだのう、父も母もいたって平凡な人で、これといって際立った趣味があったわけではないが、食事は細やかで、手を抜くことをしなかったな。それも父の舌が肥えておったからだと思っている。決して贅沢をしたわけではないが、食材そのものの味を損ねることのないような料理を母は工夫していたな。兄が二人に似て、やることが細やかで、今は江戸の城で勘定方の一人として仕えておる、わしも父の跡をついで、松本の城で働き始めたのだが、見ての通り、城をやめ、茸の佃煮作りなどをやって暮らしておるのですわ」
「お城をおやめになって、ご両親様はなんとおっしゃいましたか」
「はは、あきらめておる、実は両親は江戸の兄の家に居候をしておるわ」
「それで兄上様やご両親様に会いに江戸にいらっしたのですか」
「いやいや、兄のところには顔をださん、小汚いわしが行ったら迷惑だろうからな、冬になる前に、信州に帰るつもりじゃ」
「そうでございますか、さて、茸の話をお聞かせいただけますでしょうか」
「わしには茸の師匠と呼べる人がおってな、その人に生きることを教わったんじゃ、その人のことを話すのはあまり気がすすまんのですがな、奇妙な茸の話でもあるし、おもいきって話してしんぜましょうかな、わしにとってつらい話でもござるのだよ」
「そうでございますか、お話いただける気持ちになられたときに、ゆるりと時間をかけてお聞かせください」
それから草衛門は半月ほど茸酔の家に滞在した。草衛門は少しずつだが、その奇妙な話をしてくれた。
「わしは城をやめ、家でぶらぶらしておりましてな、川で釣りをしたり、山で茸や木の実を採ったり、野菜を作ったりしておった。少しは飯の足しになるからな。
町のはずれの山を登ったときじゃ、おかしなばあさんに出会った。林の中でだ。旨そうな茸が生えていたから採ろうとしたら、そりゃ毒だよお侍さんと声がした、見ると籠をしょった白髪のばあさまがのぞき込んでおった。
そりゃ月夜茸じゃ、と教えてくれた。わしが礼を言うと、ばあさんは後ろを向いて林の奥にすたすた行っちまった。あとでそのばあさんが綿毛ばあさんと呼ばれている茸の神様のような人だと知ったんだ。
綿毛ばあさんは畑も耕さない、よその田の手伝いもしない、それなのに不自由なく暮らしていましてな、それはばあさんが周りに生えている草や木、茸、それに魚のことに精通していからだと後で知りましたな。
ばあさんは野、山、川から食材を集め、それにめっぽう料理が上手でな、それはうまいものを食っていたんじゃ。自分の子供はとうの昔に離れた村に嫁にいったきり顔は出さない、亭主は十年前になくなり、一人暮らしをしておった。
ばあさんは田菜を好んで食べた。田菜の葉はだれもが食べておったが、あのふわふわした綿毛を甘くおいしい菓子にしてしまうのだ。それで綿毛ばあさんと呼ばれていたわけだ」
田菜とは蒲公英のことである。
「魚だって捕まえて食べる。鯰を捕るのが上手だった。男の子たちが綿毛ばあさんを誘って、田圃の脇の水路にいく。最初に鯰を捕まえるのはいつも綿毛ばあさんだ。男の子たちはばあさんの鯰の捕まえ方を見て覚えようとする。
こうやって、そうっと水に入ってな、とばあさんは水の中で腰を落として、両手を、音を立てないように岸辺の草の覆ったところに差し入れ、おらよ、と大きな鯰を捕まえてしまう。鯰のいそうなところと動きをよく知っているのだ。子供たちもまねをしてだんだん上手くなっていく。
女子はばあさんについて野道を歩く。これはイタドリ、アララギ(ノビル)だ、と食べられる草を教わり、さらに親も知らない草の料理も教わる。
「そりゃあ、スベリヒユっていってな、食えるんじゃ」とばあさんが指さす。
「どうやって食べるの」子どもが聞くと、ばあさんは、
「生でもいいけどな、茹でると粘って旨いんだ」と教える。
「田菜はどうするの」
子供は田菜が好きでのう。黄色い菊のような花がきれいに咲いていると、ついつまみたくなる。咲き終わった後の綿毛もふっとふくと宙に舞う。
「これだってうまいんだよ、ごまとあえたってええ、ぺんぺん草やハコベラだって食える」
秋になると綿毛ばあさんの得意な茸狩りがはじまる。何しろ、どのような毒茸も簡単に見分けることができるんだ。茸の季節には、大人も子供もばあさんと一緒に山にはいる。茸だけではなく、木の実もいろいろ採れる。
綿毛ばあさんのところには、町の人たちが採ってきた茸を見せに来る。そこで毒茸と食べられる茸をわけてやる。もってきた人は毒茸をばあさんのところにおいて帰る。
ばあさんがほかってくれると言うからだ。
そうなると毒茸がたくさんばあさんのところに集まる。秋になると毎日のように毒茸が持ち込まれるので山となって残ってしまうんじゃ。
ここからが不思議なのである。ばあさんが村人のもってきた毒茸を捨てるのをだれ一人として見た者がいなかった。
ばあさんは毒茸を、少しだけならそのまま食べられるもの、ゆでれば食べられるもの、塩漬けにすると食べられるもの、すり潰すと薬になるものに分けて処理をする。
薬になる毒の茸は、乾燥させ粉にして蓄えておく。それを知っている者が買いにくる。多くは町の薬師からの使いだった。
ある毒茸は粉にして服用すると、怖い者知らずになり、戦で力を発揮する。それは武士が買いもとめた。ばあさんは今の世にそんなものいらんのに、と思いながらも売っている。ということで、綿毛ばあさんは食べるに困らないのだ」
「春のある日、ばあさんが子供たちをつれて土手を歩き、周りに生えている草を教えていたときのことじゃ、わしは川で釣りを終えて家に帰るために土手に上った。
ばあさんが子供に草を指さしてなにやら言っている。こりゃ、編笠じゃ、変なかたちだろ、と言っている。こどもたちは、気持ちわりい、とうなずいている。じゃけんど食えるんじゃ、うまいんだぞ、炒めてみろ、生じゃだめだがな、とかがんで採った。子供たちもまねをして採った。
わしゃな、どこかで聞いたことがある声だと思いながら、土手で子供たちがしゃがんでいるところを見た。でこぼこの色の悪い茸がたくさん生えていた。
ばあさんが振り返ってわしを見た。
わしはおもわず「あ、あのときの、ばあさま」と叫んだな、林の中で月夜茸を教えてくれたばあさんだ。
「いや、助かりました、危なく毒茸を採るところでした」
わしゃ礼を言った。ばあさんも覚えていたようで、
「おお、あのときのお侍さんかね、今日はなにかね」としわくちゃの顔をほころばせた。
「釣りじゃ、こんなに釣れたわい」
わしは魚籠の中を見せた。ウグイがたくさんはいっている。
「豊漁じゃな、この茸もうまいよ」
ばあさんは編笠茸を指差した。条件がよかったのかあちこちにたくさん生えている。
「お侍さん、採っていくといいよ」
ばあさんがそういうのでわしも茸を採った。
「本当に食えるんかい」
「そりゃあ、うまいよ、これから家に帰って、この子たちに茸炒めを作ってやろうと思うんじゃ、お侍さんもくるかい」
面倒見のいいばあさんだ。
「ばあちゃんが作るの旨いんだ」
一人の男の子がわしにそう言うと、周りの子供もみなうなずいていたな。
「この子ら、父ちゃん母ちゃんがでかけてるんで、ちょっとあずかってるんじゃ」
それではと、わしも、釣った魚も一緒に料理してもらえんかな、みなに食わしてくれ、とついていった。
ばあさんの家はわしの家とは方向が違う。町のはずれだが、なかなかいい作りの家であった。あとできくと、亭主がやり手の行商人だったそうだ。それで家を造るまでに出世した。亭主をなくしたばあさんは独りで住んでいた。
大きな土間があって、大きな竈があった。そこで小魚や茸の佃煮を作って、亭主が商をしていたということだった。
ばあさんは、ウグイを煮て甘露煮をつくり、編笠茸を炒めた。
子供たちは喜んで食べた。草衛門もその美味さに驚いた。最後にばあさんは壷から水飴のようなものを子供たちに食べさせた。
水飴の中に白いものが浮いている。甘い水飴だがその白いものがとてもきれいだ。
「こりゃなんでござる」わしゃ聞いた。
「タンポポの綿毛じゃよ、子供はこれが目当てじゃ」
そこで、このばあさんが綿毛ばあさんと呼ばれていることを知ったのだ。
食事を終えると、一人の子供に粉を飲ませた。
なにかなとわしが尋ねると、この子は咳の病でな、夜苦しくなるんじゃ、あたしが作った薬を飲ませておる、と言っておった。
今で言う喘息である。そのことで草衛門は綿毛ばあさんが薬の知識も豊富なことを知った。
「おばば、どうでござろう、佃煮の作り方を教えてくださらんか、それに茸の薬の作り方も知りたいのだが、いかがだろう」
「お侍さん、それでどうするね」
「わしゃ、はずれ者で、勤めもなく、なにか手に職をつけなければと思っておってなあ」
「そんな殊勝なことを、むずかしかないね、教えてやるから、売ったらどうだい、この竈を使っていいよ、それに薬も教えてやるから」
ばあさんは誰にでも親切でな、
「ありがたいことで、売れるようなものが作れるようになったあかつきには、売れた半分はおもちする」
そう言っても、
「いらないよ、今のままで十分だよ、もう先もないしね、佃煮の作り方を覚えてもらえりゃあええ、爺さまの作り出した方法じゃ、誰か知っててくれれば爺さま浮かばれるで」と、手をふるばかりじゃ。
「それなれば力仕事など何なりと申し付けてくだされ」
それで、茸の毒の見分けからから、茸の佃煮、薬の作り方まで教えてもらうことになったんじゃ」
そういう出会いから、草衛門は綿毛ばあさんから茸の佃煮や薬の作り方を教えてもらったそうである。
それだけではない、草衛門がばあさんの家にかよい、いろいろ教わっていると、秋になって、周りの人たちが知らないことを知ることになったという。ばあさんが茸毒にめっぽう強いのである。町の人たちがもってきた茸から食べられる茸をより分けて返すと、残していった毒茸をゆでたり、塩付けにしたりしながら毒を抜いて食べてしまう。しかも、たまに猛毒の茸を生のままで口に入れ、食べていることもあった。
草衛門はばあさんに聞いたそうだ。
「おばばはどうしてそんな毒茸を食っても平気なんだ」
ばあさんは答えたという。
「だんだんとだなあ、そうなったんだ」
草衛門の話だと、ばあさんは貧しい家に育ったという。
「綿毛ばあさんは、子供のころまともな物を口にすることはなかったそうだ。山のものを採って飢えをしのいでいた、多くの茸は毒なことを知っていたが、少しならいいだろうと思って、草と一緒に食ったそうだ。生のままだ。体質もあったのだろうが、そのうち毒茸を丸ごと一本食っても大丈夫になったという。
大きくなり、毒茸と食茸と区別ができるようになった頃は、どの毒茸を食っても大丈夫な体になっていた。ただやはり何本もいっぺんに食べるとおかしくなる。そこのところは自分の体の調子などを考えながら食べたそうだ。
年頃になったときには、毒そのものの味がわかるようになり、さらに毒の種類によって味が違うことに気がついた。
要するに知らない間に舌が毒を判別することができるようになっていたわけだ。その特技のおかげで、商売上手の男の嫁になることができたというのだ。それからは、亭主の売り歩く佃煮づくりや、薬づくりを手伝うようになったということである。
年をとって一人になってからは、先に話したように、綿毛ばあさんと呼ばれ、周りから頼られるようになったわけだ」
草衛門は半年ほどばあさんのところで、毎日佃煮を作ったり薬を作ったりした。毒茸と食茸の違いはわかるようになったが、毒茸の毒の違いまではわからなかった。それでも毒茸を少しばかり食べてもからだにさわらなくになり、ばあさんの佃煮や薬も一人で作ることができるようになったということだった。
それからは山の奥に自分の掘っ立て小屋をつくり、竈をつくった。一人で佃煮などを作ることができるようになったそうである。
「それで、その綿毛ばあさんは今どうしているんですか」
茸酔は聞いた。
「そこが信じられないような茸の話になるんじゃ、綿毛ばあさんは珍しい茸をずいぶんみつけて、自分で名前を付けて、食べられるものかどうか調べたんだ、いくつもそういう茸があるのだが、還暦になろうとするときに、ばあさんはこれから話す奇妙な茸にであってしまっての、ばあさんがいつものように、面白い茸がないかさがしながら、山の中を歩いているときだったそうだ。奇妙な舞茸をみつけたのだ、舞茸は白い奴と黒い奴があることは茸酔殿も知っておられるだろう」
茸酔はうなずいた。
「その舞茸は青色をしていたのだ、しかも毒だ。ばあさんがその舞茸に遭遇していたころ、わしは忙しくなり、ばあさんのところに顔を出すことをしなくなった。ともかく自分で茸も保存できるようになっていたし、薬を作ることも覚えたからそれを売り歩いていたのだ。それに茸を採りやすいように作った山奥のわしの家は、ばあさんの家まで半日かかるほど遠かった。佃煮を作って近隣の村に売りにでるとき、たまにばあさんの家によるぐらいじゃった。
久々に行ったときじゃ、ばあさんが青い舞茸を見つけたことを話してくれた。だがそのときその舞茸はなくて、本物を見ることはできなかった。
秋になったらまた採ると言っていたので、次に見せてもらうことにした。その舞茸は毒だが美味よ、と口元にしわを寄せて嬉しそうに笑っていたわい、そのころまだまだばあさんは元気だった。
わしもちょっといい薬を作ることができた。腰掛けの仲間から胃の腑がすっきりする薬をみつけた。これは腹の具合が何となく悪いと思うときに飲むとすぐよくなる。熊の胃は痛みを止めるものだが、わしが作ったのは、胃もたれ、食欲不振のときに、胃がすっきりしてな、食欲が増すのだ、わしが自分で試してみたところ、茸の毒に対してもわずかだが効くようだ。毒消しまでにはならんが、症状を和らげることができそうだった。それにかかりっきりになって、ばあさんには半年も会わなかった。
胃の薬ができたときばあさんのことが気になった、もういい年だ、それだけではなく青い舞茸はどうなったか、見てみたいという気持ちもあった。何か手伝ってやることはないかと、できた胃薬を持って、久しぶりに綿毛ばあさんのところへ行った。
家の入り口に顔を出したばあさんは元気そうだったが顔色が悪い。青味がかっておった。
「おばば、なんだか顔の色が違うがどうかしたのかね」
だが、ばあさんはいつものようにしわしわの笑い顔になった。
「青くなったと思ったんじゃろ」
わしははうなずいた。
「元気じゃよ、だが体が青色になりおった、ほら」
ばあさんが袖をめくると、腕がみな青っぽかった。
「どうしたんだ」
「これを食った、話ししたろうじゃ、青い毒の舞茸だ、たくさんみつけての」
ばあさんは乾燥させた大きな舞茸を小屋からもってきて見せてくれた。青い舞茸を乾燥して、いつでも食えるようにする方法もあみだしておった。
乾燥していても青色だった。大きさはそうだな、大きな釜ほどもあったかな、それで、さぞ大きなブナの木の下にでも生えていたのだろうと思ってそう尋ねた。
すると、いや、細いブナの木の下だということだった、まだ若い木の根本に大きく開いておったということだった」
「若い木に宿る舞茸だったのですね」
「わしも最初はそう思った、ところが綿毛ばあさんが言うにはな、最初、その林の古いブナ、おそらく何百年もたった奴だろう、その根本にもまだ小さな青色の舞茸が生えていたそうだ。それで、もっと大きくなってから採ろうと、数日たってから行ってみたが、大きなブナの木が見当たらない、しかし大きく育った青い舞茸は、覚えていたところに生えていた。脇には細いブナが生えていたわけだ。古いブナの木は倒れたわけではなく、どこかに消えてしまっていた」
「どういうことだかわかりませんが」
「そうなんじゃ、それでわしも不思議なのでそのことは聞いた、すると、ばあさんも何がなんだか分からんが、今年はこれから青い舞茸を採りに行く、一緒にいくかとわしに言った。わしはもちろん行くと答えたよ。
ばあさんが
「明日朝早いから、行くならうちに泊まれや」
と言うので、わしはそのままばあさんの家に泊まった。
夕時、おばばは乾燥した青色の舞茸をもどして、味噌をつけて食った。わしにもちょっと食ってみるかと、ほんの一かけらをくれた、それに味噌をつけて食ったらな、大変なことがおきちまった、苦いだけじゃない、口の中はひりひりする。わしはほきだしちまった、ばあさんは平気な様子で食べている。そのうち、頭の中がくらくらしてきてな、目の前に星がちらついてきた。すると、おばばが言ったのだ。
「星が出てきたら、今度は月がでてくるぞ、空を泳いだ気持ちになって、終りじゃ」
わしはその通りになって元に戻った。わしは聞いた。
「おばば、なぜ、こんな毒茸を食らってもだいじょうぶなのだ」
「なぜかのう、はじめはおまえさんが食ったようになったが、何度目からか甘く感じるようになっての、味噌をつけるとうまくて飯がすすんだんじゃ、ただ、体が青色になりおった」
「長寿の薬になるかもしれん」
「そうかもしれんな」
「わしが作った、腹がさっぱりする薬をもってきた、それを飲んだらどうなるだろう、毒消しになるかもしれん」
「どうじゃろ、もう一回青の舞茸を食ってみるか、それで、その薬を飲んでみたらよかろう、わしゃ、もう毒に強くなっているから、その薬がきくかどうかわからんよ、あんたさんならいいんじゃないね」
そう言われた草衛門は自分で作った薬を飲んで、青の舞茸を食ってみたそうだ。すると、苦くてひりひりするのは変わりがなかったが、星が見えたり月がでたりはしなかった。少しは効果がありそうだと思ったそうである。
草衛門はその話をおばばにした。
「そりゃあ、他の毒の茸にはもっと効くかもしれんな、やってみるといいのう」
おばばは青い舞茸をうまそうに食べながら言った」
草衛門は話を続けた。
「明くる朝、おばばにつれられて、山にはいった、大きなブナの木の根元に生えた青い舞茸をいくつかみつけた。しかしまだ小さかったので採るのはやめたが、ばあさんが、一つもっていきなと持たせてくれた。
ばあさんは至極元気でな、古希どころか傘寿までも生きる勢いだった。青い舞茸の効果かもしれんでな、それで安心して家にもどったんだ。もらった若い青い舞茸は乾燥させてとってある。
次にたずねたのは一年後の秋、茸の季節だった。青い舞茸をもう一度探してみたいと思ったからだ。
おばばの家に行って戸を開けるとな、土間のところに青色のおばばがふーっと立っていて、わしのほうを見ようとしないんだ、目がうつろなんじゃ、何じゃと思って足下を見ると、土間に青い舞茸が生えていた。おばばの目は宙を見ておったな、何も言わぬしな。こりゃおかしい、病に冒されているとわしは思った。
戸を開けたんで、日の光がおばばに当たった、すると見る間に青い舞茸がぐんぐんと大きくなってな、おばばは縮んでいくじゃないか、舞茸が釜の大きさほどになると、おばばは犬ほどの大きさになり、猫ほどにも小さくなって土間の上にたっておった、わしゃぞーっとして家を飛び出したんじゃ。
その足でわしはもう一度、おばばと行った青い舞茸の生えている森の奥に入った。
するとな、大きなブナの木の下にやっぱり青い舞茸が生えていたな、わしゃ、しばらく見ていたんだ、ちょうど日の光が少しばかりだがそのブナの根本に当たったんだ。するとな、青い舞茸がぐんぐんと大きくなって、ブナの木が細くなっていったんだ。とうとうブナの木は細い若木になってしまった、青い舞茸はブナの生を吸い取って細くしてしまう、そうして自分が成長したんだ。見ていたが全部吸い取ることはなかった。若木を残して、年をとったらまた青い茸の餌になるわけだ、そこでわしゃ気がついた」
草衛門は一息ついた。そして、あわててまたばあさんの家に戻ったと言った。
家にはいると、土間に、大きな青い舞茸の脇で、青い赤子がころんところがっていたそうだ。もう事切れていたという。
「わしゃ、途方に暮れた、おばばを見殺しにしたんだ、最後までみておれば生きていただろう、だが、もう一つ気がついたことがあった。もし、この赤子が大きくなったらどうなっただろうとな、青い色の人間など、誰も生かしておいてくれないだろう、見せ物小屋行きだ。これでよかったんだと、わしゃ自分にいいきかせたな」
草衛門はそれから、死んだ青い赤子を林の中に埋め、木の墓標をたてたそうだ。
一年後、草衛門が墓参りに行くと、その木の墓標は青い色に変わり、脇から青い舞茸が生え、墓標が消えてしまったということである。やがて舞茸はしおれ、茸虫が食ってしまったようだが、周りにたくさんの茸虫が青くなって死んでいたのだそうだ。恐ろしい茸である。
「まだ青い舞茸は生えているのでしょうか」
「わからん、わしはおばばを埋めてから、青い舞茸の生えている森の奥に行って、生えておった青い舞茸はみんなひっこぬいてやった、それで、燃やしてしもうた、だが、胞子は何処にでも飛んでおる、またどこかで生えておるやもしらぬ、青い舞茸は毒であることを、茸酔殿、ぜひ絵に描いて広めていただきたい」
「家に持っていかれた乾燥した若い青い舞茸はどうなさいました」
「あれも埋めてしまった」
この話を聞いて、茸酔は青い舞茸の絵を書いた。その当時の青は空の青はもちろんであるが、木々の葉の緑も含まれる。草衛門の話では草の青に近いということであった。青の舞茸の下に丸まった青い赤子も書いた。不思議な話であった。
草衛門は昼間には茸酔の家をでて、茸の佃煮を車にのせて町の中を歩いた。よく売れているようだ。
綿毛ばあさんの話から三日ほどたった夕刻、二人の男が茸酔の家にやってきた。木野が玄関にでると、主人に会いたいという。
木野は茸酔を呼んだ。
「何かご用でしょうか」
二人ともさっぱりとした身なりをした二本差しである。
「城に勤めておるものでござる、こちらに茸喰らいの御仁が寄宿しておると聞きおおよび、会わせていただきたく参りました」
「私は、ここの主人、茸酔にございます、たしかに茸喰らいのお侍さまがおりますが、なにようでございましょうか」
「茸喰らいの御仁は侍なのか、それは知らぬことであった、わしは篠田三郎助と申す殿のおそばに使えるもの、実はあの茸の佃煮を城のみなみなが旨いと申して、城に入れてもらおうと思い参った次第」
「そういうことでございますか、おられます、お取り次ぎいたしますのでしばらくお待ちいただきたく存じます」
おいそれと家に上げて、草衛門様に迷惑がかかるといけないと思った茸酔は、すぐには侍を上にあげなかった。
草衛門に来客のことを伝えた。
「あいわかった、先だって、城の下働きのものが茸の佃煮を買っていった、気に入ってもらえたなら嬉しいこと、お会いしたい」
茸酔は玄関に戻り、丁重に二人を座敷に通し、木野に茶の用意をさせた。
おそば侍が茸酔に、
「茸絵師の茸酔殿でござるよな、わしは毒味役をしておって、茸酔殿の茸の図譜は大変役に立っておりますぞ」
「ありがとうございます」
篠田は茸酔のことを知っていた。
「こちらは勘定方の田辺長衛門殿でござる」
「わしも茸は好きでござってな、篠田殿についてまいった」
そこに木野が草衛門をつれてきた。
すると、いきなり長衛門が大きな声を上げた。
「なんということだ、草衛門じゃないか」
茸酔もびっくりしたが、草衛門ももっと驚いた。篠田三郎助も木野も何が起こったかわからず長衛門を見た。
「兄上ではないか」
草衛門が言った。それで茸酔も理解した。
「茸喰らいは長衛門どのの弟御でございましたか」
篠田がびっくりしていると、長衛門が説明をした。
「これは失礼いたしました、こいつは信州で好きかってに生きている弟、草衛門にございます、茸の薬など作っておりましたが、まさか江戸にきて茸喰らいと大声を出して、佃煮を売り歩いているとは思いもしませんでした、申し訳ないことで」
「いや、田辺殿がそのように申されることはない、美味いものは美味い、しかも弟ごなら安心できる、茸の佃煮、用件の話しをすすめてよろしゅうございますな」
篠田が田辺をおさえるように言った。
「兄じゃ、申し訳ない、訪ねると迷惑かと思い、行かなかった、父や母は元気でござりますか」
「ああ、元気じゃ、後でよりなさい」
「はあ」
「それでは、私の方から、草衛門どのにお願いでござる、あの茸の佃煮を城に入れてくださいませんかな、一年中茸が食べられると、殿も喜んでおられるのでな」
草衛門は顔をほころばせ、
「いや、ありがたいお話でございます、味などは保証いたしますが、一度にたくさん作ることができません、小さな樽一つほどしかできません」
「どうでしょう、勘定方の田辺殿、草衛門どのに人をつけて、城用に作ってもらってよろしいでしょうか」
「その程度の費用は出せるが、身内のものに出すのはいかがかと思いますな」
「田辺殿、弟御と考えずによろしいのではないでしょうか」
聞いていた草衛門が口を開いた。
「いかがでございましょうや、私はもう城勤めもやめたただの百姓、茸採りの人間にすぎません。これからも信州で佃煮や薬を作っていたいと思っております、そこで、作ったものをどこかに卸し、それを買い求めていただけるのなら、そちらの自由でございます、量を作るとなると、人を雇わねばなりません、値が高くなります」
「値が上がるのはかまいませんぞ、城の人をやるより安上がりでござる、それでどこかに知っている店はあるのか」
「いえ、江戸ははじめてでございます」
それを聞いていた茸酔が言った。
「どうでございましょう、作った茸の佃煮は私のところが仕入れて、お城に卸すのはいかがでしょう、手間賃も何もいりません、草衛門様からは茸のおもしろいお話を聞かせていただきました。そのお礼でございます」
「そのような迷惑はおかけできませんな」
草衛門はそう言ったが、二人はうなずいている。
「そうしていただければ問題ないが、手間賃なしというのはまずい」
篠田三郎助は首を横に振った。
「では、奉公人の木野に運ばせますので、木野に手間賃を出していただくというのはいかがなものでしょうか」
「それでよければ、もちろんでござる」
こうして茸喰らいの作る佃煮は、茸酔のところを通して城に売られることになった。
「茸の薬なども必要なものがあったら作ります」
草衛門はそう言った。
「城にいる薬師に伝えてみよう、いい話ではないですか、田辺殿は立派な弟御をおもちだ」
篠田にほめられ、草衛門は兄の顔を見た。田辺はうつむいているが喜んでいるようにも見える。
「篠田殿、ありがとうございました、茸酔殿にはやっかいをかけますがよろしく願います、それに草衛門がお世話になり、礼を申します」
「いえ、草衛門さまには教えていただいたことが多く、感謝している次第です、これからもよろしくお願いいたします」
草衛門はそれからまもなく、茸酔の家から兄者の長衛門の家に移った。
そのようなことがあった。
「木野、茸の佃煮のことは頼んだよ」
「うん、草衛門さんおもしろいおじさんだったね」
「ああ、いつか、信州の草衛門さんのところを訪ねてみよう」
茸酔は草衛門の話してくれた綿毛ばあさんの話を一つの本にするつもりである。
その後、信州に帰った草衛門から綿毛ばあさんの家を買い取り、人を雇って茸の佃煮や薬を作り始めたという手紙をもらった。
茸酔は佐渡でつくった薬の本を草衛門に送った。
蛇の嫁入り
木野が信州の草衛門から送られてきた佃煮の樽を城に届けてきた。
草衛門は一年ほど前、茸の佃煮を信州から運んできて、江戸の町で売り歩いていた浪人者であった。草衛門に茸の佃煮の作り方を教えたという老婆は奇妙な茸を見つけ、最後はその茸に食われてしまった。草衛門からその話をきいた茸酔は物語にして茸草子の一つとし売り出し、人気を博した。
草衛門の兄が江戸の城に勤めており、彼の作る佃煮を、茸酔を通して城に納めることになった。その役割を木野がやっているわけである。城から受け取った代金は、信州から茸酔の実家の宿屋「井草」に毎年来る茸採りの熊蔵に託し、草衛門に渡すことにしている。
「おじさん、こんなにたくさん駄賃もらったよ」
城の台所に行くと、係りの女中さんが木野に佃煮の代金と運び賃を払ってくれる。
「そりゃあ、よかった、だいじに使えよ」
木野は茸酔の姉の娘で、茸酔の師匠である虎酔の世話のために住み込むようになり、師匠が亡くなったあとも茸酔を手助けしている。
「お城の台所で働いているおばあさんが面白いことを言ってたよ」
「なんだい」
「おいしい茸を見つけるのに蛇を使う人がいたんだって」
「どこにだい」
「上州だって」
「あのあたりも茸が多いからな、面白そうな話だな、そのおばあさんからその話を聞きたいな」
「聞いてみるね、そのおばあさん、米さんていうんだ、深川の長屋に住んでいるって言ってたから遠くないよ」
数日後、木野が米ばあさんを茸酔の屋敷に連れてきた。仕事が休みの日だそうだ。
「よく来てくださった、どうぞ入ってください」
「ありゃ、木野ちゃんはいい家に住んでいるだね」
「おじさんの家、私はここで奉公しているの」
「木野ちゃんのおじさんかね、どうも米です、米を炊くしかでけねえんですけどね、蛇の話はできると思うよ」
米さんは、こんな立派な家に上がったことがにゃい、などと言いながら、どっこらしょと玄関から上にあがった。
「おじさん、茸の絵を描いているの」
「そうかね、あたしゃ、茸は食べるのがいいね、木野ちゃんの持ってくる茸の佃煮うまくて誰も残さないのでね、なかなかあたしたちの口に入らんよ、だれか残せばもらえるんだけどね」
「木野、うちにはあるんだろ」
「うん、あるよ、米さん、帰りに持ってってよ」
「そりゃ嬉しいね」
米さんは座敷に通された。
「あんりゃま、きれいな部屋だこと、だけど庭がごちゃごちゃだね、うちの長屋に庭いじりのじいさんがいるよ」
茸酔は庭の手入れなどは苦手である。
「それじゃ、いつかたのみますよ」
「ああ、伝えとくよ、もう隠居のじいさんだから、仕事がもらえると喜ぶよ」
米さんは座布団の上に座ると、「あ、あそこに茸がはえとる」と庭の椿の木の下を指差した。
茸酔が見ると、小さな桃色の茸が生えている。針金のように細い柄の上で透き通るような傘がかわいく揺れている。絵になる。茸酔は灯台下暗しだと頭をかいた。
「米さん、目がいいねえ」
お茶とお菓子を持ってきた木野が驚いている。
「そりゃあね、あたしゃ、榛名の山で育ったんだ、山歩きばかりしていたので、遠くのものはよく見えるんじゃ」
「榛名は私も佐渡に行くときに泊まりました」
「ほうそうですかい、いいところじゃろ」
「はい、榛名山にもいって、茸の絵をたくさん描きました、湯も良かった」
「そうですじゃろ、若い頃は湯の宿で働いておってね、そこに泊まった江戸の男に惚れられましてな、まあ腕のいい大工で、江戸のお城の養生などをたのまれていたようで、稼ぎは悪くなかったので、親の方がもらってくれと、勝手なことを言って、くっつけられましてな、ほほほ」
話し好きなばあさんだ。
「それで、江戸に出てきたら、それでもそのころは新しい深川の長屋に住むことになりましてな、こりゃあいいと思いましたよ、八人の子供を産んで、男の子はみな手に職をつけ、娘は嫁にいって、じいさんと二人になって、あのころ、じいさんはまだ城の直しの時には呼ばれるが、あたしゃ、なにもすることがない、じいさんが城に行ったときに飯炊き女を捜していると言って、五年も前だろうかね、働くようになってね、亭主はそれからすぐに死んじまったけどね、飯炊き女をしていることで、お飯が食える、亭主にゃ感謝しておるんですよ」
「米さん、お茶がさめるよ、この羊羹おいしいから食べて」
米さんはお茶を飲むのも忘れて自分のことをしゃべっていた。
「おじさんが、蛇のこと聞きたいって」
米さんは「旨い羊羹だこと」とお茶を飲んで、それから、
「そうでした、蛇と茸だな」と笑った。
茸酔は書き留める紙を手に取った。
「榛名山に旨い茸を採ってくる男がおってな、その男は帖助さんといって、鶏を飼ったり畑をやって暮らしている独り者だった。あたしが働いていた宿でも帖助さんから卵や野菜、それに山から取ってきた茸や山菜を買っていましてね、滑子、椎茸、舞茸だってほかの茸採りがもってくるのとは違うんだ。肉厚で味がいいものだったな。
帖助の茸は殿様や大商人が泊まるような大きな宿で高く買うので、周りの宿にはもっていっていなかった。
どうしてあたしが働いている宿に、帖助さんが茸をいれてくれたかというとな、帖助さんは宿の女将さんの甥っ子だったんだよ。女将さんの妹の三番目の息子でな、女将さんのおっかさんが若くして亡くなったんで、妹は女将さんが育てたようなものだったそうでね。妹の息子たちはみなしっかりした男たちで長男は越後に、次男は越中で、それぞれ商売を始めて嫁をとった。三男の帖助が残って母親の面倒をみたわけですよ。
そんなわけで帖助は採ってきた茸をうちの宿に安くいれてくれていたわけなんよ」
一緒に聞いていた木野が「帖助さんどうして茸のことよく知ってたの」と聞いた。
「それがねえ、茸のこと何にも知らんのよ、帖助は子供の頃から茸が嫌いでな、食べなかったそうだよ、茸は栄養があるし、母親は採ってきて料理したんだけど、いやがって逃げ回ったんだよ、野菜はよく食べたそうだけどね、だから帖助は茸採りに行ったことなどなかったんだよ」
「それでどうして美味しい茸を採ってくるの」
木野が不思議そうな顔をしている。
「大きくなってから帖助は鶏を飼うようになり、世話がとても巧くてな、鶏がよく増えるし、卵もたくさん産む、それを宿屋などにおろしていてな、またその卵が美味くてな、黄身が大きくてしまっていて、高く売れておったよ」
「鶏と茸がどう関係あるの」
「木野ちゃん、意外とせっかちだねえ」
米さんが笑った。
「ところがな、鶏の卵をねらってな、鼬は来る、狐は来る、猿までが来よってな、それで帖助は竹を切り出して囲いを作って、屋根までつけた。がんじょうな鶏小屋をこさえたのさ。夜は鶏を小屋に入れて、朝、卵もそこで産ますようにしておったんよ。鶏は朝日が当たってしばらくすると卵を産むもんじゃから、卵を産んだら小屋から出して庭に放ったんだ。
囲いができたんで、狐や猿はそれであきらめたようだけんど、卵が減っていることがあった。一日にとれる卵の数はいつも大体同じなもんだ、どうも鼬のようなんだな。鼬はいつの間にか隙間から入っちまう。それで竹の隙間を少なくした、ところが、やっぱり卵がいくつか盗まれる、盗んだ奴はどこかに持って行ってしまう、そこで食べれば殻が残っているのに、何もなかったんだ、柵のところに穴を掘ったのかと調べたがその様子もない」
「近所の誰か盗みにきたんだね」
「人間じゃないやね、帖助は人がいいから、貧乏な家にゃ、ただで分けてやっていたりしたからね、周りの者はそんなことはしないさね」
「鶏が自分で食っちゃったんじゃない」
「木野ちゃんは面白いね、だけど違うんだよ、もしそうでも殻のかけらくらい落ちているものだからね、それで帖助は鶏小屋の中の地面をくまなく調べたんだ、そうしたら、土のめだたないところに、わずかだが小さな穴があるのを見つけたんだ、それでこれだと思った帖助は、鶏を外に出したあとに、小屋の陰からのぞいていたら、穴から顔を出した奴がいた」
「もぐらだ」
「木野ちゃん、モグラが鳥の卵食べるかい」
「じゃあ、ネズミ」
「ネズミだとかじり散らかすだろう」
「なんだろう」
木野は思いつかない。
「それがな、なんとな、卵を持って行ったのは蛇だったんだよ。赤っぽい蛇で、にょろにょろ穴から出てくると、鶏の卵を大きな口をあけて二つも飲み込みながら、いそいで穴の中に入っちまった。あっという間の出来事だったんで、帖助は捕まえることができなかった。それで次の日の朝、帖助は鶏を外に出してから、小屋の中で蛇がでてくるのを待ったんだ。やっぱり出てきて卵のところにやってきたのでな、赤い蛇の首根っこを捕まえて鶏小屋から引っ張りだした。
真っ赤な蛇で見たことがない奴だ、ヤマカガシとは違うようだが、あごが張っていないから毒蛇じゃないだろう、食っちまおうかと、帖助は台所に持っていった。
帖助が蛇を見ると、蛇も帖助を見た。すると蛇のつぶらな黒い目から涙がぽとりと落ちた。帖助は生きもの好きで、無性にかわいそうになってきたわけよ。一度そう思ってしまうと、もう食うことなんかできないやね。
それで、蛇を持ったまま、裏山に行って、こう言った。
卵を一つだけ残しておいてやるから、ほかの蛇がこないように鶏小屋を護れよ。
それから蛇を放してやったんだ。
その時から鶏の卵は減ることはなくなったが、鶏を外に放し、鶏小屋から卵を拾うとき、一つだけ穴のそばに残してやったそうだ。いつのまにかその卵はなくなっていた。それは毎日続いたそうだ」
「帖助さんて本当に優しいんだね」
木野が感心している。
「そうなんよ、それから卵が減ることもなく、たくさんとれた。ともかく帖助の鶏の卵はおいしいと評判でよく売れた。それから数年たち、父親と母親が相次いで他界したあとも、帖助の卵は高く売れて生活できておったんだよ」
ここからは米さんが話したことを茸酔がまとめたことである。
ある日、帖助が鶏小屋をのぞくと、赤い蛇がとぐろを巻いて卵の中におった。
一つ食っていいぞ、と帖助は蛇に言ったそうだが、蛇は卵を食べずに帖助の方にはいずってきた。鶏小屋を開けてやると外にでてきてな、帖助が蛇についていくと、台所の土間にやってきた。そこで蛇は大きな口をあけて、これまた大きな茶色い茸を吐き出した。
帖助は茸があまり好きではない、もちろんその茸の名前などわからない。毒なのか食べられるのか。帖助がその茸に近寄らないことを見てとった赤い蛇は、吐き出した茸を咥えると、突っ立っている帖助の足下に持ってきた。
帖助にも蛇がその茸を何かしろと言っているのがわかった。ともかく帖助はその茸を拾い上げた。すると帖助の好きな苺の香りが立ち上った。あのあたりでは苺は採れない。寒いところで苺はうまく育たない。
まだ帖助が子供の頃、駿河からきた旅人が榛名山に上る道で遊んでいた帖助に行く方向を尋ねた。帖助が教えると、青い苺を一つくれたことがあった。その旅人が言うには、駿河では苺は真っ赤になってから食べる、だが赤く熟れたのはすぐだめになる、だから青いまま持ってきたということだった。いつも腹が減っていた帖助はすぐに口に入れた。酸っぱいがいい香りがして、とても旨いものだと思った。その記憶は大人になっても消えなかった。いつか赤い苺を食べたいものだと思っていた。
そんなときに、赤い蛇が持ってきた茸の香りが苺にそっくりだったのだ。旅人がくれたときと同じように、帖助はその茸を水で洗うと齧った。
うまい、と帖助は思わず言った。茸なのに甘酸っぱい香りが口の中に広がった。旅人がくれた青い苺を思い出した。
それを見ていた赤い蛇は、腹の中からいくつもの同じ茸を吐き出した。
母親が茸をゆでたり、ほかのものと一緒に煮たり炒めたりして食べていたことを思い出した。
帖助は蛇の吐き出した茸を水で洗って笊にあげた。蛇を見ると、満足そうに土間から外に出るところだった。
「ありがとよ」と声をかけると、赤い蛇がちょっと振り返った。目が喜んでいるように見えた。
帖助はその茸をゆでると塩につけて食べた。苺の匂いがして、畑の野菜より旨かった。茸がこのように旨いものだとは思っていなかった帖助は、山にいくらでも生えている茸を採ってきて食べてみた。
子供の頃あんなに嫌いな茸だったが、とても旨く感じられた。
それ以来、山にはいると木の実だけではなく、茸も採るようになった。
ただ、困ったことがある。帖助は毒茸と食べられる茸を見分けることが苦手だった。採ってきた茸を、茸採りを生業としている権じいさんに選んでもらわなければならない。そこで、権じいさんに茸採りに連れて行ってもらうことにした。毒茸を教えてもらうためである。権じいさんは親切に教えてくれて、舞茸の採れるところもいつか教えてくれると言った。
ところが、権じいさんが急に死んでしまった。もういい年であったのだが、医者はぽっくりだと言っていた。
今でいう脳溢血か心筋梗塞なのであろう。
こまったのは帖助だ、茸のことをやっと少し覚えたところだ。まだまだ知らないことの方が多い。他にも茸のことをよく知っている人がいないことはない、一人で山に行き、採ってきたわからない茸はそういう人に聞いたりしていた。
ある日の朝早く、舞茸を探してみようと一人で山に行ったときのこと。
権じいさんと一緒にいった林の中を歩き、権じいさんが、あっちの山に舞茸の生えるところがあるんだと言っていた場所に来た。権じいさんがそのときどっちの方角を見ていたのか思い出すことができない。
舞茸はブナによく生えると帖助もそのときは知っていた。ブナの木の多いところを探そうかと、まごまごしていたときだった、足元の積もった枯葉の中から、鶏小屋に来る赤い蛇が顔を出した。赤い蛇は下草の上に這いだすと、帖助を見てこちらだというように尾っぽを振った。帖助はあとをついた。
蛇がにょろにょろと進んだ跡が、細い道になっていく。蛇の道だ。帖助がその道をおいかけて行った。蛇の道は隣の山にはいっていった。やがてブナがたくさん生えているところにでた。赤い蛇は一本の古いブナの木のところでとぐろを巻いて帖助をまっていた。赤い蛇の顔が木の裏に向いている。帖助はブナの木の後ろにまわった。あった。大きな舞茸がどーんと天に向かってそびえていた。
帖助は舞茸を採ったことがなかった。初めて出会った舞茸がこんなに大きい。どうやって採ろうかとまどっていると、蛇が舞茸の根本をぐるりと体で巻いた。ぎゅぎゅぎゅっと蛇が体に力を入れると、舞茸が根本の少し上からスポッととれ、とぐろを巻いた蛇の上にのっかった。そして蛇が帖助を見たのである。
おとりなさい、と言っているようだった。
見とれていた帖助は両手で舞茸を持ち上げた。
ずっしりと重い。帖助がやっと笑った。なんだこれは、この舞茸は苺の匂いがする。
蛇はそれを見ると、するするとすべるように帰って行ってしまった。
帖助は礼を言うのを忘れた。明日鶏小屋で言うことにしよう思い、舞茸を背負い籠に入れた。
それを持って、叔母さんの宿屋に行き。台所で料理をしていた旦那にわたした。
「帖さん、すごい舞茸だね、こんな立派なのを見たことがないよ」
旦那は手伝いに、あいつを呼んでくれないか、と声をかけた。
すぐに女将さんが、なんだい、おまえさん、と台所に顔を出した。
「帖さんがすごいの採ってきたぞ」
おかみさんも舞茸に目をやると、こりゃあお城もんだねえ、と舞茸を手にとった。
「重いねえ、茸嫌いのおまえさんがなぜ見つけたのだい」
「偶然だよ」
帖助はとぼけた。
「高く買うからおいてってね」
「いいよ、やるよ」
帖助は手を振ったが、旦那が、
「帖さん、それだから嫁さんこないんだよ」と笑った。
「それじゃ、ふつうの舞茸として代金を払うよ、うちはそれで大助かりさ、おまえさんのところの卵もいい卵だよ、これからもおいしそうな茸をみつけたら採っといでよ、買うからさ」
そう言うと、叔母さんは女将さんの顔に戻って、客を迎える準備に行った。
こうして、かなりのお足を懐にした帖助は家に戻り、鶏の世話と畑の仕事に精を出した。
次の日、鶏小屋に卵を食べに来た赤い蛇に、「昨日は世話になったな、好きなだけ卵を食べろや」、と言った。蛇は目をしばたかせてうなずいたようだ。
帖助はまた朝早く山にはいった。茸も採っていけば叔母さんの宿で助かることがわかった。ただ帖助は毒の茸を見分けるのにまだ自信がない。本当に自信があるのは舞茸のようにはっきりわかる茸である。滑子や占地もなんとかわかる。それらの茸なら採れるだろうと山に入った。
舞茸を採ったところに、もう一度いこうと周りを見ながら歩いていくと、また赤い蛇が枯れ草の中から顔を出し、帖助の前をにょろにょろと這っていく。途中で木のわきに生えていた黒っぽい大きな茸のところで止まるととぐろを巻いた。帖助はその茸を採れと言うことだと思い、籠に入れた。同じものがいくつかあった。
赤い蛇はさらに奥に入っていくと、昨日舞茸を見つけたところについた。いくつか舞茸があった。それを採ったら。蛇はもっと上の方に這っていった。大きな倒木に上ると、こっちに来いといった目で帖助を見た。帖助が追いつくと、倒れた木の裏にびっしりと大きな滑子が生えていた。
赤い蛇は帖助が嬉しそうに滑子を籠に入れているのを見ていた。叔母さんの宿に持って行けばまた喜んでもらえる。帖助は人が喜ぶことをするのが好きだ。
そこで半時ほど茸採りをすると、赤い蛇は戻り始めた。山を降りていくと、赤い蛇は途中から穴にもぐっていなくなった。
その茸を宿に持って行くと、これまた旦那がびっくりした。
「こりゃあ、香茸だな、まだ堅くなっていない、飯に混ぜるといい香りでいい味の飯ができる。いい茸をみつけたものだな、滑子もすごいな、塩漬けにしてとっとけばいつまでもつかえるからな、帖さん、茸のいい場所をみつけたようだな、人に言うなよ、うちでみんな買ってやるから」
そういって旦那が、帳場にいってお足をもってきた。
「うちの奴、今客にかかっているから来れないけど、喜ぶよ、昨日の舞茸の煮たのをもっていけよ。茸を食って見ろよ、茸はうまいよ、特に帖さんが採ってきたのは一品だよ」
帖助はすでに茸がうまいものだということが分かっていた。帖助は茸の煮しめをもらい、今日も懐が暖かくなって家に戻った。鶏小屋をのぞくと穴に戻る蛇の尾っぽが見えた。卵を食べて戻っていくところだ。
「ありがとよ」
帖助が声をかけると尾をふって穴に入った。
こうして毎日のように赤い蛇と一緒に茸を採りにいった。ともかく見つける茸は立派なものばかりだった。そのおかげで、おばさんの宿屋は茸宿として知られるようになった。
あるとき、帖助が山で足をくじいたことがあった。坂を上ることができない。それが困ったことに、すぐには治らないほどひどいものであった。
鶏の世話は足を引きずりながらなんとかできた。卵は必要なところに届けて歩いてた。その時、宿屋の叔母さんが驚いたことがあった。不思議なことに足の悪い帖助が茸も持ってきたのだ。それもいつものように立派な茸ばかりだった。
「帖さん、そんな足でよく茸採りにいけるねえ、だけどおかげで、この宿も美味い茸料理の宿だって客がきてくれるよ、大繁盛だよ」
おばさんは茸と卵の代金を払いながら帖助に礼を言った。
「いや、おらの方が、いい湯を使わせてもらって、おかげで足もだいぶよくなった」
毎日のように、宿の湯を使わせてもらっている。足の治療のためにも湯にはいるのはとてもよかった。宿の湯は裏山の際にあった。屋根がかかっている野天湯である。帖助は宿泊客が使わない夜中や真昼に浸かっていた。
ある日の夜中、宿の旦那がその日の仕事が終わり、湯に入ろうと野天湯にいった。いつも湯に浸かってから、吊るして置いた提灯を宿に持ち帰るのである。すると野天湯に帖助の後ろ姿があった。小声で誰かと話しているようだ。
宿のおやじが、「帖さんか」と声をかけると、赤いものがちょろりと裏山に消えていくのが見えた。
帖助が振り返った。「あ、おじさん、湯を借りてるで」
「ああ、好きにしてくれ、わしも入る、どうだい足の方は」
「痛みがなくなったけんど、折れてたようで、前のようには歩けんわ」
「それじゃ、茸採り大変だな」
「大丈夫だよ、これからもいい茸採るからよ」
「たのむなあ、この宿は帖さんの茸でもってるんだ」
「それじゃ、よく暖まったから帰るよ」
そういって帖助は籠の中に入れておいた着物を着ると、自分の家もどっていった。宿の主人は帖助がぶつぶつ言っていたのが気になったが、湯につかっているとそれも忘れた。
それからも、帖助は夜中に湯に入りにきていた。あいかわらず秋は茸、春は山菜を宿にもってきた。それもとてもいい茸、時には見たこともないような珍しい旨い茸ももってきた。山菜もすばらしく良く育ったものだった。
しばらくして、おかしな噂が村に流れた。一人暮らしのはずの帖助の家に誰かいるという。女のようだという話しもあった。赤いべべきてたからのう、とおしゃべりなばあさん連中が言っていた。
山に入っていく帖助を見かけることは少なくなった。しかし茸は採ってくる。きっと誰かが採りに行っているのだろうと周りは思うようになっていた。ひっそりと嫁さんをもらったんだという話が伝わっていた。それならと、帖助の家を訪ねていった連中は家の中に他の人がいるような雰囲気を感じなかった。
たまに庭に赤い蛇がいた。土間の中にはいるのを見たという人もいた。
人々の話しは増幅されていくものだ。赤い蛇が嫁に化けて帖助と夜伽をしているのだろう、蛇が茸を採ってくるのだろう、そういう話になっていった。
宿の主人は帖助が足が悪くなった頃からずいぶん明るくなったと思った。帖助がよくしゃべるのである。本当に嫁がきたのかと思うくらいである。しかし足を引きずり、歩くのは大儀そうである。
「帖さん、村の人が嫁さんもらったんじゃないかと言ってるが、本当かい」
と尋ねると、
「いんや、そんなものいねえ」と答えた。
「その足でよくいい茸採ってくるな、山奥にいかなきゃあんなに美味い茸は生えていねえだろ」
「採る場所はないしょじゃ」
帖助は明るかった。
そういった話の後、米さんは、次に来くる日を言った。ちょうど木野が実家に帰る日である。木野はたまに実家に一晩泊まりにいく。木野がいなくてもてなしができないと言ったのだが、茶は自分で入れるからと言って帰っていった。
その日、米さんは来た。
ここからの語は、米さんが木野のいないときに茸酔に話したことである。
夏のある日、宿の番頭が主人に、
「夜中に帖さんの家からあえぎ声が聞こえた、ありゃ、女がいるのは本当じゃないかね」と言った。
帖助のところに変な女でも入り込んで、だまされていたりすると大変だ。宿の主人は夜中にそうっと帖助の家をのぞきに行った。暑いので家は開けはなしにして、蚊遣り火をたいている。
帖助は部屋の床の上であぐらをかいていた。火を灯していないが月明かりが部屋に差し込んで明るい。
宿の主人はあっと声を出しそうになった。
帖助の前で真っ赤な蛇がとぐろを巻いて帖助をみつめている。
「あれを採ってきてくれ」
蛇はそれを聞くと動き出して、にょろにょろと家をでて裏の山に入っていった。
宿の主人は山の中まで追いかけてみた。下草の茂っている夏の林の中で、赤い蛇はみつからなくなってしまった。月明かりがあるといってもかなり暗い、少しばかり歩いたが、無駄かと思い、つと立ち止まった時、赤い蛇が大きな木の幹にとりついているのが見えた。古い樫の木のようだ。蛇は幹に生えている猿の腰掛けを大きな口を開けて飲み込んだ。腰掛の類は夏でも木についている。
蛇はすとんと下に落ちると、すすすすと下草の中を帖助の家に向かっておりていく。
宿の主人はまた帖助の家に戻った。
家をのぞくと、ちょうど蛇も戻ったところだった。
「採ってきたか」
そう言った帖助の前に猿の腰掛けを蛇がはきだした。
「これだ、これだ、ありがとよ」
帖助は赤っぽい猿の腰掛けを拾い上げると土間に降りて、竈の上の湯の煮立っている薬缶に茸を丸ごと放り込んだ。そうしておいて土間においてあった鶏の卵を一つ取ると土間から上がった。
赤い蛇は床の上でとぐろを巻いている。
卵をその前におくと赤い蛇は旨そうに飲み込んだ。
「今日はもう一つやろう」
帖助はまた台所から卵を持ってきて赤い蛇にやった。
蛇はまたもや旨そうに卵を飲み込んだ。蛇の胴が膨らんでいる。蛇が体を持ち上げて床にうちつけた。二つの膨らみがつぶれた。赤い蛇は口を開けて卵の殻をほきだした。帖助は殻を拾い集めると庭に放った。明日の朝、鶏がつつくのだ。
宿の主人はそれを見て、帖助が山に行かなくても茸をもってくるわけがわかった。
蛇を飼い慣らしたのだ。蛇に茸や山菜を採る手伝いをさせていたのだ。蛇の方が茸を見分ける力があるのかもしれない。
「もういいだろう」
そう言いながら、帖助は土間にいくと沸いている湯を茶碗にそそいだ。蛇のいるところに持ってきた。湯飲み茶碗を床の上に置いた。
「ちょいと冷ましてから飲むぞ」
しばらく蛇も帖助ものんびりと床の上から庭を見ていた。
やがて、帖助は猿の腰掛けを煎じた湯をゆっくりと飲んだ。飲み終わると帖助は床の上に大の字に寝た。
帖助のふんどしが持ち上がってきた。
赤い蛇が股の間ににょろにょろと入っていく。
蛇の口が大きく開けられるとふんどしからはみ出した玉を一つ咥えた。蛇が口を動かすと帖助の尻がもぞもぞと動いた。蛇は反対側の玉も咥えた。また帖助が身をよじった。ふんどしの脇から男のものがそそりたった。
赤い蛇はその先を咥えた。頭を上下させると帖助の息がはーはーと荒くなった。しばらくすると、蛇の口の脇から白い泡が吹き出し、帖助が女のような「あー」と声をもらした。
蛇も帖助もしばらくそのままだった。
宿の主人は帖助が嫁をもらわないわけを知ったのである。
次の日、帖助が宿に卵を持って行くと、主人が小声で言った。
「なあ、あの猿の腰掛け売ってくれよ」
帖助はあっと思った。
「見ちまったすか」
「ああ、誰にも言わないから、あの煎じた茸を売ってくれよ」
帖助は笑いながらうなずいて、
「明日にでも採ってこさせます」と言った。
「よく仕込んだものだな」
「嫁さんよりかわいいんで」
主人はうなずいた。
米さんの話はこれで終わった。
この話を聞いた茸酔はこれを描くとあぶな絵になっちまうと思った。
「これでみな話したなあ」
米さんは笑いながら言った。
「これからも、茶でも呑みに来てください、木野に色々教えてくださいな、木野もそろそろ嫁にいってもいい年ですから」
「木野ちゃんより、茸酔さんのほうじゃろに」
米さんはまた笑った。よくわかっているばあさんである。
木野に実家に行っている間に米さんが来たことを言った。
「あの続きを話してくれたんだね、聞きたかったな、帖助さんと蛇どうなったの」
「それがな、大したもんなんだ、帖助が蛇を飼い慣らして、茸や山菜を採ってこさせていたんだよ」
「そんなことができるのかな」
「帖助の鶏の卵がいい卵で、蛇には旨くて旨くて仕方がなかったんだろう、卵をやって、働かせたっていうことなんだ」
「蛙や井守じゃできないのかな」
「蛇みたいに大きな口を開けることができないからできないな、蛇は顎の骨をはずすから大きなものでも飲み込める。だから大きな茸でも持ってこれるんだよ」
「でもすごいね、私もやってみよう」
「なにを飼うんだ」
「猫」
「猫は一番だめだよ、言うことなど聞くわけはない」
木野もうなずいて、二人で大笑いした。
茸酔は思った。一つはあぶな絵を入れた本にしよう、もう一つは子供でも読める「蛇の嫁入り」の絵本にしよう。
版元に相談すると、是非そうして出したいということであり、密やかにあぶな絵入りの「蛇の嫁入り」と絵本の「蛇の嫁入り」を作った。あぶな絵入りの本は高いにも関わらずたくさん売れ、もらった金を半分米さんに届けた。
「あの話が本になったですか、あたしゃ字は読めんで絵だけだがの、木野ちゃんは読めると言っていた、こんな絵みせんでしたでしょうな」
米さんはよく気のつく人だ。わかっていて木野のいないときに話していったのだ。
「子供が読めるのも作ったのでもってきました、そちらを読ませました」
そう言って、絵本も渡した。
「そりゃあよかったです、こんなにたくさんもらっちまって、ありがとうございます、これで死ぬ前に、もう一度田舎に帰ることができます、三十年も帰っておらんでねえ、帖助さんの墓もまだあると思うから手を合わせ、あの宿があれば泊まって湯につかってきますだ」
茸酔は初めてあぶな絵を描いた。これも一つの修行と自分に言い聞かせた。
赤魂茸
「おじさん、光る茸のこと聞いたよ」
「夜光る茸は知ってるよ、月夜茸っていってね、暗くなると青白く光るんだ。毒なんだよ」
「それなら私も知ってる」
「木野の言っているのはどんな茸なんだい」
木野は茸絵師、茸酔の姉の娘で茸酔の家に奉公にきている。
「赤く光る茸なんだって、丑三つ時に生えてきて四半時で大きくなって、赤くぼーっと光るんだって」
「どこに生えたんだい」
「お寺、最初は増下寺、それから松東寺、宋休寺だって」
「松東寺だったら近くだね、誰が教えてくれたの」
「米さんの長屋の三吉さん、ほら、米さんが家にきたとき、長屋に庭師のおじいさんがいるって言ってたでしょう」
米さんはお城の台所の飯炊きをしていて、木野が仕入れた茸の佃煮を届けたとき知り合ったおばあさんだ。茸酔の家に来て茸のおもしろい話を聞かせてくれた。それは、蛇の嫁入りという草子になってたくさん売れた。
「そうだったね、三吉さんにうちの庭も手入れしてもらおうかね」
「うん、そのとき、赤く光る茸のこと聞いてみたらいいね」
「そうだね」
「それじゃ、明日、長屋に行ってこようか」
「たのむよ」
その日、木野が米さんのいる長屋に行って戻ってくると、三吉も一緒についてきた。
年は米さんと同じくらいだろうか。まだ六十にはなっていない。小作りなしわくちゃの顔をにこにこさせ、茸酔の庭に入ってきた。
「ほんとじゃ、面倒みてねえな」
茸酔も家の中から縁に出た。
「こりゃあ、絵の先生で、米ばあさんから聞いておりやす」
三吉じいさんは腰を低くした。
「茸酔です、庭は自然のままにしておいてもいいと思ってたので、この通りです」
「刈り込んじゃうのはやだけどね、庭っていったらもう自然じゃねえから、庭の中で気持ちよく木なんぞが生きていけるようにしてやらなきゃなんねえね、人様みたいに髭を剃ることができねえんで、俺たちがそってやるわけで」
よくわかっている庭師である。
「お願いしますよ」
「へえ、無理ないような形にしてやりゃね、この椿なんて混んじまって、中のとこ風通し悪いし、お天道さまはいらねえよ」
侘び助の木がこんもりしている。
「わたしがそういうのにが手で、すみません」
「みんながやっちまったら、わし等の仕事がなくなるわ」
三吉さんは、にこにこして侘び助椿の枝をさすった。
「それじゃお願いしますよ」
「へえ、やらせてもらえるんで」
「頼みますよ、それから、ちょっと上で、光る茸の話を聞かせてくれませんか」
「ええですよ」
「三吉さん、こっちから」
木野が玄関に案内した。
「ここからででいいよ」
「そういわずに、茸酔のおじさんは、誰だって玄関から入ってもらってるよ」
「そんじゃ、入らせてもらうよ、いい家だよな」
「うん、加賀の偉い人の家だったの、絵を描く人、茸酔のおじさんはその人のお弟子さん、この家もらったの」
「米ばあさんがそんなこと言ってたな」
客間に通されると、茸酔が待っていた。
「三吉さんすみませんね」
「とんでもねえです、庭をきれいにできるのは嬉しいこんで」
「私の実家は小さな宿屋でしてね、おやじは自分で庭の木の手入れをしてましたよ、あたしは小さいとき、この家の師匠の弟子になって、奉公のようなものですが、絵を教わりながら、この家の中のことをやってきましたが、庭は本家の庭師がここにきてやってくれてました。師匠が亡くなってからは、自分は庭のことを考えずに、茸を探して歩くばかり、そこでこんなにしちまいましたよ」
「そりゃ、先生は忙しいやね、やらしてもらえるならありがてえ、木と話をしながら木が生きやすいようにやってやります」
茸酔はそれを聞いて、ちょっとドキッとした。自分は茸が好きで茸の絵を描いている。ちょっとうまいと世間の評判に調子にのっているのではないだろうか。この庭師は、庭をきれいにするのではなく、木にとってどのように剪定するのが幸せか考えている。当たり前のことだが、自分はそういう気持ちで茸に接しているだろうか。
「いや、これも茸の縁、どうぞよろしくお願いします。ところで、その赤く光る茸とはどういうものでした」
「それが、寺でしてね、最初は増下寺で見ました」
「あの、四谷のですか」
「へえ、仲間に頼まれて、庭の手入れに行きましてね、お天道様が上る前に、寺に集まって手入れをはじめたんですよ、五人ほどでしたな、あっしは大きな松の木を頼まれて、早速遠くから眺めて、形を決めた後、どの枝を払ったらその木が気持ちよく暮らせるか考えるために、近くによったんでさ、下から見上げどこをつめたらいいか決め、さて上ろうとはしごを掛けるために木の根本を見ると、赤くどろっとしたものがたまってましてね、根がこぶのように土の上を這っていたんですが、その付け根のところでしたね、触るのは気持ちが悪い。人の血の固まりのように見えないこともないが、血だともっと黒っぽくなる、赤く透けてるような感じで、見ようによっちゃあきれいでしたな、それであっしは、そいつを無視して、木に登り、しばらく仕事をして、下に降りやした。半時は立ってなかったと思うけどね、それではしごを下りたときに、その赤いどろりとした物を思い出して、その場所を見ると、赤い染みしかありませんでしたな」
木野が羊羹とお茶を持ってきた。
「このお茶、おじさんの実家からのよ、駿河からきたお客さんからもらったお茶だって、いい香りよ、この羊羹は、絵のお客さんからいただいた黒糖の羊羹」
三吉は、
「こりゃ、いただきます」と口に入れると、
「いやうまい」と目元のしわを寄せた。
「三吉さんは甘いものが好きのようですね」
「ええ、あっしは飲めないわけじゃねえが、仲間と酒づきあいができなくて、まあ不調法で、一人仕事を引き受けていたんですがね、寺など大きなところで人手が足りないときにはかり出され、みなと仕事しております」
「それで、赤い染みはどうなりました」
「へえ、それがどうなったか見ませんでしたが、松の木が終わって、頭領のところにいくと、今度は裏の椿の木をやってくれと言われましてね、そいつをやっているときでした、裏の賄いどころから、朝の用意をはじめた寺男が庭にでてきましてね、話しかけてきたんです。そいつがそこを見ろと言って椿の木の下を指さしたんで、見ると、そこに赤い染みがありやした。
それで「今松の木の下で同じものを見たよ、赤いどろどろした奴があった」と言いますとね、
「この椿の下にも赤いどろどろがあったんだよ」
と言うんで、「なんなんだろうね」と聞くと、
「茸だよ、と答えて台所に入いっちまった」
「染みは茸が溶けたものだったわけですね、一夜茸などは黒く溶けてしまいますよ」
「へえ、そうなんで、それで、朝の仕事が終わって、頭領が明日は松東寺をやるんで手伝ってくれって言うんで、引き受けて家に帰えろうと支度をしていると、先の寺男が庭の掃除に出てきたんで、あの赤いどろどろしたのはどんな茸だったと聞いたんです。
すると、寺男が言うには、夕方に小さな白い頭を持った茸が生えてきて、夜中にしょんべんに起きたときに、庭に赤く光る物があるので、火じゃねえかと思ってあわてていってみると、小さかった白い茸が大きくなって、赤くぼーっと光っていた、と言いましてね、赤く光る茸なんて聞いたことねえな、というと、ほんとにいくつもの赤く光る茸があって、それが朝になると赤いどろどろになって、浸みこんじまう、ここ二日のあいだ毎日出てくる、と言ってました」
「その寺しかでないのですか」
「いいやね、次の日、松東寺にいったらね、やっぱり木の根本に赤いどろどろがあってね、寺の人が赤く光る茸が溶けた跡だと言っておりましたな」
「神社やふつうの家にはでないのですか」
「わしゃ聞いてねえけどね、宋休寺ではでたという話しでよ、やっぱり寺かな」
「墓場にはでないのですか」
「墓の中もみたんだが茸の跡はなかったね」
「それで三吉さんは赤く光る茸を見たんですか」
「へえ、庭師の仲間も気になってやしてね、三人で夜中に三つの寺に行ってみたんでさ、赤く光ってましたよ、見ようによっちゃあきれいでしたが、気味も悪くてね、仲間の一人は、ありゃ茸を通して黄泉の国の赤い光が漏れてるんだ、なんて言ってましたよ」
おもしろい話だ。
「茸はどのくらいの大きさでした」
「親指と小指を伸ばした間くらいだね」
「六寸くらいですね」
三吉さんは頷いた。今で言う二十センチほどだろう。
「まだ生えていますかね」
「毎日生えてくるってことでしたよ、生えなくなったとは聞いてねえです」
「わたしも見たいが、どうでしょう、案内をしてもらえませんか」
「いいでがすよ」
「今晩いいですか」
「へえ、松東寺に行きますかい、ここからなら遠くない」
「あたしも行っちゃだめ」
聞いていた木野も興味しんしんである。
「いいけど夜中起きれるかい」
「うん、寝ないでいる」
木野は興味を持つと本当にやるから怖い。
「それじゃ三吉さん、丑三つ時、松東寺の門でどうです」
「へえよございます、それじゃこれから庭をちょっくらやって、夜中に行きますで、ごちそうさんでした」
それから三吉は手早く茸酔の家の庭を片付けると長屋に帰っていった。
その夜中、木野が茸酔を起こしにきた。
「おじさん、そろそろ丑三つ時」
木野は本当に寝ないで起きていたようだ。
「おおそうか」
茸酔は赤い茸が自分に話しかけている夢を見ていたところだった。あわてて起きると支度をした。
「木野ありがとよ、全くよく寝ちまった」
まだ寒い季節ではない。提灯に火をいれると、紙と筆を袋に入れて家をでた。半分の月が、それでも周りを明るく照らしだし、遠くの路地に猫がたたずんでいるのがわかった。二人が近づくと、あわてて塀の上に飛び上がり、その家の庭に消えていった。
「こんな夜遅く外を歩くの初めて」
「そうか、眠くないのかい」
「うん、たまに、寝ないことがある」
「なにやってんだい」
「そのときによって違う、自分の着物を縫ったり、かあちゃんや、とうちゃんのちゃんちゃんこ作ったり」
「なんだい、姉やんが作ってくれって言ってるのか」
「違うよ、勝手にやってみやげにしてるの、だって、このうちに古い布が沢山あるでしょ、それ使って作りはじめると、寝るの忘れちゃう」
加賀出身の師匠の家には、古い着物がたくさん行李に入れられ押入れにしまってあった。なぜか女子の着物もあるが、どれも古くて着ることができない。木野に捨ててくれと言ったものだ。とっておいたようだ。
「きれいな布がたくさんあって、巧く継ぐときれいな着物になるのよ、これもそう」
木野の着ている着物はつぎはぎだが、色の具合がいいのでとてもよく見える。今まで木野の着物に目を留めることがなかった。木野は色の感覚も悪くない。
「絵は描かないのかい」
「好きだよ、だけどおじさんのようには描けないから」
「描きたければ好きなように描くといいよ」
「うん」
そんな話をしながら歩いていくと、松東寺の正門に近づいた。提灯をもった人影がみえる。三吉さんだろう。
「あ、先生、待っておりやした」
向こうから近づいてきた。やはり三吉さんだ。
「待たしたかな、わたしがよく寝ちまってて、木野に起こされたんで、すまなかったです」
「いえ、寺の中を見ておきたかったんで早く来ました、寺守には先生のとこから帰る途中によって話しときましたから、中に入ってかまわんです」
「それは、うかつでした、寺に断るべきでしたね、ありがとうございます」
茸酔はそういうことに気が回らないのをいつもはじていた。
松東寺の境内は宋休寺や増下寺より広い。庭には小さいながら、京都の石寺を模した石庭もつくられている。
三吉は石庭と反対側にある、苔むした庭に二人を連れていった。庭への木戸をくぐると、赤くぽつぽつと光っている物が見えた。
「きれい」木野が驚いている。
躑躅(つつじ)の根本にくると、茸は黄色の混じらない純粋な赤の光を放っている。傘は松茸のような形だが、透き通る赤さは、ひだが影として映り、可憐さが増して見える。
「きれいだが、不思議な茸だ」
茸酔は木野の持つ提灯の明かりで紙を広げ絵を描いた。
「あっしもこのような茸は始めてです、いろいろな寺や神社、屋敷で茸を見てきましたが、茸が赤く光るなんで思いもせんでした」
「わたしもそうですよ、信州、越後、越中、いろいろなところで茸を見たけど、これははじめてだ」
「どうして光るのかなあ」
木野が人差し指で茸の頭に触れた。すると、赤い光が強くなった。
「すてきだわ」
庭に点々と赤い光がついているのはなんとも、違う世にきているようだ。黄泉の国を連想するのも分かる気がする。
絵を描き終わった茸酔は立ち上がり、庭の中を歩き始めた。他の茸を描くためだ。どれも形は同じだが、個性のある光り方をしている。
「茸は採るとすぐしおれるかもしれないが、どうだろう、根より掘って家に持って帰り、子細に調べたいがいいだろうか」
茸酔が三吉にたずねた。
「かまわんでしょう、あっしが採りましょう」
草木のことはまかしてくださいと、三吉はいつも腰に差している竹の根堀で、光る茸を堀りだし、手ぬぐいに包んだ。そうやって三本ほどとった。
そうなっても、赤い茸はぼーっと赤く光り続けている。
「それでは、私は家にもどって、とろける前に絵を描いておきたい、三吉さんにはお礼申します」
「お役に立てたならなによりで、木野さんもえらいね、こんな夜深くに」
「ううん、とてもきれいなものを見せてもらいました」
二人は三吉とわかれて家に戻った。
「木野はもう寝なさい、寝ていないんだろ、朝の支度はゆっくりでいいからね」
「うん、おじさんはこれから絵を描くの」
「それから寝るよ」
先に木野を寝かせた茸酔は、机の上の赤く光る茸のひだの様子などを細かく絵に描き色をつけた。
半刻ほど絵に没頭し、書き終わると水盤を持ってきて水を張った。その中に茸をたてた。三本の茸が赤く光って、水に映るのはえも言われぬ神秘。しばらく茸酔はいつ茸が赤く溶け出すのか眺めていた。
それから一刻、いっこうに溶ける様子がない。もうすぐ夜が明ける。茸酔もまた眠くなってきた。溶けたら水の中でどのようになっているか。朝になればわかることである。寝ることにしようと、寝所にいき布団の中に入った。
次の朝、茸酔が目を覚ますと、木野はすでに起きて、朝飯の用意をしていた。
「早いね、眠れたのかい」
「うん、それより、おじさんの部屋のぞいたら、茸溶けてないよ、なぜかな」
茸酔が画室に入ると、目に入ったのはしゃきっと立っている三本の赤い茸である。
部屋に差しこむ朝の光で傘が赤く透けて見える。自分でも光っているのかも知れないが、陽の光でわからない。それにしてもなぜ溶けない。
「おじさんが水に浸けたから元気なんじゃないの」
木野の言う通りかも知れない。
「夜までそのままにしておいて、また光るかどうかみてみよう」
「そうね、陽の光に当てない方がいいんじゃないの」
それもそうである、茸酔は茸を立てたまま水盤を床の間にもっていった。
自分でも光っているようである。床の間がぼーっと赤く染まった。この様子だと夕方までもつかもしれない。
茸酔は自分がもっている茸の図譜を開いた。古くからの日本の茸図譜に赤く光る茸は描かれていない。南蛮の本を開き、読むことはできないが、似ている茸図を探した。だがみつからない。
茸酔は描いた絵を持って、懇意にしている薬師の真山(まやま)寿水のところに行った。城にも出入りしている医師で、薬の知識では江戸で五本指に入る。からだを壊した茸酔の師匠が診てもらっていたこともあり、茸酔とも気心が知れている。寿水は草木、茸のことにめっぽう詳しく、独自の薬を考案して、江戸城からも信頼されている。
「なにかい、あの赤く光る茸のことかい」
「ええ、先生もご存じですか」
「ああ、増下寺の住職が聞きにきたのだが、わしも見に行ったがわからんな、一夜茸の仲間のようじゃからすごい毒ではなかろう、しかし、食う気にはならなかった。何かの薬にはなるかもしれんが、それほど多く生えておらんで、採らなかった」
「なぜ光るのでしょう」
「月夜茸は昼間見ると茶色じゃろ、だけど夜になると青っぽく光る、それはひだのところに光るものをもっているからだ、自分で光っているわけだ、赤く光るものをあの赤い茸は持っているにちがいないな」
「庭師が言うには、生えてきたときは白いそうです」
「赤く光をはねかえすのかもしれんしな」
「だけど、真夜中に光っています」
「真夜中と言ってもの、月の光もあれば星の光もある。少しの光でもあればはね返り赤く光るかもしれん、あの茸を真っ暗なところにおいても光れば自分で光るということになるだろうな」
「実は今日、丑三つ時、あの茸を松東寺から採ってきて、水盤の水に入れておきましたら、とろけずにしゃきっと立って光っております、光の少ない床の間でも赤く光りました」
「それはおもしろい、自分から光っておるな、よくみつけたな、それならいろいろ調べられるな、わしも採ってきてやってみよう」
そういうことで、赤く光る茸は謎のままであった。
家に戻り画室の床の間を見ると、ぼーっと赤く茸が立っている。真っ暗にするのは難しい、夜になってから押入にでも入れてみてみよう。
いつもの仕事にもどり、茸草子の文を考えたり、それにみあった茸の絵をえらんだりしていて一日が過ぎた。日が暮れ、床の間の茸の赤い光が強くなってきた。
木野が部屋をのぞいて「今日も夜中に光る茸採りに行っちゃあだめ」と聞いた。
「なににするんだい」
「だって部屋中に飾ったら、家中が茸のお屋敷になったみたいできれいよ」
木野は想像力もたくましいようだ。
「そうだな、外で生えてもただ溶けてしまうのだから、採ってきて水盤に入れると、茸も喜ぶかもしれんな、私も一緒に行こう」
「無理しなくてもいいよ、三吉さんが手伝ってくれるって」
いつの間にか三吉と話をつけている。
「三吉さん、やることがあるの嬉しいみたいよ」
「それじゃ、松東寺にいって、茸を採っておいで、そのうちお寺の人も呼んで、赤い茸の光で、酒でも飲むとしようや」
茸酔は酒が強くない。だが全く飲めないわけではなく嫌いでもない。三吉も同じようなことを言っていた。美味い酒をすこしばかり口にいれると、ますます膳の上のものの味がよくなる。
「そのとき、あたし、腕を振るうよ」
木野は料理の腕も上がり、酒の席の気のきいた物を作ることができる。
それから三吉は毎日のように木野を夜中に迎えにきて、赤く光る茸を採ってきた。茸酔は一度一緒に行ったが、後は水盤を用意して待っていた。
座敷の中には水盤に入った茸がならび、赤くぼーっと光る様はこの世の物とは思えない不思議な雰囲気をかもしだした。玄関にも廊下にも、木野の部屋にも水盤に入った茸が赤い光を壁になげかけていた。
奇妙なことは、最初にとってきた茸も枯れていない。水盤に立って赤く光っている。木野が毎朝、水盤の水を井戸水に取り替え養生をしているが、そのためなのだろうか。
赤い茸が輝く部屋の中を茸酔は絵にした。
五日目、屋敷にある水盤はすべて使ってしまい、どんぶりまで使った。
「明日の夕方、みんなに集まってもらおうか、三吉さんにたのんで松東寺の寺男夫婦に声をかけてもらえるかな」。そう木野にたのんだ。
「うん、わかった」
「三吉さんはあまり飲まないようだから、食べるものたくさん用意してくれよ」
「明日は茸の煮染め、焼き松茸、松茸茶碗蒸し、茸茶飯をつくるわ、つまみに信州の茸の佃煮」
木野が即座に答えた。前から考えていたようだ。
「松茸は手にはいるのかい」
「今日、三吉さんの長屋によった後、おばさんの家に行ってもらってくる」
おばさんとは、木野の母の姉で、茸酔の姉でもある。茸酔の実家である宿屋を手伝っている。今の時期、宿では必ず松茸を用意している。
「お米さんもよんだら」
「そうだったな、たのむよ」
その日、木野が帰る前に三吉がたずねてきた。
「あの赤い茸まだ光っているということですが」
「あがってみてくださいよ」
茸酔が座敷に案内すると、部屋の中の水盤から赤く光る茸がにょきにょき立っているのを見て、三吉が目を見張った。
「なんでやんしょうね、ふつうの茸だって、いくら水に入れたって、二日もすればしわが寄ってくる」
「わからんな」
「あ、そうだ、先生、明日お呼ばれでありがとうございます、木野ちゃんに言われて松東寺にいきまして、そのことを寺男に言いますと喜んで来ると言っておりやした、それだけじゃないんで、あっしが寺に行ったとき、和尚さんがいましてね、見てみたいとおっしゃってました、聞いてきやすといったんですが、どうしやしょう」
「それは迂闊でした、あたしがこれから行って、お誘いしましょう」
茸酔は頭をかいた。自分は全く気が回らない男だ。はずかしい。
「それじゃ、あっしもお供します」
「仕事はないのですか」
「もう、この年で、手が足りないときだけ声がかかるくらいで」
「それじゃあ、庭だけじゃなくて、なにかあるときには声をかけさせてもらいます」
「そりゃ、喜んでまいります、障子の張り替え、ちょっとした家の養生くらいならできますんで」
松東寺に行くと、和尚さんが自ら境内の石段を掃いていた。茸酔は初対面である。三吉が声をかけた。
「和尚さん、茸酔先生が直々に来ましたんで」
丸顔の色の黒い和尚さんが笑顔になった。
「これはこれは、茸酔先生、はじめておめにかかります、東鐘でございます、勝手なお願いですみません」
「いや、とんでもございません、このお寺から頂いた赤く光る茸を見ながら一献と、早くお誘いのお声をかけなければいけないところ、今になり失礼しました。
狭苦しいところですし、たいしたものを作るというわけでもなく、うちの奉公人の作るいつもの夕飯を茸の明かりで皆で食べるという、他愛ないものです。よろしければ、明夕お越し願えれば」
「ありがとうございます、いや、それを聞いて、ますます行きたくなりました、茸酔殿の茸の絵のことはよく存じております、あまりにも著名な茸絵の先生のお宅に行けるとは望外の喜びにございます」
「あ、それに私どもあまり酒をたしなみません、少ししか用意がございませんが、和尚様はお飲みになられますか」
東鐘和尚はえびす顔をしわくちゃにして、
「はは、自分の酒を抱えてまいりますわ」
と大声で笑った。茸酔も肩の力が抜けて笑った。この人となら楽しめそうだ。
「それではお待ちしております」
三吉ともそこで分かれ家に戻った。
明くる日、朝の明かりの中で、家の茸は変わらず赤い光をぼんやりと放っている。
木野はもてなしの準備に余念がない。茸の入った水盤やどんぶりは、全て座敷に集めた。
夕暮れになると赤い茸たちの光が輝いてきた。
月が次第に頭の上にあがってくる。中秋の名月は数日後であるが、それでもいい月である。
三吉と米さんがまずやってきた。
「なんか手伝うことないかと思ってね、ちょいと早くきましたよ」
「米さん久しぶり」
茸酔は米さんの経験談から一冊の本を仕上げた。本屋からもらった金半分を米さんにあげると、生まれ故郷である上州に帰って墓参りに行ってきたという。
「先生には世話になっちまって、お陰で親の墓参りもできました」
「こちらの方が世話になったんですよ」
「木野ちゃん、なにか手伝おう」
「あ、米さんそれなら、作ったの運ぶの手伝って」
「俺も手伝うよ」
三吉も米さんの後をついて台所に行った。
二人で木野の作った料理を膳にのせて運んできた。
「ありゃ、あたしゃ、初めですよ」
座敷にはいった米さんは赤く光る茸を見た。
「不思議だなあ」
木野も膳を運んできた。
「後で、松茸ご飯」
「嬉しいねえ」
三吉は酒より飯だ。
「木野ちゃん、酒の用意はあたしがしてあげるからさ」
「ありがとう、燗は私の仕事、奉公人だもん、だけど、この家のしきたりがあってね、みんな一緒に食べるのよ、わたしもよ」
「そりゃありがたいね、でもやるから言っておくれよ」
そんなところへ、玄関に客がきた。松東寺の人たちだろう。茸酔がでると、東鐘和尚の後ろに寺男夫婦が控えていた。和尚は一升徳利をつるしている。恵比寿様は鯛のほうが似合うな、茸酔は笑うまいとこらえた。
「どうぞお上がりを」
和尚が上にあがっても寺男夫婦はあがろうとしない。
「あがってくださいな」
「勝さんと玉さん、先生がそうおっしゃてるよ」
和尚が笑いながら手招きをした。
「へえ、こういうところからあがったことがねえもんで」
二人は隅っこから草履を脱いであがった。
茸酔が三人を座敷に案内すると、赤い茸の光がより強くなった。陽が完全に落ちたせいだろう。
茸酔が障子を開けると、月の明かりが部屋にも入ってくる。茸の赤い光は負けずに部屋の中を赤く染め、灯をともす必要がないほどだ。
「こりゃ、みごとですな」
和尚が赤い茸に囲まれて上座に座った。
「東鐘さん、膳のものはうちの木野が作ったもの、舌にあうかどうか、そこの茸の佃煮は、信州の草衛門という方の作ったもので美味いですよ」
「知っていますぞ、一昨年でしたかな、茸く喰らいて候とさけんでおった」
「はい、その茸の佃煮はうちから城に卸しております」
「おお、そうですか、いや、旨そうですな、持ってきた酒は冷やでいただく、燗にするのは手間がかかるしな、皆一緒に食いましょうや、この酒は越後のものじゃ、湯飲みをいただけますかな、猪口などこまっこいものでは飲んだ気がしなくてな」
「それでは私たちも、冷やでいただくことにしましょう」
木野が湯飲み茶碗をもってきた。
「それじゃはじめましょうか、よくきてくださいました、この茸は松東寺に生えていたもの、赤い光の中で月見酒でございます」
膳の上の物に箸をつけた。
「うまい煮染めだ」
「木野ちゃん、料理上手だね」
米さんがほめる。みんなうなずいている。
勝さんと玉さんは黙ったまま黙々と食べている。
「勝さんは飲まないのですか」
茸酔がきくと、大きな顔をあげて、「いえ、飲みますが」と和尚の顔を見た。
「わはは、いいぞ、勝、今日はいただけ」
「どうしたのです」
「いや、こいつは大酒のみで、奥さんの玉さんはさんざん苦労したんでね、酒は月に一度だとわしが強く言っております、仕事は良くやるが酒癖が悪くて、お行儀よく飲みなさい」
「へえ」
縮こまっているが、口元をほころばして大きな体を揺らし、茶碗に酒をそそいだ。三吉もちびりちびり飲んでいる。米さんがごくりごくりと旨そうに飲むものだから、和尚さんも驚いている。
「木野、なかなか旨いよ」
茸酔も料理をほめた。
「ところで、茸酔さん、この茸の名前はなんというのですかな」
和尚が尋ねるが、茸酔も困った。
「それが、真山先生にも聞いたのですが、わからないとおっしゃいました」
「赤く光る茸など珍しいの、天地異変がおこらねばいいが」
「どうでしょう、生えるところが寺ばかりで、神社や個人の屋敷には生えません、なぜか気になっております」
「そうですな、確かにな」
「それに、寺の中でも墓には生えません」
和尚は湯飲みの酒をぐいとあけた。
「墓には出たくないということはどういうことでしょうな」と首を傾げた。
「墓が嫌いなのでしょう」
「おじさん、墓からでたくて、庭の木の根元に出たのじゃないの」
木野が言うと、茸酔が「なにが墓からでたいのだい」と聞いた。
「魂」
「いいことを言う女子さんだ、ときに夜になると墓から魂がでてきますぞ、青白く光る玉がころがりでることがある、火の玉じゃ」
和尚さんがいうと、「あたしたちもよくみます」と勝さんの奥さん、玉さんが言った。
「ねえ、おじさん、墓からでられない魂ってあるの」
木野が茸酔にきいた。
「どうだろう、和尚さんどうですか」
「うーん、魂は黄泉の国にいく前に、墓からでて火の玉になり、のぼっていくのだろうな、なかなか黄泉の国に行けない人もいるかもしれん」
「そんな墓があるの」
「ああ、無縁仏の墓は寺には必ずある、行き倒れで名もわからぬ者、餓死した独り者、船から落ちて打ち上げられ、身元の分からない者、あわれよのう」
「その魂はどうなるの」
「みな黄泉の国に行くことになるのじゃがな」
「ねえ、おじさん、茸の根は土の中に広がっているのよね」
「ああ、細い細かい糸のような根があるよ」
「魂が墓に延びていたその根っこの中にはいって、頭を出した茸を光らせているんじゃない」
外はもう真っ暗、月がきれいに輝いている。部屋の中では赤い茸がますます強く光っている。木野の想像力はすごいものだ。
「なるほどな、だけど、茸は朝になると赤くどろどろに溶けて、土に染みこんでしまうよ」
茸酔のいったことに木野は、
「また魂が土にもどって、新しく生えてくる茸に入って光るのよ、水盤の中では戻るところがないから、茸をずーっと生かしてるのよ」と言った。
「なるほどな、そうかもしれんな」
東鐘和尚がうなずいた。
「だとすると、茸から魂を放ってやらにゃならぬな、食事がすんだら、お経を読んでしんぜよう」
最後は松茸ご飯を食べてみな満足である。
「旨かった、木野さんありがとさん」
和尚さんが言った。みんなもうなずいた。
「茸酔さん、木野さんがいったこと、まさか魂が茸の中に入ることはなかろうが、これから、経をあげよう、よろしいでしょうかな」
「なにを用意したらよろしいでしょうか」
「いや、なにもいりませんぞ、経は頭の中にありますのでな、酒を飲んでいても覚えております、魂を安らかに黄泉の国に導く経がありますからな」
皆手伝って膳を台所に運び、座敷を清めた。
「線香はいりますか」
「いや、みなさんの気持ちを一つにしていただくだけでよろしい」
茸酔が障子を閉めた。月の明かりがさえぎられ、暗い部屋に茸の赤い傘が浮くように見える。
和尚は座敷の真ん中に座り、みなが取り囲んだ。
和尚が床の間に向いて、読経を始めた。しばらくすると、反対側の水盤のおいてある襖にからだを向けた。同じ経をとなえると、今度は外の方向、障子に向かって、経をあげた。
経が終わった。
そのとたん、ばちんという大きな音がした。
驚いて茸を見ると、何十本もある茸の傘に穴があき、小さな赤い火の玉が闇の中に飛び出した。
「火の玉」
木野が大きな声をあげた。みんな唖然としていると、赤い玉は部屋の中を飛び始めた。みなの周りをふわりふありと舞って、和尚さんの頭上に来ると、火の玉が一緒になり、頭の三倍もあろうかという大きな火の玉になって浮かんだ。
木野が立ち上がって障子を大きく開いた。
赤い玉は縁の上でふあふあと舞い庭に出た。
月の光のもとでも強く赤く光っている。
和尚が赤い顔をして大声を上げた。
「行け、行け、迷わずに行け」
その声で、大きな火の玉は月に向かって上っていく。みんな縁にでた。夜空に浮いた赤い玉はすーっと早まり、上の上のほうに飛んでいく。だんだん小さくなって、やがて輝く月の真ん中で消えてしまった。
和尚がため息をついた。
「木野さんの言ったことは本当だった、無縁仏の墓からでた魂に違いない、あの墓をもっと供養しなければならないのう、増下寺や宋休寺の和尚にも言っておこう」
茸酔は魂の抜けたあとの茸を見た。水盤の中には黒く溶け始めた一夜茸があった。
一夜茸は魂の通り道だった。茸酔は一夜茸に限らず、そこいらに生えている茸がその中になにをいれているのか、何を思っているのか、もっと深く考えなければならないことを自覚した。
その後、茸酔は魂の入った光る一夜茸を赤魂茸と名付け、その物語を茸草子として出版したのである。
虎を描く
六月の終わり、もうすぐ梅雨に入ろうとするある日、今助長屋の大家、今助さんが顔を出した。
「茸酔さん久しぶりですな、茸草子はずいぶんの人気で、わしも読みましたよ」
茸酔は奇妙な茸の出来事を、茸絵のはいった物語「茸草子」として出版している。
「それはありがとうございます、色々な方から茸の話を聞いて、本にしております」
「実に楽しいですな」
「ところで、なにの御用で」
「茸酔さん、虎の絵を描いてはくれませんでしょうかな」
茸酔は頭をかいた。今助さんは絵を集める道楽がある。掛け軸やら屏風やらをたくさん持っている。特に虎酔師匠の虎の絵を大事にしている。
「虎酔師匠より上手に描けるわけがありません」
「茸酔師匠は茸を描かしたら天下一品、虎だって描けますよ」
「それは無理でしょう」
「そこを是非描いてくれませんかね、時間はいくらかかってもいい、虎酔師匠の絵と同じ額でいただきたい」
今助は虎酔師匠の最後の虎の絵を法外の値段で買った。
「今助さん、絵の目的は何でしょう」
「虎酔師匠の虎の絵はすばらしい、だけど一匹でしてな、弟子の茸酔さんにも虎の絵を描いてもらって、絵を並べ二匹にしたいのですわ」
茸酔はやっぱり首を横に振った。
「虎は無理です、師匠の虎の絵が目にこびりついております、師匠の虎がお前にこの虎より虎らしいものが描けるわけがない、と言っています」
「茸酔さんがそう言うのはわかる、たしかに虎酔師匠が茸酔さんの虎の絵を見たら、どう言うかわからない、逆に師匠が茸の絵を描いたら、きっと茸酔さんは、首をかしげるところがあるかもしれません、だけど虎酔師匠独自の茸を描くでしょう。私が欲しいのは、上手い下手ということとは関係なく、茸酔さんが描いた虎がほしいんだ、師匠と弟子の虎の屏風をおいておけたらもういつ死んでもいい」
大仰なことをいうと思いながら、茸酔は苦笑した。
「猫の絵ではいけませんか」と笑いながら言ったのだが、大家さんは真剣な眼差しで首を横に振った。
「そりゃ、別物だよ、茸酔さん」
今助さんはうつむいて考え込んだ。かなりの間のあと、顔を上げた。
「虎模様の茸はないのかね」
よほど虎が欲しいとみえる。
茸酔もその声を聞いて、真剣になった。
「虎の敷物から生えている茸ではだめですか」
今助さん、やっぱり考え込む。だが言った。
「そうだねえ、それも面白いかもしれないね、虎の皮からおもしろい茸を生やして描いておくれよ、ともかく虎がいればいいんだよ、たのみますよ、本当は生きている虎の方がいいけどね」
拝むように見られては茸酔も頷くしかなくなってきた。
「だけど時間がかかりますよ」
「そりゃいいですよ、虎酔先生の絵だって何年もかかってますよ」
それなら引き受けましょうと、とうとう茸酔は大家の頼みを受けた。
茸酔は虎を見たことがない。師匠は見たことがあったのだろうか。亡くなる前に聞いておくべきだった。
師匠は京都の応挙のところで毛皮を見たことがあるとは言っていた。茸酔は毛皮すら見たことがない
「木野、虎模様の猫を飼いたい」
「おじさんどうして」
「虎を描くように頼まれた」
「一度も虎を描いたことがないの」
「うん、ない、魚や貝は佐渡に行ったときにたくさん描いたが、毛の生えた奴は、練習に猫や犬、狸など描いたが、絵として仕上げたものはない」
「それで猫飼ってよく見たいっていうのね、虎とは違うと思うけど、とっかかりね」
木野はまだ若いのに人の考えていることがわかる娘だ。
「虎は黄色だから黄色っぽい猫がいいの」
「そうだなあ」
「だけど黄色はいないから茶色の虎模様かしらね、捨て猫見かけたら拾ってくる」
「たのむよ」
そう言ったのだが三日たっても木野は猫をつれてこない。
「猫はいないのかい」
「うん、野良猫はたくさんいるけど、虎に似ているのはなかなかいない」
ほとほとこまって、茸酔はとうとう「虎猫求む」と塀に猫の絵を描いて張り出した。
それを見た木野が
「そんことしたら大変になるからやめなよ」
と言ったのだが、聞いていなかったようだ。
「私今日は家に帰る日だけど、おじさん大丈夫かな」
木野はすぐ上の姉の娘で、たまに実家に帰り泊まってくる。
「姉さんによろしく」
木野は早めに夕飯の用意をすると帰って行った。
次の朝である、茸酔が起きると玄関先の庭で、みゃあみゃあと子猫の声がする。しかも一匹ではない。たくさん鳴いている。
外にでると、玄関脇の木の下に、何匹もの子猫が箱に入れられ捨てられている。
「こりゃどうしたものか」と困っていると、木野が戻ってきた。
「なんだい、ずいぶん早く戻ってきたね」
「おじさんおはよう、やっぱりこうなっちゃった、おじさん大変だろうと思って帰ってきた」
子猫が箱からはいずり出てきて、茸酔の足にまとわりついて鳴いている。
「どうしたんだこりゃ」
「どこの家でも、猫の子どもが産まれると、すぐに川に流しちゃうんだよ、でもこんな張り紙見ると、助かったと思って持ってくるんだ、みんな捨てたくなくて、ついつい大きくなるまでほうっておいて、とうとう捨てられなくなるんだよ、捨てられない人が喜んでもってきたんだ」
「どうしよう」
「この子たちもう目が開いている、あたし捨てにいくのいやだ」
木野は塀に貼った紙をはがして戻ってきた。
「八匹もいる、俺も捨てるのやだな」
「それじゃ飼うしかないね」
木野は子猫を土間に連れて入ると、残っていたご飯をつぶして鰹節の粉をいれ水でといた。皿に入れると八匹の子猫はぺちゃぺちゃとよく舐めた。
「もう乳離れしているね、生まれて一月くらいかもしれない、大人の大きさになるのに十ヶ月だけど、雌は六ヶ月で子供が産めるようになるよ」
木野は実家で猫と一緒に育ったからよく知っている。八匹の中で虎模様は黒虎と茶虎の二匹しかいない。
「おじさん、ともかくこの猫たちを描きなよ」
「そうだな、猫のことよく見ないと、絵にならんな」
「おじさんが猫にならなきゃいけないのよ」
おおそうだ。その通りだ。猫そのものになりきらなきゃ絵にならん。姪っ子に教わった。絵の基本じゃないか。茸を描くとき、茸と同じに冷たい空気あび、雨粒を感じ、土の温もりを感じて、絵が生きてくる。庭師の三吉も木の気持ちになると言っていたじゃないか。
お腹が一杯になった子猫たちは、木野が家に上げると、茸酔のいる居間に入ってきた。眺めていると、座布団の上に八匹かたまっておちゃんこをした。
かわいいものだ。安心したのだろう。
眺めていた茸酔はふっと我に返った。これはいかん、茸は見つけたら逃げない。ゆっくりと絵を描くことができる。しかし動物は一瞬一瞬違う形になる。
巻いた紙と矢立てを用意し、子猫の絵を描き始めた。この黄銅製の矢立ては虎酔師匠がくれたものである。
「わしはこれを持って町の中を歩いたものよ、今はこのように座敷で虎を描いておる、これからはおまえが使いなさい」
そう言って渡してくれた。
そのとき茸酔は師匠の言葉通りにとらえてなにも考えることもしなかった。今思うと、師匠は京から江戸に来てから、町中で出会った猫や犬、鳥をその場で描いていただろう。いつも生き物の動きを紙の上に捉える修練をおこたっていなかった。今、茸酔には師匠がこの矢立を渡してくれた気持ちがわかる。
茸酔は座布団の上で見せる八匹の子猫の仕草を描いていった。一瞬の表情、手足、尾っぽ、すべての動きの流れを紙の上に描き出さなければいけない。八匹一緒となると八倍大変である。今だったら八乗の大変さがあるといった方がいいのだろう。
だが一方でたいそう楽しいものでもあった。めまぐるしく変わる猫の動き。茸とは違った張り合いがある。
やがて八匹は折り重なるように寝始めた。猫というのはぐっすり寝ているようでも、体の位置をよくかえる。一匹が動くと、他の七匹も動かなければならなくなり、全体の形が変わる。
面白いものだ。時間がたつのを忘れる。茸酔は八匹の固まりをたくさんの絵にした。
師匠は猫をどのように描いていたのだろうか。
師匠の残したものをそのままにしてある画室がある。師匠の絵が数点かざってあり、絵の道具は使っていた状態のままにおいてある。押入の中には師匠の画帳や古い道具がしまわれていて、茸酔もどのようなものがあるのか、詳しく見たことがなかった。
画室は屋敷の一番端の部屋である。八畳ほどだろうか。
押入をあけると、行李がいくつかあった。一つの行李を引き出して、蓋を開けてみると、まだ新しい筆や、名のありそうな墨がはいっている。まだまだ描く気持ちはあったのだろう。画帳もたくさんはいっていた。これは師匠が絵を志すころのもののようだ。年号が記されている。
もっと早くあけてみるべきだったのかもしれない。茸酔は古いものから開いてみた。
初めの頃の画帳には、草花や木が墨でささっと描いたものが多かった。草に止まっている虫たちも、羽をやすめているもの、足を舐めているもの、色々な姿で書かれていた。一瞬に形を捉える練習をしていたのだろう。植物は風で葉が揺れているようで、虫はいまにも動き出しそうだ。若いころから力がある人だったのだ。
見ていくと、次第に獣たちに変わっていった。猫、犬、鶏、雀、見近なものから、山にでも行ったのであろうか。鹿や撃ち取られた猪、様々である。昔は猫を飼っていたようだ。火鉢のそばでうっつらうっつらしている猫の表情はぽかぽかと火鉢の暖かさを感じ取ることができる。
師匠が虎ばかり描いていたように思えていたが、それまでには、いろいろな生き物を描いている。
自分はどうだろう。確かに子供の頃は草木を描いたが、すぐに好きな茸ばかり描くようになった。本当はまだまだ未熟なんだが、茸絵の名人などといわれて、悦に入っている自分が恥ずかしくなった。
「おじさんなにやってるの」
木野が茸酔を探しにきた。
「師匠の若い頃の絵を見ていたんだよ、ほら」
木野に虎酔の植物や動物の絵を見せた。
「うまいんだね、何描いても」
その言葉に茸酔はがつんと頭を突かれたような気持ちになった。
師匠がうまかったのは虎ばかりではないのだ、どのようなものでも、紙の上に生きたままそれをうつすことができたのだ。
「俺もはじめからやり直しだなあ」
「なにいってるの、おじさんの茸おいしそうだよ」
木野になぐさめられた。
「猫ちぐら買っていい」
アケビやマタタビの蔓で編んだ猫の籠である。
「もちろんいいよ、いくつか必要だろう」
「うん」
「これから買いに行くのかい」
「うん、白平さんとこ」
「俺も一緒にいこう」
「そうだね、三つ買うから持ってもらうと助かるな」
茸酔は矢立てと紙を懐に入れ、木野についていった。
「白平さんとこ猫はいるかい」
「たくさんいるよ、白平商店では三匹店番している」
通りにでるとすぐに三毛猫が茸酔たちの脇を駆け抜けていった。八百屋の前には黒猫がいる。茸酔は紙を取り出し猫を描いた。今度は路地のところに茶虎の猫がいる。背中の模様が虎模様だ。
町を歩けば猫に会える、犬も鳥もいる。飼わなくてもよかったのだ。いや、身近にいればより細かに動きが描ける。それはそれでいいのだろう。
「おじさん、猫ちぐらちょうだい」
「はいよ、おや、茸酔さんもいっしょかね」
「あ、どうも、猫飼うことにしたんで」
「そうかね、ほらうちにも三匹いるよ、虎酔師匠も昔は庭の猫に餌やってたね、飼ってたこともあるんじゃないかね、虎がわり、なんて言ってたよ」
やっぱり同じ事を考えていたんだ。白平の主人は猫ちぐらを棚から降ろした。
「三つほしいの」
「おや、三匹飼ったのかね」
「子猫八匹」
「そりゃすごいね、障子、ふすま、畳、柱、みんな傷だらけになるよ」
茸酔はそういうことにも考えが及ばなかった自分が情けなくなった。茸だけではだめだ。
「いや、引っ掻くところを描きたいし、噛み付くところも描きたいし、しょんべんするところも描きたいんだ」
「なんだい、茸酔さんは茸から猫にかわるんかい」
白平商店のおやじは笑いながら猫ちぐらにはたきをかけた。
「いや、そういう訳じゃないけどね」
「おじさん、虎をたのまれたんだ」
「なんだい、それで猫かい」
「いや、いろんなものを描いてみようと思ったんだ」
「うちの猫も描いていいよ」
おやじが腰かけまでもってきてくれた。
「あ、そりゃすみません」
茸酔は店の中で好きな格好をしている猫の絵を書き始めた。
「ちぐらあと二つとって」
木野がいうと、おやじは、
「木野ちゃん、やめとき、一つにしときなよ、最初はみんな一緒にはいるけど、そのあと、すぐあきちゃうかもね、わかんないよ、猫が欲しがったら買いにおいでよ、無駄になるよ」と言った。
猫を飼っている人は猫をよく知っている。正直な親爺だ。
「それじゃ、私、猫ちぐらもって先に帰っているね」
木野はおやじから受け取ったちぐらを抱えて戻っていった。
「虎酔さんはよく町中を歩いていたな」
「やっぱりそうだったんだ、たくさん猫の絵が残っている」
「京から江戸に来た頃だろうね、もう虎の絵描きさんと有名だったのに、うちの猫の絵を描いたりしていたね、うちの親父と立ち話をしているのをよく見かけたよ」
師匠は虎ばかり描いていてはだめなことをよく知っていたのだ。
「私も、町を歩いてみようと思う」
「おお、それがいいよ、茸だって、長屋の腐った木塀から生えていることがたくさんあるよ」
それはよく知っている。おやじのいう通りである。すでに江戸の茸の絵もたまっている。長屋の茸という画帳をつくるのも面白いだろう。
猫がくしゃみをした。
茸酔はあわてて、絵筆をはしらせた。
「また描きにきていいかね」
「どうぞ、茸酔さんも絵の幅が広がるよ、高くなる前に一枚くださいよ」
「描けるようになったらあげますよ」
「そりゃうれしい、猫ちぐらに入っている猫の絵があると、ちぐらが売れる」
いまでいう宣伝用の絵になるわけである。
家では子猫たちが板の間の猫ちぐらに一塊になって入っていた。木野が床の上に汚れた布団を敷いて、その上に茸酔が書き損じた紙をのせている。
「なにしているんだい」
「猫がおしっことうんちする場所作ってんの」
そうだ、動物はそういうこともするんだ。
「頼むよな、給金上げるから」
木野が十五をすぎてから毎月給金を与えている。嫁入り支度に使うようにという叔父としての配慮である。
「給金はそのままでいいよ、猫かわいいもん、おじさんの世話より楽しい」
はっきり言う子である。そりゃそうだろう。
「嫁にいくときにたくさんあった方がいいだろう」
「おじさんこそ、嫁さんもらったら」
全く口の減らない娘である。だが、誰からもそう言われる。
「それじゃ、虎の絵が描けて売れたら、ちょっとあげよう」
「それは嬉しい」
一匹がちぐらから出てきて、木野が用意した紙の上におしっこをした。すると他の猫もよってきて、様々な向きで一緒におしっこをした。ぼーっと見ていた茸酔はあわてて絵筆をとった。
「おじさん、猫さんだって人間とおんなじよ、人間のようにいろんな顔をして、いろんな格好をして、猫同士話をしているのよ、それが聞こえるようになるには大変よ」
「木野、何でそんな難しいことを知ってるんだい」
「おじさんが佐渡島に行っている間に、虎酔の先生が私にいろいろ教えてくれたの、花は花、鳥は鳥、鼠は鼠、猫は猫、人間が人間と話すように話をしているんだって、それで、花と鳥と鼠と猫はお互いに少しは話しができるんだって、人間には花と鳥と鼠と猫が話しかけてもわからないんだって、だけど少しはわかる人もいるんだって、それが絵描きなんだって、それで虎酔先生に、それでは花と鳥と鼠と猫の話が聞こえるのですかって聞いたら、ワッツハッツハって笑って、わしゃだめだなあ、まだ絵描きになっておらんわと言ってたわ」
虎酔先生の絵は世間が認めているものである。それにも関わらず、師匠は自分が絵描きになってないと言っていたのか。茸酔は考えてしまった。それを察したように木野が言った。
「先生は、わしゃまだ虎に会っておらんからな、と言ってた、それで、私には先生の虎が襲ってくるように見えます、生きています、っていったら、それはおまえが虎を見ていないからだ。生きている虎をいつも見ている者がわしの絵を見たら何と言うかわからん、だって」
それを聞いて、虎酔のすごさもあるが、木野もよく覚えているものだと感心した。
「わたしも虎酔師匠の虎にはすごさを感じるよ」
「虎酔先生は、わしはあまり旅しておらんから、出会いが少なくてなって言ってた」
「木野にはいろいろ話してくれたのだな、俺は何も聞いていないよ」
「私がまだ小さかったから、独り言のように言ったんだよ」
「木野は絵が好きなのだろう、俺は小さいとき絵が好きで、炭で描いていたらそれを見たとても偉い京都の絵の先生が筆をくださった、それで絵師になったのだ」
「絵は大好き、ちいちゃいときに土の上に描いていた」
「虎酔先生は木野の絵は見ていないのだな」
「うん」
「描いてみたいかい」
「うん、でも親がうまくご飯を炊いて、おいしい味噌汁を作れるようになって、早く嫁に行きなさいって」
以前、木野は茸のお料理の店をやりたいなどと言っていた。
「姉さんがそう言うのか、それはそれだよ、よかったら、俺の筆をやるから、描いてみるか、木野は猫と話ができそうじゃないか、わしより猫のことをよく知っている」
その気がおきたら、虎酔師匠が残した使ってない筆や墨も木野にやろう。
女性の絵師などほとんどいないころの話である。
茸酔が自分の使った硯と墨と筆を何本か木野に渡した。
「好きなものを好きな時に描くといい」
「うん」
木野はいそいそと自分の部屋に絵の道具をもっていった。
八匹の子猫はちぐらの中で丸く固まっている。
茸酔は子猫の髭の生えている方向をじっくりと観察し絵にした。こいつを雑貨屋に持って行ってやろう。
次の日の朝、茸酔が顔を洗って居間にいくと、木野が子猫に餌をやっていた。
「おはよう」
「今、ごはんもってきます」
「急がなくていいよ」
木野が温かい味噌汁とご飯と海苔を運んできた。
「はやく起きたんだな」
「うん、猫の世話をしたんだ、それに絵も描いた」
「そりゃあいいね、たまったら見せておくれ」
「うん、いつかね」
そういって自分の食事も運んできた。一緒に食事をすることにしている。
「あの黒い虎猫、シイタケって名前にした」
「そういえば、名前を付けていないな、みんなにつけてやってくれよ」
黒虎、茶虎、白、白黒、三毛、黒、錆、茶どれも色が違う。三毛猫以外すべて雄だ。
「うん、それじゃ、茶虎はジゴボウ、白はハツタケ、白黒はシメジ、三毛はナメコ、黒はクロボウ、錆はマツタケ、茶色はクリタケ」
茸酔は笑った。
「そりゃおもしろい、みんな食える奴だ」
それから茸酔の屋敷には八匹の茸猫が住むことになった。
梅雨に入った。毎日雨がしとしとと降り続ける。
猫たちが家にきて一月経った。ということは生まれて一月半ほどだろう。外で遊びたいようだが、雨で庭にでることができない。屋敷の中で遊んでいる。ずいぶん大きくなって、柱に傷をつけるようになり、木野がしかっている。猫の爪とぎや、駆け回る様子を茸酔は絵にした。頭の中では虎の子たちが遊んでいる様が浮かんでいた。まさか虎が家の中にいることはなかろうが。
雄猫はやんちゃ盛りだ。今ではおしっこやうんちは外にでて、雨のかからないところでしてくるようだ。おそらく軒下か庭木の下だろう。木野の手間がかからなくなった。虎はどのようにおしっこをするのだろうか。
猫たちは味噌汁ご飯をよく食べる。たまに木野が魚屋に行って、捨てるところをもらってくる。それに食らいついている様を虎に置き換えてみるのだが、まだしっくりこない。
猫たちは屋敷の中をうろうろと歩き回っている。
茸酔は雑木林まで足を延ばして、梅雨時に生えている茸を採ってきて絵を描いている。雨が降っているとその場で丁寧にはかけない。家に採ってきてかき直し、彩色をする。そんなところにも猫たちは勝手に入ってくるようになった。猫たちが集まってきて、茸酔の筆をもった手をながめている。動きが面白いのだろうか。
そのようなとき、逆に猫の表情に目を奪われて、茸酔は猫を書き始めてしまう。それだけいろいろな表情を見せるし、動きを見せてくれる。猫のお陰で筆を早くこまめに動かすことができるようになった。
「ほれ、おまえたちの名前の茸を描いているんだぞ」
茸酔が猫に声をかけるとそばに寄ってきて、絵をのぞき込むような仕草をした。特に体の大きな黒虎のシイタケは、茸の絵を描いている茸酔に近づいてきて、膝の上にあがろうとする。喉をなでると目を細めて顎を突き出す。茸を描いている手を止めて、シイタケの表情を描いた。茶虎のジゴボウと茶のクリタケは二匹でよく喧嘩をしている。本当の喧嘩ではなくじゃれあっているのだが、大きくなったときに喧嘩上手になるのだろう。白黒のシメジはぼーっと外を眺めている。白のハツタケと黒のクロボウは雨の上がっているときに外に遊びに行くことが多い。三毛猫のナメコは自分の体をよくなめている。そんな自分の兄弟を眺めているのが錆猫のマツタケである。すっくと背筋を伸ばして、他の猫の動きを見ている。時々茸酔をちらっと見たりしている。
猫たちはもう猫ちぐらに入らないが、マツタケだけはたまにはいって丸くなっている。白平商店のおやじが言っていたように三つも買う必要はなかった。
ある時、木野が自分で描いた絵を見てくれともってきた。ずいぶんたくさんある。
見ると、丁寧な猫の絵と、ささっと猫の動きを写したものがあった。それぞれの猫の個性がうまく描かれている。
「うーんうまいなあ」
つい茸酔は声をだした。
「木野、いいぞ、俺の猫より生きている、もっともっと描くといいよ」
木野はえくぼを寄せてうなずいた。
梅雨も終りになり、蒸し暑い夏のはじめが訪れた。猫は縁側にいるもの、木の下の草の上で伸びているもの、台所の隅の風のよく通るところにいるもの、様々な格好で涼をとっている。
茸酔は茸の絵を描く手を休め、猫を描くために家の中を探したり、庭にでたりする。それが茸絵を描くいい息抜きにもなっていた。
木野の描く絵も本格的になり、一通りの絵の道具をそろえてやると、空いている時間は猫ばかりではなく、家の中の道具の絵を描いたりするようになった。
「いつも使っているお釜や薬缶、包丁も毎日顔が違うの、話しかけてくるのよ」
と言って、お櫃の絵を描いたりしている。茸酔が思いもしなかったことを木野はたまに言う。
猫もわが家になれた。
部屋を開け放したまま、採ってきた茸の絵を描いていると、黒虎のシイタケをはじめみんなして茸酔のそばに集まってくることがあった。
半紙の上に置いてある茸の周りに集まり、しげしげと眺めている。
何を感じているのだろう。茸酔はその状況を絵にする。
みんな大人の猫の大きさだ。拾ってきたときの二倍どころか三倍にも大きくなったように見える。
その八匹の猫が茸を見つめる様は奇妙だ。八匹の子供の虎を想像してみる。虎酔師匠の描く虎の顔は激しい。それに比べ猫はなんとかわいらしいことか。猫の表情から虎の怖さを想像するのは難しい。だが、虎にもかわいい一瞬があるはずだし、人になれればかわいい生き物なのだろう。猫の怒ったときの目のすわり方は、虎と同じではないか。
猫たちが囲んでいる半紙の上にあるのは紅茸である。
紅茸の柄の付け根のところには白い壷のようなものがある。まるで蛇の卵のようだ。この茸は西洋ではよく食べるという。真っ赤な茸を食べるのは日本ではご法度だが、茸酔は美味しいことを知っている。油で炒めるとこの茸はおいしい。
なぜ猫たちはこの茸を見つめているのだ。他の茸ではどうなのだろうと、茸酔は半紙の上にシイタケをおいてみた。黒虎のシイタケがどのような顔をするか見たかったのだが、ちょっと匂いをかいだだけであった。他の猫も同じで、茸のまわりからはなれた。
よくある黄色い茸をおいても、猫たちは集まってこなかった。そこで名前は分からないが背の低い赤い茸をおいてみた。
八匹の猫たちがそばに寄ってきた。取り囲んで赤い茸をみつめた。
茸酔はその様子を絵にした。赤い茸を前にして、八匹の猫が見つめている絵だ。
描き終わると、今度は同じ構図で、赤い茸を取り囲む八匹の子虎の絵を描いていてみた。面白い。
木野がお茶をもってきてくれたので見せると、
「茸を見ている子どもの虎猫ねかわいいわね」と、虎とは言ってくれなかった。
猫たちはますます自由に歩き回るようになり、庭より外にもでるようになった。白のハツタケと黒のクロボウは野良犬に追いかけられて逃げ帰ってきた。
蝉が激しく鳴くようになると、暑さが増し初夏の茸が見られなくなった。茸酔は猫の絵を多く描いた。
猫の習性も少しはわかってきたが、まだ木野ほどにはわかっていないようだ。
大人の猫になるまではまだ間がある。半年で雌は子供を産めるというから、それまでの間に、子供の虎のイメージを作り上げなければならない。十月ごろまでだろう。
昼間は好き勝手に生きている子猫たちだったが、茸酔が夕食後、涼しくなった頃に、茸の絵を書き直したり、色づけしたりしていると、部屋にやってくる。風通しがよくて気持ちがいいからかと思ったが、それだけではないようである。
茸酔が描いている茸の絵をのぞきこむのである。夏の暑いさなかでも、猿の腰掛けのたぐいは林に行くと採れる。腰掛けを目の前にして絵を描いていると、猫たちが茸の匂いをかいで、茸酔を取り囲む。梅雨の時と同じである。生の茸に興味があるようである
夏も終わりが近づき、林に茸がでるようになった。これからいろいろな茸が採れる。猫たちはどのような反応をするのだろうか。
「あら、おじさんが茸の絵を描いていると、猫たちがよっていくのね、私が絵を描いていても知らん顔よ、茸が好きなのかしら、猫たちに茸の名前をつけちゃったからかな」
木野が部屋にお茶をもってきた。
「そうかもしれんよ、生の茸にも興味があるようだ」
マツタケがじっと猿の腰掛けを見ていたと思ったら、ひょいと右手を出して、腰掛けの一つを半紙の上からはじき出した。すると他の猫たちもお手玉をするように猿の腰掛けを手ではじいて遊びだした。
「おもちゃにしている」
木野が笑っている。茸酔も笑って、ふとあわてて絵筆をとった。茸と遊んでいる猫は絵になる。
茸酔は夢中になって筆を走らせた。
木野は黙ってその様子をみている。
猫たちは部屋の中で茸を転がしながら大騒ぎである。八匹の猫が六畳ほどの部屋をかけずり回っているところを想像していただきたい。
もっと不思議なことがあった、猫たちは声を出さず、足音もたてず、ただ猿の腰掛けをこづき回している。にゃんにも言わないのである。
茸酔が腕にしびれを感じてやっと筆をおろした。木野はいつの間にか部屋からいなくなっていた。茸酔の動きが止まると、猫たちも黒虎のシイタケが先頭になって部屋を出ていった。しんがりはマツタケである。
部屋の畳の上には傷ついた猿の腰掛けが転がっている。
茸酔は描いた絵を見た。猫は遊ぶときには目を輝かせて茸を見つめ、それこそ無心になっている。楽しそうだ。
木野が紙をもって入ってきた。
「見てちょうだい」
木野が見せた何枚もの紙には、茸と遊ぶ猫を描いている茸酔の姿があった。茸酔の目が猫に吸い寄せられている。
「おじさん、猫が茸を見ているのとと同じように猫を見て絵を描いていた、すごかったね」
そういわれて、茸酔ははっとなって木野を見た。
木野の描いた絵はこれまたすごい、本物になる。
「木野、絵の修行にいくか」
人を描く絵師のところで腕を磨くのがいい。そう思った。
「私はいいわ、ここでこうやって絵を描ければ楽しいもん」
「そうか、だが一度、写酔さんのところに連れて行ってあげよう、私も会ったことはないので会ってみたいと思っているんだよ、写酔さんの絵はちょっと変わっていて、人を描かせると不思議なんだ、顔を書くのがとてもうまい」
「その人どこにいるの」
「谷中のどっかだよ、本屋の十(とう)さんがよく知っている。
十さんとは茸酔の茸の本を出している江戸の出版元である。本名を鶴屋十という。
「十さんも若いころは絵師をめざしていてな、だから目利きなんだ、その十さんが、写酔はすごいといっている、だが写酔さんは人と会うのが好きじゃないらしい」
「じゃあ、私が行くのは難しいんじゃない」
「いや、写酔さんはわたしの茸の本を買ってくれている、会ってくれるさ」
「じゃ、行くだけならいいよ、ついていくよ」
茸酔は十から写酔の家を聞いた。茸酔の住まいは歩いて三十分ほどのところにある谷中の写光寺であった。寺の人ということはきいていなかった。
木野をつれて写光寺にいった。寺の前にきて、すこじばかり躊躇した。寺の門は半分崩れ、建物の塗り壁にひびが走っている。庭には草が生え放題。手入れの悪い古い寺であった。
木野が「人が住んでいるのかしら」と心配そうに玄関の中をのぞいた。
茸酔が「ごめんください」と声をかけた。
真っ黒い猫がのっしりと玄関にあらわれた。
「ありゃ、猫が住職か」
茸酔がおいでおいでをすると、黒猫は黄色い目で茸酔を見て、大きな声でにゃあああごと鳴いた。
「おや、おいでになったかな」
そういってでてきたのは頭をそった尼さんだった。丸顔のにこにこした仏さんのような人だ。年にするともう六十にもなるのではないだろうか。
「茸酔と申します、写酔さんにお会いしたくまいりました」
「ああ、どうぞどうぞ、鶴屋さんから聞いております」
「姪の木野です、連れてまいりましたがよろしいでしょうか」
「どうぞ、おあがりになって」
尼さんにすすめられるまま、茸酔と木野は薄汚れた玄関の板の間にあがった。
廊下を案内され、障子を開けた部屋を見た二人は目を見張った。外見とは全く違い、ぴかぴかに磨かれた床の上に西洋の大きな机があり、椅子が取り囲んでいる。
黒猫が先に入って、一つの椅子の上に飛び上がった。すると、ぞろぞろと猫たちが入ってきて、空いている椅子に座った。全部で五匹いる。
三方の壁には黒檀の棚が作り付けてあり、本がずらりとならんでいた。その中に茸酔の本が何冊もあった。
「どうぞお掛けになって」
尼さんが椅子を勧めてくれた。茸酔はちょっと緊張して猫の座っていない椅子に腰掛けた。緊張がうつったようで、木野もしゃちほこばっている。
「写尼と申します、茸酔さんの茸の絵はすばらしい、みな鶴屋さんからいただいていますよ、あの佐渡島で描かれたお薬の本、見事な絵でした。茸だけじゃなくて魚も石もきれいでした」
「ありがとうございます、写酔さんはいらしゃらないのですか」
「ああ、そうでした、絵の仲間では写酔と呼ばれております」
びっくりした。写酔は女性だった。茸酔は女性の絵師にはじめてあった。
「驚かれたでしょうね」
「ご住職だとは知りませんでした、仏の仕事の合間に絵をかかれているとは大変なこと」
「いいえ、好きなことは大変ではありませんですのよ」
「実はこの木野が絵を描くようになりまして、見ていただこうと思いまして」
茸酔は木野の絵を写尼にわたした。
「絵は好きなように書くのがよろしいですね、生きたものを描くのがいいですね」
生きたものというところに力を込めて写尼は言った。写酔は木野の絵を広げた。
「おや、茸酔さんが猫の絵を描いているところを描いたもの、上手です、茸酔さんの目が猫だけを見ている様子がよくわかります」
「木野をつれてきたのは、この子に絵を教えていただければと思ったからです」
「私は絵を教えるようなことはできませんよ、茸酔さんがいらっしゃるじゃないですか」
「そばにいる者ではだめだと思い、写酔さんのところにまいりました」
「他にもたくさん絵師の方はいらっしゃいます」
「写酔さんはどこで絵をまなばれたのでしょう」
「ここですよ、この写光寺です」
「どのように」
「それじゃ、お見せいたしましょうか、もう忘れたいと思っておりますが、忘れることもできません、昔そういった時があったのです。それが絵を描くはじめでした」
茸酔には写酔の言っていることがわからなかった。
写酔は立ち上がると、こちらにどうぞと部屋を出た。茸酔は木野とともにあとについた。
寺の本堂を通りぬけ、離れに案内された。そこが写尼の絵を描く部屋のようだ。岩絵の具や紙がきちんとそろえられている。描きかけの絵を見て茸酔は驚いた。役者絵である。しかも、今、世間で評判になっている絵だ。
「気づかれましたか、誰も知らぬことです、どうぞご内聞になさってください」
「東洲斎写楽」
「はい、鶴屋さんから聞いたと、蔦屋さんからわたしが頼まれたものです、この寺も荒れてきて、直す費用もなかったのですが、この役者絵を描けば寺などすぐきれいにできると言われ、考えたあげく引き受けました」
写酔は顔をあげず、うつむいたまま話を続けた。
「私は子供のころから絵が好きで、住職だった父が絵の描き方を教えてくれました。父は墨絵を描いておりました。
父は亡くなった人の顔を描いてご遺族にわたしておりましたの。それはたいそうご遺族に喜ばれました。夜、棺のふたを開け父は亡くなった人の顔の絵を描いておりました。私もそれを見ていて、一緒に描くようになり、やがて私が仏の顔を描く係りになったのです。
嫁にいく年頃になるまで続けておりました。私は彫り師のところに嫁に行きました。主人は錦絵の板を彫っておりました。役者絵や景色絵を見ているうちに、死体の顔ではなく生きた人の顔を描きたくなりました。それで時間のあるときには、働いている人の絵を描きました。夫は顔がよく描けていると言ってくれました。
子供も育ち遠くの地に行き、夫も昇天して、さて自分は何をしようと思ったとき、年老いた父親が一人で寺を守っていたこともあって、頭を丸めることにしたのです。そのころ寺も古くなっておりました。五年ほど修行をしてこの寺に戻ると、まもなく父が八十という年で逝きました。寺を維持するのに檀家だけでは無理でしたが、幸いにも夫の仕事の関係から、絵に関係のある方々と知り合いになっており、特に鶴屋の息子さん、十さんが私に絵を頼みにくるようになりました、黄表紙の挿し絵などをまわしてくれました。それから蔦屋さんから役者絵をたのまれるようになったわけです」
木野も真剣な眼差しで写尼を見ている。
「それで、この娘さんの絵を見て、はじめから生きた人を描けるなどうらやましいと思いましたわ、おかげで、こうして若いころ寺で描いていた死人の絵をもう一度見る気持ちになれました。描いた絵は亡くなった家の方に差し上げていたのですが、何枚かのうち、一枚は亡くなった方の名前と日付を入れてしまってあります」
そう言って写尼は襖を開けると、奥の方から行李を引き出し蓋を開けた。黄ばんだ紙が束ねて入っていた。一番上のまだ少し新しい紙を手にとって広げた。
老人の顔であった。明らかに死んだ人の顔である。
「これは父です、死んだ時に描きました。本当にしばらくぶりに死んだ人の顔を描きました」
写尼はさらに古いものを取り出した。たくさんの死人の顔であった。死んだ人の顔そのままである。死んだ人とわかると言うことは、技量の高さを物語る。写尼は天性の画家である。
「写楽の絵は写尼さんが描かれていたものとはずいぶん違いますね」
「はい、思いきり、筆を遊ばせました」
それができるのは、これだけの死人を描いてきたからだろう。
「歌舞伎はよくいらっしゃるのでしょうね、あれだけ役者さんの生きている顔を描かれているのですから」
「一度しか行ったことないのですよ、あのきらびやかさは私には合わないのです、蔦屋さんが他の方の描いた似顔絵をもってきてくださるんです、それを見てみな想像なのでございますよ」
見たこともない人の顔をあれだけ簡素化して、しかも生きている表情が描けている。ということは、虎も見なくても描けないことはない。茸酔は写尼に力をもらった気持ちになった。
「今お一人でお住まいですか」
「はい、猫と暮らしております、ただ朝夕、手伝いの人が毎日きてくれています」
「どうでしょうか、たまに木野にこさせます、何かお手伝いをさせていただけませんでしょうか」
「しかし、先ほどもうしましたように、絵を教えるなど私にはできません」
「いえ、一緒に経など読ませていただけますと、木野にとってよいことと思います、たまに絵を描くところを見せていただけばと思います。そのときやることがあったらお手伝いします」
「お経を読むことはよいかもしれません、気が向いたらきてください」
木野は写尼の描いた死人の絵に見いっていた。
猫たちがその様子を、姿勢を変えずにながめている。大人の猫になると動きが少なくなるのだろうか。それとも写尼に育てられたのでこうなったのだろうか。
それから、月に何回か木野は写光寺に通うようになった。
我家の猫はなんとまあ騒がしいことか。昼間は庭で風通しのよいところで寝ているのだが、夕方になり、茸酔が画室にはいると、ぞろぞろと入ってきてまとわりついてくる。猫たちに悲鳴を上げることもあるがかわいい。絵筆が自然と紙の上をすべるようになった。白黒のシメジが黒のクロボウの耳にかみついた。だいぶ大きくなったので、ちょっと虎のイメージが浮かぶ。茶色のクリタケが白のハツタケと茶虎のジゴボウに追いかけられている。三毛のナメコは障子の隅でおちゃんこをしている錆のマツタケに寄りかかって丸くなっている。虎の子供はあのように丸くなって寝るのだろうか。どのような寝方をするのだろう。
木野はおさんどんをこなすのが早く要領よくなった。自分の時間を作りたくなったようだ。夕食が終わるとさっと片づけて、猫に餌をやり、部屋に行く。最近は写尼からもらった般若心経を読んでもいるようだ。絵も描いているようだが、まったく見せにこようとしない。
秋になり、茸の季節になった。猫の子供たちも茸酔のところにきて四ヶ月近い。生まれて五ヶ月ほどだろう。もう大人の猫に近い大きさだ。シイタケ、ジゴボウはのっしのっしと歩き、ハツタケ、シメジ、クロボウ、クリタケはシイタケたちよりちょっと小さく、歩く姿はまだ子供らしさが残っている。マツタケは奇妙だ。音もなく滑るように歩く。忍者のようだ。体がかなり柔らかい。三毛のナメコは贔屓目か内股でしゃなりしゃなりと歩く。虎にも個体によって違いがあるのだろう。
茸酔は木野をともなって茸採りに行く。木野は食べられる茸を選んで採るが、茸酔は絵になりそうな茸をみつけると、その場で絵筆をとり、それから籠に入れる。おもしろい形の茸がいろいろ生えている。名前はわからないが、採ってきてじっくりと絵にする。猫の絵も描いているが、やはりこの時期は茸にかかりっきりになり、夜遅くまで絵にしている。
八匹の猫は、子どものころから茸酔が採ってきた赤い茸がのせてある紙の周りに集まり、茸を眺める。いろいろな色の茸が採れるが、紙の上に一つずつおいておくと、必ずといっていいほど、赤い茸の周りに八匹の猫が取り囲む。
紅天狗茸のきれいな形のものが採れたとき、八匹の猫は紅天狗茸を囲んで、なかなか離れようとしなかった。
「木野、猫は赤い茸が好きなようだな」
「えー、聞いたことないよ、うちの猫だけじゃないかな、おじさんが赤い茸すきなんじゃない」
木野の言うことは当たっていることが多い。木野は写尼にそのことを尋ねたようだが、写尼のところの猫は茸などに興味を示さないと言う。
「やっぱり、おじさんが茸の絵師だから、猫も茸好きになったんだよ」
木野は結論づけた。そうかもしれない。
秋も深まり、その日は満月の日だった。大家の今助さんが立派な松茸を持ってやってきた。
「今年は茸が豊作のようでね、店子が故郷に帰って松茸をたくさんもらってきてね、ずいぶんおすそ分けしてくれたんだ。茸酔さんも茸狩りにはいくだろうけど、この近くじゃ松茸は採れないだろう、それで食べてもらおうと持ってきたよ」
「そりゃあ、うれしい、ごちそうになります」
猫のマツタケが大家さんのそばによってきてこすりついた。
「おや、猫たちも大きくなったね、こいつの名前はなんだい」
「マツタケよ」
木野が言うと、今助さんも大笑い。
「松茸をもってきたから、マツタケがお礼を言っとる」
「うちの猫はみんな茸の名前なの、あと、シイタケ、ジゴボウ、ハツタケ、シメジ、ナメコ、クリタケ、クロボウ」
「今度はその茸をもってきてみよう、みんながこすりつくかもしれませんな」
大家さんも猫好きである。だけど奥さんは猫がいるとくしゃみがでるので飼うことができない。それで長屋の猫たちをかわいがっている。猫好きが高じて、虎の絵も好きになったという。あの大きな鼻と大きな手足の梅の花、すなわち足の裏が好きだそうだ。
「ところで、茸酔さん、虎の皮から茸が生える絵はできそうですかな」
「今助さん、茸と遊ぶ子供の虎にしたいのですがだめでしょうか」
「おお、それのほうがおもしろい、茸酔さん得意な茸も入れることができるし、子供の虎とは、虎酔師匠のお弟子だから子供の虎、いいですな、よろしくたのみます」
「正月に間に合うように描くようにします」
「そんなにはやく、それであればいい正月が迎えられる、嬉しいですな」
「子猫を見ているうちに、描けそうな気になってきました」
「よろしくお願いしますよ、猫ちゃんたちには、今度鰹節と茸をもってくるからね」
今助さんはそう言って笑顔で帰って行った。
「おじさん、虎の絵描く気になったんだ」
茸酔にしては珍しくはっきりとうなずいた。
「この猫たちを見ていたら、描け描けっていっているようなんだ」
「あと二月半だよ、大丈夫」
茸酔はまたうなずいた。
その夜は十三夜である。茸酔は木野と松茸ご飯を食べていた。
猫たちには魚屋からもらってきたあらを煮てご飯にかけてやった。食べ終わった猫たちはおとなしく二人の周りでぼーっとしている。
「この松茸はしゃきしゃきしてうまいな」
お吸い物も松茸である。
「ほんと、部屋中に松茸の匂いがするね」
食べ終わった茸酔が障子を開けた。満月の光が縁側におかれた花瓶のススキの穂を金色に染めている。猫たちが縁側にでて月を眺めている。何を考えているのだろう。虎だったら月のウサギを捕まえて食いたいと思うのだろうか。子供の虎ならどうだろう、一緒に遊ぶだろうか。猫はうさぎと何がしたい。一緒に餅つきか。
木野の作った団子がススキの脇に積んである。
月の光が八匹の猫たちを金色に染めていく。みんな黄色っぽい。虎の子供のようだ。
「私部屋に行くね」
木野はなにやら絵を描いているようだ。
茸酔も障子を開けたまま自分の画室にいった。ここのところ、茸の絵を書くのが忙しい。まだ虎の子供の絵にはとりかかっていない。今日は林で描いた茸の絵をきれいなものに描き直すことをしている。いずれ何かの本の絵として使う。茸酔はその茸を採ったときのことを思い出しながら絵筆を走らせる。
絵を描いていると時を忘れる。
もう真夜中だろうか。ふと我に帰り絵筆をおいた茸酔は障子を開けた。真っ暗な空に、大きな月が浮かんでいる。星が月の明かりで消えてしまっている。
そのとき、光るものが次から次へと部屋の中に飛び込んできた。何だと見ると八匹の猫たちである。からだがみな黄色っぽくなり、みんなの口には茸が咥えられている。
赤い茸だ。猫たちは茸を畳の上に転がすと、好き勝手に遊びだした。黄色の猫が子供の虎のように見えてくる。
茸酔は絵筆を再び採った。八匹の子供の虎が目の前で赤い茸と遊んでいる。お手玉のようにやりとりする二匹の虎の子、咥えて空中に放り投げる子虎、咥えて走り回る子虎、尾っぽで茸を転がす子虎、茸の上にのろうとする虎の子、赤い茸を両手でもって両足で立つとよちよちと茸酔に向かって歩いてくる虎の子、ただじーっと見つめている虎の子。
赤い茸は紅天狗茸だ。
茸酔は様々な格好をする猫と茸を描いていった。目に見えるのは紅天狗茸の林の中を駆け回る子供の虎たちである。
筆を置いたとき、朝日が部屋に射し込んで、畳の上で丸くなっている八匹の猫たちを橙色に染めている。部屋中にかみ砕かれた紅天狗茸がころがっている。
急に眠気がおそってきた茸酔はその場で猫のように丸くなって寝てしまった。
目が覚めたとき、木野が立っていた。
「おじさん、昨日はすごかったね」
「なにがだい」
起きあがりながら、茸酔が聞く。
「一晩中絵を描いていたじゃない、猫たちは部屋の中で駆け回って、茸をかじって、よっぱらったようにじゃれていた、わたしが声をかけても全く気がつかなかった」
茸酔も脇の絵を見て思い出した。虎の子が紅天狗茸で遊んでいたのだ。
「猫たちはどこにいったんだい」
「朝ご飯食べて外に出て行った、おじさんお腹空いたでしょ、もうお昼、マツタケがまだ残っていたから、松茸のおにぎり作っておいた」
「ありがたい、腹が減ったな」
茸酔は顔を洗って居間に用意されていた松茸の茶飯握りをほうばった。
「うまいな」
「虎の絵が描けたんでしょ、不思議なのよ、八匹の猫がみんな茶色っぽくなっているの」
「夜中にハエトリを咥えて部屋に入ってきた、どこからから採ってきたみたいだな、あの茸を食べると頭の中が燃えるようになり、気持ちがよくなる、わたしも食べて木野に迷惑かけたことがあっただろう、あの猫たち食ったに違いない」
紅天狗茸はハエトリとも呼ばれていた。
猫たちが家の中に入ってきた。茸酔はびっくりした。みんな茶虎の猫になっている。
「どうしてだ」
「おじさんを助けるために虎の子になったんだわ」
「昨日の月の光のせいかもしれないな」
「シイタケ、ジゴボウ、ハツタケ、シメジ、ナメコ、クロボウ、マツタケ、クリタケ、見分けがつかなくなっちゃった」
「いや、ほらごらん、目は前のままだよ」
その時の情景をもとにして、茸酔は、林の中で様々な格好で紅天狗茸と遊んでいる虎の子供の絵を屏風に描いた。
金を使うことはなかったが、躍動感のある、赤い毒茸と遊ぶ八匹の虎の子の絵になった。
出来上がった屏風を大家が見て飛び上がった。
「ほんまの虎の子だなあ、茸酔さん」
次の年の正月、
今助大家は、虎酔の虎の絵の屏風と並べ、来る人に自慢をしている。
木野は絵を描いている茸酔を書き続けていたようだ。十三夜の夜中も茸酔が紅天狗茸と遊ぶ猫を描いているさまを絵にしていたのだ。
それを見た写尼は茸酔の目が狂っていると言った。
茸狂ともいわれるゆえんである。
八匹の猫たちが虎模様になった謎は残ったままである。
茸酔の執念ともいえるのだろう。
後に木野は美人画の女絵師として世に知られるようになるのである。
茸の絵師
版画:著者