現代社会における心の容量について
この短編小説はフィクションです。
ぜひ、あなた自身の状況に置き換えながらお楽しみください。
昼休みの喧騒がまるで嘘だったかのように静まり返った教室。
時刻は17:00。
部活に勤しむ生徒はいるが、いつも授業に使われているこの3-Aの教室は担任、田中聖とその生徒、有村幸成の2人のみだった。
「先生、僕、生きてるのが辛いんです」
一瞬、ピリついた空気が2人の間に流れる。
生徒からこういった相談をされたことは少なからずある。しかし、幸成は普段からそんな素振りは見せず、一見ごく普通の幸せな生活を送っている青年というイメージが私の中で張り付いていたので、どう返したものかと頭を抱えた。
「それは、どうして?」
決して焦らず、急かさず、穏やかな声色で問いかける。
「僕って、すごく恵まれているんです。でも、SNSを見ると僕よりももっと才能がある人が沢山いて。上を見たらキリがないのは分かってるんですけど、どうしても気にしてしまうんです。」
幸成は軽音部に所属しており、ギターを担当していたはずだ。たまに雑談をしていると楽しそうにギターの話や、憧れのアーティストの話をしてくれていたのを思い出す。
「結構僕、才能も少なからずあると思うし、上手いか下手かで言ったら上手いんだと思う。でも、動画サイトに投稿しても求めてもない上から目線のアドバイスばっかりで。」
「幸成の目標はなに?拙くてもいい、教えて欲しいんだ。」
幸成は俯くと、ボソリと呟いた。
「分からないんです。」
机の上で握りしめてる手に少し力が加わったのを感じる。
「ギターで、生きていきたいと思ってた。…でも、10頑張っても結果として出るのは1しかない。天才だって努力してる。でも、元々指が短くて、ポテンシャルの無い僕が頑張ったところで天性の才能を持ち合わせた人間には叶わないんだ。」
私は思う。
世の中には、三つの種類がある。
凡才、天才、秀才。
凡才がマイナス1からのスタートだとしたら、それを0にするために努力してる間に天才は1に成長する。そして秀才はその遥先を行く。
その上、エンタメ、芸術関連の仕事が飽和している今の時代、秀才の中でも運を掴み取った人のみが世間の目に入る。
世の中に、平等なんてものは存在しないのだ。
「動画の感想を見たくてSNSを開いても、最近は誹謗中傷ばかりで。なんか、見ているだけで疲れてしまうし、仮に僕がギターで成功したとして、これから先に待ち受ける数多の心無い言葉に耐えられるのだろうか、って。」
今はネット社会。
歌い手やYouTuberにVTuber。時代的にテレビを見る機会が圧倒的に少なくなったと思う。
かなり若い層にもスマートフォンという、ただこの手に収まるほど小さな物質で、人を殺すことだって容易くなってしまった。
現代社会の弊害とも言えるだろう。
「両親にも恵まれてる、人間関係だって人並みに築けている。でも、だからこそ辛いんです。」
少し間を開けて、拙く言葉を紡ぎ始める。
「こんなに恵まれた環境にいるのに、僕はどうして幸せと思えないのだろう。自分を不幸と思ってしまうことが、辛い。両親に、申し訳ない。恵まれた環境にいたからこそなんですかね、いくら自己肯定感が上がったり、他人からの絶大な評価を得ても、マイナスな意見が1つあるだけで幸せの器は空っぽになってしまう。僕って、強欲なんです。」
なんて返せばいいのか分からず、思わず窓から見える夕暮れの景色をふと眺めてしまう。
「僕ってたぶん、生きてるより死んだ方が楽なんです。幸せ不幸せの相転移は差し引きゼロってどこかで知りました。でも、この世の中、マイナスな意見ばかりで、人間すら、嫌いになる。」
人生というものは難儀なもので、人によって幸せのベクトルというものが違うのである。
1枚のクッキーで幸せになれる子供もいれば、ケーキにジュース、それで幸せになる子供もいる。
生まれた環境や育った環境が強く関係しているので、こういった差が生まれるのは当たり前なのだ。
「幸成は、とても繊細で努力家だ。私は専門家ではないから細かいことは言えないけれど、何かあったらいつでも先生を頼ってくれ。」
私は当時、彼に投げかける言葉がこれしかなかった。人それぞれ、違うのだから。
その1週間後。
幸成が死んだ。
私はこの時、悲しみよりも罪悪感を感じていたと思う。
私があのときもっとマシな言葉を掛けられていたら。いやしかし、そこで下手を打てば逆に酷い結末を送っていたかもしれない。だからこれでよかった。
先生という職に就きながら、生徒の死に向き合わず、必死に赦しを乞おうとした。
本当に惨めだったと思う。
皮肉にも、彼が相談した相手は幸成が嫌っていた人間の性そのものだったのだ。
これを読んでいる貴方が私の立場なら、どんなことを思いますか?
両親から愛されていただけ、幸せだ、勿体ないと感じますか?
自殺に追い込まれるほどなのだ、可哀想だと感じますか?
これらの感想は全て人間の匙加減で決まるのです。
総理大臣にでもなって、インターネットを抑圧する、AIが悪口を摘発しすぐにアカウントが凍結されるようにする、全ての事象に置いて天才、凡才で分けて評価をするようにする、空想なら色々思い浮かびますよね。
いっそのこと人類が滅びれば、地球温暖化だって進まず生き物に優しい地球になるでしょう。
人間は、愚かなのです。
それぞれの心の容量で物事を決めつける。
その上、臭いものには蓋をするように都合が悪いことは無視。
心に余裕が無いから、自分より努力していないのに弱音を吐いている人に苛立ちを感じる。
心に余裕が無いから、努力ができずに才能を羨む。
努力しているのに、才能がないから心に余裕がなくなっていく。
そして皆、こちらのことはこれっぽっちも考慮してくれない、と、どんどん心の箱が壊れていき、最大容量が少なくなっていく。
このままインターネットが蔓延る、裏を返せば悪口がどこでも目につくような現代社会が続いていけば、心の最大容量など雀の涙ほどになってしまうんでしょうか。
人間が生きてる限り、戦争もいじめも無くならない。だが、分け与えてあげることならできる。
心に余裕を持った人間が、辛い思いをしている人間に施す。そのループができれば、世の中は少し呼吸がしやすくなるのではないか。
概ねこんな簡単なことを説明するのに、こんなにも時間を割いてしまった。
私は今でも彼の生きている世界線を考えながら生きている。
今の時代人間はお互いの容量、キャパシティについて考える必要が少なからずあるのかもしれない。
現代社会における心の容量について
いかがでしたでしょうか。
争いは耐えることはないけれど、少しでも世界に優しさが増えるといいなと願うばかりです。