まるいぶちの、ねこといぬ

 まるいぶちの、ねこといぬ
 
 市場(いちば)には魚(さかな)だけでなく危険(きけん)なものもたっくさん置(お)いてあるから、とにもかくにも気(き)をつけろ、と最近(さいきん)生(う)まれた猫(ねこ)どもに伝(つた)え歩(ある)き、迂闊(うかつ)に猫(ねこ)が減(へ)らないように気(き)をつけて歩(ある)くのが自分(じぶん)の役目(やくめ)であると、老猫(ろうびょう)のぶちはよく言(い)いました。
 ぶちはもともととある家(いえ)に住(す)まう猫(ねこ)で、顔(かお)の真(ま)ん中(なか)に大(おお)きく、炭(すみ)でも押(お)しつけたような真(ま)っ黒(くろ)なぶちがあり、それが鼻(はな)も口(くち)も、目(め)のあたりまでも広(ひろ)がっているので、こいつは炭(すみ)焼(や)きに失敗(しっぱい)したんだなあと、飼(か)い主(ぬし)たちの笑(わら)いの種(たね)でした。
 しかしその飼(か)い主(ぬし)がある日(ひ)突然(とつぜん)先立(さきだ)ってしまい、ぶちは齢(よわい)八(やっ)つで厳(きび)しい野良(のら)の道(みち)に入(はい)ることになりました。
 その頃(ころ)、その地域(ちいき)の野良(のら)はぶちのほかに両手(りょうて)で数(かぞ)えるほどしかいませんでした。しかしその両手(りょうて)分(ぶん)の野良猫(のらねこ)たちは、よそ者(もの)のぶちを最初(さいしょ)はけげんな目(め)で見(み)ていたものの、その面白(おもしろ)い顔(かお)を眺(なが)めるうちに、ふ、と心(こころ)を開(ひら)き、なわばりへ入(い)れてくれたのです。さらにありがたいことに近所(きんじょ)の魚市場(うおいちば)から飯(めし)を取(と)っては分(わ)け与(あた)え、なわばりのルールを全部教(おし)えてくれたのです。
 今日(こんにち)、その頃(ころ)の野良(のら)はもういません。しかしその野良(のら)たちが産(う)んだ子(こ)がさらに子(こ)を産(う)み、ぶちが特(とく)に気(き)をつけているからこそ、この地域(ちいき)の野良(のら)は両手(りょうて)両足(りょうあし)くらいに増(ふ)えました。
「おまえたち、よく食(く)えよ、だが骨(ほね)は刺(さ)さると危(あぶ)ないから、丸(まる)呑(の)みはするなよ」
 老(お)いてねこまんましか食(た)べられなくなっても、ぶちはこのなわばりのルールを多(おお)くの野良(のら)に伝(つた)えました。
「おまえたち、ここはすきま風(かぜ)が入るから、あっちの発泡(はっぽう)スチロールのところへ行(い)きなさい」
 ぶちがこんなに世話焼(せわや)きなのには、若(わか)い時分(じぶん)に助(たす)けられた恩(おん)を、返(かえ)したい気持(きも)ちがあったからでもありました。
 最近(さいきん)ここらを散歩(さんぽ)ルートにした犬(いぬ)が、飼(か)い主(ぬし)と一緒(いっしょ)にやって来(き)ました。名前(なまえ)はぶちと言(い)い、背(せ)の高(たか)い雑種(ざっしゅ)で、右目(みぎめ)を囲(かこ)うように黒(くろ)い大(おお)きなぶちがありました。飼(か)い主(ぬし)からは、きっと墨(すみ)つぼを熱心(ねっしん)に覗(のぞ)いたんだろうと笑(わら)いの種(たね)になっていて、そんな飼(か)い主(ぬし)を見(み)て、きっと何(なに)かいいことがあったのだろうと犬(いぬ)のぶちは思(おも)い、舌(した)を出(だ)して笑(わら)いました。
 海沿(うみぞ)いの道(みち)で犬(いぬ)のぶちと飼(か)い主(ぬし)が散歩(さんぽ)をしていると、潮風(しおかぜ)の香(かお)りがとても楽(たの)しくて、犬(いぬ)のぶちはいろんなところをくんくんしながら進(すす)んでいきました。
 その日(ひ)はとても晴(は)れて、野良猫(のらねこ)たちは朝(あさ)早(はや)くから日向(ひなた)ぼっこに余念(よねん)がありません。なんせ海(うみ)の天(てん)気(き)は変(か)わりやすく、ぽかぽか陽気(ようき)かと思(おも)えば冷(つめ)たい風(かぜ)がびゅうびゅう吹(ふ)く時(とき)だってありましたから。
 お気(き)に入(い)りの発泡(はっぽう)スチロールの上(うえ)で、長(なが)くて少(すこ)し汚(きたな)くなった尻尾(しっぽ)を丸(まる)め、老猫(ろうびょう)のぶちはすやすやと寝(ね)ていました。
 犬(いぬ)のぶちは途中(とちゅう)で老猫(ろうびょう)のぶちに気(き)がつくと、遠(えん)慮(りょ)なく近(ちか)づいて、老猫(ろうびょう)のぶちの鼻先(はなさき)をくんくんしだしました。
「おや、この猫(ねこ)もぶちなんだね」
 犬(いぬ)のぶちの飼(か)い主(ぬし)が言(い)うと、老猫(ろうびょう)のぶちは眠(ねむ)たい目(め)をゆっくり開(あ)けて、目(め)の前(まえ)の犬(いぬ)のぶちを発見(はっけん)しました。しかし犬(いぬ)というものを初(はじ)めて見(み)たので、これが一体(いったい)なんなのか、わからないようでした。
 されるがままに匂(にお)いをかがれ、老猫(ろうびょう)のぶちは、もしや食(く)われるのではあるまいかと不安(ふあん)になりました。しかしそんな不安(ふあん)をよそに、犬(いぬ)のぶちはその場(ば)に座(すわ)り込(こ)み、時折(ときおり)飼(か)い主(ぬし)を見上(みあ)げ、老猫(ろうびょう)のぶちを見(み)つめ、何(なに)かを訴(うった)えているかのようです。
「ぶち、この子(こ)と一緒(いっしょ)に帰(かえ)りたいのかい?」
 飼(か)い主(ぬし)が犬(いぬ)のぶちの顔(かお)を覗(のぞ)き込(こ)むと、犬(いぬ)のぶちはにこっと笑(わら)います。仕方(しかた)がないねと飼(か)い主(ぬし)は、そのまま老猫(ろうびょう)のぶちを連(つ)れて帰(かえ)りました。
 病院(びょういん)でもなんの問題(もんだい)もなかった老猫(ろうびょう)のぶちは、それからまた家(いえ)の猫(ねこ)になりました。二匹(にひき)そろって「ぶち」と呼(よ)ばれ、美味(おい)しいものをたくさん食(た)べました。
 老猫(ろうびょう)のぶちがいたなわばりは、それからもいろんな猫(ねこ)がなわばりのルールを伝(つた)え続(つづ)け、たくさんの猫(ねこ)がしあわせに暮(く)らす地域(ちいき)になりました。

まるいぶちの、ねこといぬ

まるいぶちの、ねこといぬ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-06-06

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