回廊の中で 【巻4 見えた白い影】
遂に回廊の〈誰か〉両者に出逢い、ふたりの心を救った灯火志義(あかり・しぎ)。
それでも、回廊の謎全てを知り尽くすことができなかった。
再び志義達が四人全員で回廊に向かうと、想定外の人物が回廊の中で待っていた……。
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1-1,望まぬ人物が
★★★
冷たい風はこの町にもやってきた。
寒さが深まる2月の、昼。
「回廊の謎は、あれで全てではなかったの」
と花鈴が困惑気味に言う。
康太の再びの、
「四人で回廊に行こう」
の呼びかけに、結果的に全員揃った、回廊の前である。
周りの竹も寒そうに揺れる。
花鈴が最初に回廊に着いたようで、最後に来た康太に花鈴が言ったのが先程の一言だ。
「だって、やっぱり会いたいんだもん。回廊の人に、せっかくだからみんなで来ました、って言いたい」
「志義がいれば会えるのが確実だしな」
康太に続けて真貴也も言う。
「志義」
花鈴に顔を向けられ、志義は、
「まだ、回廊を作った人に会ってない。今日は居るかも」
と答えた。
そういえば、213回目の回廊探検から4ヵ月が経った。
その4ヵ月の間は仕事に学業にと何かと忙しく、また三人も学校のテストやら行事やらと予定だらけでなかなか会えなかった。
この間、『ひだまり』に集えたのは2回だけで、回廊探検の成果のあらましはこの時に話した。
回廊にも来られなかったので、風人には会っていない。
瑠希にも会えずじまいである。
仕方ないわ、という感じで花鈴は志義が見つめる回廊の入口に目を向けた。
「さて、まずは近道を」
回廊に、心持ち大きめの声で志義が呼びかける。
「風人。志義だ。中心部までの道を作って」
――今、それどころじゃないんだ。
聞こえた〈こだま〉は風人の声であるのが明らかだが、上擦った、戸惑いの色だ。
「どうしちゃったんだ」
真貴也が心配そうな顔をする。
〈こだま〉は真貴也にも聞こえたようだ。
「何があったの」
背後から声がした。
振り向くと、竹林の境目に瑠希が立っていた。
茶色いコートを羽織り、黒いズボンにスニーカーを合わせている。
康太は瑠希の顔を見てびっくりし、目を瞠っている。
ジルダゼラミの姿で対面しているからだ。
真貴也は初対面だ。
「知り合い?」
と志義に囁く。
花鈴は瑠希が元気な様子でここにいるのでほっとし、またなぜここに来たのかと考えているようだ。
この三人に、瑠希とジルダゼラミが同一人物である事は言っていない。
「瑠希、風人が困っているみたい」
周りの不思議な反応に構わず、志義が言った。
志義は花鈴から聞いて、瑠希が先月退院したのを知っていた。
瑠希も同様に周りに頓着せず、少し考え、それから四人に向けて、
「とにかく、行ってみよう」
と言った。
五人は回廊に入る。
回廊の中は、外の冷気を防ぎ、暖かい。
「どっちから行くの」
康太が志義と瑠希に聞く。
最初の二つの分かれ道だ。
「左」
と志義と瑠希が同時に答えた。
左ルートを進むと、直ぐにアーチ天井が見えてきた。
中心部に近付いてきたのである。
「――そんなんじゃない。あなたが許したはずだ」
風人の声だ。
「急ごう」
と志義。
五人は走った。
中心部に入ると。
「風人」
志義と瑠希の声が重なって響く。
風人は、回廊での普段の格好で、中心部内の中央に浮く。
その時、志義は瑠希と共にはっと驚いた。
もう1人、居る!
純白の服で全身を包み、薄茶色の長い髪を靡かせる、色白の女性が、風人と共に宙に浮いて、彼と向き合う。
(白い服……)
ぼんやりとした感覚が、突然研ぎ澄まされた。
(!)
脳裏のどこからともなく、ぱっと浮かんできた、あるイメージ。
志義が、呟いた。
「彼女は……魔法使いだ」
その場の全員が――康太が、真貴也が、花鈴が、瑠希が、風人が、更に白い服の女性もが、志義に注目した。
女性が、志義をしかと捉えた。目の色の青さがくっきりと分かる。
「ええ。でも、アジェンではないのよ」
にっこりと、女性は柔らかな声で言った。
1-2,閉じ込め
「何? 誰?」
康太が志義を見て聞いた。
志義なら知っているのだろうと思ったのだ。
志義は首を横に振った。
「あなたは、何者」
ようやく声を絞って、志義が尋ねた。
女性が名乗った。
「私は、ソアーベ」
それから、女性が床に降り、志義と向き合って、言った。
「あなたに会いに来たの。スセリ・フジカ」
目を、これまでに無いくらい見開かせ、志義は硬直した。
「……なぜ、それを私に言う」
(まだ正気を失ってはいない)
志義は自分を見失いそうになる感覚に襲われた。
白い服の女性――ソアーベが、志義に近付いた。
「須勢理藤華(すせり・ふじか)。あなたの、本来の名前はそれ。忘れたはずはないわ。あなたは少なくとも13年間、その名でこの世を生きてきたのだから」
「何を……私の何を知っている!」
志義はその場に足を固めたまま叫んだ。
(怖い)
不気味な気持ちが志義の全身を覆い始める。
足元から凍り付き、上へ上へと氷が迫ってくるかの如く。
「止めなさい!」
花鈴が大声で叫んで、志義とソアーベの間に入り込んだ。
「何が何だか分からないけれども、志義を害しようという心なら私にだって見抜けるわ。志義に傷を付けようものなら、私が許さない」
普段の複雑なオーラや穏やかな物言いをかなぐり捨て、今の花鈴は正に、戦う戦士と同一とも言える、志義を守りたい一心で行っている勇気の結晶であった。
「志義、逃げて」
ソアーベを睨み上げながら、自らの体を志義の盾としている花鈴が囁いた。
ふっと小さく吐息を鳴らし、ソアーベは柔らかく、しかしおぞましく言った。
「逃がさない」
志義の周りにぐるりと、青い色味の付いた透明な幕が出現する。
「志義」
康太と真貴也も叫んだ。
花鈴と共に志義に駆け寄り、幕を叩いた。
壊れない。
強固なガラスのような幕である。
志義も内側から叩くが、罅さえ付かない。
瑠希と風人も志義に寄った。
ソアーベが素早く右手を掲げた。
志義を囲む幕と、志義を助け出そうとする五人の間に赤い幕が新たに現れた。
更に黄色い幕が五人の背後にも出て、五人とも閉じ込められ、手も足も出ない状態になってしまった。
幕は色を薄く留めたまま透明になる。
この幕もガラスみたいに硬い。
志義を中心に、花鈴、康太、真貴也、瑠希、風人が周りに立つ形になって固定された。
花鈴はソアーベに最も近い位置で、志義の姿を見られないよう再び盾としてソアーベと向き合う。
「何をする気だ」
真貴也がソアーベに向けて叫んだ。
しかし、ソアーベが見ているのは、花鈴越しの志義だけであった。
「私はあなたが過去と真剣に向き合うまで、須勢理藤華と呼ぶのを止めないわ。今のあなたは、借りたような他人を装う、上辺も完成していない人間。〈灯火志義〉になど成れていない」
きっぱりと言い切るソアーベ。
1-3,凍りつく感覚
「さあ、あなたが自治区で体験した事を、全て思い出してもらいますか」
「自治区!」
花鈴が激しく驚いて、振り返って志義を見た。
「嘘でしょう。自治区!」
「何だっけ」
真貴也が尋ねる。
驚く程に怖いものだという事だけは分かったのか、顔が強張る。
「この国の、東にある地域だよ」
康太が言った。
「半分独立状態で、1万人くらいが住んでいる。竜が住むっていう伝説は本国のこっち側でもよく知られた話だ。最大の集落は加(くわえ)地区。あとは、……」
「いかがわしい集団が、権力を握ってたわ」
花鈴も言った。
「その集団はこう自称してた。『ピアール隊』と」
周りが詳しい説明をすればするほど、志義の頭から血の気が無くなっていく。
「大丈夫か」
風人が志義の更なる異変に気付いて声をかけてきたが、志義の耳には届かない。
もはや、志義は自分の感覚を失っていた。
「藤華、話をしてやって」
ソアーベの声だけが、なぜかはっきりと耳の奥に響く。
何か言わなければ、という思いに駆られたものの、出てきたのは反論ではなかった。
「えっと……親が転勤族で、たまたま自治区の支店に配属されたからあれに住んだけど、本当はもっと早く離れる予定で、なのに8年くらい――」
「そういう話を求めていない」
志義のしどろもどろな話を遮って、ソアーベはきいっと尖った声で言った。
「あなたが体験した事、を話すようにと言ったの」
「嫌だ」
咄嗟に口から飛び出た言葉も、上擦ってしまう。
「何であんたに、私の過去を喋るのを強いられなければならない」
「理由は既に言った」
ソアーベは遂に微笑を消した。
「何の為に志義を追い詰める」
風人がソアーベに強く言った。
「そうだ」
康太。
「志義が何を知って生きてこようと、俺達の志義である事が変わる訳じゃない」
「いいえ」
ソアーベ。
「変わってしまうの。このままの心理状態で生き続ける事は不可能よ。あなた達の〈灯火志義〉が壊れて消えてしまわないようにするのには、この作業が要るの」
「志義を苦しめて、何が『要る作業』だ」
瑠希も黙らなかった。
「私達を解放して」
花鈴が強く、凄みを聞かせて叫んだ。
ソアーベは全く動じない。
「さあ、自分で言いなさい」
ずっと、志義しか見ない。
志義は頭まで氷が達した感覚になった。
いや、感覚も鈍い。
表面だけを覆っていたはずの氷が、皮膚を透き通して内臓にまで広がっていく。
話などできる状態ではないし、ましてや反論など……。
「あなたが口を噤むなら、私が代わりに言うわ」
ここで初めて、ソアーベは志義から目を外し、志義の周りで閉じ込められた五人を見つめた。
1-4,志義が隠した過去
「この目の前に居る女性、灯火志義は、ほんの5年前まで、別の本名で生きてきた。その名こそ、〈須勢理藤華〉であった。
藤華は、3歳までは本土の田舎で育った。
その間に、藤華の生母は2歳の娘を捨てて家を出て行った。藤華の父が追い出したからだ。
理由は、その女性がピアール隊員だったから。ピアール隊員は人を愛する事もできないよう洗脳されたからね」
はっと息を呑む音がいくつも聞こえた。
脳まで氷に埋め尽くされた志義の頭の中では、冷たさで音がかえって過敏に聞き取れてしまう。
「3歳の年、藤華の父の仕事の都合で、致し方なく自治区に住む事となった。それから、ピアール隊の影響下での暮らしが始まった。
最大集落の加地区の小学校に入り、右も左もピアール隊の呪縛から逃れられない子供や大人だらけの環境で過ごす内、最初の事件が起こった。
藤華がまず親友とした女子児童が自殺した。10歳だった。遺族は藤華が原因だとした。
狭い人間空間の中で、藤華は居場所を無くした」
「そんな」
花鈴が声を震わせて呟いた。
ほかの四人も息が乱れつつある。
初めて聞く志義の知られざる過去、遠い異世界のように感じていた自治区での出来事にただ驚く事しかできない皆の様子が、氷で曇る視界にぼやと入る。
「誰からも捨てられたかに見えた藤華に、手を差し伸べた少女がいた。
名を、八上千戸世(やがみ・ちとせ)という」
「やめろ」
小さく志義は言った。
もう、止められない。
志義の記憶が、心の奥の、鎖を掛けて縛り上げたはずの扉をばらばらに破壊して溢れ出し、暴れ出す。
次々に襲い掛かる過去の光景。
志義の脳裏に激しく現れて消えるのは、かつては見慣れた少女の、時を知らない無垢な顔ばかりだ。
しかし、志義にはそれさえ恐ろしい。
笑顔の少女の顔が凍りついた志義を叩き壊さんとする……。
(結末まで言うな)
今は、志義たる自分しか知らないと思い込んでいた結末まで、言い切られるのではないかと、ただただ怖くなるばかりである。
「千戸世は、小学校の1年生から同じ学級であり続けた人だが、それまでは言葉を交わす事もあまり無かった。
事件を機に、千戸世と藤華の距離はぐっと縮まり、一月も経たずに新たな親友の関係を築き上げた。
その1年後、第2の事件が起こる。
本土でも噂された、伝説の竜との出会いだ」
(全部言われる)
何を言っても、ソアーベは話を止めないだろう。
全部言われたら。
築き上げ直してきた全てを、また、失うのだろうから。
きっとそうだ!
「もうこれ以上言わなくていい」
と叫んだのは瑠希である。
「苦しんだ過去をほじくられていい気分になる人はそうそういない。今正に志義は苦しんでいる。
私達はあんたに志義の昔を暴露してもらおうとここに来たんじゃない」
「昔? いいえ、古と呼んでほしいね。現在と切り離した過去なら昔と言ってもいいけれど、この人は全く切り捨てられない過去となって未だに引き継いでいる。今と繋がっている過去は古と呼ぶべきだ」
ソアーベは返す。
「言葉の問題ではないわ」
花鈴。
「志義は今のままでいいの。今在る志義が一番なの」
「その志義が過去のせいで木っ端微塵になったら、どうする」
強烈な言葉に、志義の周りの五人はソアーベへの対論を無くす。
「どういう意味だよ」
真貴也がやや小さめの声で聞く。
「木っ端微塵になるほどの過去って、何なんだよ」
ソアーベにも、志義にも尋ねているかに取れる。
回廊の中で 【巻4 見えた白い影】