綿矢りさ風小説 ~青木康善Remix~
金よこせ綿矢りさ!
にんにくの匂いがした。アリシンっていう成分の名前を、たしか保健の教科書か何かで読んだことがある。そういう、ちょっと理科っぽい単語は、頭の中にいつまでも残る。背が伸びたり縮んだりする時期のことも、私はまだちゃんと終わっていない気がしていた。
電車の切符を買う。船なんか使わない。別にどこへ行くわけでもないのに、自動券売機の前に立つと、どこか遠くへ行ける気がする。行かないけど。
マンションの十一階から馬肉を投げる人のニュースを想像した。そんな人はいないかもしれない。でも最近は、いてもおかしくない。テレビの中では毎日、何かが落下している。株価とか、人間とか、飛行機とか。
パチンコ屋の赤い保留は結局青に変わって外れた。隣のおじさんが舌打ちした。私はその音にびっくりして、なぜか心の中で謝った。最近、物音に対してすぐ謝ってしまう。ドアの閉まる音とか、電子レンジの「チン」とかにも。
「休憩時間なんてあってもタバコ吸っちゃうだけだよね」
昔、工場で働いていた時、背の高い事務員さんがそう言った。私はその言葉をなぜかずっと覚えている。立飛のプリンター工場。ベルトコンベア。レバーを下げる。数字を書く。それだけの仕事。十八歳だった。
あの頃は、パソコンが欲しかった。ITエンジニアっていう職業が、anとかFromAの求人誌の中で光って見えたから。実際にはパソコンを持っていなくて、インターネットカフェに行っていた。南口の駅前。少し煙草臭くて、暗くて、でも安心する場所だった。
好きな作家の名前を検索したり、掲示板を読んだりした。ミュータントメッセージっていう変な名前のBBSに毎日書き込んでいた。知らない人たちなのに、みんな少し優しかった。
薬を飲みすぎた日、私はアルバイト店員に「俺は客なんだぞ!」って怒鳴った。本当に最低だと思う。でも、その時は、自分が誰なのかもよく分かっていなかった。帰り道、三鷹駅の北口で鎮静剤を買った。名前は忘れた。
二十三歳か二十五歳くらいの時、東村山の病院で電気ショック療法を受けた。全身麻酔から覚めると頭が痛くて、看護師さんが氷枕を持ってきてくれた。白い部屋だった。白い壁、白いベッド、白いドア。向かいの病室のおじさんが、「焦らずゆっくり」って言っていた。
私はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読んでいた。読んでも全然わからなかった。でも、わからないまま読んでいる時間だけは好きだった。二冊をセロハンテープでくっつけて、ぼろぼろになるまで持ち歩いた。
最近また、浜松町のモノレールに乗った。車窓から見える倉庫とか、高速道路とか、海の近くの灰色の景色を見ていたら、自分が透明になったみたいだった。
ドトールで煙草を吸う。コーヒーはぬるい。新聞は百六十円。隣の席ではサラリーマンが「働くって何ですかね」と笑っていた。
本当に、何なんだろう。
お金はパチンコをやめても貯まらないし、みんな少し壊れている。AV女優を馬鹿にする人も、戦争のニュースを見ながら牛丼を食べる人も、きっとそんなに変わらない。
夜になる。モノレールが通る。
私は煙草を吸いに行く。
それだけで、一日が終わる。
綿矢りさ風小説 ~青木康善Remix~