『バンコクの屋台は微笑まない』~人生を変えた一本のとうがらし!
1992年3月、二十三歳の向井健司は、大手商社の若手エリートとしてタイ・バンコクの土を踏んだ。日本企業が「アジアの勝者」として君臨し、バンコクの夜空を日系メーカーの巨大ネオンが独占していた時代。
イギリス留学も経験し、有名企業に就職し、この若さで運転手付きの社用車で会社へ通う生活に、小堀は自分が「選ばれた側の人間」であると疑わなかった。
しかし、赴任初日の夜、スクムヴィット・ソイ39の一軒の屋台で突きつけられた一皿のソムタムが、その傲慢な価値観を粉砕する。激痛のような辛さと、喉を焼く熱気、そして出所不明の水と氷。
それは、日本の常識もエリートの教養も通用しない、剥き出しの異国の洗礼だった。
物語は、三十余年に及ぶ英一のタイ生活を、その時々に胃袋へ流し込んだ料理の記憶と共に辿る。
水上タクシーの排ガスにまみれた橋の下で啜るクィッティオ、ディスコ帰りに胃を休めた深夜のカオトム、ジャングルの果ての食堂で店主から突きつけられた「経済戦争」の皮肉な総括。
そこには、笑顔の裏にしたたかな本音を隠すタイ人や、一攫千金を夢見て消えていった日本人、そして国力の陰りと共にかつての勢いを失っていく母国・日本の姿があった。
これは単なるグルメ小説ではない。
タイ人のいい加減さに憤り、時にその規格外の優しさに救われる。そんな日々を積み重ねながら、人生の「酸いも甘いも」をタイ料理の「辛さ」へと置き換えて生きてきた、一人の男の泥臭い生活記録である。
三十余年の歳月は、健司から若さゆえの根拠のない自信を奪った。その代わりに彼が手に入れたのは、正解のない異国での暮らしを、そのまま笑って受け入れる「心の余裕」だった。
定年を目前にした夜、健司は独り、自宅の台所で青パパイヤを刻む。不器用な手元でささくれ立つパパイヤは、今になっても完全には理解し合えないこの国との距離そのものだ。
それでも彼は、あの、のたうち回るような辛さを、もう一度味わいたくなっていた。
胃袋に刻まれた記憶は、言葉よりも雄弁に、一人の男が微笑の国で生きた証として語り始める。
プロローグ:青いパパイヤの記憶
包丁の切れが悪くなっていた。
細長い青パパイヤをまな板へ置き、男は刃を立てる。
硬い皮に浅く切れ目を入れ、包丁を縦に細かく打ち込んだ。
トントントン、と乾いた音が狭い台所に響く。
しかし、うまくいかない。
屋台の女主人は、まるで鉛筆でも削るみたいに青パパイヤを刻む。
その迷いのない手捌きには、ある種の神々しささえあった。
だが男の手元では、ただ野菜が壊れていくだけだった。
包丁を入れる角度が悪いのか、太さが揃わない。
細く削いだつもりでも途中で繋がり、千切りというより、ささくれ立った木片みたいになる。
「……こんなもんか?」
独り言を呟き、男は苦笑した。
包丁の切れが悪いのか、それとも自分の手が鈍ったのか…。
この歳になっても、料理だけはどうにも上達しなかった。
若い頃は興味すらなかった。
商社勤めで帰宅は遅く、飯は外で食うものだった。
タイならなおさらだ。屋台の方が早いし安い。
わざわざ自分で作る理由がない。
結婚してからも、妻の手料理に期待したことは一度もなかった。
タイ人の妻は料理が嫌いではないが、面倒臭がりだった。
気分が乗れば場違いなほど手の込んだ料理を作る。
だが乗らなければ市場の惣菜を袋ごと並べる。
それで十分だった。
タイでは、誰も「ちゃんとした家庭料理」など神聖視しない。
それが妙に楽だった。
男は青パパイヤを水へさらし、小さく息を吐いた。
スクムヴィットの外れに借りた古いコンドミニアムは、築三十年を超えていた。
赴任した頃には「新築高級物件」と呼ばれていた建物だ。
あの頃、バンコクには次々と高層コンドミニアムが建ち、日本人駐在員向け雑誌には豪華な部屋の広告が並んでいた。
今では不動産屋のチラシにも掲載されなくなった。
エレベーターは時々止まり、廊下の蛍光灯は半分死んでいる。
雨季の豪雨が来れば停電も珍しくない。
非常階段には野良猫が住み着き、管理人は昼間からテレビを見ながら寝ていた。
だが、不思議と落ち着いた。
会社から本社勤務への打診が来たのは、二年前だった。
役職付きで戻る道もあった。
だが、その時にはもう日本で暮らす自分の姿が想像できなくなっていた。
日本に家はある。
米寿を迎えた老いた母親だけが、少し気がかりだ。
我が妻は「私は実家の母の下で暮らすから」と言ってチェンマイへ戻ったきりだった。
別居。
だが離婚でもない。
離婚届は出していない。
だが、もう何年も一緒には住んでいなかった。
タイ人と日本人の夫婦には、時々そういう曖昧な終わり方がある。
娘は南部の商業都市、ハジャイに嫁いだ。
現地の華僑系実業家と結婚し、今ではプーケットやサムイ島でリゾート関係の仕事をしている。
来月には初孫も生まれる予定だった。
だから男はタイに残った。
少ない退職金と、少しばかりの貯金。
しばらくはそれで何とか生きていくしかない。
五十八歳。
隠居と呼ぶには、まだ妙に体力が残っている年齢だった。
冷蔵庫のモーター音が、湿気を含んだ夜気の中で低く唸っていた。
窓の外では、遠くを走るバイクタクシーの排気音が聞こえる。
スクムヴィット通りの夜は相変わらず、日付が変わっても完全には眠ることはない。
男は流し台の横へ置かれたノートパソコンを見た。
画面には、書きかけの文章が残っている。
『スクムヴィット・ソイ39のソムタム屋台』
そんな題名だった。
最初は暇潰しだった。
定年後、何もしないのも落ち着かず、昔話でも書いてみるかと思っただけだ。
三十年もタイに住めば、多少は人に話せるネタもあるだろう、と。
だが不思議なことに、書き始めると仕事の記憶は出てこなかった。
本社役員の接待。
タイ財閥との契約。
ゴルフ場の商談。
夜のカラオケ。
そんなものは、どれも似たような顔をして消えていた。
代わりに浮かぶのは、ひたすら胃袋を搔きまわされた、どうでもいいタイ飯屋ばかりだった。
橋の下のクィッティオ。
深夜三時のカオトム屋台。
古臭いホテルのカオパッド。
汗臭いディスコ帰りのカオマンガイ。
屋台の炭火の煙が目に刺さるガイヤーン。
氷だらけのクロスター・ビール。
そして、ソイ39の角にいた、あのソムタム屋台のおばちゃん……。
男は小さなクロックを手に取った。
石の乳鉢へ刻んだニンニクを放り込み、唐辛子を入れる。
ライムを搾る。
ナンプラー。
椰子砂糖。
干しエビ。
コン……コンコン。
石臼を叩く音が、静かな部屋へ響いた。
昔、この音が嫌いだった。
いや、正確には怖かった。
一九九二年三月。
二十三歳だった男は、初めてバンコクへ降り立った。
ドンムアン空港の熱気。
甘ったるい排気ガス。
意味不明のタイ語。
笑っているのか怒っているのか分からない顔。
肌にまとわりつく熱気、湿った風。
空港を出た瞬間、白いワイシャツが背中へ張り付いた。
当時の若い商社マンにとって、それは出世コースの入口だったはず。
少なくとも男は、そう信じていた。
それが最初で最後の海外勤務。
日本はまだ強かった。
高速道路には日本車が溢れ、日本企業の看板が街に並んでいた。
現地社員のタイ人たちは「日本式」を学び、日本人駐在員は高級クラブで接待を受けていた時代だった。
男もまた、自分が“来てやった”側の人間だと思っていた。
だが、その考えは、一皿のソムタムで壊れることになる。
クロックを叩く。
コン……。
唐辛子の刺激臭が鼻を刺した。
男は少し咳き込み、それから笑った。
「……まだ慣れねえな」
三十年住んでも、辛さの加減だけは分からない。
手のひらほどのサイズの石臼をもう一度叩く。
すると突然、あの夕暮れが戻ってきた。
オレンジ色の空。
渋滞。
排ガス。
スクムヴィット通りの雑踏。
そして、ソイ39の角でクロックを叩いていた、日に焼けたソムタム屋台のおばちゃんの顔が、夕暮れの排気ガスの向こうにぼんやり浮かび上がった。
おばちゃんは、汗だくで椅子に座った若い日本人を一瞥した。
タイは微笑みの国だと、誰かが言った。
だが、目の前の女主人は目じりに不気味な笑みを浮かべ、赤い唐辛子を一本、黙って多く放り込んだ……。
"今、思い出した、そうだったのか‥‥!”
男の手が小刻みに良いリズムを刻み出した……。
EP1.ソイ39のソムタム屋台
一九九二年三月某日。
ドンムアン空港の到着ロビー。
自動ドアが開いた。
向井健司は、自分が巨大な濡れタオルで顔を覆われたような錯覚に陥った。
異常な蒸し暑さが肌に粘りつく。
到着ロビーを出ると、そこには会社のロゴが入った、白いトヨタのセダンが待っていた。
白いワイシャツは、車へ乗り込む頃には、もう背中へ張り付いていた。
会社のロゴの入ったサファリスーツに、偽物のレイバンのサングラス。
煙草を咥えた運転手が慌ててそれを捨てると、両手を併せ、眉間で拝むように白い歯を見せた。
「サワディーカップ……」
機内で必死に覚えた挨拶を、外の熱気ですっかり忘れてしまった向井の口から出たのは、この一言だけだった。
運転手のサロートは「ハイ、ハイ」とめんどくさそうに言い、向井からスーツケースを受け取ると慇懃にトランクへ入れ、ドアを開けた。
日本では既に型落ちしたような会社の車が、タイでは高級車としての地位をかたくなに維持している。
向井はレースで編んだシートカバーが掛かった後部座席に腰を下ろした。
まさにVIP待遇だ。
だが、どんな会話をしていいか分からない。
ルームミラー越しに見え隠れする運転手の勝ち誇ったような横顔が、この国の階層社会を無言で物語っていた。
建設中の高速道路の高架下を、サロートは頻繁に車線を変えながらバンコク市内へと向かう。
窓に映る夜空には、日本の家電メーカーの巨大な広告塔が突き刺さっていた。
ナショナル、ソニー、東芝、三洋、日立、JVC……。
歩道には裸電球の屋台がひしめき、日本では見たこともないトヨタのピックアップトラックが、人を満載して猛スピードで走り抜けていく。
二十三歳、大手商社の若手海外研修生。
バブルの余韻の中で採用された最後の勝ち組だと信じていた。
自分は選ばれた側の人間なのだ――そんな若さ特有の優越感で、胸の奥が静かに高揚していた。
ソイ39のコンドミニアムは、二十階建ての立派な建物だった。
日本での独身者用ワンルームとは別世界だ。
プールの照明が高級ホテルを思わせ、制服のガードマンが敬礼する。
それが当時の若手の研修社員への待遇という、日本企業の恐るべき勢いであった。
冷蔵庫の生ぬるいシンハビールを飲み干すと、腹が減った。
時計は午後九時を回っている。
向井は近くにコンビニくらいあるだろうと思い、外へ出た。
だが、九二年のバンコクにコンビニなどまだない。
夜九時だというのに歩道は仕事帰りの人々や、満員で冷房のないバスを待つ人で溢れている。
閉店した道路沿いの店舗の前には、どこからともなく現れた屋台が無秩序に並んでいた。
立ち上る煙が、車の排気ガスと混ざる。
唐辛子とニンニクを炒める匂いが鼻を刺した。
「これが、噂に聞いていた道路脇の屋台か……」
日本で散々聞かされた衛生事情が頭をよぎる中、石臼を叩く音がした。
—コン、コン、コン。
恰幅の良いおばちゃんが、乱暴だがしなやかな手捌きで青パパイヤを叩いている。
「ニー! ニー!」
歯が一本抜けた満面の笑みで、店主が座れとジェスチャーをする。
「ま、いいか、まずはタイの代表料理から試してみようか」
向井は空腹に負けてガタつく椅子に腰を下ろした。
「ワン?」
一人か、という意味だろう。英語は通じない。
向井は隣の客が食べているソムタムを指差し、
「Same」と頼んだ。
「アオ・ペッ・マイ?」(辛くするかい?)
意味は分からない。
だが、ここで安易に「I don't understand - 分からない」とは言いたくなかった。
「Yes!」
短く答えると、おばちゃんはニヤリと笑った。
それは慈愛の微笑みではなく、獲物を罠にかけたような残酷な笑みだった。
数分後、置かれた一皿。
青臭さと、酸味、ニンニク、ナンプラーが融合した強烈な匂いが脳を駆け抜ける。
コカ・コーラのロゴが入った筆箱のような容器から、わずかに油膜の残るスプーンとフォークを抜き、ティッシュで拭く。
拭くほどに銀色の輝きを取り戻すが、それが消毒になるのかは怪しい。
向井は一口、パパイヤだけをスプーンに取って口に運んだ。
瞬間、頭の中が白くなった。
「ッ――!」
辛いのではない、痛いのだ。
舌を剣山で刺された衝撃。
額から、まつ毛から汗が噴き出した。
隣ではワンレンのタイ人の女性が、スレンダーなボディからは想像もつかない大きな口を開け、不味そうに、だが淡々とスプーンを運んでいる。
不味いのではない、かといって楽しんでいる風でもない。
まるで生きていくための「燃料」を無機質に流し込んでいるかのようだった。
その迷いのない動作に比べ、涙目で水を煽る自分のなんと無様で、虚弱なことか!
おばちゃんが腹を抱えて笑い出した。
「ペッ! チャイマイ?」(辛いんでしょ?)
周囲の客、果てはワンレンの女までもが、汗だくの日本人の"洗礼”を肴に笑っている。
屈辱的だった。
出所不明の氷がカランと音を立てる。
自分はこの国のルールを何一つ知らない――そう突きつけられた気がした。
気づけば皿は空だった。
くしゃくしゃのハンカチで顔を扇ぎ、テールランプが河のように続く夜道を戻る。
「また、明日も来るんだよ!」というおばちゃんの声はクラクションで掻き消された。
翌朝、案の定、赴任早々に向井はトイレで悶絶した。
胃の底が焼ける痛みに、自分の無知と慢心を呪った。
「唐辛子は一本でいい……」
向井にとって、このフレーズがタイで覚えた最初の"生きた”タイ語だった。
「二度と、あんなものは食わない……」
冷房の効いたオフィスで、彼は自分に固く誓った……。
『バンコクの屋台は微笑まない』~人生を変えた一本のとうがらし!