映画『箱の中の羊』レビュー
①完成披露試写会に参加した作品のレビューです。
②映画の上映は5月29日からです。
③相当程度のネタバレを含みますので、事前情報なしに鑑賞されたい方はご注意下さい。
『箱の中の羊』の完成披露試写会に参加しました。有り難い機会を得られたことに感謝の意を表します。本当にありがとうございます。
本作は『万引き家族』以来、8年ぶりとなる是枝裕和監督のオリジナル脚本作品。亡くなった人のデータを使ってAIで再現するサービスが中国で拡大中というニュースに着想を得て、ヒューマノイドと心療的なドラマを掛け合わます。
私自身、母が自然ではない亡くなり方をしているので嫌でも分かるのですが、感情面での耐えがたい痛みは客観的な視点を見失わせます。大切な人と自分自身と切り離すことが先ずできなくなる。そのせいで、亡くなった事実とまともに向き合うこともできず、その人のことも上手く思い出せなくなる。
主人公である音々(おとね)たちが利用するヒューマンノイドはこの心理的な混沌をサポートする存在として提供されます。見た目だけではなく、声や中身まで生前のままに再現された子供たちは究極の箱庭療法。あの子やこの子の代わりとして遺族の心を癒していくのですが、その反面、彼らが持つ存在意義は予め歪められているといえます。その知性が、すべて喪失の過去を埋めるために費やされているからです。道具としての彼らの価値は、共に過ごしていく中で悲しみが癒やされ、誰もが前を向けるようになった時にはすっかり失われる。人が固執する過去と、そのために生み出された未来。その狭間で軋むストーリーに、本作のレンズは向けられています。
劇中ではまた多くの違和感が描かれます。それが表に出てくると世界が、どこか、おかしくなことになる。主人公である音々と健介が、実の息子と同じ名前を名付けた翔(かける)という名のヒューマノイドに対して取る距離感からしてそうなんです。初めから翔とゼロ距離で接する音々に対して、健介はかなりの心理的な距離を置く。それが次第にバグっていき、目の前にいる存在にどういう態度を取ればいいのか。それぞれに分からなくなっていく。
彼らには感覚がありません。感情も、勿論ない。そのことを、彼ら自身が十分に知っている。
中島歩さん演じるエンジニアが言った台詞で、すごく印象に残っているものがあります。彼は音々に向けてこう言いました。
「この子に感じたものがあったのなら、それは全てあなたのものです」
サービスを提供する側がしてはならない、翔との関係を一方通行なものにしてしまうような受け入れ難いアドバイスに思える一方で、翔との関係を自分勝手な想像上の檻に閉じ込めない天啓のようにも響く所がアンビバレントな刺激に満ちていて、忘れられませんでした。
音々の母親に対しても同じです。
余貴美子さん演じる母親は音々と不仲で、彼女と激しく対立する敵役のような立ち位置にある人物。ヒューマノイドである翔に対しても酷いと思える態度を取り続けるのですが、けれど翔自身はその母親のことを「嫌いじゃない」と音々に言ったりする。あの翔が論理的に語った感情としても驚きなのに、その内容が、自分が感じるものと真逆のものだった。その衝撃もあって簡単には消化できないその描写だったのですが、振り返ってみると、その衝撃もあって簡単には消化できない描写だったのですが、振り返ってみると、物語の流れを裏返す見事なフックになっていました。
彼は機械であって、人間ではない。
大切な人の死を受け入れられるほどに回復しつつある精神状態で、瞳に写すその事実は決定的な別れを乗り越え、過去に止まっていた音々や健介の時間を動かし、「今」に在るものとして翔の未来を見届けようとします。その内容は一見してファミリーストーリーの範疇を超える壮大なSFのようでいて、しっかりと家族の物語にもなっており、ミクロな視点とマクロな視点が交差する。実に多層的な描写に仕上がっていて、それで〆にかかるセンスはさすがの是枝監督。その手腕を活かして撮った軋轢が最も激しくなるシーンで、苦しげな顔を見せる健介に珠玉の言葉も託していました
「死んだ翔に対してはできなかったことを、わしはやれた。それが嬉しかったんよ」
タイトルにある『箱の中の羊』は絵本のそれです。見えない、あるいは分からないものに向けた想像力の可能性を子供達に伝えるストーリーは、箱の中の羊のように、想像される側にあるものとしてその意味を受け取る時、言葉にならない温かさが胸の内に広がります。と同時に、子供のようにわくわくするような興奮も覚えてしまう。
私たちが暮らす家は異なる素材の組み合わせ。その一体感を機能が育んでいます。彼らとの未来も多分に同じです。何もかもが違うものとして繋がり合えるよう、努める他ない。だって、その行く末を彼ら自身も知らないのですから。
調べても分からない。どこにも載っていない。
だから悩む。悩んで、悩む。
誰も見たことのない未来の提示としてこんなに豊かで、素敵なラストをいち早く目にすることができて本当に幸せです。万人にお勧めできる傑作。人間臭い大悟さんの演技にも惚れ惚れでした。意外なほどに似合っている綾瀬はるかさんとの夫婦関係にも注目して欲しい。上映は今月の29日から。興味がある方は是非。
映画『箱の中の羊』レビュー