のらねこ組曲Ⅰ「ミケ」

短編集。ゆっくり投稿します。

「うちの蒼太がね、『そつぎょう』するんだってさ」
 ランはどこか遠くを見ながらそう言った。
「そつぎょうって……なんだ、それ」
 蒼太はランの主人で、野良の俺や仲間たちにも分け隔てなく接してくれる良い人間だった。朝早くから黒いらんどせる(そういう名前の入れ物なのだとランに教わった)を背負って、元気にどこかに向かうのだ。帰ってくると一番に俺たちのところにやって来る。そうして「れいぞうこ」に入ってた余りだとか「きゅうしょく」の残りだとか言って「ぎょにくそーせーじ」や「さんてんご ぎゅうにゅう」を持ってきてくれる。そうして俺を撫でながら「ミケの毛はきれいな模様だなあ」なんて言って笑うのだ。
「僕にもよく分からない。正美は『蒼太は中学に入って大きく成長するのよ』って言ってた」
「そんなの、ほっといても成長するじゃねえか」
「そうなんだ。実際、蒼太の背は大きくなったし。でも、正美が言ってた『成長』はそれとは違う……何かとても大切な成長なんだって。でも、それが何なんのかはよく分からない」
 ただね、とランは初めて俺の方を向いた。瞳が大きく揺れている。
「一つ、分かることがあるんだ。蒼太が『成長』したら、蒼太はきっと僕のことをあんまり見てくれなくなる」
 そういってまた遠くを見た。その拍子に、大粒の涙がひとつ落ちた。
「なんでそんなこと分かるんだよ」
「なんとなく。でも、きっとそうなんだ。僕には分かる」
「……寂しくなるな」
「うん」
 それからしばらく二人で町並みを眺めていた。夕日が沈む時間が随分と遅くなった。心なしか、風も以前より優しくなった気がする。
 春が、来るんだ。
 でも、とランが口を開いた。
 その瞳はもう揺れていない。
「蒼太が『成長』するのはとっても喜ばしいことなんだって正美は言ってた。だから、僕もめそめそするのは今日だけって決めたの」

のらねこ組曲Ⅰ「ミケ」

のらねこ組曲Ⅰ「ミケ」

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-05

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