青い墨、たこ

1

日が肌を刺す。影は本当は黒色に見えるのだろうが、日に映っているこれは、あか......、あお......で揺れている。
風が吹いているからパジェロ自身は暑くなかった。白くて小さな、花びらの多い花たちが、風に吹かれてくるくると回り踊っていた。
パジェロがその花たちを真似て回ってみようとすると、友だちのコンダートに叱られてしまった。
「パジェロの馬鹿。アンタはほんとうに恥ずかしい子ね。私はこれから学校に行くけれど、アンタは馬鹿なんだからここで待ってなさい」
パジェロは明るく頷いた。お怒りのコンダートが立ち去ってから、体を揺らして控えめに白のワンピースを風に混ぜて膨らませて回り踊った。

日が髪を刺す。頭皮がじりじり痛む。帽子は今日の気分ではないのだ。せっかく綺麗な三つ編みをコンダートに編んで貰ったのだから、太陽にもみせびらかしたほうが良い。
コンダートは真っ直ぐの大きな建物のほうに行ったけれど、パジェロは、さわさわと草たちが喋っている左に行ってみようと思う。眩しい。草たちが強い光に喜んで、騒いでいる。青い匂いがした。目をつむると、黒ではなく赤になるのだ。日が目を包んでいる。

左に行く。道が途中で見えなくなって、背の高い草たちが覆い茂るのみになる。おもむろに、柔らかな毛の生えた茎たちを束ねながら掻き分けると土が見えた。小さな草たちが踏まれている。道の続きがあるようだ。パジェロは背の高い草たちを掻き分けながら進む。その道をとおるとき、パジェロは背の高い草たちにずっと撫でられていた。撫でられるということがほんとうはどういうことかパジェロは詳しく知らないけれど、この土の道を通るとき、とにかくずっと草のどこかが瞬間的にパジェロに触っていたのだ。撫でるに愛は関係ないとき、この草たちからの行為は撫でるとして良いとパジェロは思ったのだ。だけれどもパジェロは、撫でられるとは深く考えずに愛着なく草たちの間を分け入っていった。パジェロから背の高い草を触ってみると、草は柔らかな毛をピンと張って、パジェロのことは関係なしに日差しをただ喜んでいるようだった。
足で踏む土は、草たちからたくさんの栄養を受けてほくほくと柔らか。パジェロのことを歓迎していた。草が背伸びをしているから、パジェロにはあまり日差しは届かなくなった。涼しい。

道は少し歩いただけでひらけ、広いところに出る。草たちはひらけた途端に、真ん中の白い家の周辺を守るように整列していた。
足元にまた、白い小さな花を見つけた。先ほど機嫌よく回っていた花々と同じ形のものである。真ん中の、虫たちをおびきよせる黄色が賑やかに日光と共存している。
足元の小さな草やむき出た土の上にパジェロの影が被さる。風に呼応して揺れる草花たちと異なり、パジェロの影だけ上手く風に揺れないのだった。ワンピースのスカートだけが無理をしてなびいている。パジェロが周りの草花に合わせて真似て揺れてみても、それはただの真似であり自然の仲間にはなれないのだった。
手入れされて鉢に行儀よく座る花が、白い家に近づくほどに増えていった。ブンブンブンブン......と、もっちり太ったクマバチが、小さな羽を忙しなく動かしてパジェロに蜜の豊作を喋ってくれた。
ブンブンブンブン......。耳の近くでなるクマバチのお喋りを聴きながら、急に石畳になった、整えられた道を行く。土の道のときは、その土に、自由そうに在った白い花が植木鉢に飾られていた。こちらの白い花は風が吹いても回り踊らない。ピンと指で弾いてみると、植木鉢の白い花はパジェロが風で揺れる真似をしたときみたいに、わざとらしくゆさゆさと首を横に数回振った。

白い家は、壁が少し凸凹に白いペンキで塗られていて、涼しげに陰っていた。水色の扉が大きく開いていて、部屋の中が見える。ゴウゴウ......と機械の震える低い音が、建物の奥から聞こえてくるだけで、それ以外は時が止まったかのように静かだった。機械の音がするのだから当然にそれを操作している人がいると思うのに、不思議と人の気配が感じられなかった。

開きっぱなしの扉は重たいようで、風で音を立てることがなかった。
家の中に入ると、やけに涼しい。
先ほどまでの強い日差しのせいでまばたきをする度に視界がいちいち青黒く染まる。ぱちぱちぱちぱち......と忙しなくまぶたを動かして、青黒、白、青黒、白、青黒、白、黒、白、黒、白、黒......。目が戻ったかんじがするから、部屋の中をよく見渡す。いちばんに目につくのは色とりどりのジェラートだ。ガラス張りの冷凍ショーケースにたっぷりの艶やかなジェラートがあった。
「いちご......。オリーブ......。はちみつ、バニラ、紅茶......」
ジェラートには色毎にそれぞれの味が示されていた。
店内も白い涼しげな壁。ところどころに摘み立ての花々が飾ってあった。この場所は、ジェラート屋である。

風の届かない静かな店内。ゴウゴウ......とゆっくり機械が動く音だけが鳴っていた。この音はおそらく冷凍ショーケースの向こうにある扉の先からである。
パジェロは店内の椅子に腰掛けて目をつむり、機械の音を聴くことだけに集中した。外の草花や虫や鳥の音は、店に入ってしまえばひとつも見つからないのだ。ただ、しじまにゴウゴウ......、ゴウゴウ......と人のつくった自然の音がしている。

しばらく聴いていたら、ギュッと機械の止まる音がした。パジェロは音の変化に身を固めて、急いで外向けの心をつくって目を開けた。
冷凍ショーケースの奥にある扉が開く。
パジェロは椅子から立ち上がっては、さっきからそうしていたというふうにジェラートの前で悩んでいる振りをした。

「どれにする?」
店主がそうパジェロに訊いたが、パジェロはこのとき選ぶことはしなかった。
「友だちが来てから買います」
それだけ言って、静かで涼しい店内で、日が赤らんで来るまで過ごした
客は来ない。
ゴウゴウ.......と機械の音がきこえる。店主はパジェロを気にかけることや話しかけることはしないひとだった。

「ちょっと。探したんだけど」
風が店内にも流れはじめた夕日の午後。昼のときは気合いが入っていた巻き髪が、少し柔らかに緩まったコンダートがジェラート屋に華やかに入ってきた。
「ごめんねコンダート」
パジェロがそう言って笑うと、コンダートはふんっと鼻をならしてそっぽを向いた。コンダートがパジェロを探してくれたのが嬉しくて、言葉では謝っているのに表情はつい笑顔にしてしまった。パジェロは知っている。コンダートはパジェロに嬉しがられることに照れて冷たい反応をしているのだ。
「コンダート。ジェラートを食べようよ」
「イヤよ。これから食事会があるんだもの。パジェロも食事会は一緒に来てよね」
「わたしも?」
「そう。少しは人と触れ合わなくちゃならないでしょ。ほんとうに教室に来ないんだもの、びっくりしちゃった。それに、夜まで外に居たらオオカミに食べられちゃうんじゃないの? 心配だから無理やりにでも連れていくからね」
「うーん......」
パジェロはオオカミに食べられる方がマシだと思った。コンダートが意地悪を装ってパジェロを途中で置いていってくれるから学校に行かないで済んでいる。パジェロはコンダートを愛していた。こんなに自分の心の裏を読んでくれる人はいない。嬉しい、都合が良い。
食事会はきっと人が大勢いる。きっとそこで出会う人たちは草花たちと大きく違わないのだろう。けれども人びとと共に風に合わせて揺れるとき、それが上手くできないとなったら、パジェロはパジェロ自身を軽べつしてしまうのだ。草花とパジェロは元から違うから同じ揺れ方をしなくても平気でいられるけれど、人間とパジェロは、同じだとパジェロは思うから。パジェロは人間の中に生きているから。人間で出来ているから。人間だと思って疑えないから。違うかも、と思うとき、さみしいから。
「私はジェラート食べてく。コンダートもひとくち食べてみようよ。どの味がいい?」
コンダートはつま先立ちで冷凍ショーケースを覗き、少しだけ悩んでからいちごを指差した。パジェロはコンダートの選択を、特別に可愛らしくて守ってやりたいと思った。いちごがあればいつも心が踊るのだ。ケーキにいちごが乗っていると嬉しいもの。コンダートという女の子が、そういう、嬉しいものであるいちごを、何気なしに選んでいるのが愛おしかった。パジェロはコンダートの選んだとおりに店主に頼んだ。
「ほら、ひとくち目を食べてみなよ」
コンダートの口元に、ジェラートがちょうどよく乗ったスプーンを持っていくとコンダートは小さな口を控えめに開けた。
「うん、まあまあね」
夕方は涼しい。コンダートの長いまつ毛の影が、白肌に落ちている。パジェロたちは今、店を出て、草木を分けて行って、日なたのベンチに座っている。けれども、昼のように太陽が眩しく攻撃をしてくることはなかった。

スプーンをひとつしか貰ってこなかった。
パジェロはコンダートが口をつけたスプーンを自分の口にやるとき、いつもなんだか罪をおかしているみたいに気がおかしくなる。そんな自分の気持ちは奥にしまって、なんともない顔でスプーンを自分の口に持っていくけれど、味はよく分からないのだった。
「おいしいね」
いちごの味はするけれど、それを味わっているという気持ちはしなかった。パジェロの全身は、ただコンダートを感じている。隣に座っているコンダートに目をやると、なにかの本を読んでいるところであった。本に向けられる長いまつ毛の輝きを見つめる。パジェロが聞いたとて時間の無駄である程にムズカしいことを考えている、そんなふうなコンダートの表情の、その尖らせた唇の先の純粋さが、可愛らしくてたまらなかった。
パジェロはコンダートの、巻き髪揺らめく俯きの知的の顔を見つめながら、木のスプーンに歯を立てた。
「ちょっと、溶けてんじゃないの、のろま」
コンダートの薄茶色の瞳に、夕日が溶けて紅茶色に光っている。
パジェロが咥えていた木のスプーンは、パジェロが口を開けた時に地面の草むらに落ちてしまった。溶けたと言っても未だ塊の残るいちごのジェラートを、カップに口をつけて胃に流し込む。冷たさが間違って気管にも入り込みそうになって慌てて咳き込むと、コンダートが「ちょっと、ゆっくり食べなさいよ! まったくもう!」と、ついさっき言っていた「のろま」とは反対のことを言って困ったように笑っていた。
夕方の心地の良い風に三つ編みの髪を撫でられた。今死んだらいちばん幸せ。
低い鐘が、ゴオン......、ゴオン......、ゴオン......と深い息継ぎほどの時間を置いて3度鳴った。
「いけない! もうすぐ食事会の時間! ほら、行こ!」
そう言われて手を引かれたならばもうパジェロはついて行くと決める他なかった。こうやってコンダートの華奢な手に引かれることには胸が踊った。ジェラートのカップは空っぽだ。掴まれていないほう、右手でそれを握り潰して、ワンピースの小さなポケットに強引に押し入れた。

2

青。タコを食わされる。
金色。パジェロのことをただ、何もなく、見ている

食事会というのは予想通りの恐怖であった。恐怖というのは、今、青・黒、ドロドロの。
青黒いぬめり気のある、膜が張った向こうで蠢く液体。覗くと黄金の目がパジェロを見ていた。このような脅迫の目線を恐怖だと思った。ほんとうにはパジェロのことを見ていない。食事会の中で、誰もパジェロに真に触れる者はいなかった。
「コンダートちゃんのお友だちときいたよ。楽しんでいるかな」と時々背の高い紳士たちに気遣われる。紳士たちは実はパジェロのことは見ていない。コンダートの友だちの少女の器しか見ていない。
ビュッフェのほうに案内してくれると言われた。どこに何があるかは知っていたけれど自慢げに案内すると言うから申し訳なくてついて行くことにした。料理は勝手に皿に乗っけられた。青。
「食べなさい」と言われていない。そもそも、別に関係のない人なんだからついて行かなきゃ良かったのだし自分で盛ると言えば良かったのに。その紳士はもうパジェロの傍にはいなくて、きっと他の困っていそうな弱い人間を探しに行ったのだろう。
パジェロのまわりでは、みんな口を青黒く染めてタコをちぎり喰っていた。みんなの皿の青黒い墨はフォークで綺麗に掬われていった。
「何やってんのよアンタ。早く食べちゃいなさいよ」
違う。コンダートは早々に、どこか遠くに行ってしまって大勢の人に囲まれて楽しくやっている。パジェロの脳みそが勝手に幻の声を放出しているだけだ。ほんとうはコンダートが何を言ったってなんでも良くてどれにも信頼を置いていない。コンダートとビュフェを案内してくれた紳士はパジェロにとって同じである。パジェロにはどちらも、どうでもいい。だが、言われることには従うのであった。

青黒の墨はいつの間にかパジェロの手に染みついていた。タコのぐるぐると冷たい腕がパジェロの腔内に押し入ってくる。腕たちはぐねぐねとパジェロに体内を惑う。冷たかったタコの腕たちはパジェロの内蔵を通ると徐々に、心もなく温くなっていった。パジェロはどこにも手は伸ばさずに、苦しみによって自然と流れ落ちる涙の、その幸せさをただ感じていた。

パジェロは青黒の膜の内側に沈んだ。濁った金色の目が青黒の膜の外側から無感情に、永遠に、パジェロを見ている。

パジェロはこの世界の綺麗さと瞬間的な愛おしさに甘んじることで生存している。ほんとうはこの青黒い墨の苦しみからこそ、どこか遠くに。誰か、手を引いて連れて行ってほしかった。
パジェロを救い出してくれるものはこの世界に見つけられない。

青い墨、たこ

青い墨、たこ

ほんとうというのはどれでどこなのでしょうね。私はそんな私の心の揺れを自然に心地よくおもいます。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-05-07

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