百合の君(104)

百合の君(104)

 天上の神々が奥噛(おくがみ)の山に降り立ち、宮殿を築く。人に火と耕作を教え、豊かな正巻(まさまき)の国々をつくる。
 金笠(かねがさ)の奉納舞を見ている者はいなかった。祭りの混乱は相変わらずで、零れそうな星空から降る流星のような御薪を背景に、境内のあちこちで喜林(きばやし)出海(いずみ)の兵が喧嘩をしている。
 元五明剣の百鳥(ももとり)は所詮、百姓だった。子と争うことに耐え切れず脱走を図った。喜林義郎(よしろう)は山猿だ。そして出海を名乗る珊瑚(さんご)には、その卑しい血が流れている。とすれば、この天下を治めるのに相応しい人物は、一人しかおらぬではないか。
 木怒山(きぬやま)は酒で口を湿らせた。黒い熊の毛皮をまとった義郎の背中には、篝火(かがりび)が波打つように映っている。棘のように触ったら刺さりそうな毛だが、しょせんは獣だ。知恵比べで人が負けるはずがない。木怒山は徳利を持ち、義郎に耳打ちした。
「将軍、次の真津太(まづだ)攻め、この木怒山に名案がございます」
「何だ、申してみよ」
 義郎のつまんでいる獣肉のにおいが鼻に付いた。肩越しに見るとまだ毛がついているように見える。木怒山は気付かれぬよう、わずかに顔の向きを変えた。
「真津太を国ごと兵糧攻めにするのです。取り囲んで関所を設け、山の物、海の物、畑の物、職人の手による物、都の文物すべて真津太には入れないようにするのです。さすれば国は衰え兵は弱り、すぐに攻め落とせるでしょう」
 そんなことをしたら喜林と出海は共倒れだ、と木怒山は思った。海と平野に恵まれた真津太は、天下の食糧庫だ。小国ながら出海浪親(なみちか)が子にかの国を与えた理由はそこにある。そんな国との交流が途絶えれば物価は高騰、一揆が頻発し多くの領主が義郎に反感を持つに違いない。そうして育った勢力を利用して、義郎から喜林を奪還する。私は先代の実弟、喜林の正当な後継者なのだ。
「なるほど、やってみよ」
「ははっ」
 と、年明けから始めた真津太包囲網はすぐに絶大な効果を発揮した。真津太の百姓たちは米を売る先を失い、漁師のとった魚は浜で腐った。障楽三年二月、食料は余っているのに飢えて死ぬ者が出るという奇妙な事態に真津太の民は激怒、大きな一揆が起こった。全国の領主たちの経済的損失も大きかったが、珊瑚に与えた損害はそれを補って余った。
 木怒山は、天下を諦めた。もう一人の帝擁立といい、今回の事といい、義郎を失脚させようとすると必ず裏目に出て成功する。自分はよほど(まつりごと)に向いていないらしい。そう思うと、幼い頃養子に出されたのも分かる気がしてしまう。自分は所詮、君主の器ではなかったのだ。
 しかし、それは意外と心地よい感情だった。若い頃義郎に武道大会で負け、あれほど悔しい思いをしたというのに、亀の甲より年の劫とはよく言ったものだ、敗北を素直に受け入れ、自分の新しい生き方に目を向けることができる。
 木怒山は喜林義郎の側近として、十分な領土と名声を得ている。百鳥亡き後の八津代(やつしろ)も得て、その力は古実鳴(こみなり)一国の主だった頃の喜林本家を上回るほどだ。適当な頃合いを見て隠居し、気楽な余生を送るのも良かろう。
 そう思い始めた折、生駒屋(いこまや)と名乗る商人が木怒山を訪ねた。頬が垂れて大きなホクロのある、汚らしい(じじい)だった。そのくせ大名みたいに立派な着物をきて生意気な奴だと木怒山は思ったが、爺は自分も同じだと思いなおした。
「聞くところによりますと、真津太を干からびさせる今回の策、喜林様にご献上なさったのはなんでも木怒山様だとか。巷ではもう、喜林家は木怒山様でもっているなんて言われております、まあ私ら商人の内には、商売をふいにされたなんて申す者もおりますがね」
「わざわざ苦情を言いに来たのか?」
 木怒山は刀の柄に手をかけた。
「滅相もございません、斬った張ったの武士の中にあって、商売の重要性を理解している木怒山様を私は尊敬しているのです。今回参りましたのは煤又原(すすまたはら)城をはじめ喜林家の皆様のお城の普請の件でございます」
 恐縮した風の生駒屋の喋り方は、それでも鷹揚な響きがあった。
「城だと?」
「ええ」生駒屋はずるそうに笑う。「例えば煤又原城は臥人(ねすと)様の時代からちっとも変っておりませんが、お世辞にも天下一の城とは申せぬ小さな山城です。天下の大将軍にはふさわしくありますまい。またこの上噛島(かみがみしま)城は元々出海の城、敵にはこの城で仕官していた者も多くありましょう。どこを攻めれば落とせるか、完全に知られております」
「確かにな。その城の普請をそちに任せよと?」
「ええ、私共にお任せいただければ、天下一の城を造ってごらんにいれます」
 生駒屋は小判で溢れた重箱を差し出した。
「これは今回のお近づきの印、どうぞお納めくださいませ」
「分かった、考えておこう」
 生駒屋が去った後、木怒山は小判をしげしげと眺めた。老いた自分の顔が映る。残った自分の人生では使いきれない程の富も、もうあるのだ。

百合の君(104)

百合の君(104)

あらすじ:一度は喜林の軍を追い返した珊瑚たちでしたが、喜林義郎の側近、木怒山には次の策があったのでした・・・。 今回のエピソードはでは血筋の話が出てきますので、(94)と(95)の間にある相関図を参考にすると分かりやすいかもしれません。また、武道大会のエピソードは(9)にあります。蟻螂(義郎)と木怒山の立場がこの時から変わり始めます。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-04-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted