さぎなさ

陶製


 静かに佇むぼくたちに花を手渡す者はいて、そのかたちを愛でてくる。あるいは気安く髪の毛に触れてきたり、鼻をつまんだりしては何かを模索し、残念がり、次第に飽きて離れていく。


 その様子をされるがままで見送り、手の中に収まったままの花の扱いに困るぼくたちを今度はパシャリと撮る人たち。寒空の下、どこからともなく集まりだして、真っ白な息を吐き出しながらぼくたちの周囲を動き回り、シャッターを切っていく。イメージは細やかに裁断されて、それを避けようと背を向ければ、花の現実が微かに揺れる。震える。
 それを許せない!と断じる感情と、同時に浮かんだ何に対して?という疑問の焦げた匂い。感情的にも、理性的にも声を荒げる機会を失ったぼくたちは、だから必死になってお互いに向き合い、庇い合うようにして胸に抱いたままの花を守る。
 嗚呼、まるで取っ手を失った花瓶みたい!
 そう叫ばれる度に固まるから、ぼくたちの喉はからからになる。


 半ば発狂寸前になる人だかり。それを割って、ぼくたちのことをじっくりと観察する人に気付いたのはぼくたちのどちらか。目が合っても動かないその様子に戸惑って、立ち姿をますます強張らせる。
 その人は、けれどそんなこちらの様子にお構いなく手に持っていたリットル単位の蓋を開け、冷たい水をがぶがぶと飲ませようとした。その勢い。当然に飲み切れなくて、口の端から注がれる水が溢れていく。苦しい。苦しいからもう、と我慢できなくなってそれを手荒く拒めば、一体何が起きたのか、本当に分からないような顔をしてハンカチを取り出し、自分の手を拭き、服を拭う。続けてぐっしょりと濡れたぼくたちの口元にそっと手を添え、何かが壊れたりしないようにとても優しく、布地の乾いた部分を当てて、長さが違う指先の力加減を変えて、とんとんと叩いた。
 そこに宿る《もの》らしさ。ほだされる、明滅する。


 歩き方を忘れ、何かの力に担がれていくぼくたちのお腹にはなみなみと注がれた水。その表面で、ぴちょんと跳ねる滴の正体は天から降ってきた雨などではなく、ぼくたちのことを憂う誰かの悲しみ。巻き起こる風に乗って、野晒しの肌に付着する埃といった汚れを懸命に払ってくれる、嘆いてくれる。教えて欲しい。その何が、どこが、悪いというのか。


 最初にもらった花のことを覚えてる?
 どれも同じ花でしょ?覚えていない。


 ぼくたちの足元に座り込んで、誰かと待ち合わせをする誰かが話す他愛もないことを耳にして。
 ぼくたちに背を向けたままで、誰かが誰かと悲しい別れを迎えるのを目撃して。
 ぼくたちの前を通り過ぎ、なぜかまた戻ってくる誰かが乾いた唇を舐めて、ひゅーひゅーと鳴らす空気。それを真似ようとして笑われたのは、何故だったのか。


 求められたものを受け入れて、ぼくたちは、その作りを変えた。気を付けて。「ぼくたち」に触れた途端、その手の平の体温は奪われる。陽気な春の、歌うような庭先でも。せっかく摘んだ花なんだ。綺麗に飾って、いかして欲しい。
 だから服を着て。手袋もして。
 その一本ずつを、託しておくれ。


 そうして語り得ない朝を迎えて、ぼくたちは何度でも沈黙する。神話のように語り継がれることも、もうない。その潔さを熱く欲して。
 ぼくたちは。
 ぼくたちは。




エム


 笑った分だけ壊れるという顔、それを必死にやりくりする人生で、笑いたい時に笑えないのは不幸せだと誰もが理解できる。しかしながら、笑いたいと思った時に笑えた時の幸せは万人の想像を遥かに超えるんだろうなって、軋む音。パイプ椅子。
 なぜ?だって、その瞬間には人生の選択が詰まっている。
 笑った後で、なんで笑ってしまったんだろうと後悔して泣いたりすることがないように、なんで笑ったんだろうとか、なんで笑いたいんだろうとか《わたし》の気持ちを監視する理性、その視線に否が応でも鍛えられる冷静さ。叩けば鉄のように響く心臓の外側がぜんぶ吹っ飛んで、ああ、笑っちゃったって気付いてしまう清々しさ。目尻の端の涙に溢れる喜び。
 直ちに復旧する《わたし》の心理的なシステムが先ずはあと何回、とカウントし、と同時に記憶の中の状況で再現されるエピソード。そこでも楽しそうに笑っている《わたし》に問いかける、なんて気持ちが冷めるような真似がもうできない。
 理由は決まっている。笑いたいから笑った、面白くて仕方なかった。
 詰まらないことで笑ったかどうかを決めるのは《わたし》じゃない。《わたし》は、詰まらないことでこんなに気持ちよく笑えたりしない。
 だるま落としで叩いちゃいけない頭を振って、こわばる皮膚が伝えてくる異常。口角の上げ下げで思い出の中の《わたし》たちがびりびりに裂けて元には戻らない。
 分かってる。分かってる。
 地面に転げて汚れるのはいっつも甘いお菓子の中身。それに群がる蟻の集団、点線のように続く個体。そこに息を吹きかける。ぶどう味の色。空想を軽々と超えて、心に踊るのが現実だから。
 《わたし》がそれに従ってはいけない道理なんて、どこにもないって、うたわせて。
 あと何回、は空っぽになったトイカプセルのケース。それを使って行う不慣れな手毬唄。いつかは変わる信号と、渡り切らない横断歩道のど真ん中で手と手を繋ぐ似姿をかみさまは描けた?
 風に乱れる髪の毛の先が肌をちくちくと刺す。飛ばない帽子で玄関を飛び出し、右向け右で、群青へのノミネートを果たさんと呼吸器を外し。
 吐け、吐け、息。



 ひとの形に凹まない、ガードレールは。弾んだ声の行方を追わない。コールミー。ああ、コールミー。





処方箋


見慣れない名前の薬が、聞き慣れない病気に効く。
皺のない紙に綴られた私(わたくし)ごと。


同じ診断結果を全人類が受け取った、てくてく歩く院外の道。
乾いた春のアスファルト。


香りを見上げれば
散らずに残る異様な梅と、咲きごろを間違えなかった桜。


その枝に何本も吊るされた茶色いロープと、
切られてばらけた未遂の痕跡。


しくしくとも、おいおいとも泣かず、
袋の破れたアイスはゆっくりと齧られる。


色からしてあれはきっと、サイダーの味。
受け取ったこれも、きっと同じ味。
どこの窓口も混雑してるそうだから。


別状のない命と、踏ん付けては解けるスニーカーの紐。
結ぶのも億劫になってすとん、とその場にお尻を付けたなら。


鳴らされるクラクション。
体育座り。


しばらく経っても、どれだけ待っても、
誰も開会を宣言しない。
もう、こんなに広がり始めているのに。
かけっこなんて、したら楽しそうなのに。


歯を剥き出して笑う。
手を叩いて笑う。
捨てられた玩具。お猿さん。


ひっくり返れば助けてくれる、
子供も大人もゼンマイが緩んでカタコトになった。


ぎーこ、ぎーこと引かれずに鋸(のこぎり)。
駆け込み駐車のホームセンター。
使われる気のない板切れと、真っ白な木工用のボンドがそこらに散らばる。


風船も晴れて自由の身に。


その全部を見送るまで動かないあれは
もう命を持った着ぐるみで、
頭部を放って、お尻を撫でていた。


しゃくっと齧るごとに、美味しい、と砕ける氷菓。
歯にしみて、こめかみを痛めて
潤う瞳は捲れる紙と、乱れる髪。


きぃーっというブレーキ音が沈黙をさらに深くして、
別状のない命。
健やかな魂。


へっへっへっと舌を出す、毛量の多い大型犬は
リールを引き摺ってすぐそばを小走りに。
追いかけてくる飼い主は多分、いない。


色んな鳥もそこかしかにいるから、放し飼いになって、
出入り自由のゲージは想像するだけで不思議なオブジェ。
それが置かれた生家に、とどまる人だってもういない。


映画に出てくるゾンビより、人間らしく動くものも、
決して寄り付かずに立ち去るだけで。


目に入れば開いた窓から、はらり、ひらりと落ちてくる。
色とりどりで、折られなかった紙は百羽にも満たない、
祈りに感じられたんだ。


朝はとうに過ぎて、昼前を迎えて、
夕方はすぐ闇になる。


ぱっぱっとあちこちに点く灯りが届かない、
そんな場所が増えていく。


とうとう最後にはガリっと噛んで二つに割れてしまう棒、
当たりもしなかったそれを捨てる場所は、近くに見当たらない。


自覚症状は誰にもない。
でも、言われたとおり、手に持って。


次のコンビニ、開いて覗こう。
仕舞い込んで、全部を愛そう。


 

さぎなさ

さぎなさ

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-04-05

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