映画『ルノワール』レビュー

 人によっては正直、あまり響かないという評価も出てくる映画だと思います。
 色鮮やかなマチエールで鑑賞者を魅了する印象派の画家、ルノワールの特徴といえる光の表現に因み、全カットで明暗のはっきりとした画面作りを心掛ける本作が序盤から中盤にかけて描き出すのは人間社会の暗部です。
 パワハラにモラハラ、経済格差に基づく差別意識、弱者を食いものにするマルチな商法にエセ宗教。エセ神秘。嫌味に陰口、夫婦の軋轢、幼児加害、死への恐怖とどこかで見聞きしたことが主人公、フキを中心に展開していく。フキ自身も実に無邪気で残酷な振舞いを要所、要所で見せるもんだから、ある種のサスペンスが本作の見所となっていきます。その徹底ぶりは社会派ドラマといっていいぐらいです。
 ここが1980年代の日本を描写した記録として素晴らしい表現になっているのは確かなんですが、けれどそのせいか、私には本作の物語性が非常に形骸化されて見えてしまった。フキという子を主人公に置く必要を全く感じなかった。「こういう批判がしたいから、こういう状況にある子供を主人公にしました、家族の状況をこういう風に設定しました」という副音声がどこかから聞こえてきそうな印象を受けてしまったのです。2025年の公開時に直近で観ていた『夏の砂の上』が人間ドラマとして「生きる」という事の物悲しさを普遍的に映し出していたから尚のこと、その手法のいやらしさが目についてしまった。このまま終わるなら映画『ルノワール』を高く評価することはできないな、と鑑賞中に冷める気持ちで思ってしまうぐらいに一観客として本作との心的な距離が離れそうになりました。
 その評価が一変したのは物語の終盤も終盤。自らの好奇心で招いた最大の危機にフキの身が晒された辺りからです。
 偶然の事情によって加害の魔の手から逃れられたフキは見知らぬ土地の迷子として、見知らぬ景色を異邦人のように彷徨います。その様子を映し出すシークエンスはこれまでにないぐらい純粋で、綺麗で、跳ねている。フキの無邪気さも禍々しい方向にいかない。好奇心のままに世界と遊んで関わっている。なんで今までそうならなかったの?と大いに疑問を抱くぐらい「何者でもない」という可能性に満ちて、輝いていた。
 俊逸だったのは映画としての流れを大きく変えるこの段階になって、初めて本作で唯一の非論理的な描写が用いられていた点です。
 お金もなく、自宅に帰ることができないフキが今度は熱中症気味になってもう動けないという命の危機に晒された時に現れるのは、危篤状態になって病院で動けないでいるはずの父親。大雨でずぶ濡れになったフキをおんぶして連れ帰り、大きなバスタオルでフキの頭を、足を優しく、綺麗に拭うイメージ。
 実際、次の場面で元の生活圏に戻ったフキの様子が映し出されていたので、フキが無事に家に帰られたと分かるのですが「どうやって?」の問いに対する答えが一切提示されない。映画ならではの場面の飛躍。続いて描かれる父親の死と、後片付けの様子も酷く静かで、美しい。ギスギスしていたフキと母親との間のやり取りも柔らかくなり、陰を生み出す元凶のように感じられた光が二人をスッと包んでいきます。
 ここからの展開こそ、まさにタイトルに相応しい『ルノワール』。それまで騒がしいぐらいに感じられた生活音も失せ、目の前にいる人の有難さ、そこに「在る」ということの奇跡が月のように淡く、あるいは燦々と降り注ぐ陽の明かりのようなコントラストをもって表現されます。子供を取り囲む社会の未来、その可能性をも問うて見せる昇華っぷりは筆舌尽くし難いの見事さ。緊張と緩和こそストーリーの基本であり、かつ本質であるとはよく言われる所ですが、いやはや。それをここまで見事に体現されると、早川千絵監督に対して深々とお辞儀をしたくなるぐらい。映画の真髄、しかと拝見させて貰いました。大感謝です。
 総合的な評価としては冒頭で述べたことを考慮して5段階評価の4.5辺りに落ち着くのですが、終盤に限っていえば5.0を軽く超える作品です。およそ映画に成しうることをハイブリッドに実現しちゃってる力作、恐作、傑作。
 2026年4月の現在でも福岡で上映中。UーNEXTやAmazonプライムなどでも配信されています。最初の心持ちは恐いもの見たさでいいかもしれません。最後には色んな意味で打ちのめされる映画です。興味がある方は是非。

映画『ルノワール』レビュー

映画『ルノワール』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-04-02

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