落葉 -梟化生と押都-

閲覧ありがとうございます。
この作品は、忍たま二次創作です。
以下の要素が含まれています。

○オリキャラ
○人外BL
○性表現
○グロ表現
○監禁・依存表現
○キャラ知識がない
○リバ(押都×人外、人外×押都)

※作者が読みたいものを勝手に書いただけ※
※原作、全ての事柄に無関係です※

不快に感じたら、すぐにブラウザバックをお願いします。
閲覧後の責任は、一切取りかねます。お気を付けください。

出会い

 枝から枝へ、飛び移る影がひとつ。

 タソガレドキ忍軍、黒鷲隊小頭。
 押都長烈。

 潜入調査を終え、タソガレドキ領地へ戻る途中であった。
 その時、夜闇の森に小枝の触れる音がする。押都は立ち止まり、そちらへと向かった。



 野犬が数匹、輪を作って、獲物を囲っていた。その中央に、梟が一匹。

 押都は、上からそれを見た。

 大柄な梟だ。人の幼子ほどもある。
 地面に降りたところを野犬たちに目をつけられたのか。鈍臭い梟だ。


 野犬の吠え立てる声と、荒い息。
 梟はそれを見て、目を見開いていた。両方の翼を広げて、羽を逆立てる。
 けれど、野犬たちは、それを見逃さない。

 梟は、徐々に後ずさって、ついに追い詰められた。


 梟の大きな翼は、血で濡れて歪んでいた。
 その翼では、もう飛べない。空へ逃げられない。
 それでも最後に、梟は顔を上げる。

「ホォ……!」

 最後の力を振り絞って、奮い立つ。
 かぎ爪を木の幹に食い込ませ、その翼をばたつかせる。梟は必死に、枝の上へ上がろうとしていた。

 その時、力の入りきらない爪が滑る。
 梟は幹から、ぽとりと落ちた。

 それを好機と見て、野犬の一匹が飛びかかる。それよりも前に、押都は降り立つ。


 静寂な森に、野犬の悲鳴が響く。

 梟に牙が食い込む前、押都が野犬を蹴り上げた。

 暗闇の森に突然現れた、雑面の忍び。
 それを見て、野犬たちの動きが止まる。
 両者は一瞬、対峙する。そして、静かに野犬が後ずさった。

 恐れをなして、野犬たちは散り散りに逃げていく。その足音も遠ざかり、森の奥へ消えていった。

 そして、その場には押都と梟だけになる。



 押都は梟の様子を見る為、身を屈めた。
 地面に伏して動かない梟。その身体を確かめる。

 ーーまだ生きている。

 震える身体には、枯葉や小枝が刺さっていた。出血も見られ、怪我を負っている。
 傷の具合を確かめようと、押都は手を伸ばす。

「……!!」

 血に汚れた梟が、瞳を見開く。

 がばりと倒れ込んだ体を起こして、全身の羽根を逆立てる。
 梟の身体はひと回りも大きく膨らんで見せた。新たな捕食者の存在に、精一杯の威嚇をする。


 まだ余力がありそうな様子を見て、押都は手を引いた。

「動くな。 傷付けるつもりは無い」

 忍び装束の懐から手拭いを出すと、それを広げ、警戒する梟に被せる。
 手拭いで、梟の全身を包む。中で暴れる梟を、押都は抱え込んだ。



 腕の中にある布を少しずらして、覗き込む。

 押さえ込まれた梟は息を荒く吐き、押都を睨みつけている。カチッカチッと嘴を擦り付け、鋭い音を鳴らしていた。

 雑面の奥で、目を細める。
 
 梟の嘴につつかれぬよう、逆立った羽をゆっくりと撫でた。
 良い拾い物をした。これは忍鳥として手懐け甲斐がある。
 

 押都は布を被せ直すと、再び帰路へとついた。


ーーーー


 押都の腕を、かぎ爪が掴む。鋭い爪が、忍び装束の袖に食い込んだ。
 そして、決して離さない。


 猛禽類の目が、押都を捕らえていた。
 相手から目を逸らした時、己の命は無いと分かっているようだった。

「食え。 食わねば、生きられないぞ」
「カチッ、カチッ……」

 くぐもった唸り声。そして、嘴の威嚇音。
 嘴を僅かに開けて、いつでも噛みつけるように、こちらを狙っていた。
 押都は、その威嚇する嘴に、肉片を突っ込んだ。

「フー! フー! ホーーォ……」

 嘴が、何度か動く。
 突然、口に入って来た物を嘴で咥えて、吟味する。その後、動きが一度止まって、喉が上下に動く。梟は、それを飲み込んだ。

 その時も変わらず、梟の瞳は見開いたままだった。けれど、唸り声は聞こえなくなった。
 餌を飲み込んだ後、また嘴を鳴らし始める。

 押都は構わず、餌を口へ入れる。

 梟は、瞼を閉じて、それを飲み込んだ。
 次第に、威嚇音が減っていき、ついには餌を目で追うようになった。


 餌を食べられれば、まだ生きられる。
 押都は、そっと息を吐いた。


ーーーー


 皿の前で待っていた梟。
 しかし、押都の姿を見ると、身体の羽根を逆立てた。

 押都の差し出した餌を、嘴で奪う。
 必死に餌を食べていた。

 まだ本調子ではないのだろう。嘴から肉片を取り零す。

「ホー! ホー!」

 もう一度、押都が別の餌を近づけると、それを取る。
 今度は口に入れて、少しずつ飲み込む。


 押都は、落ちた肉片を拾って、餌皿の空いた所に乗せる。
 梟の口元が汚れていた。後でそれを拭かねばと考えながら、餌を数えていた時。

 梟が、押都の指を噛んだ。

 強く噛みつく訳ではないが、指を離さない。咥えたまま、押都を見ていた。
 押都は、何かを察した。

「取らないから。 これは全部、お前のものだ」
「ホー……」

 梟は、指から嘴を離す。
 餌皿の方を見て、待ちきれないように、翼を小さく動かしていた。

 押都は箸で、餌を摘む。ゆっくりと、梟に差し出した。
 それを目で追って、梟は餌に飛びつく。



 こくりこくりと船を漕ぎながら、梟は眠りに落ちる。
 用意していた餌を食べ切った。

 押都は、濡れた手ぬぐいで梟の嘴に触れる。羽先を優しく拭って、汚れを取った。
 巻いていた包帯を解いて、怪我の具合を確かめる。
 そして、再び巻き直す。

 
 保護したばかりの時、梟は衰弱していた。
 逃げる時に、かなり体力を消耗したのだろう。抵抗もなく動かない、瞳の閉ざされた梟の顔。
 

 押都は顔を上げて、先程の餌やりを思い出す。食い意地の張った梟の姿。
 
 それを思い出して、静かに息を吐く。
 なんとか持ち直してきたようだった。


ーーーー


 梟を保護してから、しばらく経ったある日。
 押都は筆を止めて、部屋の隅を見る。

 そこには包帯の巻かれた梟が、座布団の上で眠っていた。
 今は、押都の自室で休ませている。


 梟から目を離し、報告書へ視線を戻した。

 押都にはやらなければならないことがある。文机の上に、細々とした忍務が積み重なっていた。

「ふむ……」

 押都は、筆を下ろす。
 軽く斜め読みをして、記入漏れが無いことを確認する。
 墨を乾かしてから、出来上がった報告書を懐へしまう。

 組頭へ提出しに行かなければ。
 押都は立ち上がって部屋を出て、足早に、けれど足音一つ立てずに廊下を歩いた。



 部屋の襖を開くと、変わらず座布団の上に梟はいた。

 目が覚めたようだ。
 包帯の巻かれた体を起こして、部屋を見渡していた。押都に気が付くと、こちらをじっと見つめてくる。

「起きたか。 傷がまだ痛むだろう。 もう少し眠っておけ」

 押都が梟へ声をかけると、返答するようにホウと鳴いた。
 押都はひとつ頷く。

 どうやら、ここに慣れてきたようだ。



 押都が文机に向かって腰を下すと、梟は動き出す。

 逃げ出すこともないだろう。
 しかし、いつでも対処できるよう意識を向けつつ、梟の好きにさせていた。
 
 戦の事後処理や指示書の作成など、押都にはやるべきことは幾らでもある。
 事務作業を進めていると、隣に気配を感じる。

 そちらを見ると、梟が居た。

 押都の口端が上がる。それから、息を吐く。
 驚かせないように、ゆっくりと手を差し出して、梟に触れる。

 梟は逃げず、それを見ていた。

「……」

 さらに二、三度撫でて、梟から手を離す。
 押都は、文机に向き直ると置いていた筆を手に取り、さらさらと紙上に走らせた。


 再び、視線を感じる。
 押都は、そちらへ顔を向ける。

 梟も、文机を覗き込んでいた。
 止めどなく動く筆先が気になるのだろう。不思議そうに首を傾げながら、目で追っていた。

 どうしたのかと、押都がそちらの方を見ると、梟が鳴く。

「ホー」

 隣に座っていた梟は、こちらへ一歩、距離を詰めた。
 正座している押都の膝に、その身体が触れる。そこから押都を見上げていた。

 押都は一瞬、固まった。
 ホホウと梟がまた鳴く。

 押都は梟の出方を待って、ゆっくりと腕を退ける。
 すると梟は、押都の膝に脚をかけた。こちらを恐れることなく、上に乗った。

 膝上に感じる重み。

 それが落ちないように押都が動きを止めていると、梟が動いた。
 文机の上を見て、嘴で筆をつつく。

「ま、待て」

 筆先から墨が落ちぬよう、慌てて梟から遠ざける。
 梟の瞳は次に、揺れる雑面の端を目で追っていた。


 押都は梟を両手で持ち上げて、隣に下ろしてやる。

「今は構ってやれない」
「ホォー!」

 梟は、抗議するように鳴く。

 ため息をつきながら、押都は眉をひそめた。また梟を持ち上げ、膝に乗せてやる。
 梟は、そこに座り込んだ。ここに居たいらしい。
 

ーーーー


 翼をやさしく掴み、骨の具合を確かめる。

「もう傷は良くなったな。 どうだ。 動けるか?」
「ホーゥ」
「よしよし」

 膨らんだ梟の首元を、ゆっくりと撫でる。梟は気持ち良さそうに、瞼を閉じた。満足そうだ。

「ホー……」

 目を閉じながら、押都へ頭を下げる。また、撫でてやった。

 明日にでも忍鳥として訓練をつけるか。
 そう考えながら、押都は梟を降ろしてやる。

「ホー?」

 怪我の治った梟を他の梟と同じように、飼育小屋に移した。
 使用済みの包帯を回収して、小屋から出る。



 自室へ戻ると、押都は忍装束を脱いで、寝巻きに袖を通した。
 事務仕事も終えたことだし、今日は休もう。床に入ると、待たずに眠気がやってくる。


 微睡みの中、意識が浮上する。

 若葉の香りが、鼻孔をくすぐった。締め忘れた襖の隙間から、風でも入ったか。
 息を絞り出すように声を零して、身じろぐ。

 薄く瞼を開いた瞬間、押都は身体を固くした。息が止まる。瞬きすらできない。


 ーー何者かが、居る。


 月が昇る夜。

 床の脇に、それは座していた。
 頭から白紙を垂らしていて、顔が見えない。身にまとうのは、白一色の狩衣。

 押都が覚醒したことに気が付くと、その者は押都を見下ろした。
 何も言わず、されど身動きもしない。


 押都は、物言わぬ侵入者を見上げる。
 乾いた喉から音を絞り出そうとするが、声にならなかった。

 害意はない。だが、何か対処せねば。
 身体を起こそうと、力を入れる。まばたき一つ。意識が僅かに逸れる。
 次に、その姿は消えた。

 枕元の苦無を手に取ると、床から飛び起きた。
 雑面をつけることも忘れて、襖を一気に開く。しかし、そこには誰も居ない。
 全身から汗がどっと流れる。

 頭を手で押さえて、首を振った。
 悪夢か。幻か。
 乱れた呼吸を整えつつ、自室へ戻る。とん、と音を鳴らして襖を閉じる。


 床の上に戻ると、何かに気が付く。

 枕元に、羽根が一つ落ちていた。
 手に取ってよく見る。茶色の羽色に、手の平ほどの大きさ。

 誰かに説明できる訳ではない。だがしかし、一人、合点がいった。


 置いてあった雑面をつけてから、押都は足早に自室から出る。
 向かうは、あの梟を入れた飼育小屋だ。



「押都小頭」
「何か異常は起きていないか」
「はい。 何も」

 長屋の廊下を歩いていると、夜番の忍びから声がかかる。

 その者曰く。
 感知できるようなことは何も起きていない。
 押都は一つ頷く。労いの言葉をかけて、その場から離れる。


 飼育小屋の扉を開くと、梟たちの闇夜に光る瞳が、押都へと向けられる。
 その間を通って、奥の仕切りに近づく。

 仕切りの扉は開いていた。
 中に入れたはずの梟がいない。

 押都は深く、息を吐いた。
 仕切りの扉を戻して、引き返す。不気味に静まり返った小屋。

 梟たちは一声も鳴かない。



 押都が飼育小屋から出ると、他の忍びが何事かとやって来た。

「どうかなさいましたか?」
「梟が逃げた」
「梟が、ですか。 盗まれたのではなく?」
「いや、自ら逃げた」
 
 各所に確認を取ったが、侵入者を見た者はいなかった。
 変わったことは、梟が一匹居なくなっただけ。

 これ以上、騒ぎを大きくしないよう、集まった忍びを警備に戻らせる。


 押都も自室へ戻り、大人しく眠りについた。


ーーーー


「へえ。 昨晩、そんなことがあったんだ」

 タソガレドキ忍軍百人を率いる組頭。
 雑渡昆奈門。

 包帯に隠されていない方の右目が歪む。雑渡の興味を引いた。


 集会後、部屋に残った組頭に、押都は昨晩の出来事を報告する。

「拾ってきた梟が人の姿になって枕元に立った、ねえ」
「化生の類かと」
「感謝でも伝えたかったんじゃない?」

 雑渡は、押都から受け取った羽根をくるくると指で弄ぶ。
 綺麗な羽根から目線を上げて、部下の方を見た。

 普段の平然とした様子から、少々外れている。
 人間の理では理解しがたいものを目にしたらしい。それならば、致し方ないか。

「あっ」

 雑渡は外の庭木の方へ顔を向けて、目を丸くした。静かに腕を上げて、木の頂上辺りを指差す。
 押都もそちらを見る。

「もしかして、あの子とか?」

 ふふ、と組頭が笑う。腕を組んで、頬に手をやる。
 押都の蘇利古の雑面が揺れていた。

 庭木の枝に一匹の梟。その嘴には、肥えた野鼠があった。

懐く

 タソガレドキ忍軍が所有する訓練場の一角。
 頭上では、梟が旋回している。


 押都が合図を送ると、梟は押都の元へ降下してきた。片腕を出して、そこを指し示す。
 梟はそこを目指して、そして。

 ズザザザっと地面に身体全体を擦りつけながら、着地した。土埃が舞う。

「梟初心者かな??」
「これでよく今まで生き残れたものです」

 雑渡は頬に手を当てながら、気の毒そうに梟を見る。

 押都はやれやれと肩を落とす。
 地面に落ちた梟を拾い上げて、身体を確かめた。どこにも問題はない。

 押都は顎に手をやって、しばらく考える。
 梟自身の素質だろう。この梟、とてつもなく不器用だ。

「身体は丈夫で、使えると思ったのだが……」


 結論から言うと、梟は忍鳥に向かなかった。

 理由は多々あるが、まず飼育小屋に入れると脱走する。
 それだけでも、手のかかる梟だ。世話をしようと思っても、まず探さなければならない。

 やっと奴を見つけても、それで終わらない。
 梟は自由気ままに、忍び長屋の上空を飛び回っていた。



 押都が後ろを振り返る。
 
「何だ?」

 視線を下げると、梟がいた。
 いつの間にか、押都の後ろをついてくる。押都が立ち止まると、少しして、梟も足を止めた。

 梟は、何をするでも無く、ただ押都を見上げていた。

 押都は、ため息をつく。
 忍務もあることだし、この梟ばかりに構っていられない。

 
 長屋の自室に辿り付くと、すぐ襖を閉める。
 ここにいる間は梟の圧を気にせず、書類仕事を進めたいと思った。
 
 文机に向かって、筆を動かす。報告書を何枚か仕上げ終えて、顔を上げた。
 ひと段落付く。そこからさらに追加して、仕事を進めていた時。

 長屋の小窓が、がたがたと音を立てた。
 小窓の向こう側に、何か居る。

「……お前か」

 小窓の枠をかぎ爪で掴む梟。そこから、物音を立てていたようだ。
 隙間から、梟が中に入り込んでくる。

「おい、待て」
「ホー」

 梟が床に降り立つと、そこからまた顔を上げる。
 押都のことを見ていた。

「ここに餌は無いぞ。 外で飛んできなさい」

 押都が、手を伸ばす。しかし、梟は捕まらないように逃げる。
 書きかけの書類がある部屋で、飛び回って欲しくない。


 仕事の邪魔だ。


 肩を落とすと、梟を追いかけることを止めた。
 押都は、部屋の襖を開けて、そちらを指し示す。

「出ていけ」

 梟は、押都と外を交互に見て、その場に座り込んだ。
 それを見て、押都はため息をつく。

 獣と根比べも、鬼ごともするつもりは無かった。ただ黙って、梟を見下ろす。
 今のところ、この部屋で飛び回る様子には見えない。

 梟から顔を上げる。
 そのまま放っておいて、文机の前に腰を降ろした。そして筆を持ち、仕事を再開する。
 静かな部屋の中に、紙のめくる音と筆の音。
 押都は意識を仕事へ向けた。

 
 文机の書面に、風がかかる。

 梟が文机に乗ってきたのだ。押都は、雑面の下で目を細める。
 どうしたものか。

 梟は、文机の端に座り込んだ。そして、自らの羽根を整え始める。
 羽繕いをしている梟。
 
 押都は、それを静かに見る。

 膝上に乗せたりするつもりはなかった。
 構う事は出来ないが、そこで大人しくしているのならば、まあいいか。そう思って、再び手元に意識を向ける。



 書き終えた書類を整えて、箱へ入れた。
 凝り固まった身体を伸ばしていると、梟が居たこと思い出した。
 文机の端へ目を向ける。

 そこで、梟は自らの羽根に顔を埋めて、眠っていた。膨らむ身体。柔らかそうな羽根。
 押都がしばらく見ていると、梟が目を覚ます。

「起きたか」
「ホォー……」

 少しかすれた声で、梟が鳴く。そして、文机から飛び降りた。
 押都へ歩み寄ってきて、見上げてくる。

「どうした。 腹でも空いたか?」
「ホー」

 梟は、押都の手を見ていた。そして、また押都の雑面へ、顔を向ける。

 手を差し出して、何も持っていない事を見せた。
 そうしていると、梟が飛び乗ってくる。押都の膝上で伏せて、そこで寛ぎ始めた。

「ホー……」

 行き場を失い彷徨っていた手を、梟の上に乗せる。すると、梟は目を細めて、鳴く。
 押都は、静かに頭を撫でてやっていた。


 
 それからというもの。

 梟は、いつの間にか押都の自室に来るようになった。押都の膝上に乗って、側を離れない。
 押都がふと近くの木を見た時、梟の姿がそこにあった。後を追って、ずっと付いて来る。

 押都のことを気に入ったようだった。


 梟の存在に眉をひそめることも、ため息をつく回数も増える。
 けれど、押都はその梟を追い払わなかった。



「ホー!」

 押都の自室。
 梟がまた、部屋の中に侵入してきた。

 押都は気にも留めず、作業を続けていると、すぐ近くで鳴き声が上がる。
 隣を見ると、羽根を咥えていた。

「どうした? これをくれるのか」
「ホ、ホ、ホ……」

 押都が羽根を取り上げると、鳴き声を上げていた。
 落ち着かない様子で、その場で地団駄を踏む。そして、強引に押都の膝上に、よじ登った。

「そう急ぐな」

 梟の頭をゆっくりと撫でる。柔らかく温かい。
 かぎ爪を羽根の中へ仕舞って、目を閉じた梟。静かな時間を過ごす。



 うたた寝をする梟を下ろして、押都が立ち上がった。自らの寝支度を始める。
 それを、床から見上げる梟。
 
 布団がしまっている押し入れを開けた時、その中に梟が隠れる。
 ひとまず、梟はそこに住み着いた。


ーーーー


 押都が、お手玉を放り投げると、中に入っていた鈴が鳴る。

 ちりん。ちりん。

 梟はそれを目がけて、飛び跳ねた。
 かぎ爪を食い込ませ、お手玉を捕まえる。しっかりと握り込んで、それを嘴でつつく。

 梟が遊んでいる様子を二人で眺めていた。それから、雑渡が口を開く。

「気に入ったみたいだね」
「椎良が作った物です」

 黒鷲隊に所属する若い忍びが一人。椎良勘介。雑渡人形をつねに持ち歩いており、本人も手先が器用。
 お手玉を作ったと言って、よろしければと押都に差し出してきたのだ。

「お手玉のことではなくて。 押都のことだよ」

 雑渡の言葉を待つ。

「押都がこの子のこと、気に入ったんだねって」

 押都は答えずに、組頭から顔をそらす。
 梟の嘴から振り落とされたお手玉。鈴が鳴って、また梟が跳ねた。

「そういえば」

 雑渡の呟きに、押都が振りむく。

「この子に名前はあるの?」
落葉(らくよう)と呼んでいます」
「らくよう?」

 押都が梟を両手で持ち上げた。
 腕の中で、梟は無抵抗だ。見開いた瞳で押都を見つめる。

 押都は、梟の身体から枯れ葉を指で取って、地面に捨てた。

「よく身体に落ち葉をつけておりますし、それに。 こやつも木からよく落ちる」

 ハハハ、と雑渡の笑い声が響いた。


ーーーー


 押都と山本が立ち話をしていると、梟が飛んでくる。

「おっ! こいつがあの梟か」
「そうだ」

 梟が、押都の背中に当たる。そこからよじ登って、押都の肩に留まった。

「うーむ。 ただの人懐っこい梟にしか見えんが」
「落葉、だ」

 もう名付けもしたのか、と困り眉を下げる山本。狼隊小頭、山本陣内。よく組頭に振り回されている。義理堅く、面倒見の良い男だ。

 山本は梟を見る。
 梟も山本を見つめていた。やがて、梟はふいと顔をそらす。翼を震わせて、羽繕いを始めた。
 
 それを見て押都は、山本と話を再開する。そうすると、押都の視界が遮られる。
 梟が片方の翼を広げて、押都と山本の間に割り込んだ。

 羽の下。頭を隠された押都は、低い声で名前を呼ぶ。

「落葉、やめなさい」
「ホ、ホ」

 あっはっは。山本は腹を抱えて、涙が浮かぶほど大笑いした。

「確かに、これでは押都も困るな」

 二人が話していたのは、この梟のことだった。
 梟は、押都を見つけると嬉々として飛んでくる。それだけなら微笑ましい光景だ。

 しかし、問題があった。
 
「普通の梟じゃないだろ」
「然り。 化生だ」


ーーーー


 押都はこの梟以外にも、様々な生き物を調教している。その度、梟は牽制してしまうのだ。
 それは動物だけでなく。人間にも。

 押都に近づく全ての生き物にするものだから、本当に困った。これでは、押都の仕事に支障をきたす。
 調教途中の鷲が枝から落ちたり、他の梟たちは押都の側に近寄ってすら来ない。

「これでは仕事にならん」


 数日後。
 怯えながら、部下が報告に来た。頭上を気にしつつ、恐る恐る話す。

 押都は、忍務の報告を聞いていた。頭の隅で、これはいかん、と呟く。


 押都たちを見つけた梟。飛びかかる勢いで、こちらへ降下してきた。

 押都は部下の前に立って、梟を受け止める。
 広げた翼が押都の身体を抱きしめるように包む。梟は目を大きく開き、押都を見上げた。
 

 押都は梟と見つめ合う。平穏に努めて、諭す。

「他の者を襲っては駄目だ」

 梟が嘴を開こうとする。その前に、押都は指で触れて止める。梟の目が吊り上がった。
 それを見て、梟の体を宙に放り投げる。

 梟は離れた木まで飛んで行って、そこに留まった。
 振り返って、枝の隙間から押都を見る。

「ホー……」

 そして、頼りなく鳴いて、離れていった。



 押都は、文机から顔を上げる。

 開けていた小窓の方へ目を向けた。
 書類仕事をして隙を見せていると、あいつはそれを見逃さない。
 いつもなら飛んでくるのだが、その姿は無かった。


 長く息を吐いて、押都は立ち上がる。
 襖を開いて、外を見た。廊下の外や庭木の方を確認する。

 居たら居たで五月蠅い奴だが、居ないとそれはそれで落ち着かない。
 凝り固まった身体を動かすついでに、歩き出す。
 
 辺りを見渡しながら、ぶらぶらと歩き回る。
 どこから聞こえてくるかもしれない、鳴き声に耳を澄ませた。



 その日はそれ以降、押都の前に、梟は姿を現さなかった。

 野生の梟だ。そのまま、逃げていったのかもしれない。
 どうせ、忍鳥として使えなかったし。これで良かったのかもな。
 そう思う事にして、部屋へ引き返す。

 普段より少し遅い時間に、押都は戻ってきた。

 もう眠ろうと、押し入れを開けた時。
 件の梟を見つけた。ずっと押し入れの中に居たようだった。


 押都が使っている布団の上に、梟は蹲っている。後ろを向いたまま、こちらを見ない。

「落葉」

 呼ばれても変わらず、梟はお手玉を弄っていた。
 押都は、深いため息をつく。

「そこに居られると、布団が出せない」

 梟に反応は無かった。
 天井を見上げて、息を吐く。押都は、再び口を開いた。

「すまなかった」

 謝罪を口にする。

 それを聞いて、梟は咥えていたお手玉を離す。そして、こちらへ振り向いた。
 お手玉が落ちて、小さく鈴が鳴る。
 押都を見て、ためらう。

 けれど、歩み寄ってきた。

 押都が梟を持ち上げる。梟はホウと鳴いて、雑面の端を嘴でつつく。
 それを手で制しながら、押都は梟の頭を撫でた。



 着替えた押都は早々に寝支度を整える。雑面を取って、床に引いた布団に横たわった。
 枕に頭を乗せ、布団を首元まで引き上げる。

 その時、小さな気配が近づく。
 顔を横に傾けると、枕元に梟が身を寄せていた。


 押都は布団から腕を出して、梟に触れた。嘴をゆっくり撫でる。
 手の平に、梟は頭をすっぽりと入れた。

 思わず、口端に笑みが溢れる。緩やかに頭を撫でてやって、布団の中に腕を戻す。
 梟は足を羽の下へ仕舞って、そこで眠る。押都も瞼を閉じた。


 それ以降、梟の牽制はなりを潜めた。しかし、まだ、どこからか視線を感じる。


ーーーー


 それからしばらく経った、ある日。

「魚が食べたい……」
 
 部屋に独り言が響く。
 思っていた言葉が口から出ていた。押都は特別、魚を好んではいない。けれど、なんとなく。そういう気分だった。


 その日の昼飯時。
 押都が忍軍の食堂でからあげ定食を食べていると、突然、障子がぶち破られた。

 押都はとっさに棒手裏剣を構える。
 食堂を利用していた忍びたちも苦無を構えた。皆、音の方を見る。

 障子は粉々に壊れ、紙と木になっていた。その上に、梟がうずくまっている。

 押都は席から立ち上がり、すばやく近寄った。
 只事ではない様子に、後ろで人だかりができる。


 梟は顔を上げる。

「ホーーォ!」

 押都を認めると、大きな声で鳴いた。そして、翼を退かして、足に掴んでいたものを見せる。
 それは葉で包まれた、大きな川魚だった。

 きらきらと輝く瞳に見つめられながら、押都はため息をつく。
 押都が腕を差し出すと、梟はそれに飛び乗った。



 押都は壊れた障子の修理を黙って、引き受けた。
 窓を壊した梟には、補修費分、黒鷲隊が運営する購買部の手伝いをさせることにする。

 購買部の受付台の横。
 タソガレドキ忍軍と同じ茶色の布を首元に巻いた梟。雑貨を買いに来たお客様へご挨拶する。
 ホウとお利口に鳴く梟に、皆がお駄賃をやる。結果として、購買部の売上がいつもより増えた。

 押都は、店番を終えた梟の頭を指で撫でてやる。


 押都は無事、魚を食べられた。


ーーーー


「らくよーう」

 押都の声が、梟を呼ぶ。すると、遠くから鳴き声がする。
 少し待っていると、梟がやってきた。
 
 こちらに向かって、飛んできた梟を受け止めて、腕に乗せる。
 梟が鳴いて、頭を下げた。その頭をやさしく撫でてやる。

「可愛いやつだ」
「ホー」

 しばらく、梟を撫でていた。すると、もう一人、押都が現れた。
 梟は目を見開いて、二人を交互に見る。

 その様子に、笑いがこみ上げる。梟を乗せていた腕が揺れた。

「ホ、ホー!」
「組頭。 いたずらは程々にしてください」
「だって」

 面白いから、と雑渡が言う。顔から雑面を取り、変装を解いた。
 それを見て、梟が足を踏み外す。その身体を押都が受け止めてやる。

 押都の腕の中。梟は雑渡に向き直る。両方の翼を広げて威嚇を始めた。

「梟にも変装術が通用するんだね」
「からかいが過ぎると、嫌われますよ」

 押都は梟をなだめる。それを見て、雑渡はくすくす笑った。


ーーーー


 押都に、忍務が入った。
 しばらくの間、タソガレドキを離れることになる。

 使役できない梟を潜行に連れていけない。そのため、長屋に残る者に、その梟の世話を頼んだ。


 押都は、黒鷲隊の忍びたちを率いて敵城へと向かう。
 予定地にたどり着くと、訓練した忍鳥へ指示を出す。一匹は、他の隊へ伝令。もう一匹は、偵察。他は、近くの森に潜伏させる。



 タソガレドキ領の忍び長屋に、梟の鳴き声が響く。
 押都が自室に戻らなくなったことに、梟が気付いたようだった。

 押都の部屋に忍び込んで、器用に押入れに入る。中の畳まれた布団の上で、か細い声で鳴く。それが毎晩、続いた。


 長屋で寝泊まりする忍びには、堪ったものではない。

 世話を任された忍びが、押都の部屋に入る。
 苦情の元が、押入れの中からこちらを見ていた。餌を与えても食わない。そんな梟を忍びは心配していた。

 梟は押都が帰ってきたのではないと分かると、開いた襖から外へ出ていく。
 そのまま、森の方へ飛び去ってしまう。初めは、押都小頭の忍鳥を逃がしてしまったと焦った。

 しかし、この梟。
 夜になると、また戻ってくる。そして、鳴く。

 忍びたちから、ため息が漏れた。



 押都は忍務を終え、タソガレドキに戻ってきた。
 
 すると、忍びたちから申し訳なさそうに、苦情が伝えられる。
 押都は、すぐさま部屋に向かう。


 文机の上に、梟の羽根。押都はそれを手に取った。


 長屋に戻って来た忍びたちの声が、遠くで聞こえる。
 押都は押し入れを開く。梟はまだ戻ってきていなかった。


 梟は押都に構ってもらいたい時、羽を咥えてこちらに持ってきた。
 憶えている。梟がこちらへ歩く度、かぎ爪が当たる音。

 押都がその羽を受け取ると、短く何度も鳴く。ホホホホホ。嬉しそうに声を上げて、瞳を小さくしたり大きくしたりした。


 押都が事務作業をしている時。梟は文机の端に座って、眠たげにする。
 こちらを見上げてくる、あの瞳を思い出していた。

 タソガレドキ忍軍に梟が馴染んできた、ある日。
 梟がひとつの文を持って帰ってきた。
 押都はそれを受け取ると、すぐ開く。

 恋文だ。

 助けてもらった感謝から始まり、押都への想いが綴られている。文には、紫色の小さな(すみれ)の花が差し込まれていた。人懐っこい梟に納得がいく。

「お前、字が上手いな」
「ホーーーー!」

 つついてくる嘴を避けながら、押都は文を読み進める。そして、読み終えた。文を畳み直して、菫と共に机に置く。

「ありがとう。 確かに読ませてもらった」

 押都が撫でると、梟は満足気に目を細めた。それを見て、押都はふっと笑う。

「これからは、菫の君と呼ぼうか?」

 梟は、全身をわなわなと震わせる。
 押都は、低い声を喉奥で響かせるように、囁く。


 落葉。ホー。
 
 菫の君。ホーゥ。


 どちらの名で呼んでも、梟は答えた。
 押都は、また何度か名前を呼ぶ。それに合わせて、梟が鳴く。押都を見上げる瞳は、熱っぽく潤んでいた。

 押都はこちらに向ける嘴の下を、指で掬った。
 梟が、見つめてくる。

 ーー押都様。

 知らない声が聞こえた。どこから聞こえたのかすら分からない。

 顔は動かさず、目だけで部屋を見渡す。他の者が、からかっているのか。気配を探る。
 けれど、押都は確信していた。防衛本能が訴えている。
 背筋にぞくりと悪寒が走った。口角が上がるのを抑えられない。
 

ーーーー


「これが、化生の書いた文か」

 雑渡から手渡された文を、山本が読む。梟が一生懸命に書いた恋文。それは、無慈悲にも忍びたちによって、回し読みされていた。

 すでに文を読んだ若い忍びたちは、顔を青白くさせていた。
 狼隊所属、組頭の側近でもある。諸泉尊奈門。
 同じく狼隊所属、山本陣内が烏帽子親を務めた。高坂陣内左衛門。諸泉の先輩。

「押都小頭。 その化生は、危険なのでは?」

 諸泉が口を開く。高坂も、押都へ目を向けた。

「左様。 取って食われてしまうやも知れん」
「ひっ!」

 諸泉は肩を跳ねさせた。押都のわざとらしい言い方に、雑渡は目を細める。

「尊奈門。 それと陣左」
「はい」

 二人は、組頭へ向き直る。

「化生の正体を探ってきなさい」
「ええーー!!」
「く、組頭……」

 怯える二人に、押都はピースサインを見せる。

「梟には、私からの文を持たせた。 それに返事が欲しいと書いたから」

 きっと隙を見せるはず、と押都と雑渡が目を合わせた。山本は目を瞑る。

「相手は化生ですよ! 私にできるかどうか……」
「あ、大丈夫。 変装も見抜けないし、気配にも疎いから」

 雑渡の言葉を聞いて、ひとまず、諸泉と高坂は息を吐く。

「組頭命令だよ。 二人とも頑張って」

 捕まえなくていいから、と手を振る雑渡。二人は意気消沈した面持ちで、部屋から退出した。


「それで?」

 山本が口を開く。押都は、雑渡と山本へ向かう。

「おそらく。 タソガレドキに害はないかと」
「ふうん」

 雑渡は、腕を組む。まあ、今は様子見か。三人の意見は、そこで落ち着いた。


ーーーー


 長屋の天井裏で、息を潜める。
 諸泉と高坂は、天井板をずらして、その下を覗いていた。


 件の梟がいる。

 押都が不在の部屋。梟はひとりで遊んでいた。押都小頭があげた、鈴入りのお手玉。
 ちりん。
 中の鈴が鳴る。梟はお手玉を咥えたり、離したりする。

「高坂さん」
「なんだ?」

 高坂は、諸泉を見る。

 鈴の音が止んだ。天井板の隙間から、部屋を覗き込む。
 そこに居たのは、人に見えた。

 声を上げそうになって、諸泉は咄嗟に口を押さえる。高坂の眉間に皺が寄った。


 注意深く、それを見た。

 白い着物を身につけている。
 それは、公家や武家など高貴な身分の者が着るような服に見えた。音もなく動けるような服装ではない。
 背丈は諸泉とおおよそ同じ。年頃は若く見えた。
 肩にかかる黒髪。後ろ頭には白い紐が巻かれていた。顔を隠している。

 化生は、文机に向かって手を動かしていた。押都の筆を持ち、すらすらと書いている。
 遠くから見ても、達筆だ。
 

 さらにその人物を見ようと、諸泉が身を乗り出す。その拍子に、天井板が僅かにずれて、音が立つ。
 慌てて押さえるが遅かった。
 それは、もう居ない。


 外で、風が揺れる気配。


 諸泉は、おずおずと隣を見る。鬼がいた。


ーーーー


 諸泉が、雑渡に笑う。

「組頭! 化生の正体、しっかり見てきました!」

 頭にたんこぶを作っている諸泉。雑渡は、高坂の方を見る。



 とりあえず、報告の続きを聞く。

 諸泉曰く。
 梟が飛び去った後。二人でそれを追った。
 しばらく飛んだのち、開けた場所に辿り着く。忍里の辺りにある野原。梟はそこに着地した。

 梟は、地面に擦り付けた顔を上げる。
 そして、のろのろと瞼を閉じた。梟は羽を広げて、そこから動かなくなった。


 死んだかと焦る諸泉を、高坂が止める。

 梟は、うっとりと太陽へ顔を向けていた。日向ぼっこをしている。
 しばらく、梟は野原に座っていた。

 それを遠くから見張る。陽気の差す肌に、風が涼しく感じる。

 穏やかな昼時。

 梟は、嘴を何度か、開いたり閉じたりした。それから、側に咲く花を摘む。
 黄色の花。蒲公英(タンポポ)だった。
 蒲公英と文を器用に咥えて、梟は長屋の方へ戻ってゆく。


 話し終えた諸泉は、押都の手元を見る。蒲公英と文があった。雑渡は頬に手を押さえて、目を閉じる。

 高坂は、雑渡へ姿勢を正し、口を開く。

「梟は確かに化生でした」

 化生の姿を詳細に話す。この目で見たと語る高坂。何度も頷く諸泉。

 二人が見た化生の姿も、押都が枕元で見た姿も報告と同じ。
 雑渡は首を傾ける。

「恩義を感じているだけ、みたいだし」
「そのままにしておくんですか!」

 諸泉が叫ぶ。まあまあ、と宥める山本。部屋の中が賑やかになる。
 押都は、文を開かずに持ったまま、蒲公英を見ていた。


「それなら、直接聞いてみたら?」

 雑渡が言う。押都はひとつ、頭を下げた。

「承知」

 機会があれば、必ず。そう言うと、押都は懐に文をしまって、退出した。


ーーーー

 それから、押都と梟の文通が始まった。
 互いに文を渡し合う。梟の文には、花や小枝が添えられている。

 今回は、淡い花が付いた桜の小枝だ。押都が小枝を持ち上げると、小さな花びらが取れる。

 梟はさらに押都へ、ぴとりと体を寄せることが増えた。
 押都から触れると、梟は身をよじって悶える。その反応を面白がって、また撫でてやった。



 押都は文机に向かって、事務仕事を進めていた。
 その途中。ふいに手を止める。

 何枚も文をもらったが、どれにも名は書かれていなかった。

「落葉……」

 梟の名前を呟く。
 押都が勝手につけたあだ名。それは、押都が呼んでいるだけで、本当の名前ではない。

 押都が呼ぶと、答える。
 嬉しそうに駆け寄ってくる。

 名も知らぬ。だが、呼べば来る。
 それでこと足りているはずなのに。

 化生には真名はあるのだろうか。どんな思惑で、押都に近づいてきたのか。疑念が浮かんでは消える。けれど、もういい。早く、あの声が聞きたい。
 ああ。もう逃がしてやれない。

 部屋にひとり。筆を走らせる音だけが残る。


ーーーー


 脇腹から、血が止めどなく流れていく。
 押都は傷口を庇い、身を伏せる。森へ逃げ込み、追っ手を撒いた。

 撤退の際、殿を務めた。
 皆で生き残る為。
 戦い慣れしていない部下を先に逃がそうとして、無理を承知で引き受けた。

 押都は、手の平を見る。
 ぬるりと、指が滑る感触。そこは真っ赤に濡れていた。ここはまだ敵地だ。援護は望めない。

 
 このまま諦めるのか。押都は、いびつに笑う。
 まさかな。
 俺は、最後まで。意地汚く。藻掻くまで。


 動くたびに激痛が走る。押都は、奥歯を噛み締めた。
 手繰り寄せた布を掴む。震える手で、患部に巻きつける。渾身の力で、きつく締め上げた。

 それから、死角へ身体を引きずる。痕跡を消して、そこに倒れ込む。
 もう指一本、動かせない。
 傷が脈打つ。焼けるように熱い。だが身体は寒さで震えていた。

 
 その時、頭上で梟が鳴く。

 ホー。ホー。
 矢羽音ではない。獣の声だ。

「らく、よう……」

 瞼をこじ開ける。
 押都の傍らに、梟が降り立った。
 
 頭の中で、警告が聞こえる。
 置いてきた梟がここにいるはずがない。千切れた雑面の下。汗が、顔に伝う。

 梟は、押都の雑面を覗き込む。顔を寄せて、押都の頬に触れた。


 ーー押都様。


 あの時の声が、蘇る。全身の神経が逆立った。

 森が、静まり返る。
 鳥も獣も。風さえ消え去る。

 
 白紙で顔を隠した青年が、そこに居た。
 
 白の狩衣。
 その背中に、大きな翼。
 僅かに露出した首筋にも、羽が見える。

 本物の、化け物。


 化生が、こちらへ手を伸ばす。逃れられない。
 押都の身体へ、触れた。

 背中と膝裏に腕が回って、身体が持ち上がる。

「……うっ」

 思わず、苦悶が漏れた。

 押都は、化生に抱きしめられる。
 白い衣に、血が滲んでゆく。

 抱えられているはずなのに、しっかりと支えられ、妙に安定していた。

 さらに強く、押都を抱き留める。
 そして、翼が広がる。

 翼を羽ばたかせると、地面が離れた。空へと飛び立つ。

 連れて行かれる。
 殺されるかもしれない。
 
 ーーだが。

 押都の身体を。
 どう喰らいつき、貪るのか。

 惹きつけられる。
 逸らせば、終わってしまう。
 腹の底に何かが、ひしめき合うのを感じていた。


 二人は、空の上を飛んでいた。

 風が吹きつける。
 押都は首を巡らせ、景色を見ていた。

 逃がさないとでも言うように、鋭いかぎ爪が腰に食い込む。
 その痛みが、押都を現実に引き戻す。 

 白紙の隙間から、顔を盗み見る。
 端麗な鼻筋。鋭い目元。猛禽類のような瞳。琥珀色の光。

 化生と、視線が合う。


 それからすぐ、地面へと降り立った。

 人里から離れた小屋。それは、タソガレドキ忍軍の潜伏所のひとつだった。

 化生は翼を小さく畳み、小屋の中へ入った。
 床へ静かに横たえられる押都。
 
 化生は、何も言わず踵を返した。

 その背中を見て、押都は身を起こす。
 声を出そうと口を開くが、そこから出てくるのは、荒い呼吸だけ。

 扉が閉まる直前、化生は一度だけ振り返った。押都を見る。
 その横顔が、扉の向こう側へ見えなくなった。

 小屋の外で、風の気配。
 そして、消える。


 押都は一人、残される。
 やがて、別の気配がこちらへ近づいた。

「押都小頭!」

 仲間の忍びだった。
 押都は発見され、助け出される。

 ーー帰ってきてしまった。


ーーーー


 タソガレドキ忍軍の医務室。

 治療後、押都は眠り続けた。
 目が覚めてからも、しばらく身体を動かせなかった。


 山本が見舞いに来た。

 山本は、押都へ笑いかける。
 穏やかな言葉の中。山本はあの日に起こったことを、訊ねた。

「知らせを聞いた時は驚いたぞ。 どうやって、あの怪我で戻って来れたんだ?」

 押都は顔を上げる。

「化生だ」
「は?」
「心優しき化生に、小屋まで送ってもらった」

 山本の言葉が途切れる。沈黙が続く。



 医務室から出る。
 押都は、静かに廊下を進む。長屋の庭木の方。

 梟の鳴き声。

 そちらへ目を向けると、あの梟がいる。
 胸元の羽が、赤黒く固まりかけていた。

 押都は立ち止まる。落葉、と呟く。

「助かった」

 梟はそれに合わせて、ホーウと鳴く。

 押都はひとつ頷いて、歩き出す。
 数歩進んで、足を止めた。それから、梟を見る。

「血が、こんな所にまで付いているぞ。 乾く前に落とした方がいいだろう。 洗ってやる」
「ホー!」

 梟は飛んできた。
 地面に降りて、押都の後ろを歩く。

 押都は部下へ矢羽音を飛ばす。先に、外へ水桶を用意させる。


 押都は、桶の中へ梟を降ろす。
 水をかけて、羽に触れる。優しく擦って、汚れを落としてやる。

 その後、梟は水浴びを始めた。羽を何度もばたつかせる。
 水浴びを終えた梟は、眠たげに、瞼を閉じる。

 押都は布を広げて、梟を包み込んだ。羽の水気を拭き取る。
 梟は押都にされるがまま、気が付いたら、お包みの姿にされる。

「ホォー……」
「くくく。 すまん、すまん」

 布を解いて、膝上に降ろす。
 梟は押都を見上げる。
 嘴を優しく撫でながら、押都は声を掛けた。


「お前は何者だ?」

 梟は何も言わず、ゆっくり瞬きを返す。
 押都は止めていた息を吐いて、顔を上げる。

 駄目か。

 梟と共に、押都は部屋へ戻った。



 今日はもう眠ることにする。傷ついた身体は、疲れ切っていた。
 押都は、床の支度を整えて、布団に入る。その隣で、梟は蹲っている。
 身体から力を抜いて、泥のように眠りについた。

 静かな夜。

 押都はふと目を開く。
 意識が覚醒する。部屋を見渡すと、梟が居なくなっていた。
 ゆっくりと、上半身を起こす。

 押都は気が付いた。枕元に置いてある雑面を手に取る。

 部屋の外。
 襖の向こうに誰かが控えている。苦無を手に取って、後ろに隠した。
 その後、声をかける。

「誰か、そこにいるのか?」

 声に反応して、その者は頷いた。

「入ってきなさい」

 押都が部屋に入るよう促すと、また一つ頷いて、その者は襖に手をかける。
 部屋に入ってきたのは、あの時の青年だった。

 けれど、様子が異なる。
 押都を抱えて飛んだ時のような、翼がない。化生と言うよりも、ただの人に見える。
 姿を自在に変えられるのか。


 青年は、押都の方へ歩み寄る。
 そして、眼前に座して手をつき、頭を深く下げる。

「……落葉なのか?」
「はい」

 頭を下げたまま、青年は答える。
 あの時、聞こえた声だった。押都は再び訊ねた。

「お前は、何者だ?」

 青年はゆっくりと顔を上げて、語り出す。

「分かりませぬ」
「分からない?」

 青年は黙り込んだ。

「では、化生なのか?」
「そう思われるのならば、きっとそうなのだと思います」
「ふむ。 自分では分からないと言うのだな」
「はい」

 押都は青年を見やる。嘘をついている様子は見えない。
 青年の拳に力が入る。

「自分自身では、獣だと自覚しております」
「獣? 山に住む、ただの梟だと?」

 青年は静かに頷く。私は山で暮らしておりました、と話す。

 押都は、口に手をやる。押さえたはずの口元が僅かに歪む。考え込むように、黙る。
 その背後では、指で撫でるように、苦無を確かめた。

 青年の声に耳を澄ませる。

「けれど、私は、もう獣として生きることができないのです」
「何故?」
「もう森へ帰れない。 貴方に出会って、貴方を知ってから」

 青年は、押都から顔をそらす。顔を隠すように、そこへ手を押し当てた。
 力が入って、くしゃりと白紙が歪む。

「私は、可笑しくなってしまった。 梟でもなく、人ですらない。 化生と呼ばれる存在へとなり果てた」

 それでも、と声が落ちる。青年は顔を上げて、微笑む。

「私は構いません」


 押都は、床から飛び上がった。青年の白紙を奪い取り、首元へ苦無を突き付ける。
 鼻先に、青年の匂いがする。

 青年は身じろぎもせず、押都を見ていた。感嘆の吐息を吐くように、言葉を連ねる。

「押都様に出会えて良かった。 貴方の側に居ると、自分のことがよく分かるのです」

 青年は、首をわずかに傾ける。
 苦無を構える手へ、自ら頬を寄せる。

「風の音が好きで。 夜の森を飛ぶのも好き。 それから、高い木の上から空を眺めるのも。 ……押都様に触れられるのも、好きです」
 
 遠くを見る目。これまでの日々を懐かしむ顔。
 苦無を構えられている中。青年はゆっくりと目を瞑る。

「ですから、お側を離れたくありません」

 瞳を閉じた顔は美しく、安らかだった。
 押都の動きが止まる。

 苦無はそのままに、青年へ手を伸ばす。触れるか触れないかの距離。
 しかし、手を引いた。

 まだ、これを見ていたいと思った。

 苦無を下ろす。押都は、前のめりになっていた体を離した。
 青年は目を開けて、不思議そうに、押都を見ていた。
 

 
「去れ」

 苦無を懐にしまって、押都は、青年に背を向ける。
 その時、後ろから、声がかかった。

「それは、嫌です……」

 押都は振り向く。
 そこにあったのは、熱が浮かぶ青年の瞳。それは、水面のように輝いていた。
 青年に見つめられ、押都は固まってしまう。

 そして、押都の手の甲に、手が重ねられた。
 優しく力が入って、握られる。

「押都様。 お慕い申し上げております」

 目線を落として、それを見ていた。手に感じる温かさを確かめる。
 青年の、わずかに震える指先。

 押都は黙る。それから、長い息を吐く。

「勝手にしろ」

 ため息と共に、身体から力が抜けて、その拍子に、押都の身体が傾く。

 青年が咄嗟にかけ寄って、肩を抱いた。
 先程震えていたとは思えないほど、力が入っていた。
 

ーーーー


「殺さなかったんだ?」
「はい」

 雑渡は、ニヤリと笑う。昨夜のことは、隠れて見ていたのだろう。
 押都は片膝をつき、言葉を続ける。

「組頭。 化生についてですが」
「うん」
「タソガレドキに、害は無いと思われます」
「そうだね。 今回はこちらが助けてもらったからね」

 しかし、と押都は言葉を切る。

「私には害がありそうです」
「ん?」

 押都は、言葉を選ぶように沈黙した。

「どこまで堕ちるのか、見たくなった」

 雑渡の笑みが、すとんと消える。

「すぐにでも、寝屋へ引きずり込まれそうです」
「……それは、どっちが?」

攫う

 日差しが強くなり、森が青々とする。夏が来た。


 戦は、閑散期に入った。それに合わせて、忍びも手すきとなる。
 しかし、黒鷲隊に閑散期はない。小頭の押都も、例外ではなかった。


 ある時、雑渡の元へ苦情が入った。黒鷲隊の者からだった。それも複数。

 押都小頭が休みを取って下さらない、と。

 頬に手を当てて、雑渡は、ため息をつく。


 タソガレドキ城主、黄昏甚兵衛。我がタソガレドキ忍軍の主君である。
 我らの城主様は戦好きで知られる。好戦的な大名だ。

 殿の無茶振りが酷く、戦も続いていたし。単純に忙しかった。
 仕方ないところもある。
 しかし、直近の戦は今のところない。休める時に、休まなければ。


 組頭として何度か声をかけたことはあるが、あまり変化は見られなかった。
 どうしたものかと、頭をひねる。


 思いあぐねている時、雑渡の目の前に梟が通る。
 化生の梟。
 すでに、忍軍のマスコットになりつつあった。今日は、散歩の日らしい。

「落葉ぅ」

 雑渡は、梟を呼び止めた。

 梟はこちらに気付いて、足を止める。雑渡を見ると、その場で、羽を逆立てた。
 まだ、根に持っているらしい。

「押都のことで、頼みがあるんだが」

 梟は、身体を弾ませ、こちらに歩み寄る。
 ちょろいな、この梟。


 梟は、雑渡と同じように首を傾けた。
 その様子に、小さく微笑がこぼれる。

 雑渡はしゃがみ込んで、小さな子供に話しかけるように、梟へ声をかけた。

「押都が最近、休みを取ってくれなくてね。 困っているんだ」

 どうしたらいいと思う?と言ってみる。
 梟はこちらを見つめて、止まる。しばらくすると、一声鳴いて飛び去った。

 あれ、飛んでった。雑渡は梟が飛んで行った方角を見つめる。
 それも束の間、すぐ戻って来る。
 雑渡へ突っ込んでくる梟を受け止めてやった。

 梟の嘴に、紙と筆。しかも、墨が付いている。

「ああ、なるほど。 押都へ文を届けてくれるんだね」
「ホー!」

 梟は目をきりりと吊り上げた。頼もしい顔つきだ。

 雑渡は、それを受け取ると、筆を動かす。押都への休暇要請を、簡潔に。
 梟に文を持たせると、ホウと鳴く。

 そのまま、どこかへ飛び去って行った。
 


 次の日、押都が消えた。
 忍軍の長屋や、タソガレドキ城、忍里にも。どこにもいない。
 
 慌てた忍びたちが探し回って、ついに見つける。

 押都の自室。文机の上に、書置きが置かれていた。見慣れたはずの文面。
 押都の字に、よく似ている。だが、ーーどこか違う。

 雑渡は、顔を上げる。そういえば、あの梟もいない。

「もしかして、余計なことしたかな?」
「昆?」

 山本が、雑渡を呼んだ。
 雑渡は、後ろの威圧感をひしひし感じ、目を閉じる。振り向きたくない。


ーーーー


 押都は今、森の中を全力で駆けていた。


 今いる場所から少しでも遠ざかる為、必死に足を動かす。
 視界の全てに、濃霧が漂っていた。季節に合わず、空気がひんやりと冷たい。

 見覚えがない。まるで、別の世界だ。

 このまま走って、タソガレドキへと戻ることが出来れば良いのだが。
 それは難しそうだ。
 頭上に気配を感じ、押都は草むらへ身を隠す。

 まず、逃げ切るのが優先だ。


 どうしてこうなったのか。
 記憶を遡る。
 押都は目が覚めると、ーー見たこともない部屋に居た。
 頭を押さえる。
 長屋の自室で眠ったことまでは、記憶している。
 
 しかし、まずは状況を確かめようと、頭を切り替えた。

 まず、寝間着を漁る。忍具はない。
 次に、部屋を見渡す。
 床の近くに、押都の忍服と蘇利古の雑面が置いてあった。それを手に取る。細工などはなさそうだ。
 とりあえず、寝間着から着替えた。

 警戒しながら、部屋を出る。
 ここは、山奥にあるらしい。見えるのは、山ばかりだ。

 そして、今いる建物を吟味する。
 屋敷は小さいながらも、手入れが行き届いていた。


 短い廊下を進み、厨にたどり着く。

 そこで、何者かが忙しなく動いている。エプロンが、ひらひらと揺れていた。
 火加減を見て、湯を沸かして。食事の支度をしている。
 その姿に、覚えがあった。
 
 落葉……。
 
 青年に化けた、梟の後ろ姿だった。とりあえず、安堵した。


 青年が振り向いて、こちらに向かってくる。手には、皿の乗った盆。
 押都は、即座に身を隠す。

 青年が通り過ぎるのを見届けた後、押都は逃亡を図った。



 思考を戻して、息を潜める。

 しかし、押都の頭上に影がかかる。
 その影は、上空から翼を羽ばたかせ、降り立った。羽音もほとんど聞こえない。
 押都の背中に汗が流れる。

 青年は翼を畳むと、押都のいる方へ向いた。

「押都様」

 青年が、名を呼ぶ。
 押都は答えない。

「押都様。 そこにいらっしゃらないのですか?」

 小さく震える声音。そして、また押都を呼ぶ。

 すでに、こちらに気が付いている。
 翼を持つ青年にとって、押都を追うことなど容易い。
 そして、押都はここからタソガレドキへの帰路が分からない。
 八方塞がり、か。


 押都は息を吐いて、草むらから出る。
 逃げられないと分かったからだ。

 目の前に現れた押都を見つけると、青年は翼を一度はためかせた。
 押都の目の前まで飛んでくる。
 そして、押都の身体を優しく抱きしめた。

 青年は、押都の耳元で呟く。

「ご無事で、本当に良かった……」

 身体を離して、押都を見る。戻りましょう、と言って、手を引いた。
 導かれるまま、青年の側までやってくる。

 青年は、押都の身体を横抱きにして持ち上げる。
 翼を広げて、大きく羽ばたくと、二人は空へと飛び立った。

 青年の腕の中から、森を見下ろす。
 早朝のように、濃霧がかかる森が広がっていた。
 


 屋敷へと連れ戻された後。
 押都は、至れり尽くせりで世話を焼かれていた。

 土汚れの付いた衣服を脱いで、温かい湯で身体を清めた後、上等な着物に腕を通した。
 それから、部屋へ案内され、用意された食事に舌鼓を打つ。

 花の咲く庭を眺めながら、ゆっくりと茶を飲む。
 青年は、押都の肩に着物をかけ、茶菓子を勧める。

 やっとそこで、押都は青年に声をかけた。

「ここは何処なんだ?」
「私の屋敷です」

 青年が、ゆっくりと語り始める。
 押都が休みを取らないと、雑渡が嘆いていたこと。それを聞いて、押都へ文を届けたという。

 押都は思い当たる。ああ、あれか。しかし、それはすでに処理済みのはず。
 押都が不思議そうに首を傾げた。

 それを見て青年は、キッと眉を釣り上げる。
 
「押都様に休んでいただこうと思い、此方へ連れてきました」

 恐らく善意だろう。押都は強く言い返せなかった。
 顔を上げて、口を開く。

「連絡もなく休暇に入ってしまったら、部下や組頭が困るだろう」

 すぐに帰らねば、と押都。哀車の術を使うまでもない。
 この梟は、大変押しに弱く、純粋無垢で騙しやすい。言う事を聞くはずだ。

 しかし、青年はにっこりと微笑む。

「私が一筆書いておいたので、心配は要りません」
「何と書いた」
「傷が癒えるまで休みを取る、と」
 
 押都は、空を見上げる。
 外部からの助力も見込めない。

 青年は新しく茶を入れ、差し出してくる。それを口に含みながら、押都は考える。

 色を使って、此処から脱するとしようか。
 好都合なことに、青年は押都を好いている。色仕掛けが、よく効くだろう。
 

 押都は青年に向き直って、青年の襟元に触れる。
 するりと指を這わせ、指先で撫で上げた。
 
「なあ、落葉……」

 押都が次の言葉を口にする前に、青年が震え出す。
 頬を火照らせた青年。
 青年の喉が小さくなる。何かを堪えるように、自らの唇を噛み締めていた。

 しかし、次の瞬間、姿が掻き消えた。

 辺りを見渡す。
 すぐ下に梟がいた。翼で、器用に顔を隠している。
 押都はその様子を見て、はあ、とため息をつく。

 これは駄目か。


ーーーー


 梟曰く、ここから帰るには飛んで行くしかないらしい。
 けれど、いざ押都を持ち上げようとすると、梟へ戻ってしまう。

 梟が、化生の姿に戻れなくなって、数日。

 さすがに押都は待てなくなった。
 ここは穏やか過ぎる。この霧のように、思考までも朧げになってゆく。


 押都は身支度を終えて、門を出る。
 青年はやはり追ってきた。掴んできた手を振り払う。

「何故、私に付きまとう」

 押都が、忍びになった時。
 タソガレドキの為に生き、そして死ぬ。この命の全てを使うと決めていた。
 けれど、青年はそこから押都を遠ざけようとする。

 青年は負けじと、押都の腕を掴む。

「貴方は私を助けて下さった。 だから、今度は私が、貴方の助けになりたい」

 押都は、ハッと息を吐き捨てる。

「私がお前を助けたのは、忍鳥として調教出来ると考えていたからだ」

 冷たい声で、青年を突き放した。
 青年は怯み、腕から手を離す。唇を噛み締め、静かに俯いてしまった。

 一呼吸おいて、青年は目を開く。

「私が忍鳥として役に立たないと分かったのに、それでも押都様は側に居させて下さった。 何故ですか」

 青年の静かな瞳に見つめられる。
 その瞳を、ほんの一瞬だけ見返す。それから、押都は目を逸らした。
 何も言えない押都は青年へ背を向けて、その場から立ち去ろうとする。

 その時、背中に衝撃が走った。

 青年は押都の背中に抱きついていた。青年は、顔を寄せる。
 ぎゅっと忍び装束を掴むいじらしさに、押都の足は地面に縫い付けられてしまう。

「押都様、貴方が好きです。 貴方の優しさに触れる度、私は…」

 口籠り、言葉尻が小さくなっていく。
 押都には、風で揺れる木々の騒めきが執拗に耳についた。


 青年に手を引かれ、押都は屋敷へと戻っていった。
 食事と湯浴みを終えて、床へ入る。

 枕元に梟が近寄る。
 押都の首元に、身体を滑り込ませた。なだめるように、それを撫でていると、押都の指をかぎ爪で握る。
 また押都が抜け出すことを恐れているようだ。

「落葉」

 押都が名を呼ぶと、そこに青年が居た。
 押都は、青年の手を取り、こちらへ引き寄せる。布団の端をめくり、隣へ入れてやる。 
 青年は押都へ身を寄せた。

 布団の上から呼吸に合わせて、軽く叩いてやる。次第に、その目が閉じていく。
 二人は寄り添いながら、その夜を明かした。


ーーーー


 押都は、途方に暮れていた。
 帰りたい。けれど帰れない。膝に乗せていた梟を撫でる。

 梟が化生の姿になれなくなった。
 ーーまるで、拒んでいるように。

 それでいて、押都が逃走すると飛んで追って来る。

 押都はゆっくりと手を動かしながら、ため息をつく。このまま、ここで暮らすのか。

 霧は一向に晴れない。


 押都は、湯呑を持ち上げて、冷めた茶を飲み干す。
 次を注ごうと急須を見ると、中身が空になっていた。茶を入れてこようと腰を浮かす。

 その瞬間、梟はすぐ青年の姿になって、押都から湯呑と急須を受け取る。

「今、入れ直してきますね」

 お待ちください、と言い残して、離れて行く。
 それを見て、押都はふと疑問に思う。
 
 梟は変幻を自在に操っているように見える。しかし、押都が触れるとそれが解かれてしまう。
 何か違いがあるのだろうか。

 青年が戻ったら話してみようか。
 そう思いながら、押都は目の前の庭へ視線を向けた。



「お待たせしました」

 青年が淹れたての茶を勧める。押都はその湯呑を受け取って、口を開く。

「そういえば。 なぜ白紙で顔を隠している?」
「押都様がそうしているからですが」

 押都は驚く。点と点がつながる感覚を憶えた。

「もしや、文を書いたのも私の真似か?」
「はい」

 はあ、と息を吐く。
 押都は静かに顔を上げて、本題へ入る。

「落葉。 お前は姿を梟や人へ変えるが、それはどうやっているのだ?」
「えっ」

 青年が頭を抱える。

 押都は、想定外の反応だと思った。
 てっきり、姿を変えようとして、変えているとばかり考えていたからだ。

 二人の間に、沈黙が落ちる。
 
 その中で、青年は何度も頷いてから、顔を上げた。咀嚼し終えたようだ。

「押都様に美味しいお茶を飲んでいただきたい、と思ったら人の姿に。 押都様に触れていただきたい、と思ったら梟の姿になっていました」
「なるほど。 ならば、化生の姿になった時はどう思っていた?」
「押都様の助けになりたいと強く思いました。 私に押都様を抱えられる腕があれば、押都様を運べる大きな翼があればいいのに、と思っていました」

 押都は、ふっと笑う。
 青年の方を向いて、顔の白紙を引っぺがす。

「ホ、ホォ~~!」
「ははは! 愛いやつだ。 私に撫でて欲しいとでも考えたのか?」

 押都は梟を持ち上げて、膝に乗せた。
 その流れのまま、小さな身体を揉んでやる。指が羽毛に沈んで、温い。そのまま、梟の翼の下や足の付け根をさすってやる。
 梟は気持ち良さそうに、目を閉じる。
 膝上で、梟が溶けた。


 押都は、ある答えに辿り着いた。
 望んだ姿になれる化生。
 その梟が、押都へ触れられて化生の姿を保てないのは、押都をここから帰したくない、と思っているからではないかと。

 化生が望む限り、一生、この屋敷に囚われ続ける。

 押都は、小さく微笑んだ。
 ーーなるほど。そういうことか。


ーーーー


 梟が鳴く。
 霧がかかり、月も見えぬ夜。

 押都は目を開き、闇の中へ、静かに問う。

「私に何を望む?」

 いつの間にか、部屋に青年が現れた。
 青年は押都を見ながら、答える。

「わたしの名前を呼んで」

 落葉、落葉。押都が化生を呼ぶ。

 名前を呼ぶ度、目前の青年の姿が歪む。風が吹き荒れる。
 徐々にその身体に羽が生えて、鋭く爪が伸び、二つの眼が黄色に光る。
 姿が変化して、化生へとなってゆく。

 化生は、押都を見る。

(つがい)なのだから、もっと深く触れ合いたい」



 押都は、青年に押し倒されていた。

 上から涙が落ちてきて、雑面の模様が滲む。
 青年は涙を堪えきれず、目を潤ませる。

「私達は、番ではないのですか」
「なぜ番だと思ったんだ」

 こぼれる涙を指で拭ってやりながら、訊ねた。
 頬を撫でられ、青年は微笑む。

「押都様の。 そんな優しいところも好きです」

 押都の手が止まる。
 青年は身体を起こして、佇まいを直す。


「私の声に言葉を返してくれました」

 押都は頭をわずかに傾ける。

「私が持ってきた魚を食べてくださいました」

 黙って、顎に手をやる。

「私の羽根を受け取ってくださいました」

 何度か頷く。

「私の恋文を読んで下さいました」


 頭を垂れて俯く。
 押都は長いため息を吐いて、顔を上げた。

「確かにしたなあ」

 押都は呆れたように返した。
 青年は、はらはらと泣き始める。

「お、お慕いしていると、お伝えしました」

 青年の背中を優しく撫でる。

「それなのに。 押都様は、私に触れてきて」
 
 青年のたどたどしい言葉を聞いていた。
 押都は大いに、青年に絆されている自覚があった。


 押都は、化生の顔を上げさせる。

「番でなくとも、どこまで満たされるか。 確かめてみるか?」

 押都が笑って、化生の手を取る。自らの襟の合わせに、その手を滑り込ませる。
 化生は、手を引く。

「押都様を傷つけたくはないのです」
「お前ごときで傷つくほど軟ではない」

 押都が、化生の身体に乗り上げる。

「私にとって、お前を殺すのは容易い。 その方が恐ろしくないのか?」
「大変、恐ろしい。 貴方を失ってしまうことが、とても怖い」

 またがる押都の身体を、そっと抱きしめる。
 化生は押都へ、額を擦りつける。

 狂ってしまうほど、愛してしまった。可哀そうな獣。
 押都は振り払わず、そのままにしてやった。


ーーーー


 押都は、立ち上がる。

 化生から向けられる、劣情を帯びた視線の中。自ら、帯を外す。
 するりと前をはだけさせ、そのまま着物を床へと落とす。
 身に付けているものを全て取り去った。


 鍛え抜かれた裸体を化生へ向ける。その身体には大小問わず傷が絶えない。


 押都は、自分の身体へ手を這わせる。
 化生が、その指先を目で追う。押都は嘲笑う。
 欲情した者は、隙だらけになる。それが人間だろうが。化生だろうが、同じ。

 指の背で、自らの乳首に触れる。つんと立った粒を、わずかに持ち上げる。

「触れたいか?」

 待てのできない駄犬を揶揄うように、見せつける。
 押都は、挑発的に化生を誘う。
 化生の喉がごくりと、生唾を飲んだ。

 化生が、押都に覆い被さった。
 その勢いのまま、押都は後ろへと身体を倒す。
 真白く柔らかい敷布団へ、身体が落ちていった。



 化生は、押都の唇を吸う。
 押都が少しだけ口を開けると、そこへ舌が入ってくる。

 口付けが深くなるほど、呼吸も合わなくなる。
 けれど、離れられない。それはどちらの意思だったか。
 口の中で混ざりあって、分からなくなった。
 

 胸元に、化生が口を寄せた。
 触れられた途端、わずかに押都の呼吸が乱れる。
 粒を吸って、口を離し、また吸い付く。満足するまで、両方に口付けを繰り返していた。

 押都は、化生の好きなように吸わせてやった。
 その間に、身体に引っかかったままの着物を脱がせてやる。


 化生の背中へゆっくりと腕を回し、翼の下へ手を差し込む。
 翼の生え際辺りを、かき混ぜるようにくすぐる。

 化生はふるりと身を震わせた。

 押都の顔のすぐ横に両手を付き、腕の中へ囲い込む。
 かぎ爪が布に食い込み、耳元で、布が引き裂かれる音が聞こえた。

 押都は構わず、化生へ手を伸ばす。
 邪魔になった白紙を取ってやる。

「落葉…」
「押都、さま…」

 押都が名前を呼ぶと、化生はそれに答える。

 露わになった青年の顔。そのまつ毛は、濡れていた。
 青年の頬をそっと撫でてやる。くすぐったそうに、目を細めた。
 その拍子に、涙がこぼれる。

 押都の指先が触れる度、青年の身体が小さく跳ねる。未熟な反応を隠しきれていない。
 
 押都は喉の奥で笑った。



 荒い呼吸を繰り返す。
 部屋に残ったのは、息の上がった青年だけ。

 汗ばんだ肌に、髪が張り付いて煩わしく感じる。
 それも暫くして収まった。

 青年のものは立ち直したようで、また固さを持ち始める。その熱が、腰に押し付けられる。若いなと、押都は鼻で笑って、それに手を伸ばした。


 お互いの身体に触れ合う。

 
 二人は、布団の上に倒れ伏す。

 色の忍務は慣れたはずなのに、と押都は思う。
 けれど、化生とまぐあうことは初めてであった。こんなものかと、独り言ちる。
 水と手拭いで身体を軽く拭いた後、押都も横になる。
 目を閉じた青年の横顔を見つめ続ける。静かに、眺めていた。

 押都は眠らず、夜が更けていくのをただ待っていた。



ーーーー


 同じ部屋で朝を迎えた。

 白む空。霧は絶えず、辺りを漂う。
 忍びの装束に身を包み、押都は屋敷の門をくぐった。

 青年は、心細そうに押都を見る。けれど、何も言わない。
 押都は振り向いて、声をかける。

「なぜ、そんなに悲しむ?」

 押都が笑うと、青年の瞳が揺れる。

「ここにいる限り、押都様は私だけのものだから」

 押都は黙る。

 忍びとして、情報を得るためには使える物は何でも使ってきた。
 己の声、知識、身体、媚び、色仕掛け、そして閨事ですら。


 風が吹き抜ける。


 押都は一歩、青年に近づいた。

「ここから戻ったら、私の屋敷に来い。 長屋の方ではなく」

 押都の唇が、青年の耳に触れる。それも構わず、口を動かした。

「その時は、今度こそ、お前を抱いてやろう。 “女”にしてやる。 抱かれたくなったらそこへ来い」

 青年の身体から力が抜けそうになる。押都は腕を掴み、それを妨げる。
 潤んだ瞳が、押都を見つめ返す。

「そこで待っていてくださいますか?」
「来たければ、来い」

 力の抜けた青年は、押都の胸へもたれかかる。

 それを抱き留めながら、押都は、胸に落ちた頭へ触れた。ゆっくりと撫でながら、指を滑らせる。
 そして、顎を掴んで、口を吸う。


 青年の瞳が、歪む。

 押都を抱えて、青年は翼を広げる。
 二人は空を飛んでいた。

 空までにも達する濃霧。視界の全てを包む霧の中を、青年は進んだ。
 押都が、瞼を再び開いた時、霧は消え去っていく。

 押都は辺りを見渡す。

 そこは見知った場所。タソガレドキにある忍里の近くであった。

 木々の開けた場所へ降り立つと、それから、押都を下ろす。
 ご自愛ください、と一言残して、青年は飛び去った。

 押都は、その後ろ姿が森の奥へ消えるのを見届ける。
 空を、見上げる。



 今は、黄昏時。
 カラスの鳴く声がする。夕日がかかり、忍里を赤く染めていた。
 とぼとぼと忍里の中を歩いていると、山本が現れた。

「押都! どこに行ってたんだ!」

 心配したんだぞ、と声を張り上げる山本。
 その声を聞いて、悟られぬようにそっと息を吐いた。

 二人の元へ、雑渡もやって来た。押都を見て、目を細める。

「ちゃんと休めた?」
「存外楽しめましたな。 だがしかし、組頭。 後で話がある」

 雑渡は押都の言葉を聞いて、安堵の表情を見せた。
 懐を漁って、文を見せてくる。

「押都のではない書き置きが残されていたから、驚いたんだよ」

 雑渡はこちらへ手渡す。
 押都は受け取って、目を通した。短く一言。


『一日休暇を頂きます』


 押都とは違うが、達筆な字がそこにあった。ふっと鼻で笑った後、懐へそれをしまう。

 二人から話を聞いて確かめたところ。
 消息を絶った日の夕方に、押都はタソガレドキに戻ってきたらしかった。

 霧がかる屋敷で過ごしたあの数日間が、綺麗に無くなっていた。
 押都は、自分の脇腹へ手を伸ばす。癒えたはずの傷口が、また開いていた。


「それにしても」

 雑渡は、押都の装束へ手を伸ばす。
 装束についた、綿毛のように柔らかく小さな羽毛を摘み上げる。

「無事に戻って来れて良かったよ」

 押都は、黙って腕を組み、仁王立ちする。
 とりあえず、組頭の顔を撫でくり回しておく。顔に巻かれた包帯が、緩んで飛び出す。

「ああぁ~~」

 雑渡は、無抵抗にされるがままになっていた。


ーーーー


 忍里にある、押都家の屋敷。
 書斎の一室に、明かりが灯り続けている。

 
 そこで押都は一人、筆を走らせていた。開けていた襖から、風が入る。
 押都は筆を止める。

「また、あそこへ連れて行ってくれないか?」


 書斎に入ってきた梟は嬉しそうに、尾羽を振った。
 押都の元へ近づいてきて、見上げてくる。

「ホォウ?」

 何か、勘違いしているようだ。
 押都は、文机の周りに積み重ねられた書類の束を見せる。

「あそこに居れば、事務作業を多く出来ると思ってな」

 梟は、ガクッと翼を落とした。

 押都は再び、筆を動かす。
 その後ろで、梟がひっくり返ったまま、床に落ちていた。

目合う

 押都は、あれ以降、意識的に休みを取るようになった。

 書類仕事を一通り区切りを付けて、長屋の自室から出る。
 忍里にある押都家の屋敷へ、足を進める。

 

 屋敷の引き扉を開くと、使用人が押都を出迎えた。

「旦那様、お帰りなさいませ」
「ああ、今帰った」

 気心知れた者達だった。押都自身が幼少の時から、この屋敷で働いている者もいた。

 屋敷の中は、静まり返っている。足音すら、ほとんど聞こえない。

 押都はすぐ湯浴みへ向かう。部屋へ戻ると、食事の支度がされていた。食事を終えて、膳を片付けにきた者を呼び止める。

「片付けが終わったら、今日はもう帰って構わない」
 
 その言葉を聞いて、ばあやが小さく笑う。

「ほっほっほ、坊ちゃん。 好いた者でも出来ましたか?」
「違う」

 また笑う。ばあやは、眉尻を下げて、遠くへ目をやった。

「懐かしい……。 坊ちゃんが生れる前、先代様もそのようなことを仰って……」

 ばあやが、押都を見る。
 彼女からしたら、おしめの取れたばかりの坊にでも見えているのだろうか。

 ばあやは、押都へ頭を下げる。他の者にも声をかけ、部屋から下がっていった。
 屋敷に、押都一人となる。


ーーーー


 書物から顔を上げる。もう寝るか。押都は、本を閉じて床へ入った。

 押都が眠っていると、布団の上に重さを感じる。
 寝苦しくて、目を開けた。何か布団の上に乗っている。
 
「ホーーォ」

 梟だ。瞼の開き切らない押都の顔をのぞき込んでいた。

「落葉……。 そこから降りなさい……」
「ホゥ?」
 
 梟は首を傾げる。
 押都の口髭を嘴で触った。押都は、布団を引き上げて、顔を隠す。

「やめなさい……」
 
 押都が、寝返りを打つ。布団が動いて、梟はそこから転がり落ちた。
 かぎ爪が当たる音が聞こえて、止まる。押都が目を開けた。

「押都様」

 押都の眼前に、人の気配がする。
 それは、すぐ隣にあった。

 押都の隣に、青年は寝そべっていた。
 
「おい。 今、眠っているだろう……」

 目を閉じて、反対側へ寝返りを打つ。

 再度、頭に触れる感触。布団から顔を出して、そちらを見た。
 ため息が出る。

 そこにも青年が横たわっていた。

「……何用だ?」
「押都様。 何か、お忘れではないですか?」
「何だ。 言わんと分からんぞ」

 押都が、布団から腕を出して、目元を擦る。
 青年は頬杖をついて、その様子を見ていた。


 青年は、内密の話をするように、耳元で話す。

「私を。 抱いて下さる、と……」

 言い終えてから、青年は手で顔を隠した。睡眠を邪魔されたからなのか。少し苛立つ。

「分かった。 ほら」

 青年の首元へ触れる。指先で撫で上げて、顎下を擦ってやる。
 青年は、身体をびくっと跳ねさせた。

「ホーー!」
「これで、どうしろと言うのだ……」

 押都は再び、布団へと潜った。その上を、梟が跳ねる。
 騒がしい夜。押都は、そのまま眠りにつく。


ーーーー


 次の日、屋敷に帰ると、部屋に青年が座っていた。
 押都は、雑面がひっくり返るほど、驚いた。

「ばあや! こ、この者は……?」
「はい。 鷹匠の者かと」
「どうして、ここに?」

 ばあやが説明する。
 
「この屋敷に忍び込んできた梟を捕まえました所、この者が現れたのです」
「……!」
「きっと。 逃げた梟を取りに来た、鷹匠の者だと思いまして」

 ばあやが、意地悪く微笑む。
 長年、忍里に住んでいる人だ。
 この忍里で見知らぬ者が、立ち歩いているはずがないと分かっていて。

「ばあや、この者は」

 押都は思わず、口ごもる。

「私が願うは、主様の幸福のみ。 どうぞ、後悔無きよう……」

 ばあやは、そう言うと、静かに部屋を出た。
 青年は、手をついて、頭を下げる。

「申し訳ございません」
「仕方ない。 私ですら、ばあやに隠し事は出来ん」
「押都様のことをお慕いしていると、白状してしまいました……」

 押都は、口から悲鳴が出てくるのを堪える。忍びだからこそ、耐えられた。
 震える拳を、ゆっくりと下ろす。

「ほ、他には何を話した」
「あとは……昨夜のこと、とか?」
「何をしている!」
 
 押都は堪えきれず、大きな声を出してしまう。

「ごめんなさい。 押都様を困らせるつもりはありませんでした」

 ただ、と青年が続ける。

「押都様を好きな者同士、話が弾んでしまって……」

 押都は絶句した。

 青年は、放心している押都の手を引く。
 部屋に入ると、膳が二人分、用意されていた。
 さも当然とでも言うように、膳へ手をつける。箸が進む音。
 青年は首を傾げる。

「押都様? 食べないのですか?」

 押都は、やっと箸を取る。何を食べているのか、分からなかった。


ーーーー

 
 青年が、押都の書斎に現れる。
 顔を向けることなく、押都は筆を動かす。

「今夜、貴方の部屋へ行きます」

 文机に向かう押都の横。青年が身を寄せていた。
 押都は、一度動きを止めて、隣を見る。そして、また筆を走らせる。

「どうせ、梟になって終わりだ」
「……無いとは、言い切れません」
 
 押都は筆を下ろさず、答えた。

「次、軽率な事を言ってみろ。 梟の姿でも犯すぞ」
「まさか」

 青年は口元を押さえて、押都を見る。そして、下を見る。

 首根っこを掴んで、廊下へ放った。
 襖を閉じて、振り向く。

 部屋の中に、青年が座っていた。少し、足を崩している。

「小さくて愛らしい私に、そんなご無体を強いるなんて。 飢えているのですか?」

 押都は、青年を見ていた。
 抱いて欲しいというのに、触れると消える。
 煩わしい。つい舌打ちをする。

「いちいち、こちらの邪魔をするな」
「……分かりました」

 青年は、静かに相槌を返す。


 それ以降、離れて押都を見るようになった。
 押都が筆を置いて、振り返る。

 今日も、青年は部屋の隅で座していた。
 押都の顔を見て、身体が少し動く。顔を上げて、こちらを見つめ返す。

 その姿が、一瞬霞む。

「ホー」

 梟がそこにいた。


ーーーー


 化生は、押都から一歩引くようになった。

 部屋を見渡すと、青年の姿がある。
 押都の側にいた。
 けれど、以前のように干渉しない。

 押都の隣までやってきて、触れるか触れないかの距離に来ない。
 押都様。そう囁く声も聞かなくなった。

 ただ押都を見ていた。


「落葉」
「ホー!」

 梟は、押都の声に反応して、飛んでくる。
 足元に落ちて身体を起こすと、小さな足取りでこちらに近づく。
 押都の履物に、飛び乗った。

 押都は、その身体を持ち上げる。
 腕に抱えて、ゆっくりと撫でてやる。

「ホーォ……」

 気持ち良さそうに、目を細める梟。
 押都はそれを眺めて、手を動かし続けた。


ーーーー


 もう最近は、青年の姿を見ることが減っていた。

 化生からの付き纏いが無くなり、忍務が滞りなく進む。
 夜。眠っている時に起こされることもない。
 普段の日常へと戻っていく。


 押都は目を開いて、隣を見た。
 枕元で、梟は眠っていた。居なくなった訳ではない。


 押都は、上半身を起こして、部屋を見渡す。

 落葉。

 声には出さずに、名前を呼ぶ。
 押都に構ってくる、あの姿を探していた。

 けれど、どこか頭の片隅で、心得ていた。
 もう居ない。

 布団を掴む手に、視線を落とす。

 底が抜けて、冷風が通り過ぎる。
 そんな虚しさを覚える。


 梟は、押都へ文も花も渡さなくなった。
 押都も返事を書く手間がなくなる。


 羽を撫でつけた。腕の中の梟は大人しい。

「どうした? 具合でも悪いのか?」

 押都が尋ねる。
 梟は、こちらを見上げて、嘴をうずめた。くうくうと鳴いて、甘えてくる。

「落葉?」

 押都はまた尋ねる。

 部屋を見渡すが、青年は現れない。

 もしや、姿を見せることが難しくなっているのか?
 そんな考えが浮かぶ。
 もどかしさに、身体が揺れた。


ーーーー


 欠けた月が浮かぶ夜。
 押都の部屋に、青年が現れた。

 押都は、青年の方へ顔を向ける。静かに尋ねた。

「どうかしたのか?」

 青年は、ゆっくりと頭を上げる。

「いえ、何も。 ただ、頭がぼんやりとしてしまって」


 押都が、手を伸ばす。
 触れる。その前に、青年が一歩下がった。

「今日は、まだ。 押都様と一緒に居たいです」

 押都の頭が真っ白になる。

 触れたら消える。消えてしまうのに。
 このまま、会えなくなってしまうのか。 

 気が動転してしまい、冷静さを欠く。
 手を伸ばし、その腕を取った。

 青年の狩衣を掴んだ。その時、正面から突風が吹きつける。
 閉じた目を開く。
 梟が、飛び去っていった。


 どうして触れた?

 このまま放っておけばいいはずだ。化生から付き纏われずに済む。
 それなのに、触れてしまった。
 消えると分かっているのに。

 身体が勝手に、動いていた。

「いや……違う」

 押都は、自らの拳を開き、その中を見た。

 突然現れて、こちらを乱すばかりの化生。
 困らせてばかりで、厄介なことの方が多い。それなのに。
 
 今度こそ、消える。

 いつからこの気持ちが芽生えていたのか。

 消えるな。消えないでくれ。


ーーーー


 梟は、屋敷へ訪れなくなった。
 
 忍長屋の押都の部屋。
 ふと、庭の方へ目をやる。
 
 庭木の上に、梟がいた。

「落葉。 おいで」
「ホー」

 押都が腕を差し出す。そこに飛んできて、腕に留まる。

「着地が上手くなったな」

 梟へ話しかける。

「落葉?」

 梟は、不思議そうに押都を見ていた。

 呼べば来る。撫でることもできる。
 押都が手を止めて、その瞳を覗き込む。
 梟は、瞬きを繰り返していた。

 ただの梟。それと同じに見えた。


ーーーー


 ある日の夜。

 珍しく、屋敷に青年が現れた。
 押都の部屋の外。その縁側に、青年は腰を下ろしていた。

 何も言わず。
 上の空で、庭先をただ眺めている。

 押都は、静かに青年に近づいた。
 これが最後だと、理解してしまった。

「落葉……!」

 引き止めようと、手を伸ばす。

 指先が触れる。


 また風が生じて、雑面がひらめいた。

 逃げ出す梟を目で捉える。そして、素早く掴む。
 その腕に捕らえた。
 翼を羽ばたかせて、もがく梟。

「待て。 行くな」

 梟の動きが止まる。そして、首がぐるんと動く。
 押都を見る。

 腕から梟が消えた。
 押都は顔を上げて、前を見る。

 青年が立っていた。

「あれ? 押都様、何をしているのですか」

 首を傾げる。


 押都は慌てて、手をつく。這いずるように、近寄った。

 青年の前まで来て、身をかがめる。
 青年へ触れぬように、顔を寄せる。横顔を肩へと埋めた。

 息を吸って、吐く。

「逃げるなよ」

 押都の声は、静かだった。 

「落葉……」

 触れる度、梟へ戻ってしまう。それなのに、押都の前から消えない。
 押都が寂しそうに、名前を呼んだ。


 青年は、息を飲む。
 押都へ手を伸ばして、雑面の端を掴み、僅かにずらす。
 その中を見た。こちらを見てくる、押都の瞳。

 二人の目が合う。

 青年の身体は、歓喜で震えていた。


ーーーー


 廊下をゆっくりと歩く音が聞こえる。
 待ち人、来たり。


 襖を開いて、青年を部屋に招き入れる。
 後ろ手で、襖をしっかりと閉めた。

 押都は、青年の前に立つ。ただそこに、立ち尽くす。

「落葉……」

 気が付いたら、呼んでいた。
 己の口から出た声なのか。そう思ってしまうほど。声には、哀願が滲んでいた。


 触れれば、消える。
 その姿を何度も、この目で見てきた。
 だから、もう触れないと心に決めていたのに。

 青年は、押都の前に居る。
 けれど、もう既に、押都の手の届かない所へ行ってしまった。

 このまま何もせずに居れば、いずれ消えてしまう。

 ーーそれで、良いはずだ。

 忍として、正しい。化生などと、関わらぬ方がいい。

 それなのに。
 何故だ。

 ぴくりと指が動く。

 触れれば、終わる。
 触れずとも、いつか終わる。
 分かっている。分かっているのに。

 ーー逃がすものか。

 押都は、腕を上げて、前へ伸ばす。

 青年に触れる直前。
 その手は空を掴み、ゆっくりと下りていく。


「押都様」

 青年が一歩近づく。
 その手を取って、自らの頬に触れさせた。

「深くまで、貴方を刻み込んで下さい。 もう、忘れたくない……」

 押都の胸元に、額を擦り付ける。背中に腕を回して、強く握りしめた。

「押都様、押都様……」

 死を恐れるように、押都へ縋った。
 

 押都も青年へゆっくりと腕を回す。そして、その身体を腕の中へ閉じ込める。
 青年の頭に、そっと頬を寄せた。

 怯える背中を、丁寧に撫でてやる。
 この腕の中でしか生きられない存在。泣き腫らすその姿さえ、愛らしく思えた。


 しばらく慰めていると、青年が顔を上げた。
 赤くなった目元を細めて、こちらを見る。

 押都様、と小声で呟く。
 内緒話を聞くように、押都は耳を寄せた。

「口付けても、いいですか……?」

 ふっと息を吐いて、ひとつ頷く。押都は見つめ返す。
 青年は、押都の頬に手を添えて、雑面の隙間から、そこへ口付けた。

 唇が重なる。
 押都も、それに答える。
 
 
 押都には、分かっていた。
 この関係が深まるほど、青年を壊していくことになることを。
 
 この梟は、押都と関わるにつれて、化生へと近づいていく。ここから離れることが出来れば、きっと元の梟に戻れるのだろう。

 けれど、手放す気はない。それすら、もう許せない。

 引き返せない所まで、来てしまった。
 堕ちる所まで、共に堕ちよう。
 

 静かに始まった、触れ合い。
 唇を押さえつけるだけの拙さでは、足りない。
 口付けは、さらに深くなる。
 高められた吐息が行き場を失って、乱れて、絡みつく。

 離さなければ。
 頭の片隅で、そう思うのに。
 抱き留める腕は、その背中を引き寄せて、離さない。

 どうせ、消えるのならば。
 それすら出来なくしてしまえばいい。

 何処かへ行こうなどと思えぬように、離れることなど考えられなくしてやる。


 昂りが増していく。途切れた合間に、唇を肌の上へ走らせた。
 押都が、青年の耳元へ囁く。

「二度と私の事を忘れられないほど。 お前を抱いてやる」

 執着の滲む、雄の声。
 押都は横目で、様子を伺った。

 俯く青年の横顔。
 その耳は段々と赤みを増して、青年は口を結ぶ。そして、押都の肩へ項垂れた。

 押都は、声を漏らさないように、嗤う。
 ーー逃げないな。
 青年はこちら側に。押都の手中へと落ちた。


ーーーー


 部屋に、肌のぶつかり合う音が響く。

 押都は、無垢な身体に何度も刻み込んだ。その度、まだ幼さの残る喘ぎ声が上がる。
 もはや、拒む様子は見られなかった。
 
 
 お互いの指と指を絡め合う。隙間がないほど、ぴたりと重ねる。
 逃げられないように、ここへ繋ぎ止めた。
 
 けれど、まだ足りない。

 この身体さえも煩わしく感じる。どれだけ重ねても、まだ辿り着かない。

 戻れなくなる。

「はっ……」

 慣れていない青年には、辛いだろう。
 けれど、押都の全てを、その身で感じて欲しい。

 息が乱れて、力が抜けていく。意識がそこへと向かう。それでも、青年は押都へ縋った。


 こちらへやって来る快楽に、身を捩る青年。
 頭を振って、それから逃げようとする。しかし、絡めた指は離れない。
 それすら、愛おしい。

 目の前に晒される首筋に、口付けを落として。
 顎の下を吸う。
 瞳を閉じて、震えながら耐えている青年。


 押都から逸らす横顔、その耳元に口を近づける。

「落葉……」

 祈るように、その名前を呼ぶ。

 潤んだ目元が開いて、押都から背けていた顔がこちらへ向けられる。
 指先に力が入って、青年が握り返してきた。

「押都さまぁ」

 身体が、ひきつく。
 見つめ合いながら、押都はそこに押し当て、再び、深く沈めた。


ーーーー


 その夜以降、押都が屋敷へ戻った日は、二人きりで過ごした。


 押都が腰に手を添えると、青年の瞳に肉欲が浮かぶ。
 指先で緩く、腰を撫でてやる。

「押都様が、欲しいです……」

 押都の肩に、青年の頭が落ちてくる。
 目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
 
 それを見て、押都は身体を離した。

「今日は、もう寝るか」
「押都様……?」
「昨夜は、よく眠れなかっただろう? 今日は止めだ」

 青年は、顔を上げる。

「そんな! 私は大丈夫です。 押都様と共寝出来るのなら、何日だって構いません」

 側から離れず、押都の手を取って引き留める。

 慌てる青年へ、手を添えた。
 なだめるように髪を手で梳いて、耳にかけてやる。

「もしかして、私の身体に飽きてしまわれたのですか?」

 青年の突拍子のない言葉に、思わず肩を震わせる。
 可笑しなことを言うものだ。

「ほら、来なさい」

 押都は、青年を部屋に連れて行く。用意された床へ、共に入る。
 布団の中で動く青年の身体を抱き留めた。

 押都の腕の中。青年は安心したように眠りにつく。
 体温の高くなった片割れに、顔を寄せる。

 押都も共に眠りについた。


ーーーー


 町を出て、人気のない道を歩く。潜入先で、戦の動向を探っていた。

 籠を掴んで、また背負い直す。笠を下げて、顔を隠した。
 押都は今、旅商人の姿をしている。


 視界の端に、影が通る。
 笠を上げると、そこには梟がいた。

 梟は小さな足で、せわしなく近づいて来る。
 押都を見上げて、翼をばたつかせた。旅装束の端に、嘴で噛み付く。

「ホーーォ!」
「何だ?」

 押都がくすりと笑う。
 道の脇に籠を置いて、手早く変装を解いた。

 梟を持ち上げる。けれど、機嫌は直らない。

 腕の中で、顔を背けている梟。
 ふう、と息を吐く。
 梟の後頭部から視線を上げて、道を進む。


ーーーー


 留守番をさせていたからなのか。 
 忍里へ戻っても、梟の機嫌は悪いままだった。
 

 梟を置いて、ひとり書斎へと向かう。

 押都は早速、集めた印を紙に書き起こしていく。文机に向かって、作業していると。

 背中にとん、と重みが触れた。
 振り返らずとも、誰だか分かる。
 押都は、口を開く。

「どうした。 まだ怒っているのだろう?」

 背後の気配が動く。
 背中に額をぐりぐりと押し付けて、さらにくっついてきた。

「押都様。 おかえりなさい……」
 
 呟きが、背中越しに落ちる。

 押都は一度、手を止める。墨が、滲んでしまう前に。
 観念して、筆を置いた。
 静かに、振り返る。

 いざ向かい合うと、青年は視線を逸らし、俯いてしまう。
 押都はその身体に腕を回して、青年の肩を抱き寄せた。

「寂しかったか?」
「……ちょっとだけ」
「ふっ。 そうか」

 青年の手の甲に、手を重ねる。指を這わせて、袖口から肌を撫でる。
 押都は床の方へ、青年を連れていった。


ーーーー


 身体を温め合った後。
 何も身に纏わず、二人は床に並んでいた。


 押都の広げた腕を枕にして、寄り添っていた。
 不安がる青年の頭を撫でる。
 瞼が次第に、閉じてゆく。
 うっとりと目を細めて、胸板へ頬を寄せた。

 撫でる手を止めて、後ろ頭に腕を回す。
 押都が何気なく、口にする。

「子供でもいればなあ」

 顔を上げる青年。きょとりと、目を見開いた。
 押都は訂正する。

「いや。 お前は梟だから、卵か」

 その言葉に、青年は起き上がる。押都の胸板に手をついて、覗き込んだ。

「押都様は、卵が欲しいのですか?」
「うん? まあ、そういうことになるか」

 押都は、青年へ手を伸ばす。


 それがあれば。
 そんな顔を、見ずに済むのではないか。

 押都から逃れられないように、引き留める楔が、繋ぎ止める鎖が欲しい。
 退路をひとつずつ塞いで、引き返せぬ奥深くまで、追い込んで。
 見えない鎖で、捕らえていたい。


 頬に触れて、親指で撫でる。
 青年は目を細め、手にすり寄ってきた。


 何気ない夜。その後、二人は言葉を交わさなかった。
 何度も触れ合ったはずなのに、嚙み合わないまま、夜が更けていく。


ーーーー


 押都は夢を見る。

 夢だと判ったのは、ここが押都の屋敷ではなく、青年と過ごしたあの部屋だったこと。
 そして、目の前に、化生が居たこと。

 押都は、化生を見る。

「落葉」
「押都様」

 押都と青年は、互いの名前を呼び合う。

 どちらかが、くすくすと笑い始める。誘われるように、もう片方も笑う。顔が近づいてきて、唇が見えた。そして、重なる。
 押都は喉に流れ込んでくる、こそばゆさを飲み込んだ。


「押都様。 美しいです……」
 
 青年は、押都の首元へ、顔をうずめる。皮膚の薄い柔肌をなぞり、下へ下へと降りて行く。
 押都の身体を、時間をかけて、暴いていく。
 化生に求められるがまま、抱かれていた。

「ここを、私だけで満たして……」

 押都の腹部へ、指を走らせる。
 ずしりと重さを増す。
 
 身体はまだ眠っているように、動かない。押都の思考だけが、その中に取り残されていた。


 下から突き上げられ、揺さぶられる。頭の中は、高揚感と浮遊感に包まれた。
 押し広げられる痛みはなく、快楽だけが支配する。

「このまま、ずっと一緒に居たい……」

 奥の一点が、脈打つ。
 どくどくと流れる音が、押都の全身からつま先まで響く。

 杭を引き抜かれ、床の上に倒れ込む。
 脱力した押都へ、青年が寄り添う。

 腹の底が疼く。奥に放たれた、白く濁った劣情が零れる。
 肌を滑り、流れ落ちてゆく。

 すると、背中側から腕が回る。身体がぴたりと重なり、うなじに息がかかる。それから、口付けが落ちた。

 押都が身じろぐ。


 その時、違和感を覚えた。

「うっ……」
「押都様? どこか痛むのですか」

 押都は自分の下腹部を押さえる。腹に、圧迫感を感じた。冷や汗が浮かぶ。


 腹の奥。何かが、そこにある。
 自分の物ではない、身に覚えのない重さだった。


 内側が押し広げられていた。呼吸をする度、鈍痛が迫りくる。
 動きを止めて、息を短く繰り返す。

 青年は腕を回して、慎重に押都を抱き起すと、その胸へ、もたれかけさせた。
 押都の身体を支える。

「押都様、押都様……」

 何度も声を掛ける。
 頬に手を添え、押都の様子を伺う。

 痛みが、下へと動き出す。
 身に覚えのない苦痛から逃れようと、身を捩った。腹部に力が入る。
 青年の腕を掴んで、床を蹴った。

 滑りの良くなった場所から、何かが転がり出る。
 それに合わせて、圧迫感が無くなった。


 止めていた息を吸う。呼吸が戻り始めて、力の入れ方も分からず、震える身体。
 押都は、恐る恐る下腹部へ腕を伸ばす。

 手で触れる。

「こ、これは……?」

 つるつると、指が滑る。体液で湿った異物。
 卵だった。

 己の身体から出てきたもの。押都はそれを手に取って、確かめる。
 理解が追いつかない。
 分からない。けれど、それから目が離せなかった。


「押都様」

 背後から声がかかる。
 
 押都の手のひらを、さらに両手で包み込んだ。
 重ねられた手と手。その中に、ひとつの卵。

 押都は、横を見る。
 卵を愛おしそうに見つめる青年。幸福そうに目を細めていた。

 青年は、腕に力を入れて、押都を抱き締めた。
 そして、慈しむように、苦労を労うように、何度も優しく口付ける。
 額や目元、鼻先に触れて、唇が合わさる。
 ついばむだけの口吸い。


 霧がかかった思考の中。
 考える前に、身体が頷いていた。

「これで、お前は、俺の……」

 いつの間にか、力が抜けて、震えが無くなっていく。
 意識の向こう側へ、瞼が落ちていった。


ーーーー


「はっ」

 布団から、飛び起きる。押都の寝巻きは、冷や汗で濡れていた。

 自身の口元に、触れる。
 あの時感じた、唇の感触。そして、腹への鈍痛。
 夢だった。
 そう言い切るには、感触がまだ、そこに残っていた。

 押都は顔を上げて、部屋を見渡す。
 ここは、あの屋敷ではない。長屋の自室だ。

 夢だったのかと、胸を撫で下ろす。


 押都は、床から身体を起こす。手早く、朝支度をする。
 布団を片付けようと、畳み始めた。
 すると、何かが枕元から転がり出る。

 それは夢で見た、あの卵。
 自分の中から出てきた、あの。

 全身が、硬直する。
 脳裏に、忘れかけていた光景が蘇る。腹の奥が、じわりと熱を持つ。



 ぶんぶんと頭を振って、雑念を振り払う。
 寝ぼけた思考を、動かした。

 文机の上にある、箱を見る。そこに、卵を置いていたのだ。
 黒鷲隊が所有している忍鳥が産んだ、時期外れの卵。
 しかも、番もいない。
 親鳥は早々に、抱卵を諦めてしまった。

 雛が孵る可能性は低いだろう。しかし、その判断は、確証を取ってからにしようと、押都が部屋に持ってきたのだ。

 何日か温めて、卵を光に透かせばいい。


 押都が卵に触れようと、手を伸ばす。
 その時、一瞬、手が止まる。
 
 卵の殻が、少し湿っているように見えた。
 まさか。まさかな。そんなはずは。
 布を取ってきて、卵を包む。慎重に持ち上げた。

 箱に入れていたはずなのに、どうして外に出て来たのか。
 押都が、箱の中へ戻そうとする。
 しかし、立ち止まる。

 もしかしたら、このまま処分した方が、いいのかも知れない。
 そうした方が、堅実か。
 得体の知れないものが、押都の元へ近づいてくる。

 何かが、崩れる。

 顔を上げた。
 卵を持つ腕を引き寄せる。大切に、壊さぬように、抱え込む。
 手放すことなど、押都には、もう出来なかった。


 開けていた小窓から、梟が飛んでくる。

「ホー」
「落葉か。 お早う」

 床に跳ねて、押都を見上げる。
 それから翼をばたつかせて、背中を登り始めた。

 押都の肩に留まると、その手元を覗き込む。

「ホ、ホーー!!!」

 梟が、騒ぎ出す。
 慌てた梟が、足を踏み外して床へ落ちた。
 押都と卵を交互に見比べて、短く鳴き声を繰り返していた。

「落ち着け」
「ホゥ! ホォ!」

 梟をなだめようと、押都が腕を伸ばす。
 梟は腕から逃げ回り、その場で足踏みを始める。かぎ爪と床板が当たって、かちゃかちゃと音がした。そわそわと、押都を見上げる。



 押都は、卵が包まれた布を、ゆっくりと床へ置いた。

 すると、梟は布の方へ近づく。卵の上に乗って、座り込んだ。
 足の間に卵を抱えて、羽根の下へ入れる。
 卵を温め始めた。この卵。使えるな。

 梟の頭を撫でてやる。

「ホー」

 細めた目を開き、押都を見上げる。梟の瞳に、力強さが宿った。

 押都は、息を吐く。
 卵を温める役が一羽増えたとしても、問題ないだろう。


 文机の箱を見て、入っている卵を確認する。

「数が合わない……?」

 押都は顔を上げる。頭を振ってから、また箱に戻す。


ーーーー


 部屋で事務作業をこなしていた時、雑渡がやってきた。
 懐で温めている卵を見る。 

「この卵、あの子が産んだの?」
「あれは雄です」
「それなら、押都が産んだ? そんなに大切そうに温めているなんて、珍しいよね」

 雑渡の目が、いたずらに歪む。口当ての下。くぐもった笑い声が漏れる。

 押都は眉を釣り上げた。
 腕を振り上げて、雑渡を部屋から追い払う。

 

「押都様! 何か、音がします」

 青年が、押都の隣に座る。
 押都は、懐のものを取り出した。布を広げて、卵を見る。

 卵に、亀裂が入る。

 思わず、息を止めた。
 コツコツと、小さな音がする。耳をすませると、ほんの僅かに、雛の声が聞こえた。



 懐の中で、小さな梟の雛をあやす。
 雛が動く度、懐に手を添えて、身体を揺すった。

 懐から、雛を取り出す。
 開き切らない目で、押都を見ていた。指先で、そっと触れる。
 柔らかく、温かい。

 雛に触れたまま、指を離すことが出来ない。

 あの卵が、孵化する可能性はほとんど無かった。
 卵を産んだ忍鳥は、外に出しておらず。それに、仕切りの中に一匹だけにしていた。
 その筈だが、雛は孵った。

 押都は、小さな命を見下ろす。
 これは何だ?
 あいつのものか。それとも、自分のものなのか。

 思考がぐるぐると回る。
 辿り着かない方がいい所へと、近づいている予感がした。
 そう思うが、止められない。
 

「ホーー」

 梟が戻ってきた。
 口には野鼠が咥えられている。

 押都に歩み寄る。落とさないように、それを差し出す。
 甲斐性のある梟だ。

 押都はそれを、細かく切り分け、食べ盛りの雛へひとつずつ与える。


 気が付けば、片手で持ち上げていた身体が、両手にも収まらなくなった。
 ふわふわの羽根が抜けて、羽が揃っていく。

 その雛は、化生とは違う梟へと成長した。
 あいつと比べて、小さく、愛らしい。
 どうやら本当に、忍鳥が産んだ卵のようだった。


 そんな些細なことは、気にも留めず。
 二人で、世話を続けた。


ーーーー


 押都の屋敷。
 布団の中から、青年を見ていた。

 行燈の灯りが、揺れる。
 その側に、青年が座っていた。明かりを頼りに、手元の布と針に集中していた。

「何をしている」
「押都様を作っています」

 手元には、枠に張った布があり、それに針を何度も通していた。
 どうやら、刺繍を縫っているらしい。

 近くには、雑渡ギニョールが置いてある。
 以前、青年がそれをじっと見ていたことがあった。それで、押都が買い与えた。

 どうやら、それを使って押都を作るという。


 押都だけ、ひとり寂しく床に横たわっている。

 つまらない。
 押都がいるのに。布の人形にばかり構っているのが、面白くなかった。
 そんなものではなく。こちらへ来させてやろう。


 押都は床から抜け出すと、青年の側に座る。

 青年が針を置いて、動きが止まった瞬間。
 するりと青年を捕まえる。

「押都様?」
「続きは明日、やればいい」
「先に眠っていただいて、構いません」

 首を振って、また手元を見た。
 青年が、刺繍に触れる。
 
「今、私だけの長烈様を作っているのです」
「……」
「嫌です。 まだ、眠りたくありません」

 顎を掴んで、こちらへ向かせた。
 口を吸う。

「もう夜も遅い。 眠るぞ」
「……はい」

 青年は、小さく息を漏らす。針と布をしまって、押都の元へ来た。

 二人は、同じ床へ入る。

 布団の中、押都がその身体へ触れる。
 寝巻の合わせから手を差し込んで、優しく胸を揉んだ。
 
 青年が、声を漏らす。
 その声を聞いても、手は離れない。

 指先でゆっくりと、縁をなぞり始めた。


ーーーー


「坊ちゃん、坊ちゃん……」
「……ばあや」
「お早う御座います。 お待ちしておりましたが、お姿が見えなかったもので……」
「あ、ああ。 すぐ支度をする」
 
 押都は、即座に床から這い出した。身支度を整えて、朝餉を食べに行く。
 部屋の外で、ばあやは微笑んでいた。

「ほうら、言ったでしょう?」
「……ん」

 押都様……と、部屋の中から声がした。青年が遅れて、目覚めたらしい。

「落葉ちゃん。 お早う御座います」
「おはようございます……。 ばあや様」
「今日の朝餉は、好物のささみをご用意致しましたよ。 さあ、いらっしゃい」
「本当ですか! 嬉しい。 ばあや様、大好きです」

 部屋の中で、布の擦れる音がして、すぐ襖が開く。
 髪先が、少し乱れている。まだ瞼が上がりきっていない顔で、嬉しそうに二人を見ていた。

ご紹介

 座布団を、雑渡の目の前に置く。

「押都。 これは何?」
「今から紹介したい者がおります」

 雑渡はニヤつきながら、押都を揶揄う。

「恋人とか?」

 押都はため息を吐いて、肩を竦ませる。

「あっ、これ本当のやつ?」
「違います」

 
 満月の綺麗な夜。

 組頭である、雑渡家の屋敷の一室。
 そこに雑渡と山本、押都の三人。密かに予定を開けて、この場に集った。
 押都直々の呼び出しだった。

 押都が指笛を吹く。開いた窓から梟が飛んでくる。

「あ、落葉」
「ホー」

 梟は床を歩いて、座布団の上にちょこんと座った。我が物顔で鎮座している。
 雑渡は梟を手招きする。

「そこに座っては駄目だよ」

 梟の動かない様子に、山本が仕方なしと腰を上げる。梟を退かすためだ。
 その時、押都は二人を手で制す。
 ぴんと糸の張ったような気配を察する。何が起こるのか。

 全ての音が、止まる。

 耳の奥に、早まった鼓動が響く。目を離したつもりはなかった。けれど、そこに先程は無かった気配が生じる。
 雑渡と山本は、目を見張ってそれを見る。座布団に、梟はもう居なかった。

 そこに座っていたのは、青年であった。
 尊奈門と同い年くらいだろうか。静かな瞳で二人を見ていた。

 押都は青年へ視線を送り、先を促す。
 青年は二人に静かに頭を下げ、そして向き直った。雑渡と山本は開いた口が塞がらない。

「初めまして。 私は、押都様に助けていただいた梟です。 今は落葉という名で呼ばれています」



 雑渡が、青年を見る。

「ちなみに、どうしてこんな事になったの? 初めから化生では無かったんでしょ」
「分かりませぬ。 何も分からないのです」
「ふーん。 それだけしか、言えないんだ」

 青年の握る拳に力が入り、震える。
 不安や恐れではなく、自身の身に降りかかった、不条理への憤りに見えた。

「森で生きていたこと、それは覚えております。 しかし、他の事は曖昧で、思い出せません」

 青年は、雑渡と山本を見た。
 瞳の奥に籠っていた感情が映る。潤んだ眼差しに、見つめられ。
 たどたどしい口調で、口火が切られた。

「押都様に出会って、救ってもらって。 お側に居られるだけで、幸せだった。 ずっと側に居たかった。 それなのに、それだけなのに」
「……何があったんだ?」

 山本が、優しい声色で訊ねる。

「お、押都様は、私を小屋へ閉じ込めた。 そこに捨て置いていかれた後、私は何度も押都様を呼びました」
「……」
「小屋から出ることも出来ず。 その中で、私は押都様を想って、泣いていました」

 青年の目が濁る。
 瞳の奥は澱んで歪み、光はなく、全てを閉ざしていた。

 山本は、身震いする。目の前にいる青年の気配が、変わったことに気が付いたからだ。
 化生と対峙している事実を、強く意識した。

 雑渡は静かに、けれど目を逸らすことなく、見つめ続ける。

「私は知っていた。分かっているつもりだった……。 私は獣で、押都様とは違う。 相容れぬ存在だと分かっていたのに……」

 窓へ目を向ける。部屋に差し込む月光。

「小屋の窓の間から、光が見えました。 私はそれに縋った。 あの美しい月に願ったのです」

 青年は押都へ、身体を向けた。

「もう一度、貴方に会いたい、と。 ただ、それだけを」

 押都の雑面が、かすかに揺らぐ。雑面の下で、小さく息を飲む音。
 何も言わず、青年から顔を逸らした。



 青年の言い分を一通り聞き終えて、雑渡は腕を組んだ。
 これは人の手で扱いきれる代物ではない。それは確実だ。
 では、こちらを害してくるものなのか。

 殺すべきか、否か。

「うーん。 困ったね」

 指で軽く、腕を叩いていた。雑渡が考え込んでいると、押都が前に出てくる。

「組頭」
「うん」
「こいつを、忍里に置きたいと、考えております」
「……」
「押都、それは……」

 山本が、思わず声を零す。
 忍里には、我ら忍軍の家族が暮らしている。そこに、害があるかもしれぬ存在を置くのは、どうしても受け入れ難い。

 押都の懇願を聞いて、すぐには了承できず、躊躇った。

「どうか」

 押都は、手をついて、深く頭を下げた。
 青年もその背中を見て、唇を噛み締める。そして、同様に手をつく。

「私からもお願い致します。 どうか、ここに居させて下さい」
「……」

 雑渡は何も言わず、二人を見下ろしていた。


 
 忍里に住む里人たちは、警戒心が強く、外部の者を受け入れることは難しい。
 身元が分からない者となると、尚更だ。

「月夜に獣が化生になった、ねえ。 月へ願うだけで?」

 雑渡は、顎をさすりながら、思案する。
 怪しい。怪し過ぎる。

 
 化生を忍里へ残すかどうか。すぐ答えを出さなかった。

 まずは、皆の意見を聞くべきだろう。
 もしも、共に暮らすとして。
 今後のこと、扱いについて、それから里人や忍軍、他の者たちへの説明。
 様々なことを考えねばならない。

 長い時間、三人は真剣に話し合っていた。


 気が付けば、月が空高く昇っていた。
 ふと視線を巡らせる。月明かりの下で、梟が眠っていた。

 座布団から降りて、いつの間にか押都の隣にいた。かぎ爪で、押都の忍装束を掴んで、離さない。
 瞳を閉じた横顔が、押都の方へ落ちる。

 押都たちは黙って、それを見ていた。

 息を殺して、成り行きを見届ける。梟は眠っているはずなのに、誰も動けない。

 押都が、かぎ爪に触れる。
 引き離そうとするが、さらに力が入って、布に食い込んだ。
 薄く開いた瞼の間。そこから見える瞳が、光って見えた。


ーーーー


 屋敷の広間に、多くの人が集う。

 タソガレドキ忍軍の忍びだけでなく、前線を退き、忍里で静かに暮らしていた者まで居た。組頭と小頭を囲んで、互いに話し合う。
 中の空気は重かった。
 
 年老いた者が、一言零す。元黒鷲隊に所属していた忍びであった。

「黒鷲であろう者が、籠絡されるとは……」

 冷め切った声。押都へ向けられるその瞳に、失望が見えた。

 押都はその言葉を否定せず、そのまま受け入れた。
 皆の前で、再び頭を深く下げる。

 雑渡は軽く手を打って、それを止めた。皆の視線が向けられる中、口を開く。

「責任は私が取る。 化生に怪しい素振りがあれば、すぐ処分する」

 それでいいね?と、雑渡が押都を見る。
 押都は黙っていた。


 化生は、忍軍の公然の秘密として伏せられた。
 監視役の者も付けて、その都度、行動を把握する。

 主に、忍軍の目の付く所に置かれた。
 何か事を起こせば、すぐ処理できるように、忍びたちは警戒を続けた。


ーーーー


「押都様ぁ……。 私と逢瀬をしませんか?」

 青年の甘え声に、押都は額を押えた。ため息を吐く。
 腕を取られながら、青年の言葉へ耳を傾ける。

「ばあや様と話していたら、とても面白いことを聞きました。 タソガレドキ城は大変立派で、良い所だと。 それで、押都様と一緒に、城下町へ行きたくなったのです!」
「そんなことを、話していたのか」

 押都はかなり渋ったが、最後、その提案を了承する。
 次の休みの日に、予定が出来た。



 タソガレドキ城下町。
 様々な物と人が行き交う、商いの盛んな場所。活気のある営みが、そこに広がっていた。

 押都は笠を被って、人々の記憶に残らぬように、顔を隠す。人々に溶け込めるよう、二人は小袖を着ていた。
 目的もなく、町をぶらつく。

 通り過ぎていく人々や出店を目で追った。青年は、きょろきょろと辺りを見渡す。
 口は開いたまま、閉じることが出来ないようだ。

「押都様! 見て下さい!」

 青年が、押都の方を見る。その目は、輝いていた。

 あれは何か、これはどういった物なのかと、押都へ止めどなく話しかける。
 目に入ったものへ次々と寄っていく。

「おい、待て」
「あっ」

 ふらつく青年の手を取って、押都の側へ引き留めた。


 しばらく歩き回って、喉が乾いてきた頃。
 押都たちは、団子屋へ入った。
 外の長椅子に寄って、茶を飲む。隣で、団子を頬張る青年。

 ふと、青年の手が止まった。

「落葉?」

 団子の串を持つ手が、ゆっくりと下りて行く。
 押都は、青年の見つめる先を目で追った。


 そこに居たのは、年若い花盛りの、美しい娘であった。


 綺麗に髪を結って、花柄の女子らしい小袖を身に付けていた。
 待ち合わせでもしているのだろう。そわそわと、辺りを気にしていた。

 身綺麗にした娘へ、ひとりの男が近寄って来る。
 男に気が付くと、その娘は、花が咲くように微笑んだ。
 二人は短く言葉を交わす。すると、男が懐を探る。

 取り出したのは、小さな飾りのついた簪。

 青年の喉が、ごくりと鳴る。

 娘はそれを受け取る。そして、男に手を引かれて行った。
 二人が消えていく先を、青年は呆然と口を開けて見ていた。

「落葉」

 押都の呼びかけすら、聞こえていない。
 黒ずんだ何かが、喉まで出かかった。

 青年の横顔を見る。

 こいつも本当は、ああいうのがーー。
 柔らかくて脆い場所を、針で刺されるような痛みが走る。
 
 青年の肩を揺すった。力の加減が出来ていなかったのかもしれない。
 青年は驚いた表情をして、押都へ向き直った。

「押都様? どうされたのですか?」
「疲れてしまってな。 明日も朝が早いし、今日はもう帰るぞ」

 長椅子に代金を置いて、店主へ声を掛ける。
 そして、青年の腕を掴んで、すぐ帰った。

 嫌なものを見た。

 浮かれていた心が、底へと沈む。
 行かなければ良かった。そうすれば、それを見ずに済んだ。


 早足で、忍里へ向かう途中。

 青年を想う。逢瀬に行くことがなかったのならば。
 青年は何も知らずに、押都の隣で、ずっと微笑んで……。
 細められた瞳の、その奥。

 見つめる押都と、焦点が合わなかった。


ーーーー


 ホー、ホー。

 タソガレドキ忍軍の矢羽音のひとつ。梟の鳴き声だ。
 諸泉と高坂は、耳を澄ませる。
 急に会話を止めて、黙り込む二人。それを見て、山本は笑った。

「それ、矢羽音じゃないぞ」
「へっ」

 山本が、足元を指す。
 梟がいた。

「山本小頭! こいつ、紛らわしいです!」
「ホ」

 諸泉の大きな声に驚いて、梟は目を丸くする。


 忍軍預かりとなった、化生の梟。今日は狼隊で、面倒を見ている。
 どうやら若い忍びたちと気が合って、馴染んできたようだ。


 忍軍の休憩所に、ふわりと風が吹く。青年が現れた。

「諸泉! 私と一緒に、城下町へ行かないか?」
「ええー」

 眉を下げた諸泉が、情けない声を上げる。

「果たし状をもう出してしまった。 次の休みは、土井半助との決闘があるんだ」
「あの忍術学園の先生だろう? 倒せるといいな」
「もちろん! 次こそ、勝つ!」

 そういえば、と山本が話に入る。

「休憩所のお茶請けが少なくなっていたな。 今から贔屓にしている店へ、買いに行ってくれないか? 尊奈門、頼めないか。 ついでに、お前も」
「山本様……!」

 青年はきらきらとした目で、山本を見る。
 諸泉は嬉しそうに笑った。

「あそこのせんべいは、すごく美味いですよね! 任せて下さい」

 胸を叩く諸泉。その後ろで、青年もどこか得意げな顔をする。

「行くぞ。 落葉」
「うん」

 山本は、軽く手を振った。

「あまり、遅くならないようにな」
「はい! それでは、行ってきまーす」

 二人が連れ立って、部屋を出発した。



「高坂さんも、ご用ですか?」
「いや、私は休みだ」

 城下町で、高坂と出会った。
 高坂の手には、包みがある。諸泉たちが持っている物とは、違う店の包みだ。
 それに、数も多い。

「せんべいだけではなく、団子も用意しておこうと思ってな」

 雑渡様は、団子の方がお好きだから……。高坂の声が落ちる。
 顔を上げた高坂は、青年と目が合った。その目が輝く。

「それは、いいですね……!」

 高坂は、口角を上げる。互いに、何度も頷き合う。
 その後ろ。早く帰りたいと、諸泉は思っていた。

 
 お使いからの帰り道。
 青年が立ち止まって、指し示す。高坂と諸泉は、そちらを見る。

「あの、あれについて聞きたいのですがーー」


ーーーー


 せんべいが割れる音。

 忍軍の休憩所。茶をすすりながら、雑談する。
 忍務や鍛錬の終わりに、忍びたちが休息を取っていた。


 せんべいを食べていた諸泉が、口を開く。化生の報告を始めた。
 口当ての隙間から、団子を差し込んで食べる雑渡。その報告を聞いていた。


 どうやら、諸泉と青年は、城下町へ行っていたらしい。


 微笑ましい心持ちで、忍軍の皆が耳を傾ける。
 化生と関わりが増えるにつれて、悪い奴ではないのだろうと、薄々、勘付いていた。

 雑渡が団子を食べ終えて、竹筒に差したストローから、茶をすする。
 諸泉が、ふと顔を上げる。同じく、休んでいた黒鷲隊の方へ目をやった。



「そういえば……。 押都小頭。 櫛か簪か、どちらが欲しいか伝えておいた方がいいですよ」

 押都は黙る。

「あの梟のやつです。 押都小頭へ贈るつもり、みたいです」

 休憩所の空気が凍った。雑渡が、茶を喉に詰まらせて、口当てを湿らせる。

「ちょ、ちょっと、待って。 詳しく、話を聞かせて……?」

 雑渡がぜいぜいと、息を整えていた。山本が、手拭いを差し出す。

 諸泉曰く、青年から聞かれたらしい。そして、答えてやった。
 恋人へ贈るのだ。そうしたら、夫婦になるのだ、と。
 それを聞いた青年は、目を輝かせていたという。

「あいつ、簪を渡したいというのだが」
「押都小頭へ贈るのならば、櫛の方がいいだろう。 簪など、変装の時ぐらいしか出番がない」

 諸泉と、高坂が言い争いを始めた。

 押都は、雑面の下へ両手を差し込んだ。顔を押えて、はぁ……と大きくため息をつく。
 同情した眼差しで、押都の方を見た。
 


 押都はひとりで、城下へと向かう。
 諸泉から聞き出した屋台へ、顔を出す。

 商品棚の中。
 そこに並べられていたのは、飾りが一つも付いていない、安物の櫛だった。
 その隣に、簪。それもかなり質素だった。道端に生えている木の枝を取って、頭に刺した方がまだマシだ。

 諸泉の言葉を思い出す。
 青年は自分の懐と相談して、そう決めたらしい。金が貯まったら、買うのだと言っていた、と。

 押都は店を冷やかして、帰っていった。



「落葉」
「はい」
「最近、櫛の歯が欠けてしまってな。 髪を梳かすのが難しい」
「そうなんですね?」

 押都は、青年の方を見る。もう一押し。

「櫛が……。 いや、何でもない」
「?」

 首を傾げる青年。
 押都は黙る。部屋の天井を見上げた。息を吸って、飲み込んだ。


 青年は立ち上がり、押都の隣へやって来る。

 身体が触れ合うほどの距離に、腰を降ろした。押都の肩に頭を乗せて、身を寄せる。
 押都の髪を一房、手に取った。

「押都様の髪、とても綺麗です。 ふふ、私が整えて差し上げますね」 

 指先で、それを優しく弄んでいた。
 機嫌がいいのだろう。隣から、小さく鼻歌が聞こえた。

 押都は静かに、その戯れを享受する。


 新月の夜。星々が、夜空にちりばめられていた。


ーーーー


 黒鷲隊の元へ、幽霊の噂が入る。
 化生の次は、幽霊か。

 タソガレドキ領に、怪しい動きがあるのならば、早いうちに、その芽を摘み取る。
 敵の忍びが、秘密裏に動いているかも知れない。
 押都は、すぐ情報を集め始めた。


 旅人に変装した押都。
 道端に腰を降ろしている者へ、声を掛けた。世間話から始まって、幽霊の話へと移る。
 その者曰く。

 この山道で、その幽霊が現れたのだとか。
 しかも、実際に会って、会話もしたと言う。

 押都は、うんうんと頷いて、続きを聞く。


 幽霊の正体。
 それは、白い衣を着た、若い男だと言う。

 夜の山道。木の影に、隠れるように立っていた。
 通りかかった者へ、兎を買って欲しいと言ってくる。
 皮ではなく、死んだ兎をそのまま。

 身なりは良さそうに見えたが……。
 
 どこか、寒気がした。
 目が合っているはずなのに、こちらを見ていなかった。
 そのように思えた。

 人だと言われれば、人なのだろうが。
 もう二度と、会いたくないな。

 そう言って、笑っていた。

 ちなみに、兎は買わなかったという。因縁をつけられるのも、厄介だ。
 それに、いくらか聞いたら、不思議そうに首を傾げていたらしい。


 聞き終えた押都は、黙って、頭を抑える。



「落葉ちゃん」
「はい」
「炊事の手伝いをしてくれないかしら? 少しだけだけど、お駄賃を差し上げますよ」
「本当ですか! やりたいです!」

 厨房の中。
 ばあやと並んで、青年はおむすびを握っていた。

 その後ろ姿を眺める押都。

「押都が、櫛を買ってやった方が早いだろ」

 茶を飲みながら、山本が言う。
 何も言わず、俯く。押都の背中が、小さくなった。

「あいつのやりたいように、させてやりたい」


ーーーー


 幽霊騒動は、その後、すぐに無くなった。
 その代わり、青年が不在にする事が増えた。

 夜には、ここへ戻っているらしい。
 だが、どこかで何かしている様子だ。

 押都の手が止まる。気がかりでならない。
 こうなるのなら、一言、言い聞かせた方が良かったか。

 忍里の中で、何もせず、押都の帰りを大人しく待っていろ、と。

 しかし、それでいいものなのか。
 青年の好きなようにさせたい。確かに、押都はそう考えていた。

 押都の指が、ぴくりと動く。

 そろそろ我慢ができない。


「はあ~~」

 山本が、頭を掻きむしっていた。そこに、押都が通りがかる。
 
「山本。 どうかしたのか?」
「昆……。 いや、組頭が逃げ出したんだ」
「ああ、またか」

 書類作業から逃げ出すのは、いつものこと。しかし最近、変わったことがある。
 逃げる先として選ぶ、お気に入りの場所が出来たのだ。
 
「あそこだろうな。 忍術学園か」
「はあ。 尊奈門といい、組頭といい。 何故、そこへ行くんだ」
「尊奈門は休みではないだろう。 休暇届は出していたんだろうな?」
「ああ、出してあったさ。 組頭の書いた、休暇届が」

 偽書の術か。雑渡は、昔からそれが得意だ。けれど、相手が悪い。
 幼い時から、雑渡の面倒を見て来た二人。
 いたずら坊主のすることは、ほとんどお見通しだった。

「組頭のお気に入りだからな。 尊奈門は」
「いやいや。 あいつは、忍軍の皆に甘い」

 山本が、ふっと息を吐いて笑う。押都は、口を閉じた。


 押都の元へ、忍鳥が飛んできた。
 足に括ってある、文を取る。忍軍の者にしか分からない暗号で、書かれている。
 それは、雑渡からだった。

「やはり、組頭は忍術学園にいるようだな」
「そうか」

 その時、押都の手に力が入る。持っていた文が、ぐしゃりと歪んだ。

「おい……? 押都、どうかしたのか」
「……」

 押都の纏う空気が変わる。そして、地獄から聞こえたような低い声。

「……流石に、許せん」
 
 忍術学園で、梟を見かけたらしい。
 しかも、化生であることが、見抜かれている。
 押都は、拳を固く握る。

 肩を落とす山本。

「お前も、忍術学園へ行くのだな」

 押都は、無言で頷いた。


ーーーー


 その少し前。 
 雑渡はひとり、忍術学園へ向かっていた。

「あの子たちを見てると、癒されるんだよね〜」

 森の中。木々の枝を飛び移りながら、タソガレドキから脱した。
 風を感じながら、思考を空にする。頭の隅に残る書類の束と、山本を追いやった。



 遠くで、騒がしい気配がした。僅かに、聞こえる人の声。
 口当ての下、自然と口角が上がる。
 雑渡は、そちらへ足を向けた。

「ふ、不運だあーー!!!」

 そこに居たのは、忍たまであった。
 忍術学園の生徒たち。それも、良く雑渡が交流している、保健委員会の子だ。
 天気が良かったから、薬草取りにでも来ていたのだろう。
 
「ああ、また不運に巻き込まれている……」

 雑渡は、頬に手を当てて、状況を把握する。

 忍たまたちの服は土で汚れて、背負っていた籠も壊れていた。
 底が抜けて、取ってきた薬草も入っていないのに、必死で死守している。
 その後ろを、イノシシと巨大な岩と山賊たちが追いかけていた。

 走る速度が段々と上がっていく。下り坂。その先には崖があった。

 雑渡は、素早く動き出した。たどり着く方へ、先回りする。

「うわーー!!」

 勢いついた足は止まる事が出来ず、忍たまたちは、崖から飛び降りた。
 その下で、雑渡は腕を広げた。
 落ちてくる身体を、受け止める。

「あれ! 雑渡昆奈門さん。 お久しぶりです」
「はい、久しぶり」

 まず落ちて来たのは、善法寺伊作。
 忍たまの六年生で、保健委員長。とても不運で有名。

 すぐ地面へ降ろしてやって、次が落ちてくるのを待っていた。
 腕を広げて、上を見上げる。

 短い悲鳴の後、小さな身体が投げ出される。伊作君の後輩だ。
 同じく保健委員会所属、忍たま一年生の鶴町伏木蔵。

 落下していく中、突然、速度が落ちる。

 忍たまの背中から、翼が生えた。

 目を見開く雑渡。
 腕を広げたまま、それを目で追った。

 翼を羽ばたかせることは無かったが、腕の中へ、ゆっくりと降りて来た。
 その身体を、受け止めてやる。

「え、天使かな??」
「ス、スリルぅ~~」

 背中を見ると、梟がくっついていた。忍たまの服をかぎ爪で掴んでいる。
 雑渡の顔を見ると、梟が目を見開く。

「……。 もしかして、落葉?」
「ホー!」

 
 
「こなもんさん、お久しぶりですぅ」
「久しぶり。 それと、昆奈門ね」

 雑渡は、竹筒の雑炊をすすった。保健委員たちが、壊れた籠を直している。
 その様子を、岩に腰掛けながら、見守っていた。

「ところで……。 その梟のことなんだけど、聞いてもいい?」
「いいですよ!」

 伊作が笑う。

「この子と、どこで知り合ったの? と言うか、知り合い?」
「はい! 僕のお友達なんですぅ」

 伏木蔵が顔を上げた。懐から、雑渡ギニョールを取り出す。

 梟もそれを見て、後ろから、同じようにギニョールを取り出した。
 それは、伏木蔵の持っているものと違って、雑面を付けていた。

「え、待って。 どこに隠し持っていたの? どこから取り出した?」
 

 保健委員たち曰く。


 いつものように、森の中で、不運に巻き込まれていた時の事。
 
 イノシシに追われていた、保健委員たち。
 何とか、イノシシの突進を回避した際、木の幹にイノシシが当たって。
 その時、木の上から、ぽとりと梟が落ちて来たのだと言う。
 それが、この子。

「僕らの不運に巻き込まれて、可哀想だったので、放っておけず……」

 しばらく介抱した所、梟は懐いてくれた。

 伊作たちが、薬草を取っていると、一緒に集めてくれるようになり。
 遂には、この付近では見かけない草も、取ってきてくれるようになったのだとか。
 
 伊作が欲しかった薬草もあったものだから、とても喜んで、小銭をいくつか渡した。
 すると、梟は、それを見て飛び跳ねた。


「それからは、よく一緒に、薬草取りへ行っているんですよ」
「僕らの手の届かない、高い所の草も取ってくれて、助かっているんですよぉ」

 保健委員たちが、微笑んでいると。
 梟が、包みを取り出して、風呂敷を広げ始めた。
 その中には、雑草や薬草、毒草に、野花まで様々なものがあった。


 伏木蔵が、野花を指し示す。

「これ、綺麗だね。 僕のお宝と交換しない?」
「ホーー」
「これなんか、どう?」
「ホ、ホ!」

 懐から、何か取り出した。
 手のひらに乗っていたのは、丸い小石だった。少し、卵の形に似ている。 
 梟は頷いて、その小石と野花を交換していた。

 雑渡が目を瞑って、項垂れる。この調子では、銭が貯まるのは、もうしばらく先だろう。
 
 
 伊作は、口元に手をやって、真剣に風呂敷の中を見ていた。

 薬学に精通している者なら、分かるはずだ。
 ここに並ぶ草たちの多くが、タソガレドキ領に自生していることに。
 どんな草が生えているか、それもひとつの情報だ。

 忍びたるもの。どんなに小さな情報でも、目を光らせる。

「落葉。 草を売るのは辞めた方がいい。 お前は毒草の見分けもついていないだろう。 誤って、毒草を渡してしまったら。 お前、焼き鳥にでもされてしまうよ」
「ホー……」

 ほら、これとか。雑渡が、毒草を指さす。
 梟は、渋々、風呂敷を畳んだ。

「あれ、バレちゃいましたか?」
 
 伊作が、笑う。
 いたずらに気付かれた子供のように、無邪気な顔で、雑渡を見た。
 雑渡も、にこりと笑い返す。

 頭を搔きながら、笑う伊作。そういえば、と口を開いた。

「この子の名前、落葉というのですね」
「そうだよ」
「良い名前ですね! 雑渡さんの忍鳥ですか?」
「いや、部下のものでね」

 雑渡が話していると、伏木蔵が近寄ってきた。その身体を、膝上に乗せてやる。

 そして、梟と伏木蔵が、ギニョールで遊び始めた。
 それを、見守る二人。


「ねえ、落葉。 そのギニョール、少し貸してくれないかな?」
「ホーウ」

 快く、梟はギニョールを手渡す。
 それを受け取ると、伊作は、ギニョールの雑面を捲った。

 その下を見る。

 そこには、雑渡ギニョールがあった。

 雑渡の方へ、視線を送る伊作。その隣で一緒に見ていた雑渡。
 肩を竦ませて、首を振った。


ーーーー


 忍術学園まで、保健委員たちを送り届けた後。
 学園の門の前に、雑渡が立っていた。

「そういえば、何でお前はここに来ていたんだ?」
「ホー!」

 梟が、翼で学園の方を指す。

 雑渡が、その方へ顔を向ける。
 すると、諸泉の声が聞こえてきた。


「ああ、尊奈門ね。 お前、迎えに来たの?」
「ホーホ」

 首を振る梟。
 そして、嘴を素早く、突き始めた。

「……。 急にどうしたの? 怒ってる?」
「ホォーーー!!」
「落葉、落ち着いて」

 梟は、目を釣り上げる。
 雑渡にも、熱い視線を送っていた。

「お腹でも空いた?」
「ホー!」



 門の上に乗って、中を覗く。
 
 顔に白粉を付けて、ひっくり返っている諸泉。その前に、土井半助が立っていた。

「こんにちは。 雑渡昆奈門さん」
「はい、こんにちは。 どうも、うちの尊奈門がお世話になって」
「いえいえ」

 会話を始める二人。梟が、飛び出す。

「ホー!!」

 土井が持っている、出席簿に嘴で噛み付いた。そのまま噛み付いて、離さない。出席簿を持ち上げると、梟の身体も付いてくる。

「この子、また来たんだね。 雑渡さんたちの子、ですよね?」
「まあ、そうだね」
「この梟、尊奈門君を守っているみたいで。 すごく頭が良いです」

土井は、出席簿を下ろして、雑渡を見る。

「まるで、人の話している事が、分かっているみたいで」

 土井の顔から、感情が消える。
 天鬼の顔。
 忍術学園の生徒に害なすものへ、容赦はしないだろう。

 雑渡は、両手を振った。

「いやいや、ただの人懐っこい梟だよ。 ほら、落葉。 おいで」

 雑渡が、手招きする。

「落葉ぅ〜」

 雑渡が呼ぶ。けれど、反応しない。
 この梟、まだ食い下がる気だ。


 土井が、出席簿を持ち上げて、梟をそこから取り外す。流れるように、梟を腕に抱えた。

「ホ?」

 そして、建物の方へ歩き始める。

「土井殿、ちょっと待ってくれないか」
「少しの間、この子と居てもいいですよね。 それに。 雑渡さんは、尊奈門君を保健室へ連れて行かなくてはいけないのでは?」

 もちろん、傷付けたりはしませんよ、と言って、笑う。
 二人に気がついた、忍たまたち。
 雑渡たちの方へ、集まってくる気配。

 土井が、首を傾げる。

「“普通の梟”なら、構いませんよね?」
「……」

 雑渡は、口当ての下。口角を上げる。
 土井が持っているチョークを、突き始めた梟。

 無言で、見つめ合う。
 先に目を逸らしたのは、雑渡だった。

 ーーやられたか。

 ふっと、息を吐く。
 雑渡は何も答えず、梟は連れて行かれた。


 忍術学園の事務員に見つかって、入門表に二人分のサインをする。

 雑渡は、尊奈門を保健室へ運ぶ。
 その途中、タソガレドキへ忍鳥を放った。押都へ知らせる。その間にも、事態は進んでいた。


ーーーー


 押都が、忍術学園に着いた。

 門を乗り越えて、忍び込む。
 雑渡がいるであろう場所へ向かう。
 保健室だ。

 身を屈めて、素早く駆け抜ける。辿り着くと、その天井板を外す。


「や、押都。 早かったね」
「組頭……。 山本が探していましたよ」
「急ぎの書類は終わらせていたから、大丈夫」
「後で、しっかりと怒られて下さい」

 ところで、と押都。部屋を見渡すが、諸泉が横たわっているだけで、梟の姿はない。

「土井殿の所だよ」

 頬に手を添えて、ふうと息を吐く。

「あの子、結構、血気盛んだね」
「あいつ……」



 土井殿の長屋の一室。

 天井板を外して、室内へ降りてくる。
 土井は振り返った。

「ああ、押都さん。 こんにちは」

 押都は、軽く頷く。そして、部屋を見渡す。

「押都さんの忍鳥だったんですね」

 土井が身体をずらす。
 文机の上で、うつらうつら船を漕いでいる梟。

「土井殿。 私のが、迷惑をかけたようだ」

 文机に、近寄ろうとする押都。
 土井は、押都から視線を外す。指でゆっくりと、梟を撫でる。

 押都の眉が、ぴくりと動く。

「この梟。 ただの忍鳥ではないですね?」
「……何故、そう思われる?」

 足を止めて、土井の方を見た。

 文机に乗る梟。
 かつての風景が、頭を過ぎる。押都と出会ったばかりの時。見上げていたあの時。

 押都にしか、懐かないと思っていた。
 それなのに。

 何故、触らせている。気安く、その場所を、明け渡しているんだ。
 俺以外に。

 もしかして、私ではなくても構わないのか。優しく触れて、見守ってもらえるのなら。その者を好いて、そして。

 風が吹いて、葉が揺れる。
 押都は、止まった。

 土井の言葉が続く。

「この子と一緒に、書物を読んでいました」

 羽の上。触れるか触れないかの距離。
 何度も、指の背が滑る。

 押都は、それを凝視した。
 脳裏に、刻み込まれていく。目を離したくても、顔を逸らせない。

「隣に来て、次を捲れと言ってくるんです」
「……」

 実際に喋った訳ではないですよ、と笑う。

「こちらを見つめてくるんです。 可愛いですよね」
「……それを、返してもらおう」

 子らを慈しむような、教師の顔だった。柔らかく、微笑む。
 土井が、押都の方を見る。

「忍びとして仕込むことは、お考えですか? もし、考えているのなら、私がお教えしたいなあ」
「絶対にない」
「それを聞けて、良かった」

 土井から、感情の一切が消え去った。
 押都の方を見上げる。

「もし使うなら、使い捨てでしょう」

 押都は、黙る。

 土井は、立ち上がって、扉の方へ進む。
 隣を通る時、押都へ聞こえるように、溢す。

「扱い切れないようでしたら、森へ返すことを勧めますね。 その方が、お互いの為だ」

 静かに、戸が閉まる。

 土井が退出した後。
 押都から、僅かな呼吸さえ、無くなる。

 残ったのは、小さな寝息だけ。
 梟が、もぐもぐと嘴を動かした。


ーーーー


 梟が目を覚ます。薄く開いた、瞼の隙間。

「ホ!」

 部屋の真ん中に、押都が居た。
 梟は、文机から飛び降りて、そちらへ近寄る。すぐ、駆け寄った。

 押都は、力無く、手を下ろしていた。真っ直ぐ、ただ前を向いて座っている。膝に近寄る梟。それすら、目に入らない。

「ホゥ?」

 梟は、押都を見上げる。

 それを見た時、小さな身体は、後ずさった。全身の羽が膨らんで、目を見開く。小刻みに、震え始める。

「落葉……。 お前、何をしていた?」

 押都の頭が、ぐらりと傾く。
 梟の方を見た。冷静に、見下ろす。

「ホ、ホー」

 後ろから、包みを差し出す。
 それを開いて、中を見せる。

 お手製の押都ギニョールに、野草、石ころ、そして、わずかな小銭。
 
 押都は、それをひとつ手に取る。静かにそれを検分して、風呂敷の中へ捨てた。

「お前。 何をしたのか、分かっているのか?」
 
 首を傾げる。梟は、横に振った。

「まず、ギニョールを持ち歩くな。 タソガレドキの関係者だと、知れてしまう。 次に、外で商売紛いなことをするな。 草の一本ですら、駄目だ。 忍軍の拠点が割れる」

 目を見開いて、次第に顔を下げていく。
 事の重大さが、分かってきたようだった。

「小銭の一枚や二枚で、して良いことでは無いぞ」

 低い声が響く。押都は、冷静に努めた。

「お前は。 忍軍の皆を、危険に晒した」
「……! ホーー!!」

 その言葉を聞いて、梟は声を上げた。
 翼を広げて、必死に訴える。
 懸命に、押都へ伝えていた。


 僅かな、そよ風を感じる。
 梟の姿が、霞み始めた。

 経験上、何をしようとしていたのか、分かった。

 押都は、梟の身体を掴み、床へ潰す。
 羽根がぐしゃりと、歪んだ。その中の身体は、思ったよりも小さかった。

「そのままでいろ」

 押都は、梟の身体に触れて、それを止めた。

「動くな。 何もするんじゃない」

 押都は、梟の身体を拘束した。
 ぎょっと目を見開いた、梟。

「ホーー!!」

 梟は抵抗する。
 その拍子に、押都の手を噛む。嘴の尖った場所が、肌に当たって、血が見える。

「ホ、ホ、ホ……」

 突然のことで、梟は、嘴を離す。

 押都は気にすること無く、梟を懐へしまう。
 
 梟は、その中から、押都を見ていた。
 瞳をゆっくりと、閉じていく。
 そして、身体から力を抜いた。

 肌着の上。
 押都の方へ身を寄せたのが、分かった。


 押都は、手早く風呂敷を閉じて、包みを持つ。懐に手を添えて、ゆっくりと撫でる。
 そして、両手で強く引き寄せた。

 こんなにも弱い。自分の身も守れない癖に。
  
 膨らみを手で押さえて、身を屈める。
 押都は、赤子のように縮こまっていた。

化生

 押都が、梟を連れ帰って、それ以降。
 梟は、忍里に残るようになった。


 忍里の中。
 押都の姿を見つけて、嬉しそうに飛んでくる梟。
 それに気付いて、押都も振り返る。

 危なげに、腕に留まった梟。押都はそれを支えながら、腕に乗せてやる。
 撫でようと手を伸ばした。

「ホー……」

 梟が、その手を待つ。


 そのつぶらな目を見て、押都は手が止まる。あの時の、感触が想い起こされる。

 小さな身体。歪んだ羽根。
 苦しそうに、短く、繰り返す呼吸。
 押都を見ていたあの瞳。その瞳の奥に、恐怖が映る。

 押都があと少し、力を入れていたら。


 誰にも悟られることが無い程小さく、呼吸が引きつく。
 そして、触れずに腕を下ろした。

「さあ、行きなさい」

 押都が顔を逸らす。
 腕を振って、梟を遠ざける。

 腕から振り払われた梟は、離れた場所まで飛んでいった。そして、そこから押都を見る。
 梟は理由が分からず、首を傾げた。



 押都の後を追う梟。意図して、それを避ける押都。
 追いかけっこを始めた二人。
 ついに、梟の追跡に負けて、捕らえられる。

 押都は、梟に全力で甘えられていた。
 全身にじゃれつかれるまま、忍び装束は羽まみれになる。

 何かやっているな。
 二人の駆け引きを見て、周りは、微笑ましく見守っていた。



 青年の持っていた包みから、小刀が出てきた。

 その報告が、雑渡の元に届く。
 忍軍の休憩所に、騒めきが生じる。小頭たちにも知らせるよう、指示を出した後。

 雑渡は素早く、その場へ向かった。
 

 雑渡と山本が、青年を囲っていた。
 雑渡は、証拠を見せて、静かに問い詰める。その手には、小刀。

 苦無よりは小さいが、立派な武器だ。
 理由によっては、然るべき対応をせねばならない。


 俯いて、口を閉ざす青年。
 なんとなく、悪事を働いたことは、分かっているようだった。

 山本が、眉を下げる。自身の子どもに問いかけるように、話しかけた。

「何処から持って来た?」
「……道で、拾いました」
「何に使うつもりだったんだ?」
「……」

 青年は黙って、また俯く。

 山本は、ため息をつく。眉間を、指で揉んだ。
 雑渡を手で制しながら、青年へ近づいた。

 こうなれば、仕方ない。
 あの手を使うか。


「私にだけ、教えてくれないか?」

 青年は、ゆっくりと顔を上げる。山本を見て、頷いた。


 山本へ近づいて、耳元に口を寄せる。
 口元を手で隠しながら、小声で話す。

「ーー」
「ふむふむ」

 二人の背後に立ち、身をわずかに屈める。
 耳打ちを、堂々と、盗み聞く雑渡。
 
 言い分を聞き終えて、山本と雑渡は顔を上げる。
 お互いに、顔を向き合わせる。

「はあ~~。 心配したんだぞ、こっちは」

 山本は、額を抑えて、深くため息をついた。
 そして、青年の方を見る。

「代わりのものを用意するから、それはこちらで回収してもいいな?」
「はい」

 青年は頷く。

 雑渡は、腕を組みながら、青年を見ていた。その目が合って、意地悪く、微笑む。

 盗み聞かれたことに、遅れて気がついた青年。
 頬を膨らませて、雑渡を睨みつける。

 雑渡は指で、その頬をつついた。



 青年を解放してやった後、遅れて、押都がやって来た。
 山本は、軽く事情を伝える。

「それで、何に使おうとしていた?」
「いや、それがな……」

 山本は、口籠る。

「……危ない事では無かったのは、確かだ」

 山本の肩に、上半身を持たれかけさせながら、雑渡が言う。

「すぐに分かるよ」

 押都の雑面を見て、ほくそ笑んでいた。
 何も言わず、黙り込む押都。

 押都は、不満だった。
 青年は、隠し事をしていて、しかも、それを山本に話した。

 雑面が揺れる。

 何故、私にだけ言わない?
 最初から私に頼ればいいものを。



 その日の夜。
 青年が寝室に現れる。

「押都様」

 肩に触れる手。押都の髪を、優しく持ち上げる。

 押都は、それを振り払った。

「今日はもう眠る」
「……そうですか」


 押都は青年から背を向ける。
 同じ床、背中合わせ。相手の気配はあるが、体温を感じられない距離。

 布団が動く。背後の気配が、こちらを見ていた。

「押都様……。 ごめんなさい。 もう、しません。 だから……」

 押都の寝巻きが、引かれる感触。今にも泣き出してしまう。
 悲し気に、呟きは震えていた。


 押都は、安堵の息を吐く。

 それに気が付いて、口元を手で押さえた。
 青年が必死に縋って来る姿を見て、押都は心の底から、喜んでしまった。
 押さえていた手が震える。

 自分自身に、深く失望した。

 青年の幸せを願っていたはずだったのに。微笑んでいて欲しかっただけなのに。
 押都へ、泣いて縋らせたかったのか。本当にそれを望んでいたのか。

 いつの間に、こんなに歪んでしまったのだろうか。


 意気消沈した押都は、布団を掴んで、肩まで掛けた。
 青年に顔を見せぬよう、それを隠す。



「喧嘩でもしているの? どっちが悪いのか知らないけど、仲直りしてあげなよ」

 あの子、寂しそうだったよ。と、雑渡が声をかけてきた。
 そして、何かに気が付いて、顔を上げる。

「小刀の事は、本当に何でもないから。 心配せずとも、大丈夫だよ」
「……」

 忘れかけていた、感情がまた、ぶり返す。


ーーーー


 早朝、押都は屋敷の外へ出た。

「押都様!」

 呼び止められて、振り返る。
 そこには、青年が立っていた。

 朝日を浴びて。冷たく透き通った、空気の中。

 押都は、青年を見る。
 今なら、言う事ができると思った。

「落葉。 あの時は、悪かった」
「……! いいえ、もういいのです。 でも、言ってくださって、ありがとうございます」

 嬉しそうに、青年は微笑む。
 押都は静かに、それを見ていた。

 青年は、一歩、歩み出る。その顔はずっと、押都を見つめていた。
 そして、体当たりするように、抱き着く。

 飛び込んで来た身体に、恐る恐る触れる。
 押都も、抱きしめ返す。
 腕に力を入れて、もう離さないように抱き留めた。

 腕の中から、潰れた笑い声がする。腕を緩めると、青年が顔を上げた。

「押都様、お気を付けて」
「ああ、行ってくる」

 青年の頬を撫でて、名残惜しく、身体を離した。
 数歩進んで、押都は振り返る。青年へ言いつけておく。

「ばあやと共に、屋敷で待っていてくれないか。 夜には、戻れると思う」
「はい! しっかりとお守り致します!」
「はは、頼もしいな。 では、屋敷とばあやの事、頼んだぞ」

 青年は、全身で手を振っていた。

 また、きっと、あの頃へ戻れる。
 押都は、そう思えた。

 顔を上げて、忍軍の詰所へ向かう。
 その足取りは軽く、空でも飛んでいけそうだった。
 


「え? 子供が、まだ帰ってこない?」

 屋敷で、洗濯物を干していた時。
 里人が、ばあやへ話していた。


 焦っている様子だった。切羽詰まって、身振り手振りで、伝える。

 忍里の子ども達だけで、近くの森へ遊びに行っていたらしい。
 普段から、行き慣れている場所だ。

 そこで遊んでいる内に、夢中になってしまったらしい。
 気がついたら、一人だけ、戻って来なかった。
 しばらく、待っていたのだが、待てど暮らせど何もない。
 もしかしたら、先に帰ってしまったのではないか。

 他の子どもは、そう思って、結局、森へ置いてきてしまったと言う。


 それを聞いて、皆、大慌てになった。
 大人たちは、すぐに、その子を探しに行った。けれど、見つからない。

 とにかく、人手を集めて、森へと向かう。
 忍里で手の空いている者は、ほとんど、捜索へ向かっているのだとか。
 

「私も探して来ましょうかね」

 ばあやは、洗濯物を置いて、立ち上がった。
 
「ばあや様も、行くのですか?」
「案外、近くに戻ってきているかもしれませんから。 そんなに遠くへは行きませんよ」

 ほっほっほと、微笑む。
 ばあやは、ゆっくりとした足取りで、歩き始めた。

 それを見て、少し考え込む。
 そして、青年は顔を上げて、ばあやの後ろに続いた。

「私も、探しに行きます」
「まあ、助かるわ。 ありがとうね」

 二人は、森へ向かった。



 森の中。
 膝を抱えて、身を縮める。出来る限り、息も潜めた。

 震える呼吸。擦りむいた足首を庇う。
 崖から滑った時、捻ってしまったのだろう。一回り腫れて、熱を持つ。
 自分だけでは、忍里に帰れない。

 いつものように、皆で遊びに来ていた。遊び慣れた森。見慣れてしまった場所。
 遊んでいる時に、ふと顔を上げた。
 最近、遠くまで歩けるようになったばかりだった。
 興味が湧く。そして、ほんの少しの過信。 
 子どもは、皆の輪から外れて、さらに奥へと入ってしまった。

 誰にも告げず、ひとりだけで、こっそり戻るはずだった。
 束の間の冒険が、こんなことになるとは、知らなかったのだ。

 すすり泣く声が、辺りに響く。
 すでに何度も助けを叫んでいて、喉が痛かった。


 すぐ近くに、葉が擦れる音。
 子どもは、身を固くして、音の方を見た。

 また、獣が追いかけてきたのだと思ったから。
 泣いていることも忘れて、息を止める。


 そこに居たのは、小柄な梟だった。
 子どもに気が付くと、ほうと、鳴いた。そして、飛び去ってしまう。
 顔を上げて、それを目で追う。

 木の枝に、その梟が留まっていた。隣には、一回り大きな梟。
 二匹は、身を寄せ合って、子どもを見下ろしていた。
 親子だろうか、番だろうか。
 とても仲が良さそうだった。それを見て、子どもの目から、涙が零れた。

「帰りたい……。 僕も帰りたいよ。 おかあさん、おとうさん……」

 膝を抱えて、顔を埋めてしまう。
 肩を震わせていると、また、物音がする。

 顔を上げると、あの小さな梟がいた。
 子どもの前に、降り立ったらしい。子どもと目が合って、首を傾げていた。
 それが可笑しくて、小さく微笑んだ。

 子どもが手を伸ばすと、梟は飛んでしまう。

「あっ、待って」

 梟が飛んでいく先を、見る。


 そこに、誰かが立っていた。
 幽霊のように、白い着物。男の肩に、梟が留まる。


「ひっ……!」

 子どもは、思わず、後ずさった。
 足音も、気配も何もなかった。そのはずなのに。
 男が現れた。

 逃げなければと思うのに、身体が言う事を聞かない。
 足に力が入らず、腰が上がらない。もう駄目だと、目を強く瞑った。

 けれど。待っていたが、何も来ない。
 ゆっくりと、目を開く。先程、立っていた所で、男は首を傾げていた。
 
「君は……迷子の子?」

 

 忍里が、さらに騒がしくなる。
 このままではいけない。忍軍の方へ、助力を頼むべきか。
 大人たちで話し合っていると、急に声が途切れる。

 皆がそちらを見る。
 森の方から、誰かが歩いてくる。

 子供を抱えた青年が、忍里へ戻ってきた。

 抱えられていた子供は、泣き腫らしている。
 足に怪我をしていて、とても怯えていた。

 人の輪をかき分けて、憔悴した母親が現れる。
 そして、叫んだ。

「その子を、返して!」

 その悲鳴に、青年はびくりと肩を震わせた。

 足を止めて、その場に子どもをゆっくりと降ろしてやる。
 後ずさって、距離を取る。


 子どもに駆け寄る母親。その胸に、しっかりと抱き締めていた。
 肩の荷が下りたと、皆が安心していた時。

 どこからか、声がした。

「お前が、子どもを連れ去っていたのではないのか?」

 皆が息を止めて、青年の方を見た。
 冷たい視線が、突き刺さる。

 何が起きているのか分からず、青年は、首を傾げた。


 神隠しに、化生。

 そういえば、押都を連れ去った事もあったという。
 里人たちの不安が煽られる。
 くすんでいた火の粉が、大きな炎になって、天へと燃え上がる。

「出てけ! 里から、出ていけ!」

 石は飛んで来なかったが、すぐにでも苦無が投げつけられるような、そんな切迫感があった。
 子どもを背後に隠して、青年を睨む母親。
 そこにいる者は、それを止めずに、ただ見ていた。


 青年は、何も言わず、忍里へ背を向ける。
 その姿は、森へと消えた。



「子供が居なくなった時、あの子は私と里に居ました。 それに、あの子が見つけてくれたのに、何故、そのようなことを言ったのですか!」

 ばあやが必死に、声を張り上げる。

 分かっていたが、皆、口を噤んだ。
 頭では分かっていても、受け入れ難いものがあった。

 
 押都が屋敷へ戻ると、青年の姿はなかった。
 ばあやが押都へ伝える。何があったのか、そして、あの子を探して欲しいと。

 押都は、夜の森へ向かう。

「落葉。 俺だ。 もう大丈夫だから、こちらへ来なさい」

 押都が、闇の中へ声をかける。すると、木の影に隠れていた、梟が現れた。
 弱々しく、ホウと鳴く。
 
 押都は忍び装束の合わせを緩める。
 懐の中へ、梟を匿った。

「子どもを見つけたらしいな。 よくやった」

 大人しい梟の頭を、撫でてやる。不安げに、見上げてくる瞳。


 その後、押都たちは、屋敷へと戻る。
 しかし、梟は人の姿になることは無かった。

 押都が眠る布団の中。怯えた梟が、身を縮ませて、隠れていた。
 寝返りを打って、潰すことがないように。押都は、ひたすら撫で続ける。
  

ーーーー


「忍里に、化生が住みついているとか」

 タソガレドキ城の一室。低い声が、部屋に響く。


 タソガレドキ城主、黄昏甚兵衛。
 手元の扇子から目線を上げて、組頭の方を見た。

 部屋の隅で、控えている雑渡。僅かに頭を下げる。
 それは、肯定だった。


 城主と、それに仕える忍び。気軽に話すことのできる身分ではない。

 甚兵衛は、はあ……と息を吐く。扇子を閉じて、手の中でくるくると回す。

「お前たち、忍びは腹の底が知れない」

 だが、と話が続く。

「一度、懐へ入れた者には、情が深い。 深すぎる。 まあ、それは己の身で、分かっていると思うのだが」

 甚兵衛の鋭い目線が、雑渡を刺す。

「相容れぬ者に、手を尽くそうとも、無駄だ。 引き際を誤れば、全てを失ってしまう」

 甚兵衛の元にも、化生の話が入ってきていた。
 忍びを重宝している甚兵衛。共に戦っている内に、彼らの事を、少しは知っているつもりだった。
 
 今、その化生のことで、忍里が真っ二つに割れてしまっている。
 それは、遅かれ早かれ、甚兵衛に、タソガレドキに影響を及ぼすものだった。

「ここへ連れてこい」

 雑渡は、頭をさらに下げた。

「儂が、見定める」



 城主の御前にて。
 忍び達が控えている。組頭と、小頭たちだった。

 雑渡が、押都へ目を向ける。押都はひとつ頷いて、指笛を吹く。
 すると、遠くから、反応が返ってきた。


 開いた襖の向こう側に、広がる庭先。
 そこに、梟が落ちて、その身体が地面に跳ねる。

「おい、こやつ大丈夫か?」
「はい。 いつものことなので」

 雑渡が答える。そして、押都が、梟を呼ぶ。

「ホー!」

 こちらの方に飛んでくる。
 押都は、梟を捕まえて、正面の座布団に乗せる。

 城主は、訝しそうに梟を見た。
 梟は、部屋の方が気になるのだろう。辺りを、きょろきょろと見渡していた。

「おい、押都。 儂を揶揄っておるのか」

 押都ならば、やりかねん。そんな心の声が聞こえてくる。
 押都は頭を下げる。そして、梟を見て、口を開く。

「落葉。 殿にご挨拶を」


 庭先に、風が吹く。盛りの過ぎた花から、花びらが取れる。

 そこから、目を離していないのに。
 梟は、もう居ない。

 甚兵衛の正面に、人が現れた。
 その者は、甚兵衛へ深く首を垂れていた。

「初めまして。 城主様」


 側で控えていた小姓が、刀に手をかけた。
 甚兵衛は、扇子を叩いて、それを止める。

「頭を上げよ」

 男は、ゆっくりと顔を上げる。思ったよりも、幼さの残る顔つきだった。

 押都が、その者に、再び促す。
 男は、口を開いた。

「城主様にご挨拶申し上げます。 落葉と申します」
「お前が化生か?」

 男は、一度、動きを止めて、しっかりと頷く。
 甚兵衛は、さらに尋ねた。それに、男は答える。

「化生と呼ばれることもあります。 しかし、私は獣です。 ただ、ひと時の間、人の姿になれるだけの、獣なのです」
「ふうん」

 弄んでいた扇子から、甚兵衛は顔を上げる。

「それで。 タソガレドキの城下は、どうであった?」

 甚兵衛の問いかけに、男は、高揚して見せた。

「人々は幸せそうで、大変、良い所でした」

 その答えに、甚兵衛は目を見開く。


 そして、男の方から声がかかる。話したいことが、あるのだと言う。
 甚兵衛は、それを許す。男は、再び手を付いて、感謝した。

「私には、人の理は分かりませぬ。 けれど、思うことは」

 男は、甚兵衛を見て、確かに微笑んだ。

「黄昏甚兵衛様。 タソガレドキの地に生きる者のひとりとして。 城主様の治世が、末長く続いてゆくことを願っております」


 甚兵衛は、かかっと笑った。

「面白き化生だ。 褒美をやろう」

 と、甚兵衛。周りに控えていた者たちが、動揺したのが分かった。
 男は、ホウと鳴いた。


 話し終えた化生。その者は、甚兵衛に会えた感謝を述べて、去っていった。
 城内の部屋に、また風が吹き込む。まるで、春風。

 甚兵衛が、再び目を開く。
 そこには、葉っぱや花びらが残っていた。

 それを見て、甚兵衛が唸る。そして、一言、呟いた。

「やはり、化生」



 そして、褒美として望んだのは、タソガレドキ城下を見下ろせる樹だった。
 梟は、その樹の穴に、住み着いた。

「落葉」

 押都が呼ぶと、穴から顔を出す。
 押都が餌をやっていると、山本が通りかかった。

「おや? 先程、尊奈門たちから餌を貰っていなかったか?」

 押都は手を止め、梟を見る。

「ホォ~ウ?」

 口を開けたまま、押都が持つ、その餌を見ていた。
 梟が、餌を強請る。まだ食べられる、と口を開く。


 梟は、忍里へ戻ることはなかった。
 押都も、連れ戻すことはしなかった。

 けれど、交流は途切れることなく、続く。

 森の中。
 人目を忍んで、二人は会い続けていた。


ーーーー


 タソガレドキの城下から外れて、森へと入った。

 押都は、梟の元へ訪れる。
 枝に飛び乗って、巣穴を覗き込む。

「落葉」
「ホー」

 梟が出てきて、押都の隣へやってくる。
 二人は、枝の上に並んで座っていた。


 押都は、宙ぶらりんになった足を、見下ろす。
 こんなに通い詰めるのならば、いっそのこと、ここに忍びの潜伏所を作ってしまおうか。
 タソガレドキ城下の視察をする際に、きっと役に立つだろう。

 地に足のつかない思考が、取り散らかって、バラバラになる。
 
 私の身体が、その巣の中へ、入り込めるほどの大きさだったのなら。
 私も、ただの獣だったのならば。

 そんな阿呆な考えが、浮かんでは、消えていく。


「……! ホーー!」

 いつの間にか、思考の中へ沈んでいたらしい。
 梟の声で、顔を上げる。
 隣に居た梟は、目を吊り上げていた。

「怒っているのか?」
「ホーホー」

 梟が、前を、翼で指し示す。押都もそこへ目を向けた。

 そこには、タソガレドキ城と城下町があった。
 賑やかで、穏やかな風景。

 ーー美しかった。

 押都はそれを見ていた。


 誰かが腰を降ろす。その分だけ風が生じる。

 隣を見ると、青年が腰掛けていた。枝に手をついて、尻の座る場所を探している。
 押都の手に、触れそうになって、手を引く。

「貴方が愛するものを、私も愛したいです」

 押都は、青年の方を見る。
 思わず、口から出てしまう。どうにもならないと分かっていても、それでも。

「……忍里へ、戻って来てくれないか?」

 力なく、首を振る青年。

「私が居ると、皆を怖がらせてしまいます。 それに、押都様たちが悪く言われるのは、嫌だから……」

 二人は、視線を外して、美しい眺めをただ見ていた。

 青年はそれに、目を奪われながら、口走る。
 きっと、それも、思わず出てきてしまった言葉なのだろう。


「私が、本当の人間だったのなら……。 押都様のお傍に居られたのでしょうか……?」


 青年の独り言。
 押都は、その答えを知らなかった。

 二人は、夕焼けに染まるタソガレドキを静かに見つめる。



 その時、突然、青年が震え出す。
 自らの肩を抱き、身を小さくした。

「ただ、押都様のお側に居たかった、それだけだったのに……。 こんな所まで、来てしまった」

 押都が身体に触れようとすると、身をよじって、それを避ける。
 木の幹へ、背中を寄せる。そして、膝を抱えて、顔を埋めた。

「押都様に出会う前。 獣の頃は、ひとりで居ても、何とも思わなかった。 今はそれが、酷く恐ろしい。 何故なのか、分からない。 それが、余計に……」

 静かに、涙を流す青年。
 押都は、その涙が止まるまで、傍に居た。



 夕陽も沈み切った頃。

 さて、もう戻らねば。と、押都が腰を上げる。
 青年へ振り向く。

「最後に。 顔を、見せてくれないか」
「嫌です」
「もし、お前の顔を見ずに死んでしまったら、心残りになる」
「嫌。 押都様、行かないで」
「……」

 押都は、答えられない。

 頭を撫でてやろうと伸ばした手。それを引いて、ゆっくりと降ろす。
 今は、ひとりきりにしてやろうと思った。

「……また、会いに来る」
「……」


 押都は去った。


 静寂に包まれた、闇の中。
 ゆっくりと、青年は顔を上げる。辺りを見渡して、押都を探す。

 見つからない。

 頬に、最後の涙が伝う。
 瞳が、大きく広がって、光すら逃さない。真っ黒な底へと、辿り着いた。


ーーーー


 押都たち、タソガレドキ忍軍は、今、戦の真っ最中であった。

 タソガレドキ忍軍が、身を潜める潜伏所へ、一人の忍びが戻ってくる。
 震える忍びを、確かめた。
 死間の、隼隊の者だった。


 敵地から、こちらまで文書を持ち帰る役目。それは、命がけの忍務だ。
 何人もの隼隊が居たはずだが、それも戻らず。
 その中で、この者は、唯一の生き残りだ。

 その者が、持ち帰った情報。
 それは、タソガレドキの勝利へ、大きく貢献するものだった。

 
 隼隊の者へ、雑渡が声をかける。
 しかし、返答はなかった。歯を打ち合わせ、全身を震わせていた。

 肩を揺すって、正気に戻そうとする。けれど、それも叶わない。
 包帯まみれの雑渡を見て、凝視するばかり。
 そして、押都の雑面を見ると、悲鳴を上げて、そのまま、ひたすら謝り続けた。

 雑渡は、肩を落とす。
 死にかけた者は、よくこうなる。歯車が取れたように、壊れてしまう。

 二人は、山本へ目を向ける。雑渡や押都よりは、まともな見た目だからだ。


 優しく声をかけて、背中を擦ってやる山本。
 言葉を詰まらせながら、その者は語り始める。

「お、お、押都小頭の、梟が、本性を現したァ……!」



 隼隊の者は、見たものを語る。それは、正気だと思えないものだった。
 その者、曰く。

 忍務を任され、単独で、森をかけていた。
 多数の敵に、追われながら走る。
 懐にある機密文書を持って、命懸けで走った。


 その時、化生が現れる。

 全身に羽が生えて、翼があり、牙は鋭く、かぎ爪もあった。
 人のように、立っていた。
 思わず、足を止めて、それを見上げる。


 こちらを見る目は、全て黒く染まっていた。月明かりに当たって、黒光りする瞳。


 立ち止まってしまった隼隊の者へ、敵の忍びが襲いかかる。

 次の瞬間、生暖かい血飛沫が、顔にかかった。

 化生が、敵の忍びの身体に食らい付き、それを引きちぎる。
 骨が砕けて、肉片が離れ離れになって、地面へ飛び散った。

 それを見た隼隊の忍びは、恐れ慄く。


 そして、気がついたら、駆け出していた。

 始めの方は、敵に捕まって殺されたくないと、必死に走っていた。
 しかし、いつの間にか、変わっていた。
 死にたくないと思って、足を動かし続ける。

 ーー化け物に、食い殺される!


 その後、後ろも振り向かず、一心不乱に走って逃げた。
 逃げて、逃げ続けて。


 そして、タソガレドキへ戻ってきて、仲間に会えた時。
 やっと、気が付いた。

 あの化生から、生き延びられたのだと。



 言い終えて、その者は気絶した。
 雑渡は指示を出して、救護班の元へ運ばせる。


「押都」

 雑渡は、押都を呼び止める。

「駄目だよ」

 雑渡たちは、タソガレドキ城主に仕える忍び。戦の最中に、寄り道は出来ない。
 まして、戦に関係のない梟一匹などに、かまけてられない。

 動き出していた足を止めて、押都は、ふーと息を吐く。

「私は、黒鷲隊小頭、押都長烈だ。 前線から離れる訳、無いだろう?」

 その足先の示す方を見て、そこから順々に押都をなぞった。
 雑渡は、冷たい目を向ける。そして、目を細める。

「勿論、そうだよね」



 戦も、ひと段落付く。
 タソガレドキの勝利で、幕を下ろした。


 忍務明け。
 押都は、身体を休める事なく、梟の捜索へ向かった。
 雑渡も、まだ動ける忍びをかき集めて、捜索に協力する。


 報告にあった、化生の交戦した場所へ辿り着く。
 そこには、血の匂いと死臭が漂っていた。

 敵の忍びが何人も息をしておらず、残されていた。

 雑渡は、その身体をよく確かめる。

 人間の身体が、真っ二つに裂けていた。辺りを見渡す。
 そこには、千切られた身体の一部が転がっている。

 ーーこれは、駄目だ。

 雑渡は、すぐに理解した。これは、人間技ではない。


 草木をかき分けて、押都は見つける。

 大量の血溜まりと、羽根が散乱していた。
 この量では、流石の化生と言えど、生きてはいないだろう。

 辺りへ、首を巡らせる。
 けれど、何処にも、化生の遺体は見当たらなかった。

 押都は膝をついて、両手で草を分けて、必死に探す。
 あるはずの、亡骸を。


 その背中に、雑渡は話しかける。

「押都。 もう諦めようよ。 化生は、死んだんだ」
「いや、まだだ。 まだ死んだと決まった訳ではない。 まだ身体が見つかっていないだろう」
「……だからだよ」

 押都は、手を止めて、雑渡を見上げた。

「まだ、死んでいないかも、しれないだろう?」
「どういう事だ……?」

 不思議そうに、首を傾げる押都。
 雑渡はゆっくりと、子供に言い聞かせるように、はっきりとした口調で、伝える。

「人間の味を覚えてしまった、化生がまだ生きている。 もう押都の知っている、彼じゃない」

 雑渡の言葉を聞いて、忍軍の皆が固まった。


 暗闇は、忍びの味方。

 普段から、見慣れた夜の森。
 けれど、今日の森は何処か可笑しい。

 首筋に、生暖かい空気が漂う。どこからか、視線を感じる。


 草むらから、音がした。

「ひっ!」

 忍びが、腰を抜かす。
 そこに居たのは、狐一匹であった。肉片を咥えて、森の奥へ去っていった。


 腰が砕けて、立てなくなった忍び。
 新人などではなく。忍軍へ入隊してから、しばらく年の経った者だった。

 周りのものが手を貸して、その者を助け起こす。


 雑渡は、即決した。

「忍軍は、皆、タソガレドキへ戻る」

 雑渡の声が、響く。

 そして、一斉に背を向けて、皆が走り出した。
 我先に、タソガレドキへと向かう。


 山本が、振り返る。

「おい! 押都、戻るぞ!」
「戻らん。 あいつを見つけてやるまで、帰れない」

 雑渡は、もう一度、声をかける。

「押都、戻れ。 これは命令だ」
「……」

「押都、頼む……」

 山本の震える声。
 それでも、押都は、死体を漁る手を止めなかった。
 何も言わず、雑渡は、それを見ていた。


 山本が、雑渡を見る。

「お、お願いだ。 危険な森に、押都一人だけ置いていけない……!」

 雑渡は、小さく首を振る。

「好きにやればいい。 化生に食われようとも、知らない」
「ははっ。 あいつに頭から喰われても、本望だ。 落葉! 出てこい! 俺はここに居るぞ!」
「……駄目だね」

 押都は発狂してしまった。

 山本は、目を見開く。信じられないものを見た。
 もう救えない。そう言い捨てて、雑渡は離れる。忍軍を率いて、タソガレドキへ戻っていった。

 その場に残った山本。
 山本は諦めず、押都を説得にかかる。

「手負いの化生が、押都だと分からず、喰らいにかかるかもしれないんだぞ……!」
「……」
「押都っ……!」


 その時。山本は、素早く、後ろへ振り返った。
 背後に広がる闇夜の森を見渡す。
 確かに、見られていた。

 そして、山本には見えてしまった。振り返る瞬間。視界の端に、その顔を。

 暗闇に、黒い二つの玉が、浮いていて。
 静かに、次の獲物を見ていた。

 ーーもう既に、ここに居る。


 唾を飲み込んで、視線を下ろした。それが居るはずの方向へ、顔を上げられなかった。
 見てしまったら、最後。
 自分が、肉の塊になってしまうと、理解してしまった。

「気が済んだら、すぐに戻ってくるんだぞ……!」
「ああ」


 山本が、立ち去る間際。押都の声が聞こえた。

「すまなかった……」

 それは、雑渡へ向けてか、山本へ向けてなのか、はたまた、化生へなのか。
 山本には、分からなかった。


ーーーー


 押都、ただひとり。
 森の中で、死体を漁り続けていた。


 夢中で、手を動かしていると、頭上から、何者かが降ってくる。
 その者は、押都の脇腹を強く蹴り上げた。

 地面に転がる押都。
 
 それは、敵の忍びだった。容赦なく、押都へ追撃する。

 押都は、敵の忍びに囲まれていた。
 多数に無勢。
 押都は憔悴しきっていた。その攻撃から身を庇うことも、逃げることもできない。


 攻撃が途切れる。

 その時、目を開く。夜空を覆い隠している、木々を見上げた。
 そして、押都は、その忍びを見る。

「……化生を、見なかったか?」

 押都の喉元が、足で踏みつけられる。
 両手で、それに抗う。

 敵が、押都へ問う。

「おい、お前がやったのか?」
「かはっ……。 お、俺の化生、を……」
「……! やはり、お前が、仲間たちを殺したのか!!」

 激昂する忍びたち。
 忍刀に、苦無、各々武器を構えた。

 そして、押都へ飛び掛かる。仲間の無念を晴らす為、押都の身体に、刃を突き立てようとした。


 その時、咆哮が聞こえる。

 森の奥が、騒めく。
 葉が舞い上がって、大きく地面が揺れる。


 次の瞬間、押都の周りを囲っていた忍びたちが消えた。
 忍びたちを蹴散らす化生。

「うわぁーー!!」

 握り締めた忍刀を、振り上げる。忍びは、化生へ切り付けた。
 しかし、その刃は、化生を切りつけることが出来ず、体表を滑る。

 その忍びへ、化生が一度、腕を振る。
 かぎ爪が、その身体を捉えて、真っ二つに裂けた。

 化生へ襲い掛かった忍びは、全て生き絶えた。圧倒的な力量の差を見せつけられる。
 恐れをなした忍びは、仲間を見捨てて、散り散りに逃げていく。



 動くことが出来ない押都だけが、そこに残った。

 脇腹を押さえながら、ゆっくりと身を起こす。
 化生から、目を離すことなく。震える足で、立ち上がる。
 自ら、化生へ歩み出す。

「落葉、落葉……。 お前、なんだろう……?」

 押都には、見覚えがあった。
 大きな翼に、鋭いかぎ爪。そして、柔らかく温かい羽根、その腕の中を。

 重い腕を上げて、押都は化生へ触れた。
 血で濡れた身体。ただこちらを眺めて、答えない口元。
 抵抗されないのを良いことに、化生の頬を撫でる。

 その瞳を、見た。
 闇夜に溶けるような黒目。

 押都は、ふっと息を吐いた。

「お前、目が見えないのか」

 視線を巡らせて、見渡す。
 化生の身体は、確かに傷付いていた。この目も、きっと怪我を負ったのだろう。

 腕を口元へ近づける。忍び装束を、鼻先へかざす。
 押都の匂いを嗅がせようとした。そうすれば、きっと押都に気が付くことが出来るはず。

「落葉……。 大丈夫だ。 俺だ、押都だぞ」

 けれど、化生は、押都に気付かない。
 その声に、答えることはなかった。押都に構わず、翼を広げた。

 殺し足りないとでもいうように、押都を押し退けて、夜闇へ飛び去った。

 体制を崩して、倒れ伏す。
 またひとり、押都は残された。



 満身創痍の身体を引きずって、タソガレドキへ戻る。
 気力と、執念だけで、森の中を進む。

「……ははっ。 はあ、はあ……」

 あいつを見つけた。
 あいつは、生きてた。

 押都は、嬉しそうに笑っていた。

 体勢を整えて、再び、お前を連れ戻してやる。


ーーーー


 タソガレドキ領にある、忍里にて。


 雑渡は眠らずに、押都の帰りを待っていた。
 火を絶やさず、狼隊には火器の支度をさせていた。

 万一に備えて、忍びたちに、忍里を警備させる。

 忍里の位置も知っている化生。
 押都が化生の死体を見つけてくれれば、良いのだが。
 いや、それとも化生に乗っ取られた押都が戻ってくるやも。

 皆が、気を揉んで、その夜を明かした。


 早朝、警戒の笛が鳴る。
 何者かが、忍里へ近づいた。

 雑渡は、すぐさま、そちらへ向かう。



 そこに居たのは、血と泥に塗れた押都の姿だった。
 その手には、何もない。

 押都は、両膝を付いて、その場に座り込む。
 頭は下げず、静かに雑渡を見つめた。


 狼隊の者が構えている、火縄銃を下ろさせた。雑渡は、歩み出す。
 一歩、一歩、押都へ近づく。

「おかえり」
「……ああ」
「押都が食べられてなくて、本当に良かった」
「……」

 ほら。と、押都へ手を差し出す。雑渡は、目を細めていた。

 その手を見て、また雑渡を見上げる。
 そして、押都は手を取った。

 雑渡が力を入れて、押都を引き上げる。押都は、立ち上がった。


「押都……!」

 山本が駆け出した。こちらに近寄って来る。
 その勢いで、押都の身体を抱きしめる。雑渡ごと、強く、引き寄せた。

「すまない。 本当にすまなかった、押都。 お前を置いて行ってしまって……」

 押都の胸元で、泣き腫らす山本。
 押都は、その背中をさすった。そして、ようやく、言葉を紡ぐ。

「俺の方こそ、すまなかった。 意固地に、なっていた……」


 男泣きする忍び、三人。
 散々、泣き腫らした後、頭が冷えてくる。


「はあ〜。 泣いたら、お腹空いてきちゃった」
「食事の前に、湯浴みに行くぞ。 流石に臭い」
「何徹したと思っているんだ。 湯船にでも浸かったら溺れる」
「じゃあ、三人で忍軍の風呂場、貸し切っちゃお」


 押都は、二人に両肩を支えられながら、医務室へ向かう。
 その時、呟く。

「あいつは生きていた……」

 口角の上がった、押都の口元。
 それを見て、聞き間違いでないことを、知った。
 
 二人の喉が引きつる。

 突然、喉が渇く。
 飲み込む唾も無いのに、喉を動かして、必死に抑えた。
 あの時の恐怖が、せり上がってくるのを。



 雑渡は、忍軍へ指令を出す。
 もうしばらくは、昼間でさえも、決して火を絶やさないように、と。


 忍里に住む里人たちは、家から出歩くことを控えた。
 忍びたちも、無闇に森へ近づかないようにする。

別れ

 化生が、現れなくなって数日。
 忍里に、不穏な空気が流れていた。その矛先は、押都へと向かう。
 化生を引き寄せて、里へ招き入れた張本人へ。


 遠巻きに、囁き声が聞こえる。
 押都が、そちらへ顔を向けると、話を止めて、さっと顔を逸らす。

 押都は、ひとつ息を吐いて、また歩き出す。
 その後ろ姿を見ていることに、気が付いていた。しかし、そのままにする。

 人々の好奇の目が、押都へ注がれることには、慣れていた。



 今、この雑面があることに、深く感謝した。

 変装や、人心掌握を得意とする、忍びの家系に生を受けて。

 幼い時から付けていた、顔前の紙。前が見えずらいと、愚痴を零したこともあった。
 その紙を付けて、日常生活に慣らしていった。あの頃。
 
 そして、押都家を引き継いだ時、その雑面を賜った。
 その日から片時も外さず、それを身に付ける。

 人に顔を深く覚えられないように。己の感情を読み取られぬように。
 それが、仲間であろうとも。


 蘇利古の雑面越しに、見える世界。
 それは、押都をそこから弾き出し、そして守っていた。

 人々の醜さを、直視せずに済む。
 自らの愚かさを、晒さずに済む。
 


 押都がふと、顔を上げた。
 忍軍の訓練所。近くの草藪に、隙間風が通る。

「落葉!」

 押都が叫ぶ。見てもいないのに、反射で動いた。
 青年が戻って来たと、そう思った場所を見る。

「……!」

 木の陰に、青年が立っていた。
 視線が合わず、どこか遠くを見ていた。そして、その先に何かを探している。

 押都は、安堵した。
 それを悟られないように、普段の調子で声を掛ける。

「落葉……。 どうした? 最近、見かけなかったが、どこへ出掛けていたんだ?」

 青年は何も言わずに、顔を上げた。
 そして、押都を見る。

 押都は息を飲む。
 すでに、足が踏み出していた。青年の元へ、一歩ずつ近づいていく。


「待て! 押都!」

 押都の腕を、掴む山本。ふらふらとする押都を、必死に引き留めた。

「……? 山本?」
「押都。 行くな」

 押都と山本の前に、雑渡が進み出る。
 狼隊が、それに続く。火縄銃の銃口を、化生へ向ける。

 押都は、何が行われるか、察した。
 山本を振り払って、火縄銃を手で下げさせる。

「組頭……! 待ってください! 話だけでも、させて下さい。 話せばきっと」
「きっと? 何が分かるの?」


 雑渡は、押都へ背を向けて、振り返らない。背後に、押都たちを庇う。

 そして、合図を出す。

 別の者が構えていた火器が、大きく音を立てた。
 そして、煙が上がる。

「やめろ! 打つな!」
「押都、大丈夫だよ。 空砲だ」

 けれど、と雑渡。
 部下の用意した火縄銃を受け取った。そして、それを化生へ構える。

「これは違う。 ねえ、落葉。 こちらへ来るのなら、私も容赦しない」

 雑渡と化生は、向かい合う。


 ただ静かに、青年は、こちらを見ていた。
 そして、身体がぐらりと傾く。

 身体を支える一本の糸が、途切れたようだった。足に力は入っておらず、前へと、身体を投げ出す。

 空砲の弾に打たれたように、力なく倒れていった。
 その身体は、霧のように薄れて、かき消える。


 今まで、このような姿の消し方を見たことがなかった。
 嫌な予感がする。

 押都は、駆け出していた。未だ、火器の銃口が向けられている中、草藪へ走った。
 そして、そこを漁る。

 けれど、梟の死体も、青年の亡骸も見つからない。


 雑渡は、火縄銃を下ろして、部下へ伝える。
 忍里の中に、化生が紛れたのかもしれない。すぐ捜索を、と。



 忍軍総出で、化生を探す。

 忍長屋、忍里、ついには、タソガレドキ城までにも及んだ。
 空を飛んでいる野鳥や、飼育小屋の中の忍鳥まで。
 隅々まで、確かめる。


 押都も、必死に青年を探していた。
 長屋にある、押都の自室。引き戸を開く。

 押都の布団が仕舞ってある押入れの中。
 出会ったばかりの頃、梟はよく、そこに隠れていた。
 押都は、その中のものを全て取り出した。布団に、枕に、そして。
 その奥を見た。

 何かが、出てくる。
 それは片手で収まるほどの包みであった。

 押都はそれを開く。包まれていた、その中身を見る。

 ーー櫛であった。

 屋台で見た、安物の櫛に似ていた。けれど、違う。

 櫛の持ち手に、彫り物がしてあった。
 それは、梟。
 梟が翼を広げた姿、それが持ち手いっぱいに彫られていた。この世で、ただひとつ。
 押都を想って、作られたもの。

「こんな所に、隠してあったのか……」

 押都は、ふと顔を上げる。
 前から、ここに隠してあったのならば、すぐ気が付いたはずだ。
 それなのに、何故、今まで気が付かなかった?

 口を手で押さえて、口髭に触れる。
 
「そうか……」

 青年が、押都の屋敷で待つようになってから。
 押都は、長屋で寝泊りをしていなかった。



 手の中の櫛を見る。それを撫でて、呆然と座り込んでいた。

 その姿を、雑渡が見つける。

「押都。 どうかしたの? 何か、見つけた……?」

 雑渡が、その手元を見る。
 山本もやってきて、同じようにそれを見た。

「ああ、ここにあったんだ」

 雑渡が言う。

「完成してたんだ。 結構、上手だね」

 押都は、何も言わず、櫛を見続けた。

 山本は、押都を見て、唇を嚙み締める。そして、雑渡を連れて、部屋から出た。
 部屋の戸が閉まって、周りから、気配が消える。
 


「ーー!!」

 ひとり。
 押都は、吠えた。


 押都は、青年を思い出していた。

 あの夜、押都の髪に触れて、何か物言いたげにしていた。
 それを振り払ったのは、押都だ。

 早朝、押都を呼び止めて、何か言おうとしていた。
 それに気づかず、押都は、先に話してしまった。


 青年が、伝えたかった言葉。もう、伝えられない言葉。
 押都の口から出る音は、言葉にならない。
 
 部屋に、嗚咽が残る。


ーーーー


 雑渡は、竹筒に入っている雑炊をすすった。
 ストローから、口を離す。

「そういえば、聞いてもいい?」
「はい?」

 薬研から、顔を上げる善法寺伊作。
 乾いた薬草がすり潰され、部屋にその匂いが漂っていた。


 ここは、忍術学園の保健室。
 また休みの隙をついて、雑渡は、ここに遊びに来ていた。
 保健室の外。廊下の方へ、目を向ける。


「外が騒がしいようだけど。 何かあったの?」
「ああ……」
 
 伊作は、気まずそうに、目を逸らした。ふうと、息を出す。
 けれど、決心したように、雑渡を見る。

「お伝えしづらいのですが、あの、梟を保護しました」
「……。 梟?」

 反応し過ぎないように、努める。けれど、そちらの方が不自然だったかな。
 雑渡の頭の中は、少し、混雑していた。

 どう伝えたらいいのか、雑渡は悩んだ。
 言葉を選ぶ内に、黙り込んでしまう。沈黙が続く中。

 伊作が、口を開く。

「多分、落葉だと思うんです」
「多分、なんだ?」
「はい。 その梟の近くに、あのギニョールがありましたし……」

 ふむ。と、雑渡は頬に手を添える。そして、目を開いた。
 ゆっくりと、伊作の方を見る。

「もしかしたら、うちの忍鳥かもしれない。 忍鳥を探している奴に伝えてもいい? 確認しに来るかも」
「もちろん。 いいですよ」

 いつもの雑渡の様子に戻ったようで、伊作は、ほっと息を吐く。
 しかし、眉をひそめた。

「いいですが、ーー」

 その後に続く、伊作の言葉。
 それを聞いて、雑渡は、やっと安堵の息を吐いた。



 押都は、今、忍術学園に来ている。雑渡からの呼び出しであった。


 小屋の前に立つ。そして、扉を開く。
 部屋の奥に、麻の布が置いてあった。

 小さな膨らみ。

 その隣に、押都ギニョールが置いてあった。血と土で汚れている。
 押都はそれを手に取る。あいつの物で間違いない。

 そして、そちらへ顔を向ける。


 もしかしたら。まだ。


 布の端を掴んで、確かめる。押都は、それを見た。
 
「ああ。 無理だな」

  

 歪んだ翼と、数枚付いているだけの羽根。
 これだけでは、梟とすら分からないだろう。

 布から、腐肉の臭いがする。部屋に、澱んだ空気が漂っていた。

 
 押都は、麻の布ごと、その身体を持ち上げる。
 腕に力を入れて、胸に引き寄せる。そして、頬を寄せた。
 愛おしそうに、亡骸を抱く。

「そうか。 最後に会いたいと、願ったのか……」



 空いた扉から、雑渡が出てくる。

「生きてる?」
「いや、死んだ」

 押都は、麻の布とギニョールを持って、小屋を出てくる。
 伊作と雑渡が、押都を待っていた。

「この梟を持ち帰ってもいいだろうか」
「はい。 構いませんよ」

 押都さんの梟なんですから。と、伊作が微笑む。
 雑渡も、快く承諾してくれた。


 押都と雑渡は、タソガレドキへ戻った。
 やっと見つけた、探し物を持ち帰る。


ーーーー


 押都家の屋敷の庭先。
 庭木の下に、穴を掘っていた。


 それを眺める雑渡。

「すまなかったね」

 雑渡が、その背中に言う。
 押都は手を止めて、顔を上げる。そして、答えた。

「組頭は、何も悪くありません。 里の為、最善を尽くされた」

 そう言い終えて、また、再開する。
 土を掘って、側に積み重ねた。段々と、穴は深くなる。

 穴を掘る音だけが、庭に静かに響いていた。
 その傍らで、ばあやは袖を濡らしている。

「落葉ちゃん……」

 梟の死を、悲しんでいた。

 押都が梟の亡骸を持ち帰った時。
 それを見て、すぐに口元が固く結ばれた。

 押都たちに背を向けて、静かに屋敷へ戻っていく。
 そして、竹で編んだ箱を持ってくる。蓋を開いて、その中へ入れてやる。


 押都は箱の中へ、無言で花を入れていく。
 梟の身体を花で囲んで、寂しくないように思い出の品を入れていく。
 お手玉に、押都ギニョール、そして、櫛。

 何か言いたそうに、雑渡が見る。

「……本当に、いいの?」
「ああ。 もう必要ない」

 もう一度、櫛を手に取ってから、その中へ戻す。
 梟の物を全て入れて、押都は、蓋を閉じた。



 ばあやが、縁側に座って、押都の背中を見ていた。膝には、その箱を乗せている。
 優しく、箱を撫でていた。

 化生の最後の別れに、少ないながらも人が集まった。
 山本も、静かに、その時を待つ。


 穴を掘り終えて、押都が振り返る。縁側の方へ、歩いてくる。
 土で汚れた押都の手に、ばあやが箱を手渡す。
 それを、押都が受け取った。


 その時、門の方から声がする。
 子どもが、不思議そうにこちらを見ていた。

 誰かが、簡単に説明してやる。化生の弔いをしているのだと。

「梟が死んだの?」
「そうだ」
「死んでないよ」

 皆が見る。

「僕、さっき梟に、会いに行ってたよ」

 子どもは、首を傾げた。

「あの時、助けてくれたのに、ありがとうって言えなかったから。 ごめんねって伝えて来たの。 父さんも一緒に見てるよ」

 一瞬、音が途絶える。


 雑渡は、顎に手をやって、考え込む。
 助けてくれた? 化生が?

 そして、ひとつずつ、思い起こす。


 忍里の子を、連れ戻した青年。

 森の中で、人を襲った化生。
 そういえば、辺りに散らばっていた死体の中に、タソガレドキの忍び装束はなかった。

 化生と対峙した隼隊の者。化生の姿を見た山本。
 その場に残って、化生と会った押都。

 そして、その森に入っていた雑渡、率いるタソガレドキ忍軍。

 皆、生きて帰ってきていた。
 てっきり、偶々、見逃されたとばかり考えていたが。

 しかし、それが意図的だったのならば。

「……。 ……もしかして、私たちのこと、守っていた?」


 雑渡の言葉に、息を飲む。何も言えずに、皆、俯く。
 押都は、手元を見る。


 何故だか、もう一度、会いたくなった。


 押都は、箱の蓋をゆっくりと持ち上げる。直接、さよならを伝えたい。
 箱の中。
 そこに、梟の身体は無かった。

「そんなはずは……!」

 その場にいる全員が、動揺する。
 箱の中に仕舞われた亡骸を、確かに見ていた。皆が見守る中、誰かが取ったとも、逃げ出したとも思えない。


 押都の手から、箱が落ちる。中身が、地面へ飛び散った。
 何も言わず、押都は走り出す。

「おい! 押都!」

 後ろから、山本の声が聞こえた。

 けれど、足を止める気にならない。押都は、走り続けた。
 そして、梟の元へ向かう。


 走る。走る。風のように、駆ける。
 どんなに息が苦しくなろうとも、構わなかった。
 堪らなく、気分がいい。
 今なら、風になれる。

「ははは……!」

 空に向かって、大きく口を開いて、笑う押都。

 化生だから。
 あいつは、こんなに簡単に死ぬはずはない。


ーーーー


 タソガレドキ城下を外れて。梟の住んでいた場所。
 そこにある、樹の元へ向かった。


 押都は、さらに足を早める。森の中を駆け抜けた。

 そして、辿り着く。
 樹の下から、押都は声をかける。

「落葉!」

 木の穴から、梟が顔を出す。
 梟は、静かに、押都を見下ろしていた。


 押都は息を飲んで、目を見開く。

「ほー」

 梟が鳴くと、奥からもう一匹出てくる。
 押都は、もう一度、目を凝らす。

「あ、あいつ」

 青年と押都で、育てた梟の雛。
 見た目は成鳥と同じだが、まだ幼い。

 飼育小屋に入れていたはずなのに。どうやって、抜け出して来たのか。
 そして、ちゃっかり、気になる相手を口説いている。

 手が早いところも、同じ。

「全く。 誰に似たのだか……」

 ほろりと、こぼす。


 押都は枝に飛び乗って、巣穴の中を見る。
 青年が去った後、梟の番が、そこに住みつき始めたらしい。

 巣穴の外で、突然現れた雑面。それに驚いて、梟は飛び去っていく。
 そこに残ったひとりと、一匹。

 押都の肩に、留まった梟。その頭を軽く、撫でてやる。

「驚かせて、悪かったな。 先に、忍里へ戻っていてくれるか?」
「ほーう」

 梟が飛び去った。その後ろ姿を、見届ける。巣穴は、空っぽだった。



 紅葉の綺麗な道を引き返す。ふと顔を上げて、見上げた。
 ひらり、ひらりと、落ち葉が降る。

 落葉の、綺麗な日だった。

 その中を、押都はひとり、歩いていた。


ーーーー


 タソガレドキ城の一室。

 黄昏甚兵衛が、顔を上げる。機嫌が良いのだろう。
 側に控えている組頭へ、声を掛けた。


「そういえば、あの梟の化生がおっただろう」

 視線で、それを指し示す。献上された宝の山のひとつ。
 そこには、小箱が置いてあった。


 その箱の中に、手毬が入っていた。
 色鮮やかな刺繍糸で繕われた、高価な一品。


 甚兵衛が、口角を上げて、続ける。

「あやつに、くれてやろうと思ってな」

 組頭と共に、控えていた押都。何とお伝えすべきかと、逡巡する。
 押都が、口を開く前。

 手元の扇子をくるくると弄ぶ甚兵衛の御前に、雑渡が進み出る。

 代わりに答える。

「あれは落鳥しました」
「そうか」

 甚兵衛は、ただ一言。

 それ以上、その話に触れなかった。
 始末したのか。どうやって死んだのかも聞かない。それで話は終わった。

 興味が失せたように、献上品を部屋から持って行かせる。
 
 そして、いつものように、戦の話をする。
 次の戦は、どの城としようか。

 甚兵衛と雑渡は、話に戻っていった。



 タソガレドキに吹く風が、冷たくなっていく。

 戦に勝利した人々は、この冬を越すことが出来る。
 そして、領地から追われた者は、過酷な自然の中、静かにその息を止める。

 生きる者は誰も、歩みを止めることは出来ない。
 生きている限り、戦は続く。


ーーーー


 孤独を埋めるように、仕事へのめり込む。
 書類の束が壁のように積み重なって、押都を囲っていた。

 息が詰まる程の静寂。その中で、無我夢中に、溺れる。



 部屋の外から、静かな足音が近づく。引き戸の向こう側から、声がかかった。


「坊ちゃん。 温かいお茶をご用意致しました。 ご休憩なさっては、いかがでしょうか」
「いや、もう少しやる。 そこに置いておいてくれ」
「……坊っちゃん。 失礼致します」

 引き戸が開かれて、素早く、ばあやが中へ入って来る。
 押都は手を止めて、後ろを振り返った。


「置いておけと、言ったはずだが?」
「坊っちゃん」

 ばあやが、湯呑みの乗った盆を側に置いて、座り込む。静かに、押都を見つめ返した。

「これ以上は、お身体を痛めます。 一度、お止めになった方が宜しいかと」

 押都は、顔を逸らして、手元に落とす。頭を乱暴に掻いて、長く息を吐いた。

「……今は、そのような気分になれない」
「そちらではなく」


 ばあやが、微笑んで、僅かに小首を傾げる。

「化生探しを、お止めになった方が宜しいかと」
「……」

 文机の上に手を付いて、ばあやの方を見る。思わず、手に力が入って、拳を握る。
 書きかけの報告書が、歪んだ。

「……貴方も、諦めろと言うのか?」
「いいえ。 まさか」

 ばあやは、口を片手で押えて、笑う。

「ほっほっほ。 気が済むまで、お探しになったらいい」
「……」
「黒鷲は……。 一度、相手を決めたのならば、その生涯をかけて、添い遂げる。 愛情深く、そして……。 狙った獲物を逃しはしない」

 いつもの優しい顔。その細まった瞳の奥が、強かに見えた。

 ばあや……。と、押都が呟く。
 御伽草子を聞かせるような口振りで、ばあやが話し始める。

「死に損ないの戯言だと思って、聞いて下さいな」



 ばあや曰く。

 タソガレドキ領を三つ越えた所に、ある話を聞いたという。
 ひと月かふた月前に、記憶喪失の男が、村に現れたらしい、と。

 その男。
 物を知らず、銭も数えられない。
 そして、やること、なすこと、全てが危なっかしい。

 傍から見ていて、ハラハラさせられる。

 けれど、筆を持たせれば、それはまあ、達筆だというのです。
 その手並みを見て、村人たちは、寺子屋でもしたらどうかと話を付けて。
 今は、村の子らを相手に、文字を教えているといいます。

 子どもには優しい男だが、とても物草で、あまり小屋から出て来ず。
 村人は、その者を、屋敷を追われた何処かの貴族なのではないか、と噂しているのだとか。
  


「何処で、それを知り得たのだ……?」

 現役、黒鷲隊小頭の押都でさえも、そのような話を聞いたことがなかった。
 忍務の合間や、休日を切り詰めて、押都自身が探し回っていたというのに。

「ほっほっほ。 無駄に長生きしていると、要らぬ伝手が、増えていくばかりで……」

 ばあやが、部屋の外を見る。
 
「私が確かめて来ようと思っても、この老体に、雪山は厳しい……。 それに、私は忍里を出た事が無いものですから」

 押都の方を見て、首を傾げた。

「ばあやの為と思って。 見て来て下さいませんか?」


 息を飲んで、喉が鳴った。しかし、と言って、また俯く。
 押都の声が、震える。

「もしも。 もしも、違ったのならば」

 ほっほっほ。
 ばあやは、可愛らしいものを見るように、笑っていた。

「その時は……。 饅頭を土産に、帰ってきて下さいな。 道中にある饅頭屋のものが、大変美味だと聞いていたもので……」

 顔を上げて、ばあやを見る。
 そして、押都は、ため息をつく。仕方ない、と呟いた。

「いつも世話になっているからな。 ばあや達に、饅頭でも買ってこよう」

 押都の言葉を聞いて、ばあやは、嬉しそうに頷く。



 今日は、もう遅いですから、お休みになった方が良いでしょう。
 お身体を休めて、支度を整えてから、参りましょうね。

 ばあやの言葉に、押都は、大人しく頷く。

 湯浴みに、食事に、床の支度まで、既に用意されていた。
 導かれるように、押都は、自らの身体を休める。

 
 冷たく、凍える夜を耐え凌いで。朝日が昇るのを静かに待った。

再会

 押都は、タソガレドキに背を向けて、冬の山を登る。

 目指すは、領地を三つ越えた先。遠出になるだろう。しかし、忍びの足を持ってすれば、行けぬ場所ではない。いざ、行こう。
 積もった落ち葉を踏みしめて、進んでいく。

 押都の肩に、重みが乗る。

「ほー」
「……お前か」

 小さな梟が乗っていた。押都の方を見て、首を傾げる。

「はあ。 また抜け出して来たのか」

 こんなに気軽に抜け出されるとは。
 飼育小屋と囲いに、穴でも空いているのかもしれない。帰ったら、直しておくか。

 梟の頭を撫でてやる。

「少し、遠出をする。 ……お前も付いて来るか?」
「ほー!」

 元気な返事を聞いて、ふっと微笑む。
 押都は、小さなお供を連れて、山道を進んで行った。 



 ある日。何者かが、村を訪れた。
 笠を被り、顔を隠す旅人。遠く離れた所からやって来たという。

 これから冬が来る。
 雪で閉ざされてしまう前に、滞在する場所を探していると言った。


 遠くから訪れた旅人と、村人が話す。
 別の領地では戦があったとか、今年は豊作だったとか、旅の話をしている内。世間話は、最近現れた変わり者へと移る。


 村人曰く。

 出身地や経歴、名前も分からず。唯一出来ることは、字が書けることのみ。
 初めは訝しんだ村人たちであったが、その部外者を迎え入れた。
 文字を書くことが出来る。それだけでも、貴重な人材だからだ。
 
 何処ぞの武家から外れた者ではなかろうか、と囁く。


 旅人は、それを聞いて顔を上げる。

「実は、人探しをしている。 ……もしかしたら、その人かもしれない。 一度、話をしたいのだが、どこへ行ったら会えるだろうか」
「ああ、それならね」

 村人は、村外れを指し示す。
 戦へ行ったきり、帰って来なくなった男の空き家に、住み着いているという。感謝を述べて、旅人は歩き出した。



 小屋の戸を叩く音。

 それを聞いて、男は首を傾げた。この村で、丁寧に戸を叩く者はいないからだ。皆、遠慮なく戸を開いて、中へ入って来る。
 聞き間違いだろうと、また手元に視線を落とす。

 また、叩く音。
 勘違いではないことを悟った男は、やっと重い腰を上げた。
 しばらく経ってしまったが、まだ待っているだろうか。僅かに戸をずらして、外を伺う。

「誰?」
「突然、すまない。 人を探しているのだが……」

 その時、戸が掴まれる。
 笠を被った男が、一歩近づく。その眼光が、恐ろしい。

「ーー!」
「……え?」

 見知らぬ男。その男が、急に大きな声を出す。
 短い単語。誰かの名前だろうか。ふと、そう感じたが、自分に聞き覚えは無かった。


ーーーー


 狭く古びた小屋の中。
 木材の隙間から、冷風が吹き込む。

 押都は、今、青年と向かい合って、座っていた。

 ーー落葉。

 心から望んでいた、探し人。その人であった。
 しかし、何やら事情があるようだ。青年と同じ顔、同じ姿のはずなのに、押都を知らないと言う。


「遠くから来たんですね。 良かったら、これ、飲んでください」
「有難い」

 青年から、受け取った湯呑。その中は、白湯であった。

 青年の身なりを、一度、見る。まあ、茶が出てこなくとも仕方ないか。
 古着の着物を、何枚も引っかけているだけ。寒さを凌げれば、それで構わないのだろう。

 軽く、部屋の中を見渡す。
 辺りには、紙と墨と筆。そして、書物や冊子が、床に散らかっていた。
 部屋からは、埃の匂いしかしない。


 押都は、湯呑を置いて、青年に向き直る。
 軽く自己紹介をして、事情を話し始めた。
 
「押都さん、と言うのですね」
「……そうだ。 ところで、貴殿の名は?」
「それが分からないんですよね。 村人からは、お兄さんと呼ばれています」

 頭を掻きながら、困り顔を見せる。好きに呼んでもらって構わない、と笑う青年。


 押都は早速、本題に入る。

「ほー。 人をお探しになっているのですか。 しかも、私がその人に似ているとか」

 顎を擦りながら、ゆっくりと、頭を傾げる。

「私が?」
「……」

 押都は、青年を見ていた。いつものとぼけ顔と、仕草。
 それが演技であったのなら、相当、忍びに向いている。

「……貴殿には、記憶が無いと聞きました。 もしかしたら、それで、お忘れになってしまったのでは無いかと」
「いやあ、わざわざご足労をおかけして、申し訳ないが」

 青年は、悪気なく、無邪気に笑った。

「全く、覚えがないですね。 はい」



 旅の方には申し訳ないが、勘違いと言う事で……。と、青年に戸口の方へ、追い立てられる。押都は、まあまあと、引き下がる。

 荷物の中から、買ってきていた饅頭を差し出す。
 青年の目が、きらりと輝くのが見えた。

「饅頭でも食べながらで結構だから、話を聞いて貰えないだろうか?」
「まあ、しょうがないですね。 饅頭に、罪はありませんから」

 そう言って、二人は、再び座った。
 饅頭を両手に持って頬張る青年。それを見ながら、押都は遠い目をしていた。


 押都が、語る。それに、耳を傾ける青年。
 一通り、饅頭を腹に納め終えた後、青年が口を開いた。

「ほうほう。 つまり、貴方は梟の化生で、私たちの間には子が居ると」
「違う」

 押都は、頭を抱える。
 全く、何を聞いていたら、そんなことになるのか。
 また説明しても、どんな方へ話が飛ぶか分からず、押都は、誤解を解くのを止めた。


 その時。
 小屋の隙間から、梟が一匹、入って来る。

「ほー」

 押都の肩に乗って、青年を見る。そして、鳴いた。

 肩から飛び降りると、青年の方へ歩く。そして、青年を見上げた。
 梟は、不思議そうに小首を傾げる。

 それを見て、青年も首を傾げた。

「この子……。 押都さんの梟ですか? 大変、可愛らしい子ですね」
「卵から育てた奴でな」

 梟を見て、微笑む青年。
 
 青年の言葉に、梟が反応を示す。羽ばたいて、青年の肩に乗った。そして、返事を返す。

 どうやら、こいつには分かっているらしい。やはり、落葉で間違いない。


 梟から視線を上げて、押都は、こいつのことも話す。

 聞き終えて、青年は静かに、天井を見上げる。そして、顔を両手で押さえながら、独り言を呟いた。

「妙な色気があるな、この人……」
「おい。 聞こえているぞ」

 押都は、思わず、ため息を零す。駄目だ。話にならん。

「えっ。 でも、貴方が産んだんですよね?」
「……」

 顔を押さえていた手を退かして、青年は、真剣な眼差しで見つめてくる。
 押都は、押し黙った。


 青年は、押都の方を指差す。そして、梟に、優しく訊ねた。

「この人は、お前の母か?」
「ほー」

 梟の方へ、身体を傾けて、ほうほう、と相槌を打つ。青年のわざとらしい小芝居。

 押都は、それを静観する。
 もしかしたら、本当に、獣の言葉が理解出来るのかもしれない。あり得るか、と思ってしまった。

「そうか、そうか。 この人が、お前の母なのか」
「……! やはり、お前、梟と話せるのか?」
「ええ? 話せる訳ないじゃないですか」
「……」

 押都は、頭を押さえて、黙ってしまう。
 こんなに俗世に染まった青年の姿を、見たことが無かった。

 心の中で、あの純粋無垢な、青年を呼んでいた。


ーーーー



「お兄ちゃーん」

 突然、戸が開けられる。そこには、子どもが立っていた。


「うわ。 知らない人が居る……」
「旅の方だよ。 どうも、すみませんね」

 押都を見て、謝る青年。

「いや、構わない」

 押都は、首を振った。

 青年が言うには、これから文字を教えるのだとか。寺子屋紛いな、それ。

 見ていても構わないか、と訊ねる押都。青年と子どもは、気にしないと返す。
 押都は、一度頷いて、そのまま部屋の端に移り、その様子を見ていた。


 青年が、筆を持つ。
 子どもも、見よう見まねで筆を持ってみる。

 子どもが筆を持ったのを見届けて、紙上に筆を走らせた。止めど無く流れる小川のように、迷いなく、書き進める。

「さあ、やってみて」
「よおし……」

 紙の上に、墨の池が出来ていた。
 青年は、子どもの裾を折って、付かぬようにしてやる。そして、握りしめる手に、そっと触れた。

「握り方は、こうだね。 力を込めすぎず、もう一度、書いてみて」
「……!」

 真剣な子どもの横顔。それを愛おしそうに、眺める青年。
 しばらく、筆の走る音だけが聞こえていた。そして、部屋に墨の匂いが満ちる。


 子どもが、青年を見上げる。

「書けた!」
「よし、上出来だ」

 青年は、ミミズの這ったような跡を見て、子どもを褒め称えた。

 二人はまた、筆を持って、紙上に向かう。
 子どもは、青年の書く姿を見て、口を開いた。

「お兄ちゃんは、何で、そんなに書くのが上手なの?」
「さあ、何でだろう」

 書き終えた青年が、顔を上げる。そして、子どもの方を見て、微笑んだ。

「きっと、好きな人に恋文でも書いていたから、なのかもね」
「好きな人? お兄ちゃん、好きな人がいたの?」
「さあ、覚えていないや」

 青年は、顔を紙に戻す。そして、筆を持った。すらすらと書きながら、呟く。

「忘れてしまったという事は、そんなに重要では無かったということさ」

 寂しそうな顔を、押都は、ただ静かに見ていた。



「お兄さん! お邪魔します」

 別の子どもが、戸を開けた。青年たちを見て、笑う。
 そして、押都に気が付いた。軽くお辞儀をする。押都もそれを返す。

「先に始めていたんだよ。 ほら、おいで」

 あ、その人は旅の方ね。と、押都を軽く紹介した。


 その子は、隣にやって来る。
 そして、同じように筆を持つ。拳ひとつ分、背の高い子。背筋を伸ばして、すらすらと筆を走らせた。

 その横顔を見て、すぐ逸らす。
 そして、また紙から顔を上げて、隣を盗み見ていた。
 目が離せないようで、ひたすら追う。先程の勢いは削がれて、集中できないようだった。

 その様子を見て、青年はくすくすと笑う。
 
「お前、きっと字が上手くなるぞお」



 子ども達が帰った後。
 小屋はまた、静寂へと戻っていった。

 押都へ、白湯を入れ直して、差し出してくる。
 それを受け取って、口を付けた。押都は、何も言えなかった。

 それを見て、青年が微笑む。その顔は、悪戯っ子のようだ。
 自らの頬を指し示して、押都を見上げる。 

「頬に、落胆と書いてあります」
「……そんな事は……」

 また微笑んだ。

「貴方の知っている、私では無かったですか?」



 囲炉裏の火を、二人で眺める。
 小さな火が、ほんのりと身体を温めていた。青年は、口を開く。

「きっと、貴方の知っている私は、死んでしまったのでしょう。 今は、もう別の私ですから」

 押都は、言葉を返せなかった。拳を握って、俯いた。

「もし、気落ちしているのなら、気になさらないでください」

 小首を傾げる。
 
「私はここで、生きてますから。 ね?」


ーーーー


 小屋の外。日が落ちて、辺りは暗くなっていた。

「今日の宿が決まっていないようでしたら、ここに泊まってはいかがですか」
「……。 何故?」

 押都は、被ったばかりの笠を上げた。
 戸口の方から振り返って、青年の方を見た。その言葉の真意を確かめる。

 いきなりやって来た見知らぬ男を泊めるというのは、些か不用心が過ぎる。
 警戒心が薄いようだったら、一言言いつけておこうとすら思った。

 押都の訝し気な目。
 
 その目から逃げるように、青年は頬を掻く。
 それらしい答えを、持ち合わせていないようだった。

「なんとなく……。 寂しそうに、見えたから」

 それに、この村に宿屋なんてものはありませんから。と、笑う青年。
 苦し紛れの言い訳。押都は、口を閉ざす。

 小屋の中を、見渡す。
 物が多く、昼間は子らの元気な声が響いていた場所。けれど、今は静かで、物寂しさだけが残る。

 青年は、この場所で、ひとりで居ることが耐えられないのだろう。
 頭の片隅に、樹上で泣いていた姿がちらつく。記憶を失ったとしても変わらず、こいつは寂しがりだ。


 押都は、青年に向き直ると、頭の笠を取った。

「一晩とは言わず、何日か泊めて欲しい。 流石に、冬空の下で、野宿はきつい」
「随分と、居座る気満々ですね! 」

 青年は、ぱっと顔を上げて、押都を見る。



 夕食と言って、青年は汁物を出してきた。味噌を溶かして、何か、具が浮いている物。
 一口食べて、押都は口を開く。

「……明日は、私が作ろう」
 

 それからしばらく、押都は小屋に滞在した。
 突然現れた同居人。しかし、青年に気にした様子は見られない。

 元から居たかのように、押都はそこに溶け込んでいった。


ーーーー


 戸を開けて、小屋の中に入る。
 部屋の中へ荷物を下ろしてから、押都は、笠を取った。

「今帰った」
「ああ、お帰りなさい」

 文机に向かっていた青年。手元から顔を上げて、押都を見る。
 そして、一瞥した後、すぐ視線を戻してしまう。

 買ってきた食料や、防寒着を片付ける。その手を止めずに、押都は、ため息を吐く。

「お前……。 本当に、小屋から出てこないんだな」
「まあ、ひどい」

 押都は、青年を見つめる。それを見て、青年は肩をすくめて、反論した。

「私だって、外くらい出ます。 ……水汲みとか?」

 そう胸を張って言う青年。押都は、やれやれと首を振った。


 荷物から本を取り出すと、青年の方へ差し出す。

「ほら、お前が欲しがっていたものだ」
「ええ! 嬉しいなあ。 早速、読んでみますね」
 
 押都へ感謝を言って、本を受け取った。そして、本を開く。
 紙の捲る音が、何度か続く。
 もうすでに、目の前の押都など見えなくなってしまったようだ。静かに、青年は、本の世界へ入って行った。

 穏やかな、二人だけの空間。押都は、そこから背を向ける。
 青年など放っておいて、食事の支度に取り掛かった。



 ある日。
 押都がいつものように、小屋へ帰ってくると、青年は居なかった。

「何処へ、行った……?」

 乱暴に荷物を下ろして、小屋を出る。
 崩れていく呼吸。押都は、それを整えるために、息を吸った。


 戸口を掴んで、顔を上げる。そして、止めていた息を吐く。
 向こうから、青年が帰って来ていた。

 押都に気が付いたようで、こちらへ手を振っている。
 もう片方の手には、雪兎が数匹、握られていた。


「この子、お腹が空いているようだったので、ご飯を取って来たんです。 ついでに私達の分も」

 小屋の裏で、兎を捌いてきた青年。その切れ端を、ゆっくりと差し出す。

 見上げる梟。
 青年の手から餌を与えられ、それを食べていた。


 押都は、そこから顔を上げる。

「どうやって、野兎を捕まえてきた?」
「えっと……。 こんな感じ?」

 青年は、素早く腕を振った。そして、何度か空を掴む。

 押都は、頭を抑えた。
 素手で捕まえてきたのか。

 通りで、出稼ぎに行かない訳だ。
 森の中で、こいつ一人でも、生きていけるのだろう。

 安堵の息を吐く。
 けれど、それが少しだけ気に入らなかった。



 夕飯後、二人は白湯を飲みながら、囲炉裏を眺めた。
 青年の肩に留まり、梟はそこで落ち着く。

「可愛い子です」

 梟が頭を下げて、小さく鳴く。
 青年はそれを見て、梟の頭を指で撫でてやる。


 火のついた炭が、ぱちりと音を立てる。灰の奥が、赤く光っていた。

 小屋が、風で軋む。
 その時、小さな駆け足が聞こえてきた。

 穴の空いている、古い小屋だ。何処からか、鼠が、中に入ってきてしまったのだろう。
 音の聞こえる方へ、押都は顔を向ける。


「ひい! 鼠!」

 青年の声が、小屋に響く。

「どうした?」

 押都は、思わず顔を上げた。
 そして、首を傾げる。鼠如きで、そんなに騒ぎ立てるのか。

「鼠だけは、どうしても駄目なんです! あいつら、紙を齧るし。 本を汚してしまうから……!」

 近くの本を抱えられるだけ抱えて、部屋の隅に行ってしまう。そこで、震えていた。

 押都は、ふうと息を吐く。

「待っていろ。 今、捕まえるから」

 それを聞いて、青年は頷く。お願いします……。と、頼りない声。部屋の隅から見つめる瞳は、揺れていた。

 腰を上げて、鼠のいる方へと向かう。


 その瞬間。
 羽ばたく音と、鳴き声が聞こえた。

「ほーー!!」

 物影から駆け出してきた鼠を、かぎ爪が捕える。鼠の悲鳴が上がって、梟は、逃すまいと爪に力を込めた。
 嘴で、鼠の身体を持ち上げる。一飲みで、その小さな身体を、腹に放り込む。鼠を丸呑みにした。

 青年は、目を見開いて、感嘆の声を上げた。
 抱えていた本を置いて、梟の元へ近づく。そして、梟の身体を両手で持ち上げた。

「いい子、いい子」

 お水でも飲む?と、青年が訊ねる。梟は、ほー、と返事を返した。


 押都は胡座を掻き、その上に頬杖をついた。
 青年が匙で水を与えている様子を、ぼんやりと眺める。

 それに気が付いたように、青年は顔を上げて、押都へ微笑む。

「押都さんも、ありがとうございます」

 ふん、と鼻を鳴らした。


ーーーー


 青年は、重い腰を上げて、羽織を手に取った。それを肩に掛ける。
 子どもたちに教え終わった後、村まで送っていくと言った。

「珍しいな。 外へ出ようなどと言うのは」
「もう外は暗いですから」

 押都が、戸口から外を見る。夕焼けが見えた。
 子どもだけでは寄り道しかねない。と、話す青年。どうやら、前科があるようだ。
  
「お前も。 気を付けて行きなさい」
「はい」

 子どもと共に、村へ行く青年。その姿を見送る。


 押都は、その光景を見ていた。
 青年の穏やかな顔。そして、それを受け入れている人々。
 忍里で、これを見ることが出来たのなら、どんなに良かっただろう。
 しかし、それは存在しない。

 ここでしか、その表情を見ることが出来ないのなら。
 私は、ここでーー。


 青年の姿が見えなくなって、押都は、小屋の中へ戻った。
 途中になった炊事の支度に、手を付ける。



 支度の途中。水を汲みに、外へ出た。

 小屋から離れた、木々の方から声が聞こえる。
 男女の声。
 押都は、桶を置いて、そちらへ近づいた。


 木の影に身を潜めて、様子を伺う。

 そこに、青年がいた。足を止めて、立ち尽くしている。

 青年の身体を引き留める腕が、解かれていく。
 そして、青年が振り返る。背後に隠れていたのは、若い女であった。
 二人は言葉を交わす。そして、話し終えたのだろう。
 青年が立ち去る。

 風になびく、溢れるばかりの黒髪。
 女は、風で乱れる髪を押さえながら、青年の背を見送っていた。
 青年の後ろ姿を、消えるまで見届ける。最後まで、顔を下げずに、ずっと。
 ひとり残った女は、髪を耳にかけてから、道を引き返していった。

 押都は、その全てを見ていた。その後、素早く先回りして、小屋へ戻る。
 

「ただ今、戻りました」
「ああ、遅かったな。 何かあったのか」
「……え、えっと……」

 青年の目が泳ぐ。

「人と、会っていました」
「誰と?」
「私が文字を教えている子の母親と、会っていました」
「日も沈んだし、外も暗い。 それでもか?」

 青年が、押都の方を見た。

「村の端っこに住む私を心配して、気にかけてくれるんです」
「……それだけには、見えなかったが?」

 沈黙が落ちる。
 青年の方が先に動いた。押都の方へ、小さく微笑む。
 その顔は寂しそうで、悲し気だった。

 当たり前だ。押都が勝手に、逢瀬を見てしまって、それを隠しもしないのだから。
 押都は、自らの額に手を当てた。
 忍びとして、何たる失態。

 
 黙り込んだ押都の肩に、手を置く青年。
 安心させるような声色で、話し始めた。

「あの子の父親が、まだ帰って来ないそうで……。 誰にだって、弱っている時はあります。 ただの勘違いですよお」

 頭を掻いている青年。
 押都は、それを静かに、見つめる。



 静かな冬の夜。
 小屋の中。囲炉裏の火も、落ち着いてきていた。
 呼吸の音だけが、響く。
 
 押都と青年は、一つの布団を分け合っていた。この小屋には、それしかないからだ。
 布団の端と端に、二人は身体を横たえている。
 身体が触れぬよう、背を向け合う。

 押都は、ふう、とため息を吐く。

「本当に……。 これで、よく人を泊めようと思ったな」
「あ、ははは……」

 青年の苦笑いが、尻すぼみになって、消えていった。
 そして、僅かに身じろぐ気配を感じる。青年の声が、後ろから聞こえた。

「あの、ひとつお聞きしてもいいですか」
「何だ」
「押都さんが探している人って……。 押都さんの好きな人なんですか?」
「ああ。 そうだ」
「そっか……。 変なこと聞いて、すいませんでした」
「いや」

 短い返答。それを聞いて青年は、布団を掴んで、顔を隠す。
 押都は、青年の方へ振り返る。


「あの時、本当は……。 好きだと言われていたんです。 一緒に、村で暮らさないかと。 けれど、私にはそれがよく分からなくて、答えられなかったんです」
「……」
「押都さんなら、分かるかと思って……」

 押都は、青年の言葉に答えなかった。ただ、暗闇を見つめたまま、静かに目を伏せる。
 心の中で、ある決心をした。もう、決めてしまった。


ーーーー


 次の早朝。
 隣に、押都の姿は無かった。

 ゆっくりと床から起きた。軽く辺りを見る。
 狭い小屋の中。すぐに見終わった。
 あくびをしながら、青年は、着物を着込む。それから、外へ出る。

 そこに、押都が居た。


「おはようございます……。 朝が、お早いんですね」
「ああ。 お早う」

 押都の腕に、鳥が留まっていた。
 ただの鳥ではない。鷲だ。猛禽類の中でも、大きい方だろう。
 黒い羽根が、艶やかに輝いていた。

「凛々しい顔付きなのに、意外と、可愛い鳴き声なんですね」

 押都に懐いている黒鷲。押都に撫でられて、気持ちよさそうに、目を閉じる。
 雛のような、甘えた鳴き声。

 
 青年は、押都へ向き直る。

「すいません。 見るつもりは、無かったのですが……」
「いや、構わない」


 押都の手には、文が握られていた。


「家の者が、帰りを催促しているんだ」

 土産に、饅頭を買ってやると言ってしまったからな。と、笑う押都。

 青年は黙った。あの時の饅頭の意味を知ってしまったから。
 感情がすとんと落ちて、真顔になる。けれど、すぐにまた、微笑んだ。



「押都さんって、お優しい方ですよね。 この子たちを、見ていたら分かります」

 押都と共に、鷲を見ていた。

「貴方は優しいから、きっと良い人もいるのでしょう? 貴方を慕っている人が……」
「……」

 押都は答えない。

「帰る場所があるんですよね? 待っている人がいるのなら、帰った方がいいですよ」

 やっと、青年の方へ、押都は振り返った。

「どうした? もしや、怒っているのか」

 押都は、青年の瞳の奥を覗き込んだ。
 そして、目を細める。


「……お前と同じ、天涯孤独でなかったから?」
「五月蠅い!」


 声に驚いて、鷲が、森の方へ飛んでいく。

 青年の顔は、火が付いたように、赤く染まった。図星だ。
 おどけた姿は、もう、どこにも残っていなかった。

 握りしめる拳。青年の肩が、小刻みに揺れていた。
 その瞬間、森の木々がざわりと揺れる。

 青年の足元に、風が吹き、枯れ葉が円を書く。舞い上がって、そして消える。
 押都は、それを見る。



 押都の知る青年も、心が乱れる度に、風が吹いた。
 それは、化生の証拠。

 やはり化生は、化生。何も変わらない。
 人間になることなんて、出来はしないのだ。


 押都は、口髭をなぞった。心の奥底で、ほくそ笑む。


ーーーー


 押都は、すぐに荷物をまとめて、小屋から出る。
 振り返って、後ろを見た。

 小屋の戸口の方。青年が、押都を見ていた。

 
 笠を取って、押都は頭を下げる。
 滞在の礼を述べて、また、笠を被る。

「もし良ければ、働き口を紹介できるぞ。 私の屋敷の使用人はどうだろうか。 今、貰っている給金の倍は出そう」
「いいえ。 私には、勿体無い話です」

 青年は首を振った。
 押都は、それを見て、問いかける。

「何も覚えていないのだろう? この村に、こだわる理由は無い筈だ」
「無いからと言って、それが理由にはならないですよ。 私はここに留まります」
「……返事は、今は聞かない」

 断る青年を、押都は静かに見つめる。
 青年は、うろたえていた。その瞳に、何が映っているのか。

「最後に一度だけ、お前に会いに来る。 ……それだけは、許して欲しい」
「押都さん」
「それでは」


 その場所から、押都は去った。



 雪が降る日。
 山は雪景色に彩られ、そして、閉ざされる。

 青年は、手を擦って、口元に寄せた。息を吐いて、僅かに温める。
 子どもたちを村へ届けた後、雪道を引き返す。

 青年は、小屋に留まった。
 いつ現れるか分からない人の為に、青年はそれを選んだ。


 雪が音を奪い、耳が痛くなるほど、静かであった。
 自分の呼吸だけが、響く。
 それに気が付いたのは、本当に偶然だった。

「ーー!」
「あ」

 向こうの山の斜面で、手を振っている者に気が付いた。
 青年には、すぐ分かった。目を凝らして、それが幻でないことを確かめる。

「押都さーん!!」

 飛び跳ねながら、両手を振り返す。足をもつれさせながら、そちらへ駆けだした。
 その人を見落とさないように、目を離さず、必死に走る。

 その時。
 向こうに見える身体が、突然、傾いた。
 
「えっ……?」

 足を踏み外してしまったようだった。
 体勢を立て直すことも出来ず、斜面に転がっていく。段々と早まっていく。転がる身体は、止まらない。
 何処にも引っ掛からないまま、岩肌に打ち付けられ、下へと落ちていった。
 
 立ち止まってしまった足を、再び動かす。さらに早く駆けだした。
 その場所へと向かう。


「嘘。 嘘だ……」

 自らの口を押える。そこに居たのは、倒れ伏す押都の姿だった。
 即座にかけ寄って、確かめた。

 ーーまだ、息はある。

「押都さん……!」

 ゆっくりと、その身体に触れる。意識は無いようだ。
 青年は、押都の身体を揺すった。それでも、押都は目覚めない。

 このまま、ここに置いておけない。

 青年は、押都を起こすと、背に負ぶった。
 大人の男性で、防寒着を着込んだ身体は、自分よりも一回り大きい。さらに筋肉質。
 持ち上げるだけで、精一杯。それでも。

「絶対、助けますからね……!」

 押都の身体を引きずるように、歩き始めた。
 本当は、すぐにでも、村医者へ診せに行きたい。けれど、押都を背負いながら、そこまで行くのは不可能だ。まずは、雪の無い場所へ、移動させる。

 青年は、小屋の方へ向かった。


 中へ入って、押都を横たえる。そしてすぐに、囲炉裏に火を点けた。
 これ以上、身体を冷やさないように、雪で濡れた着物を、脱がせていく。

「……!!」

 押都の身体は、傷だらけであった。打撲痕だけでなく、理由を知らない古傷もある。
 青年は、それを見て、口を閉ざす。
 乾いた手ぬぐいで、身体を拭いた。その手が、震える。

 そして、布団の中に入れた。上から、何枚も着物を乗せて、暖かくしてやる。
 ここにある全ての物を使って、押都を温めた。


 青年は、押都を床に寝かせた後、もう一度、立ち上がる。
 村の人に知らせなければ。村医者の元にも行って、助けを呼ばなければならない。

 足に力を入れたはずが、ぐらりと傾く。
 青年の身体が、床へ崩れ落ちる。
 
 人ひとり背負って山を歩いたから、呼吸が荒くなったと思っていたが、どうやら、自分も熱を出してしまったらしい。

 私までも倒れてしまっては、駄目だ。
 そう思うけれど、青年の身体は、すでに限界が来ていた。

「お、押都さん……」

 床を這って、押都の近くにやってくる。
 その隣へ、倒れ込んだ。ぐらついて、ぼやける視界の中。それでも押都へ手を伸ばす。
 
 貴方を、助けたい。あなただけでも、ーー。


 
 雪のちらつく灰色の空に、風が吹く。
 小屋が、軋んだ。

 押都が目を開けると、そこは青年の小屋の中だった。
 何枚も着物を掛けられ、床に寝かされている。側に青年がいた。

 疲れ果てたのか。その目は、閉じられていた。
 そして、その姿は、羽根に覆われている。


 化生の姿になっていた。


「やっと、見つけた……」

 囲炉裏の火が、ぱちりと音を立てる。

 羽を膨らませ、青年は震えていた。こちらに身を寄せて、懸命に、押都を暖めようとしている。

 青年の翼が、押都へ覆い被さっていた。そこは、とても暖かい。
 翼の下、押都が腕を出す。


 そして、青年に触れた。

 その首筋を、ゆっくりと撫でてやる。
 こちらへと引き寄せて、強く抱きしめた。

 青年の横顔に頬を寄せて、深く息を吸い込む。胸いっぱいに、青年を感じる。
 赤くなった耳に、口付けを落として、舌を這わせる。

 さらに引き寄せて、首筋の柔らかい肌を吸い上げた。そこに、赤い跡が残る。

 化生を、手に入れた証。


 押都は、化生の下から這い出て、荷物を漁る。
 用意していた縄を取り出して、再び、そちらの方へ歩み寄った。


ーーーー


 目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。
 
 薄暗い場所。そして、格子が目に入る。
 座敷牢の中に、青年は居た。


 服は身に付けておらず、全身から羽根が生えていた。
 自らの手を見て、身体が震える。腕にも羽根があり、爪は鋭く、伸びていた。

「どうなっているんだ……! わ、私の身体が……」

 牢の奥で、青年は怯えていた。
 自分の身体に腕を回して、抱きしめる。小さく身を屈めて、その身体を隠した。


 部屋の奥。
 座敷牢の外に、誰かが現れる。
 それは、お化けのように突然浮かび上がって、そこに立っていた。

「ひっ! だ、誰?」
「……目が覚めたか」

 紙を、顔に付けた男だった。
 そこに何やら、顔のような模様が描かれている。身に付けている着物に、見覚えはない。

 青年は、そちらへと身体を寄せる。
 格子を掴んで、尋ねた。

「ここは、どこなんですか? 何が起こっているのですか……?」
「忍里。 私の故郷だ」
「……!」

 男は、静かに座敷牢へ近づく。
 そして、身を屈めた。青年の顔をよく見ていた。


「あ、あの。 貴方は誰ですか? ここから、出してもらえませんか」
「駄目だ。 この中に居ろ」

 男は、立ち上がると、青年に背を向ける。そして、部屋から出ていった。

「待って……!」

 すぐに男は、戻って来る。
 その手には、着物と食事の乗った盆があった。

 そして、迷いなく錠を開けて、扉を開いた。躊躇する様子は見えなかった。 
 座敷牢の中へ、入って来る。

 その男から、青年は距離を取った。

「貴方は、私が恐ろしくないのですか……!」
「いいや、全く」

 青年の頬に触れて、優しく撫でる。

「愛おしいよ……」

 想いの籠った、静かな声。
 青年は、抵抗することも出来ず、そこから動けなかった。
 
 この男、狂っている……!

 青年は、やっと後ずさる。腕を振って、男を遠ざけた。
 男も、その抵抗を軽くいなす。

 その瞬間、紙が捲れ上がる。わずかに見えた、その顔。

 青年の目が、見開く。開いた口から、独り言のように、零れる。

「押都さん……?」



 その日から、青年はここで飼われていた。

 化け物のような姿を、疑問も持たず、受け入れられていた。
 それが、とても恐ろしかった。
 自分自身ですら、見ることができないほどなのに。

 良い着物を着せられて、温かい食事も出してもらえる。
 慈しみ、世話をされ。
 ーー愛される。


 ここに留まっていては駄目だ。早く、外へ出なければ……!

 青年は、顔を上げた。
 格子を掴んで、よじ登る。座敷牢に取り付けられている、通気口へ手を伸ばした。
 
「あと、もう少し……」

 つま先立ちで、必死に、出口を求めた。
 いつの間にか、背中に生えていた翼も、ばたばたと暴れる。
 

「何をしている」
「ひっ」

 後ろから、声がかかった。
 驚いて、そこから落ちてしまう青年。腰を擦りながら、男の方を見る。

「む、村へ帰るのです!」
「どこへ帰る? あの村へ戻っても、お前を見たら追い出すに決まっている」

 ゆっくりと、歩み寄る。
 そして、格子越しから、青年を見た。

「お前は、化け物だ」
「……!」

 座敷牢の扉に手をかけて、開け始める男。
 これから何が起こるのか、青年には分かってしまった。

「こ、来ないで……」

 床を蹴って、男から遠ざかる青年。
 背中が壁に当たる。逃げられない場所まで、追い込まれてゆく。



 押都が、青年の足を掴んで、こちらへと引いた。
 されるがまま、青年は床に引き倒される。

 その身体に乗り上げて、優しく頭を撫でてやる。
 そして、耳元に口を寄せる。

「俺だけ……」
「……」
「お前には、俺だけしかいない。 俺だけが、お前を愛せる」

 組み敷いた身体が、小刻みに震え出す。
 青年の口から、声が漏れる。

「う、ううっ……」

 泣き止まない青年を、何度も、優しく撫でてやる。
 胸に抱いて、慰める。

 それでも、嗚咽が止まらない。

 押都は、泣き腫らす顔に手を添えた。そして、顎を掴んで、こちらへ向かせる。
 その唇を奪う。柔らかい唇の肉を、軽く吸った。

 俺の化生。誰にも渡さない。


 唇を離した時、青年が口を開いた。

「お、押都さん」

 その呼び名に、心が騒めく。ささくれだった傷を逆なでされるように思えた。
 苛立ちを感じながら、諭す。

「違うだろう……?」

 思ったよりも、低い声が出てきてしまった。
 それが恐ろしいのか、また、青年の身体が震える。

 ふう、と息を吐く。
 青年の肩に手を置いて、首筋に指を滑らす。

「押都様と、呼べ」

 力の入らない身体を手繰り寄せて、顔を埋める。
 青年が怯えているのは、分かっていた。これが、常軌を逸した行いだということも。
 それでも、押都は、求めずにいられなかった。



 青年の涙が止まる。
 自らの胸に、顔を埋める押都。それを見つめる。
 弱った男の姿。

 もしも、これを受け入れたのなら。
 この男を、手に入れることができる。彼の想い人から、彼を奪える。
 ーーそう、思ってしまった。

 青年は、ゆっくりと、男の背中へ手を回す。
 その腕は、自分が思っているよりも、震えていなかった。しっかりと、押都の背を掴んだ。

 そうか。
 いつから、私もこの人を想ってしまっていたのだろうか。

 出来るだけ優しく、彼の待ち焦がれている声と重なるように、囁く。

「押都様……」



 息を飲む音が、部屋に響いた。押都の目頭が熱くなる。小さく鼻を啜った。

 例え、言わせただけだったとしても。
 それでも、自分の元へ帰ってきてくれた。

「ーー……」

 押都の震える声。青年の知らない名前。

 暗く閉ざされた部屋で、二人は互いを求めて、囁き合っていた。

終着

 人目から逃れるように、押都は地下へと下りる。
 
 狭い通路を進んでいく。
 壁に囲まれて、空気は動かず、澱んでいる。耳に、閉塞感を感じる。
 奥にある地下牢へ、足を進めた。

 扉を開く。

 
 そこに、座敷牢がある。

 ただの牢ではない。大きさもそうだが、造りも頑丈。
 忍びの屋敷として、用意された牢だ。
 捕らえた忍びを逃がすことのないように、作られていた。


 押都は牢に歩み寄って、格子に触れる。

「落葉」
「押都様!」

 押都に気が付いて、青年は微笑んだ。そして、格子へ近寄ってくる。

 釣られて、押都も笑ってしまう。
 格子の間から、手を差し込んで、青年の頬を撫でる。

 すぐ扉の錠を開けて、中へ入った。
 座敷牢の中でしか、会えない恋人。心待ちにしていた逢瀬だった。



 青年を地下へ隠した後。押都は、頻繁に様子を見に行った。
 座敷牢の中。二人は身を寄せ合い、何度も口付ける。

 そして、想いを重ね合う。


 床に落ちていた装束を手に取って、身体に羽織った。
 慣れた手つきで、着付けていく。

 
 乱れた床の上で、何も身に纏わず、そのまま横たわる青年。
 押都の背中を、静かに眺める。


 着替え終えた押都は、後ろを振り返った。
 最後に、もう一度、顔を見ておきたいと思った。しかし、それを見て、動きを止める。

 青年は何も言わない。けれど、言葉にするよりも、雄弁に語った。
 頼りなく、寂しそうな顔。


 その表情から顔を逸らすように、俯く。何も言わず、拳を握った。
 押都には、忍としてやるべきことがある。

 ここから立ち去った後、青年を、独りにしてしまう。けれど、すぐ戻って来るとは、約束できない。
 忙しなく駆け回る押都よりも、青年の方が、もっと長く感じるだろう。
 会えない時間。それが、永遠に続くかのように。


 俯いてしまった押都へ、青年が近寄った。そして、その拳に手を重ねる。
 青年は、押都を覗き込んだ。

 雑面の奥。
 揺れ動いている押都の感情を、見られているようだった。

「まだ、行かないで」
「……分かった」

 着込んだ忍び装束が乱れてしまおうとも、構わない。その腕の中に、もう一度、青年を抱きしめる。

 押都の胸に、もたれる身体。青年が、ゆっくりと語り出す。


「押都様……。 貴方を、愛しています」
「……」
「この中から、そう言っても、貴方は信じられないでしょう?」

 押都の腕が震え、手に力が入る。
 青年は頭を上げて、狭い座敷牢を見渡す。

 押都へ伝えたい、本心からの想い。
 それすら、この中では、言わされた言葉になってしまう。
 虚しさ、悲しみが、青年の胸を突く。

 押都の方に、額を擦りつける。
 暗闇を怖がる子どものように、顔を押し付けた。

「押都様に信じてもらえないのなら、この中に居たくない。 貴方のお側に居たい」

 押都を見上げる瞳、幼気で無垢な顔。
 こいつは、まだ何も知らない。


 答えない押都に、青年は顔を逸らす。傷付いたように見えた。

 青年の息が詰まる。
 押し殺していた呼吸が、震えていた。声の端が、僅かに濡れる。

「私では駄目ですか? 貴方の思い出を持たない私では……」
「……違う」
「貴方の愛する私には、なれないですか?」

 青年の腕を引き、こちらへ引き寄せた。
 押都は、言葉を返す。

「ここなら、私たちを引き離すものは何もない。 今度こそ……私が守ってやれる」

 首を傾げながら、青年は、不思議そうに見上げていた。
 押都は、その髪を優しく撫でてやる。



 すぐに立ち去らねばならない。
 けれど、今だけは、その身体をしっかりと抱き留めていたかった。


 人目を忍んで、逢瀬を重ねる。
 いつか綻びが生じて、引き離される運命だと分かっていても、それでも。
 押都は、その一瞬、その瞬きを噛み締めた。


 押都の不在に、気が付かぬ忍軍ではない。
 青年を見つけた事も、ここに閉じ込めている事にも、いずれ気が付くだろう。

 いつの世も、変わらない。
 隠し事は、いずれ暴かれ、白日の下に晒される。
 

 青年を抱きしめる腕に、力を入れた。
 通気口から差し込む、僅かな日の光に照らされぬように、息を潜める。

 座敷牢の中で、何かに怯えながら、身を寄せ合う。


ーーーー


 雑渡は、押都の動向を把握していた。


 化生を失った押都。
 傍から見れば、気落ちしているな、と思うだけだった。


 しかし、仲間たちには分かっていた。
 押都は未だ、化生の死を受け入れられていない事を。

 押都は、独断で動いていた。時間を作っては、一人で探し続ける姿。
 心配になって、声を掛けてみるが、押都に変わりはない。

 現実への向き合い方は、人それぞれだ。
 これが、押都の乗り越え方と言うのならば、今は見守ってやろうと決めていた。



 けれど、最近、何かが可笑しい。

 押都は、落ち着いてきたようだった。

 気落ちした様子も薄れ、雑渡にも、普段通りに振る舞っている。
 それなのに、違和感だけが残る。

 抜け殻のような、押都の横顔がここにあった。


 何日もタソガレドキを離れて、探し回ることはしない。
 けれど、今度は、屋敷に籠るようになった。


 押都家の者たちに訊ねてみたが、皆、一様に口を揃える。
 身体を休めているだけ、と。

 雑渡は、深いため息を吐いて、頭を押さえた。

 黒鷲の者は、皆、本心が読みづらい。
 その中でも、特に、あの老婆は厄介だ。優しい顔で、穏やかに微笑む。
 しかし、彼女も黒鷲の女。

 雑渡が、どんなに問いただそうとも、決して口を割らない。
 暖簾に腕押しで、軽く、いなされる。

 仕方ない。
 教えてもらえないのならば、こちらのやり方で、聞き出すまで。



 屋敷に戻った押都の後を付ける。
 忍びの屋敷に、備え付けられている隠し扉。
 その中へ、押都は入って行った。

 雑渡は、それを見届けて、後を追う。


 隠し扉の先。それは、地下牢に続いている。

 情報を特に重んじる、忍びの屋敷だ。

 捕縛した敵の忍びや、こちらを裏切った仲間。
 その者たちから情報を得るため、手荒な事をすることもある。
 その時に使用するのが、この場所だ。 



 気配を消して、さらに奥へと進む。
 
 一番奥の部屋。座敷牢に、何かの息遣いが聞こえた。
 雑渡はそこを見る。


 全身が、震える。

 ーー化生。

 あの時見た、化生がそこに居た。
 身体に羽根が生えていて、爪は鋭く、翼がある。

 雑渡は、苦無を構える。

「落葉……! 生きていたのか」
 
 化生は、手元の書物から顔を上げて、雑渡を見た。
 そして、首を傾げる。

 感情の波が消えたように、凪いだ表情。
 虚ろな目が、ぼんやりと雑渡の方へ向けられる。
 
 そして、ゆっくりと口を開く。


「貴方は……誰?」



 座敷牢の中を見つめる雑渡。

 まるで、長屋の一室をここへ持ってきたようだった。
 文机に、紙と筆。書物も用意されている。座敷牢の隅に、畳まれた布団。
 そして、飲み物と菓子すらある。

 余程、可愛がっているらしい。

「これ、良かったらどうぞ」
「ありがとう。 いただくね」

 雑渡に、茶の入った湯呑と菓子が出てくる。
 それを見て、静かに、目を閉じた。

 雑渡は、化生に話しかける。どうして、ここにいるのか。静かに訊ねる。
 菓子を頬張りながら、化生は話し始めた。


「そうだったのか……」

 雑渡は、腕を組んで、頬に手を添える。

 記憶を失って、遠くの土地で彷徨っていた時。
 押都が、それを見つけて、無理矢理、ここへ連れてきたと言う。

「君は、外に出たいと思わないの?」

 雑渡の言葉に、化生は俯いた。

 考えなかった訳ではないのだろう。それでも、ここに留まる理由。
 雑渡は、何となく、分かっていた。

 膝の上で、拳を握る。化生の声は、震えていた。
 
「ここにいれば……。 あの人が、私の元へ戻って来てくれるから……」
 

 突然、化生が顔を上げる。
 雑渡の後ろを見る。やれやれと首を振って、雑渡は目を閉じていた。

「組頭……」

 部屋の入り口に、押都が立っていた。

「……。 見つかってしまいましたか」
「うん」

 雑渡は、後ろへと振り返る。押都と向き合った。
 


 地下牢に、怒号が響く。
 
「何故、ここに連れ帰った! また、同じ事を繰り返したいのか!」
「……」

 山本が、押都の胸元を掴み上げる。
 首元が締まっていこうとも、押都は抵抗せず、口を閉ざした。


 雑渡はその後、すぐ忍軍の者たちを連れて来たのだ。
 激昂した山本から視線を外して、雑渡は座敷牢を見る。

 化生は、胸元に本を抱えて、不安げにこちらを見ていた。
 牢の隅で、身を寄せる。
 暗闇で見た人喰い化生としての不気味さは、まるで無かった。

 化生の姿を見て、動揺を隠せない諸泉と高坂。
 二人は、山本たちと、座敷牢を交互に見る。

 答えない押都を突き飛ばして、山本は雑渡を見る。

「組頭。 これを、どうするつもりだ?」
「……忍里に、置こうと思う」
「……! それは」

 皆が息を飲んで、雑渡を見つめる。
 
「化生を森へ帰した後、行方が掴めなくなるのは避けたい。 例え、危険があったとしても、我らの目が届く場所に置こう」

 その方が対処しやすいだろう、と雑渡。
 冷静な声に、皆が沈黙した。


 
 座敷牢の方へ、ゆっくりと近づく。そして、雑渡は扉に触れた。
 その中の化生が、身体を震わせる。揺れる瞳の奥へ、優しく声を掛ける。

「大丈夫。 傷付けたりしないから、ここから出よう」

 化生は、さらに後ずさる。
 そして、首を振った。

 それを黙って、眺める。もう一度、雑渡は声を掛ける。

「外に出たくない?」
「もう駄目……。 奴が来る……!」

 化生の震えが増していく。恐怖に揺れる瞳。
 これから何が起こるのか。予測できない。


 忍軍の皆が、意識を研ぎ澄ませた。

 
 すると、どこからか、小さな音が聞こえてくる。
 駆け足の音。それが部屋の隅から、こちらへ近づいてきた。

 押都が、口を開く。

「いかん。 あいつ、鼠が苦手なんだ」
「はあ?」

 化生は、さらに身体を縮こませて、顔を隠している。
 押都の声に、僅かに頷いた。

 忍軍の皆が、互いに目を合わせる。

「おい、早く捕まえろ」
「そっちに行ったぞ」
「あっ、逃げた」
「何してる! 追え」

 忍軍の皆で、地下牢を駆け回る鼠を追いかけた。
 捕まえようとすると、狭い部屋で、互いの身体がぶつかり合う。
 飛び出した鼠は、辺りを跳ねまわって、翻弄する。

「捕まえた!」

 やっと、諸泉が鼠を捕らえた。
 皆が、それを見て、息を付いた時。

 座敷牢の方へ、小さな影が走り出す。

「おい! もう一匹居るぞ」
「そっちへ行った!」

 目を見開いて、駆け出した先を見つめる。

 
「こ、来ないで……! ここから、出して!」

 鼠は、格子をくぐって、化生の側までやってくる。
 そして、化生の着物の中へ入ってしまう。

 身体が、ぶるりと、大きく震える。


 ほーーー……。


 化生の身体が、ゆっくりと傾いた。梟の鳴き声のような、悲鳴が上がる。
 そして、気絶したかのように、力なく倒れていく。


 ぱさり、と着物が落ちる。化生の身体が無くなった。

「落葉!」

 すぐに、座敷牢の扉を開いて、中に入る。

 布の下に、僅かな膨らみ。
 着物を掴んで、捲り上げ、その下を見た。

 目を閉じている梟が、そこに居た。


ーーーー


 忍軍の皆が、雑渡の屋敷へと集まった。

 広間の一室。
 忍びたちが囲む真ん中に、一匹の梟。
 瞼を閉じて、静かに寝息を立てていた。それを見守る組頭と小頭たち。

 化生の梟。

 死んだはずでは、と皆が囁く。けれど、目の前に居る。
 慌ただしい中、梟は身じろいだ。

「……?」

 目を覚ました梟。まずは、自分の身体を確かめる。
 異変に気が付いて、目を見開く。

 その後、顔を上げて、恐る恐る辺りを見渡す。
 忍びたちに、気が付く。

「ホー!!」

 梟が、腰を抜かした。
 翼をばたつかせ、ふわりと羽根が浮く。

「落葉。 落ち着いて」
「……ホ」

 雑渡を見上げる梟。
 隣に、押都の姿が見えた。乱れた翼を整えて、また、座り込む。


 
「組頭! 何故、こいつを殺さないんですか」
「ああ、それなら」

 雑渡が、梟を差し出す。

「お前が、殺してみなさい」
「えっ」
「言っておくけど」

 雑渡がその者へ、身体を向ける。

「この子が化生の姿になったら、ここに居る全員があっという間に、粉々になるよ。 それでも殺せるというなら、やってみて」
「……いや、それは」 

 頭を掻きながら、視線を彷徨わせる。雑渡の言葉に怯んだようだった。
 威勢の良さは消え去り、後ずさって、また皆の中に戻って行った。

 不思議そうに、梟は首を傾げる。
 そして、忍びたちの方へ顔を向けた。奥から、悲鳴が上がる。

「ホー?」
「ひっ」

 皆が、後ずさった。遠巻きに、化生へ視線を送る。

 その中で、梟が立ち上がる。
 ゆっくりとした足取りで、雑渡の方へ近寄っていく。

 全員が身構えた時、梟はすぐ止まった。

「こら、落葉……」
「ホォ?」

 押都の膝に、身体をくっつけた。そして、押都を見上げる。
 その瞳に見つめられて、押都は手を伸ばす。

 こちらに来させてはならない。元の位置に戻さなければと思いつつ。
 梟の頭を、撫でてやった。
 
「ホー」

 その光景を見て、雑渡は頬に手を添える。

「仲良しだねえ」

 山本も共に、ため息をついた。


ーーーー


 現段階では、梟を忍軍で監視することに決まった。
 解散して、各自の忍務へと向かう。
 雑渡と押都は、別室に移動する。
 

 その後ろ。押都に付いて行こうとする梟。

「お前は、こっちだ」
「ホ~~」

 山本が、梟を捕獲する。

 両手で身体を持ち上げられても、足は動かし続ける梟。
 懲りない様子だ。

「待っていてくれないか」
「……! ホー」

 押都が、梟の頭を撫でる。そして、山本の方を見た。

「こいつの事、頼んだぞ」
「分かった分かった」

 早く行け、と山本が促す。押都が去るのを見届ける。

 しばらく、眺めていた梟。
 後ろを振り返って、山本を見上げてくる。

「どうした?」
「ホ~」

 梟は、また足をばたつかせる。
 ああ、と山本が眉を下げた。
 
「はいはい。 今、降ろしてやるからな……」

 とりあえず、化生の梟は、狼隊で預かることになった。



 嘴へ、肉の切れ端を近づける。

「ホーホ」

 首を振って、嘴を遠ざける梟。
 慎重に、口元へ近づけるが、全く餌を食べない。

「これも駄目か」
「化生だから、何か、特別な物でも食べるんじゃないか?」

 諸泉が箸を下ろして、餌を皿に戻す。

 それを見て、梟はぐったりと床にへたり込んだ。
 そのまま、目を閉じる。


 どうしたものかと、諸泉と高坂が話していると、押都が様子を見に来た。
 二人は、押都へ事情を話す。

「ふむ」

 押都は少し考えた後、その場を離れる。
 そして、しばらくしてから、エプロンを身に付けて帰ってきた。

「落葉」
「ホー……」

 試しに、梟の前へ卵焼きを差し出す。
 それは、押都特製、塩分抜きのものだ。

「ホ!」

 梟はそれを見て、跳び上がる。
 卵焼きへ貪りついた。

 押都は、腕を組んで再び考える。そして、今度は別の物を見せた。
 小さなおむすびを差し出す。

 きらきらと、梟の瞳が輝く。押都とおむすびを交互に見た。
 押都が、静かに頷く。

「食べていいぞ」
「ホーー!」

 梟は、おむすびを突き始めた。嘴に米がついている。

「うわっ。 こいつ、米を食ってるぞ」
「腹でも壊さないのか?」

 諸泉と高坂は、それを眺める。



 その光景を離れて見ていた雑渡は、頬杖を付く。
 
「あーあ、おむすびまで食べ始めたよ」
「やはり、化生……」

 他の忍びたちが、慄いた。

 おむすびを喰らう梟の姿。
 それは言い逃れできない化生の姿だった。


 冷めた茶を飲んで、喉を潤す梟。
 押都は、梟を見ながら、話す。

「美味かったか?」
「ホウ」

 化生に変わりないが、意識は人に近いようだ。


ーーーー


「こら! 逃げるな、落葉」
「ホー!!」

 雑渡が、その騒ぎの方へ足を向ける。

 その者曰く。
 梟が、脱走を繰り返しているらしい。
 きっと押都小頭の事を探しているのだろう。
 忍び長屋を歩き回って、怪我をしたり、居なくなってしまったら大変だ。
 しかも、この梟、ビビりな癖に鈍臭い。


 雑渡が指笛を吹く。
 その音を聞きつけ、忍犬がやって来る。

「化生の梟を探して。 きっとそこら辺を歩いているから」

 すぐ分かるよ、と言った後、忍犬は姿を消した。その俊敏な動きと迷いの無さから、きっと心当たりがあったんだろうな、と考えた。
 しばらくすると、床下から梟の悲鳴が上がる。

 雑渡の元へ、忍犬が戻って来た。

「ホー……」
「お帰り、落葉。 お前、簡単に食べられちゃうんだから、勝手に外へ行かない方がいいよ」

 咥えていた梟を離す忍犬。雑渡を見上げて、尻尾を振っている。
 雑渡はその頭を撫でてやった。

 涎まみれになった梟は、忍犬から後ずさる。忍犬が欠伸をするのを見て、身体を震わせていた。

「もー。 こんなに汚しちゃって」

 雑渡は、湿った身体を持ち上げて、洗い場へ向かった。

 

「そういえば、あの化生の梟は?」
「あそこに居るぞ」

 顔を上げると、箪笥の上に梟が居た。
 二匹並んで、忍びたちを見下ろしている。

 こちらに気が付くと、ホウと鳴く。
 しばらく、お互い見つめ合って、梟は目を閉じる。
 それから、隣の小さな梟と羽繕いを始めた。

「仲が良さそうだな」

 和やかな気持ちで、それを見ていた。


 山本が、忍軍の休憩所へやってくる。
 先程まで眠っていた梟が、パチリと目を覚ます。そして、梟が騒ぎ出す。

「ホー! ホー!」

 山本へ、懸命に鳴いていた。かぎ爪が当たって、羽根が散らばる。

「ああ。 今行く」

 眉を下げる山本。
 箪笥の上に居る梟を持ち上げて、床へ降ろしてやった。

「ホー」
「はいはい」

 梟は一声鳴いて、去っていく。


「山本小頭。 先程の梟は、どうしたのですか?」

 一人の忍びが、声をかける。
 尋ねられた事に気が付いて、山本は振り返った。

「あいつ、飛べないみたいでな。 高い所に登ったら、降りれないんだ。 次、見かけたら降ろしてやってくれ」
「はあ……」

 忍びたちは、首を傾げる。

 飛べないと言うのなら、高い所に置いていた方が動き回ることも無いのではないか。そう思ったが、口に出すことは無かった。


 好奇心旺盛な梟は、忍軍の拠点の中を歩き回る。


ーーーー


 部屋の外から、かぎ爪が当たる音が聞こえる。こちらへ歩いて来ているようだ。
 押都は手を止めて、立ち上がった。

 襖を開いて、視線を落とす。その来訪者を見た。

「ホー」
「待っていろと、言わなかったか?」

 押都の足元を、すり抜けた梟。
 静かに襖を閉じて、その後を追う。長屋の部屋に入って来た梟を捕まえる。

「ホー! ホー!」

 それに抵抗する梟。
 押都の手を振り払おうとして、足をばたつかせる。

 押都はそれを止めながら、息を吐く。そして、呟いた。

「落葉……」

 梟を持ち上げて、抱き寄せる。その温もりに頬を近づけた。
 それを見て、梟は抵抗を止める。

「こちらへ来ては駄目だ。 お前を閉じ込めてしまう。 俺はまた、酷いことをしてしまう」

 腕の中から、梟の見上げる瞳。押都を見ていた。
 
「ホーゥ」

 甘えた声を出して、顔をすり寄せる。そして、押都の身体へ押し付けた。



 部屋の外に、気配が生じる。
 
「落葉、こっちへ来なさい」

 障子に長身の影が写る。雑渡が立っていた。

 はっと、顔を上げる。
 梟を抱えていた腕が緩む。押都の腕は震えていた。
 
「ホー」
「ら、落葉?」

 押都の手を、かぎ爪で掴む梟。その瞳が、月のように光るのが見えた。


 雑渡が襖を開けて、部屋に入ってくる。
 すると、押都の腕から飛び出して、雑渡に向かう。両方の翼を広げて、威嚇する。

「落葉! やめなさい」

 梟の前に、押都が立つ。身を屈めて、梟を宥めた。
 すると、押都にも目を吊り上げる。

「ホーー……」

 ふーふーと、梟は荒い呼吸を繰り返す。
 押都は、戸惑った。
 
 こんなに敵意を向けられるのは、久々だった。
 出会った頃以来だろう。押都は、戸惑う。

 雑渡は静かに見ていた。

「お前、それでも押都の側に居たいの?」
「ホォー!」


 雑渡は、目を瞑る。頬に手を添えて、ため息をついた。

「しょうがないね」

 押都の方へ振り向く。静かな目で、見つめる。

「側に置いてあげなよ。 押都が良ければ、だけど」
「……」

 押都は頷いて、梟を持ち上げる。その腕に抱えた。

 雑渡が退出した後、共に床へ付いた。
 枕元に眠る梟。押都は、その小さな気配を感じながら、目を閉じる。
 一緒に、眠りについた。


ーーーー


 黄昏甚兵衛が、忍びへ目を向ける。
 タソガレドキ城主の御前に、控えている彼らへ声をかけた。

「そういえば、あの化生が戻ってきたらしいな」

 その言葉に、押都は頭を下げる。

「……いえ、別の化生です」
「何? それでは、違う化生をたらし込んでいるのか」
「はい。 前回で、化生の扱いを掴んだもので」

 城主は、身を震わす。

「お前、化生を引き寄せる色香でも出ておるのか」

 組頭が、押都の隣に進み出る。雑渡が答えた。

「化生と似たもの同士。 気が合うようです」
「……」

 押都は不服そうに、雑渡を見つめる。
 そして、甚兵衛へ向き直った。

 押都の雑面を向けられて、甚兵衛が扇子で顔を隠す。

「ひえ、忍者怖い」
「殿」

 ははは!と、笑う甚兵衛。雑渡も共に、目を細めていた。
 それから、押都を見て、一言。

「押都、今度は無くすなよ」
「はっ」

 甚兵衛へ、再び頭を深く下げた。


ーーーー


 雑渡が、天井板を外す。その下にある部屋を覗き込んだ。
 押都の屋敷。その自室だ。

 今日の休暇に、梟を連れ帰ると言っていた。
 それを聞いて、押都の様子を見に来た。


 雑渡に気が付いた押都。目を開いて、小さく手を振る。
 雑渡が、小さく微笑む。

 すると、押都の床に、もう一つの膨らみがあった。
 雑渡は呆れた顔をする。

「また、誰かを連れ込んだの?」

 押都は、手招きをして、隣の布団を捲る。
 そこには、あの青年の寝顔があった。

 雑渡は目を見開いて、それを見る。それから、ゆっくりと目を歪めた。

「やっと、見つけたね」
「はい」

 雑渡は静かに、天井板を締める。その気配が、離れて行く。

 押都は、隣の存在へ手を伸ばす。
 起こさぬように気を付けながら、その頭へ触れる。愛おしく何度も、黒髪を撫でていた。

 
 朝には、梟の姿へ戻っている化生。

 起きている時は梟で、眠っている時は人の姿になるらしい。
 無意識下で、心を許し始めているようだった。



「あれ? 今日は、あの子と一緒じゃないんだ?」

 雑渡が、話しかけてきた。そちらへ押都が振り返る。

「いえ、ここに」

 胸元を漁る押都。
 その中から、梟を取り出した。懐に入れていたらしい。


 梟は、押都の腕に留まることも出来ない。慌てたように、翼をばたつかせる。
 ひしっと、押都へ縋りついた。

「ホホ……」

 その身体を撫でながら、口を開く。

「落葉。 折角、翼があるのに飛ばなくていいのか?」

 押都は空を見上げる。

「もし、私が鳥になれたのなら……。 空を飛んでみたいと思うがなあ」


 梟は目を見開いて、声を上げる。首を、縦に振った。

「ホーー!!」
「お? 意外と、やる気だね」

 雑渡は、クスリと笑う。



 それから、梟の飛行訓練が始まった。
 
 忍軍の皆が、それを見守っていた。
 けれど、たまに、その訓練に巻き込まれる。
 制御が利かなくなった梟が、空から降って来るからだ。それを受け止めてやって、また、それを空へと飛ばす。
 忍びの腕から腕へ、飛んでいく。

 翼を羽ばたかせることから始めて、ついに、自分で空を飛んだ。


「落葉」

 押都が手を振ると、梟が向かって来る。
 押都の胸元へ着地するはずだったが、梟は体勢を保てず、地面へ落下した。

 梟の身体が、地面を何度か跳ねて、止まった。
 そこから動かなくなる。

「落葉! 大丈夫か」

 押都が呼ぶ。

「ホー!」

 すると、地面から顔を上げて、返事を返す。
 むくりと、身体を起こして、押都の元へ駆け出した。


「あー。 これだよ、これ」
 
 雑渡が、腕を組みながら、頷く。
 懐かしい光景に、和んだ。


ーーーー


 忍里にある押都の屋敷。
 洗濯物が揺れるのを眺めながら、縁側に腰掛ける。

 そこに梟がいた。


 昼下がりの陽気に照らされて、気持ちよさそうに目を細める。
 身体が、床へ潰れていく。

 ほっほっほ。と、ばあやが笑う。梟を見ながら、優しく微笑む。


 忍里の中で、梟が飼い犬に追われていた。
 それを、ばあやが助けたのだ。怖がる梟を持ち上げて、腕の中へ匿う。
 犬が諦めたのを確認してから、木陰に降ろしてやった。
 
「ホー?」

 それ以降、梟は、ばあやの事を怖がらなくなった。


 今日はばあやの元へ、梟が遊びに来ていた。 

 ばあやは、湯呑を持って、お茶を飲む。
 梟の隣に座って、一息付いていた。


 庭へ目を向けていた時、頬にそよ風を感じる。
 ゆっくりと隣を見て、ばあやは口を抑えた。その下で、小さく名前を呼ぶ。

「ほっほっほ……」

 ばあやが笑ったのを見て、首を傾げる。
 気が付いていない様子に、また、ばあやが微笑む。

 穏やかな午後の一時だった。



 押都は、人気のない小道を歩いていた。
 後ろを振り返って、声をかける。

「ほら、置いてくぞ」

 顔を上げて、駆け出した。そして、押都の隣を歩く。肩を並べて、二人は歩いた。

 それを見て、押都は小さく笑う。
 不思議そうな顔をして、首を傾げていた。


 この化生、気が付いていない。
 今、人の姿に戻っていることに。


「押都様!」
「声を抑えなさい。 他の者が来てしまうだろ」

 押都は、腕を掴むとすぐに、木陰へ青年を連れ込んだ。
 草の影に青年を押し倒した後、青年の裾をたくし上げる。

 悪戯な手を、両手で抑えて顔を赤らめた。青年が小声で叫ぶ。

「は、破廉恥です……! こんな昼間から、しかも外でなんて……」
 
 押都は青年の顎を掴んで、生意気な口を塞いでやる。
 しばらく水音が響いた後、抵抗が落ち着いてきた辺りで、口を離した。


 頬を赤らめた青年は、静かに黙り込んだ。押都を見て、また視線を外す。
 青年は、はだけた胸元を押さえる。

 押都は笑った。
 押し倒した身体へ、頭を埋める。くつくつと笑っていた。

 そこから顔を上げて、青年を見つめる。ふっと笑いながら、意地悪そうに口端を上げた。

「お前……。 途中から、思い出していただろう?」

 青年の顎下を撫でる。青年は膝をすり寄せて、黙った。
 押都は手を添えて、こちらへ顔を向けさせる。

 潤んだ瞳で、見つめ返す青年。その頬を、指で撫でてやる。
 その名前を、呟く。

「落葉」
「押都様……」

 青年が、押都へ腕を回して、抱きしめる。
 背中に回った腕に力が入る。耳元で、震える呼吸が聞こえた。

「私を探してくれて……。 見つけて下さって、ありがとうございます」
「……」

 鼻を啜る音。

「貴方に、会いたかった」
「俺も……」

 押都は、抱きしめ返す。



 後ろで、成り行きを見守っていた山本と雑渡。
 樹上から、矢羽音で会話する。

「押都、良かったな。 これなら、すぐ子も増えるぞ」
「はあ。 これだから色ボケは……。 ここ、他の者も通る場所だよ?」
「後で、人払いをしておかなければ」

 二人の元へ、押都の矢羽根が返ってくる。

「五月蝿い。 どっかいけ」

 山本と雑渡も、即座に返す。

「分かった。 分かった」
「あー、怖っ」

 二人が去った後、押都は目の前にいる青年へ集中する。

 木陰の中。
 身じろぐ音と、囁き声。
 それから、落ち葉の乾いた音と、布の擦れる音が聞こえる。


ーーーー


 森を抜けて、二人は姿を現わす。
 押都と青年は、忍里へ戻ってきた。それを、見つける里人たち。

 忍軍の者と里人が、青年を囲う。
 化生へ向けられる懐疑的な目と、隣の者と囁き合う声。


 青年は、それに動じることなく、口を開いた。

「何を恐れるのですか? 私のことは、よくご存知でしょう」

 一歩、前に踏み出す。
 太陽の陽日に照らされて、青年は声を張り上げる。

「私は、落葉。 梟の化生で、押都様のことが好き。 そして、押都様と共に居られるのなら、この里を守り、慈しみます」

 小さく首を傾げて、微笑む。 

「貴方たちを決して、傷付けは致しません。 私を押都様から、引き離さなければ……」
「ひっ」

 風が吹き、木々が騒めく。里人が悲鳴を上げて、後ずさった。
 そこに、化生が現れる。

 里に現れた化け物を、追い出そうと声が上がる。
 それを聞いて、化生が笑う。

「もう遅いです。 私からは、逃れられませんよ」

 化生の微笑み。それに慄いた里人が、忍軍の方へ目を向けた。

 化生に、押都を差し出せば良いのではないかと、皆が、押都の方を見る。
 顎を擦りながら、押都は答えた。

「うーむ。 食い扶持を稼がねばならないし」

 首を振って、それを断る。
 


 押都の姿を背後に隠し、皆の前に立ちふさがる化生。大きく翼を広げて、腕を上げる。それから、大きな鳴き声。

「ホーウ! 私を拒めば、貴方たちを一人残らず獣にして差し上げます。 そして、ここを忍里ではなく、梟の里とします」

 その言葉を聞いて、里人たちは一人残らず黙る。
 忍軍はそれを見守った。


 押都が歩み出て、化生へ話しかける。
 
「お前を、受け入れたら?」

 押都の姿を認めて、翼を閉じていく。
 化生は裾を掴んで、恥じらった。口ごもりながらも、答える。

「押都様とずっと一緒に過ごして、それから……。 わ、私たちの子が増えます」

 それを聞いて、山本が眉を下げる。ため息をついた。

「結局、梟の里になってしまうではないか」


 化生の隣に立って、問いかける。押都は、その瞳を見つめた。

「ちなみに、獣に変えると言うのは?」
「そんなこと出来ませんよ。 けれど、そう言った方が、化生“らしい”かと思いまして」

 押都へ、上目遣いをする化生。
 瞳をきらきらと輝かせていた。

「こんな私は、お嫌いですか?」
「いや、俺好みだ」

 押都は、ふっと笑うと、化生の頭を撫でる。それに目を細めて、化生も喜んだ。



 二人の前に、雑渡が歩み出た。その背中に、皆の視線が刺さる。
 そして、化生へ話しかける。

「約束だ、落葉」

 化生も、雑渡の方を見る。

「忍里や忍軍の者たちに、危害を加えないと約束しろ」
「そちらが先に、お約束を。 押都様と共に居てよいと、おっしゃって下さい」

 化生の静かな声。雑渡は、小さく息を吐いた。

「分かった。 忍里に居ても良いよ」
「それなら、交渉成立です!」

 化生が、心底嬉しそうに微笑んだ。
 雑渡は、腕を組みながら、頬に手を添える。

「なんだか、君のこと。 嫌いになれないんだよね」
「ホー!」


 二人が微笑んでいると、後ろから声がかかる。

「落葉」
「はい?」

 化生が振り返ると、すぐ近くに、押都が立っていた。そして、化生の頬を撫でる。

「その姿を他の者に見せるな。 私だけの物だ」
「はい! 押都様……」


 押都を見る瞳に、情火が灯る。羽根が膨らんでいくのが見えた。
 化生が、押都の腕を掴む。忍び装束に、かぎ爪が食い込む。

 押都へ顔を寄せながら、呟く。

「これからは、押都様だけにお見せ致します。 まずは、二人きりになれる場所へ、行きましょうね」

 梟は、押都の身体を持ち上げて、翼を広げる。そして、空を飛んだ。
 その先は、押都家の屋敷。きっとそこへ向かったのだろう。

「組頭ぁ! 明日は有休をとりますぅーー」

 押都の声が、空へ消えていく。



 二人が消えていった方を見上げる。
 雲一つなく、清々しい程の青空が広がっていた。

 雑渡は、自らの頬を撫でる。
 包帯の下、火傷で引き攣った皮膚をなぞった。
 炎に焼かれ、この姿になってから、人肌を求めることは無かった。

 雑渡が零す。

「私も恋人、作ろうかな」

 その独り言を聞いて、高坂が進み出る。

「雑渡様……! 寂しいのでしたら、私がおります」

 諸泉も、胸を叩きながら言う。

「組頭! 私も一緒に寝てあげます!」

 にこにこと、笑う諸泉。
 幼さの残る、子どものような笑顔だった。

 
 雑渡は、それを見て、目を細める。

 重症を負って、床から起き上がれなかったあの頃。
 必死に、雑渡を世話していた時の子どもに、重なる。
 この子たちのお陰で、再び、忍びとして舞い戻れた。

 雑渡は目を閉じる。

 頭の中に、皆で雑魚寝する姿が、思い浮かんだ。
 それを考えて、クスリと笑う。

「そうだね。 今日は、三人で雑魚寝しようか」



 山本が腕を組む。空を見上げながら、呟く。

「今日は家に帰って、家内の顔でも見るか」

 その言葉に、既婚者の忍びたちは、そわそわとし始めた。
 嫁と子の顔を想う。

 皆は各自、持ち場へと戻っていく。
 仕事を早々に終わらせて、そそくさと、それぞれの家へと帰った。


 ひとりで居るには長く、ふたりで過ごすには短い。
 そんな夜を過ごす。


ーーーー


 タソガレドキ城下の町中。

「おい! そこの奴」

 押都へ話しかける男。
 押都はそれに気が付いて、そちらへ振り向く。

 答える前に、男が押都の腕を掴む。

 押都はそれを振り払わず、口端を上げる。引かれるまま、身を寄せた。
 二人の身体が近づく。


 そこへ、小走りにやってくる人影。

「お待ちください!」

 二人が振り向いた。

 青年が、片足で地面を踏み込む。その身体が、ふわりと浮く。
 まるで、重さが無くなったようだった。

 吸い込まれるように、足がそこへ当たる。男の顔面を蹴った。
 その勢いのまま、男は頭から地面に転がる。

 男の前に立つ青年。

「私の人です!」

 押都の手を取って、そこから離れる。
 手を引かれるまま、足を踏み出した。押都は何も言わず、その背中に着いていく。


 道を曲がって、人気の無い路地裏。
 やっと、押都は口を開いた。

「おい、割って入るな」
「押都様」

 青年が振り返る。その瞳は、押都を案じていた。

「私の目がある場所では、お辞めください」
「ふっ」

 押都が笑う。青年の耳元へ、囁く。

「お前は、ずっと側から離れないのに?」
「そうです。 私から隠れてしてください」

 押都は、青年の顎に指で触れた。
 仕事の邪魔をしないように言いつけながら、ゆっくりと顎下を撫でる。
 

 見つめ合う瞳。
 二人の身体が近づいて、影が重なる。


ーーーー


 ある所。

 森の奥深くに、忍里があったという。
 時は流れ、世の中から忍びが廃れて、無くなってしまった後。
 その話は残り続けた。


 化生が棲みつく“梟の里”。
 化生を見たものは、誰も居ない。


 そこには、多くの梟や鷲がいたのだという。
 化生が居たから、増えたのか。
 梟が多いから、そう呼ばれたのか。


 誰にも分からない。
 けれど、人々は、その話を語り継いでいた。



 ある所。

 梟が森に棲んでいた。
 その声が響く。


 -完-

落葉 -梟化生と押都-

落葉 -梟化生と押都-

戦乱の世で、人ならざるものに恋をした。 忍びと獣。 この恋慕の行く末は、破滅か、執着か。

  • 小説
  • 長編
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2026-03-30

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. 出会い
  2. 懐く
  3. 攫う
  4. 目合う
  5. ご紹介
  6. 化生
  7. 別れ
  8. 再会
  9. 終着