創作世界 歴史
Pactu o Fardar(AD20)まで
暦法:Dizasse Clymetur
BD=Biforte Dizasstor 災前
AD=Aftorte Dizasstor 災後
◯黎明(BD662年〜BD560年)
BD662年、シェニエ王国からの圧力を受けて団結の必要性を感じた南オプティ海の島々が、イディナ王国の前身となる南オプティ海諸島同盟を締結。同じクリスィア系民族のリント帝国から支援を受けた。
BD606年に主要九島による「トリア会議」が行われ、同盟諸島の領土が不可分であること、エテレナ市に同盟を統括する中央機構を設置することを定めた「統一法」が発布された。その1年後、「統一法」に基づきエテレナ市を首都として統一(イディナ)連合王国が成立。初代国王にシルヴァンス・クリーグが選出。
BD591年にはカルディエ大陸のほぼ全ての国家から承認を受けた。
約30年間、初代シルヴァンス王とBD570年に即位した二代目国王ルクサーレ・オ・エヴィシェンによって安定した統治が続く。
BD560年、海洋進出を図るシェニエ王国からの保護という名目で、北のアニカ諸島、ゴール島に進軍。南オプティ海を統一。
◯シヴァース帝国(BD560年〜BD411年)
ルクサーレ王が死去すると、BD560年、アルワレス・シヴァース(アルワレス1世)が即位する。シェニエ王国との第一次南海戦争に辛勝し、国際的な地位を高めた。その後の国王選挙では息子も選出された。
BD519年に即位したアルワレス3世は王国の諸改革に乗り出した。「統一法」は結果的にイディナ王国が成立する基礎となったが、その多くの内容はあくまで諸島同盟のためのものであり、内容が不十分だった。アルワレスはまず諸貴族の領土を明確に定め、戸籍管理法、税制度を統一。中央から官僚を派遣し、貴族の所領運営を補助・監視するシステムを作った。首都エテレナの改修も行い、王国の発展を顕示した。さらに、祖父アルワレス1世の代から続いていた軍改革を完了する。「諸島同盟軍」を十二万人の「王国軍」として再編成した。
BD501年、アルワレス3世の治世18年目にカルディエ大陸でアルケマイナ戦争が勃発。世界は中王派・同盟派に別れて対立していた。イディナはシェニエ王国との融和のために同盟派寄りの外交政策を執ったが、多民族国家アルケミア帝国の消滅による国際秩序の崩壊を憂いたアルワレスは、中立国のセント教国と同盟を結び、同じクリスィア系のアルケミア皇族を救出する名目で「調停軍」をカルディエ大陸に派遣した。アルケミア南部戦線ではシェニエ王国軍を挟撃し大損害を与え、さらに革命軍に奪われた都市の奪還を画策する。しかし、調停軍の努力も虚しく諸民族の独立運動に耐えきれず、BD493年にアルケミア帝国は崩壊。その跡地には三十以上の政権が乱立した。一部のイディナ軍は終戦後も大陸に留まり、旧アルケミア皇族の王都奪還を支援したこの作戦は成功し、アルケマイナ国が成立する。イディナ王国はアルケミア戦争の講和会議でアルマ地方を獲得する。
アルケミア戦争を経験して、イディナ軍を指揮した将軍オルランドは軍の近代化をアルワレス3世に進言する。その頃大陸のほとんどの国の軍で半自動銃が標準装備となっていた。アルワレスもその進言を受けて、近代化政策を開始する。まずは大陸の友好国へ自国の官僚や技術者を留学させた。
アルワレス3世の死後、近代化政策は次男アルベルト1世に引き継がれ、BD488年に半自動銃とキャノン砲の自国生産に成功すると、その15年後には戦車の開発に成功する。この時期にイディナ王国軍の武装は大陸にも迫る水準となった。
BD453年、シェニエ王国内のクリスィア系民族からの要請で、シェニエ南岸部に侵攻する。イディナ軍はエルボア海戦に勝利して制海権を得ると、十万の兵を率いて上陸、沿岸の8都市を占領した。機甲部隊が第二王都の煌境まで迫ると、シェニエ王国は降伏した。結果、イディナ王国はクリスィア系の住民が比較的多い南岸部を獲得し、旧諸島同盟の島々から大陸の一部までの広域を支配する大国へと成長した(シヴァース帝国)。
イディナ王国はその国際的地位を急激に高め、それまでイディナを「南の矮小な島国」程度に認識していた大陸諸国にとっても無視できない存在となった。
新統一法で定められた同じ家出身の王が連続で選出される上限(五人)に達したことで、シヴァース家による統治はBD411年に幕を閉じた。
◯科学国家としての歩み(BD411年〜BD289年)
大陸に領土を獲得し大国化するイディナ王国だったが、その動きを警戒したアルディナ公国、ゴラ王国、リント帝国、による干渉が行われる。特に同系統としてこれまで良好な関係にあったリント帝国からの「裏切り」はイディナ社会に衝撃を与えた。三国はシェニエ王国とイディナ王国の国境付近に派兵、大陸領土の提督だったヴォルタ・クリーグはそれに反発。大陸に常駐していた機甲部隊を向かわせた(第一次シェニエ国境戦争)。数で劣るイディナ軍は機動力のある機甲部隊で戦線の撹乱を図るが、アルディナ公マルケスの計略に嵌り部隊を孤立させてしまう。本国からの援軍により機甲部隊は救出されたが、イディナ王国は大陸領土の半分を失う大敗北を喫した。
BD402年から国王シルヴァンス2世はシヴァース帝国の近代化政策の延長として国内における科学振興に力を入れた。この時代には単葉の飛行機や軍用の暗号解読のための機械を応用した簡単なコンピュータ、合成繊維などが発明される。それらの研究・開発は大陸領土からの豊かな資源に支えられた。
BD350年頃にはそれらの技術を一般に普及させるレベルにまで発達した。人々は列車で移動し、電話で遠く離れた人と会話し、コンピュータを使って作業するのが当たり前になっていた。
BD344年の千夜革命で全ての大陸領土を失ったことで停滞するかと思われたが、イディナ近海で希少金属の鉱床を発見するという幸運により、科学分野での成長はBD300年紀初頭まで継続した。当時大陸ではリント領にあり世界の銀行として知られる帝国銀行の破産に端を発する金融危機により停滞の時代に突入していたが、離島であり経済的にも物理的にも独立していたイディナ王国はその影響を受けなかったため、没落して行く他の大国を出し抜く形となった。
◯第二次イディナ内戦(BD289年〜BD200年)
科学の発展はイディナ王国に豊かさをもたらしたが、一方で国内の格差、特に、以前から問題視されていた中央のアルルク島とそれ以外の島の貧富の差はより深刻になっていた。その問題に火をつけたのは、
BD400年紀に多くの技術が誕生したのはアルルク島であり、その権益は当時王の座にあったエヴィシェン家が握っていた。サクリフ家などを中心に複数の島の首長が共同で「技術の全国開放」を要求する署名を行うが、エヴィシェン家はそれを無視、一部の過激派の貴族はそれを契機にエヴィシェン家への反乱を起こした(イディナ内戦)。
当初は科学技術の権益を巡って勃発したものだったが、有力貴族の利害関係が複雑に絡み合い、内戦は泥沼化した。終盤に至っては技術的な格差はほぼ解決に向かっているにも関わらず、クリーグ家などがエヴィシェン政権の打倒を掲げてアルルク島へ侵攻するなど、本来の目的を見失っていた。そこでアルルク島の南半分を領邦として所有していたエヴィシェン家は軍事的に介入し、両軍の戦力を削ぐことで戦争の継続を困難にさせた。エヴィシェン家自体はアルルク島の一諸侯でしかなかったが、このような手段を執ることができたのは、外国の後ろ盾があったからとも言われている。最終的に中立派貴族の仲裁のもと内戦は終結した。
BD200年、貴族議会で「技術開放宣言」及び「技術の保護に関する覚書」(のちの技術保護法の原型)が採択される。
◯科学の王国(BD200年〜BD1年)
以降はエヴィシェン家が実権を握り、シヴァース帝国以来の安定期が訪れた。政府主体の科学振興は継続され、BD196年に即位した王アクトルス1世はエテレナ大学の中に先進科学研究室を設置し、国内から選りすぐりの研究者・技術者たちを招集した。そこでは人民の生活向上を第一の目標として様々な研究が行われた。政府による科学研究への支援額はますます嵩み、BD80年頃にはイディナ王国は世界をリードする「科学の王国」と呼ばれるようになる。世界初の人工知能「IDO」や超伝導体を利用した鉄道「ライナ・タレ」が発明されたのもこの時代である。
また、この時代の特徴として、「災前紀の三人」または「災前紀の天才」と呼ばれる特に優秀な科学者が活躍したことが挙げられる。災前紀の三人と呼ばれる人物は明確な定義があるわけでなく、評論家によって異なるが、最もよく知られているのはアルベルト・シヴァース、リカルド・レーネ、カルメン・メアの三人である。
様々ん先進技術は人々の生活を目まぐるしく変化させた。もちろん、良い面は大きかったが、特に問題になったのは医療の爆発的な発達による倫理観の破綻である。
また、BD20年代にはシェニエ王国がイディナの技術を盗用するために多くの諜報員を送り込んでくるようになり、サ・ルヴォア諸島の領有問題などでも対立した。
またリント帝国とはアグリア戦争で衝突し、一時はアルルク島への上陸を許す事態となったが、特殊部隊「ダレト」などの活躍で辛勝した。
この時代は大きな進歩の時期でもあったが、後半には再び他国との対立が激化し、社会的な不安が残った。
◯侵植(侵植紀元0年)
9月、未曾有の大災害「侵植」が発生した。それはありとあらゆる植物が巨大化し、意思を持ったように動き、人の居住区を脅かすというものである。イディナ王国は特にその被害が大きく、アルルク島を含む全てのイディナ諸島は人間の居住が困難な土地になった。宰相クリス・ウィーナーによって約二億人の国民をカルディエ大陸南東部に広がるアルビニア砂漠の南部(当時シェニエ王国の支配下)に移住させることが計画された。まずウィーナーは密偵を使ってアルビニアに住む先住民族を煽り、協力の見返りとしてシェニエ王国からの解放を約束する。11月には先住民族による武装蜂起が発生し、イディナ軍はそれに乗じてシェニエ王国領アルビニアに侵入。駐在していたシェニエ軍を駆逐し、半年以内にアルルク島の倍近くの面積を占領する。このときのイディナ軍は最新鋭のシールド技術と強化義体で武装しており、シェニエ軍は為すすべもなく撤退した。最終的に約六千万人が生存して大陸に移住した(大陸移住計画)。
この新・イディナ王国はかつてシヴァース帝国の時に建てられた都市やシェニエ王国の都市をそのまま利用しつつ、新たな首都として「エテレイン」を建設した。
◯災後改革(AD1年〜AD20年)
多大な犠牲をはらいながらも無事大陸に到達したイディナ王国だったが、AD2年から領土奪還を目論むシェニエ王国による侵攻を受けた。侵攻は同年中複数に渡って行われたが、それらを総称してエリア・セア(海沿いの意味)戦争(シェニエ側では領土回復戦争)と呼ぶ。イディナ王国はリント帝国からの干渉も受けて苦境に陥ったが、かつて建国を支援したアルケマイナ国の軍事的・経済的支援もあって体制を整えると、AD5年にリント帝国軍を破り、戦況の不利を察したシェニエ軍は一時撤退した。
国王アルドラ1世は侵植によって根本から破壊されたシステムを整えるために改革を行う。まず、混乱に乗じて活性化した反政府組織を鎮めるため監視組織「AVTER」が設置される(のちにカメラはスリー・ディメンション・スキャナーという技術に置き換わる)。また、大陸の多くの国と国境を接することとを受け、今までは大陸とイディナ領を隔てる海によって守られていた王国独自の科学技術を守るため、「技術防衛軍」を組織した。先進科学研究室は大学から独立し、民間のイディナ科研を始めとする研究所と合併して「KSO」となった。同時に技術防衛軍は設立から一年足らずで解体され、「KSOD(正式名称:技術の保護及び治安維持のための特別警察機関)」として再編、KSOに付随する組織となった。
AD13年にはAVTER監視の行き届かない地域である「路地裏」で大規模な麻薬組織の取り締まりが始まる(俗称:イディナ・ファロテイン麻薬戦争)。路地裏とは、イディナが占領した地域に点在させて建てた都市と都市の間の地域を指し、もともとは先住民族の居住地だった。しかし、これまで国外からの干渉に対応で手一杯だった政府の隙を見て複数の犯罪組織が当該地域に拠点を作っていた。政府は大陸移住計画に協力した先住民族の自治がそれらの組織によって脅かされている状況を問題視し、これを行った。
AD15年、第二次シェニエ国境戦争が起こり再びシェニエ王国と衝突する。アグリア戦争でも活躍した将軍ヒューゴ・エルガス、シヴァース家出身の女性軍人アメリア・シヴァースを中心とする精鋭部隊「DOD(特別対外治安部隊)」、ラシャ大佐が率いるKSOD諜報部隊のなどの活躍でイディナ善戦するが、シェニエ側の「楼火」という陸上特殊部隊によって北部の戦線では敗退が続いた。しかし全体で見ると、この戦争が継続していた2年間のうち、半年以上は膠着状態にあった。最終的には経済的事情で戦争の継続が困難になったシェニエ軍が撤退し、宝邑条約により講和が成立した。この条約によってイディナ王国による南アルビニア占領は実質的に容認された。
災後のイディナでは諸侯同士の対立は概ね解決されていたが、AVTERやKSOなど組織間の対立が目立つようになった。また、KSODはKSOからの独立傾向を強め、災前の王国軍や憲兵に近い役割を担った。一方で科学技術は発展を続け、それを拝啓に依然として大国の地位を維持していた。
父王の死によりAD19年に齢19で即位したアルドラ2世は宰相リアズの助言のもと「相互管理」「近郊維持」をスローガン掲げ、AVTER、KSO、KSODがそれぞれの動向を相互に監視し、またいずれかの勢力が過大になりすぎないようにすして均衡を保つ体制を作り上げた。王の若さに不安感を抱いていた多くの国民はこの新たな秩序を歓迎し、アルドラ2世は若き名君として称賛された。
AD20年には初めて放棄したアルルク島への立入調査が行われた。調査では侵植の原因究明のためのサンプル採取が第一の目標とされ、移住計画に間に合わず諸島に取り残された市民「残留民」の捜査も念頭に置かれていた。約一ヶ月の調査は参加者のうち六割が死亡するという悲劇的な結果を生んだが、調査の主任だったサーマン・クリック博士は生還し、大量のサンプルをKSOに提供した。また、「残留民」の一人エマ・アイザックが保護された。しかし、その立入調査には多くの問題があり、特に人道的な面で危険性を指摘され、当時KSOの機構長だったヘルマン・リッターは辞職に追い込まれた。リッターの失脚にはKSOD総司令官のヒューゴ・エルガスによる干渉が強く影響しており、多くのサンプルがKSODに流出した。
この頃、新王アルドラ2世の積極的な外交によってシェニエ王国との関係も改善に向かっていたが、シェニエ人の犯罪組織による技術盗難未遂が起き、その背後にシェニエ政府が関わっているという疑念から両国の関係は再び冷え込んだ。
AD20年6月、エテレインの主要施設を狙ったテロが発生。KSOD本部が爆破され多数の負傷者が出る。首謀者フィリップ・レンナーは次にKSOの施設を標的にしたが、待機していたKSODによってKSO本部ビル屋上で逮捕された。
同年8月、正体不明の覆面集団による首都エテレインへのテロ行為が行われる。KSODはテロ対策本部を組織したが、幹部による会議中に爆撃を受け、隊員三百名が死亡、千名以上が怪我を負った。同時にシェニエ王国精鋭部隊「楼火」による攻撃を受けたが、これはKSODの活躍で被害を最小限に抑え、撃退に成功した。ヒューゴ・エルガス司令はこの件について「シェニエ政府がテロリストを手引きしているのは確実」と判断し、報復攻撃のために五万の兵をシェニエ王国国境付近に配置した。
9月上旬にはアルドラ2世がシェニエ王国に対してテロ被害への賠償請求も含めた最後通牒を送り、シェニエ側がそれを拒否したことで両国軍は正式に戦闘状態へ入った。
◯第三次シェニエ国境戦争(AD20年〜同年末)
KSODの主力軍八万人は北のヌヴォイ(寧河)線、西のファルタール(栄江)線(宝邑条約で定められた国境線)を超えてシェニエ王国南部へと侵入した。その頃、KSODはすでに量子テレポーターによる世界最高水準の兵站を取り入れていたため、シェニエ軍が十分な軍備を終える前に多くの兵力と物資を搬送し、戦闘開始からわずか三日で最も強固だった西側の防壁を突破した。また、当時シェニエ王国は北東でイジュレ連邦、西でゴレア解放戦線と対立しており、南へ割く兵力を減らしていたため、防衛にあてる兵力も不十分だった。そのため手薄な北部では本格的な戦闘が起こらないまま一部地域をKSODによって占領された。ファルタール線付近にある楼火の前哨基地では、開戦五日後から激しい戦闘が展開されたが、DOD所属の指揮官ランセル・モンテクロードの策略で楼火本部隊の動きを抑え込むことに成功し、二十八時間で陥落した。楼火はシェニエ本国への撤退を余儀なくされた。
しかし、同時進行でイディナ国内では大きな混乱が発生していた。KSOD総司令官ヒューゴ・エルガスが議会に断りなく戦争を開始したとして、KSOD出身で軍事大臣を務めるルイス・ウィーナー(移住計画を発案したウィーナーの息子)がエルガスの排除を計画したのである。ウィーナーはエルガスはアルドラ2世を唆したと主張して賛同者をあつめ、ついにKSOD司令部への攻撃を開始した。それを受けてDODの一部でも離反者が現れ、また、「アイン」と名乗るハッカーの呼びかけによってKSODの外からも反エルガスの有力者が集まるなど、司令部の指導力は弱体化した。ルイス・ウィーナーは「秩序に対する反逆」罪として裁かれたが、この状況を見たアルドラ2世はエルガスを見限り、自らが戦争の主導権を握る。楼火前哨基地陥落直後には自らシェニエ領へ趣き、シェニエの永正帝と対談し(寧河河岸の会談)、シェニエ側の損害賠償の支払いとイディナ側の国境地帯からの撤退を交換条件として戦闘を停止させた。
AD20年10月、ファルタール条約が正式に成立し、第三次シェニエ国境戦争が終結。
創作世界 歴史