映画『東京逃避行』レビュー

 〆が俊逸な作品でした。
 一般的にいって映画のラストはそれまでの本編の総括を担ったり、あるいは本編から続くストーリーの先を想像させたり、本編を活かす形で描写されるものですが、本作の場合はその逆。ラストカットから始まる真の始まりのために、90分の本編が捧げられています。
 若者に人気のネット小説、「東京逃避行」に憧れて封鎖後のトー横を訪れた飛鳥が作者である日和に出会い、次第に巻き込まれていく事態は単に歓楽街にありがちなビジネスの闇を描いたものではなく、現実に押し潰されそうになっていた善意の叫びを聞き届けるドラマとなっています。真綿で首を締め付けられるようにじわじわと狭まっていくその出口は、封鎖された後もトー横に集まる日和たちが必死に生きる現実そのもので、民事不介入を貫く警察は、決定的な事件が起きないと救いの手を差し伸べてはくれません。
 死ぬか、殺すか。それとも、底の見えない蟻地獄へと皆んなを道連れにするか。
 歌舞伎町を舞台とする本作のテーマに鑑みれば、トー横キッズと呼ばれる彼や彼女たちの境遇を代弁してみせる日和の方が実に主人公らしく、反対に、選べる選択肢が多い飛鳥は劇中では少し浮いて見えます。彼女を逃がそうと始まる逃走劇を開始させるために導入された舞台装置という設定が丸見えになっている感じがして、スクリーンの向こうで生きている登場人物になっていない。
 そんなマイナスの印象が付きまとうからか、序盤から中盤にかけては「面白いんだけど、どっかなぁ…」という意識が働いてしまい、いまいちのめり込めなかったのですが、舞台が歌舞伎町から一転、日和の壮絶な半生を想像させる描写が続くようになると今度は飛鳥の方がストーリーにとって欠かせない存在感を発揮します。そのスイッチを、救いのない社会が入れるのです。
 生き方を選べない日和の不幸は、悲しいほどに「子供だから」という事実に収斂します。制限される人生の選択肢を広げようと身を寄せ合えば、保護されるべき対象として元の居場所に引き戻される。それが間違っているとは決して言えないけれど、彼らが逃げ延びようとした生き地獄を他の誰もが知らない。じゃあ、どうすればと考え出せば、語れる人はどこにも現れない。
 そこになんの躊躇いも覚えずに飛鳥が飛び込めたのは、彼女が日和と同じ子供で、かつ飛鳥が日和と同じ境遇にいなかったから。無邪気なほどに無謀な可能性を提示できたのは、本作において彼女だけでした。
 飛鳥の立ち位置が中途半端だったのも、ここでやっと納得できたんですよね。トー横でも、どこでもない場所で彼女たちが思いっ切り「生きる」ためにできたたった一つの選択。それをどこまでも純粋に輝かせるために、『東京逃避行』は真っ黒な世界をひたすら走り抜けた。骨太な社会派の作品から、逃げ延びる彼女たちの物語へ。その移行を果たすために生み出された映画の時間はとにかく鮮烈で、圧倒的でした。
 本作の監督を務められたのは秋葉恋さん。その名前、しかと脳内に刻みましたよ。興味がある方は是非。珠玉の良作です。

映画『東京逃避行』レビュー

映画『東京逃避行』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-03-24

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