女を"海"とよばないで

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 わたしのゆびさきはスマートフォンの冷然硬質な硝子面を介し、うす燈のようにめざめるわたしの意識にしたがって、SNSという、鮮明なる表面を晒しながらもくぐもる泡を立てる海のなかをかきまわすように揺らめき、あたかもあてもなく彷徨っていたのだった。
 色とりどりの欲求をあっけらかんと、あるいは秘められて照りかえす画像の一群は、スクロールされる度尾をひるがえすように上方へゆき過ぎ、まるで銀の鱗の魚が泳ぐように過ぎてゆく、そうして、なかば朦朧とした意識で前後にしならせていたわたしのゆびさきをふと静止させたのはかのひと、というのはかの憧れ。いわゆる、わが推し。
 わたしの推しは、嘗ては、AV女優ではなかった。
 色の黒い数人の男性に囲まれてピースサインをする水原藍(現芸名:心音ねる)は露出の過度な下着姿、きんと硬質な音を散らす陶器めいた綺麗な肌を、不特定多数の閲覧者等に惜しげもなくさらしていたのだった。
 この肌の質感に対するわたしの印象は、けっしてスマートフォンの硝子越しにみているがゆえの想像だけのものではない、というのも、このきついほどにまっしろな光を反射するある種硬い腰を、わたしは一度だけ抱いたことがあるのだから。
 水原藍は十八歳まで、所謂地下アイドルとして活動していたのだった、わたしは彼女のライブに通い、一度チェキを撮ってもらったときはハグまでしてもらったというのが先程の不穏きわまる伏線のはやすぎる回収である。デビュー当初は十六歳、わたしは彼女と同学年であり、同性であり、まるで太陽を愛するように水原を崇拝し、月へ憧れるように水原的な生き方に身をなげうってみたいと悲願した。
 わたしのこつぜんと止まったゆびに反し、わたしの脳裏にはさまざまな追懐、想い、情愛、そして、「どうして?」という疑問と、憐れげなにくしみが駆け巡る。転身直後のショックと比較して、わたしはそれほどに推しがポルノに出演していることに拒絶反応はない──と、想っている。
 唯一の問題は、貞節というそれである。
 彼女は、「結婚するまでセックスをしない」という透明にしてひりつくように神経的な少女性的戒律をファンに公言し、わたしはその言葉を、そのままに信じていたのだった、水原の決意を信じ、尊敬し、そして愛したのだった。彼女が少女特有の毀れやすいモラルを破り、それでも尚メディアにわが身を露出させていること、これに対する疑問とにくしみと、そしてそれでも残り火花の撥ねるような愛おしい気持・かつての崇拝の気持が消えないままに堕落したようななんともいえないそれのいりまじった複雑な感情に、それでも尚しぶとく芸能の世界に身を置けるキッチュ的な美に対する印象、「命の野心って、俗悪だけれどもきらめいてみえる」というような感覚が交るのである。

 彼女の、今日の書き込み。
  私は今の道というか
  生き方を自分で選んだのにさ、
  部外者がガタガタ言って私のことおとしめて
  私は私の人生を生きるから、
  アンチもみんなお前らの人生を生きなよ
 
 わたしのコメント。
  藍ちゃんが選んだ道をわたしは応援するよ!
  同性ファンとして、
  藍ちゃんの生き方を規範としたいし、
  今日の写真もお美しくて大好き!
  藍ちゃんのこと一生推すねー!
 
 わたしはその日彼女からの「いいね」がないか数十分に一回はそのSNSにログインしていたのだった、返信機能を使って彼女に話しかけたのは久方ぶりで、忙しいから、いちいち一つひとつに反応できないからというのがあるのはわかっていても、わたしは推しから「いいね」が付かないという状況に不安を感じる体質、夜にアカウントの通知がついて飛びつくようにひらくと「いいね」ばかりか藍ちゃんからの返信まであり、わたしは文字通り部屋で小躍りした(水原藍がアイドル時代に所属していたグループの曲の振りつけ『歓べ!』)
 
 水原藍からの返信。
  ありがとう涙
 
 ただこれだけに過ぎないのに、わたしは水原藍がわたしのためにゆびをうごかしてくれたという事実が嬉しくてむせび泣き、けれどもその涙は何故かしらはじめとは異なる感情によって操られたそれへ変わっていく、操縦者の代わったわたしの涙は唯垂れるように枕へ撒かれる。
 その液体はあらゆる搾取によりどうしようもなく疲れ切った、花であれとみなされつづける十八の女の躰がさながらにうなだれているよう。

  *

 その頃わたしは年上のバンドマンに遊ばれていて、都合のいいときに呼び出され煙草や酒を買いに行かされたり、相手の欲しいときに躰を差しだすことを強いられていて、けれども実質わたしには、遊ばれているという感覚はそれ程にはなかったのだった。
 というのは「かれに夢中で盲目になっていたから」というごくごく見られやすい簡単な感覚が理由ではない、そもそもわたしは、かれを特に好きではなかった。
 かっこよくもなかったしバンドも売れていず、やりたくもないアルバイトをやったりやらなかったりするような男、かれは誘惑の言葉を時々ささやいたがわたしにはなんだか羞恥のような不快なくすぐったさのような感覚を与えるばかり、これまでの男のひとと比較すれば、女のひとをどぎまぎさせるのが巧いというわけでもなかったように想う。
 けれどもその際に「こいつ、わたしのこと遊んでいるつもりなんだろうな」といううらがえしの軽蔑と冷笑の感情が生まれるのはわたしにはなんだか愉快であり、かれのような男に軽蔑されているという感覚はわたしに「軽蔑されていることを楽しむ気持」、いうなれば「うらがえしの虚栄心」のような感情を如何にも心地よいかたちでくすぐったのだった、いわばかれの「わたしを遊んでいると想っている愚かさ」がわたしにとって玩具にすぎなかったのであり、いうなれば互いが互いを損なわせない一種よい関係であったのだろう。その意味において、全くもって道徳的であったといってもよいと想われる(皮肉)。
 軽蔑と軽蔑、尊厳をもっているはずの他者の人格の利用と消費の綾織った低劣な関係。
 大切にされるべき人格を剥がし、みずからの躰をすら玩具と化し対象をも玩具とみる。他者を目的ではなく、手段として利用するというモラルの欠如。遊びのやりとり。自分がこんなことをするようになるとは思わなかった。後ろめたい。わたしは、わたしに後ろめたい。
 いわばわたしはかれに遊ばれている自己を遊んでいたといって間違いではないのかもしれない、わたしにはわたしという領域のどこに自己があるのかをみいだすことができなかったのだけれども、あるいは水原的な生き方への崇拝をさせるわたしの心の一領域が、ある種わたし自身であったのだろうか。
 わたしは水原的な生き方、いいかえれば「少女性的な生き方」に対する「愛と憧れ」が「疑いと憎悪」に転じたアンチテーゼにも似た感情の存在を自分に感じていたのだった、まるでその重たい心をもてあましていたようなのだった。うら若き頃にかぶれていたものから気持が離れたとき、往々にしてひとはむしろそれに過剰な嫌悪をいだくようになる。ニーチェにとってのキリスト教。エミール・シオラン、ジョルジュ・バタイユにとってのニーチェ。例は枚挙にいとまがないであろう。
 そうであるのにわたしはいまにも残る水原的な生への憧れをもっているが、現在の水原藍の生き方にそれはきっと発見されえず、かの生は翳のような幻影のような芸能人のパブリックイメージとしてメッキの張られた虚構のそれであったに違いないのだろう。
 わたしは「わたし」として生きる──わたしはいうなればほんとうにあるのかも判別できぬ「わたし」という概念の重みをもてあましていて、「わたし」とはべつのわたし、肉体の領域のわたしで児をあやすように男に遊ばれてもみたし、いったい恋愛によって人間はなにを悦ぶのかをいわば自分自身を実験台に置いてときどきくらいは愉しみながら実験していたのである。この行為はまさに自分自身を手段にするそれであり、やはりわたしは自己のことも他者のことも大切にできない人間になっているということではないだろうか。
 いいかえるならば、なにか「わたし」としての本心と離れた行為によってわたしの一領域を他者に利用させてみたかった、その最中のわたしのいたみの推移を注視してみたかった、そういうことこそが当時のわたしのやりたいことであったのかもしれない。
 わたしは「自己無化」という壮絶な生を闘おうとしていたが、じっさい行為していたのは甘ったれ爛れた遊びなのだった。
 その行為をさせている心はたしかにわたしのものではあるけれども「わたし」のそれではないようにおもわれる、それは破れかぶれに投げだされ傷を負ったわたしでもあるようだし、男にさらされたわが躰へ冷めきった研究者の眼でまじまじと見つめていたのもまた、わたしであったようにも推測される。
「わたし」──いずこに?
「葵、煙草買ってきてよ」
 男にそう言われたのでわざとタールの量が多いものを購入してきた、男はきっとわたしのことを馬鹿だといい、そういうところが可愛いとぞわりとするような甘い言葉を嘯き、指をからめ、そして、わたしの躰を繋ぎ留めようとするだろう。
 はい、とタール12の青いアメリカンスピリットを置くと、
「色違うじゃん、黄いろだよ。なんで間違えるの?」
「店員がこれ持ってきたから」
 かれはふっと軽く笑っていたが、わたしの眼は唇の端のめくりあがったような表情を見逃すことはない。優越の笑みであった、支配欲の満たされた、高圧的な嘲笑であった。
 わたしはその感情を向けられていることを逆転的によろこぶのだった、これはけっしてマゾヒズムなどではない、というのもその際のわたしの感情の正体とは、うらがえった虚栄心によってまるめこむように軽蔑の小復讐をするという、暗い歓びなのだから。
 向けられた軽蔑を見えない軽蔑で復讐するというこの感情が珍しいものだとはわたしには想えない、それは社会において、仕方なしに弱い立場の者のよくする復讐ではないだろうか。
 男性優位の世界のなかで弓のように飛んでくるたくさんの軽視、こちらを大切にする気がない状態で向けられる欲望に対する復讐、いわく、自分を脱力させるための心のうごきだ。わたしの心の根には男性への不信と軽蔑がわだかまってきていて、深く、深く沈殿しているようなのだ。
 ありとあらゆるものへの風刺的な攻撃への欲望に、当時のわたしはまるで支配されていたのだった。ありとあるものを優越の立場から嘲ってやろうという、ニヒルをきどる若者のよくする生き方を、それの無駄と有害を「わたしは知っている」と錯覚しながら、自覚的におなじことをやってのけようとしていたのだ。
 わたしはただ一度きりの人生の長さを、再現不可能な実験の時間と同様にとらえているところがあった。
 十八。
 わたしは、十八歳だった。
 女の十八というのは男性たちから恋愛対象として最も求められ、また羨まれる年齢の一つであるといえるけれども、女が十八歳として生きていることでうまれうるこの抑圧、怒り、憂い、わが身が自然と放つ性の香りと折合をつけられないというこの戦慄するような不安、果して、これ等をすら抱いて愛し大切にできる男が、いったいどこにいるだろうか。
 わたしはほんとうの意味で愛してみたい、愛されてみたいと悲願しているが、それはどんな愛なのかという問題にこたえを出すことはできないし、そのこたえが存在するともおもえない。
 十八の女が愛のない恋愛をするのは危険というほかはなく、だが、交際のまえに「かれはわたしを愛してくれる」と期待することの愚かさ、寄りかかろうとする期待の愚かさだってややくらいは理解しているつもりだ。
 そして、こんな悩みがろくでもない男としか関係をもったことのないわたしにも原因があるという意見も、一蹴してはいけないだろう。
 いずこへ?
 わたしには「わたし」という一領域がどこにあるのか、そしてそれはどこへゆくべきなのか、それすらもわからない。
「はあ」
 とかれはやわらかげに言い、
「まあ、丁度ニコチン切れしてたし、いいよ」
 そしてわたしの肩を抱いた、わたしは肉体を許すたびに、心をおおう背骨の筋力を引き締めているようなイメージをする、それがわたしの、精神を守護する貞操帯の一種。
 わたしが「わたし」として絶対に守護しなければいけないと、それに疑いと虚無を感じながらも、切ない気持で守らざるをえない貞節。水原藍もまたこれを守護しているのなら、わたしは、彼女を信じる気持ちを信じつづけることができる。
 貞節すらないのなら、わたしたちはいったいなにを生きることができるだろうか?
「最近、詩を読んでるんだ。芸の肥やしってやつ? 葵は文学とか読まないでしょ」
「うん、全然わかんない」
「ジム・モリソンやマーク・ボランがさ、アルチュール・ランボオって詩人の詩が好きだから俺も読んでるんだけど、『永遠』って詩がすげえいいよ。エロい」
 アルチュール・ランボオは十二歳から愛読している。いわないでおいてあげる。
「エロいの?」
「太陽的な男性が、海のように生命の始原であり往きつく領域である女性を貫いて、融け合い引きつれるのが永遠なんだってさ。海はただ横たわり、連れこまれるのを待っていて、太陽は上を走り昇りつづける。一晩射し貫いて融け合い消えて、あらたに生命が産れて、そして日々がくりかえされる。それの連鎖が人類の営みであり、男と女という永遠の主題なんだ」
 
  *
 
 わたしはかのような解釈を、けっして是認しない。
 女を、”海”とよばないで。
 
  *
 
 推しが炎上した。
 この炎上事件はわたしの水原への信頼を崩し落したのだった、何故わたしはたかがひとりの人間を信じていたのかと自責・悔恨し、わたしは「わたし」と結ぶなにもかも失った状態で、何故守るべきかもわからない貞節だけを残して、この地上に立っていたといってもいい過ぎではなかった。
 わたしはひざまずく対象を喪失したといってもよかった。わたしは何もしなかった、何もしないということをするほかはなかった。わたしには何も気力が残らなかった。唯、ヤケであった。
 推しは当時流行していた男性アイドルと恋愛関係にあり、その男性アイドルは三人の女性と恋愛していて、水原藍は妊娠しているというのが報道であった。いつまで経っても男性と結婚するという報道はなく、なぜ生まれくる子供のくるしみを配慮できないのだろうという疑いはわたしに苦痛をあたえた。水原。そしてこの男性。どうして。どうして。
 わたしは水原藍の、優しいところが好きだったのに。
 わたしの信頼は裏切られた。わたしの愛を信じたい気持は破られた。わたしはひざまずく対象を失った。なにもかも信じられなくなった。
 アンチ水原藍。わたしはネットに書き込みこそしなかったけれども、さながらに重力のようなものにしたがってそこまで堕ちえたのだった。
 つぎなるわたしの思考をいえば、わたしの孤独感という一領域がひざまずく対象をなににしようかという、愚かなる作業であったのだった。わたしに価値を信じられるものはなにかか探す心のうごきであった。わたしはどうにかわたしを愛するために背を折ってうずくまり、肉から浮くような背骨の凹凸を抱きすくめるようなうごきで前からうでで覆うときがあった。が、平均的日本人の体形でそんなうでの長さがあるわけはない。美しくなりたかった。まず、美しくなりたかった。しかしわたしは痩せすぎていて、いびつな背骨は病的な廃墟さながらの不穏な陰翳を落し、わたしの貞節がはみだしたようにボコと脹れていた。
 わたしはこの世界に在るというのが違和感であった、なぜこの世界はこんなにも不気味なのだろうか。わたしはそのなかでSNSのいるかもわからぬ美しい女になろうとしてゆびさきをうろうろと彷徨わせていた、それはなにも信じられなくなったわたしへ、「美しくある」ということだけがある種存在していいという一条件をわたしに与えていたからなのかもしれない。その条件がなぜ有るかという問題は、他者たちから優越していなければわたしはわたしの存在を認められないという気持に原因しているようだった。
 わたしはわたしがここにあってよいとみなされる条件を満たすために美しく着飾り、最新のメイクをし、くるしい体形管理にいそしんでいたのだけれども、なぜそれが男性の欲情をあおることに直結するのかもわからないし、腹が立つし、なぜ男たちは女を大切にする気なくほんとうの欲望を隠してわたしへ欲望のうでを伸ばすのかが根の部分で想像ができない。否、そうやって伸ばす自己を許しえる気持の、根っこがわからない。
 わたしにはそれを回避しえないし、まずもって「女が十八として存在するという状態は、暴力的な視線を受けることを避けられない」という被害者意識的な感覚は、果して自意識過剰は妄想といえるようなものであるのか。ある程度までは、事実ではないだろうか。
 わたしは、現実という粘着質の重みをもった体液がたえずわたしに垂れてくるというような世界の観方をもちはじめた。
 わたしがこの世界の在り方、人間の営みというものの根に違和感をもつというのが、そんなにもおかしいことなのか。復讐したい。復讐したいという気持すらもわたしたちには赦されないのか。
 わたしはこんな想念が一種邪悪なものでもあるということを絶えず意識していて、このぐちゃぐちゃな思考の詰まった悪玉のような脳をどうにか透明な理路をたどらせ何かを愛そうとした。わたしは毎晩数時間をかけてシモーヌ・ヴェイユの本を読んでいた。わたしは当時、つぎはヴェイユを信じようとしていたのだ。
 水原というロールモデルを失ったわたしは、もはやこの世で生きる理不尽と違和感、この世にある気持の悪さしか感受できぬ、一条の病んだ神経であった。

 ああ、わたしは──人間は善いこころで人間に接するというのが当然であるというような、子供っぽい甘えた気持をもっている。
 
  *
 
「でもそれってさ」
 と、女友だちに相談すると、こう返ってきた。
「女性は男性の気持や状況を配慮せず、攻撃性の高い欲望で暴力しているっていうのは、いまの葵といっしょじゃん。強い思想や言葉で批判したいのなら、男性のくるしさや事情を見る努力をしてから批判したほうがいいんじゃない? そしたら、さっきみたいな言い方にはならないとおもうよ」
「はあ?」
「葵はたしかに悪い男性にくるしめられてきたけど、それは葵がその男性たちを選んできたからだよね。それが葵のこのみなんじゃないの? 気遣いとかスマートさってさ、技術だし、ほんとうの心とは離れた部分の優しさだから、かなり経験によるんじゃない? そういう技術を身に着けようとしてきた男性って、そりゃ女性をそういう風に扱いたいひとが多いんじゃないかなってわたしは思う。たしかに多いよ、葵のいうように、女性を”人間として大切にする”気がなく、”女性としてモノみたいに欲しがる”男性はね。ほんとうに問題。みんなではないにしても、若い女性に寄ってきたり、知り合ってすぐにドキドキさせてくる男性にそういうひとが多いのはたしかだとおもう。だって、”女性として欲しがる気持よりも人間として大切にする意志”がある男性は、ほんとうに好きになるまではアプローチしないひとが多いはずだよ。そういう男性はなんだか不器用な感じするんじゃないかな。でも、いるんだよ。だからさ、葵がいままで対象外だった男性のなかにはいいひともいるし」
「うるせえんだよ!おまえわたしの気持なにも知らないで適当なこといってんじゃねえよ。そんなこと誰でもいえるだろうが!」
 正論。それなのかもしれなかった。
 わたしがもしいまの状況に立っていなかったとしたら、わたしだっておなじような言葉をいったかもしれない、だが、いまのわたしはこんな言説に救われる筈もないほどに暴力的で、荒んだ心をもっていた。
 顔を覆って泣き出しながら、わたしはいった。
「ごめん。ごめんね。これ以上あなたを攻撃したくない。もう、帰る」
「こっちこそごめん。わたしも言いすぎたよ、葵がつらいことを考慮できてなかった。ごめんね」
「ちがうの、わたしは、わたしが、わたしが全部わるいの」
「そんなことないよ。葵のくるしみって、ある意味、純粋な少女とくゆうのものでもあるとおもう。ほら、はじめて男性向けのひどいAVを見て、わたしたち、怒りや悲しみより先に、”どうしてこんなものがあるの?”、”どうしてこんなものに喜ぶ人間がいるの?”って思わなかった? 疑問。疑問だった。”どうして?”だった。その状態でとまって、”まあしょうがないか”って折り合いがつけられていないんだとおもうよ、葵みたいなひとは。だから、そういうひとは、元々優しいところがあるの。ある意味でいうと、純粋すぎる、少女っぽすぎるんだよ。人間は相手を大切にする優しい気持で接するのが当然っておもっているから、自分だってそうしてきたから、そうじゃないひとたちの存在にびっくりして、傷つきすぎちゃってるんだとおもう。わたしは葵がもともと思い遣りのある子だって知ってるよ。高校生の頃、わたしの気持ちをいつもかんがえながら接してくれたよね。いまも残ってるよ。でも、いまの葵の心の状態は暴力の連鎖っていえるとおもうし」
「やめて! やめて!」
 わたしは背を折りまげて千円札を机に置き、カフェを去った。

 友達はなんにも悪くないのに。わたしの態度を向けられたらかなしいし、怖い思いをしたにちがいない。
 わたしには耳が痛い言葉も、善意でいってくれていたはずなのに。わたし、もうひとと会う資格を自分に与えられない。もっと善い人間になりたかった。もっと善い人間になりたかった。いまのわたしがやっている遊び、こんなことしたくもなかった。
 
  *
 
 水原藍のアイドル時代の動画をみる。可憐で、素直で、すこし天然で、メンバーへの気遣いがいつもあって、へたな歌すらもいとおしく、わたしは、これが人間のあるべき姿であったとおもっていたんだとおもう。
 わたしはこうではない人間を認められなかったし、だから自分なんて憎悪の対象でしかなかった。
 快楽にすがるような生き方が、ある。
 歓べ。歓べ。歓べ。
 それだけが、ひざまずく対象を失った死にたい人間に、生きる断続を重ねつづけられうるのなら──されどわたしは、そのような生き方を、わたしに是認することはできない。

 *
 
 わたしは数週間家にひきこもって親にも連絡しなかったから、自分を世話してくれるひとなんているわけもなく、精神と肉体の健康は堕ちぶれてゆき、しかし、これがわたしという違和感を鳴らせる背骨の凹凸とはまる、真にダークな領域だというような気もしていたのだった。わたしはそれを嘲ってみたのだけれども、それも金属の穴から吐かれる乾いた音を立てるばかりなのだった。
 デカダンって、これ?
 はッ。嗤っちゃう。
 恰も落葉のように世界という不気味な観念的で曖昧模糊とやわっこい破片が落ち、わたしはそれが頬を辷るのにまかせていたのだった。わたしの眼前にはくらぐらと靄のような陰翳が降りかさなり、「世界、キモい」とだけ囁いて、唯生存のために水だけを飲んだ。それでも吐くことはあった。わたしはわたしに介入するありとある汚らわしいものを吐き散らしたかっし、それによってできあがった空白に純潔な水を注いでほしいと悲願した。
 インターホンを鳴らす音があり、バンドマンが来たことがわかった。セックスがしたいんだな、とおもったけれども、いまの入浴すらしていない痩せこけたわたしに性的魅力などあるわけがない。敢えて入れた。するとわたしの見た目を確認し、せせら笑うように「堕ちたな」、と一言だけをいうと、扉を閉めた。
 わたしの乾いた笑いはからからと掠れた音を立てたが、やはりそれは頬を辷る涙への風刺的精神によるもの、ここ数年の習慣によるものであったのかもしれない。
 水原。水原。あなたは、なぜファンを裏切ったの? 否。なぜ裏切る自分を、あなたは赦しえたの?
 腹痛が酷い、数日なにも胃に入れていないからだろうか。海が見たい。海が。女という客体を投影された海ではなく、地上を襲う理不尽の主体としての海が。
 窓を開ける。町並み。ひとびと。
 わたしは喉から込みあがる吐き気にえずき、どっと床に肉体を倒れ込ませて嘔吐した。わたしは白いてのひらでそれを掬った。これがわたしの海だった。これがわたしの主体としての溜りだった。それが窓枠に垂れ、外へつと落ちた。暴力は暴力と綾織っている。この世は可視と不可視の暴力に満ち、わたしだって他の人間と同様に一種の暴力者だったし、やはり被害者でもあった。加害と被害の関係性は可逆的で、すべてグレーなのだった。どす黒いダスティな色彩がわたしには気味が悪かった。それが無数の蛇のようにうごめくのが人間社会のように想えた。ずっと、ずっとこんなことを考えていた。わたしはわたしの感受性をここまでみすえて外をみた瞬間、或るふしぎな気持がうまれたのだった。
 閃光。暗み。雷鳴。轟音。砕ける音。
 あ、青空。
 わたしはうずくまっていた躰をひるがえし、揺れるレエスカーテンに吐瀉物が触れるのも気にせず、青空の清む光をみていた。わたしはひざまずいたのではなかった、けっして、そうではないのだった。唯、青空という美にうっとりとしてわたしのことを忘れ、たゆたうばかりなのだった。
 その風景へわたしの伸ばしされたうでは垢と汚物によごれていた。地上へ被さる青空とはなんて共感性のない無垢な王子なのだろうと夢想し、わたしはなんだかわらえてきた。
 葵みたいなひとは、元々優しいんだよ。
 その言葉が、ようやくわたしの心に入ってきた。ありがとう、そんな気持もうまれた。
 わたしはゆびさきを青空へ指してしばらくスマホを操るように彷徨わせた、わたしはこの意味のないうごきを、こころからよろこんだ。無為なよろこびというのはどこか素直で、可憐な感じがした。わたしはひとまずは青空が美しいから、わたしにも優しいところがあるし友達を大切にしたいという気持がよみがえったから生きてみようとかんがえ、その論理性の不在に微笑した。
 バンドマンにラインをし、のちにかれをブロックする。
 文面はこれ。
  女は海じゃないし、男は太陽じゃない
  あなたの永遠は永遠じゃない
  わたしは、海を燦爛と照りかえす破片
  永遠から剥がれて、また侍る宿命にある破片
  それは流れるままに揺蕩ってもいいし、
  綺麗な死の幻想の寝台に置くこともできるけれど、
  わたしは、それを原っぱへ落してみせるよ
  さようなら
  アメリカン・スピリット、
  動物園みたいな有機的な匂いしてキライじゃなかった

女を"海"とよばないで

読んでくれてありがとうございました。生き抜こうね。

女を"海"とよばないで

短編小説

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-03-23

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