ナナコ
近未来では、こういうテクノロジーは実現するでしょう。
問題は「出来るか?出来ないか?」では無くて、「出来たものをどう使うか?」ということに
なって来そうです。
何もしないで良い時代には、職業(糧を得る仕事)とは何でしょう?
こんな時代が、来るかも知れません。
それが良いのか、悪いのか、
受け入れる人の「知恵」の問題なのかも知れません。
その商談相手は五十過ぎの髪が薄くなった小太りの男だった。貰った名刺には課長代理という肩書が有った。
左耳に付いた標準タイプのピアスが不似合だ。業務上、仕方なく付けましたという様子が、はっきり分かる。
こちらの要求納期と数量を切り出すと、男は話を制止して、おもむろにバッグから携帯端末を取り出した。
「いや、こんなものを使いたくないんですけどね。会社がどうしても使えって言うんですよ。本当なら私なんか手帳とボールペンの方が良いんですけどね。」
そんな言い訳じみた話をしながら、端末からのデータ線をピアスにつなぐ。しかも今時珍しい、ワニ口クリップタイプの結線だ。
「ほう、そのタイプも最近見かけませんね。」などと、どうでもよい事を口にしながら、データが来るのを待つ。
男の表情がちょっとだけ変わる。視線が定まらずに宙を泳ぐので、どことなくぼんやりした表情になるのだ。
「その数ですと、納期は稼働日で二十五日ですから、来月の十八日ですね。特急対応をするなら、価格に一割上乗せして頂ければ、納期を五日早めて、十三日にはお納めできます。」
「いや、こちらも十八日では遅いですが、一割乗せてまで十三日にして頂かなくても良いのです。価格はそのままで十六日に出来ませんか。」
細かい商談が続く。
私の頭の中にも、様々なデータが飛び交う。今回の部品が来ても、それに組み合わせる基盤の納期が間に合わなければ、部品調達に無駄な出費をしたことになってしまう。価格は安く、納期は早く、調達係の腕の見せ所だ。
あれこれと交渉して、妥当なところで納期と金額が落ち着いた。双方で契約書を交わし、商談成立となる。
「ところで、端末は使っていないんですか。接続してる様子も見えませんが、全てのデータが頭に入っているのですか。」
男が訊ねる。
「まさか、そんな事は無理ですよ。新型の端末接続仕様なんです。後頭部に無線チップが入っているんですよ。」
「そうですか、やはり若い方はおしゃれですね。私なんか普通の回線でさえ、最高速では使いこなせませんからね。」
「いやいや、基本データなんて、そこまで高速でやりとりするほどのものじゃ無いですからね。通常回線で十分ですよ。」
そんな会話を交わしながら、商談の相手の会社を後にする。
考えてみれば、昔はこんな商談も、手帳とペンだけだったのだ。公衆電話などで会社に連絡を取って、納期確認をして、商談を交わすような事が当たり前だった。それが携帯電話になり、ノートパソコンなどの情報端末となった。スマートフォン以降はデータの量も精度も格段に上がった。
そして今では端末画面を覗き込むのでは無く、情報が直接頭に入ってくるようになったのだ。ネットワークの端末器から脳神経に、電気信号として様々な情報が取り込めるのだ。もちろん、ネットワーク会社によりサービス内容は若干異なるが、どこの会社もほぼ同じように一般情報は充実している。そして会社の中の情報も、セキュリティパスを通過出来る者には、世界中どこからでもアクセスできるようになっている。
セキュリティは脳との直接コンタクトになってから、破られにくくなった。個人の情報が常に更新され、それがパスになるのが最新式だ。昔ならパスワードを入れていたのが、最近では「昨日の夕食メニュー」「昨晩観たテレビ番組」「今朝の奥さんとの会話」などがセキュリティパスに成り、常に更新される。頭で考えるだけだから、複雑なパスワード入力なども不要なのだ。
さらに、「好きな絵」や「好きなメロディ」などもパスに成る。文字で表せないものでもイメージとして送れるのだから、他人に成りすまし、セキュリティを破ることはほぼ不可能なのだ。
そして、工場の生産ラインの予定や仕掛情報、稼働予定などから商談相手との交渉も精度良く出来るようになったのだ。
だが、これだけ情報の流れが速くなっても、結局商談は人と人が顔を合わせ、名刺の交換から始まり、儀礼的に挨拶や日常の話題を交わし、本題に入るのが慣例になっている。
いっそのことテレビ電話で話を済ませれば速いと思うのだが、そうは成らないようだ。
人間はおかしなものだ。合理的な部分とそうでない部分がまぜこぜになっている。
二十一世紀に入り、インターネットの網が世界中に張り巡らされると、次は端末機の進化競争になった。
携帯電話やノート型パソコンから始まった携帯端末は、スマートフォンや腕時計型、眼鏡型などの様々な形を経て、やがて人間の神経に直接接続する機能に進化したのだ。
神経細胞の合成などの医療技術の進歩と、ミクロレベルでの外科手術の安定化、容姿の整形や視力矯正などの人体を改造することへのタブーの低下、事故や老化の対策としての四肢のサイボーグ化など、さまざまな段階を経て、神経に外部端末を接続することも一般化していった。
神経への結線が一般化した当初は、さまざまな分野でとんでもない混乱が巻き起こった。
入学試験などのシステムは大きく様変わりした。それまでの試験では歴史の暗記ものや語学などが多かったが、その試験が無意味になったのだ。
ネットワーク結線を外して入試を受験させるというのが、最初にされた対策だったが、一部受験生はルールの盲点を突いて、補助メモリーを体内に埋め込んだのだ。英和辞典をそのまま参照出来るなら、語学の試験も楽だろう。歴史や数学や理科の参考書をそのままメモリーに入れたりすれば、従来のような試験ではほぼ満点を取れる。計算機機能も有るから、計算ミスも無い。
記憶力を試すような入試は数年で行われなくなった。
当然、受験生だけでなく一般人にもそういう機能は普及した。医師は手術中に、過去の事例や病の症状を、脳の中の医学事典と比較しながら判断できるようになった。教師は参考書を持たずに授業を行い、音楽家は頭の中の譜面によって演奏を行うようになった。
自動車のナビゲーションシステムも不要になった。手動で車を運転する人は、頭の中に地図が入っているのだ。
今ではほぼ全部の人が、メモリーとネットワークへの結線を体に埋め込んでいる。つまり、一人一台ずつパソコンを体につないで生きているようなものだ。埋め込みメモリー、外部メモリー、ネットワークへのアクセス装置、形式はそれぞれ違うが、記憶や情報の量が圧倒的に多くなったのだ。
それでも音楽は音楽として耳から聴いているし、テレビドラマや娯楽番組は無くならない。
天気予報やニュースなどの情報はダイレクトネットワークで、ドラマや音楽などの娯楽は従来通り目や耳で受け止めるのが、最近の使い分けになっている。
ある日、職場で部長に呼ばれた。特に心当たりも無かったので不思議に思いながらも部長室に行ってみると、そこには一体のロボットが居た。ロボットとは言っても工場内の作業用とは違い、人体模倣のアンドロイドタイプだ。
しかも、若い女性タイプの外見をしている。一部の会社では受付や秘書として、こういうタイプを置いているというが、我が社では初めてだ。いったいこれをどうしようと言うのだろう。
「部長、私に何かご用ですか。」
「ああ、天野君。実はこのアンドロイドを我が社でも導入することになってな。その指導係を君に頼みたいんだ。」
「でも、私は資材調達の外回りですよ。何を指導するんですか。」
「そこだよ。これを君の助手として連れまわしてもらいたいんだ。外部との交渉のノウハウを見せて、対人スキルをアップさせれば、いろんな処に使えるだろうという、社長のアイデアでね。」
「でも、こういうアンドロイドを外回りで使っているという話は聞いた事が有りませんよ。大丈夫なんですか。」
「なに、これは最新型でね、外見、表情、会話の能力が飛躍的に向上しているんだ。本物の人間と見分けがつかないレベルまで達しているから、人間の助手を連れているつもりで連れ歩けば良いんだよ。」
そんな会話をしている間に、当のアンドロイドは動きを始め、私と部長にコーヒーを淹れてくれる。
確かに立居振舞も人間と変わらない。
「どうだね。とりあえず標準型の社内秘書の行動パターンファイルは書き込み済みだ。この程度の動きは出来るよ。社内で秘書として使えば完璧だろう。だけどね、社外への連れ出しは一から教えなければならない。やってくれないか。」
私がためらっていると、アンドロイド自身が会話に加わってきた。
「新参者で何も分かりませんが、どうぞ、よろしくお願いします。」
柔らかな声でそう言われた時に、私の気持ちは決まった。
高すぎず、落ち着いて、色気を感じさせる声。私の好みの理想の声だったのだ。
「解りました。やらせていただきます。」
アンドロイド自体は一般に普及してはいるものの、それを連れて歩くというのはかなり奇異の目で見られた。
ロボテック社製最新モデルの751型アンドロイド、タイプN、通称ナナコ。外見では一見すると人間と間違えるほどに、精巧に作られている。
この751型には外見ヴァリエーションがタイプAからZまで二十六種類用意されている。三種類は男性型で、残りは女性タイプだ。
動作や表情もほぼ人間並みなのだが、どこか違和感が有り、アンドロイドだと気づかれてしまうのだ。
今までの例だと、使用はインドアが圧倒的だ。会社の受付、ショールームの展示モデル、駅や高速のサービスインフォメーション、変わったところでは、病院や幼稚園のアシスタントなどだ。別に人間でない事に気付かれようが問題になる場所では無い。
ところが、私がナナコを連れて商談の場に行くと、取引相手はまず怪訝な顔をした。それからとんでもない好奇心を示す。
社としての思惑や業務への影響などから、アフターファイヴや、私とナナコの関係まで、いろいろな面を尋ねられる。
それこそ「一緒に営業に歩いていて、一緒の部屋に帰って、一緒に寝る。」とか、「風呂で背中を流させる。」などと、そちらの方面の想像も掻き立てるらしい。
本物の女性の目の前で言ったら、セクハラだと言われ取引停止くらいに怒らせるような事も、アンドロイドだと思っているから平気で口にする。商談が進むのは良いのだが、不愉快な話も笑っていなければならない。
一日だけで、私はうんざりしてしまった。
私は一計を案じた。ナナコを本物の人間に見せるようにしたのだ。
同僚の女性に頼んで、服を揃えさせた。アンドロイドは、いつもきちっとした隙のない格好をしているし、その職場の制服や標準的なビジネススーツのような服装でいる。そういう先入観が有るから、人はアンドロイドと見破るのだ。ナナコにはそれを逆手に取って、私服っぽいちょっとラフな格好をさせたのだ。
さらに、化粧もさせた。本来の人工皮膚は本物同様だし、何も化粧などしなくても美しく見える。人間は皮膚が荒れたり、コンディションが悪くなったりするから、それを隠すために化粧をするのだ。顔にいかにも化粧をしていますとわかるような化粧をさせ、本来の明るい色の人工皮膚の唇の上に、ちょっと赤すぎるくらいの口紅をつけると、人間と見分けがつかなくなった。
これで、ナナコは私のアシスタント、営業部の見習い新入社員として、顧客のところに顔が出せるようになったのだ。
二人で営業に出歩くのも、今時では珍しいが、見習いの新入りの教育という名目で納得してくれる。
「美人を連れてますね。」などと言われる事は有るが、本物の人間だと思っているから、それ以上の話にはならないようになった。
教育という名目も有るので、データなどは極力ナナコに出させるようにした。人間と同様にネットワークにつながっているのだから、
データを出すくらいは何も問題は無い。それどころか、人間の神経接続より接続効率が良いのだろう、データ出しが早い。
どんな情報でも即答するので、ちょっと間を置いて答えるように指導したくらいだ。
ナナコの学習機能は素晴らしいものだった。取引に関する正式なやりかた、ちょっと捻った交渉、裏取引まで、私のやっている方法や相手の見分け方のノウハウをすぐに呑み込んだ。
別に裏取引と言っても悪事を行っている訳では無い。スペックを守るための検査を省略させた部品を、安く買い取るのだ。
取引相手も検査の手間が省けるし、こちらも安く部品調達できる。どうせ組み立て工程でスペック外品ははじかれるし、その発生はPPMの単位だから問題になるものでは無い。
設計部門はスペックを指定して、調達時にはそれを保証させろと言うが、部品メーカーにしてみれば、そこに出来上がった部品が有るのに、検査してからでないと出荷出来ないというのは困った事だ。こちらとしても納期が遅れたりすると、ラインの稼働にも影響する。受け入れて組み上げる時に確認出来る事を、わざわざ部品メーカーにやらせて、単価を上げる事は無い。
そういう取引の事情もきちんとナナコに説明した。
驚いた事にナナコはサンプルとして出された十個ほどの製品を三十秒ほどじっと見つめた後で、にっこり笑って私にささやいた。
「大丈夫ですよ。この部品を十万個買っても、スペック外が入っている可能性はほぼ有りませんから。」
「十個を見ただけで判るのか?」
「はい、サンプルのばらつきを目測してスリーシグマを出してみましたが、規格外が入っている可能性は20ppmでした。」
「そんな事まで判るのか?」
「外形寸法の加工ばらつきなら、目で見てばらつき計算をすれば大丈夫ですよ。もっとも相手が特別に良いものだけをサンプルとして出して来れば、駄目ですけどね。」
「そこまで手間をかけるところは無いだろう。これからも実製品を見せてもらえる機会が有ったら、そっと結果を教えてくれ。」
その後は、商談の中で出来るだけ実物を見せてもらうようにした。ナナコが頷くものなら大丈夫。ちょっと首を傾げるものは、規格保証をしてもらうように話を持って行くのだ。実際に我が社の組み立てラインではじかれた部品数も、ほぼナナコの言った数と同じだった。
こうして資材調達の最強コンビとして、私とナナコは実績を伸ばして行った。
アンドロイドと見破られそうになったことも一度だけ有る。
十人乗りのエレベーターに八人程乗っていて、私とナナコが最後に乗り込んだらブザーが鳴ったのだ。居合わせた人は不思議そうな顔をしていたが、私達が素直にエレベーターから降りて、先に行かせたので、気づかれなかったと思う。中身は機械なので、見た目の倍ほどの重量が有る。椅子に座る時などは、空気椅子の要領でうまくバランスを取っているという事だが、エレベーターではそうはいかない。
体重の話を本人に聞いたら、「女性にそういう事を聞くものじゃありませんよ。」と上手くはぐらかされてしまった。
そういう受け答えも人間並みだ。
飲食も出来るから、お茶や菓子を出されても大丈夫だし、酒席に出ても問題ない。もっとも消化して栄養になるわけでは無く、胃の部分が袋になっていて、ある程度の量が溜まったらトイレに行くふりをして空けてくるだけだそうだ。
エネルギーは高性能バッテリーで、毎晩充電しているが、容量としては三日ほど充電しなくても大丈夫だそうだ。充電端子は足裏にあるのだが、専用の無接点充電器をつなぐだけなので、外見からは人間で無いとは判らないという話だ。
「全て人間そっくりになっていますから、一応女性器も有りますよ。」
と言って笑った事も有る。
「でも、その部分の筋肉を繊細に動かすためのモーターまでは付いていませんから、お使いになれませんし、使ったとしてもポリウレタンコーティングの広口瓶に入れてるのと同じですよ。」
と続ける。
感覚器は人よりも鈍いが、触られたり足を踏まれたりしたら判る程度には、体中に痛点も有るそうだ。眠り込んで、正体がばれることも無いだろうから、唯一の心配はバッテリーが切れる事くらいだろう。
周囲の人間には羨ましがられたが、アンドロイドだと思っているから、私個人には特別な気持ちは無い。マルチ端末機器が自走しているのと同じようなものだ。
朝、会社に行くとナナコが居て、一緒に出掛ける。夕方帰社して一人で部屋に帰る。ナナコは社内のどこかに特別室が有り、そこに入って充電をして、朝になると現れるのだ。
部長や社長は何を思ったのか、ナナコの話を秘密にしている。私ともう一人の同僚しかナナコがアンドロイドだと知らないのだ。
他の部署では、営業部に新人の娘が入ったと思い込んでる。外見も良く、人当りも良いから、他部署の若い男どもからの誘いも有るらしい。ナナコの服を見立ててくれた同僚が、一番親しいという話になっていて、橋渡しを頼まれるとも聞いた。
しばらくすると、私たちのコンビは販売の営業も任されるようになった。それまでの担当者が、家庭の事情で退職したのだ。
私とナナコの二人で引き継ぎを受けて、取引先にも顔をつないでもらった。販売の方でも、ナナコはそつなく営業をこなした。
人との対応は購買でも販売でも同じようなものだから、今までのやり方の応用だけの話だ。
私達の頑張りだけが理由では無いだろうが、会社の業績も上向いている。順調な日々は続いた。
そんなある日、私が体調を崩した。大事な契約の有る日だったのだが、インフルエンザでは、取引相手に感染させに行くようなものだ。
部長に欠勤の話を伝えると、しばらくしてナナコが私の部屋に現れた。手には食べ物を持っている。
「大丈夫ですか。お一人で寝込んでるんじゃ、食べ物にも困ってるかと思って、適当に選んできました。」
「それよりも今日の契約はどうなった。延期にしたのか。」
「いいえ、これから私一人で行ってきます。」
「一人で大丈夫なのか。アンドロイドだと見破られるのも心配だし、若い女性だからと足元を見られるのも困るからな。」
「その為にちょっとだけ仕掛けをします。ネットワーク回線で会社にアクセスしてください。」
そう言って、ナナコは会社のネットワークの中の、今まで入った事が無いエリアを指示した。セキュリティパスで何重にもロックが掛かっている。ナナコの言うパスワードでそこを開いて入って行く。
「最後のパスワードは『nanako』です。」
そう言われてアクセスした先に有ったのは、私の部屋だった。私のきょとんとした顔がナナコの視線の位置から映されている。
「これはどういう事なんだ。」
「私の目はカメラに成っています。その画像をリアルタイムでネットワークに流す事も出来ます。もちろん音声も流せます。
コンピューターの前でチャットをしたり、テレビ電話で話をするのと同じですよ。人間の神経系ではそこまでの出力が出ませんし、ダウンロードの方が重要視されて来ましたから、アップロード技術はそこまで進んでいません。それに、プライバシーを覗かれるのを嫌がる人は多いですからね。」
「そうか、こんな事が出来たんだな。じゃあ、契約の場に立ち会っているようなものだな。」
「それだけじゃ有りません。なにか私にアドバイスする必要が有れば、声に出して話しかけてください。そうすれば音声信号は私に届きます。頭の中で考えた事まではアップロードは困難ですし、あなたも自分の妄想のようなものまで私に知られるのは嫌でしょう。声に出した事だけです。」
「判ったよ。じゃあここに居ても君の動きが全て判るんだな。常に回線は開いているのかい。」
「いいえ、それは私がコントロール出来ます。女性のロッカールームの出来事を中継するわけにはいきませんからね。まあ、今日はずっと回線は開いておきますよ。のんびりと体を休めながら、様子を見ていてください。」
「じゃあ、今日はゆっくりさせてもらうよ。」
「行ってきます。お大事に。」
そう言ってナナコは部屋を出た。いつも私が通う道を歩き、駅に行き、取引相手の会社に赴く。契約は大きいがそれほど困難な問題が有るわけでもない。無事にナナコ一人で契約を交わした。帰社して部長に報告したところまで確認すると、ナナコからのメッセージが入る。
「この後はプライベートタイムですので、中継はここまでで終了しますね。」
私にそう告げると、回線が閉じられた。
今日は部屋で寝たままで、会社の取引に立ち会えた。こんな事もテクノロジーとネットワークの力で出来るようになったんだ、と思いながら、またうつらうつらと眠りに落ちて行った。
数時間後、誰かが部屋に入って来る音に気付いた。朝、ナナコが出て行った時以来、鍵も掛けて無かったのだ。
入ってきたのはナナコだった。手には買い物袋を提げている。
「どうしたんだ。」
「早く治って仕事に戻って貰わないと困りますから、看病に来たんです。しばらくはこの部屋に泊まり込みます。すぐに、何か食べるものを作りますね。」
そう言うと、手早くキッチンに立ち、鍋を火に掛ける。
「おいおい、そんな事をして良いのか。」
「大丈夫ですよ。秘書機能の中には簡単な調理も含まれてますし、材料と道具さえ有れば、どんな難しい料理だって作れます。レシピはネット検索出来ますからね。」
「そういう問題じゃ無いだろう。若い娘が独身男の部屋に看病に来て、泊まって行くなんて。」
「あら、天野さん。私の事を何だと思ってるんですか。大丈夫、天野さんが襲おうと思っても、私の方が強いですから。」
「そうじゃ無くて、世間でどんな目で見られるかとか、そういう関係だって誤解されるとか。」
「そうですね。この部屋のご近所の人に見られたら、天野さんにそういう相手が居るって、誤解されるかも知れませんね。」
「私は良いんだが、君の立場はどうなんだ。」
「だって、私のプライベートを知ってる人は、誰も居ませんよ。会社内の極一部の人だけです。会社の秘密のスペースに、充電用の端子と着替えが何着か入ったロッカーが有るだけですからね。」
「そうそう、充電だ。会社に戻らないと充電も出来ないだろう。」
「大丈夫です。ちゃんと家庭用電源からの充電用アダプターも持ってきています。」
そう言って取りだして見せたのは、先端に電源コードの付いた可愛いスリッパだった。寒い時期に履くヒーター付きのスリッパにも見えるような外観だ。
「私のお泊りセットです。」
そう言ってにこりと笑う。
結局、ナナコに言い負かされてしまった私は、ナナコの自由にさせるしかなかった。
てきぱきと料理を作り、部屋の片づけをして、洗濯物などを片付けてくれるナナコは、人間の女性であれば理想の恋人のようだった。熱にうなされて布団の中にいる私の看護を完璧に行い、それ以外の面倒な家事も、文句も言わずきれいに片づけてくれたのだ。
私は何もせずに眠っているだけだった。
真夜中にふと目を覚ますと、ナナコは私の枕元に体育座りで座っていた。足には電気コードのつながったスリッパを履いている。
私と目が合ったナナコは、私の額に手を当て、熱を確かめた。
「36.8℃、だいぶ落ち着いて来ましたね。寒くはありませんか。」
そう訊ねて、にっこり笑って続ける。
「私の皮膚はヒーターも入っていますから、人肌から湯たんぽ程度まで温度コントロールも効きます。添い寝して人肌で温めてあげましょうか。」
「いや、そこまでしてもらうと、別の意味で熱が出そうだから、遠慮しておくよ。」
私はそう返事をして、また眠りに落ちて行った。
三日程、そうやってナナコに看護される日が続いた。ナナコは昼間は会社に出かけ、日々の業務をこなした。当然、取引先にも顔を出し、商談の細部の調整等も行った。
仕事内容はネットワークを経由して私も見ているから、安心して任せられる。もっともナナコが失敗することはほとんど無く、私はただ様子を眺めているだけだった。
そして、就業時間後には、スーパーで私の食料や身の回りの物などを買って、私の部屋を訪れる。食事を作り、掃除や洗濯をし、私の枕元で過ごすのだ。
三日間で私はすっかり回復した。
病気後に出勤すると、会社の中での私に対する視線がちょっと違っている事に気付いた。同僚や若い社員達からの物言いたげな視線が、私に向けられるのだ。
ナナコの親友という事になっている女性にこっそりと訳を訊ねると、意外な返事が返ってきた。
「あなたとナナコができちゃったっていう噂が広まってるのよ。どうも、スーパーで買い物をしてあなたの部屋に行くのを、誰かに見られたみたいね。
朝、あなたの部屋から出勤してきたっていう情報もあるの。事実なんだから、否定できないでしょう。」
「でも、ナナコは純粋に熱の出てる病人を看病していただけなんだよ。」
「馬鹿ね。普通の同僚は独身男の部屋に泊まり込んで看病なんかしないものなの。そういう事をするっていうのが、特別な関係の証拠じゃない。」
「困ったな。そんなつもりは無いんだけどな。」
「だったら、ナナコはアンドロイドだってみんなに話しちゃう。そういう訳にはいかないでしょう。」
「それはそれで困るよ。会社の財産を私用に使ってる事になるし、以前のように別の意味でいろんな事を言われるからね。」
「じゃあ、噂をうけいれて認めちゃえば。ナナコに言い寄る若い連中も、あきらめるわよ。」
「仕方ないな。社内の立場を考えると、それが一番良いんだろうけど。」
「そうね。その代り、あなたを憎からず思っている女子社員も居るらしいけど、そういう娘たちには冷たくされるでしょうね。」
「そこが悩みなんだよな。このままナナコと付き合ってるふりをして、生涯淋しい独身生活を送るのか。なんとか上手くとりなしてくれないかな。」
「それは無理ね。ナナコの秘密をばらす事になるわ。もっとも三角関係でも良いっていう奇特な娘が居れば別だけどね。」
「そんなのは無理だろうな。」
「まあ、しばらくは知らん顔しているのね。噂なんて落ち着くところに落ち着くんだから。」
そう言って彼女は笑った。
本当にしばらくすると噂は下火になった。私やナナコに、面と向かって訊く人も居なかったし、こちらから話題にする事も無く、普通の日々が戻って来たのだ。
今まで私に向かってちょっと親しげな様子を見せていた娘が、なんだか態度が変わったような気もするが、私としては特に意識もしていなかった相手だし、何かアプローチが有ったわけでもないので、問題は無かった。
こうしてナナコとコンビを組んで営業に歩くようになって、一年程が過ぎた。もう、ほとんどナナコ一人でも営業の仕事には困らないようになってきた。
そこで私はナナコを独り立ちさせることにしたのだ。営業で何か所も取引相手の処を廻る予定が有ると、二人でそろって会社を出て、作戦を立てる。ナナコが廻る処と私が顔を出す処を振り分けて、別々に廻るようにしたのだ。もちろん、取引の現場の様子は、ナナコから中継される。
私は移動中やどこかの公園や喫茶店などでその様子をチェックする。難しい商談相手、重要な取引、二人で行かなければ体面が保てない処、そしてナナコ一人だと若い娘だと思って軽く見る相手など、私が行った方が良い相手は限られる。
通常ならばナナコ一人でも充分に話が出来る。中にはナナコを歓迎して、どちらかと言えば私よりナナコ一人の方が良い相手さえ居る。
そうやって取引先を廻るうちに、実際に私が顔を出す処は、次第に減ってきた。
一日に廻る取引先が十件あれば、その中で私が実際に行くのは一、二件になった。そこにはナナコと二人で顔を出したり、私だけで行ったりする。そして残りはナナコ一人で行かせて、私はどこかでナナコの中継の様子を見届けるだけになった。
やがて私は、朝だけ会社に顔を出して、その日のスケジュールをチェックし、デスクワークを片付けると、そのまま営業に廻るようなふりをして、部屋に帰るようになった。
ナナコはきちんと営業をこなす。私はただ中継を眺めていれば問題は無いのだ。そして、ナナコの取引を見ている時間以外は暇なのだ。喫茶店や図書館や公園など、様々なところで時間を過ごしたが、結局は自分の部屋に戻るのが、一番楽な方法だという結論になったのだ。
これがギャンブルでもやる人ならば、競馬場とかパチンコ屋とかに入り浸るのだろうが、そういう事に金と時間を注ぎ込んでも、見返りは無いという事は解っている。自分の部屋でのんびり読書をしたり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりして過ごしながら、ナナコからの連絡を待つようになったのだ。
そうして夕方になるとナナコと一緒に社に戻ったり、ナナコだけに報告をさせて直帰ということにしたりして、自由な時間を増やしていった。
その日も私が顔を出さなければいけない取引先を訪ね、部屋に戻ろうと駅に向かうところだった。
横断歩道で、信号を無視した車が私とナナコに向かって来た。わき見運転のその車に私たちが気付いたのは、車が私の体に数メートルまで近づいた時だった。二人で横に並んで歩いていたので、ナナコからは私の体の死角になって、車に気付くのが遅れたのだ。
危険を察知したナナコは、私の腕を引き、車から逃れようとした。だが、私の上半身は車から逃れたが、下半身は車の前に残されたままだった。車のバンパーに弾き飛ばされ、車輪に踏みつけられた両足は、派手な流血こそしていなかったが、ボロボロの状態だった。
本来なら、すべての車にはオートストップ機構が装備されているから、交通事故などは起こらないはずだ。ところが、この機構が常に働いていると、車の運転には邪魔なのだ。二十メートル先の歩行者を感知してブレーキが掛かる。それが幼児だろうと老人だろうと、車を認識した上で道路を横断している大人だろうと同じ反応をするのだ。だから運転者のよってはこの機構を嫌う者も多い。この車の運転者も、本来は違法なのだが、オート機構を切っていたのだ。
即座に救急車が呼ばれ、病院に搬送され、緊急手術が行われた。だが、私の両足は神経が分断され、形だけのものになってしまった。
ナナコは事故現場から救急搬送、緊急手術まできちんと付き添ってくれた。いつも通り人間と同じふりをして、正体を感づかせなかった。
事情聴取でも、会社の同僚としてきちんと対応をした。人間には出せないような力で私を引っ張った事は、誰にも不審に思われなかった。
「もう一歩遅れていたら、即死でしたね。」と警察官が言った時も、素直に頷いて「運が良かったんです。」と答えるだけだった。
私が手術室から出て病室に落ち着くと、ナナコは帰って行った。翌朝には部長とナナコが一緒に現れた。
「天野君。大変だったな。業務中の事故だし、相手が一方的に悪い事故なんだから、会社からも見舞金が出るし、入院なんかの費用は相手側が全額持つことになるだろう。
まあ、きちんと治るまで、ゆっくりと治療に専念する事だね。当面はナナコ君に身の回りの世話をしてもらえば良いよ。仕事の合間に顔を出すように言っておくから。」
そう言って、医師や看護師に丁寧にあいさつをして帰って行った。
「なにか私に出来る事が有れば言ってくださいね。」
ナナコはそう言って、あれこれと私の身の回りの世話をしてくれる。
その日は入院に必要なあれこれを買い揃えてくれたり、部屋から必要なものを取ってきてくれたりと、半日以上私の用事を片付けてくれた。
翌日からは、会社の仕事を一人でこなして取引先を廻り、その合間や定時後に私の処に顔を出し、雑用を引き受けてくれる。
私の方は、病院のベッドで寝たまま、ナナコからの中継を見届けるという、今までと変わらない日々になった。
会社での朝礼や打ち合わせの代わりに、医師の回診や検査やリハビリが有るだけで、それ以外の時間はベッドで過ごし、必要な時間にはナナコの取引の様子を見守るのだ。
一週間も過ぎると、日々の行動パターンが決まってきた。
ナナコは、私のリハビリなどの時間を、取引先までの移動時間などに当て、私がベッドに居る時間に取引先を訪ねるように時間を調整した。そして夕方には病院を訪れて、洗濯ものを持って帰ったり、私の部屋の郵便物を取ってきたりと、さまざまな雑用をしてくれる。
ナナコが毎日顔を出すので、しばらくすると私は看護師に冷やかされるようになった。
「こんなに毎日決まって来てくれる人なんて、なかなか居ないわよ。良い奥さんになりそうね。」
まさかここで、ナナコがアンドロイドであることを言ってしまうわけにもいかない。
私は曖昧に微笑んで、受け流していた。
私の脚は、事故で折れた骨が神経を切断してしまった為、当面は骨の回復を優先させ、骨折が治った時点で再手術を行い、神経系を人工神経ファイバーで修復するという事になった。最終的には、以前と同じように歩けるようになるという話だったが、数年レベルの治療になるとの事だった。
電気回路を結線するのと違い、神経系を体に植えこんでも、上手くつながらず、筋肉を制御できなかったりするケースもあるとの事で、どうなるのか確実には言えないのだ。
本来の脚をあきらめて切断して、サイボーグ化する方が可能性は高いのだが、それはそれで様々な弊害もあるし、完全に駄目となってからでも出来る事なので、まずは神経系の移植と修復から試みるのだそうだ。
そうやって病院のベッドで半年程が過ぎた。骨折は回復して神経系の植込み手術も無事に済んだ。ナナコは本当に毎日やってきて、世話をしてくれる。
私もナナコの中継を眺めているので、会社の業務からも離れている気はしなかった。
そんなある日、部長が病院にやってきて、話を切り出した。私は車椅子をナナコに押してもらって、病院の庭に出ている処だった。
「天野君、実は会社の業務の事で相談が有るんだ。」
そう部長は切り出した。
ナナコを通して会社の業務に関わっているのは知っているが、それは社内でも部長しか知らない秘密だ。
ナナコがアンドロイドであるという事を知っているのも社長以下の数人しか居ないし、その実際の運用は部長の管轄で、定期的なレポートでしか内容を知らせていない。
そして、部長はナナコの稼働実績をトレースしていたのだ。つまり、いままで自分の部屋でサボっていた事も、部長には知られていたのだ。
「そのことに関しては責めるつもりは無い。在宅勤務をしてるプログラマーだって居るんだから、仕事がきちんと出来ていれば、問題は無いんだ。
だが、君の現在の状況は、社内では長期欠勤という扱いになっている。そして、会社の規則では長期欠勤の期限は半年なんだよ。
もちろん、今回の入院は業務中の事故が原因だし、会社からは見舞金も出ている。だけど数年単位での例外を認めるわけにはいかないんだ。」
入院していながらも、会社の業務に関わっている。しかし、それは一部の人間しか知らない極秘事項だ。それを伏せたままで、特例措置のような長期欠勤を認めるのは、会社としてのルールに反してしまう。難しい立場に立たされたのだ。
「そこで、こういう提案はどうだろう?」
部長の切り出した話は、途方もないものだった。
私は見舞金と退職金を貰って退職する。そしてナナコを正式な社員として登録し、ナナコに対して給料を支払うと言うのだ。
「でも、ナナコは人間じゃないんですよ。社員として給料を支払うとなれば、住民票やら戸籍やら税金の申告やら、いろんな方面での
手続きが必要になるでしょう。どうするんですか。」
「その程度の事は捏造出来るんだが、一番簡単で確実な方法は、君とナナコが結婚するんだよ。」
どこか地方で引っ越しをしたナナコと同じくらいの女性の転出届をコピーして手に入れる。それを基にして私と結婚すれば戸籍も新しく作れる。新たな戸籍になってしまえば、それ以前の生い立ちを遡っても、それがある時点で二つに分かれているなどと気づかれる事は、まず無いだろう、という話だった。
それに、戸籍調査なんていうのは犯罪やらなにやら問題が有った時くらいしかしないだろう。それともよっぽど名家の結婚話かな。いずれにしても彼女には縁の無い話だ。」
「ナナコ君の給料は、今までの君の給料と同額にしておこう。その上に君が扶養家族という事になるから、家族手当も付く。ナナコ君の電気代を差し引いてもプラスになるだろう。新しい服くらいは奥さんに買ってやれるよ。」
「その、奥さんっていうのは、ナナコの事なんですか。」
「君とならお似合いのカップルに成れそうだな。リハビリに励む夫。それを看護しながら、会社に勤め、家計を支える妻。不満も愚痴も言う事は無く、浮気もしない、浪費もしない。家事は完璧だ。麗しい話だろう。」
そう言われてみれば、それは理想的な解決方法のように思えてきた。
私の親族には、私の身の振り方などで心配をかけるような者もいない。両親もすでに他界しているし、兄の一家は実家に居るが、数年に一度顔を見る程度だ。
ナナコに子供を産んでくれとは言えないが、それ以外の問題は無い。私としても、子供がどうしても欲しいとは思わないし、このままだと結婚さえ危うい。別にアンドロイドとの生活でも、良いんじゃないかと思った。
病院のベッドに寝ている生活には変わりないのだ。それどころか、退院したとしても結局は自分の部屋で寝ているだけだ。時々通院してリハビリしたり、日常生活の用事を済ます程度の生活になってしまうだろう。暮らしの糧は何とかなるとしても、不便なのは確かだ。
ナナコが居てくれれば、買い物から料理、洗濯まで、家事一切は任せられる。多少の脚の不自由さなどは問題にもならない。
このまま一生寝たきりになったとしても、しっかり面倒見てくれるだろう。病院などでそういう目的で使われているケースもあるのだ。
個人で持つにはよっぽどの金持ちでないと出来ないし、人を雇う方が安上がりだから、そういう使い方は聞かないが、問題は無いはずだ。
しかし、数億円レベルの最新型アンドロイドを個人的に使うなどという事は、ありえない事だ。どうしてそんな話になったのだろう。
私は素直に部長に訊ねてみた。
「実はこの話は、ロボテック社が最初から、一枚噛んでいるんだ。君の助手として営業をやらせた処からね。
ロボテックでは、今後の適用範囲の拡張を狙って、我が社に格安でナナコを売り込んで来たんだよ。外回りのセールスに対応できるノウハウを収集したいと言うんだ。
なるべくさまざまなケースを集めて、データバンク化して、新しいモデルに組み込んで売り出すつもりだろう。そのうちに君の部屋にもアンドロイドのセールスがやってくるかもしれないな。」
「なら、もうデータはかなり集まっているでしょう。さらにこんなややこしい事態に、貴重なアンドロイドを放り込むのは、何故です。」
「ナナコは、基本的には連続稼働が出来る。充電さえしていれば二十四時間働けるんだ。コンビニの店員程度なら、一体有れば済む。レジ打ちしながら充電とか出来るからな。
だけど、うちの業務はウイークデイの昼間だけだ。真夜中に商談なんてできない。そこで、ロボテック社はその余暇に何かやらせようと考えたんだ。」
「つまり、独身男の相手をさせて、家事全般のノウハウを身に着けさせようとしてるんですね。」
「そうだな。君のケースではそういう面と、要介護者っていう面と、両方同時にデータが取れる。」
「いろんな面の経験を積ませるほど、利用範囲が広がるっていう事なんですね。」
「まあ、そんなところだろうな。家政婦としてだけじゃなくて、恋人や奥さんとしても、相手をさせる計画も有るらしい。君のそっちの方も優しくしてもらえ。」
「夜の相手は無理だって、以前聞いた覚えが有りますよ。」
「現状モデルでは、その機能はないっていう話だ。でも、ロボテックの開発者は言ってたぞ。指先や唇は人間レベルの繊細さを持たせてるってな。」
「すべて計画済みっていうわけですね。私の夜の生活までデータ化されるっていうのは、ちょっと気に障りますけどね。」
「まあ、貴重なアンドロイドを私用に使えるっていうのは、こんなチャンスしか無いからな。モデルハウスに住むようなものだよ。」
「解りました。お話に乗りましょう。」
そうして、私は退院を機にナナコと結婚した。
ナナコはどこかの地方からの転入者として住民票を捏造し、その後名前の変更を申請し、「奈々子」という名前になり、私と結婚して「天野奈々子」となった。
会社では、社長と部長の推薦で、新入社員として採用された。もっとも同僚は今までナナコが給料をもらっていなかった事も、戸籍が無かった事も、何も知らない。今まで通りの「営業部のナナコ」だと思っている。
私が事故に会った事も良く知られているし、その時に一緒に居た事も知られているから、結婚したという話も納得してもらえる。その前に、風邪をひいた時にナナコと噂になった事も、自然な成り行きの一部として見られている。
秘密を知る唯一の同僚は、私が入院している間に、遠距離恋愛の相手と結婚して、寿退社した。今は地方都市で専業主婦をしているというから、秘密が公になることも無いだろう。
実際には、私と会社とロボテック社の三者で、秘密の契約が交わされたのだ。
ナナコは一従業員として、会社に勤務する。給料はきちんと貰えるし、時間外には何をしても自由だ。
ロボテック社は年に一度、機械のメンテナンスとデータ取集、バックアップなどを行う。その際に、人間として生活するのに支障が出ないように、若干の老化の様子なども追加する。
私は奈々子との結婚生活を維持し、世間に秘密がばれないように普通に過ごす。ナナコが定年退職したら、私たち二人は、老人として地域コミュニティに混じり、そこでもナナコはデータ収集を行う。
あらゆる場所で、アンドロイドと意識されないで人と接するノウハウを、ロボテック社は欲しがっているのだ。
そして、私が死ぬ時が来たら、ナナコは再びロボテック社の所有となり、データ解析と新たなデータ取集の為に、リメークされる。
戸籍上は、ロボテック社の所属医師が死亡診断書を書いて、届け出れば、天野奈々子は天寿を全うして、あの世に行ったことになる。
会社とロボテック社の間では、金銭とアンドロイドの貸借の契約が結ばれた。ナナコとはタイプは違うが、機能的には同等のものを数体導入するらしい。ナナコの分の代金と相殺されて、ナナコに関しての所有権はロボテック社に戻った。それを私が無償貸与と言う形で使用し、その見返りとしてユーザーレポートを提出するという事になる。
それだけを聞くと、新製品開発の最終段階で様々なメーカーが行っているテストと同じようなものだ。
ちょっとだけ違うのは、新製品を使っているのを世間に知られないように、極秘に行っている事と、そのために戸籍まで捏造してしまった事だ。
試用期間がかなり長い為に、ナナコの人格をリアルにして、職に就かせ、給料を払うには、会社としてはその方が良いのだろう。
今、私は奈々子との新婚生活を楽しんでいる。
リハビリ中の病人なのだが、それも徐々に良くなっていくはずだ。女房に食わせてもらっている立場でもあるのだが、妻の仕事に理解を持ち、前任者として相談にも乗り、実際には仕事の現場の様子を眺めながら、部屋にこもっている。
奈々子は毎日きちんと決まった時間に起き、身支度を整えて出勤して行く。私は、奈々子を送り出してから、遅めの軽い朝食を取り、出来る範囲の家事を済ませる。洗濯や掃除などはリハビリも兼ねているので、進んでやるようにしているのだ。
体調が悪い時には何もしないでいるが、そんなときには、奈々子が帰宅後にてきぱきと家事を片付けてくれる。
家事が済めば、奈々子からの中継を見て、様々なアドバイスなども出す。もう取引のノウハウなどでアドバイスすることはほとんど無いが、それよりも大きなレベルでは、奈々子には気づかない事も有る。
「そこの会社でそんな条件を出すんなら、今日は一旦交渉を打ち切って、別の処にあたってみろ。」などという部分だ。
定時まで働いた後は、途中で買い物をして帰宅し、私の食事を作ってくれる。そして夜が更けると、シャワーを浴びて二人で枕をならべて寝るのだ。
奈々子の人造皮膚は、ほぼ人間のものと同じ組成をしている。汗はかかないが、シャワーで埃を流し、潤いを与えるのが日課だ。
隣に寝ていて良い事は、冬は体温を高めにして暖かく寝られ、夏は低めに設定すると、ちょっとひんやりとした感覚になる事だろう。電気コードのつながったソックスを履いて寝るのが、ちょっと残念な処だ。もちろん、繊細な指先や唇などで、優しくしてもらう事もある。
日々こうやって暮らしていることに、後ろめたさも感じる時も有る。アンドロイドに仕事をさせ、家事までやらせて、自分は楽な生活をしているのだ。
だが、考えてみれば、時代は人間が楽をする方向に進歩してきたのだ。このまま行けば、全ての人間が私のような生活が出来るようになるだろう。
私は時代の最先端のモデルケースなのだ。これからの一生を奈々子と共に過ごす事になるのだろう。
ナナコ
近未来ストーリーとして、実際に有りそうな話です。
いつも思っている事は、人間の仕事を機械が全て取って代わるようになったら、人間はどうするのかという事です。
「鉄腕アトム」では、お茶の水博士以外の人は何をしてるのでしょう?
そして、どうやって収入を得ているのでしょう?
テクノロジーの進歩は、人類を重労働から解放してくれました。
現代でも、スイッチさえ入れておけば部屋中を掃除してくれる機械が有ります。
タイマーで御飯が炊き上がった有り、洗濯して乾かしてくれたり、お風呂のお湯が自動で入ったり、
何でも楽な時代です。
自動車でも、近いうちにハンドルを握らずアクセルを踏まないでも良い車が出来そうです。
そうなって行く過程で、さまざまな問題も発生知るでしょうけれど、
最終的には「鉄腕アトム」の時代は実現すると信じています。
主人公のこの先はどうなるのか?
もしかしたら、人類は子孫を残せず、滅亡するのかもしれません。
(実際に独身で子孫を残さず一生を終える人も、増えていますからね)
テクノロジーの両刃の剣ですね。
そんな問題も暗示したつもりです。