もういちど林檎の木の下を

もういちど林檎の木の下を

 ゴトリ、ゴトリ――。
 電車が重い音をたてて、踏み切りを通りすぎていきました。
 もう、ずいぶんお年寄りの電車です。
 キィキィ悲鳴のような車輪のきしみ。ぶるぶる震えっぱなしのモーターや窓のガタツキ。
 あちこちに傷みをかかえたお年寄りの電車は、この秋の終わりを待たずに、役割を終えることになりました。そして、みんなの前から姿を消してしまうのです。
 それまでに――。
 林檎の実が赤く色づく丘の、あののどかな線路を、電車はもういちど走ることができるのでしょうか。

     ※

 電車は、七十年前、鉄道会社の花形車両としてデビューしました。
 銀色のボディに、流線型のコバルトブルーのラインがはいったデザイン。未来の車両と呼ばれました。
 彼の最初の仕事は、きらびやかな大都会の路線をぐるぐる回ることでした。
『朝早くから、夜おそくまで、時刻どおりに走ることがぼくの使命だ!』
 彼は誇らしげに、風をきって走りました。
 仕事場に向かう人や学校へ行き帰りする子どもたち、また、買いものに出かける人たち。多くの人びとが、どっと乗り込んでは、目的の駅でいそがしげに降りていきました。
 彼が走りだしたり、とまったりするたびに、吊り革の輪が、あわただしく前後にぶらんぶらんとゆれました。
 ラッシュアワーには、車両は人でぎゅうぎゅうづめ。ドアが閉まるとき、ホームの駅員さんたちが、「よいしょ、よいしょ」とお客さんを押し込みました。 
 快速電車のプレートを付けたときは、心が弾みました。いくつもの駅を爽快なスピードでシュンシュン走りぬけました。
 線路ぞいの町なみは、年々大きく立派になっていきました。電車の窓には、どんどん華やかになる夜の町のネオンとビルのシルエットがうつっていました。

 三十年前の秋に電車は、次の職場へうつりました。
 そこは、山深い田舎の路線。
 きらきらした都会で、満員のお客さんを運んでいた彼にとって、とてもショックなできごとでした。役立たずになって、ぽいっと捨てられたような気分になったのです。
『ふん、あわただしい都会の仕事なんて、後輩の電車たちにゆずってやったんだ。これからぼくは、自然の中でゆうゆうと働くさ!』
 電車は強がってうそぶきましたが、心の中ではポロポロ涙がこぼれそうでした。
 ボディの色をモスグリーンにぬり変えられてしまった彼は、ちょっとみじめな気持ちで静かな路線を走りはじめました。
 人の少ない田舎ですから、お客さんが一人も乗り降りしない駅もありました。それでも、彼は一駅ごと、ていねいにとまります。
 急ぐ必要はありません。でも、時間どおり、確実に仕事をこなすこと。それが彼の誇りでした。
 ある日、野山がつづく線路を走っていたときのことです。彼は、ふとあまずっぱい香りが漂ってくるのに気づきました。
『おや、なんだろう?』
 彼は辺りを見回しました。線路はゆるやかな丘に広がる果樹園の中を突っ切るように伸びています。
 よく見ると、果樹園の木々の葉のすき間から、まっ赤な果実がいくつも顔をのぞかせていました。まん丸な実は、お日さまの光を浴びてきらっきらと輝いています。
『あぁ林檎だ』
 林檎は、秋から冬の始まりまで、電車が走りぬける路線を赤く彩り、心地よい香りで包み込んでくれました。彼は、すっかり新しい職場を気に入ってしまいました。
 
 田舎の路線は、季節ごとに表情ゆたかな眺めに取り囲まれていました。それらの光景を見ると電車の心は浮きたちました。
 冬は、まっしろな雪景色に覆われます。
 朝早くからラッセル車が雪かきしてくれた線路を、ぴゅうぴゅう吹きつける冷たい北風に向かって電車は走りました。
 吹雪の日は、山や森が色をうしない、まるで墨絵の中に迷いこんだようでした。ピィーという警笛も、すうっと綿雪に吸いこまれてしまいます。
 そこは静かで清らかな世界。彼は心がすみわたるような、すがすがしさを感じました。

 春になると、満開の林檎の花が咲く丘を軽やかに走りました。薄紅色に染まった野山の中を、カタコト、カタコト、カタコトと。
 四月の初めは、入学式に向かう子どもたちがドキドキ顔で乗ってきます。
「学校って、どんなところかな」
「楽しかったらいいね」
「ぼく、なんだかワクワクしてきちゃったよ」
 林檎の花のように無垢な子どもたちを乗せると、電車も心がまっさらになりました。
 風が吹くと、林檎の花びらが窓いちめんにはりつきます。黄色い菜の花が丘いっぱいに広がっています。
 電車は、みずみずしい花の香りにつつまれて走るこの季節が大好きでした。

 夏は里山に、大きな水鏡となった田んぼが広がります。
 風を切って走ると、青い稲がいっせいにさわさわとそよぎました。ウンカをねらうシオカラトンボが窓をかすめて飛びさります。
 夕ぐれには、しんとした風のなかに、無数のホタルの火がまたたきました。
 カエルの大合唱が響くなか、ホタル狩りの子どもたちがそろって手を振ります。電車は、ポォンとやさしい警笛でこたえました。

 そして秋。
 田んぼは黄金色に染まります。電車が走りすぎると、ふわりと風が立ち、稲穂がリズムを合わせて頭をゆらしました。
 線路のわきには、ピンクのコスモスやまっ赤なヒガンバナが咲きみだれました。
 見上げると、空いっぱいのアキアカネの群れが、風とたわむれるように広がっています。
 果樹園の林檎も、まるまると育ちました。秋の初めには、青々としていた実が、ゆっくりと赤く染まり、やがて、あまずっぱい匂いを放ちはじめるのです。
 駅からは、林檎をどっさり買った人たちが、山のような荷物を背負い、ホクホクとした笑顔で乗り込んできました。
「今年もずいぶん買いこんだねえ」
「ああ、ずっしりだよ。でも背中のこの重さが心地いいんだから」
 電車は車両の内も外も、林檎のあまずっぱい香りに包まれて、幸せなこころもちで里山の路線を走りました。

      ※

 長い年月、働きつづけて、お年寄りになった電車は、ボディのあちこちの調子がおかしくなりました。
 とつぜんモーターの具合が悪くなり、お客さんたちを時間どおりに運ぶことができない日もありました。
 そして――とうとう、この秋で引退することが決まったのです。
 正確な仕事を心がけてきた彼は、悔しくって車庫でひとり涙を流しました。
『わしの役目もいよいよ終わりなのか……。せめて、もういちどだけ、あの林檎の木の下を走りたいものだ』

 やがて秋も深まり、林檎が赤く実りはじめました。彼が愛する香りが漂う季節がやってきたのです。
 でも、電車の体は限界でした。あちこちが傷んで動けなくなってしまいました。
『もう、林檎の下を走るのは無理なのか……』
 しかし、そんな彼の気持ちが伝わったのか、運転手さんや整備士さんたちが、声をあげてくれたのです。
「最後にもういちど、あの丘を走らせてあげたいんだ」
 彼らは、小さな頃に、この電車で学校へ通ったり、線路わきで手を振ったりした子たちでした。みんな、仕事が終わってから夜おそくまで、心をこめて修理してくれました。
『ありがとう、みんな。これで、もういちど林檎の木の下を走ることができるよ』

 そして、引退の日がやってきました。
 秋晴れの空がどこまでも高い日曜日です。
 ホームには、電車の最後の出発を見送ろうと、おおぜいの人々が集まりました。
 子どもも、大人もいます。駅員さんも、整備士さんも、みんな並んでいます。
「ありがとう!」
「おつかれさま!」
 声援と拍手につつまれ、電車は心が震えました。
『わしの人生は間違っていなかった』
 彼はポォーンと高らかに警笛を鳴らし、堂々と走りだしました。
 目指すのは、あの林檎の丘です。
 ゴトリ、ゴトリ――ありがとう。
 キィ、キィ、ガタピシ――さようなら。
 電車は、あまずっぱい香りに包まれながら、まっ赤な林檎の木の下を、世界で一番の笑顔で走りぬけていきました。

もういちど林檎の木の下を

もういちど林檎の木の下を

あまずっぱい香りに包まれて、電車はまっ赤な林檎の木の下を、世界で一番の笑顔で走りぬけていきました。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 児童向け
更新日
登録日
2026-03-18

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