ぼくとダイちゃんのカブトムシ

ぼくとダイちゃんのカブトムシ

 春の暖かな日。
 ぼくは、おじいちゃんから荷物を受け取った。
 届いた箱の中には、まるまると太ったカブトムシの三令幼虫が二匹入っていた。
 幼虫たちを、ふんわりと包み込むように詰められていた土からは、心地よい森の香りがした。

      *

 おじいちゃんが住んでいるのは、深い山々にかこまれた谷あいの村。
 ぼくが暮らす町からだと特急電車とバスを乗りついでも、ゆうに四時間はかかる遠い場所だ。 
 林業の盛んな村で、おじいちゃんも若いころは、山で木を切りだし、それをイカダに組んで下流の町までとどけるという仕事をしていたそうだ。だから、おじいちゃんは今でもびっくりするぐらい足腰が丈夫で、バランス感覚がいい。
 村の神社の建て替えを手伝ったときだって、棟上げの日に柱の上までヒョイヒョイとよじ上って、まっさきに作業をはじめてしまう。
 まわりで見ていた人たちもたまげて、「ありゃあ猿みたいなもんじゃな」とささやきあっていた。さすがに、そのあと家族からは「いくらなんでも、いい歳なんだから」と、たしなめられていたけれどね。
 おじいちゃんは、今では山の仕事も、イカダの仕事も引退しているけれど、田んぼや畑の野良仕事の合間に暇を見つけては、山に入って山菜やキノコを採ってきたり、山奥の沢でヤマメを釣ってきたりする。
 
 山には、材木にするために、空に向かってまっすぐに伸びるスギやヒノキのような針葉樹がたくさん植えられている。でも、それとは別に、枝々を大きく広げ、みずみずしい緑の葉が風に揺れる広葉樹の森も大事に残されているんだ。
 広葉樹の森には、クヌギやコナラ、シイ、カシワなどいろんな種類の木が入り混じって生えているから雑木林と言われる。昔は電気もガスも無かったから、雑木林の枝や幹を刈り取って、燃料にしていたそうだ。落ち葉や下草も集めて腐らせれば、田んぼや畑の肥やしになった。また、雑木林には、トチの実や椎の実、柴栗など食べ物になる木の実もたくさん実る。
 だから昔から村の人たちがひんぱんに山に入り、雑木林はきちんと手入れされてきた。
 雑木林の恩恵にあずかってきたのは、人だけじゃない。他の生き物たちも、豊かな恵みを求めて集まってくるんだ。やわらかい葉っぱや花の蜜、樹液などに虫たちがやってくるし、その虫や木の実をねらって多くの鳥や獣たちも集まる。豊富な山の幸は、多くの生命を支えている。
 広葉樹の雑木林は、ずっと昔から人と生き物たちの暮らしに欠かせない場所だったんだ。

 そんな林の中に、おじいちゃんの「ひみつの場所」がある。
 冬の寒さがゆるみ山から雪が消えると、おじいちゃんは「ひみつの場所」へ行き、落ち葉や枯れ枝が朽ちてできたフカフカの土の中から、よく育ったカブトムシの幼虫を掘り出してくる。
 「ひみつの場所」で採れた幼虫は、なぜか大きな成虫に育ちやすいのだ。おじいちゃんが言うには、食べてきた土が違うのだそうだ。森の樹木は寿命を迎えたあと、朽ちて倒れ、生き物たちに分解されて、栄養豊富な土となる。とりわけ「ひみつの場所」に長い年月をかけて積み重なった土は、他の場所よりも良質なんだろうって。
 採ってきた幼虫は、おじいちゃんの家のうら庭に置かれた飼育箱でしばらく育てられる。大きな陶器の植木鉢に網をかけて作られた飼育箱で、たっぷりと土を入れることができる。
 おじいちゃんは、「ひみつの場所」からひろい集めてきたクヌギやコナラの古枝を庭のすみでじっくり腐らせたものを腐葉土に混ぜて使うらしい。
 十分に朽ちた古枝は、にぎると簡単にくずれてしまうぐらいやわらかくなる。
 鼻を近づけると、ほのかに甘ずっぱい香りがする。二つに割った感じがホクホクの焼きいもの断面のようにも見える。
こういう状態になった古枝は、幼虫にも消化しやすくて、とっても育ちがいいのだそうだ。
 そうやって、おじいちゃんが山で見つけ、育てた幼虫が、今年もわが家に送られてきたというわけだ。

      *

 ぼくは、おじいちゃんが幼虫といっしょに送ってくれた一袋ぶんの特製の土と、近所のホームセンターで買った土を混ぜて、幼虫を育てはじめた。
 ホームセンターの土は、カブトムシ飼育用マットっていうもの。袋にカブトムシやクワガタムシの大きなイラストが描かれているやつだ。 
 おじいちゃん特製の土ほどではないかもしれないけれど、栄養のバランスがいいって袋に書かれた土を選んだ。
 透明プラスチックの飼育ケースにブレンドした土を入れ、幼虫を表面に置くと、さっそくモリモリと食べながらもぐりはじめた。
 すごい食欲! 見ているだけで気持ちがよくなってくる。
 土の中でデングリ返りみたいに体を回転させながら、豪快に食べ進む。でも、決して大口を開けてドカ食いをするわけではない。
 その食べ方は、とっても上品だ。まるでリスが木の実をかじるように、アゴの前に二本の足をチョコッとそろえて朽ち木のかたまりをかかえ、端っこからていねいにかじる。そして余すことなく、ぜんぶきれいに食べてしまうんだ。

 しばらく、そのままに飼っていると、数日ほどで土の表面ちかくに、フンがたまってくる。だから、たまにフルイにかけて取りのぞいてやらなければならない。
 幼虫のフンって真っ黒なんだ。そして小さな四角いタブレット型のガムに形が似ている。おかげでぼくはタブレットガムがちょっと苦手なのだけれど。
 フンは、同じカサの土とくらべると、ずいぶん軽い。
 きっと栄養がたっぷりつまった部分は、幼虫のお腹にしっかりとおさまっているのだろう。その残りカスだから軽くなっているし、おまけに水分も幼虫にすっかり吸収されて、カラッカラになっている。
 ある日、より分けたフンを捨てようとしていたら、横合いからお父さんが目ざとく見つけ、「なるほど、カブトムシの幼虫のフンか。こいつはきっと良いコヤシになるぞ」なんて言って、庭の花壇の土に混ぜ込んでいた。
 それにしても、あんなカスカスになったフンが、ほんとうに花の肥料として役立ったのかなあ……。

 五月ごろになると、しっかり土を押し固めてやらなければならない。幼虫たちが蛹室(ようしつ)という丸っこい部屋を土のなかに作りはじめるからだ。
 ここからはしばらくガマンの時期。
幼虫たちが蛹室のなかでサナギの姿に変わってから、ほとんど動きは見られなくなる。
 死んでいないかなって心配になってしまうけれど、下手に土をほじくり返してしまうと、たちまちアウトだ。サナギの体って本当に弱くてもろいものだからね。
 それにしても昆虫のサナギって不思議だ。
 サナギの薄い皮の中で、幼虫の体はいったんドロドロの液体みたいになるらしい。
 それが、もう一度成虫の姿に作りなおされるのだけれど、ドロドロの状態でも命はちゃんとつながっているんだ。
 つくづく生き物ってすごいと思う。

 うちのカブトムシたちは梅雨明けのころに、あいついで成虫となって土の上に姿を現わした。
 今年、羽化したのは、オスとメスが一匹ずつ。
 とりわけぼくが感激したのは、オスの体のでっかさと力強さだ。
 角は先っぽが、ほんの少しだけ曲がっているけれど堂々と長い。体つきも日本のカブトムシとは思えないくらいの立派さだった。
 ぼくはおじいちゃんに電話をかけた。
「おーう、ケン太か。どうした?」
 おじいちゃんはいつもゆっくりと話す。
「おじいちゃんが送ってくれた幼虫が成虫になったんだ」
「おお、そうか。無事に育ったんじゃな」
「すごいカブトムシになったよ。こんなに大きなの見たことないくらい」
「そんなに大きくなったかい。やっぱり、小さな幼虫のうちにしっかりと良いエサを与えるのが大事だな」
「うん、これで今年のカブトムシ・コンテストは、きっと優勝まちがいなしだよ」
 ぼくは、毎年八月なかばに行われる「カブトムシ・コンテスト」に、早くも思いをはせた。それは、町の夏祭りの余興に毎年おこなわれる催しだ。
 子どもたちが、持ち寄ったカブトムシの大きさ、立派さを比べるというとても単純な大会なんだけど、なぜかみんな興奮してしまうのだ。カブトムシのことになると、ついついムキになってしまうのが日本の男の子の本能なのかもしれない。
 今までの成績はというと、ぼくはいつも惜しいところまでいっている。もちろん、おじいちゃんが毎年、よく太った幼虫を送ってくれるおかげなんだけれど。
 一昨年と去年の大会は連続で三位だった。でも、今年のカブトムシは、いつもにも増して大きい。きっと去年の大会で優勝したカブトムシより大きいはずだ。
 ぼくはうれしくなって、ついつい学校で友達に自慢した。すると、たちまち教室中にうわさが広がり、放課後になると、クラスメイトたちが家までやってきた。
 みんな、カブトムシを見て口々におどろきの声をあげた。
「こりゃ、でけぇ」
「もう優勝は、ケン太に決まったようなものだな」
「しかたない、おれたちは入賞を目指すか」
 コンテストでは、10位まで何らかの賞品がもらえるのだ。
「でも、ダイアンも大きなカブトムシを捕まえたってうわさだぜ」と誰かが言った。
「そうそう。ダイアンも優勝を狙っているって話だよな」
 ダイアンは近所に住む上級生。ぼくらより一学年上の六年生で、学校中で一番体が大きく腕っぷしも強い。ほんとうの名前はダイスケなんだけれど、ドラえもんのジャイアンになぞらえてダイアンって呼んで、みんな恐れている。
「ダイアンににらまれるとやっかいだな」
「大丈夫だよ、ダイちゃんは、そんな乱暴者じゃないよ」とぼくは言った。
 ぼくは以前からダイちゃんをよく知っている。見た目はゴツイけれど、理由もなく乱暴なことをするタイプじゃないこともわかっている。
「ダイちゃんとは、正々堂々と勝負できるはずだよ」

     *

 夏休みになって、しばらく経ったある日のことだ。
「おーい、ケン太」
 家のそばの児童公園を通りかかったとき、ダイちゃんに声をかけられた。
「おれ、大きなカブトムシを捕まえたんだ」
「うん、クラスの友だちからうわさには聞いているよ」
 ダイちゃんはまんざらでもない表情をうかべた。
「見てみるか」
「いいの?」
 ダイちゃんは近くに止めていた自転車のカゴから飼育ケースを取り出した。中には一匹の黒々としたカブトムシが入っている。見たところ、かなりの大物で、ぼくは思わず目を見張った。
「これは、どこで捕まえたの?」
「古墳公園の森で見つけたんだ。どうだ、でかいだろう」
 ぼくはうなずいた。確かに大きい。うちで羽化したカブトムシにも負けないくらい堂々としている。
「ケン太、お前も大きなカブトムシを持っているそうだな。みんながうわさしているよ」
 と、ダイちゃんが言った。
「おれにも見せてくれよ。比べてみようじゃないか」
「でもコンテストで勝負したほうがよくないかな」
「いいじゃんか。コンテストの前に、どっちが大きいか見ておこうぜ」
 ぼくはあまり気乗りはしなかったけれど家から飼育ケースを持ってきた。
「よーし、それじゃあ比べるぞ」
 ダイちゃんが言った。
 ぼくたちは、それぞれ自分のカブトムシの胸角(小さいほうの角)をつまみ、ケースから取り出して比べた。ぼくらは息をのんで両方のカブトムシを交互に見つめた。
「うーん……」
 微妙な差だったけれど、辛うじてぼくのカブトムシの方が大きいように見えた。ぼくはホッとして思わず口に出してしまった。
「いい勝負だね。でも、ぼくの方がほんの少し大きいかな」
 すると、ダイちゃんはムッとした表情を浮かべた。
「そんなことあるもんか。もう一度、よく見せろよ」
 そして、ぼくの手からカブトムシをひったくると、二匹を自分の飼育ケースの中に入れて並べた。そしてケースを回しながら四方八方からじっくり見比べた。
「ほうら、やっぱり、オレの方が大きいじゃないか」
 ダイちゃんはそう言うと、カブトムシをぼくに返してよこした。
 ――あれっ、それは、ぼくのカブトムシじゃない。
 ぼくはすぐに抗議した。
「違うよ。今、ダイちゃんのケースに入っている方がぼくのだよ」
「何言ってるんだ。こっちがオレのだよ」
 でも、ぼくが見間違うわけがなかった。幼虫から育てた大切なカブトムシなのだから。少しだけ角の先っぽが曲がったぼくとおじいちゃんのカブトムシなのだから……。
 ぼくは何度も説明したけれど、言えば言うほどダイちゃんもムキになっていった。大きな体の上級生に「うるさいな。オレだって間違うわけがないぞ」ってどなられると、それ以上どうすることもできなかった。
 それに、どうやら意地悪でぼくのカブトムシを奪ったのではなく、本当に勘違いをして取り違えているようだった。いくら話しても、それが自分のカブトムシだと思い込んでいるダイちゃんは聞き入れようとはしてくれなかった。
 ダイちゃんはぼくのカブトムシが入った飼育ケースのふたをパタンと閉めて、おこりながら帰ってしまった。
 ぼくはくやしくて、悲しくてやりきれなかった。幼虫のころから育ててきた毎日のことを思い出すとポロッと涙がこぼれ落ちた。
 ぼくの手元にはダイちゃんのカブトムシが残った。投げ捨ててしまいたい気持ちにもなった。
 でも、ぼくの手のなかでジタバタと足を動かしているカブトムシを見ると、そんな乱暴なことはできなかった。
 どうしたものか少し迷った。ちょっと考えてから、そのカブトムシをぼくの飼育ケースに入れて帰った。

 その晩、おじいちゃんに電話をして、昼間の出来事を話した。
「ごめんなさい。せっかくおじいちゃんが送ってくれたカブトムシだったのに」
「はっはっは。そりゃあ、災難だったな」
 おじいちゃんは笑った。
「ところで、ダイスケくんのカブトムシはどうしている?」
「一応、ぼくの飼育ケースに入れたままにしているよ」
「そうか。それも何かの縁なのだろう。きっと、ケン太とそのカブトムシは出会うことになっていたんだろうな。それを自分の   カブトムシだと思って、責任を持って大事にしてやりなさい」
「……うん」
 新しくやって来たカブトムシは、新居が落ち着かないのか、夜が更けはじめた頃からハネを広げて、何度も飛び上がろうとしていた。飼育ケースの中からは、羽ばたこうとするすさまじい羽音が聞こえた。
 このカブトムシは、きっと森の中で羽化したのだろう。だから、故郷の森が恋しくて帰りたがっているのかな、って思った。

      *

 やがて、「カブトムシ・コンテスト」の日がやってきた。
 コンテストの会場になっている小学校の理科室にぼくらは集まった。
 参加者は男子だけじゃなく、女子も何人かいた。いまでは女の子だってカブトムシが好きな子はめずらしくない。
ぼくたちは順番に一人ずつ、パーテーションで仕切られた小部屋の中に入り、計測台のうえにカブトムシをおいていく。
 もっとも計測台といっても、それほど立派なものではなくて、机に敷かれたべニア板の上に、プラスチックの定規がおかれているだけなのだけれど。
 大人の審判役の人たちは、手ぎわよく大きさをはかっていく。計測台の横で開かれたノートに記録がどんどん記入されていくけれど、計測の段階では、まだぼくらには他のカブトムシの大きさは明かされない。
 うわさでは、単に大きさだけでジャッジするのではなく、角の立派さや色ツヤ、そして元気さなんかも点数化されているそうだ。でも、どんな基準で判定されるのか、ぼくらにはよくわからない。
 聞くところによると、昔は実際にカブトムシ同士を戦わせて強さを比べていたらしい。
 でもカブトムシって、決して自分たちからムダなケンカはしない。人がむりやり戦わせようとするとカブトムシに余計なストレスを与えてしまうことになる。場合によっては、カブトムシたちの命を縮めてしまうことにもなりかねない。だから、最近では戦わせることはやめたそうだ。

 会場に大物を持った挑戦者が入ってくるたびに、どよめきがわきおこる。そして、ぼくたちは少しずつ興奮してゆく。
 にわかに周囲の出場者たちがざわめいた。ダイちゃんが手にケースをかかえて理科室へ入ってきたのだ。
「ダイアンが来たぞ!」
 ぼくは、ダイちゃんのケースの中のカブトムシを見た。心臓がドキンと高鳴った。
 ダイちゃんがぼくのほうを振り返った。
「やぁ、ケン太。おまえのカブトムシは元気にしているか」
「うん、このとおりいつも動き回っているよ」
 ぼくは、自分の飼育ケースの中のカブトムシを見せた。
「もっと、よく見せて」
 と、ダイちゃんはケースの中をじっとのぞきこんだ。そして、ちょっと首をひねった。
「どうかしたの?」
「うん……」
 ダイちゃんは何か言おうとしたけれど、言いよどんで言葉をにごした。そして「お前のカブトムシ、やっぱり、とてもいいな」とつぶやいた。
「そっちのカブトムシも、もう一度見せてよ」
 とぼくは言った。
「お、おう」
 ダイちゃんも、飼育ケースのフタを開け、中を見せてくれた。
 堂々としたカブトムシが、切り枝のエサ台をがっしりと抱え込み、エサのゼリーを悠然となめていた。つやつやとした背中が、きらりと輝いている。
 あぁ、とぼくはため息をもらした。
 元気そうなので、ぼくは安心した。やっぱり大きくて立派だ、と思った。

 やがて、結果発表のときがきた。
 ぼくは目をつむって、司会者の声を待った。心臓がバクバクと高鳴った。肩がギュッと縮んで固くなった。
 それは、とても長い時間に感じられたけれど、告げられた名前を聞いた瞬間、肩の力がふっと抜けた。
 優勝者は、やはりダイちゃん。文句なしの結果だ。他の参加者や見物の人たちも拍手喝采だった。
 ダイちゃんが、六年生の同級生たちに小突かれながら表彰式の壇上に進むのが見えた。
 表彰を前に、審判長をつとめる人が「この大会史上で一番の大物でした。コンテストの新記録達成です。色もきれいだし、力強さも群を抜いていました。すばらしい」とコメントをしたので、会場は一層盛り上がった。
 ぼくは準優勝だった。審判長は「これまた、優勝のカブトムシに迫る大物でした。例年ならば、優勝していてもおかしくはないと思います。今年はレベルが高い大会でした」と説明した。
「惜しかったな」
「相手が悪すぎるや」
 クラスメイトたちが次々とぼくに声をかけてくれた。
 表彰台でダイちゃんと並んだとき、彼が「いい勝負だったな」と言った。ぼくは、うなずいた。
 不思議なことに、ぼくはもうくやしさをそれほど感じていなかった。優勝メダルを首にかけられ照れくさそうに立つダイちゃんを見あげながら、心の中では誇りさえ感じていた。
 ――だって、あれは何てったって、ぼくとおじいちゃんのカブトムシなんだから。
 あのカブトムシは、とてもつややかで健康そうだったから、きっとダイちゃんの家でも大事にされているのだろう。
 毎日、ダイちゃんの与える昆虫ゼリーを夢中でガツガツ食べているのだろうな。そう思ったときだけ、ちょっぴりヤキモチみたいな気分がわいた。
 
 一方でぼくは、ダイちゃんのカブトムシにも愛情を感じはじめていたんだ。
 日に日にその気持ちは大きくなっていた。
 大事に飼っているうちに、そのカブトムシは全体に赤い色をおびはじめていた。とりわけ長い角と背中の赤さが目だっていた。飼っている途中から色が変化するカブトムシははじめてだった。
 だんだんとそのカブトムシが特別なものになっていくのをぼくは感じていた。
 ただ、夜になると相変わらず、羽ばたきの音がはげしかった。それは、もの言わないカブトムシのさけびのように、ぼくには思えた。
 やはり、このカブトムシは森へ帰りたがっているのだろうな。
 その夜、おじいちゃんに電話をして、コンテストの結果を知らせた。おじいちゃんは、「そうかあ、そうかあ」と言いながらうれしそうに聞いていた。
「ところで、うちのカブトムシは、夜中じゅう飛び立とうとしているんだ。もう森に帰してやったほうがいいのかな?」
 と、ぼくは聞いた。
「そのカブトムシがどこで採られたのか知っているのかい?」
「うん、たしかダイちゃんは古墳公園の森で捕まえたと言っていたけれど」
「じゃあ、その森に帰してやったらいい」
 と、おじいちゃんは言った。「そこでメスと出会い、卵を残して、来年以降も子どもや孫のカブトムシが大きく育つかもしれない」
「うちで羽化したメスも一緒に逃がしてやってもいいのかな」
「うーん、それはやめたほうがいいな」
 と、おじいちゃん。「わしが送ったカブトムシはこっちの村の血をひいたものだから、町のカブトムシとは自然のなかで混ざり合わんほうがいいのだろう。そのメスは最後まで、ケン太が面倒をみるべきだ」
「うん、わかった」
 ぼくはうなずいた。

      *

 天気のいい昼下がり、ぼくは自転車に乗って、オスのカブトムシを古墳公園へと連れて行った。公園の森の中からは、クマゼミとアブラゼミの混声合唱がわき上がるように聞こえてきた。
 生い茂る木々が陰をつくる遊歩道に入ると、外の炎天下の暑さがうそのように、ひんやりとした空気が流れていた。
「この森が君の生まれ故郷なのかい?」
 ぼくは虫かごの中のカブトムシにたずねたけれど、当然彼は何も言わない。でも、いつもガサガサとせわしなく動き回っているカブトムシが、心なしか落ち着いた様子でじっとしている。
 もしかすると、ここの空気を思いきり吸いこんで、なつかしい気分にひたっているのかもしれない。 
 ぼくも深呼吸をして、森の空気を肺の中いっぱいに吸いこんでみた。森の中は、むせかえるようなあまずっぱい香りで満たされていた。
 ぼくは森の坂道から、木立ちのなかに分け入り、とりわけ樹液のたっぷり出ているクヌギの木を見つけた。ひときわ太い幹の森の主のような木だった。虫かごの中からカブトムシを取り出して、その深いシワの刻まれた幹につかまらせた。
 カブトムシは木の皮の感触をじっくりと確かめるように、幹の表面にギュッギュッと爪を食い込ませながら進んだ。そして、ゆっくりと樹液がしみ出している場所へと向かっていった。
 そこには先客のカナブンやヨツボシケシキスイたちがいたけれど、カブトムシは悠然と彼らを押しわけて、香り豊かな樹液を吸いはじめた。
 そこへ大きな羽音を響かせてスズメバチがやってきた。カブトムシが樹液の中心にいるのを見るや、するどいアゴでかみついてきた。スズメバチは動きもすばやいし、力強い。さすがのカブトムシも場所をゆずるしかないのかと思った。
 でも、カブトムシは動じなかった。しばらく、スズメバチの攻撃を黙ってしのいでいたが、突然角をふりかざすと、電光石火でスズメバチをはじき飛ばした。
 怒りたけったスズメバチは、その後もしつこくカブトムシをつついてきたが、カブトムシは決して動かず、堂々と食事を続けていた。やがてスズメバチもあきらめて、カブトムシの隣でおとなしく樹液を吸いはじめた。
 戦いの間は、離れてなりゆきを見守っていたカナブンやヨツボシケシキスイも戻って来て、彼らを取り囲むように樹液をなめている。しばらくすると、ヒカゲチョウやゴマダラチョウも樹液の香りに誘われてやってきた。森のクヌギのレストランは大にぎわいになった。
 それぞれが、自分の場所に落ち着くと、再び森の静けさがもどってきた。
 鳴きかわす鳥のさえずりが聞こえる。少し日がかげってきたせいか、辺りにはヒグラシの鳴き声が響きわたっていた。
 やがて、カブトムシは十分に満足したのだろう。ゆっくりとした足取りで木の幹を下りた。そして、ふかふかな土に潜りはじめた。
 カブトムシは器用に土をかきわけて大きな角のある頭から体を滑り込ませていった。最後に丸いおしりをひと振りし、後ろ脚をバタつかせながら土の中に消えていった。
 ぼくはカブトムシにお別れの声をかけた。
「今日までありがとう。元気でね」
 
      *

 それから、ひと月ほどが経った。
 季節はもう秋だった。
 朝起きると、メスのカブトムシが、ついに動かなくなっていた。
 一週間ほど前から、反応がにぶくなっていたので覚悟はしていたけれど、いざ動かなくなると、さみしさがこみあげてきた。
 生きているときは、ずっしり重かったメスの体も、死んでしまうと拍子ぬけするほど軽く感じた。手のひらの上で、ぼくは命の重みというものを実感した。
 メスのなきがらは、庭の木立ちの下に深い穴を掘って埋葬した。
 その後、ふと思い立って、ダイちゃんのカブトムシと別れた古墳公園に行ってみた。
 秋の古墳公園の森は、たった一か月のことなのに、夏とはまるで様子が変わっていた。
 樹液に群がる多くの昆虫たちの姿が見えなくなっていたし、樹液のあまずっぱい香りも薄くなっていた。
 クヌギやナラの木々は、枝の先に青く固い実をふくらませはじめていた。これからの季節は、ドングリ目当ての動物たちがこの森に集まってくるのかもしれない。
 風が吹くと、樹上からパラパラと木の実が落ち、地上の枯れ葉が乾いた音を立てた。
 ひらひらと舞う落ち葉を見つめながら、ぼくは思った。
 ダイちゃんのカブトムシは、あの日の後、メスと巡り合うことができたのだろうか。この森のどこかで、その子どもたちは育ち始めているのだろうか。

 そして――。
 帰宅後、飼育ケースの掃除を始めたときのことだ。
 ぼくは大きな喜びを発見した。
 カブトムシたちを飼っていた土の中に、豆つぶほどの小さな幼虫たちがいるのを見つけたのだ。最後まで飼育ケースの中で、命をまっとうしたメスが産み残してくれたものらしい。
 これは、カブトムシたちから託された命だ。ぼくはこの小さな命を大切に育てあげようと思った。
 どちらのオスの血を引いた幼虫たちなのかはわからない。けれど、どちらに似ても王者の貫禄十分な成虫に育つはずだ。
「ようし、来年こそは優勝するぞ」
 でも、その前におじいちゃんの村へ行こう。
 深い森と山々に囲まれた静かな村。
 そして、雑木林の奥の「ひみつの場所」に連れて行ってもらい、幼虫を上手に育てる土の秘訣を教えてもらうんだ。 

ぼくとダイちゃんのカブトムシ

ぼくとダイちゃんのカブトムシ

春の暖かな日。ぼくは、おじいちゃんからまるまると太ったカブトムシの三令幼虫を受け取った。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 冒険
  • 児童向け
更新日
登録日
2026-03-18

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