1ミリ秒の魔法_α版
まだα版です.
図書館
この世界は,大昔に人間の意思によって作られた.
聖書になぞらえてこの世界を作った彼らのことを『創造主』と呼ぶこともある.
21世紀の中頃,実験目的で作られたこの世界は数百年経過した現在もまだ機能しているし,
これからも当面は発展を続けるのだろう.
それは歴史の教科書にも書かれているし,誰も疑ってなどいない.
だがそんなこと,どうでもいいんだ.
目の前に積まれた教科書と参考書の山を眺めて憂鬱になる.
いま,俺の気分をとても憂鬱にさせている問題は学校で出された大量の課題だ.
なんでこんな無駄なことばかり覚えなければいけないんだろうな.
記憶容量の無駄だし,時間の無駄でもある.
実際に使うとも限らない知識を集めて,いったい何をしろというのか.
考えていても課題の量は減らないし,いいかげん手をつけないと間に合わない.
そんなわけで,そろそろ取り掛かろうと思っていると,不意にメッセージが入った.
『ねぇ』
よく知った顔が目の前に出現したウインドウの中から話しかけてくる.
『これから図書館に来れない?』
昔からよくつるんでいる――関係を正しく理解して貰うために言い換えるならば腐れ縁の――高校のクラスメイトのアリサだ.
こいつ何て言った?図書館?なんでまたそんなところに…….
明日までにやらないといけない課題が山のように残っているのにそんな余裕は無い.
もちろん,それを理由に断るつもりだった.
『待ってるから今すぐ来て!』
有無を言わさない命令口調でそう言い放つ.気のせいか声が弾んでいるようだ.
アリサがこんな調子のときには,絶対に面倒なことになる.断言できる.
「何をいって…」俺が何も言葉を口しないうちに,すでに切断されていた.
毎度のことながら俺に選択権は無いんだよな…….
仕方なく図書館に移動することにする.課題は手付かずのままだけど仕方ないな.
不可抗力だ.俺に落ち度は無い.
一瞬で課題をやらない言い訳を完了してから,携帯端末のスクリーンを開き,図書館のアドレスを探す.
図書館なんて久しぶりだから,少し手間取る.
それにしても,なんで図書館なんだろう.
ちなみに,なぜ図書館のアドレスなんてものを探していたのかといえば,
アドレスさえ分かればそこに瞬時に行くことが出来るからだ.
これは,いまさっき俺を問答無用で呼び出したアリサが編み出した裏技の一つで,
二人だけの秘密ということにしている.
なんで移動できるのか仕組みはさっぱりわからない.
ずいぶん前に説明されたことがあるが,アリサが話しはじめてすぐに理解をあきらめる程度には難解だった.
曰く,「素直に毎回途中の経路を辿るなんて馬鹿のすること」らしい.
便利なのだが,いままでアリサの様々な怪しい『裏技』の実験台にされてきた俺は,嫌な記憶が蘇るので
あまり使わないことにしている.
今回も,そんな裏技を使わなくたって,俺の住んでいるマンションから図書館は目と鼻の先なのだが,
ちょっとでも待たせると怒るからなぁ,あいつ.
スクリーン上に表示された『図書館』と書かれた項目を選択し,詳細メニューを開く.
『ここに移動♪』という間抜けな項目を選択するとアリサお手製のアプリが立ち上がり,
同時にさっきとは別物の景色が視界に入る.
移動した先は図書館の受付カウンターの前で,すぐ目の前にアリサが立っていた.
「おそい!……なにやってたのあんた?412nsも待ったんだけど」
そのくらいで怒ることないだろう.と反論しようと思ったが,
アリサの顔を見て必要が無いことを知る.
一見,機嫌が悪そうに見えるが,怒っているフリをしているだけのようだ.
もし本当に怒っていれば蹴りの一つくらい飛んでくるところだったが,どうやら本当は上機嫌らしい.
俺が遅かったことなど彼女にとってはどうでもよいのだろう.
俺はニヤニヤしながら怒ったフリをしているアリサの顔を眺めていると,
目線に気づいたアリサは俺の顔を低い位置から上目遣いで睨んでくる.
直接会うと分かるが,アリサの背は同年代の女子の平均身長より15cmは低い.
俺と比べると頭ひとつ分以上の差がある.
なので近くに寄るとどうしても見下ろす形になってしまう.
「悪い悪い.図書館なんて久しぶりだからさ.それで,一体,図書館なんかで何をするつもりなんだ?」
一応,そう言ってごまかす.
アリサ本人,身長のことは気にしてないらしいが,見下ろされることは嫌いらしく,
いつだったか『平均身長より背が高いやつは滅ぶべき』だと言っていた.
それって,背の高いやつがいなくなるたびに平均も低くなるから,最後の一人しか残らないんじゃないか?
「確かに……久しぶりね」アリサは感慨深い様子でつぶやく.
よく考えてみると,俺が図書館に来たのはアリサにはじめて会った時以来だ.
そして,二人が立っている位置は,あの日に別れた時と全く同じだ.
「確か,『付き合ってよ』だったな,お前の第一声.あのときも意味が分からなかった」
「あたしがそんなこと言うわけ無いでしょ!勝手に記憶を捏造しないでよ!」
ちなみに事実だ.
アリサが覚えていないわけはないと思うが,俺も思い出したくない思い出なので話を変える.
あの時はアリサのせいで大変なことになったが,それはまた別の話だ.
「それより,今回の用件はなんなんだ?」
話が脱線しそうだったので,いきなり呼び出された理由を聞く.
「ちょっと見せたい本があるの」
「そんなの,データをメールで送ってくれたらいいじゃないか」
俺の連絡先は知っているのに,どうして本を見るために直接会わなければいけないんだ.
退屈で非生産的な俺の大切な日常を返してくれと言いたい……言えないけど.
しかし,アリサの口からは意外な言葉が返ってきた.
「持ち出しも複製も禁止になってる本なんだから仕方ないでしょ」
禁止されていようとお構いなしなのがいつものアリサなのだが.
アリサだったら,そんなもの無視してコピーした上で勝手に俺に送りつけて,
気づいたときには共犯者にされているのに,とうとう反省して考えを改めたのだろうか.
犯罪者とは思っていないが,アリサは目的のためならかなり過激なこともしでかすやつだし,
その上,そうとう頭も良いからたちが悪い.
「……あたしが犯罪者であるかのような想像してたでしょ.今」
「いっ……いや.そんなことは決して無い」ちょうど『犯罪者とは思っていない』と思っていたところなので嘘はついていない.
嘘は言って無いのに,なんで慌ててしまったんだろうか.
「まぁ,あらゆる手段で複製しようとしたんだけどね.でも上手くいかなかったの」
不用意にそんなことをすれば通報される恐れもあるだろうに.
思ったが,何を言っても無駄なのは分かりきっているので突っ込まない.
アリサは,容姿端麗,頭脳明晰.だが,学業優秀からは程遠い.
重度の引き篭もりでほとんど学校に来ないからな.
登校しない割には,問題児として疎まれている,ある意味有名人だ.
ただ,引き篭もりを直して,性格を大幅に矯正して,
もう少し背があれば,俺的美少女ランク-Sと認定してやってもいい.うん.
「こっち.ついてきて」
俺が考えていたことには気づかなかったようで,アリサに移動を促された.
その本は,今ここには無いらしい.
移動する直前,端末に何かを入力しているのが見えた.
目の前に広い空間が現れる.倉庫のようだ.
薄暗い空間に,平たい直方体の棚がたくさん並んでいる.
「ここは?」
「は?見て分かんないの?図書館の倉庫でしょ」分からないのは俺の何かが足りてないからだと
言わんばかりの言い方だ.
「ああ,さっきは倉庫のアドレスを入力してたのか?」
「ぜんぜん違う.そもそも鍵がかかっていたらアドレスが分かっても入れないし」
そう,あの裏技ではアクセスが禁止されている場所に入ることは出来ない.
ただ単に,途中経路を省略できるというだけだ.
そういえば,アドレスを入力してジャンプする方法を教えてもらったのも,
この図書館で最初に合った日だったな.
「なぁ……これって,犯罪とかじゃないのか?」心配になって聞いてみた.
「入れない場所に入ってはいけないという法律はないし,
鍵を騙し取ったりして不正にアクセスしたわけでもない」
アリサは言葉を続ける.
「一般人が立ち入れない場所はセキュリティでアクセスが制限されているんだし.
セキュリティーを破ってアクセスすれば犯罪になるけど,自分にアクセス権が与えられている範囲にアクセスするんだから
法的な問題はない.分かった?」
つまり,『あたしにはここに入る権利が(なぜかは知らないが)もともとあるの.だから不正アクセスじゃない』
って言いたいわけか?
「納得できるか.そんな説明で」
まぁ,アリサはやたら法律にも詳しいようだし,本当に犯罪ではないのだろう.この世界では.
一見,犯罪じゃないの?それ.と思うようなことをやってても,
ギリギリのところで法は犯してないとか,そんな感じなのだ.
「それで,このファイルが,それなんだけど」俺の言葉を無視してどこかに姿を消したアリサが戻ってきた.
手には本を持っている.見た目は分厚く,かなり古そうな表紙が付いている.
古そうな表紙ってのはそういうデザインなのだろうが.
そして,確かにその本には,複製禁止のフラグが立っている.
複製禁止フラグなんてものが存在したことに初めて知った.
そもそも,閲覧禁止フラグも立っている.開いたら即座に通報されるだろう.
「これ,読んだらまずいんじゃないの?」
「その点は大丈夫.まぁ,見てて」
そう言いいながら,アリサは無造作に本を開く.
本来ならここで警告が現れるなり,セキュリティに検知されて通報されるはずだが,
何かが起こった気配はない.
「なんで何も起きないんだ?セキュリティが無効になってる?」
「違うわ.そもそも無条件に閲覧禁止な本が存在するわけないでしょ.
誰も読めないなら存在意義事態がない」
「つまり,最初から俺たちにはその本を読む権限がある……ってことになってるわけか」
「正解」
アリサは短く返事をするだけだ.
どうやってそんなことにしたのか検討もつかない.
ただ,閲覧禁止でも読めるってことか.
細かいことは気にしないほうが俺の精神衛生に良さそうなのでこれ以上考えないことにする.
「複製禁止のデータを見るとどうなるんだ?」
本当の意味で複製が出来ないならば,記憶すらできないのではないか.
それとも,誰かが読むと本の内容が消えるようにでも出来ているのか.
「まぁ,読んでみたら分かる.というよりも,あたしも細かいところは知らないし」
アリサに本を手渡された.
分厚い本の割りに軽い.
「読んでも大丈夫なのか?」
「大丈夫.たぶん」
「本当に読んでも大丈夫なんだな?」念を押して確認してから本を開く.
始まり
創造主達がこの世界を作ったのは,「魔法」を手に入れたかったからだという話を聞いたことがある.
魔法っていったいどんなものなのだろうか.
ゆっくりとアリサから渡された本を開く.傍から見たら,恐る恐るという感じに見えただろう.
……そこには呪文が書かれていた.だが,
「全く意味が分からないぞ」
知っている文字で書かれた何か,としか認識できない,出てくる言葉からしてほとんど意味不明だった.
「最初からよく読んで.それ上巻だし,理解できないなら病院いって頭を診て貰ったほうがいい」
仕方なく序文から読み始める.
鵜呑みにするならば,この本には魔法の使い方が書かれている.
魔法とは書かれていなかったが,内容から魔法だと解釈することにした.
ページをめくる.
ひとつの魔法につき数ページの量の説明が載っている.
理解は出来ないが,何をすればよいのかはだいたい分かりそうだ.
「一度本を私に返して」
言われた通りに本を閉じてアリサに返す.
「何が書いてあった?」
「…………」思い出せない.
魔法の使い方のようなものが書かれていたのは確かだ.
しかし具体的な内容が全く思い出せない.
これが複製禁止ってことか.
「魔法の使い方が書いてあった.それ以外は全く思い出せない」
「やっぱり……あたしのときとだいたい同じか」
読んでも忘れちゃうんじゃ意味無いな.
「でも,本を持っている限り記憶は継続するみたい」
「とりあえず,部屋の中のもの全部捨てなさい」
今までの話の流れを完全に無視して,アリサが突然そんなことを言い出した.
「何だって?部屋のものを捨てろって,つまり消せってことか?」
「そう」肯定された.
ここで意味を聞いたらアリサに馬鹿にされるからな.必死に考えて,何をするのか予測できた.
個人が持てる情報量は制限されている.この本の情報量はかなり大きいようだ.
つまり本を部屋に持っていこうとしているに違いない.
「持ち出し禁止じゃなかったのか?」
「それも大丈夫.この倉庫自体が本来のものじゃなくて,
同じアドレスを指している別の場所にある空間ということになってるの.
つまり,この本を持ち出したとしても,図書館の倉庫から無くなるわかじゃない」
なにかとんでもないことをやっているということは理解できたが,納得はできない.
「それってそもそも複製じゃないのか?」
「複製とは違って実態はひとつよ」
「必用無いものだけ消してみた.これで足りるだろ」
「ぜんぜん足りない.全部消して」とんでも無いことを言いやがる.
「なんで俺が……だいたい全部消す必要なんてないだろ」
「実はこの本,下巻も存在するの」
あぁ……言われてみれば,さっき,上巻がどうのって言葉を聞いた気がする.
そしてアリサの手には表紙の色が違う似たような本があった.
「でも,全部消すのは流石に困るんだけど」
俺はこれから,この本以外何も無い部屋で生活しろと本気で言っているのか.……言ってるんだろうなぁ.
「じゃあ,あたしの部屋に物を移動してもいいから」
「……わかった」仕方なく従うことにする.
かなり色々溜め込んでいたから,移動に時間がかかった.
まぁ,かかった時間の半分は,見られたら困るもののスクランブルに掛けた時間だけど.
移動が終わり,空っぽになった部屋に本を移動する.
「私も部屋にいれてよ」
さりげなく,アリサをおいてきたのだが,拒否すると面倒なことが起きる予感がする.
自分の部屋に他人を入れることはほとんど無かったが,仕方なく入れてやる.
女の子を部屋に入れるなんて初めてだ.
ただ,こいつはノーカウントってことしよう.ああ,そうしよう.
もっとも,部屋にあった物は全て移動してしまったし,もう自分の部屋の面影はないな.
部屋にはいま,俺とアリサ……あとは本が2冊あるだけ.
「で,どうするんだ?」
「今考えてるからちょっと静かにしてて」
この殺風景な部屋ですることも無いので,何かを考えているアリサの顔を眺める.
二人とも無言.静寂に包まれる.
……そういえば.
前にアリサがしてくれたこの世界の仕組みを思い出す.
この世界は300年ほど前に作られたらしい.
そして,コンピュータのメモリ上に存在していることになっている.
授業ではさりげなく習うが,生活しているだけでは,全く気がつきようがない.
そして全ての人に「部屋」もしくは「家」と呼ばれる領域が割り当てられている.
自分の記憶とは隔離された領域で,他人にアクセス権を与えることもできる.
ずいぶん前にアリサに聞いたが,これは物理世界でも使われていたシステムらしい.
もちろん,メモリ上にではなく,物質や光子,重力子によって成り立った
空間に作られていたらしい.
どういうことかさっぱり分からないが,きっと本当なのだろう.
電磁気とか重力とか,まるでファンタジーだ.
物理の教科書には,その宇宙の法則が書いてあるけど,この世界では何の役にも立たない.
歴史の教科書にも書いてあるけど,この世界の外側に宇宙なんてものが
存在しているとは俺には思えない.
「上巻と下巻,どっちがいい?」さっきまで考え込んでいたアリサが俺に問いかける.
なんとなく「じゃあ,下巻で」と答えると,
「上巻にして」と言われ,上巻を渡された.聞いた意味無いだろ.何がしたいんだ.
そもそも中身が分からないのだからどうでもいい.
「あたしは下巻か……」
手に取るとさっき読んだ部分はもう理解できていた.
どうやら一度手放しても記憶はどこかに保持されているらしい.どういう仕組みなんだろうか.
意味は分からないが,手順は難しくともなんとも無く,普通に使えるだろう.
本の最初に説明されている手順通りに端末を操作する.
床の模様が消え,"Hello, world"という文字が表示された.
好きな場所にメッセージを書きこめるのか.ちょっと面白いな.
「ところで"Hello, world"ってどんな意味なんだ?」
「英語……習ったことあるでしょ?」
興味深そうに文字を見ていたアリサが答える.
英語ね…学校で習ったのを思い出した.昔使われていた言語だ.
「そ……それくらい分かってるよ.メッセージの意味を聞いたんだよ」
「空間構成プログラムを直接操作できるのか.隠しAPIが存在するのかな.でも,APIのシンボルは見当たらないし……」
アリサはこの「魔法」の仕組みについて考えているようだ.
「一つ試してみようかな.読んでるだけじゃいまいち分かんないし」
アリサも最初の数ページめくったところで実際に試したくなったようだ.
アリサが端末を操作する.
今,アリサの前にあるウインドウを見て気づいたが,ずいぶんとカスタマイズされてるな.
グラフィカルなアイコンなどの表示はほとんどなく,文字ばかりが凄いスピードで流れている.
そして……俺の部屋の壁にいきなり四角い枠が出現した.
「おいっ.なにしたんだよ」
「これでいちいち端末を経由しなくてもすぐ連絡つく」
どうやら窓のようだ.
窓の向こうは,たぶんアリサの部屋だ.
「よりにもよってなんてことしてくれるんだ.プライバシーとか気にしないのかよ」
「……私にしか開けられないし,大丈夫」
「誰もお前の心配してない.俺のプライバシーが問題なんだよ!」憂鬱になる.
それからまた本を読む.アリサは黙って本を読んでいるばかりだが,俺はいくつか書いてあることを試してみたりしていた.
メッセージを表示するほかには,物の色を変えたり,水を温めてみたり,といったようなことだ.
他にもいくつか試したが,効果がよく分からなかった.
触れずに目の前のものを動かしたり出来るみたいだが,あいにく部屋に何も無い.
まぁ,地味だけど部屋の模様替えのときは意外と便利かもしれないな.
「あたし一度部屋に戻るね.明日また来る」
「ああ.それじゃまたな」
アリサはさっそく壁の窓を活用し,部屋に戻っていった.窓が閉まると再び静寂が訪れる.
やっとゆっくりできるな.
床に横になってみるが,どうも落ち着かない.
改めて部屋を見渡すが,見えるのは本……と壁にある窓だけだ.
落ち着き無く部屋をうろいろと歩き回る.
そして,なんとなく,無意識に窓に手をかけてみる.
窓が開いた.……って開いてしまった.
目の前にアリサの部屋がある.
私にしか開けられない……とか言ってなかったっけ?
綺麗に片付いてはいるが,あまり女の子らしくない部屋だなとというのが第一印象.
部屋にはベッドに横になって本を読んでいるアリサがいた.
「っ……なにしてんの!この……変態!」目が合った瞬間,罵声が響く.
「いや……なんとなく」
「なんとなくで部屋を覗くなんて最低!変質者!」
物を投げられそうになり,窓をあわてて閉める.
はぁ…….酷い目にあった.
他にすることも無いので,再び本を開く.
窓に目をやる.あそこを開ければすぐにでもアリサがいるのか.
今までも,いつでも連絡を取れたのだが,何かが違う気がするんだよな.
「起きて!」
床に横になり,何か面白いものが書かれていないかと本のページをめくっていると,
何時の間にか開いていた窓からアリサが身を乗り出している.
「別に寝て無いって.忘れ物か?」
「見つけたの!」
少し興奮したようにアリサが言う.
嫌な予感しかしない.
「いいからこれ見て」
目の前にウインドウが現れて図形が表示される.
アリサも同じものを見ている.
図形を良く見ると,地図のように見える.
端の方にこの街らしきものが立体的に描かれている.しかし……
「なんで,ほとんど真っ黒なんだ?」
右端にこの街があるが,4分の3くらいの領域が真っ黒だった.
「これから行って確かめるの」
「ここを良く見て」
アリサが指差したところを見ると,俺が住んでいるマンションがあった.
「いまいるマンションだな」
「その横」
「あれ……」どういうことだ?
そこを見ると真っ黒だった.
俺はこのマンションの一番端の部屋に住んでいる.
そして,壁を見る.
この壁の向こうが,真っ黒に塗りつぶされた領域に面している.
「そんなまさか」
しかし,この壁の向こうに何があるか思い出せない.
いや知らないのか,特に興味なかったしな.
「明日にしろよ……疲れてるし」
「わかった」
仕方なくといった感じで,同意してくれた.
アリサは部屋に戻りつつ,こんな台詞を吐いた.
「絶対,窓開けないでよ!勝手に入ってきたら殺すからね!」
自分で人の部屋に窓をこしらえておいて,何を言っているんだ.
また何もない部屋に一人になった.あるのは1冊の本だけ.
って,あれ?本が1冊しか無いってことは,ベッドくらい置けるはずだ.
……まぁ,いいか.床で寝よう.あの窓を開けるのは怖いしな.
ガタッ,という物音が聞こえた気がした.
その直後,わき腹に激痛が走り,目が覚める.
アリサが目の前にいた.
「ほら,早くしてよ」
そういいながら,俺のわき腹に蹴りを入れようとしている.
二度目の蹴りが入る前に,俺は何とか飛び起きる.
「じゃあ,行くか」
「どこ行くのよ」と,部屋から出ようとしていた俺をアリサが止める.
どこに行くって,この黒く塗りつぶされた場所に行きたいんだろ?
「まさか,普通に歩いていくつもりじゃないよね?」
「え?違うの?」
「そんな簡単なわけ無いでしょ.あんたこのマンションの隣に何があったか覚えてる?」
「さぁ.よく覚えて無いな」
「あたしも見たことが無い.というか,このマンションに隣は,無い」
引き篭もりの癖に,なんでそんなに自信あるんだろうな.
「ってことは,この黒い場所って町の外ってことか?どうするんだ?」
街から出るためには許可が必要なのだ.
まぁ,行き先と目的だけ申請するだけでいいのだが……
よく見るまでもなく,この街以外は真っ黒なのだ.
『この黒いところに行きたいんです』って地図を添付して申請するわけにもいかないだろう.
街から出るために許可が必要なのは,街によって微妙に時間が違うことがあるため,
問題が起きないように追跡する必要があるのだそうだ.よくわからんが.
「この壁の向こうに行いけば良いんでしょ?じゃあ,この壁をどうにかすればいい」
アリサは壁を見ながら,本と携帯端末を開き何かをしている.
壁に穴はあけないで欲しいな.
「できた」
何か起きたようには見えないが,アリサが壁に手を当てる.
手を当てたように見えたのだけど,よく見るとその手は壁の中に埋まっている.
「簡単に言えば壁の当たり判定を消したの」
俺が説明を求める前に答える.
「じゃあ行ってみようか」
アリサは壁に吸い込まれていく.
あぁ……明日までの課題.もう絶望的だな.
続いて俺も恐る恐る入っていく.
ところで,ちゃんと地面あるんだろうな?空中に出て,真っ逆さまに落下とかないよな.
ロールバック
………….
壁を通り抜けると俺達は細い路地にいた.
後ろは建物の壁のようだが俺がいたマンションではない.
あれ?
暗くなる時間ではないはずだが,空は黒く染まっていた.
ただ,建物や路面が物体が薄暗く光っているおかげで,真っ暗ではない.
「なんか街並みに見覚えがある気がするな」
まぁ近所だし来たことがあってもおかしくない.
一方,アリサの方に目をやると「……うそ,でしょ.そんな……」
様子がおかしい.とても目の前の光景に驚いているようだった.
何も言わずにアリサは歩き出す.後ろを付いていくと,広い通りに出る.
さっきから何か違和感があったのだが,理由が分かった.誰もいないし明かりもついていない.
「間違いない」
何かを確信した様子のアリサが呟く.
「ずっと前のことだけど,図書館や学校が建て直されたの覚えてる?」
「あぁ,そんなこともあったな」子供の頃に工事してるの見た覚えがある.
「それがどうしたんだ?」
「立て直される前の図書館がある」
アリサが見ている方向を見ると,確かになんとなく覚えている形の建物があった.
よく見ればこの街は俺達が住んでいる街そのものだ.
ただ,図書館以外にもいくつか見覚えのある,今は無いはずの建物がある.
アリサが地図を見ている.さっきとは黒く塗りつぶされている場所が変わっている.
「やっぱりこの地図,私たちの街の地図だったんだ」
「この街はいったいなんなんだ?過去にタイムスリップしたとか言うんじゃないだろうな」
そういう小説を読んだことがある.
「フィクションと現実を一緒にするとかありえない.あたしも考えはしたけれど,もっと現実的な解釈が可能でしょ」
「現実的な解釈?この街はいったい何なんだ?」
「たぶんバックアップ.もしくはスナップショットか」
「バックアップ?」なにそれ,といった風に聞く.
「万が一,街が復旧不可能なダメージを受けたとするでしょ,
そういうときバックアップを読み込み,データを撒き戻すの」
あらゆるものが保存されているという都市伝説は聞いたことがある.
テロ対策のためとも聞いたことがあるが,そんな大規模なテロなんて起こるわけ無い.
「つまり何かあったときのために,昔の状態を保存してあるってことか.ってことは……」
ここは俺とアリサが出会う前の世界ということか.
アリサとであったのは,新しい図書館が建った直後だったことを思い出していた.
「何で誰もいないんだ?」
「考えられる可能性はいくつもあるけど,街の構造物と人間は別の方法で
バックアップされているのかもね.そのほうが効率的なのかも」
人間は別のところにバックアップされているってことか.あんまり想像できないな.
「ここで考えていても仕方ないし,あなたの部屋に行きましょ」
地図を見ながら言うので確認すると,やはり俺の部屋は別の黒い領域に面しているようだった.
街を通り抜けて俺のマンションに行く.
その間,やはり誰もいなかった.自分たち以外に動いているものは一切無い.
すぐに部屋に着く.
俺の部屋だった.子供の頃の俺の部屋.
「この部屋見て,いつごろか分かる?」
「よく分からないけど,アリサに出会う直前くらいな気がする」
新しい図書館ももうすぐ建つのだろうか.
「それじゃ,次ね」
そして,同じようにして壁を通り抜ける.
もっと昔の街に出るかと思ったが,そうではなかった.
今度は空は明るい.
通りに出る.
図書館や学校が見えるが,これは立てかえられた後の新しい建物だ.
「もとの場所に戻ったのか?」
「違う」
確かに,また誰もいない.
記憶どおりの街並み.つい最近のバックアップなのだろう.
「確かめたいことがある」
周りを見ていたアリサが,急に歩き出した.
図書館に着いた.アリサは着くなりカウンターや壁に意味も無く設置されている時計を確認して回っている.
壁沿いにフロアを半周くらいしたところで,Uターンし,小走りに戻ってくる.
「このニュース見て!」
表示されているニュースを読む.なんてことは無い,良くある街で起こったことを伝えるニュースだ.
「あれ?……日付が変?」
タイムスタンプを確認すると数日後になっていた.
「この世界は私たちがいる時間より少し未来のバックアップってこと」
「未来のバックアップがあるわけないだろ」
『これから起きること』がバックアップに存在するのはおかしいだろ.
俺と話しながらもアリサは過去の新聞を調べている.
「いくつかの可能性を考えられるけど……」
いくつかの可能性がある……これはアリサの口から良く聞く言葉だ.
この後にアリサは一番可能性の高いと思われる結論をに向けて話しだす.
「1週間前にあった通信障害って覚えてる?」
「あ,あぁ……結構大騒ぎになってたな」すぐに復旧したが,学校も休校になったし,今も原因は調査中.
アリサが『あたしがやった』とか言い出すんじゃないかと不安になった.
「どのアーカイブにも載っていない」
「え?ニュースで何度も見たぞ」あれだけ騒がれていて記録されていないなんてことは考えられない.
「そう,記録されないなんて考えられない.つまり通信障害なんて無かったってこと」
「あのニュース,嘘だったのか!?」
「そんなこと言って無いでしょ?たしかに通信障害は起きてた」
言っていることが矛盾しているぞ.何が言いたいんだ.
「分かりやすく言えば,今いる『この世界』では通信障害はおきなかった.
そしてこの世界は,私たちがいた世界と少しだけ違った歴史を辿っってる」
全く分かりやすくないが,つまり俺たちがいた世界と並行して別の歴史をたどっている
世界が存在して,そっちの世界のバックアップということか.
「つまり,パラレルワールドみたいなものか……」
さっきタイムとラベルは可能性が低いようなことを言っていたが,パラレルワールドだって
同じくらいフィクションだろう.
「パラレルワールドと解釈することもできるけど,世界が並行して存在してると考えるのは少し非現実的ね」
意味が分からない.分かりやすく説明して欲しい..
「バックアップは何のためにあるって言ったっけ?」
「万が一のときに復旧するためだろ」さっきのアリサの言葉だ.
「もし,バックアップが必要な事態になったとしたら?
あたしたちがいた世界がロールバック――バックアップから再構成――され,やり直している最中だったら?」
言いたいことが分かってきた.
「ということは,この世界の未来で何か問題が起きたからやり直してて,やり直す前と少し違うことがおきているってことか?」
「そう考えるのが普通」
なんだよそれ…….知らない間に,全部やり直されていたということか?
失敗したらやり直すという,なんだか都合の良い仕組みがとても気持ちが悪いと感じる.
しかも俺たちが知らない間にそれが行われているなんて余計にだ.
「やり直す前の,この街は?ここにいた人たちはどうなったんだ?」
あまり聞きたくないことだけど,アリサに聞いてみた.
「ロールバックするために,きっと消されてしまったんでしょうね」
「気になるのは,ロールバックの原因になった理由」
「そんなの分からないだろ.未来のことなんだし」
「ここに来る前の昔のあなたの部屋にあった時計見た?どうせ見てないだろうけど1ナノ秒の誤差も無く日付が変わる瞬間だった.
きっとバックアップはそのタイミングで取ることになってる.でも,このバックアップは昼間の中途半端な時間」
「おまえが何が言いたいのかさっぱり分からない.分かりやすく説明してくれ」
「このバックアップは,何らかの予定外の出来事が起きたときに取ったものだろうってこと」
「つまり,この世界にヒントがあるってことか」
「絶対じゃないけど,その可能性は高いと思う」
選択
なんだ……これは.
俺たちは,とりあえず……ということで,俺のマンションの前まで来た.
とくに何も考えずに来たのだが,異様な光景を目撃してしまった.
俺のマンションの一角.正確に言うなら俺の部屋があるべき場所の周辺が,
破壊されていた.
周囲には厚みの無い平面が砕けて浮かんでいる.
黙ったまま二人で立ち尽くす.
最初に動いたのはアリサだった.
アリサは浮かんでいる欠片に手を伸ばす……が,手に触れることはなく素通りした.
これも当たり判定とかいうやつなのか?
「…………」アリサは何かを考えているのか黙って目の前に浮かんだ欠片を見つめている.
「これ……いったいどうなっているんだよ」
本当にいったいどうなっているんだ.わけが分からない.
アリサが深刻そうな顔をしているせいで余計に不安が掻き立てられる.
「空間が破壊されてる.これはバックアップだから今の状態で止まっているけど,
このまま放置してればたぶんシステム全体の障害へと発展する可能性がある.
小さなエラーなら自動修復されるけど,ここまで大きくなると修復できないのかもしれない」
「なんでそんなことが分かるんだ」
アリサは本を俺のほうに向けて話す.
「この本には世界の仕組みが書いてあったから,だいたい想像できる.
もちろん確実では無いけれど……実際にバックアップからロールバック――撒き戻してやり直しているのは
確かだし無関係とは思えない」
アリサの説明を聞いてもぴんとこない.気になることことはいくつかあるが,
とても気になっている箇所がある.
「なんで俺の部屋なんだ?」
「可能性はいくつかある.あんたは何か心当たりない?」
「そんなものあるわけ無いだろ」
「じゃあ,これが原因の可能性が高い」といって持っている本を見せてきた.
まぁ,なんとなく想像はしていたけど,やっぱりそれしかないか.
俺のような平凡な学生を中心に未知の現象がいきなり起こるとは考えにくい.
だとしたら,この怪しげな本が関係していると考えてしまうのは不自然ではないだろう.
その後,街を一回りしたが,他におかしな点は見つからなかった.
「なぁ,もう戻らないか?バックアップなんかいくら調べても仕方ないし」
正直,こんな不気味な街には居たくない.
「なんでそんな楽観的なわけ!?信じられない」アリサが強い口調で言う.
怒っているように見える.
「本当にこの本が原因なんだったら,また同じようにロールバックされてしまうかもしれないの分かってる?」
「あたしの感だけれど,もう何度もロールバックしてやり直されているんだと思う.
10回かもしれないし,100回かもしれない.もしかしたら,もう何億回同じことを繰り返しているのかもしれない」
感でそんなこと言われてもなぁ.だいたい今更なにが出来るんだ.
「まず時間を撒き戻すことは阻止しないといけない」
「どうやって?」
「あたしに考えられる選択肢は2つ」
「一つは,この空間が破壊される前に問題を取り除く」
「もう一つは,今回は諦めて,あなたと私が図書館で出会わないようにこのバックアップに細工を施す」
そうすれば,本を見つけることも無いということか.
「あたしが……こんな本を……」アリサが何か言ったが聞こえなかった.
「何か言ったか?」
「私は,未来を見たい」いつもと違う口調で,静かにそう言った.
「せめて,ロールバックされた原因を調べないと.あんたはここで待ってて」
「俺もい…」「待ってて」俺も行く,と言おうとしたが,とめられた.
そのままアリサは俺の部屋だった場所に近づいていく.
アリサが見えなくなる.
アリサの声だ.「絶対こないで!ここは……」
そこで途切れる.
「おい.今なんて言ったんだ?」
通信エラーだろうか.
ウインドウには接続失敗を意味するエラーメッセージが出ている.
緊急コールをする.後で手続きが面倒だがこの際仕方ない.
だめだつながらない.
部屋に戻る.確かに,ここは本来俺たちがいた場所だ.
何も無い部屋の壁に窓がある.
アリサに連絡しようとするが,同じエラーメッセージが出るばかりだ.
他の連絡先を確認すると全員『OFF LINE』の表示になっている.
オフラインってどういうことだ?
まずはアリサを探さないとだ.この状況は俺にはどうにもできない.
本を持ってこの部屋にいること自体が引き金になりかねないと思った俺は,場所を移動する.
もう破壊されている俺のマンションの前にいる.アリサはどこに行ってしまったんだろう.
もうどれだけ時間がたったろうか.
絶望しているところにアリサが戻ってきた.
「どこ行ってたんだよまったく」
「街に誰もいないんだ.連絡も付かない」
元の世界に戻ろうとしたが,壁を通り抜けることが出来なかった.
「…………」
「私の部屋に行く通路を,さっき作っておいた」
「そんな便利な抜け道作ってあるなら最初から言えよ」
アリサの部屋.
壁には俺の部屋につながっている窓がある.
開かない.
俺の部屋へ急ぐ.
それは,さっきまで見ていた光景とそっくりだった.マンションの一角が破壊されている.
「……手遅れだったみたいね」
そして――「ロールバックが始まった」
「ここはもう危ない」というアリサの言葉に従い,バックアップに移動する.
「もう終りね.……結局こうなるなんて」
アリサはこの世の終わりを見たかのような顔をしている.まぁ,終わりを見たんだが.
「俺達どうなるんだ?」
「正直言って,わかんない.こちら側にいたおかげで消されなかったみたいだけど,長くは持たないと思う」
「あと出来そうなことは,図書館で私たちが出会わないようにするしかない」
こんなときでも,出来ることを考え続けるところがアリサらしいが,もっとマシな方法があるだろ.
「本を消してしまうってのはできないのか?」
「何度もやったの!何度もやってみたけど倉庫に入ることもできなかったの!」
泣いている.
俺も何か考えないと.焦ってはいけない.
確かにアリサと出会わなければこんなことにならなかったのかもしれないが,それって俺たちの関係が
変わってしまうか,下手をしたら他人同士になってしまうってことだろ?
腐れ縁が切れるのは結構なことだが,経験した過去を消し去るなんていいはずが無いんだ.絶対にだ.
「ちょっと何かを変えるだけでも未来は変わるかもしれないだろ.バタフライ効果……っていうんだっけ?」
「あんたと図書館で出会っていれば,あたしは絶対いつかこの本を見つける.そしてあんたの部屋に持っていく.断言できる」
なんでそんなこと断言できるのかわからないがアリサが言うとそんな気がしてしまう.
アリサの目からは大粒の涙がこぼれ続けている.
少しだけアリサと昔の話をした.
「今から通信プログラムにワームを入れる.
あたしたちが図書館で出会うはずだった日,急な通信障害が起きて図書館は閉館.あたしも,あんたも,図書館には行かない……」
静かに話すアリサは,もう泣いていない.
アリサの前の大きなウインドウが開かれ,色々なものが目にも止まらぬ速さで流れていく.
その光景をみながら,まだ俺は考えていた.本当に他に方法は無いのか?
何か良いアイディアが出てくるとは思っていなかったが,アリサが何もしゃべらないので,他にやることがない.
それに……どうしてもアリサとの思い出を諦めたくなかった.
「これでよし.セキュリティーは全部掌握した.止まってるシステムが相手だと楽ね.あとは細工をするだけ」
「さっきの街の様子を見た感じだと,バックアップのロードが始まるまでまだ時間がけっこうあるし,
まったりやるとしますか」
アリサは手際よく作業を進める.
俺はといえば,やはり何か別の方法が無いか必死に考えていた.
「ん……って……あれ?」
アリサが目を見開いて,流れる文字を凝視している.どうしたんだ?
「先客がいた」あり得ないものを見たような顔をしている.
「通信プログラムに,あたしがやろうと思っていたことと,同じ細工がされている」
「このコードを書いたのはあたし.断言できる」
前に,コードから書いた人間の色々な思考が読み取れるといってたもんな.
自分の書いたものなら間違いなくわかるんだろう.
アリサはもう分かっているんだろうが,何も言わない.そして俺もわかったので言葉に出して確認する.
「もしかして,『前回の俺たち』も同じことをしたということか?」
「『前回』かどうかは分からないけど,それしか考えられない」
このバックアップを見た「俺たち」は,俺たちが最初ではなかったってことか,
一瞬だけ,もしかしたら別の世界から来た俺やアリサとニアミスしてたんじゃないかな……という考えをもったが
別にタイムとラベルしたわけじゃないのだからありえないことだった.今見ている世界が止まっているんだ.
……疑問が沸く.
「なんで『今回の俺たち』はここにいるんだ?俺たちは図書館で出会わないはずなんだろ?」
「いまコードを解析してる.何かミスったのかもしれない.
やることは単純だけど,誰にも見つからないようにもともとのシステムに自然に組み込まなければいけないし,
それに試してみることもできない一発勝負で動かすというのはとても難しいの」
誰にも見つからないか……確かに通信インフラは一番監視が厳しいが
「アリサなら見つかるようなヘマはしないだろう」楽観的に言う.
「それにしても気合が入ってるな……『前回のあたし』はよっぽど用心深くワームを仕込んだようね.
時間が止まっていなければあたし自身でも見つけることが出来ないと思う.
まー複雑にしすぎて,結局上手く動かなかったんじゃ意味無いし,何やってんだか」
少し自嘲気味に言う.
もう,俺達が再び出会うことは期待しないほうが良いと悟った俺は別のことを考えていた.
「ずっと先の,たとえば大人になった俺達にメッセージを残すことって可能か?」
「数日間見つからないようにするのとはわけが違うけど,本気でやれば永久に発見されないワームを……あ……あぁ」
アリサがまた何かに気づいたらしい.でもスクリーンではなく俺のほうを見ている.
「そうか……あの通信障害はあたしたちだったんだ!」
「あたしが本を見つける頃にあわせてタイマーをセットしたんだ.だとすれば……これは,メッセージ?」
いくつかのファイルが組み込まれていたようだ.
READMEと書かれたファイルを開く.
そこには,アリサが持ってきた本でこのバックアップを見つけたこと,
そして少なくとも数百回やりなおしをした形跡を見つけたこと,
やはり修復はできずにロールバックが始まってしまったこと,
時間が迫っているためこのメッセージしか残せないこと,
そして,アリサが本を見つける前に通信障害を起こすことが予告されていた.
ここまでは俺が書いた文章だ.
この後に,通信障害についてこと細かく書かれているが,読むのはアリサに任せよう.
俺が読むのを諦めたのを察したアリサは,ファイルを2つこちらに渡す.
「はい.これ『あんた』から『あんた』宛てのと『あたし』から『あんた』宛てのやつ」
「お…おう」
「私は見ないから」
スクランブルを解いてから,一応,アリサには見えないように開く.
まず,自分から送られたメッセージ.
恥ずかしいからここには,書かないが,まぁ,もう分かりきっていることが書かれていた.
アリサからのメッセージはやたら短い.
『おかげで希望が見えた.ありがと』と書かれていた.
アリサも,自分宛にらしきメッセージを読み終わったところだった.
まさかとは思うが『前回の俺』は血迷ったこと書いてないだろうな.
「結論から言えば,ロールバックされることはない」
「でも街が消えていくところを見たばかりじゃないか」
「あれはただ消えただけ.やり直されることは無い」
よくわからない.
「ついさっきまで,私達の世界は2つ存在していた」
「あんたが想像したとおり,パラレルワールドがあったわけ」
「あの通信障害の日,世界は2つに分岐した,ただし,2つの世界には一つだけ違いがある.
片方には私達が存在して,もう片方には存在しない……」
このあと,アリサの説明を聞いたが,つまりアリサが本を見つける少し前に,
俺達の世界と同じものがもう一つ作られ,同時に時を刻んでいたということだ.
ただ,同じ世界を作るときに,俺達二人以外を複製するように設定されていた.
そういうわけだ.
世界を複製した上で,同時に動かすなんて大掛かりな『魔法』もあったものだ.
アリサ曰く,2つ動かせば必然的に時間の速度が遅くなるはずだととか言っていた.
時間の進みが遅くなったなんて俺はまったく気づかなかったけどな.
「」
「ところで,このメッセージに気づかなかったらどうなってた?」
「あたしが本を見つけた世界は消滅し,通信障害を境にあたし達がいなくなった世界が残る.
二人が消滅するだけで無限ループから抜けられるなら安いものだと思う」
「……そうか」
「行きましょ」
アリサが作った通路を通る.今隣にいるアリサはこの通路の存在をさっき知ったばかりらしい.
戻ってきた.正確に言えば少し違うのだけど,戻ってきたという感じがする.
街に人がいる.
「なんだ?」
「おかしなエリアを参照してたせいでエラーが報告されたみたいね」
「早く本を閉じなさい.一緒に消されるわ」
物騒なこと言っているくせに,本人はまだ本を閉じるそぶりを見せていない.
「早く!」
本を閉じる.
アリサの方を見る.
アリサが本を閉じると,その瞬間,本は消えてしまった.
「ちょうど1ミリ……いや1.5ミリ秒ね」
何が?
「図書館にあんたを呼び出してからの時間」そう言った.
結果
俺は1週間の間行方不明という扱いになっていた.
事情を説明するわけにもいかないので,手続きが色々と面倒だった.
俺は真面目に学校にも行っていたし,この街で過ごした記憶があるのに
変な感じだ.
画工にはなんて報告すればいいんだろうなぁ.
一方,引き篭もりで音信不通になることが日常茶飯事のアリサは特に問題にもならずに,
完全に元の生活に戻っていた.
まぁ,あれだ.無事に退屈で非生産的な俺の日常に戻ることができて本当によかった.
なんて,部屋でくつろぎながら思っていたのだが――
恐ろしい事に気がついてしまった.
いや,さっきまでもあったのだが,気づかないふりをして,全力で意識しないようにしていたのだ.
そして,その壁の異物に対して叫ばずにはいられなかった.
「なんで窓がまだあるんだよ!」
この世界で俺達は本を手に入れていない.
そして,本も消失し,俺たちも魔法は覚えていないはずなのに,
俺の部屋の壁になぜかアリサが魔法で作った窓があった.
「まさか,あいつ懲りずに本を……」
もう,二度とあんなことになるのは避けたいというのに.
アリサが窓から乗り出し,
「さてこれは何でしょう?」
……そこには,呪文が書かれていた.
「あらゆる手段で複製を試みたといったでしょ.完全な意味で複製できないものなんて無い.
まぁ複製も完全にはできなかったけど」
「まぁ,大丈夫だって」大丈夫な気がしない.
「だいたい,私がミスするなんて考えられないし,アレはあんたが不完全なコードを書いたせいで
起きた事故だと思い至ったわけ」
ただ,オリジナルの本に手をださず,自分で理解した物だけを使うことにしたようだ.
理解した内容に限っては本を手放しても忘れないってことなのかもな.
本当のところはアリサに聞けば分かるのかもしれないが,この件にはもう関わりたくない.
そう,『魔法』って俺が言ったら,アリサは,よく考えもしないで
現象に勝手な名前をつけて理解した気になるのはやめるようにと怒られてしまった.
確かにアリサは一度も魔法とは呼んでなかったな.
「ねぇ.####……」あぁ,そういやそんな名前だったな,俺って.
こいつは人の名前をちゃんと呼ぶことが無いので忘れるところだった.
「……ありがとね」アリサが俺に意味の分からない礼を言う.
なぜか頬が少し赤いような気がする.
「気持ち悪いな」こんなアリサは気持ち悪いが,悪い気はしなかった.
「『今回』のあんたに言ったわけじゃない」
1ミリ秒の魔法_α版
まだ書いている途中でしたが,手が止まってしまったので一旦公開という感じで.いつもそんな感じです.
推敲中ですが,このまま何もしないかもしれません.
やり遂げる前に,別の事に興味が移ってしまうという悪いパターン.
いつもそうです.
もっと上手く文章を書けるようになりたいです.
どうやったら日本語上手くなるんでしょうか.
居眠りをしてしまって,とても長い夢を見ていた気がするのに,時計を見ると数分しかたっていない,という経験ありますよね?
現在はせわしない時代ですが,さらにもっともっと時間がとても速く進む世界はどんなだろう?と思って書きました.
とはいっても,時間の流れの速さは物語に関係ありません.そして人物も二人しか出てこないです.酷いですね.
まだ頭の中にしか無い続編ではちゃんと他のヒトも出てきます.でも書けるかどうか分かりません.