『テート美術館 YBA&BEYOND』展レビュー

 聞こえが悪いことを承知で記せば、ヤング・ブリティッシュ・アート(略称、「YBA」)が活躍した頃の英国は①歴史的事実がものをいうジャーナリズムと、②個人的な表現欲がランデブーを果たした非常に《よき時代》だったのだと素直に思う。
 サッチャー政権が「英国病」を克服するために取り組んだ政策により突如、国内市場に齎された自由競争の原理。そのせいで第二次産業からの大転換に着手せざるを得なくなった地方都市のあちこちで生まれたのは生活しようにも働き口がなく、糊口をしのぐ貧困の日々。どこで決まったかも知れない富裕層の開発事業によって住んでいた家からも簡単に追い出される。今まで当たり前だと思っていた暮らしが激変し、砂のように風に吹かれて飛んでいく。その事実をありのままに伝えれば、負の側面が強すぎる劇薬に対する有力な批判となり、世間の耳目を集めることができた。
 その選択に、しかしながら彼らが「え、これアート?」と思える捻りを加えたのは、不安定な社会の実相を肌で感じて、従来のやり方では目の前で起こる歴史の衝撃を表現できないと直観したから。権威に均された文法で、地鳴りのように鳴り響く社会の声を掬い上げることはできない。してはならない。
 《もの》に宿る本質的な美しさで芸術を語るのがミニマリズムなら、彼らにとっての《もの》はスタイリッシュな凶器だ。
 そのコンセプトはいつでも手に入る日用品、普段なら見向きもしないガラクタを使ってこそ際立つ。俗悪っぽい見た目で社会や文化、あるいは人間を再構築し、すかすかの隙間から透かし見えるクリティカルな次元で都合のいい《日常》を生きる鑑賞者の頭をぶん殴る。その痛み。衝撃。珍妙奇天烈な表現っぷりを「なにこれ〜?」って笑えていた自分に覚える恥と、無知と、いい加減な立ち位置に閉ざされるmouthが一堂に会する。そんな現実をこそ彼らは欲した。
 議論はそこから始まる。話題は話題を呼ぶ。
 使える物を「どう」使うかで露わになるセンスは知的な反逆をwickedにし、アート業界に大きな風穴を開けた。音楽にファッションと他分野との交流も活発になった。必然、横断的なマーケティングが可能となり、新たなカルチャーの潮流が生まれる。
 アカデミックに鍛えられた身体を持つYBAが卑俗に身を置く様に酔いしれるのはkidsだけに止まらない。例えばジェレミー・デラーの《世界の歴史》のようにイギリス経済を音楽的に紐解く手法は、学究的な観点で眺めても刺激的な味を感じさせる。あるいはジュリアン・オピーのようなポップでキャッチーな表現も、情報学の視点で鑑賞すると機械のような冷たさでこちらを見つめる作り手の意識に気付け、その眼差しで化けの皮が剥がされる己の感性の、消費文化に慣らされすっかり痩せ細った現状を知って震え慄く。はたまた彼らの収めた成功も直ちに歴史の一頁となったことを思えば、その姿を社会学の手法で解剖し、以下の言葉を添えて白日の元に晒すことだってできるだろう。
「《彼ら》を使って金儲けに成功したあなたたちと、《彼ら》を生んだ社会。そこにどんな違いがあるというのでしょうか。」
 アートとデザインの融合が果たされ、それを用いた経済活動が当たり前になった現代に受け継がれた遺産はYBAという結節点を前にして再び評価される。個人的に興味があるのはその中身で、彼らの「カッコよさ」を礼賛するだけに止まるものなのか。それとも、芸術分野における倫理の側面も射程に入れた「表現」に肉薄するものになるのか。生の作品を鑑賞してひしひしと感じたのはやはり時代の熱。その時にしかできないもの全部でやってのけたという意志。
 ただ真似をするだけじゃ彼らの足元にも及ばない。生きて、生きて、生きてこそ生まれる表現の欲望を燃やし尽くさないと。でなければ、はなから太刀打ちなんてできやしない。


 テート美術館が収蔵するYBAの作品群。そのコレクションが約100点も来日した『テート美術館 YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート』は六本木にある国立新美術館にて開催中である。会期は5月11日まで。伝えるべき事実と表現したいことの完全なる癒着、その凄みに多くの人が打ちのめされることを望む。

『テート美術館 YBA&BEYOND』展レビュー

『テート美術館 YBA&BEYOND』展レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-28

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