百合の君(98)

百合の君(98)

 ちょうど真向かいに浅く差した日の光が眩しかった。影になった男達が駆け寄って来るのに危険を感じ、守隆(まもる)は思わず刀に手をかけた。
「わらひたちは、戦いに来たのではありまふぇん」
 物凄い体臭がした。手庇をして見ると、その垢のたまった顔といい擦り切れた着物といい、話しかけて来たのは乞食(こじき)に違いなかった。乞食は親し気に笑って見せた。
「わらひたちは、平和の使者でふ」
 聞き取りにくいが、話し方は落ち着いている。相手にすべきかどうか一瞬考え、その乞食が百姓たちの代表のような立場にいるのを察し、返事をすることにした。
花村清道(はなむらきよみち)みたいなものか?」
 しかし、その名前に乞食は過剰な反応を示した。
「全然違いまふ、あいつは絵を出海(いずみ)に売って、人々を騙し戦場に駆り出した大悪人でふ、あんな者と一緒にされたくありまふぇん」
 唾と一緒に臭い息が飛んできて、守隆は思わず袖で顔を覆った。
「しかしこの度は我らの依頼を断った。ひとりで山の絵を描いているそうではないか」
「それが偽善だというのでふ」
 その断定的な口調に思わずついたため息を、守隆はかざしたままの袖で隠した。なぜ大同小異の主張を振りかざし、現実に対して連携して対抗しようとしないのだろう。このような者達が、現実に対処しようとしている我々に抗議したところで、むしろ多数の民は我々をより信用するだけだということに、気付かないのだろうか。
「わらひ自身、清道の絵に騙された者の一人なのでふ」
 乞食が剥き出した口は、ほとんどの歯が欠けていた。
「わらひは十三の頃、先代の浪親(なみちか)様の呼びかけに応じて、出海の兵となりまひた。侵略者から国を守ろうという出海様の訴えが心に響いたからでふ。ひかひ、出海様は残酷だった。まだ子供のわらひを最前線に送り込み、捕虜となったわらひはあらゆる拷問を受けまひた」
 乞食は口から垂れる涎を拭った。まだしゃべりそうな様子に、守隆は気が滅入った。もしその乞食が城を囲む百姓たちの首領でなかったら、とっくに「その臭い口を閉じろ」と命じていただろう。
「わらひは、その後浪親様の奥方、百合の君とお話をひたこともありまふ。あの時、君がお勧めくだはったにもかかわらず、なぜわらひは浪親様に文を差し上げなかったのか。それが悔やまれてなりまふぇん。あの時、浪親様にわらひの体験を話ひていれば、あの後に続く戦も、ふべて止められたかもひれないのでふ。
 だから私は御子の珊瑚(さんご)様、ほひて真津太(まづだ)の民を守るためにも、二度と出海が戦を起こふことのないよう、こうひて訴えに参ったのでふ。私は平和から出海への使者なのでふ」
 百姓達は激しく頷いた。守隆は、先代にずっと付き従っていた並作(へいさく)という男を思い出した。百姓上りで、純朴な人だった。よく一緒に遊んでくれたし、決して悪い男ではないが、父と一緒に討ち死にした。
 あの人は父にだまされたのかもしれない。ふと浮かんだその考えを、守隆は恐れた。内心の動揺とは全く別に、その表情と口調は武士の威厳を保っていた。
「しかしもう喜林(きばやし)の使者は斬ってしまった。出海がどうしようと、間もなく喜林の方から軍を送ってくるだろう」
「ひかひわらひたちはもう兵にはなりまふぇん。兵がいなければ戦にはならないでひょう」
「戦にはならんが、お前達の田畑はすべて奪われるぞ」
「わらひにはそんな物はありまふぇん」
 確かに乞食にはないだろうが、ここに集まっている百姓達にはあるはずだ。
「ほれに、喜林が欲ひいのは田畑ではなくこの城でひょう。わらひたちには殿はまが誰になろうが、関係のないことでふ。そんな事に命を使いたくはありまふぇん、喜林が欲ひいと言うのなら、くれてやればいいのでふ」
 太陽は昇りきったが、その光は冷たかった。よく見ると乞食の着古した着物から、綿がはみ出ている。元は綿の入った着物が着られるような身分だったのだ。守隆は、戦に負けた後の自分や珊瑚を見るような気がした。
「侍にはそうはいかぬ。私は、動かねばお前らを斬らねばならん」
「喜林に斬られるのもあなた方に斬られるのも、同じことでふ。例え殺されても私達は動きまふぇん」
 そうだそうだ、モモトリさんの言う通りだという声を聞いて守隆は耳を疑った。
「モモトリ? 喜林にいる百鳥望(ももとりのぞむ)公の縁者か?」
「あんな、結局刀を握って出世したような奴、親だとも思いまふぇん」
 急に太陽が暖かく感じられた。守隆は父の形見のお守りを握りしめた。

百合の君(98)

百合の君(98)

あらすじ:使者の首を斬っておきながら、踏ん切りのつかない出海家。軍議の翌朝、守隆は城を囲む百姓達に気が付きました。 なお、ここで登場する乞食、百鳥園は(5)で初登場して以来、たびたびスポットライトを浴びたり、他の人物の口からその名が出てきたりしています。(5)(20)(22)・・・とその軌跡を追ってみるのも面白いかもしれません。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-28

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