アルモア8-10
【第八話】
【第八話】
彼女は自嘲気味に笑って息を漏らした。その演技がかった所作は、図星を突かれたから──ように視えた。
「この旅の本当の目的は……《死への衝動》と刺し違えること……ですか?」
レイへの贖罪として。
世界への懺悔として。
彼女は──死のうとしている?
私は恐る恐る言葉を繋げていった。その気持ちへ他人が触れることの危険性を、誰よりも知っていたからだ。
だけど訊かないままではいられない。
「考えてみれば……。デペイズマンの〝本体〟なんて……。悪魔なんて……。倒せるはずが無いですよね……? どうにかするためには、もしかして、君の命を代償にする必要がある……とか……?」
十坂の笑い声が部屋に響き、私は驚いた。
「流石は〝いいんちょー〟。物分かりがいいじゃねぇか」
彼女は口角を上げたまま振り返ると、私の隣に座り直した。そして、がしがしと頭を乱暴に撫でられる。
「ほらほら、褒めてやる」
「ちょっ、止めて下さい!」
彼女は態度を切り替えた。過去を背負うような雰囲気から一転、いつものふざけた感じになる。
私は混乱しながら、彼女の手を振り払おうとする。だが引き剥がそうとしても力負けして、大きな手に金髪を乱され続けた。
「何ですか急に! ず、図星を突かれたから誤魔化そうとしてます!?」
「いーや、別にぃ? あんたのこと弄って遊んでるだけ」
「何で今……っ」
ばたばたと二人で暴れていると、部屋を占めていたシリアスな空気が弛緩していくのが分かった。
「ブロワーの言いてぇことが分かったようだな。──でも、そりゃあ間違いだ。あたしには奥の手がある」
十坂は近くに放り投げられていたエナメルバッグを引き寄せると、中身をごそごそとあさりだした。
「……これだ」と取り出したのは一冊の古めかしい本だった。表紙には魔法陣のような模様が描かれており、錆びた金具のプロテクターが四隅を覆っている。
そして古本屋の安っぽいシールが貼られていた。『300\』と書いてある。
「魔導書。今年の春に神保町で見つけて買ったものだ」
私は怪訝な目でじっと観察した。
「……魔導書? こういうの、本当にあるんですね……。まぁ悪魔がいるわけですし、今さらか……」
本物の魔導書なら、何故値段が三百円ぽっちなのだろう?
十坂はばらばらとめくりながら、得意気な様子で続けた。中身がチラッと視えたが、知らない言語であるため読むことはできなかった
「《死への衝動》が門から出てきたら──。まずは変身して空を飛び、やつを押し返す。そんでこの《トロンプ・ルイユ》を使って《生への欲望》に呼びかける。門をもう一度作ってくれ──ってな。代償として、あたしは魔力を差し出す。魔法はもう使えなくなっちまうが、門を閉めるためには仕方ねぇ。後のことは後で考える。……な? この方法なら、あたしが死ぬ必要はねぇんだ」
「……なる、ほど……?」
何となくは理解ができた。
アニメや漫画からの知識だが、魔導書は悪魔を召喚するためのものだ。それを用いれば、呼びかけることができるのだろう。
門をもう一度作ってもらう、というアイデアは目から鱗だった。確かに、言われてみれば当然である。倒せないなら、また同じやり方で封じてしまえばいい。
だが門を閉めるにあたって、敵が向こう側にいなければ意味がない。だから押し返すために、こうしてわざわざ北海道まで向かっている──というわけか。
「今すぐ魔導書を使うことはできないのですね?」
「そりゃあ門が閉まってんだからな。レイの持ってた〈王冠〉でも無けりゃ、向こうの世界と繋がれねぇ」
彼女がわざわざ過去を語った理由も分かってきた。
ブロワーは、本当の目的がどうだのレイが死んでいるだのと悪魔らしく語り、揺さぶりをかけてきた。狙いは十坂ではなく、恐らく私だ。十坂がきちんと説明しなかったら、二人の間に溝が出来てしまっただろう。だから十坂は過去を明るみにした。その上でブロワーの指摘を否定することで、私からの信用を得たわけだ。
狡猾な悪魔と、それとずっと対峙してきた魔法少女。互いの立ち回りに挟まれて、私は翻弄されたのである。
勿論、ただ過去を聞いて欲しいという気持ちもあったのだろうが。
「あたしの本当の目的なんて──無い。何故なら、死ぬ必要がねぇからだ。変身して押し返し、魔導書で呼びかけて、もう一度門を作ってもらう。そんだけだ」
十坂はそう言い切って、ブロワーがやってくる前までの勢いを取り戻した。「なんか甘いもん食いてぇー」とぼやきながら、魔導書をバッグへ仕舞っていく。
……良かった。
と、私はこっそり胸を撫で下ろす。ブロワーが来て、十坂の様子がおかしくなり、一時はどうなることかと思った。彼女の過去を聞いているときは、その結論が最悪なものへと向かってしまうのか気が気でなかった。
しかし結局は、死ぬつもりはないと分かり、解決方法まで教えてくれた。
すべてて元通りだ。今日は余計な心配をせずに眠れることだろう。
……本当に?
心の奥にいる私がそう問いかけてきた。
……彼女はまた、嘘をついていないか?
……本当に、死ぬつもりは無いのか?
湧き上がる疑念を振り払い、冷蔵庫からコーラを引っ張り出す十坂をじっと見つめる。
「……んだよ。口移しでもして欲しいのか?」
いつものようにニヤニヤと下品に笑う彼女からは、まさか死にたがっているだなんて想像できない。
考えすぎだろう。
彼女の語った倒し方もちゃんと納得できる。確かに死ぬ必要はない。特に違和感は無いはずだ。
……本当に……?
*
八月十二日の火曜日。本体の出現まであと一日を切り、私たちの旅も終わりが見えてきた。翌日には北海道に悪魔が現れる──なんて、未だに冗談のようである。
盛岡から函館までは新幹線で直行できるが、十坂がそれを嫌がった。何でも、彼女はフェリーに興味があるらしい。乗ったことが無いそうだ。
というわけで行先は新青森駅となった。そこから歩いて四十分ほどで津軽海峡のフェリーターミナルに行ける。
つくづく、この旅は行き当たりばったりだ。函館を目指すというざっくりとした目的と、三日間という時間。そんな猶予のなか、十坂はできるだけだらだらと進んで到着を先送りにしている。
まるで、夕方のチャイムが鳴り終わるその瞬間まで友達と公園にいたがるような──。
昨晩抱いた疑念が私のなかで膨らんでいく。
死ぬつもりは無い、とは本当なのだろうか?
彼女にとって旅の終わりとは、ただ決着をつけること以上の意味を持つのではないか。だからこそ、のらりくらりと到着を遅らせているのでは?
だがまぁ、邪推の域を出ていない。何か確証があるわけではないのである。
私は探るようにじっと彼女の顔を見た。
新幹線はやぶさ十七号の座席に深く腰掛けながら、十坂は私の視線に対して怪訝そうに眉をひそめる。喧嘩を売られたヤンキーのように。
「……んだよ」
「いえ、別に」
「あたしに見惚れてんのか? いつでもまたキスしてやるよ」
くいっ、と顎を指でつままれる。
だが私はもうそれくらいでは動じず、「いえ、結構です」と冷静に頭を逃がした。
ふん、と面白く無さそうに鼻を鳴らして、彼女は窓の外へ目をやった。まだ朝の白さを残した日差しが、その綺麗な鼻筋を明るくしている。一日だけお世話になった盛岡の景色が、次々に後方へと流れていった。
空いた彼女の左手が、そのまま私の脚へと降りてきた。そのまま勝手に太ももを撫でられ始める。私は溜息をついて、誰かに見られてないかと周囲を見回した。車内は混雑しているが、幸い私たちを気に留めている者はいなさそうだった。
その長い指が脚の付け根辺りを歩くので、ぺしっと羽虫のように叩いた。彼女が「ちぇっ」と子供っぽく舌を打つ。
「〝いいんちょー〟を堕とすのも面白ぇが、〝ばんちょー〟を堕とすのもまた愉快だなぁ」
「まだ堕とすだのなんだの言っているのですか。本当にふしだらな……」
子供に手を焼く母親のように、私は額を抑えて小さく首を振った。
すると十坂が目を細めてじっと見つめてきた。
「……その喋り方もわざとなんだよな? なぁ、番長モードで喋ってみろよ」
「嫌です」
そっぽを向くと、十坂はぶーぶーと不満気に肩を揺さぶってきた。
「えー、別にいいだろー。あのいいんちょーが口悪ぃの正直ウケるんだよ」
「ほーら馬鹿にする気満々じゃないですか。あれは黒歴史なのです。いざというとき以外はできるだけ封印します」
「けちがよー。どうせ、なんかの真似なんだろ」
「まぁ……そうですけど」少し恥ずかしくなって頬を掻いた。「父親の持っていた昔の漫画を……小さいときに読んで。番長って、カッコいいなーと……。あ、いや、そのときは! そのときはって話ですからね!」
勝手に自白して勝手に慌てる私を見て、十坂が苦笑する。
「単純な奴……」
「失礼な!」
と形式的に怒ってみるも、自分が単純なのは百も承知なので虚しくなるばかりであった。
「あんたってホント……影響受けやすい性格だね。漫画読んで番長っぽく振る舞うし、あたしからアドバイスを貰ってそれをモットーにするし。……あれだろ? タピオカとかマリトッツォとかに一瞬だけハマるタイプだろ?」
「いや別に元々好きだったのになんか急にテレビとかで取り上げられて流行っちゃって困ったなって感じでしたね」
「早口怖っ。分かりやす~……」
十坂が呆れる。
いたたまれなくなった私は、ペットボトルの水をぐいっと飲んで誤魔化した。
「漫画を元にしたんならよ、まさか喧嘩したあとの決め台詞とかもあった感じか?」
「ありありありありありません」
「だから分かりやすいって」
恐ろしいくらいに噛んでしまった。何でこんなに誤魔化すのが下手なのだ、私は! 生来の愚直な性格と、善い人間であろうと意識し続けた積み重ねが、嘘をつくことを許してくれない。
やはり十坂の性悪さを吸収しなくては……。反省である。
「決め台詞かぁ」いいネタを見つけたとばかりに、十坂がくくくと意地悪そうに笑う。「どんなのにしてたんだ?」
「絶対に言いませんからね」
「いやめっちゃ気になるから。マジで教えて、マジで!」
「嫌です。どうせ、教えたらしばらく馬鹿にするつもりでしょう? 絶対に、嫌です!」
「……ほぉん」十坂が顎を上げて、何かを企むように目を細めた。そこに嗜虐心がギラリと瞬く。「なら、いつもの手を使うしかねぇな」
「いつもの手って……? はっ!」
彼女のやろうとしていることに気がつき、私は咄嗟に両手で顔を隠した。
その手首を掴まれて、ぎぎぎ……と無理矢理開けられていく。
「──教えて欲しいきゅるっ。おにーさんっ!」
「止めて下さいーっ!」
首から上だけアルモアになった十坂が、にっこり微笑みかけてくる。
「あ、アルモアさんの頼みだろうと……言いませんから!」
「一緒に戦った仲じゃないきゅるかぁー。教えてくれたら、それ次の戦闘で言ってあげるきゅる。デペイズマンを倒したとき、決めポーズと一緒に」
「マジすか????」
私の考えた決め台詞を、アルモアが言ってくれるだって!?
そんなのオタクとしては夢すぎる状況である。とんでもないファンサだ。めちゃくちゃ嬉しい。
揺れ動く私の胸中を見透かしたように、アルモアの顔がどんどん肉薄してくる。あどけない顔と大きな瞳が心をくすぐって、訳が分からなくなる。
「──だから教えろっつってんだよ」
と、十坂の顔に突然戻った。
「ひぃっ!? 急に戻らないで下さい!! ……十坂さんには絶対言いません!」
すぐにまたアルモアとなった。ウルフカットがばさりとツインテールに変化する。
「聞きたいきゅるなぁ、おにーさんのカッコイイ決め台詞っ」
「ほ、ほんとに……?」
「さっさと教えろや!」
「嫌ですっ!」
「教えてきゅるぅ」
「でも、あの……」
「いい加減吐いちまえ!」
「断固拒否します!」
「言っちゃえきゅる!」
「い、言っちゃおうかな……」
「ダラダラすんな早くしろ!」
「う、ぐ、ぐ、ぐ、……! ──ぐぎぎぎぃぃーーーっ!」
十坂とアルモアの高速切り替えにとうとう脳がやられて、私は金髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら叫んだ。
「やめろやボケェ! 頭おかしくなんだろうがァ!」
「お、ばんちょーの口調出てきた。あっはははははは!」
十坂がお腹を抑えてけらけらと笑いだした。何とも愉快そうな反応に、私は怒る気力も湧かずにがっくりと虚脱した。
あと三十分ほどで新青森駅に着くというところで、私はふと思いついてこう話しかけた。
「甘いものでも食べますか?」
「は……?」
十坂が仰天し、水でもかけられたかのような顔つきとなる。
「え、なんですかその表情。私そんな変なこと言いました?」
「甘いものを、食べるかだって……? やれ野菜を食えだ朝ごはんを食えだ十時には寝ろだ小うるさいあんたが……?」
「別にいいじゃないですか。間食が悪だとは一言も言っていませんよ。十坂さんの食生活があまりに乱れていたから、少々指摘しただけです。……例の硬いアイスでも食べないのかと、ふと思っただけです」
説明していると、何だか妙に照れ臭くなってきた。そんなに驚かれるほど普段の私は厳しくしているだろうか? いや、彼女のリアクションがオーバーすぎるだけだ。
昨晩に十坂の過去話を聞き、一人暮らしの貧乏生活を垣間見た。彼女は同情して欲しくないと言っていたが、何も思わない方が無理な話である。きっと小さな我慢を日々積み重ねてきたのだろう。私が何となしにコンビニで買うアイスさえ、彼女には贅沢品なのだ。
だから、まぁ、奢ってあげたくなるのも仕方ない。
「駅に着いてからでもいいですが。もうすぐですし」
「いーや食べよう。今食べるし、駅着いてからも食べる」
「それは食べすぎだから駄目です」
私は苦笑しながら、スマホですぐにアイスを注文した。折角なので自分も食べようと思い、チョコレートとバニラを頼んだ。
「ん~~~~~~! やっぱ美味ぇな」
まだ溶けていないのにガリガリと噛みついて、砕くように食べていく。そんな十坂を見て、動物園で氷を与えられた熊を思い出した。もうちょっと人間らしく味わって欲しい。
「くそ、やっぱり硬ェな。……はぁーってやったら溶けっかな? はぁー……! はぁー……!」
早く食べた過ぎて吐息を浴びせ始めている。もうマナーとか下品とか以前の問題である。
「あ、そうだ。脚で挟んで温めるか」
内ももでぎゅっと挟んで溶かしながら食べていた。素足が冷たくて仕方ないはずなのに、食欲が優先されたようだ。
私はリュックを足の上に乗せて、彼女の蛮行を周囲の目から隠した。
やれやれ、と溜息をついた口へ、
「はい、あーん」
「えっ──むぐっ!」
勝手にスプーンが突っ込まれる。彼女の体温で溶かしたアイスは、確かにほどよく柔らかかった。チョコの甘さが舌の上に広がっていく。
「……美味ぇよな」
「えぇ。甘いです」
「あとでそっちも一口寄越せよ」
「それが狙いですか」
しししっと笑い、彼女はまた大きな口を開けてアイスを飲み込むように食べる。
「あ~~~~~~最高。やっぱ食事は、甘いのとしょっぱいのだな!」
「……」
私より頭一つ背が高く、攻撃的なウルフカットで不良めいた口調を話す。中性的な美人顔は人相が悪く、初対面の人間なら緊張してしまうだろう。
そんな彼女が、隣席で少女のようにはしゃいでアイスに舌鼓を打っている。リアクションが大袈裟なのは、やはり普段は食べられないからだろうか。
彼女を見つめていると、不意に頬が緩んだ。
慌てて口端をキュッと結ぶ。
……待て待て待て。
まさか、今……。十坂のことを可愛いと思いかけたのか……?
アルモアじゃあるまいし、そんな訳ない。
うむ、そんな訳がない。ないのである。
「ないのである……。ないのである……」
「なぁにぶつぶつ言ってんだよ」
「いえ別に!」
私は邪な考えを振り払おうと、ぶんぶんと強く首を振った。
まずい。これでは彼女の言う「堕とす」もあながち冗談では無くなってきてしまう。十坂のやるありきたりな色仕掛けは全く心動かされないが、不意に覗く純朴さみたいなのには……弱いのだ。
私、結構キモいな。
──と、ズボンのポケットのなかでスマホが震えた。
確認すると、例のライングループで小泉が騒いでいた。
『ねぇ五宮! どういうこと!? なんで君がアルモアと一緒に戦ってるの!?』
そんなメッセージと共に送られてきたのは、やはり昨日の戦闘を撮ったSNSの動画のリンク。
開いてみると、ちょうどアルモアがやられた振りをして私にもたれかかるシーンだった。背後ではごうごうと火が燃えて、なかなか様になっている。大好きだった特撮のクライマックスに参加できたように思えて心が躍った。
『偶然です。お気になさらず』と返信する。小泉からは間を置いて、『……絶対に口を割らせてやる。』と返ってきた。
そして斎藤からは『で、美少女クラスメイトの旅はどうなんだ。昨晩もお楽しみかい?』とメッセージが来た。これは無視することにした。
動画を見た高揚感のまま、彼女に話しかける。
「……あの、十坂さん」
「ふぁんだ?」
スプーンを咥えたまま彼女が振り返る。
「絶対に無いようにしますが……。もしも万が一、また私が人質に取られるようなことがあったら……そのときは全力で戦って下さい。というか、私も共に戦います。戦力として数えて下さい!」
十坂は少しだけ眉を上げて、そっとアイスのカップへとスプーンを戻した。
「私は元番長です。デペイズマンをぶん殴ることができますし、オタクだからあなたに合わせることもできます」
元番長だから、オタクだから、なんて自分から言うのはこっぱずかしい。だが一番伝わりやすい表現だった。
彼女は呆気に取られたように目をぱちくりと瞬かせた。
「……それは……」
顔を伏せ、一瞬だけ考える素振りを見せる。何かを期待するようにほんのりと顔が赤らんでいた。
しかし、
「……駄目だ」と十坂は首を振った。「昨日のは特例だ。あぶねーから、最初から近くにいんな」
「……分かりました。すみません、変な提案をして」
彼女のトラウマを知っているので、私は大人しく引き下がった。内心でがっくりと肩を落とす。戦力として必要とされたなら、どんなに素敵だろうか……と思ったのだ。でもやはり、自分勝手だったか。
昨日あれだけちゃんと戦ったというのに認めてくれないのは、「やっぱり無理」──だからであろうか。家族が襲われることを危惧して絶縁したように、私のことも戦闘から──というより自分から遠ざけたいのだろう。
それは少なからず親しく思われているという意味であるため、嬉しい部分もある。だが同時に分厚い壁も感じる。近づこうとするほどに線引きが明瞭になっていく。その線が──ぐちゃぐちゃであることが分かっていく。
彼女の言動はずっと矛盾している。
私を求めるようで、求めていない。私を受け容れるようで、拒絶してくる。
それは魔法少女としての冷たい決意と、少女としての普遍的な欲望の、葛藤──。
よりも何か、もっと深い理由があるような気がしていた。
彼女が矛盾する原因が──何か。
「食べねぇなら貰っていいか?」
と訊きつつも、十坂は既に私のアイスを手に持って開けるところだった。目に余る卑しさに、私は片頬を引き攣らせる。
まったく手を付けていないが、「……どうぞお好きに」と献上した。味よりも、それを食べた彼女の可愛い反応がまた気になってしまったからである。
*
非常事態に気が付いたのは青森フェリーターミナルに到着したときのことだった。
乗ろうとしているのは十四時二十分青森発の船。値段は、学割が効いて三四七〇円。二人で合計六九四〇円也。
出航まであと四十分。チケットを買っておこうと思い、二階にある待合室のベンチに腰かけてリュックを開いた。「はい、失礼ー」十坂がいつも通りの無礼さで隣から腕を突っ込んでくる。がさこそとしばらく漁っていた。
私は慣れっことばかりに溜息をついて、探すのを任せた。顔を上げれば、大きな窓の向こうに停泊中のフェリーが見える。イルカのイラストの描かれた巨大な船であった。
子供が望遠鏡にしがみついてがたがたと揺らしている。硬貨を入れて覗けば、遠くの北海道が、そして上空に浮かんだ額縁が、視えるのだろうか。
「……あれ。封筒がねぇな」
と、十坂が呟いた。
最初は「まさか。よく探して下さい」と軽くあしらった。だがリュックのなかを引っかき回す彼女の顔が段々と険しくなり、今度は一つ一つ中身を取り出していったのを見て、私も流石に焦り始める。一緒になって中身をベンチの上に陳列していき、空っぽになったリュックをひっくり返した。
何度揺すってみてもゴミ一つ落ちてこない。
「……やっぱりねぇな」
「──無いですね」
二人で顔を見合わせる。ぱちぱちと何度か瞬きをしてから、互いに血の気が引いていくのが分かった。
「──そっちのバッグ! そ、そっちのバッグじゃないですか」
「お、おう。確かに、こっちに紛れてるかもしれねぇな、うん」
十坂がぎこちない動きで自身のエナメルバッグのなかを探し始める。私はズボンのポケットなんかを裏返してみたが、やはり何も出てこない。
「……駄目だ。こっちにもねぇわ」
魔法のステッキすらその辺に転がして、彼女はエナメルバッグを空にしたままぶら下げていた。
その顔が深刻な焦燥を帯び始める。伝播するように、私も落ち着かなくなってきた。心臓が少しだけ浮遊しているかのような落ち着かない気分になる。
脳内でリフレインするのは姿を消した金額。交通費、宿泊費、食費、被服費、もろもろ引いても残り約十万円。十万円、十万円、十万円……。高校生には大金だ。それに私たちはこれから、世界を救うために北海道まで行って、一泊して、早朝には最終決戦を始めなくてはならない。絶対にあの十万円が必要なのだ。
しかし、どこにも見当たらない。
「ど……こかに置いてきたんでしょうか?」
「あ! ひ、昼飯食ったとこは? 電話してみろよ!」
新青森駅からここに歩いていくるまでに、蕎麦屋で簡単に昼食を済ませた。そこでだいぶゆっくりしていたし、落としたり置いてきたりした可能性がある。
あるいは、盗まれたりした可能性も……。
最悪の想像に私はゾッとしながら、蕎麦屋を調べて電話をかけた。大金が入っていることは伏せつつ封筒の落とし物は無いかと訊いたが、見当たらないと言われた。お礼を言いながら、もしそれらしいものが今後見つかったら連絡して欲しいと電話番号を伝える。
「……そもそも、あの店で封筒は出してねぇよな」
十坂の指摘通り、蕎麦屋では私の財布から払った。封筒からの補充はしていない。リュックの底で眠ったままのはずだ。
一応、財布を開いてみる。封筒はおろか一枚のお札すら残っておらず、小銭入れに五十円玉だけが複数枚入っていた。万札でどかっと払うタイミングが多かったので、細かいお釣りが溜まっている。
「最後に封筒を見たのは?」
「そうですね……」目を閉じて記憶を探る。こういうときに限って、頭の中の映像はすぐに霧散しようとするので困る。「……新幹線のなかでも見てないですね。当然、出す必要が無いので。だから最後は……ホテル出るとき……ですかね」
すぐにホテルへ電話をして、落とし物の確認をした。「少々お待ちください」と言われて、保留状態となる。私は腕を組み、しきりに指を打ってしまう。失くしたのは自分自身なのだから、苛立つのはお門違いだ。
次のフェリーには恐らく乗れない。もしホテルで見つかれば、新幹線でホテルへ取りに戻って、とんぼ返りして、駅からはバスを使ってターミナルまで来れば、夜の十時半に発つ今日の最終便には間に合うかもしれない。
いや待て。ホテルへの新幹線代はどうする? だって、ATMからはもう私の全財産を降ろしてしまった。引きだすことはできない。財布に残った五十円玉数枚で何とかなることはない。
「……誠に申し訳ございません。特にそういったものはございませんでした。引き続き私どもの方でも探しますので、もし見つかればこの電話番号に折り返しお電話させていただきます」
「…………はい。すみません、お願いします。お手数をおかけしました」
ピ、と通話は終了した。
私は意気消沈した。
──これで完全に見失ってしまったわけだ。頭を抱えてベンチに座り込んでしまう。……どうして、もっと丁寧に扱わなかったのだろう。否、扱っていたはずだ。あの価値は稼いだ本人である私が一番よく分かっている。細心の注意を払っていた。……では、これは事故か? ならば防ぐために、もっと出来たことがあったかもしれない。
後悔先に立たず。ただの知識にすぎなかった諺が、私の胸へ質量を持って沈みこんでくる。
親に連絡するしか無いだろう。多大な迷惑を承知で、迎えに来てもらう他ない。
すると、この旅はどうなる? 北海道へ行かなければあの悪魔を押し返すことはできない。今日中に函館へと渡るには、親を呼んでひたすらに祈りながら待つ……以外無いように思えた。
「…………本当にごめんなさい、十坂さん。まさか、失くすなんて……。大変な失態です」
ベンチで項垂れる私へ、横に立った十坂が右手に持ったリュックを差し出してくる。私がホテルと電話している間に、中身を戻しておいてくれたらしい。
私がそれを受け取ると、
「──ここまでに、しとくか」
彼女は、ぼそりとそう言った。
「……え?」
ありえない台詞が聞こえたような気がして、私は思わず顔を上げた。
十坂は気遣うような微笑みを浮かべていた。それは彼女らしくない表情であった。
「ここまでにしとこうぜ。金がねぇんなら……北海道には行けねーだろ。あたしはほら、変身したら飛べるけど」
「え……。いや、でも……」
私は呆気に取られながら、無意識に右手で胸ポケットを抑えた。ブロマイドに書かれた言葉を思い出す。
──『ついてきて』。
それは彼女のお願いだ。直接言うのが照れ臭く、故に本心に近い気持ちだ。
だから私は着いてきたというのに。
「ここで解散すんのが……。まぁ、妥当だろ。お前は東京に戻れ」
そんなことを彼女から提案されてしまうとは。
自分を不甲斐なく感じて、私はまた俯いてしまう。彼女の諦めたような顔を見ているのも気まずかった。
「……いえ、後から追いますよ。なんとか最終便には間に合うようにします。東京駅から青森まで、新幹線で直行すれば三時間くらいです。親に急いでもらえば、多分──」
先程までとは別種の焦りに襲われて、思いついたままに口を動かした。面と向かって言えない時点で、あまり意味のある提案ではなかった。
遠くからお金を持ってきてもらって、その場で借りて、自分はそのままクラスメイトと北海道へ──なんて身勝手だ。
「あ、そうだ! 親に口座へ振り込んでもらえばいいんですよ! そしたらここで引き出して、チケットが買えます! 次のフェリーにも間に合うかもしれません!」
「……失くした封筒はどうすんだ、探しに行かねーのか」
「この際もういいです、諦めます。……待っててください、いま親に電話するので──」
「五宮」
名前を呼ばれて、ハッと動きを止める。
彼女は宥めるようにゆっくりと首を振った。
「…………無理すんな。ここまでにしとこう。あんたは引き返して、封筒を探せよ。大事な金だろ」
「でも、十坂さんも、お金が必要ですよね……」
「だから変身して飛ぶって。夏だから、一晩外で過ごすのも平気だろ」
私の頭のなかにイメージが瞬いた。
彼女が魔法少女の姿となり、私に背を向けて飛び立ってしまう──。
そのまま遠く行ってしまい、二度と帰らないような予感がした。
私は彼女を引き留めようと、むきになってしまう。
「一日目に、酔うから長く飛ぶのは無理って言いましたよね……」
十坂は苦笑した。
「多分、もう酔わないと思うわ。今日さ、すこぶる身体の調子がいーんだよ。新幹線でアイス食っても吐かなかったしな」
彼女は見せつけるように身体をぐぐっと伸ばした。
「多分、いいもん食って、いっぱい寝たからだと思う。やっぱりあんたの言う通り、ずっと不健康だったんだなあたしは。こんな簡単に回復するなんて知らなかったぜ。生活リズム舐めてたわ」
「それは……良かったです」
私は頬を微かに熱くした。自分のおせっかいが功を奏して嬉しくなる半面、彼女に翼を与えてしまったことを後悔する。
いや、後悔ってなんだ。魔法少女が健康になったら喜ぶ以外無いだろう。
十坂が私の傍から離れてしまうことを、この旅を終えることを、駄々を捏ねるみたいに嫌がっているだけだ。
しかし、これは自分のミスが引き起こした事態だ。十坂を引き留めるのも自分のエゴだ。ならば彼女の言う通り、ここで離脱するのが正しい判断なのか……?
「昨日さ、久々にぐっすり寝れたんだよね。……あんたに色々喋ったからかもな。だから、なんつーか……」
十坂の声が小さくなっていく。もじもじと膝を擦り合わせる。スカートの前で揃えた両手は、しきりに指を組みかえていた。
彼女らしくない緊張した仕草。私よりも高身長なのに、今だけは小さく縮んでいくような雰囲気があった。
私は、次に来る言葉を予感しながら──聞きたくない、と強く思った。
「……──ありがと」
長い睫毛を伏せながら、恥ずかしそうに呟いた。柄に合わないストレートな感謝の言葉は、彼女がもう心の中で解散を決めていることの表れであった。
聞きたくなかった。
こんな道の半ばでは、まだ聞きたくなかった。
旅の終わりで──聞きたかったのに。
【第九話】
すぐに「分かった、ここで帰るよ」なんて言えるはずもなく、私は俯いたまましばし黙った。何とも未練がましい行為である。一昨日は「早く帰してくれ」と頼んですらいたのに、自分は一体どうしてしまったのか。もう堕とされてしまったのか?
視界の先で──青林檎が床の上をころころと転がってきた。
コツ、と私のかかとに当たる。
「……ん?」
ひょいと拾い上げる。エメラルドの光沢を持った綺麗な皮であった。片手よりも一回り小さいサイズで、楕円のかたちが手のひらに馴染む。
誰かが落としたのだろうか。なんて考えて、私は周囲を見回した。
すると──。
「うわああああっ!」
エスカレーターの方から叫び声が上がった。今まさに上ろうとしていた中年の男性が、慌てた様子で逃げていく。何事かと思って見つめていると、何か小さな動物の群れが迫ってくるような音が徐々に大きくなって──大量の青林檎が降り注いできた。
段差で弾みながら、ばらばら、と落下してくる。上の階で出荷予定の段ボールをひっくり返したのだろうか? しかし、それにしては数が多すぎる。階下はあっという間にボールプールのような光景となり、スタッフや観光客がじりじりと距離を取っていた。
「……! おい五宮、それ!」
十坂が私の持つ青林檎を指した。見ると、その皮の中央に──一つの眼が現れていた。ぱち、と瞬きをして私を見上げている。「ひっ──」生理的な嫌悪感が一気に腕を走り抜け、反射的に投げ捨ててしまった。
待合室の床が青林檎に侵食されていく。周囲の者たちはできるだけ触れないよう背伸びするみたいに立っていた。異常事態であることを段々と察して、その動揺が広がっていく。
フェリーターミナルに、大量の青林檎。
あるはずのないものがそこにあること。
そう、まさしくこれは──。
「「デペイズマン!」」
私たちは顔を見合わせてそう言った。
青林檎の転がってきた先を辿るべく、三階へと向かった。階段は青林檎がごろごろと転がって大変危険であり、一応は食べ物なので踏むことも躊躇った。眼が生える時点でそんな認識は捨てるべきなのだろうが。
青林檎の動きを見て、その発生源へと遡っていく。するとフェリーとターミナルを繋ぐボーディングブリッジへと続くゲートの向こうから次々に転がってきているのが分かった。
ゲート前に到着すると、十坂が目を閉じて耳を澄ませた。本当にデペイズマンが向こうに現れたのか確認しているのだろう。
フェリーの方からは騒ぎ声が聞こえている。特に子供の声が甲高く目立っていた。
「……ガキの声が沢山聞こえんな」
「口が悪い!」
小声でたしなめると、十坂は気にせずニッと笑った。
「つまり、またもやバズるチャンスってことだ。──今行くぜ!」
言うや否や、瞬きの間に十坂は姿を変えていた。いつものロリィタファッションがふわりと現れる。彼女の頭身が私の頭上から肩辺りへと大きく縮むので、一瞬消えたのかと錯覚した。
「あ、アルモアさん……っ!」
待ってました、とばかりに私は両手を合わせて眼を輝かせた。我ながら乙女である。
周囲からも「アルモアだ!」「わ、本物?」「すげぇいつの間に?」「きたきたきた!」と高揚の声が上がった。ピコン、と早くも録画を開始する者までいた。青林檎の大量発生で満ちていた不穏な雰囲気が、たちまち一転する。彼女の登場により、緊張感はそれまでのフリにすぎなかったのだと、誰もが胸を撫で下ろした。
「皆、こんにちはきゅるー! 私が来たからもう大丈夫きゅるっ。すぐに倒してきゅるからね!」
燦々とした笑顔を振りまきながら、あっちのカメラへ前屈みに、そっちの子供にしゃがみ込み、手を振って振って振っていた。その所作は板につきすぎていて、感服するばかりだった。
デペイズマンが出現したのは、恐らくフェリー内部。その複雑で入り組んだ構造や狭い通路は戦いにくいだろう。そして、まだ避難してきていない人たちのことを考えなくてはいけない。今回は大変な戦闘になりそうだ。
「じゃ、言ってくるきゅる」
歩き出したアルモアを、「え、あの」とうっかり止めてしまう。その背中へ自然と手を伸びた。だが指先はリボンをすり抜けて、空を切った。まるでホログラムのように触ることが出来なかった。
「……?」
不思議そうに指先を見つめる私に、アルモアがきょとんと振り向く。
「……きゅる?」
私も行きます、と言いかけて慌てて口をつぐんだ。
──あぶねーから、最初から近くにいんな。
──ここまでに、しとくか。
彼女の言葉がリフレインする。どちらも今日言われたばかりだった。それを無視して着いていきたいと頼むなんて、幼稚にも程がある。
「……頑張って下さい」
「頑張るきゅる!」
ぱぁっと満面の笑顔を浮かべてから、もう一度ギャラリー全体へ手を振って、彼女は駆け出していった。ツインテールやフリルの裾をなびかせながら、青と白の改札ゲートを飛び越え、颯爽と走っていく。
置いていかれた私は、大きなリボンの揺れる背中をいじけるような気持ちで見つめた。すぐに角へと差し掛かり、魔法少女は戦場に消えていった。
私は小さく肩を落として、閉じたままのゲートを見つめる。乗車券をかざさなければ入場することはできない。魔法少女ならまだしも、一般人の私がどさくさに紛れてフェリーに入っていったら……無賃乗車になるだろう。それはまったく、善いことではない。
だから仕方ない、と自分に言い聞かせた。
私はゲートの傍らで仁王立ちをして、じっと彼女を待った。ブリッジの方からは絶えず青林檎が流れてくる。無人の通路からごろごろと転がってくるのは大変不気味であったが、見慣れてしまえばどうということはない。
アルモアが現れたことで、ターミナル内はどことなく弛緩した空気を取り戻しつつあった。数人のスタッフが箒を持ってきて、無限に生成される青林檎を掃いては集めていた。もう片付けのターンに入っている。
誰かフェリー内へ助けに行かないのか? いや、もう行ったのかも……。などと少々の苛立ちを覚えた。
一般客はといえば、ゲートの前で待っている者や、二階の待合室へ戻った者。それと青林檎を拾い上げてスタッフを手伝う者などがいた。私も手伝おうかと迷ったが、先程そこから眼が現れるのを見ているので正直触りたくない。コツンと靴に当たっても、遠慮がちにつま先で蹴っていた。
時折、ブリッジの奥から轟音が聞こえる。魔法を使う音だろう。音の感じから、何となくそれが火か雷か衝かなどを判別することができた。アルモアは魔法を使用するときによく技名を叫んでいるが、流石に遠いためかその声は聞こえない。思えば、あれは動画映えを狙ってのことなのか? それとも、魔法には詠唱が必要なのだろうか……。
私はそわそわと落ち着かないまま、十五分ほど待機していた。
何だか、とても長く感じられた。
──と、ゲート向こうから親子が走ってきた。青林檎に足を取られそうになりながら、逃げるように駆けてくる。
「消えた! 消えた!」
小学五年生くらいの野球帽を被った少年が、どこか興奮した様子でそう騒いでいた。母親の方は疲労の汗を浮かべながら、スタッフに支えられている。
消えた?
私の耳がピクリと反応する。
「……ねぇ、僕。こんにちは」
私は少年に近寄って、目線を合わせてから優しく尋ねた。彼は野球帽のツバを上げて、目を合わせてくれた。
「アルモアは、五芒星を描いてた?」言ってから、言葉が難しいことに気がつく。「あぁ、えっと……。星のようなマークを、魔法で描いてた?」
「あぁ、うん。描いてた。五芒星描いてた。凄かったわ」
少年はふんふんと鼻息荒く語った。五芒星も知っていたようだ。
誰かに話したくて仕方ない、といった感じで少年が続ける。アルモアとデペイズマンの戦闘を目の前で見ることが出来て、歓喜しているのだろう。
「なんかね、なんかね、なんか外にいたんだけど……。そこに光る線で星を描いて、でっけぇ林檎を囲ってた」
うんうん、と微笑んで頷きながら考える。外──デッキのことだろうか。多分広いから戦闘場所に選んだのだろう。そしてでっかい林檎とはデペイズマンのことか。今回は人型でないようだ。
「で、なんか、ステッキを向けたら……バーンッ! て音がした。ぶわって風も来た。 林檎にめっちゃ大きな穴が空いて、それから、なんかしんないけど透明になった!」
多分、〈示せ衝〉だ。それも必殺技を放ったわけだ。消えたというのは、つまり……〈示せ幻〉を使って透明になったというわけか。敵にトドメを刺したので、変身解除を行うために透明になったのだ。そのうち、元の姿に戻った十坂が避難客に紛れてブリッジから現れるだろう。
ありがとう、と彼にお礼を言って立ち上がる。
──戦闘は既に終わったようだ。
確かに私は要らなかったな、と自虐的に笑う。やはりアルモアは強い。昨日が特例だっただけだ。アルモアと背中を合わせたのはいい気分だったが、あれは自分のミスを埋め合わせたにすぎず、そもそも関わらなければこうしてサクッと勝てるのだ。
……ここまでにしよう、か。
私は張り詰めていたものを緩めるように息を長く吐いた。すると、この執着への諦めが湧いた。お金もお願いも消えた今、彼女の勧める通り大人しく旅から離脱するのが良いかもしれない。
もう、返事を先延ばしにして子供みたいにうじうじするのは止めよう。
彼女が戻ってきたら、ちゃんと話そう。
──私の方こそありがとう、と。
「でも、林檎がその後動き出したんだよ」
「……え?」
耳に飛び込んできた少年の声に、私は思わず声を出した。
すぐにまたしゃがんで、「ど、どういうこと? 林檎はまだ動いているの?」と彼に迫ってしまう。
少年はぎょっとして身体を反らしながらも答えてくれた。
「う……うん。穴が空いたのになんか生きてて、ごろごろ転がってった。まだ倒してないのにさ、アルモア、透明になっちゃったんだよね。なんでだろ?」
血の気が引いていく感覚を、一日で二度も味わうこととなった。
──必殺技を使った直後は、しばらく魔法が使えなくなる。身体がショートした感じになっちまうんだ。
一昨日のコインランドリーで、十坂はそう語っていた。
少年の話を信じるなら、どうやらデペイズマンを仕留めそこなっている。だがアルモアは、恐らく必殺技をもう放ってしまい、魔法をしばらく使えなくなってしまった。透明化していなくなったのが根拠だ。彼女は、変身を解いて戦闘から離脱するしかなくなったのだろう。
しかし、未だに戻って来る気配はない。敵の狙いは彼女だから、人の多いターミナルへは戻ってこないつもりか? あるいは、丸腰の状態だろうとやれることをやろうとしているのかもしれない。チャンスだの何だのと性悪そうなことを言いつつも、少女を助けるために自分を盾にしていた彼女のことだ。逃げ遅れた者たちのため、学生服姿でデペイズマンに立ち向かう──。そんなイメージを、確信めいた気持ちで浮かべることができた。
……嫌な想像が組み上がっていく。
その信憑性を認めるように、無意識に首が縦に動いた。
アルモアは失敗し、一時的に力を失った。一戦交えて体力も削れているはず。そんな状態でデペイズマンに狙われているなんて危険だ。……魔法はいつ復活するのだろう? 十坂は無事に逃げて来られるのか?
恐怖が胸の奥から込み上げてくる。
そして思わず口走った。
「だっ、誰か……、……誰か、助けに行ったほうがいいのでは……!?」
大きめの声で呟くと、周囲の人間が一斉に僕を振り向いた。ぽかんとした顔で見つめてくる。スタッフも箒を持つ手を止めていた。
おかしなことを言っている、という自覚が羞恥を疼かせる。しかし口は勝手に動いた。怪訝な目線を意識するほど舌がもつれてしまう。
「な、なんか船内に詳しい人とか……。力が強い人とか……。い、いませんか?」
近くにいた大学生くらいのグループの一人が、近寄ってきて口を開いた。
「気持ちは分かりますが、行かない方がいいですよ。あのアルモアなら大丈夫です。信じて待ちましょう」
彼は気遣うように私へ微笑みかけた。
違う。大丈夫じゃないのだ。
そう訴えようとして、私は言葉を飲み込む。彼女がピンチであることをどう説明すればいいのか、そもそも説明してもいいのか、そこまで決めずに声を発してしまったからだ。
「でも、その……遅くないですか? いつもより……」
口を突いたのはそんな言い訳だった。十夜のように頭が回らないことが口惜しい。
「いつも? まぁでも、大丈夫です。自分、彼女のファンなんですけど、アルモアは負け無しなんですよ。きっと今回も勝ちますから、落ち着いて待っていましょう」
私も最近までそう思っていた。しかし、それは間違いだと昨晩思い知ったばかりである。彼女は一度ブロワーに敗北し、大切な相棒を失っている。彼女でも負けることがある。
魔法を失った今の彼女には、助力が必要だ。
誰かが行かなければ。
……誰かが?
「しかし……。アルモアだって、完璧じゃありません。誰か戦力になれそうな人がいるなら、やっぱり助けに──……」
──違う。
誰か、ではない。
私はそう気が付いて黙った。催眠が解けて正気を取り戻すように、至極当然の答えが浮かぶ。
私だ。
私が助けるべき──なのだ。
船内に詳しいスタッフがいようと、戦力になりそうな武人がいようと、誰もアルモアが魔法を失ったことを知らない。彼女がピンチであると分からない。
私だけだ。
この三日間彼女の傍にいた私だけが、今、駆け付けることができるのだ。
「そうかもしれないですね」大学生は困った表情で頭を掻いた。「でも、邪魔になってもあれですし。警察が来るまでここで待ちましょう?」
彼はいい人間である、と思った。この非常事態に、私のような錯乱した(ように視える)人間を優しく宥めてくれるのだから。言っていることは非常に正しい。
──邪魔になってもあれですし。
そうだ、その言葉が……このシンプルな答えを遠ざけていた。私じゃない誰かが、邪魔にならない誰かが──すなわち『何者』かが、行くべきなのだと思い込んでしまった。
──ここまでに、しとくか。
嫌だ。
私は旅を続けたい。
魔法少女の力になりたい。
アルモアの──十坂の傍に、最後までいたい。
誰かではなく、私が!
勢いよく踵を返した私に、大学生が驚いた声を出す。「ちょっと!」咄嗟に肩へ手をかけてきた。私は振り返らないまま、「……ごめんなさい、ありがとうございます」と言って、その制止を無視して歩き出した。
そしてゲートの前で立ち止まる。
そうだ、私がフェリーへ入っていくのはそもそも無賃乗車なのだった。癖づいた道徳心が、こんな状況なのに足を引っ張ってくる。〝いいんちょー〟の弊害である。
「うぎぎ……」
私は顔をしかめて葛藤した。
「お、お客様……」
ゲート脇に立っていた女性スタッフが、見かねた様子で恐る恐る声をかけてきた。
腹を決めた私は、財布を取り出し、ひっくり返して中身の現金を全て取り出した。困惑するスタッフへ手渡してから、「すいません、ちょっと今はこれで!」と言い残してゲートを飛び越す。船を目指して、一目散にブリッジを駆けていく。
渡し賃は、たった六つの五十円玉だった。
*
ボーディングブリッジから船内へと飛び込んだ。ここは四階。すぐ左手には売店があり、右手にはオートショップがある。正面には中央で吹き抜けとなっているエントラスがあり、五階へと続く階段が視えた。
ずり──ずり──と、なにか大きくて平べったいものが這いずり回る音がした。耳を澄ませて発信源を辿るように歩いていく。エントラスまで歩を進めて、左を向いた。船首へと貫くような長い中央通路が続いている。左右には、カーペットの敷かれた大部屋の客室がずらりと並んでいた。
奥にある一つの部屋へ、大きな緑色の巨体が滑り込んでいくところが見えた。
私は弾かれたように駆け出した。通路には潰れた旅行鞄やスーツケースなどが転がっており、破裂した青林檎の残骸と混ざり合っていた。微かな希望を抱いて散乱する荷物へ目を走らせる。すると──お誂え向きのものがあった。走る速度は落とさずに、右手で器用に拾い上げる。それは、布製のバットケース。ジッパーを開き、抜刀するように黒い金属バットを取り出す。軽量型で取り回しやすかった。
木製なら、かつて喧嘩で使用したことがある。番長時代の血生臭くて暴力的な記憶が脳裏に蘇り、私は不快気に眉をひそめた。しかしバットが手に馴染んでいくほど、ふつふつと血が騒ぐのも事実だった。武器を一つ持つだけで、いいんちょーの皮がばりばりと破れて──凶暴な〝ばんちょー〟が顔を出す。
「おらおらおら……っ、──来たぞォッ!」
通路の最奥、左手にある一◯二号室へと辿り着く。室内を覗くと、すぐさま異様な光景が目に飛び込んできた。
巨大な青林檎が部屋の真ん中で鎮座していた。横幅は壁から壁までみっちりと占めて、高さも天井スレスレである。蛍光灯の白い光を受けて、表面が艷やかに輝いていた。
俺は思わず息を呑む。
あるはずのないものがそこにあること──。
魔法のもたらす不思議な光景は、敵ながらやはり魅力的であった。
「おい、いんのか? 十坂ァ!」
すっかり番長モードの俺は、荒い口調で呼びかける。するとすぐに、「……五宮?」と聞き慣れた声がした。だがその姿は、青林檎に阻まれて視えない。
俺は背伸びして、向こう側の状況を知ろうとした。すると、部屋の角にいる十坂と目があった。変身はやはり解けている。
彼女は俺を見るや、張り詰めた表情を少しだけ和らげた。
「……追い詰められてる、って認識でいいんだよな?」
「あぁ。こいつらの狙いはあたしだから、人のいない方を目指して逃げてた。それで、こんな場所に……」
この一◯二号室は、他の大部屋とは違って窓側通路への出入り口がない。つまり袋小路なのだった。
……否。よく見れば、船首側の壁に一つだけ扉があった。しかし十坂は、その反対の角にいる。
理由は恐らく──。
「……この子がいてね」
十坂の足元に、まだ小一くらいの少女が蹲って震えていた。親とはぐれたのだろうか。
「どうやら立てなくなったみたいだ。この子を放っておけねぇ」
「お前が違う部屋に行けば、デペイズマンもそっちに行くんじゃねーの?」
「基本はそうだ。でも、あたしの気を引く目的で近くの人間を襲うかもしれねぇ。あたしが逃げたあと、追いかけてこずにこの子を狙う可能性がある」
俺のなかのオタク知識がすぐに参照され、納得した。確かにデペイズマンはそのような行動を見せるときがあった。彼等はつくづく卑劣だ。
「……で、動けなくなってるっつーわけか」
「あぁ。この部屋に来たあたしの判断ミスだ」
「いや、そりゃあ結果論ってやつだぜ。それに、ミスったとしても……もう安心だ。なにせ、俺が来たからなァ!」
俺は見栄を切るように金属バットをかついだ。
十坂はぽかんとしてから、疲労の汗が滲む頬をフッと緩ませた。
「ノってんなぁ、〝ばんちょー〟……。気をつけろよ、こいつは果肉を無限に生成して膨らんでくる。中にある種が本体だ」
「上等だぜ……ッ!」
俺はバットを振りかぶり、しっかりと腰を入れて──ぶっ叩いた。
青林檎の表皮がひしゃげる。悲鳴のように裂け目が走る。
返り血の代わりにみずみずしい果汁を浴びながら、俺は繰り返しバットを叩き込んだ。
「近くの人間を襲うことがあんなら……俺の相手もしてくれるっつーことだよなァ!? こンの林檎野郎ォ!!」
数発打ち込めば皮が破れ、バットは果肉へ深々と突き刺さった。青林檎はびりびりとその表皮を振動させながら、俺の方へのっそりと回転を始める。砕けた傷口が、カーペットとの隙間へ隠されていく。
狙い通りターゲットが移ったのを見て、俺は叫ぶ。
「十坂ァ! その子抱えて逃げろ!」
「分かった! ……あんたはエントラスに向かって! 頭を潰す!」
頭を潰す? この青林檎のどこに頭が? なぜエントラスなんだ?
──あぁ、なるほど。
遠ざかる彼女の足音を聞きながら、俺は合点して口角を上げた。この状況で手早く伝えるなら、確かにその言い方がベストだ。
彼女から投げられた咄嗟の信頼に、俺は胸を熱くした。この状況は、まさに共闘だ。ずっと求めていた場所に、ぴたりと心が収まったようだ。
じり、じり、と後ずさる。大きい青林檎が、ダンプカーのタイヤのようにずっしりとこちらへ傾いてくる。それを睨みつけながら、俺は客室から通路へそっと出た。
「……よーし、そのままだぜ……。そのまま来い……」
大部屋の入口には左右に荷物置きの棚が設置されている。それにより、俺の肩幅二つ分くらいしか横幅がない。青林檎がこちらへ追いかけてくるには、その巨躯を一旦縮めてすり抜けなくてはならなかった。
同じくらいの背丈になった緑の怪物が、ずるんと入口から滑り出る。そして、一足先に駆け出した俺の背中を追って、そのまま中央通路を転がり始める。……子供の頃に見た映画を思い出した。古い遺跡で、丸い岩がこんな風に滑落してくるのだ。
「こっちだこっち! 早く来いやァ!」
俺は煽りながら通路を一直線に走った。青林檎は膨らむ手間も惜しんで、ごろごろと回転を速めていく。言葉なんて理解していないだろうが、その表皮には怒りの形相が浮かぶようだった。通路に散乱した荷物で跳ね上がりながら、跳躍すら勢いに変え、殺意を込めて猛追してくる。
エントラスに辿り着き、階段を左に避ける。すると吹き抜けの下に出た。本来は机や椅子が置かれてくつろげるようになっているはずだが、今は壁際に吹き飛ばされていた。きっと青林檎が一度転がったのだろう。
伽藍としたスペースが出来ている。十坂は、ここから逆算して作戦を立てたのかもしれない。
俺は立ち止まり、振り返った。ちらっと上を見てから、すぐに目線を前に戻した。
肉薄する青林檎。
どこか間抜けな光景は、しかし俺の命へ確かに指をかけている。
床から足裏へ伝播する振動が、徐々に大きくなって、ふくらはぎや膝へと這い上がる。やがて轟音が下半身を揺るがし、さらには上半身、心臓まで震わした。
「……──来い」
切り裂くような勢いで迫る敵の姿を前に、俺はただ待ち構える。それは信頼だった。短い言葉で俺を信じてくれた十坂に対して、こちらも彼女の行動を信じ返すのだ。
五メートル、四メートル、三メートル──と距離は一秒も経たずに狭まった。
「来いッ!」
そして、二メートル、一メートル──と青林檎が眼前に迫る。
今だ。
俺は背後へと飛び退いた。
同時に──鈍器で殴りつけたような音が、エントラスに響く。
顔に果汁が浴びせられる。右手で拭って薄目を開ける。大きな丸机が落下してきて、青林檎に突き刺さっていた。矢継早に、同じ丸机や椅子が上空より降り注ぐ。重力を伴った什器の雨に、林檎は圧搾されるように押し潰されていく。体液が床へ どくどくと流れて、甘い匂いを充満させていく。
頭を潰す。
それは、一昨日の体育館で──俺がランタン男にした戦い方だ。ギャラリーから平均台を落とす様子を、彼女は覚えていてくれたのだ。
瓦礫のようになった机と椅子の山。その隙間から、なにかがもぞもぞと這い出してくる。ごろりと床に転がったそれは、赤褐色の雫型をした──種であった。
こいつが本体か。
すぐに察して、俺はバットを振り上げた。
──と。
種に一つの眼が浮かび上がる。それはパチリと瞬きをして、一粒の涙を溢した。
「……!」
俺は驚いて硬直してしまう。バットを持つ手から力が抜ける。涙。感情。悲しみ。命乞い。そういった連想が頭のなかで勝手に繋がり、同情心が顔を出す。
「……あ、あぁ……!」
可哀想──。なんて気持ちにたちまち支配されてしまい、身体が動かなくなる──。
「騙されんなッ!」
頭上から十坂の喝が飛んできた。目線を向けると、五階の手すりから身を乗り出している姿があった。
「そいつらに自我はねぇ! 膨らむ時間を稼ごうとしてるだけだ! 早くやれ!」
十坂はリングの外からボクサーを鼓舞するような勢いで唾を飛ばしてきた。
その強い眼差しを受け取って、俺は唇を噛む。
そうだ。昨日の反省を思い出せ。彼女の説教を思い出せ。何を学んだのか思い出せ。
残酷になれということじゃない。土壇場で何を信じるかということだ。
それは敵の涙か? それとも──。
「──あたしを信じろッ!」
俺は逡巡を振り払い、彼女に頷いた。厳しい表情を浮かべていた十坂が、ニッと笑う。そして、やれ、とばかりに顎を動かした。
俺は両腕を振り下ろし──種を砕いた。
*
その後、少女をターミナルへと逃がしてから、十坂は船内へと戻ってきた。魔法のステッキを両手で持って、「手伝うわ」と俺の隣に並ぶ。
五芒星が引けないので、種はまだ倒せていない。破片を集めて再生しようとするので、繰り返し叩いて粉々にし続ける必要があるのだ。
「どのくらいで魔法が戻んだ?」
「分かんねー……。多分、三十分とか」
「なるほど」俺は苦笑して、額の汗を拭った。「じゃ、それまで頑張るか。……ちなみになんだが、どうしてしくじった?」
十坂は苦々しい顔で教えてくれた。
「種が本体だって、最初は気づかなかった。それに、近くに子供が何人かいた。それで焦って……仕留め損なった。クソッ!」
苛立ちをぶつけて、種の破片を蹴り飛ばす。よほど悔しかったようだ。
「……悪ぃな、結局来ちまって。邪魔だから来るなって、言われてたのに」
十坂が首を振った。
「あんたが来なけりゃやばかった。マジで焦った」
「まぁでも、警告を無視したわけだし。一応な。怒ってるかと」。
「……アルモアは、そうかもな」
十坂がちらりと俺を見た。
その頬には微かな朱色が指していた。
「でも、十坂は感謝してる。……あんがと」
いじらしい所作に、俺は思わず「はっ」と笑ってしまった。すると照れ隠しのチョップが脇腹に飛んできた。
「──じゃ、ばんちょーの持久力を見せもらおーか」
「おうよ」
俺たちは金属バットと魔法のステッキを使って、三十分ほど種を壊し続けた。酷使した筋肉が悲鳴を上げ、身体の節々に痛みが走る。だが自然と口角が上がるほど爽快な体験だった。十坂と暴力的な笑みを向け合う度に、これまでの何かが報われていくような、そんな胸のすく思いがした。
*
アルモアに変身した十坂がスタッフや警察に状況を説明したことで、安全確認はすぐに済んだ。勿論、私たち二人で倒したことは伏せた。
その後、乗客の点呼、船内の片付け、そして整備などを五時間ほどで終わらせて──フェリーは夕方になって出航した。何とも素早い復旧である。
私と十坂は二人分のチケットを購入して乗船した。
封筒が見つかったからだ。
「もっかい、よく探してみるか?」
なんて言われて、十坂と二人でリュックを再び引っくり返した。するとゴミの回収用に持ち歩いているビニール袋から──「あ、あった」と十坂が取り出した。
そんなこんなで、私たちは船内のビューシートに並んでいた。壁際にある、窓を前にして座ることのできる席だ。人気なのか周囲の席は埋まっており、誰しもデペイズマンが現れたことなど忘れたかのように談笑したりうたた寝をしたりと、思い思いの船旅を興じていた。
これこそが、護ることの出来た隣人の姿──。
そう思うと誇らしい気分である。
複層ガラスの向こうに真っ黒な海と空が広がっている。フェリーから落ちた光を反射した海面は、底知れない夜の濃度を描きながらざわざわと波立っていた。
「……見つけてやったんだから、もっと喜べよ」
十坂が私の唇を引っ張った。指でぐいっと笑顔を作らされる。だがパッと離せば、私はすぐにしょぼくれた表情に戻ってしまう。くすくすと笑う十坂。彼女の玩具にされながら、私はこの胸にしかと封筒を抱えてうじうじといじけていた。
「ビニール袋の中だったなんて……。どうして気づかなかったのでしょう……」
封筒が見つかって、まずは安堵の息をついた。だが直後に、己の情けなさに深く溜息をついた。
こんなしょうもない不注意で大騒ぎして、あわや旅が終わりかけるところだったなんて。
もう絶対に失くすものか。
「まぁまぁ、もう見つかったんだからいーだろ」十坂が慰めるようにぽんぽんと肩を叩いてきた。「それより、ホテル探そうぜ。ビジホなら滑り込めるだろ」
私は気持ちを切り替えて、彼女に続いてスマホを取り出した。このまま夜の函館で野宿──なんてことになっては大変である。
すると。
「……あの。ちょっといいですか!」
背後で幼い声がした。振り返ると、まだ小一くらいの女の子が母親と共に立っていた。
あの子だ、とすぐに分かった。私が駆けつけたとき、十坂が大部屋で庇っていた子である。
彼女は恥ずかしそうに身体をくねらせていた。なんだろう、と私と十坂が目線を送りあう。
やがて沈黙に耐えかねた母親が、「ほら、最初は自分で言いたいんでしょ」と少女の背中を押した。
「……おねえさん」
「え? は、はいっ」
がたっ、と十坂が慌てて立ち上がる。途端に伸び上がった彼女の身長に、親子ともどもぎょっとしていた。
少女は母親の手を掴みながら、緊張のなか息継ぎするように話した。
「あの、きょうは、ありがとうございました。にげてたとき、まもってくれて、ありがとうございました」
「……!」
十坂が驚いて眉を上げる。まさか、こうしてわざわざ感謝を伝えに来てくれるとは思っていなかったようだ。
「あ、えっと」と途端にテンパって落ち着かなくなる。彼女は目線を彼方へ飛ばして、「そうですか、はい。それは全然、全然です。こっちもありがとうかもしれないですし」と訳の分からないことを口走っている。
小さい子供に対してどう接したらいいのか分からず、少女以上に緊張しているようだった。
少女は目を点にして首をひねっていた。大の大人(くらいの背の人)が挙動不審になっているのを、人生で始めて見たのかも知れない。
アルモア状態のときは、ファンサも子供の扱いもお手の物であるはず。しかし変身していなければ、この有り様だ。心のスイッチが入らないのだろう。こっちが本来の彼女である。
私は苦笑して、助け船を出すことにした。
昔、幼い妹を怖がらせないように気をつけていたことを思い出す。
「……十坂さん。まずは目線を合わせた方がいいですよ。相手からしたら結構怖いです」
「め、目線?」
「そうです。ほら、屈んで下さい」
彼女が指示通りに膝を曲げた。蹲り、少女に目の高さを合わせる。
「声はゆっくりと、聞こえやすく」
「ゆ、ゆっくりと……。聞こえやすく……」
「そして挨拶です」
「こ、こんにちは~」
ぎこちなさそうに手を振る十坂。童話に出てくる、人間と仲良くしたい怪物みたいだ。なんて想像して、私は込み上げてきた笑いを噛み殺した。
「最後に、笑顔も忘れずに」手を伸ばして彼女の頬を指で持ち上げる。ニコッ、と笑みが出来上がる。先程玩具にされた意趣返しの意味もあった。
「……わ、わざわざありがとな。そう言ってもらえて、お姉さん嬉しいよ」
ちょっと浮ついた声で、優しく少女に話しかけている。
すると少女は、ようやく相好を崩した。
「まもってくれて、ありがとうございました!」
ぺこり、と頭を下げる。
見守っていた母親も、「本当に、ありがとうございました……。命の恩人です……」と泣きそうな声で頭を下げた。
「……お姉さんこそ、ありがとう」
十坂は少し湿った声で呟いた。受け取った礼が胸に染み入って目を細めている。その表情には、彼女の根源的な善が滲んでいた。
私も彼女にお礼を伝えたくなった。
しかし、ただ感謝の言葉を述べるのでは足りない。もっと具体的に、彼女が喜びそうなことは何だろう……。
私はとてもいいことを思いついた。
「あの、十坂さん。函館に着いたあとの予定ですが……」
「さっさと宿行って寝ろとか言うんだろ?」
「いいえ」私は首を振った。「──夜遊びでもしましょうか」
【第十話】
十坂を連れて函館駅付近のカラオケに飛び込んだ。
私が受付をしている間中、彼女は首を縮こませてきょろきょろと落ち着かなかった。警戒心を表すように、心なしか襟足がいつもよりトゲトゲしている。
「いや、あたしマジで初めてなんだけど……」
「緊張しているのですか?」
私はからかうようにくすりと笑った。
十坂はムッとしながら、こそっと耳打ちしてきた。
「……アレだよな? 確か、点が低いと追い出されるんだよな……?」
「どこ情報ですかそれ。ほら、行きますよ」
「ま、待て。勝手に先行くなっ」
まるでスラム街を歩くかのような面持ちの彼女を従えて、ドリンクバーコーナーへと向かう。
「じゃーん。なんとここでは、好きなジュースを好きなだけ飲んでいいんです! ……どうです? 幸せすぎて卒倒しそうですか?」
「馬鹿にしすぎだろ」げしっ、と脛を蹴られる。「ドリンクバーくらい経験済みだ。ファミレスで何回か──」
と、十坂の視点があるものに吸い寄せられていった。
彼女は息を呑み、小走りでそれに駆け寄る。
「……──そそそそそ、ソフトクリームマシン!?」
「あ、ラッキーですね。ソフトクリーム食べ放題があるタイプでしたか」
「食べ放題ィ!?」
彼女が驚愕の表情で振り返る。その眼は子供みたいにきらきらと輝いていた。
「す、好きなだけ食べていいってのか……?」
「ドリンクバーに含まれているので、大丈夫ですよ」
「普通に犯罪だろこんなん……!」
信じられない、とばかりに口を抑える。あわあわと唇が震えていた。
「ソフトクリームとか……。誕生日にちょっと、無理して食うものなのに……! それを、好きなだけ……!?」
今にもマシンへ抱き着きそうなテンションだった。
彼女のオーバーな反応を前にして、なんだかじわりと込み上げるものがあった。
「うんうん。今日は好きなだけ食べていいんですからね……!」
「おい慈愛の籠った眼で見んな! 目尻を拭うな! 気持ち悪ぃ!」
彼女は我に返ったのか、頭をがしがしと掻いて舌打ちした。そして、まるで仕方なくやってるんだとでも言いたげな態度でカップを手に取り、それでもたっぷりと器用に十巻ほど盛り付けた。
「ししし……」目の高さまで持ち上げて、ほくほく顔でソフトクリームを眺めている。「溶けちまうから先行ってるわ! 何号室?」
「二〇二です。え、飲み物はどうします?」
「コーラ!」と言い残し、走り去ろうとした彼女だったが──。
「危ない!」
「──へぶっ!?」
足をもつれさせ、スッ転んでしまった。どーんと大きな音が響いて、スタッフや受付中の客が心配そうに覗き込んだ。
不幸にも前へと倒れてしまったようだ。額が床にくっ付いている。
「……大丈夫ですか?」
頭上に掲げた両手から、ソフトクリームのそびえ立つカップを受け取る。何の意地か全くの無傷であり、雫一つこぼれていなかった。しかし、そのせいで受け身が取れなかったようだ。恐らく身体の前面を強く打っている。
「痛てて……。くそ、なんでこんなに床がべたついてんだ」
「そういうものなんです。……怪我はありませんか?」
「あぁ。問題ねぇ」
彼女は立ち上がりながら、額を抑えたり膝を払ったりしていた。見たところ外傷はないので大丈夫だろう。
私がカップを渡すと、彼女は油一杯の鍋でも抱えているかのような慎重さでそろりそろりと部屋に向かった。そんな様子を横目に、私は二人分のコーラを注いだ。
その後、十坂は何度も席を立ってドリンクバーコーナーに行っていた。ジュースは全種類飲んでやると息巻いていたし、ソフトクリームは吸い込むように食べていた。これなら、カラオケではなくスイパラにでも行けば良かった。
「おい見ろ! これなんのジュースか分かるか?」
と、コップに並々注がれた黒い液体を見せられたときは流石に脱力した。
「…………全部混ぜましたね?」
「なっ、なんで分かんだよ」
「誰しも通る道だからです。食べ物で遊ぶんじゃありません」
ちぇっ、と彼女がつまらなそうにして一気に飲み干した。「うげー」と色のついた舌を出す。
「そろそろスプーンではなくマイクを持ったらどうですか? ここはカラオケですよ、歌う場所です」
「でもなぁ。あたし、歌とか聞かねーし。いざ来てみると、なに歌えばいいのかさっぱりだわ」
行儀悪くスプーンを咥えながら、十坂はどっかりと脚を広げてソファに座っている。
「普通に時間いっぱいまであんたが入れてなよ。つか、カラオケ好きなの?」
「クラスメイトとよく行くので……。あと流行りものの歌は聞くようにしていますから」
「あんたって、やっぱミーハーだよな」
「……では、童謡なんてどうですか? 折角来たことですし、一曲だけ」
「いーよ別に」
「照れないで下さいよ。はい、じゃあこれとか──」
「照れてねぇって。……え? マジで入れたの? ちょっと、おい!」
嫌がる彼女にマイクを押し付ける。『森のくまさん』が流れ出すや否や、急にかしこまって足をぴったり閉じた。背筋も姿勢良く伸ばして、画面の歌詞を必死に追っていく。
「あ、あるーひー。もりのなかー。くまさんにー。であーったー」
彼女の低い声が室内に響く。徐々に慣れてきて声が弾んでくるのを、私は心地よい気分で聞いていた。
九十分程でカラオケを後にした。
「次はー……ラーメンでも食べに行きますか」
「来た!」と十坂がガッツポーズをする。
「いいんですか? ソフトクリームでお腹いっぱいになってません?」
「いや別腹だろ別腹! 甘いもんはノーカンなんだよ! 何杯でも食ってやるぜ」
そう啖呵を切って、ずんずんと足早にラーメン屋へと向かっていく。その背中を見て、何とも頼もしいと苦笑した。
フェリーで函館名物を調べてあった。目星をつけていた塩ラーメン屋は、駅前ということもあり大盛況である。
到着から三十分ほど並び、ようやく私たちはありつけた。
どんぶりには金色の透き通ったスープが満ちており、その上には葱や焼き豚といったトッピングが乗せられている。かまぼこや麩が珍しかった。
私がラーメンを眺めていると、早速「いただきます!」と威勢のいい声がした。待ちきれないとばかりに箸を手にした十坂が、中細の麺を持ち上げて、少し冷ましてから一気に啜る。
「~~~~~~っ! マジでうまっ!!」
と、店内に響くような声で言った。私は慌てて「しぃっ!」と人差し指を立てる。
店員や客は可笑しそうに笑い、「おう、良かったな」と声を掛けてくれた。しかし十坂は食べるのに夢中で聞いておらず、私が代わりに「どうも……」と頭を下げた。
そして私も一口啜り、成程これは叫びたくもなるな、と舌鼓を打った。
店を出たとき、時刻は既に午後十時半を回っていた。あと三十分もせずに深夜と呼ばれる時間帯となる。函館駅周辺は頭上の暗黒をものともせず、建物の装飾や行き交う人々の熱気でギラギラとしていた。
私はスマホで時刻を確認して、「そろそろ補導されてしまう時間ですね。ホテルに戻りましょうか」と呟いた。遊び足りない気もするが、そもそも到着したのが遅かったのだから仕方ない。
反抗してくるかと思いきや、十坂は「……だな」と大人しく頷いた。
驚いて彼女の顔を見ると、凄く残念そうに俯いていた。落胆を隠しきれずに唇を噛んでいる。
私の視線に気が付くと、彼女は諦めたような笑みを浮かべた。
「ま、明日は最終決戦だからな。しっかり寝て、体力つけねーと!」
「……」
その顔に切なさを覚えた私は、思わず立ち止まって葛藤した。
〝いいんちょー〟の私なら、「その通りです、良い子ですね」と頷いてすぐにホテルへ向かうだろう。
しかし、そうではない私なら……。すなわち〝ばんちょー〟の私なら──「んなもん関係ねぇ、最後なんだから遊び倒すぞ」と言うだろう。
「うぎぎ……」
「どうした? いつもの奇声が漏れてるぞ」
私は頭を抱えてぐねぐねと上半身を揺らした。胸の葛藤を物理的にシェイクしようとする。天使と悪魔よろしく、〝いいんちょー〟と〝ばんちょー〟が言い合い殴り合い争っている。
そして勝利を収めたのは。
「…………もうちょっと、遊びますか」
そう呟くと、十坂は面食らったように目を点にした。まさか私から非行の提案が出るとは思っていなかったようだ。
ニヤリ、と愉快そうに口角を上げる。
「……らしくないなぁ、〝いいんちょー〟。いいのかよ?」
「今更ですよ」
「そもそもあたしら制服だぞ。すぐバレるって」
「バレたら逃げればいいじゃないですか」
どこか投げやりに言う私に、彼女はけらけらと笑った。
「──よっしゃ、まだ遊ぶかぁ!」
十坂が意気込んで拳を合わせる。その表情がたちまち幼さを取り戻していく。最終決戦の運命に縛られた魔法少女としての顔つきではなく、年相応の無邪気さを持った少女の笑顔であった。それを傍から見つめていると、非行に走った不安や後悔がどうでもいいことのように思えた。
*
ラウンドワンの店員に見つかりしばらく追いかけっこをしてから店外へと逃走した。人混みを抜けて、裏路地をすり抜けて、もう撒いたかというところでやっと立ち止まる。
辿り着いた場所は旧桟橋。函館港へと突き出したコンクリート造りの橋で、二十メートルの長さを持つ。行き止まりには、まるで門番のように一対の街灯が立っていた。
私たちは息を切らしながら、電球色に照らされた橋面をふらふらと歩き、途中の欄干にもたれかかった。汗を流しながら制服を乱している。互いに顔を向けると、何故か大きな笑いが飛び出した。
大人が眉間に皺を寄せるようなスリルが、愉快でたまらなかった。
あぁ──私は不良へと逆戻りしてしまった。
この楽しさは、今この瞬間しか味わうことができないのだろう。なんて、俯瞰的な自分が考えていた。この年齢も、この無責任も、そして十坂と遊び倒した深夜も──きっと今しかない。だからこそ、笑えるうちに笑いたくて、わざと大きな声を上げていた。
やがて二人が口を閉じると、たちまち海の気配に包まれた。びゅうびゅうと強い風が吹き、汗を急速に乾かしていく。足元からは、ちゃぷちゃぷと水をかき混ぜるような音が断続的に聞こえていた。
旧桟橋からは函館湾が一望できる。対岸には商業施設や港の光が並び、夜の海面へカラフルに反射していた。
五稜郭のある方角へ顔を向ける。遠くの夜空に、薄っすらと巨大な額縁が浮かんでいた。現実離れした、何とも肝の冷える光景である。縁を掴む手と、縁にかけられた足が、もう間もなく出て来ようとしているのだと私たちに警告している。
スマホを確認すると、時刻は日付を越えて零時半だった。残り数時間で朝になってしまう。《死への衝動》が顕現するまでのカウントダウンは、とうに始まっていた。
「……あ、そうだ」
十坂が思い出したように言って、誘惑するみたいに身を寄せてきた。
「お礼、まだだったわ」
「え? ……あぁ」
最後にそれか、と私はげんなり肩を落とした。彼女は気にせず、正面に立って手首を掴んでくる。そのまま胸に押し当てるつもりなのだろう。
力で勝てないのは分かっているし、抵抗しようという気も起きない。私は「はいはい」と受け流すように顔を逸らして、心を無にした。
だが、一向にその感触は訪れなかった。
「……ん?」
ちらっと彼女の顔を盗み見る。
すると、顔を真っ赤にしてぷるぷると震えていた。
「お、お礼……。これは、ただのお礼……。いつものお礼……! こいつをからかうための……」
「……何を照れてるんですか」
「照れてねぇし!」
がうっ、と噛みつくように吠えてくる。
「よぉし、やるぞ。やるぞ。こんなの何ともないんだからなぁ……」
そう自分に言い聞かせながら、もう一度私の手をぐっと胸に近づける。
しかし、やはり──。
「……うぅ……」
と呻いて押し当てることはできなかった。
「──やっぱり止めだ、止め止め! ……あんたが自分から遊ぶって言い出したんだからな。お礼なんてしなくていいわ、うん」
私の手首を放り投げるように解放して、彼女は腕を組んだ。もう一度欄干に腰を預けて、つんと顔を背ける。黒い髪の隙間から、羞恥で赤く染まった耳が覗いていた。
唖然として彼女を見つめた。
一昨日は、何の恥ずかしげもなく胸を触らせていたというのに。
今では──恥ずかしくてできないだって?
どんな心境の変化だ。一体いつ、彼女は恥を覚えた?
そのような反応をされると、私も……何となく気まずくなってくる。
「……」
「……」
橋の中腹で並んだまま、しばし沈黙の帳が降りた。普段はコントのような掛け合いをしているはずの彼女に、どう接していいのか突然分からなくなる。
頬に当たる海風がやけに涼しい。
そうか、私も──恥ずかしいのか。
「…………あの、十坂さん」
「なんだ」
いつものぶっきらぼうな声が返ってくる。その態度を取り戻すための時間だったのかもしれない。
「私の勘違いだったら申し訳ないのですが……。脚、怪我してません?」
「えっ」と十坂が反射的に左脚のふくらはぎを庇った。その反応が答えだった。「……なんでだよ」
「ラウワンで遊んでるときとか、さっき逃げてくるときとか……。ちょっと挙動が変でした。もしかしたら、って思って」
スカートから伸びる彼女の脚に目をやる。そこには外傷なんてまったく視られず、綺麗な肌が続いていた。
だが──彼女は隠す術を持っている。
「〈示せ幻〉、ですか?」
「……バレたか」
罰が悪そうな顔をしながら、彼女はそっと手をかざした。するとふくらはぎの左側が、少し腫れているのが視えた。
思い出すのは、一日目の新幹線での出来事。少女を庇って腕を刺されたとき、安心させるため瞬時に怪我を消してみせていた。あれは止血したわけではなく、幻で視えなくしただけだったのだ。
「その怪我、カラオケのときですか?」
「そ。ソフトクリーム持って転んだとき。……あんときは特に何も無かったんだけど、ラウンドワンで遊んでるときからじわじわと……。ったく、間抜けな話だわ」
十坂は自嘲気味に笑った。
私は少々怒った口調になる。
「なら、我慢しないですぐに言ってくださいよ。逃げるときとか結構痛かったのでは? 怪我を知っていれば、走らせたりしなかったのに……。もっと自分を大切にして下さい!」
「……だって、足が痛いとか言って、水を差したらさ……」
十坂が目を逸らし、唇を一度結んでから、息を漏らすように小さく呟いた。
「……覚めちまうような気がして……」
私はハッとして口をつぐんだ。そして、自分が責めるような言い方をしてしまったことを後悔した。
──今にも覚めてしまうような感覚。
その切実さを想像し、胸が締め付けられる。
「……とにかく手当てをします。どこかに掴まってて下さい」
「え。い、いいって。こんなん無視しとけばそのうち治ってる」
「駄目です。悪化したらどうするのですが。……軽く処置するだけです。あとはホテルで安静にしましょう」
「……分かった」
明日の最終決戦は一体どうするのか。とは、お互い言わなかった。
私は近くの自動販売機で水を買ってきてから、十坂の正面で膝をついた。すると彼女は、大人しく左脚を差し出してくれた。
恐らく打撲だろう。歩いたり走ったりできていたことから、軽度であると思われる。
水を用いて患部を冷やす。これで痛みや炎症の緩和が期待できる。その後は、包帯で圧迫して内出血や腫れを抑えるのだ。リュックにはそのための道具が常備されているし、正しい巻き方も覚えていた。
全ては〝隣人を助ける〟ための用意である。
「痛かったらすぐに言ってください」
「うん……」
ペットボトルを当てて冷やす。歩道を行く人々が、何事かと目線を向けてきた。
「……なぁ、五宮」
ぽつり、と十坂が呟いた。
「もう一つ、謝ることがある」
「なんですか?」
私は目線を下ろしたまま答えた。顔を上げるとスカートのなかが危ないからだ。
「あー……。なんていうか、そのー……。魔が差したというか、ついやってしまったというか……」
気まずそうにも口ごもりながら、彼女は言った。
「……封筒、あたしが隠した」
「えっ」
「マジで悪い! ……ずっと、あたしが持ってた。〈示せ幻〉で透明にして、バレないように盗んだ」
ぱしっ、と頭上から手を合わせる音が聞こえる。
彼女の自白に、不思議と怒りは湧いてこなかった。どちらかというと、やっぱりか、と腑に落ちた気分である。
「何故、そんなことを?」
私の問いに、十坂は逡巡するような間を挟んでから答えた。とても小さな声だった。
「そうすれば、あんたが帰るよう仕向けられるかと……」
「……ついてきてと言ったのは、あなたなのに」
と、私は拗ねるような声を出してしまう。
「言ってねぇし」
確かに口にはしてないが、それは無理な言い草だった。あの手書きのメッセージは何よりも雄弁だろう。
「どうして私を帰したかったのですか」
「やっぱり《死への衝動》と戦うのは危ねーし、そもそもずっと帰りたがってたし……。引き返すなら、あのタイミングだったから……」
彼女は歯切れ悪く答えた。恐らく、自分自身でも感情をまとめ切れていないのだろう。
「本当に焦ったんですよ。人を騙すようなことをしてはいけません。それも、お金絡みで……。二度としないで下さいね」
「……ごめん」
十坂がすぐに謝ったので、私は矛を収めた。
その素直さに軽く驚く。私が彼女の性悪さを吸収しているように、彼女も私の愚直さを吸収しているのだろうか。
──また矛盾だ。
この旅で、十坂の言動はずっと矛盾している。
ふらふらと、どっちつかずな態度。手招きし、突き放す。こちらを見つめ、目を逸らす。大切に扱い、雑に手放す。「着いてきて」とお願いし、帰らせるよう画策する──。
親しい人間を作らないという冷たい決意と、人間としての普遍的な欲求。そんな二つの葛藤以外に──矛盾した言動を貫く〝なにか〟があるような気がする。
その〝なにか〟へと迫るためには──彼女のついた〝最も大きな嘘〟を暴くべきかもしれない。
夜が明ける前に。
最後の戦いが始まる前に。
彼女の口から、真実を──。
包帯を巻き終わり、靴を履かせて、立ち上がる。私は十坂の隣へ戻り、真似するように欄干へもたれかかった。
「ありがと」
そう呟いて、こちらを向く彼女。
私たちは少しだけ会話した。夜空を見上げながら、嘘つきな人間ほど魔法少女に向いているのだという彼女の言い訳に笑った。
「明日、すべての蹴りをつける」
「……応援しています」
そして、互いに口を閉じた。しばしの沈黙が降りる。
今しかない。
私はかすかに緊張し、こっそりと息を吸い込んだ。塩っぽい匂いが鼻に満ちる。
彼女へ真っすぐに目を合わせ、二人だけの秘密事を囁くように尋ねた。
「──あなたは、本当に魔法少女ですか?」
アルモア8-10