アルモア 7

【第七話】

【第七話】


「悪魔はね、許可されないとテリトリーへ入ることができないんだ」
 夏香の姿をしたナニカは興味津々といった風に室内中を歩き回っていた。服やペットボトルの匂いを嗅いだり、壁やシーツの手触りを何度も確かめたり。あるいは椅子へ座ったり立ったりを繰り返して、落ち着きのない子供のようにはしゃいでいた。
 まるで世界そのものが珍しくて仕方ない──といった挙動である。
 しかし匂いも手触りもよく分かっていないのか、つまらなそうな表情で首を傾げている。
 私たちは部屋の隅で身を寄せ合い、ナニカの挙動をじっと見ていた。十坂は魔法のステッキを向けており、汗ばんで仕方ないのか何度も握り直していた。
 黒い長髪と、夏らしい白いワンピース。
 どこからどう見ても妹だ。
 それも、死亡したあの日の姿である。
「あ、悪魔……? 夏香じゃなくて……?」
「うん。僕は君の妹じゃない。だけど利用させて貰ったよ。はじめまして、僕は《ブロワー》という名前の悪魔です」
 ぺこり、と慇懃な礼を披露する。
 その口調は、少女というよりどこか少年じみていた。
「ブロワー? じゃあ、その姿は一体なんですか……。声も……顔も……」
「僕はね、その人を死に招く存在(・・・・・・)に視えるんだ。顔も姿も声も全部ね」
「は、はぁ……?」
「なんて急に言われても困っちゃうか。……うーん。どこから話そうかなぁ」
 ブロワーとやらはデスクの上にぴょんと乗り、あぐらをかいた。腕を組んで、わざとらしくうんうん唸りだす。
 下手な芝居をするような振る舞いであった。動作から一切の感情や思考が感じ取れない。
 人間ではないものが、人間のふりをしている。そんな印象を受けた。
 よし、とブロワーはこれまた嘘っぽく膝を打つ。
「──まず、悪魔という存在について教えてあげる。悪魔とは人間を誘惑する存在。つまり、衝動なんだ。生物のあらゆる衝動や欲望が意識を持ったものが僕たちだ。ここまではいい?」
「……」
「なーんか、ぽかんとしてるなぁ! そっちの魔法少女はさ、レイから悪魔について聞いてないの?」
「……話しかけんな」
「ひどいよぉ」
 ぷくぅ、と片頬を膨らませて拗ねる夏香。
 ではなく……悪魔。
 駄目だ。見た目も声も完全に夏香であるから、騙されそうになる。
 死んだはずの妹が目の前で喋っている。
 しかもその正体は悪魔だという。
 あまりに突然な展開についていけず、私は頭痛さえ覚えた。ちらと十坂に目をやると、彼女の眼差しからは強い憎しみを感じた。
「──続けるよ? でね、そんな悪魔の一匹に《死への衝動(デストルドー)(デストルドー)》っていうのがいるんだ。名前の通り、死にたいという衝動そのものだよ。そいつは二十六年前……つまり一九九九年に、こっちの世界から呼ばれた」
「よ、呼ばれた……?」
 悪魔だの何だの荒唐無稽かもしれないが、私は特に疑うことなくブロワーの話を聞いていた。この世界には、アルモアという魔法少女やレイという魔法動物が既にいるのだ。ファンタジーな世界観は最早前提である。
 一九九九年。
 それは、魔法少女が初めて人前に現れたとされる年。
「現世から──具体的には日本から、沢山の人々が内なる声で《死への衝動(デストルドー)》を呼んだ。それに反応して、《死への衝動(デストルドー)》の内部で新しく一つの衝動が生まれた。《現世へ行きたい》という衝動だ。それがつまり、僕のこと」
 ぺこり、とまたブロワーが頭を下げる。艷やかな横髪がさらりと垂れていた。
混乱する頭でなんとか考える。
死への衝動(デストルドー)》という悪魔に生じた、《現世へ行きたい》という衝動。
それが今、夏香の姿をして目の前に現れた。
 確かに、私の抱える希死念慮は妹と共にある。間違ってはいないが、こうして他者に提示されるのは不快である。
 十坂には何が視えているのだろう。
「……あれ? 悪魔自体が衝動や欲望そのものなのに、どうしてその悪魔が衝動を持つのですか……?」
「お、いい指摘だね。混乱しながらも頭は冴えてるみたいだ。……どう? 魔法少女はこの辺分かる?」
「だから話しかけんな。さっさと出てけ」
 十坂はぎりぎりと歯を食いしばりながら怒りを露わにしていた。なにか因縁がありそうだ。一度会ったことがあるのだろうか。
 ブロワーはおどけたように肩をすくめた。
「……一口に衝動や欲望と言っても、その種類は膨大で、更には上位下位がある。《死にたい》という衝動のなかには、《消えたい》《自傷したい》《もう傷つきたくない》《何処かへ行きたい》などなど沢山の小さな衝動がぎゅうぎゅう詰めになっているんだ。悪魔とは、そういった無数の衝動を上位でまとめた集合体なんだよ。意思を共有した魚の群れ……ってイメージかな。だから、新しく一匹増えることもある」
「……なるほど、何となくは分かりました。ありがとうございます」
 急に現れた悪魔にさえ、私は丁寧にお礼を言うようだ。
「──講義でもしに来たのか? 何が目的なんだよ、てめぇはよ」
 十坂が脅すようにステッキをぐいっと近づける。
 ブロワーは夏香の顔でにっこりと笑った。やはり、感情の視えない仮面のような笑顔だった。見様見真似で笑ってみた、という感じである。
「説得に来たんだ」
「……説得?」
「お友達も参戦ムードだし、今かなって。ねぇ、魔法少女アルモア。……──争うのはもう止めにしない?」
 あどけない子供がおねだりでもするように、ブロワーはそう言った。
 ……止めにする? 魔法少女との戦闘を?
 これから倒しに行くラスボスが、直々に停戦交渉しに来たというのか。
 十坂の顔が更なる怒りで満ちていく。
「てめぇ……眠てえこと言ってんじゃねぇぞ……!」
「いやいや! ほんとにほんとに! だってさ、勝負はもうとっくに決まってるでしょ? 君の──君たちの負けじゃないか」
「まだ負けてねぇ! あたしはなぁ、てめぇのことぶっ殺したくて仕方ねぇんだよ!」
「決まったようなものでしょ。だって──」
 ブロワーは十坂に目を合わせながら、自分のことを指した。

「──レイは死んだじゃん(・・・・・・・・・)

 十坂が息を呑む。
「お、お前……。……っ!」
 なにか言い返そうとして、言葉に詰まっている。ステッキを向ける手がわなわなと震え始めた。
 レイが──もう死んでいる?
 それは突拍子の無い指摘であったが、動揺して何も言い返さない十坂の反応からは現実味を感じられた。
「え、いや……違いますよね? レイは一般人に視えないだけで、その左肩にいますよね? だって十坂さん、ずっと会話したり撫でたり……」
「彼女は君に一つ嘘をついている」
 ブロワーは私に目線をやると、昨日の台詞を繰り返した。
 そして憐れむような顔を作って、首を振った。
「……全て、ふりだったんだよ。現実を受け容れたくなかったのか、あるいはただの癖なのか、分からないけどね。なんとも悲しいことだ」
 私は否定して欲しくて、十坂に「……違い、ますよね……?」と訊いた。
 そんなの──あまりにも残酷だ。
 家族の記憶を消して孤独となった彼女には、レイしかいなかった。レイだけが彼女の拠り所であったはずだ。
 でも、そのレイさえ死んでしまったなんて……信じたくない。
しかし十坂はぶるぶると震えながら、床へ目線を落とすばかりだった。私の問いに応えようともしない。
ブロワーが両手を上げて嘆くようなポーズを取った。
「君はなんて狡いんだ、魔法少女アルモア。いや──十坂泉凛。この旅の本当の目的も教えずに、お友だちを連れ回すなんて」
「本当の目的……?」
ブロワーの言葉を鵜呑みにしかけて、いけない、と私は自分の片頬を打った。
十坂の教えを思い出す。──まずはちゃんと疑え。
そうだ、こんなの敵の作戦かもしれないじゃないか。
「だ、騙されないですよ。そんなことを言って、惑わそうとしても無駄です。旅の目的は……出てこようとしているデペイズマンの〝本体(ボディ)〟を倒すこと。……ですよね!?」
 と、俯いたままの十坂を覗き込む。
 彼女は目線を逸らしたまま、蒼白した顔で呆然としている。
「十坂さん!」
「……っ」
 呼びかけても、ビクッと肩を震わせただけで返事をしてくれない。そんな態度に、私の自信が揺らいでいく。
 ……まさか、ブロワーの言っていることはすべて本当なのか?
 レイは死に、この旅には別の目的がある──?
「おっと……。もしかして、僕がここにいると話しにくいかな? もう、しょうがないなぁ。そろそろ時間だし、僕は消えるね」
 ブロワーは不満そうに頬を膨らませながら、ぴょんとデスクの上から降りた。
「あ、最後にこれを貰おうかな」
 と、ベッドの上のチョコ菓子を拾い上げて、小さな口へ放り込んだ。十坂が食べている最中だったものだ。
 ブロワーは期待の籠もった目つきで咀嚼し始めたが、すぐにがっくりと肩を落とした。
「……うーん。やっぱり駄目かぁ、味がしないや」
 夏香の顔が自嘲気味に笑う。
 その切なげな表情だけは──作りものに思えなかった。
 だからなのか、私は思わずこう話しかけた。
「ぶ、ブロワーさんは…………チョコが好きなんですか?」
「え?」
 意表を突かれたように、ブロワーが目を点にした。
 そして「あはは!」と笑い出す。
「なんだよ、その質問!」
「い、いや。今、チョコを食べて味がしないって言っていたので……。チョコにはうるさいのかと」
「君、悪魔になに訊いてるのさ。もっと質問すべきことがあるでしょ。あー、やっぱり変な人だなぁ」
 あははは、とより大きな声で笑い出した。
 ……そんなに変な質問だっただろうか、と少し恥ずかしくなった。悪魔がチョコに小うるさいのはイメージと違ったから、ふと口にしただけである。
「味がしないってのは、レビューじゃなくてただそのままの意味だよ。僕は味を感じることができないんだ。こんな身体じゃ、仕方ないんだよ」
 ブロワーは自分の両手を見て、唇を尖らせた。
 ……悪魔であることに嫌気が差しているのか?
「僕は《現世へ行きたい》という欲求そのものだ。ずっとずっと、門の向こうからこちらの世界を焦がれてきた。もう見下ろすだけではたまらなかった。……いいかい、見るだけでは駄目なんだ。現世へ行くというのは、こちらで生きている存在と同じ感覚や同じ目線で世界を味わうということだ。そのためには、完全にこちらの世界へ降り立ち、受肉する必要がある」
 ブロワーは窓へと近寄った。カーテンを少し開け、夜景を覗く。
 羨ましそうに目を細める表情は恐らく作りものではない。そんな確信があった。
「あぁ、早く……。いい匂いや、強い甘さや、柔らかい毛布なんかを……味わいたいなぁ」
 私はどんな反応をしていいか分からなかった。今日の午後、敵に同情をして痛い目を見たばかりなのだ。
嘘をついているようには思えない。だが、悪魔を気遣うことはしない。肯定も否定もできずに固まってしまう。きっと、見た目が妹であることも影響しているのだろう。
「この世界を味わいたい……。でも、あなたが出てきたらこの世界は終わるのですよね……? 願いは絶対に叶わないのではないですか」
「いい指摘だね! 僕は矛盾した悲しい存在なのさ」
「どうせ叶わないなら、出てくるのを止めたりとかってできませんか……?」
 ブロワーが手を叩いて笑った。
「君は本当に面白いことを言うねぇ。──でも残念。悪魔には本能があるんだ。僕含め皆、基本的に人間が嫌いなのさ。嫉妬しているからね。普段は積極的に害するような衝動は抱かないんだけど……今回はいい機会だし、《死への衝動(デストルドー)》ごとこちらに来て滅ぼしちゃおうと思ってる! そんで、終末世界を味わうんだ。多少新鮮さは落ちるだろうけど、朽ちていくのもまた味わい深いだろう。……これが欲望と本能の折衷案ってわけだよ」
 ブロワーの身体の表面がどろどろと溶け始めた。デペイズマンを倒したときと同じだ。夏香の見た目が溶けていく様子は、不愉快で見ていられなかった。
「もう時間みたいだ。あぁ、早く本当にこっちへ来て、終旅行をしたいものだね」
 ブロワーはとてとてと小走りで扉へ向かうと、右手をすっと差し入れた。来たときと同じように、すり抜けて帰るつもりなのだろう。
「──アルモア」
 沈黙したままの十坂へ、ブロワーが作り笑いで声を投げる。
「魔法少女とは一体何なのか。この旅で本当は何がしたいのか。……ちゃんと全て、お友だちに話したほうがいいよ。もう彼、気になって仕方ないだろうしさ。まぁ、全てを話したら──お友だちも僕のように説得を始めるだろうけどねっ」
「……」
「ばいばい、またねー!」
 ブロワーは手を振りながら、扉のなかへと消えていった。

「話さなくて構いませんよ」
ブロワーが去ってから約十五分後。ようやく落ち着き出した十坂に、下の売店で買ってきた冷たい水を手渡す。
「それでも、着いていきます」
「いや……流石に話すわ」
 レイはげっそりと疲れた顔で力なく笑った。項垂れながら、ベッドの端に座っている。
 彼女が一口含む。溢れた水が口端から垂れていった。
「……ふぅ」
 彼女が一息ついたタイミングで、私は頭を下げた。
「先程はすみませんでした。また私のミスです。まんまと敵を招いてしまい……」
「いや、いい。あれは防げねぇ。あんたにとって、妹は大切な存在だったんだろ」
「……はい」
「なら、会いたくなっちまうよな。分かるよ」
 優しい共感の言葉を聞き、私はその意味を察して顔を曇らせた。
「その言い方は、つまり……。レイさんは、本当に亡くなっているのですね?」
「あぁ」
「この旅に本当の目的があるのも?」
「それも含めて全部話す。だけど、同情して欲しいとかそういうんじゃねぇからな。この状況じゃ、全部話したほうがマシと判断しただけのこと……」
 遠回しな言い方からは、「自分の話を聞いて欲しい」という彼女の内なる声が聞こえた。いつか斎藤に妹のことを打ち明けたとき、私も似たようなことを考えたものだ。
 十坂は深呼吸をしてから、私に目を合わせた。
「……聞いてくれるか?」
 私は力強く頷いた。昨晩の拒絶に比べて、彼女の態度はだいぶ変わった。
長話を聞くため彼女の傍に腰掛ける。あまり距離を開けずにベッドに並んで座った。スプリングが弾んで、肩と肩が少しだけ擦れ合う。
 十坂がぐいっともう一口仰いだ。中身を一気に喉を流し込んでいく。
 そして飲み切ったとき、ペットボトルを降ろした彼女の顔つきは変わっていた。その目は既に、ここではないどこかを見つめている。
「まずはレイとの出会い。つまり、あたしが魔法少女になった日のことだ────」

 あたしが何故その場所にいたのか、詳しい事は忘れちまった。
 忘れてるっつーことは、恐らく家族が絡んでんだろう。家族旅行だか、帰省だか、多分そんなとこだ。
 二〇二二年の夏。小四のときの話だ。退屈だったあたしは、フェンスを乗り越えて廃線の上を歩いていた。周囲は木々で覆われて、足元の枕木も緑に呑まれ始めてた。
 真昼なのに鬱蒼として暗い。籠ったような熱気で汗が止まらない。呼吸する度に、青々とした匂いが肺を満たす。身体を貫くような蝉の声に耳を塞ぎながら、それでも引き寄せられるように歩いた。
 すると線路は大きなトンネルへと続いていた。餌を待つ怪物のように、暗黒の口をぽっかりと空けていた。
 そのトンネルの前に、人が倒れていた。
 破裂したような鮮血の中央で、ぐっしょりと濡れた桃色のロリィタファッションを纏った女性が溺れるように息絶えていた。
 細長いツインテール。十四歳くらいの顔。
 魔法少女が死んでいる──。と、すぐに分かった。
 当時まだ小学生だったあたしも、ニュースやネット記事でその存在くらいは知っていた。
 一番有名なのはあれだよな。一九九九年に撮られたっつー、出所不明の古い画像データ。
『アンゴルモアを迎えよ!』と書かれた大きな横断幕に、空を飛んできた魔法少女がぶつかって落下したときの写真。
 地面に広がった横断幕の上で、二文字目と三文字目の部分をちょうど隠すように尻餅をついていた。
 だから彼女は、こう呼ばれ始めたわけだ。
『魔法少女アルモア』。
 彼女を迎えよ──と。
「大丈夫ですか!?」
 あたしはすぐに駆け寄った。スニーカーで血をぱしゃぱしゃと踏みつけながら、魔法少女の身体を揺さぶる。鉄っぽい匂いが鼻を突いた。
 とても重くて、一切の反応が無かった。
 やっぱり死んでるんだ、と思った。
 トンネルのなかからしゅるしゅると音がした。見上げると、暗がりの奥からスーツ姿の人間が現れた。首から上が──ヒルだった。ろくろ首みてぇに、長細くうねうね動いてんだ。ぬめぬめとした表面は本当に気持ち悪くて、あたしは嘔吐感を覚えたね。
「きゃああああああっ!」
 すぐに踵を返して走り出した。だが逃げ出した先にも──ヒル頭がいた。まさかと思って周囲に目を走らせると、木々の陰にも何体か潜んでいた。どいつもこいつもあたしの方を向いて、ぐねぐねとうねっていた。
 そして、一歩、一歩──と近づいてくる。
「ひ……っ!」
 あたしは恐怖で身をすくませた。いつの間にか囲まれてたんだ。それとも、自分から輪の中に入ってきちまったのかもしれねぇ。
 逃げ出そうとしては、その先にもヒル頭がいることに気が付いて足が止まる。そんなことを繰り返して、枕木にいくつも血の足跡をつけていった。
 すると低い男性の声がした。
「──少女よ」
 まるで貫禄のある王様のような、渋くて安心感のある声だった。
「だっ、誰!? どこにいるの!?」
 あたしは足元を探した。すぐ近くから聞こえるのに、どこを見ても姿が見当たらねぇ。ま、こんときのあたしには魔力が無かったから当然だな。 
 ……え? あぁ、お察しの通りレイだよ。
 声? ……あぁ、魔力が無くても声くらいは聞こえんだ。新幹線での説明は嘘だって、さっきブロワーのカスが言ってただろ。
 続けるぞ。
「我なら貴殿に力を授けることが可能だ。但し、大きな代償を支払って貰うこととなる」
「だ、代償……?」
「この世界を護る運命だ」
「……はぁ……?」
 そんときはマジで意味が分からなかった。
 力だの世界だの運命だの、まるでアニメみてーな馬鹿げた話だと思った。
 だけど、四方八方からヒル頭が迫ってきているのは現実。足元で横たわる死体を見れば、このままでは自分がどんな目に合うのかすぐに想像できた。
 あたしは助かりたい一心で叫んだ。
「分かった! あたしに力をちょうだい! ──まだ死にたくないッ!!」
「承知した。では、契約内容の確認をするぞ。貴殿は『悪魔の力を使う』。条件は『我を護り抜く』。──良いな?」
「いい! いいから、早く……っ!」と涙声を上げる。
「契約成立だ。では、口を開けたまえ」
 困惑しながらも、あたしは大きく口を開けて上を向いた。
 風で波立つ葉の隙間から──夏空に浮かぶ月が視えたのを覚えてる。
 ──たらり。
「ん……っ!」
 舌の上に、鉄っぽい苦い味が広がった。少し粘性のある液体がゆっくりと喉まで流れていく。血だ、と何故か分かった。
 こくん。と飲み込む。
 瞬間──ぶわりと全身の毛が逆立つような感覚がした。
「ぐ……っ、うぅ……!」
 肌の下から何かが出て来ようとしている。たまらない掻痒感が全身を襲って、あたしは自分を抱きながら苦しんだ。
「ぁあああ……っ!」
 身体が勝手に宙へ浮きあがる。スニーカーが地面から離れていき、ばたばたと爪先を暴れさせる。
 背中が服を破らんと盛り上がる。めきめきと音を立てて──二対の大きな羽が生えた。
「ああああああっ!」
 その翼があたしの全身を包み込み──光となって身体に馴染んだ。
 あたしは地面へと降り立った。目線がいつもより高い。厚底のローファーが慣れなくて、バランスを崩しかけた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 混乱した呼吸を落ち着かせようと、膝に手をつく。
 ふわり、とパニエの膨らんだ感触がした。
「えっ!? な、なにこれ──」
 ようやく自身の服装に気が付いて、全身を検めた。いつの間にかフリルやレースの目立つ桃色のロリィタファッションを纏っている。そして視界の端では、細長いツインテールがあたしの顔の動きに合わせて揺れている。
「ち、力って……そういうこと!?」
 慌てて背後を振り返る。
 血だまりのなかで倒れた死体は、もう魔法少女ではなかった。地味な服装をしたアラサーの女性。後から知ったが、彼女はそのとき三十五歳だったらしい。
 移った、とすぐに理解したね。
 自分は──魔法少女アルモアを継承したのだ。
「無事に変身できたようだな」
「うわぁっ!?」
 耳元で例の声がした。左肩に、王冠を被った小さな猫がいた。人間のように胡坐をかき、腕を組んでうんうんと頷いている。
「あ、あなたが……助けてくれたの?」
「否。我は契約の仲介をしたまでだ。とにかく今は──飛ぶぞ」
「へ?」
 流石にヒル頭たち全員を相手にすることは出来ねーから、真上に飛んで逃げた。
 何度も落ちたり木にぶつかったりしながら、必死になって飛び方を覚えた。本当にがむしゃらだった。命がかかってたからな。でも変身のおかげか、あまり痛みとかは無かった。
 ぼろぼろの状態でどうにか町まで戻って来て、あたしはバス停のベンチにへたり込んだ。
「ひぃ……。助かったぁ……」
 気が抜けると、服装が元へ戻っていった。無意識に変身解除を行ったんだろう。
 息を切らすあたしから、猫がするりと降りて隣に立った。
 膝を折って、恭しく礼をしてくる。
「──改めて、ご挨拶を。我の名はレイ。門の鍵である」
 つられるように「あ、ども……。十坂泉凛と言います」とあたしも頭を下げた。
「契約を受けて頂き感謝する。切羽詰まった状況であった。十坂殿が現れなければ、我も息絶えていただろう。命の恩人だ」
「いやいや、そんなそんな……」
「さて、契約内容を今一度おさらいしよう。十坂殿は『悪魔の力を使う』ことができるようになった。──これは先程行った〝変身〟のことだ。浮遊、防御、魔法強化の恩恵を受けられる」
「あの可愛い服のことですね……。なんであんな見た目なんですか」
 うぐっ、とレイが苦い顔をした。
「……先代の趣味である」
「えぇ……?」
「本来は獣のような姿になる。しかし先代が可愛くないと言って、あのような格好に調整してしまった」
 凄いことをする人間もいたもんだ、とあたしはちょっと引いた。
先代はオタクだったんかね。
「さっきは何を飲ませたのですか」
「我の血だ。不愉快に感じたら申し訳ない。血を飲むことで、十坂殿の身体は半人半魔となった。魔力を得て、変身に耐え得ることができる」
「魔力……。え。じゃ、じゃあ! 魔法も使えるってこと?」
「勿論だ。魔法は変身せずとも常に使うことができる。……魔法と変身はまったくの別ものだからな。これから教えていこう」
 魔法が使える!
 そう知ったあたしは、いっとき死体のことなんて忘れて子供らしくワクワクした。アニメの主人公になったような気分だったね。
「あ、それで……。〝門の鍵〟というのは一体なんですか?」
「ふむ。一つずつ、解説しよう」
 レイはおじさんみてーに顎を撫でながら語り始めた。
「まず〝門〟とは、この世界と悪魔の世界の通り道を塞ぐものだ。──一九九九年、多数の内なる声に呼ばれたことで、《死への衝動(デストルドー)》という悪魔のなかに《現世へ行きたい》という衝動が発生した。それにより、《死への衝動(デストルドー)》がこの世界へ来ようとしている」
「で、ですとるどー……?」
「勿論、希死念慮そのものである存在が現世へと来訪すれば、人間はその衝動に当てられてあまねく自殺してしまうだろう。まさしく世界の終焉だ。これを食い止めるべく、別の悪魔──《生への欲望(リビドー)》が門を作って塞き止めた」
「き、きしねんりょ……。りびどー……?」
「その門を封じる生きた鍵が、我だ」
 当時まだ小四だったあたしには、用語が難しくてぽかんだったね。
 でも自分から質問した手前、取りあえず頷くしかなかった。単純に喋る猫が面白くて可愛かったのもあるけどな。
 あたしは何度か訊きなおして、どうにか世界観を飲み込んでいった。
「えっと、つまり……。悪い悪魔がこっちに来ようとしてるから……。良い悪魔が門を作って塞いだ……。その門の鍵を護り抜くという条件で、私は魔法少女の力を得た……?」
「その通り。物分かりの良い子だ。偉いな、褒めてやろう」
「えへへ」
 ──ごほん。あたしの照れ笑いなんて伝える必要ねぇわ。忘れろ。
「え、でも、門が閉まってるなら、さっきのヒル頭みたいなのがこっちに来るのは変じゃないですか」
「門には隙間が生じてしまうのだ。そこから少しずつこちら側へ魔力を落として、一定量溜まると──あのような端末が現れる。先代はデペイズマンと呼んでおったぞ」
「で、でぺ……?」
 新しい用語で頭がパンクしそうだった。
「レイさんも、そのデペイズマンなんですか?}
「否、我はあのような能無しではない。我は門が閉まる前に受肉したことで、こちらの世界に個体として存在できている」
「な、なるほどぉ……?」
 小四のあたしには分からなかったが、いいんちょーには分かったよな?
 これが、敵の正体と目的だ。
 まとめると──。

・デペイズマンとは、門の隙間より悪魔の魔力がこぼれ落ちて溜まった存在。だから時間を空けて現れるわけだ。これまでは一週間に一回とかだったが、レイが死んでしまった今は一日ごとに現れてるな。多分、門が開いちまったから溜めやすくなってんだろう。

・レイは、門が閉まる前に受肉して、個体として生きている。そう、門が開いてると頭にある〈王冠〉を使って、受肉した状態でも向こうの世界にいる本体(ボディ)とかろうじて繋がってるそうだ。

・さっき来やがったブロワーは、門の隙間から頑張って手を伸ばしているような存在だ。だからデペイズマンやレイみたいに世界へ干渉できない。脆くて、無理している感じだな。

・敵の目的は、レイを殺すこと。鍵を壊して、門を開けて、現世へやってくること。魔法少女の周囲にだけ現われる理由は、そういうこった。ブロワーは、レイのように受肉してこの世界を味わいたいんだろう。でもそうなったら、本体(ボディ)である《死への衝動(デストルドー)》の衝動に当てられて皆死んじまう。

「──大体はこんな感じである。分かったかな、新米の魔法少女よ」
「はっ、はい! 何となくは……! ……もしかして。さっき、自分があそこにいなかったら……世界が終わってたってことですか?」
「うむ。つまり、十坂殿は世界の救世主ということであるぞ」
 レイはにっこりと笑って頷いた。
「救世主……!」
 あたしは目を輝かせた。そして、期待で胸がいっぱいになった。魔法少女として、救世主として、輝かしい冒険のような人生がこれから始まるのだと思った。
 しかしレイは──ふっと顔を伏せると、表情を曇らせた。
 そして小さな手で、あたしの指をぎゅっと掴んだ。

「…………すまない」

 謝罪の意味を考えるには、まだ幼過ぎた。

 レイと出会った頃、あたしは不登校気味だった。
 九歳を過ぎてから自意識みたいなものがどんどん強くなってきて、自分は恥ずかしいことを言っちゃいないか、みっともない振る舞いをしてねーか、そんで他の人に陰で笑われてねぇか……なんてことばかり考えるようになっちまった。したら、人前に出るのが怖くなった。そんで小四に上がるとき、クラス替えがあって前々からの友人と離れ離れになっちまったから──いとも簡単に独りぼっちへと転落した。
 家族以外の誰かと、喋るのも顔を突き合わせるのも怖い。
 緊張で息が詰まっちまう。言葉が何も浮かばない。
 そうしてわたわたと黙ったまま汗を搔き始めるのも、また気持ち悪いと思われているんだろうと被害妄想に拍車をかけた。
 だけど、人間じゃないレイだけは例外だった。
「むう……。今日も学び舎へは行かぬのか」
「だって無理だもん」
 学校をサボった日、あたしはよく無人のリビングでテレビを点けて、人形劇を見ながら蹲っていた。再放送ばかりなのでお話は大体暗記してたな。
「いいよ、今日もレイと遊ぶから。またかくれんぼしようよ!」
 レイはあたしの横で胡坐をかいて、難しい顔をしていた。
「それは構わぬが……。しかし十坂殿は、色々と学ぶべきことや経験すべきことがあるだろう。ここは一つ、踏ん張って学び舎へ行って──にゃはははは! やめんか、くすぐったい!」
 指先で首の下あたりをくすぐると、レイはいい反応をしてくれた。
「ううん。無理に行くのは逆効果だって、先生言ってたし。それにママも、嫌なら行かなくていいって言ってくれたよ。ちゃんと勉強はしてるもん」
「ぬぅ……」
「……やっぱりかくれんぼ止めよ。飽きちゃった。なんか他の遊び無いかなぁー」
「学び舎で親しい友人を作れば、きっと沢山楽しいことができるぞ」
「……今さら無理だし」
「欲しくはないのか?」
「……それは、」欲しいに決まってるわな。だって小四だぞ? 毎日家でドリル解いてサブスクでアニメ見てって暮らすのも、とっくに限界が来てた。
 あたしの本心を見透かして、レイはゆったりと微笑んだ。
 そして左肩にぴょんと乗ってくる。
 とん、と胸を叩く。こういう動作が可愛いかったんだよなぁ。
「我に任せるのだ! 我の姿は、魔力の無い通常の人間には視えない。声も小声なら問題ない。耳元で助言をしてやるから、それに従って話すといい」
「なるほど……! 確かに、それなら行けるかも!」
 単純だったあたしは、その提案を聞いただけで何もかも上手く行くような気がした。
「えいえいおー!」
 その場で立ち上がり、一人と一匹で腕を上げた。

「み、──道を開けよ!」
 ドアの前でたむろしていたクラスメイトに、あたしはそう言い放った。
 ぽかん、とした顔がこちらを見つめる。
「……よ、よろしい……」
 あたしは顔を真っ赤にしながら、そそくさと自分の席に着いた。
 そしてひそひそとレイに耳打ちする。
「ちょっと~~~~! 変な顔で見られたじゃん!」
「当然だ! どうして我の口調のまま話すのだ! もっと小学生らしくしなければ!」
「だってだって、口調を変えられる余裕なんて無いよ~~!」
「──久しぶりじゃん、十坂ちゃん!」
 クラスメイトが二人、あたしの席まで駆け寄ってきた。
 名前は分からねーが……不登校になる前にちょっと話したような気もする。
「どうしたの? 入院してたとか?」
「えっと、あの……」
「勉強とか大丈夫? ノート見せて欲しいとかあったら言ってね」
「その、あの……」まごついてると、レイの声が聞こえた。「──うむ。ご厚意に感謝する」
「へ?」
 二人が目を点にした。
「お気遣い、大変痛み入る。だが心配は不要だ。我は家でドリルなるものに取り組んでいた故、勉学の足並みは揃えていると自負しておる」
 テンパって、またもやレイの台詞をそのまま復唱しちまった。
 しまった、と口を抑える。
「あ! え、えっと、今のは何て言うか……! ちょっとした冗談っていうかぁ……!」
 泣きそうな声でそう弁明するあたしだったが、二人は一泊置いて大きく笑い出した。
「ちょっと、何その喋り方!」
「十坂ちゃん面白すぎ。何かの真似?」
「あ……。──う、うむ! これは先代のよく見ていたアニメに出ていた、ある国の王を模倣したものである」
「先代? 王? よく分かんないけど……アニメの真似なんだね。うちもアニメ好きだよ、何見てる?」
「えっとね、えっとね……。最近だとね──」
 そうしてあたしは、その二人とアニメの話で盛り上がることができた。
 休憩時間や昼休みには二人が席まで来てくれて、次の授業の用意や前回何をしていたのかなどを教えてくれた。
 まだ会話に慣れないあたしはよく言葉に詰まったけど、その度にレイが助けてくれた。
「──成程、我は先に図形を勉強してしまっていたな」
「あ、やっぱドリルと違うんだ。じゃあこのページ貸すから、次の授業は頑張って。分数の割り算って、ようは引っくり返すだけだから」
 びりっ、と彼女がノートを一枚破ってあたしに差し出した。
「はい、どうぞ」
「え、え? ……いいの?」
 あたしのために、自分のノートを躊躇無く破いたわけだ。
 その優しさでちょっと泣きそうだったな。
「あの、あの、その、…………うむ、感謝するぞ」
「出た、王様! いえいえ、勿体なきお言葉」
 ふざけたように跪いてから、彼女たちは笑った。あたしも笑った。
 そしてどうにか放課後まで学校にいることができた。
「一緒に下まで行こー」
「う、うん!」
 階段を降りながら、二人がおすすめしていたアニメを今日中にも見ることを約束した。
 その感想を伝えるために、また明日も来ようと思った。
「またねー」
「──ま、また会おうぞ!」
 二人と別れて帰路につく。
 そしてしばらく歩き、周囲に誰もいないのを確認してから──。
「──やったぁ!」
「よくやった!」
 左肩のレイとハイタッチした。
「上手くいったね!」
「うむ、そうだな! まさか我の口調が良い方向に作用するとは……」
「最初はどうなるかとヒヤヒヤしたけどね……」
 あたしは胸の前で両手を差し出した。レイが意図を察して、するりと乗って来る。
 彼の顔つきを近くで見つめる。可愛くもどこか大人の男のようなカッコよさがあった。
「ありがとう、レイ。助けてくれて」
「否。大したことはしておらん」
「ううん。レイが傍にいたから……あたしは今日学校に来れたよ。どんなに怖くても、失敗するかもって思っても、レイが横にいるってだけで頑張れたの。本当にありがとう」
「う、むむ……」
 レイが頬を少しだけ染めて、恥ずかしそうに咳払いをした。
「ま、まぁ、そういうなら……。その気持ちを受け取って置こう」
「今日の夕飯、レイが多めに食べていいよ」
「それはならん! 十坂殿は成長期なのだから、しっかり食べよ! 前にも言ったが、我は少しくらい絶食しても平気である。食に興味は無い」
「じゃあお小遣いでチーズ買ってあげる」
「チチチチチチーズ!?  チーズなら話は別だ! は、早く買いに行くぞ!」
 あたしはくすくすと笑いながら、高揚感が抑えきれずにスキップしながら帰宅した。
 ──こんな感じで、小学生時代はまぁまぁ楽しかったよ。
 クラスでは王様キャラとしてウケてな。例えばプリンの争奪戦があったときに仕切りを任されたもんだ。王様みてぇな口調を面白がりながら、あたしに従うノリのようなものが形成されていた。大人数で遊ぶときも、何をして遊ぶかなかなか決まらないときは決定権を委ねられた。そんであたしの鶴の一声で皆納得しちまうんだから、子供ってのは不思議だよな。
 五年生に上がったら、クラス委員もやった。その頃には、元々不登校気味だったなんて嘘みたいだったね。クラスで喧嘩があったときでさえ、担任より先にあたしが呼ばれて場を沈めたこともあったなぁ。
 魔法少女としての戦闘は月に一、二回程度。レイの指南を受けながら少しずつ戦いに慣れていった。〈示せ幻(ミラージュ)〉で透明になってから変身を解除するというのも、レイからのアドバイスだった。先代の発案らしい。
 レイは六年生になってもずっと、傍で助言をし続けてくれた。もうとっくに言葉に詰まることが無くなっても、あれこれ話しかけてくれた。明日の予定や持ち物の確認などをしてくれて、なんだか秘書のようだったな。
「──ねぇ。どうしてそこまで面倒見がいいの?」
 ある日の放課後。夕陽の差し込む無人の廊下を歩きながら、そっと話しかけた。
「……十坂殿には、できるだけ普通の暮らしをして欲しいのだ」
 レイは何だか暗い声で言った。
「友達と過ごし、学び舎に通い、普通の生活を楽しんで欲しい。それが我の望みだ」
「──分かった。そうするよ」
「約束してくれ」
 レイが小さな右腕を伸ばした。
 あたしはそれに、自分の指をちょんとくっつけて微笑んだ。
 その柔らかな毛の感触から、確かな生命の暖かさを感じた。
「約束ね」
「あぁ、約束だ」

 ──だけど、この約束は徐々に壊れていった。

 中二のときの話だ。家族の記憶を消すと同時に、親しい友人の記憶も消しちまった。クラスメイトの名前も、担任の名前も、……最初に話しかけてくれたあの二人の名前も、……もう覚えてねーんだ。
 家族ほど綺麗さっぱりは消えてないから、こうやってエピソードは思い出せるんだろうけど。
 あの頃見たアニメや聴いてた音楽って、なんか鮮明に思い出せるよな。
 だけどあたしは、小学校生活を最高にしてくれた人達の顔だけ、もやがかかったように思い出せない……。

 あたしが記憶を消すことを決意したエピソードの詳細は分からない。何故なら、消したからだ。
 覚えているのは、決断したときの胸が引き裂かれるような辛い感情と、最後まで反対していたレイの悲壮な表情だけ。
 後は何もかも消えて……ぽっかりと心に穴が空いた。そこをひゅうひゅうと風が通り抜け、とても寒い思いがした。
「ごめん、レイ」
 そのとき見下ろしていたのは、地元の住宅街。十階建てのビルの屋上に飛んで忍び込み、変身した姿のまま夜景を眺めていた。それは十坂ではなく魔法少女として生きていく覚悟を表わしていた。
 魔法で記憶を消す瞬間まで、我が家をじっと見つめていた。しかしもう、どれが我が家だか分からない。視線は彷徨い、景色が拡大していく。沢山の建物のなかに、生まれ育った場所が埋もれていく。
「友達と過ごす──って約束、破っちゃった」
「…………我は十坂殿の決意を尊重する。その分、我が支えよう」
 あたしはレイを強く胸に抱いた。彼はいつまでも味方でいてくれるのだと分かった。
 打ち付けるような夜風に震えながら、彼の小さな体躯だけが暖かい。しがみつくように彼の毛並みへ指を沈める。
 以降、あたしは親しい人間を決して作らないと心に決めた。

 綾瀬駅から徒歩十五分くらいのところに家賃四万七千円の古いアパートがあった。
 魔法であれこれ誤魔化しながら、銀行口座を作り、賃貸契約を行い、あたしは独り暮らしを始めた。
 お金の部分だけは決して魔法で誤魔化さない。そういう誓いを立てた。だからバイトをいくつか掛け持ちして、生活費や光熱費、それと学費や家賃なんかを稼ぐために奔走してた。
 とにかく最初の一ケ月がマジで地獄だったわ。給料はまだ振り込まれねぇのに、日用品だの生理用品だの買わなきゃいけねぇもんが目白押し。日雇いの仕事を探すんだけど、中三のガキだからめっちゃ怪しまれるわけ。あと、まだ冬だったから家んなかも寒くて仕方ねぇ。何も買えない癖にコンビニをうろうろして暖を取ったりしてたな……。
 金払いのいい日雇いと言やぁ、肉体労働が多くてな。あたしはひぃひぃ言いながら色んなものを運んだよ。変身してねぇ状態での力仕事は本当にキツくてさ、筋肉痛がつらすぎて泣いたのは初めてだったわ。
 ま、そのおかげで身体を鍛える癖が出来たんだけど。
 極貧生活と、複数のバイトと、魔法少女としての戦闘。こんなん、学校になんて通ってらんねー。……と言いてぇところだが、あたしは既にレイとの約束を一つ破っている。だったらせめて、残りの約束──〝学び舎に通い、普通の生活を楽しむ〟はどうしても果たそうと考えた。
 だからちゃんと高校に入学し、出来る限り通い続けた。夜勤とか入っちゃうと三時間くらいしか寝れなくてヤバイんだけど、まぁ授業中に寝ればいいからギリなんとかなってる。
「配信を始めようと思う」
 あたしの提案に、レイは最初難色を示した。
「魔法少女としての活動を公にするのは、リスクがあると思うが」
「でもよぉ、アルモアの知名度をマネタイズするには、これが一番手っ取り早いんじゃね? スマホ一つでできるし。……つーか、背に腹は代えられねー。ギリギリの生活してんだから」
「しかし……。十坂殿の肩に世界の命運がかかっていると知られたら、普通の生活が難しくなるぞ……」
 あたしが出来るだけ普通の生活をして、楽しく生きられるかどうか。
 レイの懸念点は常にそこだった。
「大丈夫だってー。心配しすぎ」
 と言いながら、レイの首元をくすぐる。
「にゃはにゃはにゃは、……やめんか!」
 レイはぐねぐねと身を捩って逃げていった。
「ぜってーバレないようにすっからさ。いいだろ?」
「むぅ……。では、気を付けて行うように」
「分かってっよ。小動物ちゃん」
「その名で呼ぶなぁ! ……まったく、すっかり不良娘になりおって……」
 そんで、あの初配信があったわけだ。
 結果は知っての通り。最初はとんでもないPVが稼げたけど、その後は普通だった。まぁ、あたしトークとか上手いわけじゃないからな……。でも固定ファンが付いてくれて、投げ銭とかグッズ収益とかが徐々に入って来るようになった。バイトの本数を減らせたし、生活にも少し余裕が出来た。
 配信とか戦闘を頑張るほど視聴者が増えて金が稼げる。
 するとあたしは、段々と〝演出〟に凝り始めた。これはまぁ、今のあんたなら知ってることだな。
 切り抜きで映えることを注意しながら戦ったり、出来るだけドラマチックに振る舞って感動させたり……。
 あるいは配信でわざとすっ転んで際どいシーンを作ったり、魔法少女のイメージ通りな天然キャラでファンサをしたり。
「きゅる」ってなんだよ、マジで。
 こういったことをすればするほど、生活が楽になっていく。とんでもない快感だったね。単なる手段だったはずの〝演出〟は、あたしのなかでいつしか目的へとすり替わっていった。
 それで浮いた金を使って、
「ほら、どーぞ」
「ちちちちちチーズではないか!」
 レイに美味いもんを食わせてやった。いつもは父親みてーに腕を組んで小言を漏らしてるけど、両手に抱えたチーズを齧ればふわっと頬を緩めて間抜けな顔をするんだ。それが本当に可愛かった。
そして……嬉しかった。
ちょっとは恩返しができたような気がしてな。
 家にはテレビもゲームも無かったから、ずっとレイと話をしてた。彼はとてもお喋りだった。学校で友人を作らずとも、彼が話し相手になってくれた。寂しいときは励ましてくれた。寝るときは抱き枕になってくれた。
 彼が、この世界で唯一の居場所だった。
 ……もし、彼がいなかったら。
 ……あたしは……。
 なんて想像をする度に、心臓を掴まれたような深い恐怖を感じた。ぶんぶんと首を振って、要らぬ想像を振り払う。
「──このチーズは、いつもより良いものだな」
「へぇ。小動物なのに味とか分かるんだな」
「馬鹿にするでない! ……レモンの風味が、高級感漂っている。我はこの味、非常に好みだ」
「ふーん。覚えとこ」
 あたしはすぐに脳内へメモした。それ以降、レモン風味のチーズを積極的に買ってはレイを喜ばせたよ。
「……そうか。記念日というやつか?」
「記念日?」
「今日は、我と貴殿が出会った日だろう」
「……悪い、覚えてねぇ。多分、家族絡みの記憶だからだ」
「むむ、そうか。……一つ頼みがある。明日、ある場所に行きたいのだが、連れていってくれぬか」
「バイト無いし、いいぜ。どこ行くんだ?」
「──先代の墓だ」

 彼女の死は事故として処理されており、地元である北海道の墓地に埋葬されていた。
 あたしらは人のいないタイミングを見計らって、その墓石の前へと立った。命日付近だったからか、知り合いっぽいのが何人か来てたな。
 『高山家』、と掘られていた。
 途中で摘んできた花を添えて、手を合わせる。目を閉じると、木々のざわめきや蝉の合唱が遠くに聞こえた。夕方の風がさらさらと身体を通り抜けて汗を乾かしていく。
 あたしは二年前のあの日のことを思い出していた。遥か遠い昔のように感じられる。あのとき、あの場所に迷い込まなければ、自分は今平凡な女子高生として生きていたんだろう。本来は怠惰な性格だから、バイトさえせずに家でごろごろしてたのかもしれねぇ。
 それは──なんて素敵な生活だろう、と思った。
 だけどあのとき契約しなきゃ、レイはヒル頭たちに殺され、門の封印は解け、世界は終わってしまうところだった。いつか彼が語ったように、あたしはまさしく救世主だった。
 あの判断に後悔はない。
 そもそも、それ以外の選択肢は無かった。
 あたしにも、世界にも。
 ……先代は強い人だったと思う。あの年まで魔法少女を務め上げ、親しい人間に正体がバレることもなかった。
 あたしは……親しい人間達とは絶縁したというのに。
 弱さ故だ。
 その罰として、こうやって誰かの墓に入ることはできないのだろう。
 合掌を止めると、足元ではレイがまだ手を合わせていた。猫なのに二本足で立って、きっちりと両手……っつーか前足を揃えてた。
 その小さな目尻には、涙が浮かんでいた。
「……!」
 つらりと筋になって垂れていく。
「……あまり見るな」
 目を開いたレイはぶっきらぼうに言いながら顔を拭った。
「わ、悪ぃ」
 あたしはハッとして顔を背ける。
 レイが泣いているところを見るのはこれが初めてだった。何故か凄い焦ったのを覚えてる。
「……高山殿が死んだのは、我のせいだ」
 ぽつり、とこぼすような呟きが聞こえた。
 傷痕から垂れる血のような、悲痛な声だった。
「我が、彼女の前に降りなければ。我が、彼女を契約相手に選ばなければ。……このように、若くして亡くなることもなかっただろう……」
「それは……っ!」
 違う、と咄嗟に否定しようとして、出来なかった。
 レイやデペイズマンと出会わなければ──なんて妄想、あたしだってしたことがないわけじゃなかったからだ。
 レイは俯いて、消え入りそうな声で続けた。
「……高山殿には、世界を護るという使命を強いてしまった。ただの女の子であったというのに……。戦闘があるからと、世界の命運がかかっているからと、高校へ行くことにも反対してしまった……。……我は、本当に愚かだ。かけがえのない大切な時間を、彼女から奪ってしまった……!」
 その瞳から、堰を切ったように涙があふれ始めた。何度ぬぐっても、ぼろぼろと大粒の涙が止まらない。レイの毛並みを湿らせていく。
 あたしはいたたまれなくなって彼を抱き上げた。いつものように胸で抱き締める。
「ぅ……っ、うぁ……っ!」
 レイは更に涙の量を増やしながら、震える手であたしの首を抱いた。無意識か、少しだけ爪が出ていて肌に食い込んだ。
「彼女は、死ぬべきじゃなかった……! わっ、我は……。いつも何もできない……っ! 何も出来ないのに、力を持たぬのに、なんでっ……、なんで生きているのだろう……!」
 それはただのルールだった。
 悪魔を止める門の鍵。鍵を守る魔法少女。
 そして鍵が死んだら世界は終わる。
 そういう役割だった、そういう運命だった、
 そういうセカイだった──というだけだ。
 聡明な彼なら、きっと嫌というほど分かっている。だから普段は、決してこのようなことを口走らない。どれだけの罪悪感を抱えても、今日まで表に出さなかった。
 だけどもう──限界だったんだろう。
 泣きじゃくるレイを抱えながら、あたしはなんて言おうかずっと考えてた。同情するような言葉、寄り添うような言葉、あるいは罪悪感の一切を否定するような言葉。彼を少しでも楽にしてあげるには、何を話せばいいのだろう。どんな言葉が効くだろう。
「──レイが傍にいてよかった」
 優しい声で囁くと、レイの猫耳がピクリと動いた。
「きっと、高山さんはそう思ってたよ」
 一層と激しく泣き出したレイが落ち着くまで、あたしはその頭を撫で続けた。橙色の夕焼けに照らされて、彼の毛並みは燃えるように輝いていた。
 彼を幸せにするにはどうすればいいのだろう。
そう、ずっと考えていた。
 そして、家族の記憶を消したのは──もしかして間違いだったのではないか。なんて疑念が浮かんでは、すぐに否定し思考の奥へと沈めた。
 あたしにはレイだけいればいい。

 それから、事あるごとにレイの頭を指で撫でるようになった。すっかり癖になっちまったからだ。彼も嫌がったりせず、黙って目を細めてくれたよ。

 冬に入ったくらいから、レイはちょくちょく謎の声を聴くようになった。
 例えば、古本屋に用があって神保町に出かけていたときのことだ。
 目当てのものをゲットした帰り道、あたしとお喋りをしていたレイがはたと口を閉ざした。
「……レイ? おい、どうした」
 左肩に乗った彼が、身体を細くして伸び上がり、あたしのつむじに手を置いて、きょろきょろと辺りを見回し始める。
「──何か聞こえぬか? 何か、人の声が……」
「そりゃ大通りなんだし、人の声なんてあちこちからしてるけど」
「そうではない」レイは憑りつかれたような恐ろしい顔をしていた。「……この声は、我を呼んでいる──?」
 レイが声のもとを探ろうとした。
あたしは何故か恐ろしくなって、即座に否定した。
「そんなわけないだろ。……ほ、ほら! 猫の聴力って人の四倍っつーからな! 流石だね、小動物ちゃん」
「小動物言うでないっ!」
 そうしてふざけた感じで誤魔化すと、レイは諦めて体勢を元に戻した。
あたしはほっと胸を撫で下ろした。声に誘われ、今にもあたしの傍から走り去ってしまうんじゃないか。そのまま消えてしまうんじゃないか。そんな不安に駆られたからだ。
 早く家に帰ろう。再び声を聞いてしまう前に。
あたしは早足で地下鉄の入口を目指した。
 ……その直後、クラスメイトに出くわしちまった。
「十坂さん?」
 前からやってきたのは三人組の女子生徒だった。名前は分からねーけど、顔は何となく覚えていた。
 あたしが咄嗟に眉をひそめたのを見て、彼女たちも嫌な顔をした。そして「……じゃあ」と挨拶にもなっていないような台詞を残して、通り過ぎてった。
 レイと喋っているところを見られてしまった。いつも一人でいるクラスメイトが、何もない左肩に向かってぶつぶつ喋りながら歩いていたのだ。三人はこの後、あたしが如何に不気味であるかという話に花を咲かせるだろーな。
 なんて被害妄想に、けっ、と卑屈な気分になる。
「あまり気にするでない」
 レイが後頭部をちょんちょんと叩いて慰めてくれた。あたしは溜息をついてまた歩き出す。
 ──と。
「十坂さん!」
 後ろから声をかけられた。振り返ると、今すれ違ったばかりの生徒の一人がそこにいた。彼女だけ戻ってきたようだ。
何故? とあたしは首を傾げる。
「あ、あの……!」
 緊張した面持ちで鯱張りながら、彼女はこう言った。
「……これから、カラオケとかっ、どうかな……? じ、時間があったらでいいんだけどさ……!」
 あたしは驚いて目を見開いちゃったね。
 クラスメイトのことはもう何か月も無視し続けていたし、向こうもそういうもんだと理解して距離を取っていた。
 なのに今更、その関係を変えようとするだなんて。
 どんな意図がある? からかって遊ぼうと思ってるのか? 遊んでやる代わりに奢らせようとか?
 性格の悪い発想がいくつも浮かんだ。
 同時に、もしも本当にそんなことになったら──なんて妄想も浮かんだ。カラオケボックスで、彼女らに混じって歌ったり踊ったりする自分の姿……。
 正直なところ、心が疼いた。あたしはワクワクしちまった。
 だけどすぐに、自ら立てた誓いを思い出した。
 親しい人間は作らない。
 それを破ったら──家族を消した意味はどうなる? レイの約束を裏切った意味はどうなる?
 この孤独が無駄になってしまう。
「……。行かねーよ」
 と、あたしは出来るだけ素っ気なく言った。
 彼女は傷ついたような顔でしゅんとして、「……そっか、急に変なこと言ってごめんね」と頑張って笑ってから、また友達の元へ戻っていった。
 遠ざかっていく三つの背中に、激しい羨望の念を覚えた。
 もっと普通の高校生活を送れたなら……なんて夢想しない日はなかった。放課後はいつもバイトか配信。そしてたまに戦闘。それ以外は、お金がかからないよう図書館の本を読んだりトレーニングをしたり。そればっかりでうんざりだった。
 カラオケに行ってみたい。放課後にラーメンでも食べに行きたい。クレープなんか買い食いして、ゲームセンターでだらだらと時間を潰したい。
 あたしを誘ってくれた、あの優しい彼女にも謝りたかった。傷つけたくなんてないが仕方なかった。孤立を保つには、嫌な人間になるしかないのだから。
 もし明日から魔法少女じゃなくなっても、こんなことをしていてはその輪に入ることはできねーだろうな。
 なんて、つくづく自分が嫌になったよ。

 レイが死んだのは暖かい春の夜だった。
 神保町に行った日からずっと、レイは時折ぴょんと耳を立てては「声が聞こえる」と言ってきょろきょろしていた。
 誰の声だと尋ねたら、いつもよりずっと低い声色で「──高山殿かもしれない」なんて言いやがる。
「そんなわけねーだろ。幻聴だ」
「ぬぅ……。そうだな」
 レイは納得したように頷きつつも、その顔にはどこか諦めきれないような表情が浮かんでいた。
 そしてあたしが布団に入った後、こっそりと家中を歩き回って声の主を探していた。
 あたしは可哀想に思って見て見ぬ振りをしてた。彼の罪悪感が引き起こした幻聴で、しばらくすれば収まるだろうと深くは考えなかった。
 だが日を追うごとに声への執着は深まり、「……高山殿……? どこにいるのだ……?」とうわごとのように繰り返しながら一時間はうろうろするようになった。
 そんな調子が二週間くらい続いた挙句、レイはとうとう家から出ようとしやがった。
 あたしはカッと頭に血を昇らせて、すぐに起き上がり電気を点けた。
「──何してんだよ」
 レイは玄関のドアノブにぶら下がったまま、バツの悪そうな顔であたしを振り返った。
「まさか、一人で出てこうしてたのか?」
「……」
 レイは黙って床に着地すると、リビングの方へ歩きながら「すまない」とだけ呟いた。尻尾がしゅんと垂れ下がっている。
 あたしは我慢の限界だった。蓄積した苛立ちが同情を上塗りし、怒りへと転じてしまう。
「先代はもう死んだだろ。あんたの前で死んでただろ!」
 なんて……レイにひどいことを言ってしまった。
 あたしは怖かったんだ。幻聴を聞いたレイの顔はどこか遠くを見つめていて、すぐ近くにいるあたしを忘れたように視えたから。
 どうしてそこまで必死になって探す?
 あたしより──先代の方が大事なのか?
 本当に先代が見つかったら……あんたはどこかへ行ってしまうの?
 そんな不安から来る苛立ちを、勢いのまま彼にぶつけてしまった。
 普段は落ち着いた様子のレイも、そのときばかりは強く言い返してきた。
「君は怯えているな」
 そう言われたよ。四六時中一緒にいるからか、レイにはお見通しだったね。
「家族の記憶なんて消すべきじゃなかった。絶縁は間違いだ。……君だって、本当は後悔しているのだろう?」
 図星を突かれたあたしは、頭が真っ白になった。
 彼を失うことを過剰に怯えてしまうのは、もう後が無いからだ。自分で、そんな状況にしてしまったからだ。
 だけど虚勢を張っていた。本当は寂しいだなんて、後悔しているだなんて、レイにさえ知られたくなかった。嘘を吐き続けたかった。ただのアルモアでいたかった。
 だけど──とっくに本心はバレていた。
あたしはショックで混乱した。込み上げる恥ずかしさや怒りのままに、彼を傷つけるための言葉を発してしまう。
「だって……、レイの……っ! ……レイのせいじゃん……! レイと、契約したから……! そうするしか無かったんじゃん!」
 言ってしまってから、あたしはハッとして口を抑えた。
 後悔がどっと押し寄せてくる。彼の顔を見れなくて、床に顔を伏せた。
 墓場でのことを思い出す。レイが先代に対してどんな罪悪感を抱いていたのか、あたしはよく知っている。
 なのに。
 それをえぐるような真似を、あたしは──。
「……!」
 気が付いたときには家を飛び出していた。
 そして近くにある防災公園へと駆けていき、ベンチに座って頭を抱えた。
 どのくらいそうしていたのかは分からない。たった五分のことだったが、一時間はそうしていたのか……。
 夜風に包まれながら、レイにどう謝ろうかと必死に考えていた。
 こうして彼と離れたのは、契約以降初めてのことだった。当然と言えば当然だ。あたしの魔法少女としての役目は、彼を守ることなのだから。デペイズマンがいつ襲ってきてもいいように、傍にい続けなくてはならない。
 だから、早く家に戻るべきだ。
 頭ではそう分かっていた。
 だけど、彼にどんな顔で会えばいいのか分からない。
唯一の友人になんて言えば、元の関係に戻れるのか分からない。
 あたしはベンチで一人蹲っていた。
 ──と。
「隣、いいかな?」
 大人びた女性の声が、あたしの隣に座った。
 背筋が凍る感覚がした。包丁を肌にぴったり当てられるような恐怖に襲われる。
 飛び上がるように振り向くと、そこにはアルモアが座っていた。
「やぁ、初めまして」
「……え……? は…………?」
「あはは。そんなに驚かれると照れちゃうなぁ」
 アルモアはツインテールをふらふら揺らしながら、くすくすと笑った。
 何かの擬態をしているような、中身のない不気味な振る舞いだった。
 ……あぁ、その通り。正体はブロワーだ。
 奴はすぐにそう名乗り、自分が《死への衝動(デストルドー)》の一部であることを得意気に話してくれたよ。
「──所詮デペイズマンは魔力を固めた兵士にすぎない。力ばかりで大した考えを持たないのさ。でも、それじゃあ君たち魔法少女には勝てないと分かった。そこで僕が出てきたわけだけど……。僕自身はまだ門の向こう側にいる。今は風船の内側から頑張って手を伸ばしているような状態で、残念ながらこの世界に干渉できない。……だから、一計を案じさせてもらったよ」
「……何が言いてぇんだ」
「《死への衝動(デストルドー)》の一部である僕には、不思議な特徴がある。その人にとっての死に招く存在に視えるんだ。これを利用した」
「まさか……。てめぇが、幻聴の正体か……!?」
「正解!」ブロワーが嬉しそうに手を叩く。「先代の声と姿でレイのトラウマを刺激して、どうにかしておびき出せないかなって試してみたんだ。結局それは上手くいかなかったけど、なんと君の方から離れてくれた! ありがとう、おかげで上手くいったよ!」
「……うまく、いった──?」
 嫌な予感がよぎり、冷や汗が背中を伝う。
「うん。全部、もう済ませてきたよ。──凄く小さな、それこそ至近距離まで行かないと当てられないような、針みたいなデペイズマンを用意した。そして一人になったレイに近づいて、彼の心臓を狙った。……でもね、刺し殺したわけじゃない。君に見て欲しくなったから、別の方法で殺すことにしたんだ!」
小学校で褒められたことを母親に話すかのような無邪気な口調で、ブロワーは朗々と語る。お喋りしたくて仕方ない、って感じだった。
 あたしは愕然として動けないまま、彼の言葉を聞いていた。
「どんな方法かって? それはね──契約違反さ。悪魔との契約を破れば、代償として命をとられる。……いつでも刺せる状態で脅して、レイに契約を結ばせた。こちらの要求は、一切の生命活動を今すぐ停止すること。あっちの条件は、このことを十坂泉凛に話すこと」
 契約違反を起こしたら、死ぬまでに少し時間がある。レイが、その場で刺殺されるより契約違反の強制を受け容れたのは、その猶予であたしと話せると思ったからだろう。
「契約は結ばれ、レイの心臓が一打ちした途端、たちまち彼は契約違反となった。……今、君の家のリビングで息絶えようとしているよ」
 あたしはようやく現実を理解して、勢いよく立ち上がった。
「……てめぇ……ッ!」
 怒りの形相を浮かべるあたしを無視して、ブロワーのやつは喋りたいことだけ喋ったら満足そうに息を深く吸い込んだ。
「ん~~~~! あー、空気が美味しいな! 花もいい匂いだ! ……なんてね、全然分かりません。あーあ、本当に羨ましいよレイ。レモン風味のチーズなんて、果たしてどんな味なんだい? いつか僕にも分かるかな……」
 ブロワーは自分の世界に浸るようしみじみと言った。
 そして真っ直ぐに、あたしの家がある方向を指した。
「さ、早く行きなよ魔法少女。そして、よーく目に焼き付けることだね」

 玄関扉を開け放つと、薄暗い部屋の中でフローリングにぐったりと横たわるレイの姿が視えた。
 ぶわり、と全身を襲う焦燥。
 心臓がたちまち早鐘を打つ。奥歯ががちがちと鳴りだす、
「待て……。待て待て待て、駄目だ。絶対に駄目だ。頼む……! お願い……!」
 神に縋るような気持ちで土足のまま駆けつけた。
「大丈夫、きっと大丈夫……っ」
 自分にそう言い聞かせ、根拠のない希望を抱く。そうでもしないと、前へ進むことができない。最悪を想像する恐怖から、両脚ががくがくと震えて仕方なかった。
 両手でレイを抱き上げる。
 彼は無傷だったが、その小さな身体はいつもより重く、生気がすっかり失せていた。
 手のひらにぐっしょりと濡れたような感触がする。
 ──溶け初めているのだ、と分かった。
 世界の音が急速に遠のいていく。
 受け容れたくない、と脳が目の前の現実を否定する。
「あ……、あぁ……っ!」
 あたしは目を見開いて、ひゅうひゅうと喉から音を漏らした。身体から力が抜けていく。
 この絶望をどう受け止めればいいのか分からない。ドス黒くて冷たいものが、心を、下の方から浸食していく。
「れいっ、レイ……! 嫌だ……! レイ! 起きて、お願い!! レイッ!!」
「…………十坂、殿……」
 レイが少しだけ口を開いて、今にも消え入りそうな声であたしの名前を呼んだ。
 僅かに開いた目を見て、あたしは彼に縋りつく。
「レイ! どっ、どうすればいい!? ねぇ、どうしたら助けられる!?」
「……契約に、違反した……。もう、助からない……」
「そんなこと言うなよっ!! あたしは、助かる方法を訊いてんだよ……ッ!!」
 レイはあたしの顔を見上げながら、諦めたように微笑んで首を振った。
「…………すまない。我の落ち度だ。申し訳ない……」
「違う!」と、反射的に叫ぶ「あ、あたしが……、あたしが悪かった! あたしが、もっと早く戻ってきてれば……! ガキみたいに家から出てったりしなけりゃ……!」
「我がブロワーに騙され、先代に惹かれたことが原因だ……。すまない……」
「謝るな……! 謝るなっ、謝るなっ、謝るなぁ……っ!! レイはなんにも悪くないぃ……!!」
 あたしは駄々を捏ねる少女みたいに喚いた。すぐ目の前に迫った受け入れ難い現実を拒絶するように、頭を強く振る。
「…………もっと高く、抱いてくれないか」
 そう頼まれて、あたしはすぐに両腕を上げた。近づいたその黒い眼に、あたしの赤い顔が写っている。
 顔をよく見たいから──そんなお願いをしたのだろう。
 彼は最期にそれを望んでくれたのだ。
「なぁ、十坂殿。いつかの墓場で……傍にいてくれて良かったと、高山殿はそう思っていたと、そう言ってくれてありがとう。あの瞬間……救われた。我にも、生まれてきた意味はあったと感じることができた……」
 レイは徐々にかすれていく声でそう言った。
 その顔はどこか朗らかで、優しかった。
「あ、あたしも……。あたしも……っ! あたしだって、レイが──」
 彼に伝えたいことが胸の中に溢れた。どうして普段からもっと話しておかなかったのかと悔やんだ。なんでひどいことを言ってしまったのだろうと腹が立った。レイのせいだなんて、そんなの嘘だ。
 言いたいことが多すぎて喉に詰まり、逆に何も話せなくなる。「……っ!」早く、早く伝えなければ。もう彼とは二度と会えないのに。この瞬間が最後なのに。
 レイはあたしのかけがえのない一部だと伝えたい。この感情を少しでも届けたい。ちゃんと別れを告げたい。そんな焦燥が身を焦がす。
「──ねぇ、レイ! あ、あたしは……!」
 やっと最初の言葉が見つかったとき──彼は微笑んだまま目を閉じた。
 そして、小さな体躯がゆっくりと融解していく。絵画を溶かすように、どろどろと液状になっていく。デペイズマンを倒したときと同じ光景に、今更ながら彼も悪魔だったのだと実感する。
 両手には何も残らなかった。レイだったものは指の間をすり抜けて、床へと吸い込まれていった。
 あたしは茫然自失として、座り込んだまま空っぽになった手の平を見つめていた。
 代わりに、ひらり、と桜の花びらが落ちてきた。空けっぱなしの玄関扉から、風に乗って迷い込んできたのだ。
 桜の木々がざわざわと揺れる音が聞こえる。
 心と頭が現実に追いついていく。
 私は理解した。するしかなかった。
 レイが、あたしのせいで死んでしまった──と。

 部屋の時計は午後十一時を指していた。
 彼女の語る過去に没入していたからか、私の時間感覚は飛んでいた。ブロワーが去ったのはつい五分前のような気がする。
 十坂は深呼吸を一度して、「……以上だ」と言った。私の視線から逃げるように立ち上がり、部屋の扉に向かって数歩進める。しかし行く宛など無いと思い出して、足を止めた。
 腰に手をつき、項垂れながらまた深く息をつく。きっと幾つもの感情を抑えながら語ってくれたのだろう。その複雑な胸中を察して、どう声をかければいいのか分からない。感謝も、同情も、理解も、明かされた彼女の現実に対してはひどく陳腐な言葉だった。
 私は言葉を探しながら、彼女の高い背筋を見つめる。齢十七の女子高生にしては、膂力や歴史を感じさせる厚みがあった。
「……五宮。今の話で、魔法少女が何なのか分かったか?」
「……はい。だいぶ疑問が解消されました。レイさんは、現世と悪魔の世界を塞ぐ門の生きた鍵。魔法少女とは、彼を護るという条件で《生への欲望(リビドー)》と契約し、その力を使う存在……ですね?」
「あぁ」
「昔から目撃例があったのは、先代がいたからですね?」
「そうだ。高山さんが、二十年近く魔法少女としてこの世界を護ってくれていた。それなのに……あたしは負けた」
 十坂は顔を見せないままぼそりと言った。自分で再確認するようだった。
「あたしはレイを死なせてしまった。門の封印は解かれ、あっちの世界から《死への衝動(デストルドー)》が出てきちまう。人間はそれに呑まれて次々に自殺すんだろう。──あたしのせいで、世界は終わるんだ」
 ブロワーは「この旅には本当の目的がある」と言い残し、彼女も認めた。だからこの過去語りは始まった。
 しかし聞き終えても尚、そんなものは無いように思える。やはり彼女はデペイズマンの本体(ボディ)──すなわち《死への衝動(デストルドー)》を倒すために動いているようだし、亡くなったレイもそれを望んでいるだろう。本当は世界を壊そうとしているとか、レイを生き返らせようとしているとか、そんな情報は出てこなかった。
 やろうとしていることは変わらない。
 なら、本当の目的とは──彼女の心理的な深堀りを指すのかもしれない。
 そう考えた途端、パチリと合点がいった。
 私だからこそ、すぐに思いつけたのかも知れない。
 私はその感情を──知っている。
 共感の向くままに、自然と口を開いていた。飛び出したのは、いつか夏休みが始まる日に斎藤から言われたあの言葉だった。

「──もしかして十坂さん、死のうとしてますか?(・・・・・・・・・・)

アルモア 7

アルモア 7

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-27

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