チョコレート
彼はいつか自分の探偵事務所をもちたいと思いながら、大学卒業後いろいろな職業につき機会を待った。飲食店、IT会社、運輸業などで経験をつみ、今はそろそろと将来の設計図を頭の中でめぐらし、池袋の警備会社に勤めている。
先日、今度派遣される美術館に近い谷中に越してきた。
住む所をさがしたが、美術館に近いところだと、墓地の脇に建っている築四十年の古アパートしか見つからなかった。一人暮らしだし、夜勤が多いこともあり、昼間に静かに寝ることができれば問題ない。そういう点では、大きな墓地の隣は、自分の生活にあっている物件だった。
大家は年をとった地元の人で、しばらく借り手がなかった部屋が埋まったということでたいそう喜んでくれ、月額を少しばかり負けてもくれた。
これからしばらく美術館の警備員である。岩見美術館という名のよく知られた戦後に活躍した洋画家、岩見昭吉の子どもが建てたものだ。終戦直後から描かれた若い女性の姿の写実絵は、世界にも多くのファンがいる。ところが画家は戦後五年間に相当の数の作品を仕上げると、いきなり行方知らずになったといういわくつきの人間である。いまだどうなったのか明らかになっていない。
美術館の警備は彼のいる警備会社から派遣されていたのだが、今度そこに三年いた主任が本部にもどることになり、代わりの希望者をつのった。彼が率先して申し出たことから、警備主任として美術館に派遣されることになった。前の主任は本部の課長に昇格して戻った。岩見美術館の警備員は彼を入れて三人、彼はここでの仕事を最後に探偵の道に進もうと考えていた。
前任者とは引継をすませ、若い二人とも状況をきいて、おおよそは頭にはいった。特段難しい警備ではないが、地下の倉庫には売れば一枚数百万から数千万の絵が二、三百点も所蔵されている。今まで泥棒に入られたことはないそうだが、ねらっている盗賊団がいても不思議はない。
展示されている作品は定期的に、地下倉庫にしまわれているものと交換され、またデパートや地方の美術館での催しに貸し出されることもしばしばで、人の出入りもかなりある。そういったこともあり、館内のセキュリティーシステムは宝石商並に厳しいものがある。
岩見美術館そのものは大きな建物ではなく、警備しにくいところはない。こういった美術館は昼間の警備もだが、休館日の月曜と夜間が彼らの責任の重くなるときである。夜回りは警備員が一人になり緊張する。だが明け方までに何度か巡回するだけで、そこここにあるモニターカメラからはいる映像で、警備室から監視すればよいことから、体力的にはきびしいものではない
美術館の運営はとある画廊に委託されている。画廊の経営者の一人である女性が、この美術館の事務長もかねている。戦後の混乱期にはこの画廊が岩見の絵を一手に買い取っていた。そのようなことから美術館を建てた岩見の娘に営業を委託されたと聞いた。事務長はとても気さくな女性で、いろいろ教えてくれるので助かった。
棲むことになったアパートは、六軒しかない小さな二階建てで、空いていたのは二階の角部屋である。小さいが寝室と居間それに小さなキッチンがあり、自分ひとりでは十分の広さだ。アパートの入口は細い道に面し、反対側の寝室の窓を開ければ、由緒ある古い寺の墓地が広がっている。
谷中は墓地の多いことで知られるが、目の前に江戸時代から続く死人たちの一戸建てが並んでいるのを見るのも悪くない。警備の仕事をしていることもあり、こういった一般の人には薄気味悪く感じられる場所でも、一人でいても怖さも感じることはなく、むしろ静かさが心休まる。窓をあけると、前には大きな木がいくつも植わっており、墓地は広々としていて、夏になれば涼しい風も入ってくるに違いない。
自転車を買ったので、美術館まで五分と通勤もとても楽になった。
四月から勤務がはじまり一月がたった。美術館の中のことはほとんど頭に入り、高度なセキュリティー設備が備わっていることもあり気持ちも落ち着いた。前からいる若い二人も頼りがいのある連中で、自発的に動いてくれることから、心配するところは全くない。自分のペースがとりもどせたところである。
飾られている絵もだいたい頭にはいった。女性を描いたものが多く、その中でも裸婦のシリーズはどれもきれいで、巡回中も思わず足を止めてしまう。等身大のはだかの女性が、さりげない動作をしている。等身大の人の絵が多い。一つ気がついたことがあった。どの絵も描かれている女性の目は描いている人を見ている。描いた画家もそれを意識しているのではないだろうか。
5月の連休が始まっているのだが、美術館の来場者はいつもとあまりかわりがないと館員が言っていた。子どもランドの警備を担当したときの慌ただしさから比べると、なんだか物足りなくも感じる。谷中のこの美術館の来訪者は、絵にかなり精通した人たちで、外人旅行客もそういった感じの人たちが多い。休日が続くと来場者は確かに増えるが、国立の美術館のような極端な変動はないという。警備員としては楽な職場である。
夜勤は七時に朝番に引継する。その夜もいつもの通り何事もなく、美術館をでて自転車で5分ほどのアパートに帰った。テレビでニュースを見ながら、朝の軽い食事をして、その後風呂に入りベッドに横たわる。
夜勤でもほんの短時間だが仮眠はしているので、すぐ眠りにつくというほど睡魔がおそってくることはない。目をつむって、しばらくすると眠りにつく。だが、その日はなかなか眠くならなかった。
墓地が見える窓には光を通しにくい生地のカーテンがかけてあるが、その日は暑いくらいだったので窓を半分開けてあった。日によって違うが、墓地のほうからここちよい風が吹いてくる。
ベッドから見ていると、カーテンがふわっとめくれ、窓の脇の大きな木の枝が目に入った。若葉に覆われているが、そこで何かが動いた。リスを見かけたこともあるが、それはもっと大きい肌色をしたものだ。またカーテンが風でめくられ、窓を閉めようかと半身をおこし、墓地を見ると、小さな一つの墓の前でたたずんでいる人がいる。墓参のようだ。いやおかしい、肌色のスーツを着ているのかと思ったら裸の女性のようだ。
目が疲れているのだろうか。と思ったとき、風にあおられてカーテンが顔にかかった。外からもやもやとしたものが部屋にながれてきた。砂埃か、そう思って目を瞑った。そのまま起こしていた半身をベッドにもどしたとたんなにもわからなくなった。眠ってしまったようだ。
気がついた時には目覚まし時計は4時を示していた。
体が重い。めずらしいことに、ぼーっとしてしまい、なかなかベッドからおりることができない。いつもと違う。意識して上半身を起こすと、いきなりすーっと体が軽くなった。頭は重いままだ。これがいつもの自分である。四肢や腰の関節にたまっていた古くなった水が抜けてハッカ水がそそがれたようだ。
起きあがり、ベッドから降りると、足が勝手に動く。軽快に動く。顔を洗って、冷蔵庫から冷えたエネルギー補給水をぐーっと飲んだ。これから洗濯と買い物にでかけ、いったん家に戻ってから夜の警備にいく。
たまった汚れ物のシャツや下着をまとめ自転車でアパートをでた。セルフクリーニング屋で洗うものを自動洗濯機に放り込むと、そのあいだにコンビニにいき、弁当を買った。できあがっている洗濯物をとって家に戻り、買ってきたものをバックからだして驚いた。買ったものの中に弁当だけでなくチョコレートがはいっている。そういえば無意識に手を伸ばし、なにかかごに入れた記憶がある。
どうしてチョコレートを買ったのだろう。そのとき急に頭が重くなった。あ、っと思ったときうつむいて、手はいつの間にかチョコレートの包装紙を破り、銀紙を乱暴にはがしてかぶりついていた。うまい。いっきにみんな食べてしまった。
顔をあげると身が軽くなり、いつもの空腹を感じた。お茶の用意をして、買ってきた弁当を開けた。チョコレートを一枚まるまる食べてしまった後なのに、いつものように美味しく弁当をたいらげた。
テレビを見ると、7時のニュースがはじまっている。二時間後に家をでる。ここのところ夜勤が続いている。警備員の一人の親が病気になり、看病のために夜警ができない。主任である自分がかわりをつとめている。
大変だが、夜警は意外と好きである。夜になると仕事に行きたくなる。美術館にかかっている絵を思い出すと、足がそちらの方に向くような気持ちだ。絵の中の女性はなぜか引きつけるものがある。描いている画家を見ている女性の顔がなにかを訴えかけている。本当は画家ではなくほかを見たいのではないだろうか、こちらを向きたいのではないだろうか、と不思議な感覚になる。何度も見に来ている人もいるようだし、この画家の絵が人気のあるのは納得できる。
まだ八時半だが行ってしまおう、そう思って自転車にまたがった。そのまま美術館ににつき、守衛室にはいると、その日の後半担当者が驚いた顔をした。
「はやいですね主任、異常はありません、地下のほうでかたかた音が聞こえたので、くまなく調べたけど、なにも問題ありませんでした」
「なんだっただろう」
「外の音が地下からのように聞こえたのかもしれません」
交代する時間は十時きっちりと決まっているので、彼はその時間までいなければならない。しかしそこは現場で融通をきかせる。
「あとはやっておくから」
日誌には十時ちょうどに交代したとこにしておけばいい。
「すみません、それじゃありがとうございます」
彼はうれしそうに帰り支度をした。生まれたばかりの子どもの顔でも思い浮かべているのだろう。
美術館には誰も残っていない。展示物をかえたり所蔵物をよそに貸したりするときには、遅くまで館員と運搬会社の人が作業をしているが、そういったことがない限り、館員たちは遅くとも七時には帰る。
彼が帰った後、まず警備員が書いたそれまでの日誌を読み、来場者の様子や美術館の中の出来事をチェックした。なにも変わったことがない。
十時からの巡回をはじめた。館内を一時間ほどかけてゆっくり見て回り、守衛室に戻ると仮眠用ベッドに腰掛けた。家でぐっすり寝ているので眠気はない。
ベッドの上から、デスクの上にある館内カメラのモニターが見える。次の巡回まで時間がある。横になってモニターを見つめる。
目をつむると、頭の中にチョコレートを食べたことが思いだされた。なぜいつもは買わないチョコレートを買って食べたのか。甘いものも嫌いではないが、あの森永の板チョコを買ってかじるなどということは、生まれてこの方一度もしたことがない。甘いものでもどちらかというと餡子もののほうが好きだ。
次の巡回は二時である。
一時半だ。ベッドからおりモニターを確認して、巡回の準備をする。
二時、懐中電灯を肩につるし、見回りにいくために立ち上がった。一階の玄関ホールの様子を確認し、展示されているものを見ながら歩く。掛かっている絵が曲がっていたりしたら、そのむねを日誌にかく、自分で直したりはしない。男女トイレの中の個室も一つ一つ開けてみる。二階の展示場もくまなくまわり、三階の事務所や作業室の鍵を開けてのぞく。ちょっと立ち止まって、物音がしないか聞き耳をすます。なにごともなければ、もう一度二階の展示場におり簡単に様子を見て、一階を素通りして地階に降りる。
地下室には絵がしまわれている。入口の大きな扉は絵の移動のため以外には開けない。扉の端についている小さな潜り戸の鍵をもっており、守衛はそこから中にはいる。倉庫にはいると、左右に絵が立てかけられている大きなスチール製の棚がならんでいる。そこに所蔵してある作品が厳重に包装され、ならべられている。
倉庫の中にはいると中から鍵をかけた。懐中電灯を広い部屋に向けた。
はっとした。奥の隅に誰かいる。
腕時計で時間を確認し、警棒をにぎりしめた。
「だれだ」
どうやってはいったのだろう。ゆっくりと近づいて、懐中電灯の明かりをその人間にむけた。
真っ裸の女が、隅にうずくまってチョコレートを食べている。明かりを照らしてもこちらを見ようとしない。
「なにやってる」
そう言ってちかづくと、女が首をのばし、ねじまげて大きな目でこちらを見た。目が喜んでいる。女が立ち上がった。その拍子に色の白い整った乳房がふるっと揺れた。きれいな体をしている。長い黒髪が肩にかかってさらっと揺れた。
手に持っているチョコレートの残りを口に入れ、笑顔になるとそのまま、すーっと消えた。
頭の中が動かない。長い時間に感じたが、腕時計を見ると一分ほどのことだったようだ。やっと足を前に一歩踏みだし、女のいたところを調べた。
なにもない。彼は何度も倉庫を回り、女のいたところを見た。
本当に見たのだろうか、自分の目を疑うようになった。これだけ探しても倉庫内に虫の一匹もいない。
戻ることにした。倉庫を出ると小扉の鍵を慎重にかけ、一階の展示場をまわった。一枚の絵が目をくぎづけにした。
若いはだかの女が椅子に行儀よく腰掛け、描いている画家をしっかり見つめている絵だ。絵の中の目は笑っていない。倉庫にいたのはこの女だ。しかもあの女の目はチョコレートを食べ。笑って喜んでいた。
倉庫の中に女がいるわけは無い、この絵の印象が今日食べたチョコレートと結びつき、妄想を見たのではないか。医者に相談したほうがいいのだろうか、そう思いながらその場を離れた。
守衛室に戻り、ベッドに横になって、このことを日誌に書くべきかどうか考えた。やはり書くべきだろう。彼は、人のような姿をみたが、気のせいだったのだろうと書いた。チョコレートを食べていた裸の女とは書かなかった。
朝になり、次の担当と引継をすまし、家に戻った。急激な眠気がおそってきた。彼は風呂にも入らず、警備会社の制服のままベッドに横たわった。
すぐに彼の寝息が聞こえてきた。
彼のからだから白い蒸気が立ち上り、ベッドの脇に裸の女が現れた。
女は彼の制服を脱がし、折り畳むとベッドの下に置いた。そのまま台所に行った。
しばらくすると、墓地から風が吹き込み、彼の顔をなでた。彼はふーう、と深い息をすると、目をあけた。カーテンが揺れている。
時計を見ると午後の三時近い。制服がベッドの下にたたまれてある。いつの間にか下着姿になって寝ている。
シャワーを浴びると、空腹を感じた。朝食も昼も食べていない。
キッチンにいくと、コーヒーの香りがした。テーブルの上にできたての目玉焼きにトーストがあった。コーヒーカップから湯気が立っている。
いつ作ったんだろう。夢遊行動。そんな言葉が頭に浮かんだ。いつも食べる朝食だ。自分の作り方で作られた目玉焼きだ。ここのところ夜勤がつづき、頭の調子が狂っている。
食べ終え、買い物の用意をして自転車にまたがった。いつものようにコンビニで夕食用の弁当を買い家にもどった。
買ったものをテーブルの上に出すと、また板チョコが二枚あった。うまそうと思って包装を破った。あっという間に食べた。買ったことも覚えていなかったのだが。
風呂に入り弁当を食べると、昨夜同様八時過ぎに美術館に出勤した。
「主任、昨日も早かったけど、今日もまた早いですね」
昨日と同じ若い守衛が驚いた。
「うん、家にいてもやることがなくてね、彼のお母さんはどうなのかな」
もう一人の守衛は、夜母親を看病するため、前半の警備を担当している。
「だいぶいいようですよ、もう少しで夜の看病も要らなくなると言ってました」
そろそろ今までどおりの交代ができるようになるだろう。
その夜、巡回していると一枚の絵が目に留まった。昨日の絵ではない。その絵の中の女性のふくよかなからだは、昨日の女性よりすこし年が若いようだ。まっすぐ立って、両手をくんで神に祈るようなしぐさをしているが、目は描いている画家の方に向けられている。
隣の絵にも目がいった。守衛は絵に見とれたりしていてはいけないものだ。広く目配りをして、絵の内容ではなく、掛かっている状態や、むしろ掛かっている壁のようすにおかしなところがないか見なければいけない。
それは果たしているつもりだが、そのあとに絵に見入ってしまった。
その絵の中の女の子は高校生ほどの年だろうか。ソファーに横たわり、両手が頭を抱えるようにして片足を床に落とし、もう一つの足を背もたれの上にのせている、成熟した女がその格好をしたら、みだらな姿になってしまうが、この絵の女性は、しどけないと言った雰囲気がでている。ただ目は画家を見ている。
絵をそのように見たことがなかったので、自分でもびっくりして、あわてて絵から目をはなした。
地下の部屋にはいると、なにか動く気配を感じた。今日もだ。懐中電灯の光を隅に向けた。光の中にまた女がいた。しかも二人のはだかの女が向かい合って、チョコレートを食べていた。今日はなにもいわずに近づいた。懐中電灯の光を女の顔に向けた。二人は気付き、顔を彼のほうに向けた。二人ともうれしそうに笑って頭を下げた。
目の前に裸の女がふたりいる。これでも幻影か、自分がおかしくなりそうだ。一人の女が、板チョコの端を折って、彼に差し出した。
彼は思わず手を伸ばした。左手にチョコレートのかけらが一つおかれた。そのとたん、女たちは消えていた。
彼はチョコレートのかけらを握って守衛室にもどった。握りしめていた手を開くと何もなかった。
朝になり、受け継ぎをするとき、親の面倒を見ている警備員が、
「主任、いつもすみません、母親はだいぶよくなりました、来週からはいつもの交代ができます、ありがとうございました」
と言って彼から鍵の束を受け取った。
「それはよかったね、それじゃおねがいしますね」
彼は日誌に二人の女のことは書かずに美術館をでた。
アパートの部屋にもどり、その日はパジャマに着替えたが、ベッドに横になると、すぐに眠りに落ちた。
目を覚ますとキッチンに誰かいるような雰囲気が感じられた。
あわてて、ベッドからでるとキッチンをのぞいた。
三人の若い女がキッチンのテーブルを囲んで腰掛けていた。チョコレートを食べている。
三人とも薄汚れたもんぺをはいていた。
チョコレートを食べ終わると、立ち上がって着ているものを脱いだ。
からだはとてもきれいだった。
三人が彼に向かって歩いてきた。棒立ちになって見ていた彼の体に重なると消えてしまった。
自分の体の中に女たちは消えた。
いつもの朝食が眼の前に用意されていた。
その日、守衛室で美術館のカタログを開いた。
いなくなった画家が書いた文を読み直した。
気になる文言があった。戦争孤児たちはチョコレート一枚で、ヌードモデルになってくれたとあった。
迂闊だった。この個人美術館を建てた画家の子供はなにをやっている人なのだろう。運営は画廊だが、所有者は画家の子供である。館長でもある。まだ会ったことがない。
仲間の一人が夜警にもどり、彼に昼間の警備が増えた。
その日、巡回中に事務長に美術館の持ち主である館長についてたずねた。
「実は、私も会ったことはないの、その昔、画家の絵のモデルだったということよ、なぜ」
と聞き返された。
「画家のお子さんってどのような人か知りたかったものですから、画家のモデルだったということは、モデル業をしていた人ですか」
「本当のお子さんじゃないのよ、経緯は知らないけど、モデルだった人が画家の養子になったのでしょうね」
「この画家の描いた女性の目は必ず画家を見てますね」
「あら、よく見ているわね、そういえばそうね、どの女性も控えめで、日本女性のエロティシズムがにじみでているわね、西洋画家の描くヌードモデルは、自分を輝かせて見せているけど、ここのモデル自身が恥ずかしさをかくしているのね、終戦直後の素人だからかしら、そこが受けるところなのね」
「カタログなどに奥さんの話は出てきませんが、どのような人だったのですか」
「いないのよ、画家は行方不明だし、画家は戦争孤児だったモデルの一人を養子にしたのよ」
「絵のモデルは何人もいますね」
「そうね、たくさんいるのよ、よく描かれていたモデルは四人、養子になったのはその中の一人よ、一階の部屋の左側真ん中に、がれきの中のミューズという絵があるでしょ、その四人の女性の中の一人よ、他の三人は、画伯がいなくなってからどうなったかはわからないという話よ、本名もわからないみたい」
「そうですか、ずいぶんきれいな若い娘をあつめましたね」
「若い娘ばかりよね、実は倉庫には外に出したことのない若い子の絵がもっとあるのよ、カタログにも出てないの」
「どういうことですか、もったいないじゃないですか」
「それがね、館長が外にださせないのよ、子どもたちの裸の絵なの」
「女の子ですか」
「ほとんどはね、小学生ぐらいかな、男の子もいるわ、戦後にチョコレートをあげてそうさせたのだと思うのよ」
「美術館には館長の名前や、お客さんへの挨拶があるものだけど、ここにはまったくなくて、不思議だと思っていたのですが」
「そうね、岩見明日香さんていうのよ、名前は書かないでほしいと、言われていて、代わりに、うちの画廊の社長が、代理と言うことで挨拶などを書いているわよ、明日香さんは、かなりの年で、ケアー付きの養老施設でくらしているの、もう百近いからね、記憶がはっきりしていないみたい、五年ほど前に美術館にきたけど、それ以降はみえないわね、管財人の弁護士さんが代理で相談にのってくれているわ、弁護士さんはこの画家の絵が好きで、明日香さんに美術館の建立をもちかけたみたい、弁護士さんはたまに美術館にいらっしゃるわよ」
そういう話だった。
巡回のとき、話に聞いた絵のところに行った。絵の中の四人の女性の眼は画家を見ている。絵の左端にいる女性が岩見明日香のようだが、一番色が白く、ほかの三人より年が上なのか肉付きがいい。三人は夜中の妄想で会っている。地下の倉庫でチョコレートを食べていた女性たちだ。
画家の失踪はなんだったのだろう。きっとこの四人が何かを知っている。そのような思いが頭の中をよぎった。
その日は非番だった。朝早く、アパートの窓から墓地を見下ろした。この時間にもう墓参をする女性の姿が目に入った。小さな墓の前で頭をさげている。やっぱり肌色のスーツをきている、いやなにも着ていない。裸の女性。自分がおかしくなっている。確認しなければ、急いで部屋から出た。墓地の入口に走った。かなりある。さらに墓のところに向かって走った。墓についたときには誰もいなかった。
墓石の表には唐草の模様があり、名前がかかれていなかった。石の後ろには三人の女性の名前が刻まれていた。墓を建てた人たちなのだろう。絵の三人の女の顔が浮かんだ。チョコレートを食べていた女たち、自分の部屋にまで来て食事の用意をしてくれた女たち。
アパートに戻り、朝食を食べてから寺に行った。
あの墓は誰の墓か聞きたかったからだ。
年をとった住職は、戦後に建てられて墓で、岩見さんの依頼だと言った。
「画家の岩見さんですか」
「いえ、あの美術館をたてた、岩見さんのお子さんですよ」
台帳も調べてくれたが、埋葬したことは書かれていなかった。画家がいなくなり、長年経って、死亡宣告を受けたから、お子さんが作ったのではないかと住職は言った。
「ということは、墓だけ作ったわけですか」
「まあ、そういうことになりますな」
「遺産を相続されていたし、お父さんがいなくなってずいぶんたってからですから、作られたのでしょうかな」
住職は岩見明日香が養子であることを知らない様子である。
「墓石の後ろに三人の女性の名前がありますが、岩見さんじゃありませんね」
「モデルになった方だと聞いています」
「作った本人、岩見さんの名前が無いのはどうしてでしょうか」
「私はそこのところ聞かされていないのです、先代の住職、私の父親は知っていたかもしれません」
住職は画家の墓の管理費は岩見の養子になった女性が払っていると言った。お礼を言って後にした。
画家は本当に行方知れずだったのだろうか。
その数日後、岩見明日香が死んだことを事務長からきいた。さらに極秘のことだとうちあけられた。
「じつは、中毒死なのよ」
「どういうことですか、ガス中毒とか」
「ちがうの、自分のタンスの奥にしまっておいたチョコレートを食べたそうなの」
「チョコレートで死にますか」
「それが、戦後の板チョコをしまっておいたらしいの」
「あの森永のですか」
「森永かどうか知らないけど、それを食べて死んだみたい、ケアハウスの手落ちじゃないかと、警察に問い詰められているそうよ」
その日の夕刊に、岩見美術館の持ち主である岩見明日香の死亡記事が小さくのった。
次の日、テレビで意外なニュースが流れた。岩見美術館の所有者が青酸カリ入りのチョコレートを食べて死んだというものだった。
昭和25年に作られたい板チョコには青酸カリがぬられていたとあった。はじめは古い板チョコの食中毒かと考えられ、調べた結果、青酸カリを検出したということだった。
あまりにも古いもので、どうしてそういうものを持っていたのかわからないということである。ある評論家は、戦争に負けたときに、子供の自害用に作られたものではないかと想像を働かせていた。
岩見明日香は自分の意志で、そのときにと、しまっておいたチョコレートを食べ、自死したのだと彼は思った。
事務長から、一月後に若い娘の絵を中心にした「四人のモデル」と題した特別展をすると守衛室に連絡があった。
事務所にいって話をきくと、
「亡くなった明日香さんが岩見画伯の最初のモデルではなかったかといわれているし、モデルの絵を一堂に集めた特別展をするつもりなの」
事務長は開幕予定日を言った。
「ほかのモデルさんの消息はわからないのですか」
そうたずねると、
「そうなの、事務所としても調べたけど、わからないし、明日香さんも四人以外は知らないと言っていたしね、本当はモデルたちの声がもらえるとありがたいのだけど」
「ほかの三人のモデルのことに詳しい人はいないのです」」
「当時の人はいないけど、岩見画伯の研究をしている学芸員の茜さんに聞くといいわね、美大の大学院生よ、明日香さんとも元気なときに話をしたようよ」
美術館の展示室の隅に腰掛けて見張りをしている若い女性である。
彼女に三人のモデルについてきくと、
「私も知りたいです、墓石の裏に彫られた名前はあてにならないようですよ、はっきりしているのは、ヒロ、マチ、ヨシと呼ばれていたということだけです、明日香さんからききました」
「墓石に刻まれた名前は、明日香さんが墓を作ったときに、寺に言ったのではないのですか」
「そうですけど、明日香さんが言うには、戦後の混乱のときに、モデルになるため三人が警察に届けた名前で、本当のところはわからないのだそうです」
と首をかしげた。
「三人はどこにいるのかわからないのですか」
「ええ、明日香さんが分からないと言っていました、私も少し調べました、モデルさんはたくさんいて、一度だけの人もいたみたい、しかも、デッサンでおしまいになった人も多いということでした、あの三人のモデルさんの絵が多いので、岩見画伯と三人はどこかにいっしょにいったのではないかと聞いたら、まさか、といって明日香さんは苦笑していました」
「明日香さんは岩見昭吉画伯のことをどう言ってました」
「すてきな人だったらしいですよ、やさしい方だっと言ってました」
「明日香さんはどこの人だったのでしょう」
「東京の人で、戦災で焼け出された人のようで、ほかの三人も同じような境遇のようです」
「同じところにいたのでしょうか」
「それは違うようです、画伯は東京のいろいろなところから、モデルを捜してきたようです」
「どうやってだろう」
「そのころは食べることにも大変なときですから、食事ができて、屋根の下で寝ることのできれば、なんでもしたでしょうね」
「チョコレート一枚でもですね」
「そうですね、ヌードモデルも引き受けたでしょうね」
そういう時代に、岩見はチョコレートをもち、めぼしい女性をさがして、焼け落ちた東京の町を歩いたのだろう。
「失踪後に、明日香さんは岩見画伯の籍にはいったのですか」
「いえ、それはできないでしょう、失踪される一月ほど前です」
「奥さんにしたわけではないのですね」
「養子です」
「岩見さんには奥さんがいないとききましたが」
「正式の奥さんはいないようです」
なぜ明日香さんを奥さんにしなかったのだろう。奥さんではまずいわけがあったのかもしれない。
「明日香さんはどうして青酸カリが塗られたチョコレートを食べて自殺したのでしょうね」
「自殺なのでしょうか」
逆に質問された。
「新聞記事とテレビニュースでしか知りませんけど、そう思っただけです」
「明日香さん認知症がすすんでいたみたいだから、食べてしまっただけではないかと思ってました、ただ、なぜもっていたかわからないんですけど」
「戦後のもののようで、新たに青酸カリを塗ったのではないようだし」
「守衛さん、岩見さんのことそんなに興味があるのですか、探偵さんみたいですね」
そう言われてちょっとあわてた。
「すみません、今は警備会社にいますけど、将来は、おっしゃった通り、探偵事務所をやりたいと思っています」
「やっぱりそうですか」
彼女は笑顔になった。
その日の夕刊の片隅に、岩見明日香のことが載っていた。青酸カリの塗られたチョコレートを食べたという報道の訂正だった。改めて銀紙にのこっていたチョコレートの粉や、遺体の組織を調べた結果では青酸カリは検出されなかったということだ。最初に調べた衛生局の検査官の談話では、血液に青酸カリが確かに含まれていたが、そのグラフが紛失していた。それで改めて調べた結果、青酸カリが検出されなかった。岩見明日香の死は心臓麻痺による死に訂正された。おかしなことである。
次の日、事務長は、「よかったわ、変な噂が流れたら、美術館が大変になるもの」
ほっとした表情で話しかけてきた。
「よかったですね、これで安心して、追悼の特別展準備ができますね」
特別展「四人のモデルたち」の準備は着々と進められた。
開幕の前日は美術館の休館日で、休館日前日の閉館時間直後から急いで展示物の配置換えが行われる。いつもアルバイトにくる大学生が集まって、学芸員たちの指示に従って動いている。
通常の展示物の取り外しと地下倉庫への移動。倉庫から必要な作品をとりだし、掲示予定の場所の下にはこぶ。次の日の作業がスムースに行くように準備しておくわけである。
その日、夜勤の者と夜の十時に交代して、帰り道にある定食屋で食事をとった。その後、朝のパンなどをコンビニで買って十一時にはアパートにもどった。
買ったものをキッチンのテーブルに広げると、まただと思った。板チョコが四枚、袋の中から出てきたのである。レシートを見た。確かに買っている。
チョコレートだけ、またレジ袋に押し込んだ。明日は夜中の担当だ、チョコレートを持っていこうと、なぜか思った。
その日、久しぶりにウイスキーをあけた。テレビでスポーツニュースを見ながら、炭酸割りを二杯ほど飲んだ。風呂に入り、ベッドにはいって、目をつむった。きっと夢を見る、そう思いながら睡魔におそわれた。だが夢を見ることなく朝までぐっすりと眠った。
今日は休館日、美術館ではあわただしく特別展の準備が進められているだろう。
夜中の担当なので夜の十時までに行けばいい。だが準備状況も気になって、夜の八時には守衛室にはいった。
「主任早いですね、みなさん大変そうでしたけど、僕は見回りだけで、いつもより暇ぐらいでした」
若い守衛はそう言うと帰り支度をした。
「適当に帰っていいよ」
彼は三階の事務室にいった。事務室のスタッフは全員残っている。事務長もまだ事務室にいた。
「主任さん早くでてきたのね」
「ええ、準備はどうですか」
「みんなよくやってくれてる、十二時前には終わるわね、私も最後までつきあうわ」
事務長はこんなこともはなしてくれた。
「岩見美術館は岩美明日香の遺言で市に寄贈され、運営は今まで通りうちの画廊がひきうけることになったのよ」
これからは市の管理になるわけである。
二階に行くと、ほとんどの絵がかかっていて、プロデューサーの人が全体の調整を指示していた。一階をとばして地下にいくと、貯蔵庫の大扉も開いたままになっており、学芸員の人たちも出入りしている。
一階にもどって展示室に入ると、大学院生の学芸員が絵を掛けるところの指示をしていた。
一番目立つとところに、岩見明日香がモデルの絵が数枚かけられている。ヒロ、マチ、ヨシそれにアスカの四人のモデルが一緒にポーズを取っている絵は最も目につくところに飾られていた。
十一時頃には展示作業も終わり地下室が閉められた。
事務長も作業員も十二時前には美術館をでた。でるときに見送りに行くと、事務長が寄ってきて
「明日は開催初日の開幕式があるから、洋画壇の重鎮や美大の先生やらがたくさんくるようなの、大変だわ、よろしくお願いしますね」
と言った。明日の開幕式のあいだは、守衛は二人いたほうがいいだろう。
「私も午前中は帰らないで、ここにいることにしますから、ご心配なく」
「そうなの、それはありがたいわ、それじゃ」
事務長は呼んだタクシーにのった。
夜中の二時、いつものように巡回を始め、最後に、地下倉庫の小扉の鍵をあけた。
中に入ると隅で何かが動いた。また、と思ったが彼は落ち着いていた。
小扉の鍵を中からかけ、振り返ると、隅のほうに、女が三人いる。絵のモデルたちだ。裸の三人は足をかかえて話をしている。会うのは何ヶ月ぶりだろう。
懐中電灯の光を向けると、一人が立ち上がった。ヒロのようだ。手を差し出して、こちらを見た。マチとヨシもこちらを見た。
そうか、チョコレートか。守衛室においてきてしまった。とりに戻ろうか、と考えたとき、腰につけていたポーチのチャックが開いた。中にチョコレートが見える。
ヒロがたちあがり、そばにきた。ヒロの顔が間近になったとき、手が伸びてきて、彼のポーチから四枚のチョコレートをとりだした。
笑顔で会釈をすると、二人のところに戻り、マチとヨシに一枚づつわたした。
三人は紙を破ってチョコレートをかじった。
残り一枚のチョコレートが床の上におかれている。
誰かがくる。ふりむくと、中から鍵をかけたはずの小扉がすっと開いた。足が見えた。裸の女が中に入ってきた。近づいてくる。
白い肌が彼の脇を通り越すと三人の女の前に立った。引き締まった尻がきれいな曲線をみせている。
女は三人の女に向かって左手をのばしている。左利き。岩見明日香は左利きと聞いた。ヒロがその女にチョコレートをわたした。
女は受け取るとこちらをむいた。
岩見明日香だ。あの、九十いくつかで死んだばかりの岩見明日香だ。若い頃の明日香はみごとな体をしている。
チョコレートの銀紙を破り捨てた。板チョコをかじった。うれしそうに食べた。食べ終わると口をいきなりゆがめ、目が飛び出し。そのまま床に倒れ、もがきくるしんだ。やがて動かなくなり、床の中にしずんでいった。
三人の女も床の中にしずんでいく。女たちの頭だけが床の上に残った。女たちの目が彼を見た。彼がそれぞれの女を見ると、彼女たちの頭は床の中に埋もれて見えなくなっていった。
彼は地下の部屋から出ると、一階の新しく飾られた絵を一通り見た。どの絵の中のモデルたちもかわりなくきれいだった。
守衛室に戻った。
その夜中は仮眠をできるだけとるようにして次の日に備えた。
特別展開幕の日、事務室の人たちはいつもよりはやく出勤してきた。
交代の守衛も少し早くでてきた。
「かわりなかった、今日は、おれも午前中いるから、君はいつものところをしっかりやってください」
そういって引継ぎをおわらせた。
事務長に朝の挨拶にいった。
「開幕は十一時です、お偉いさんがかなりくるけど、付き添いの警備の人もくるから、そちらの警備は考えなくていいわ、いつもの絵の警備をしっかりおねがいします」
彼女は私服の警察官もくると言った。文化庁の長官がくるためのようだ。
十時の開館の前に、一階の特別展示のところで立っていると、事務長が背の高い背広姿の老人と話をしているのが聞こえてきた。それが文化庁長官だった。洋画家で、岩見昭吉とも面識があったようだ。十一時の開幕式でゲストとして話をする。
「明日香さんの遺書には、自分の建てた墓には入りたくない、霊園にでも葬ってほしいと書いてあったそうだよ」
「そうですか、それは管財人の弁護士さんがなさるのでしょう」
「そうだな、本人が作った墓のある寺には相当の遺産をわりあて、岩見のはいっていない墓をまもるようにということだそうだ」
「それで、明日香さんの墓地はきまったのですか」
「どうしようか管財人もまよっているようだ、霊園とあったが、同じ寺の別の場所に新しい墓を作ったほうがいいのではないかと言っていた、モデルでもあったわけだから」
「そうなんですか、美術館としても、そのほうがパンフレットには書きやすいですね、明日香さんのおかげでこの美術館も維持されてきたことだし」
「岩見の絵はただの具象絵ではなくて、モデルたちから戦後の雰囲気が漂ういい絵だからね、いいモデルをやとったものだね」
長官はフランス暮らしが長く、風景画を描いていた人である。岩見も若い頃フランスにいたこともあり、そのころの知り合いかもしれない。
そのような話をきいて、自分のよく見る四人のモデルの女たちとチョコレートの幻影はなにを意味するのか結びつかない。
岩見の失踪と同時に三人のモデルもどこにいるかわからない。当時、それは問題になっていない。古い新聞には、失踪に関してモデルたちが記者にそれぞれに答えている。一様にどこに行ったかわからないとある。もちろん明日香もそう言っている。そのあと、モデルたちは離散し明日香だけ残った。そのときにすでに養女になっていた。そして遺産が受け継がれた。
なぜ養女になったのか。いや、岩見は養女にしなければならない何かがあったのか。確かに明日香は最初のモデルのようではあったが、それが理由なのだろうか。
開幕式も無事終わり、岩見明日香追悼の特別展「四人のモデルたち」がはじまった。マスコミも美術界も改めて岩見昭吉の絵をほめたたえ、来館者は増えた。
岩見明日香の墓は、天生寺の自分がつくった岩見昭吉の墓の近くに建てられた。
彼のアパートの部屋から見えるところである。
明日香の埋葬の日は夜中の担当である。部屋の窓からその様子が見えた。昭吉の墓よりアパートに近かった。大勢の人が参列していた。
それから数日後である。新聞に奇妙な出来事として、昭吉の墓が大きく取り上げられた。こういうことだった。
天生寺が明日香の管財人の許可を得て、昭吉の墓を掘り返したのである。墓が傾いてきたこともあり、この際だから改修するつもりで基礎の石をどけた。
墓石の下に穴があいており、壊れた茶箱が埋まっていた。茶箱の壊れた蓋を取り去ると、中に人骨がはいっていた。しかも四体分である。一人は男、あと三人は女の骨だった。
鑑定されすべての骨に青酸カリの反応がでたということである。
集団自殺、という見出しの新聞もあった。
司法検査の結果では、男は岩見画伯であることがはっきりし、三人の女は岩見画伯のモデルをしていた女性だろうと推測された。ある新聞には、四人のモデルが描かれた岩見の絵をのせ、岩見明日香と一緒にモデルをしていたヒロ、マチ、ヨシではないかと書かれていた。
自分もそうだろうと思った。
集団自殺ではない。明日香は岩見昭吉が死ぬ前に養子になっている。
明日香が四人を殺した、と言う筋書きを考えてみた。
その前に、岩見昭吉がどのようにモデルを捜したのか。これはただの推理にしかすぎないが、焼け出された東京の町で、歩き回り、腹を空かせた若い女の子をさがした。親も空襲でなくし、食べ物であれば何でも喜んだ孤児たちに、米兵のくれるチョコレートは豪華な贈り物だ。岩見はどのようなつてかわからないが、たくさんのチョコレートを手にしてヌードモデルを捜した。
一回だけモデルになった娘もあっただろうが、モデルとして一級の姿態を持った女の子は自宅にかよわせた。あの三人がどこにすんでいたかはわかっていない。明日香だけ養子にした。
まだ絵が高く売れる時代ではない。だが岩見は資産家だ。地主の息子は地元の青森に売るものはたくさんあった。若い頃パリに遊学し、戦争の始まる前に日本に戻ってきて東京に居をかまえている。戦争にも行っていないのは何か理由があるのだろう。結婚を一度もしていない。女性に興味がなかったのか、体質的なものか。確かに岩見の描くヌードは官能的ではなく、女性の美を見て描いていることは確かだ。
モデルの女性の立場になったらどうだろう。昭和のそのころの女性は、ふつうに結婚をして、夫に尽くすという教育を受けている。モデルになった、特に何度もモデルになって、家に出入りをしていた女たちは妻になることを考えたことだろう。だが、岩見は女に興味を持たない。女たちは岩見の前で裸をさらすだけ。ひたすら絵を描き続ける岩見になにを思うか。
明日香は何かのきっかけに岩見に籍に入れろと迫った。ほかの三人を出し抜いてその立場を射止めた。
岩見昭吉は、明日香たち、特別なモデルを見つけてからも、焼け跡の東京を食べるものをもって、新たなモデルをさがし歩き続けていたようだ。美術館のカタログにもそのようなことをしたことが書いてあった。優しさのためだと描いてあるがそうだろうか。おいしそうなお菓子を見て子供たちがよってくる。岩見はまだ小学校低学年の子供に目がいく。本当にモデルを捜して徘徊したのであろうか。美術館の地価倉庫にはたくさんの子どもの裸体画があるがまだ整理されていないという。幼児性愛者、という言葉が頭に浮かんだ。最近はそういった資質のある男による性犯罪が問題になっており、うちの警備会社は幼稚園、小学校などの警備もたくさん頼まれている。
当時、明日香はそれを知っていたのではないか。子供を守ろうと、明日香が岩見を殺した。殺したことを知ったほかの三人も殺した。飲みものに毒を入れたか、チョコレートに毒を塗ったか。明日香は四人の死体を自宅に隠し、やがて、天生寺に供養の墓をたてた。墓の後ろには三人の名前も刻んだ。墓石の下には骨を大きな茶箱にまとめ埋めた。天生寺の住職に墓の業者を尋ねたとき、明日香の知り合いで、天昇寺出入りの業者ではないときいている。
これは一つの推理であって、岩見を殺したのは四人でやったのかもしれない。そのあと、明日香が養子になっていることを知った三人は明日香に分け前を要求した。そんな筋書きもできる。
地下室で、チョコレートを食べていた三人のモデル。妄想ではなく、本物の幽霊だったのかもしれない。明日香の建てた岩見の墓の近くにすんだ自分のところにあらわれたのはチョコレートを食べたかったのだろうか。
妄想はいくらでもわきでる。
明日香は青酸カリチョコレートで自殺したと最初に報じられた、後で青酸カリの検出は間違いということになった。三人のモデルの幽霊たちが明日香の食べたチョコレートに青酸カリを塗ったかもしれない。幽霊が明日香を殺した。復習をした幽霊はこの世には出てこなくなり、幽霊の塗った青酸カリも消滅した。明日香の死因がごたごたしたのはそのためかもしれない。
そろそろ警備会社をやめて、探偵として独立しよう。独立したら、明日香のことを詳しく調べてみようと思った。
実は、このようなことを、あの美大の大学院生である学芸員の女性に話した。
「どうしてそう考えたのですか」
「自分の住んでいるアパートや、美術館の地下室で、三人のモデルの幽霊にあった」
「幽霊を見た人に会ったのは初めてです」
さらに、
「作家になった方がいいのではないですか」
そう言って、彼女は大きな口を開けて笑った。
チョコレート