ご遠慮の作法
ご遠慮の作法
「じゃんけんで勝った方が選べるんだよ」
二つ上の姉が言った。
近所に用事ができ、ちょっとそこまで母親が出掛けたときのことである。
台所に置いてある細長い缶に入ったオレンジジュースと桃のジュースの二本。そのどちらを選ぶかのじゃんけんだった。
当然、二人ともオレンジジュースが希望だった。
このときは真夏である。
ボロアパートの我が家にはクーラーなんてものはない。常温のジュースならばオレンジジュースの方が断然美味しく飲めることくらい知っていた。
しかし、まだ幼稚園児だった私は、姉の策略にまったく気付いていなかった。
私は毎回じゃんけんの最初はチョキを出す習性だったらしい。
姉がその事実を教えてくれたのは私が二十歳ごろのことだった。どうりで幼いころは姉とのじゃんけんに勝てなかった訳である。
当然その時も私はチョキを出し、「あれ?いつもお姉ちゃんには勝てないなぁ」などと言っていたらしい。
いつも通り、グーをそのままガッツポーズに変えた姉が選んだのは当然オレンジジュースのほうだった。
つぶつぶ入りのオレンジジュースを姉が美味しそうにグビグビと飲んでいるのを横目に、私も期待を込めて桃のジュースをゴクリと飲んでみた。濃厚なジュースならではのドロリとした食感と、もったりと喉を落ちる感じが幼少の私には馴染めなかった。しかも常温となると、どうにも不快であった。
美味しそうにオレンジジュースを飲み切って、満足そうに頬を膨らませている姉に対抗するように、私も負けるもんかと気持ちの悪さをグッと我慢して飲んだが、とうとう耐え切れなくなり、不覚にも台所でリバースしてしまった。
涙目の私の後ろで、姉がケタケタ笑っていたのが小憎らしかった。
その桃のジュース。かの有名メーカーの、あの桃のジュースなのであるが、お恥ずかしながら私は未だに手に取れずにいる。
小学校高学年の理科の授業だった。
生徒それぞれがカップラーメンを持参し、実験で湯を沸かしてラーメンを作る、そして食べてみようというユニークな授業があった。
前日、母にそれを言うと「面白い実験をするのね。あら、でも今うちにカップラーメンあったかしら」と、一個くらいあっても良いようなものの、その日に限ってカップラーメンを切らしていた。
もう夕方だったのだが、母と二人で近所のスーパーへ走った。
ついでだからと買い物カゴを持った母は「どうせだったら、あんた食べたいの買いなさいよ」と勧めてきた。
小学生の時分、我が家では健康上と発育上の理由から、カップラーメンは滅多に食べさせてもらえなかった。なので母の言葉に一瞬耳を疑った。
私は前々から食べてみたかったカレー味のカップヌードルを選んだ。
恐らく私がそれを持ってニコニコしていたのだろう。母は「また、そんな安っぽいのじゃなくても良いんじゃない?」と不憫そうな笑顔で私を見下ろしていた。
私も子供心ながら、あまり値段が高いものを選ばないように気を遣ったのも確かであったので、母はそれを見透かしていたのかも知れない。
そして翌日の理科の授業。
いま思い返しても一体どんな趣旨の実験だったのか思い出せないが、カップラーメンに水を入れて、線のつながった電極が付いた金属の棒を二本差し込むのである。
そこに電流を流すと水がお湯になってカップラーメンが完成するという手順だ。
一度にクラス全員分はできなかったようで、各テーブルに数名ずつ分担されて実験をしていた。
ようやく私の番になり、電極を差し、しばし待つとカップヌードルが完成した。遅ればせながら私も湯気の沸き立つラーメンを食べようとした。そんなときだった。
「お!お前カレーヌードルじゃん。俺、大好きなんだよ、ちょっとだけ食わせろ」とガキ大将で知られるワンパク小僧が、別班のくせに突然ヌッと現れて、私の手元からカップを奪い取ってしまった。
腕力でも剣幕でも奪い返せる自信のなかった私は、ちょっとだけなら良いかと仕方なく許した。彼が私のカレーヌードルにむしゃぶりついている姿を見たとき、なんとも言えない屈辱感と口惜しさが、下腹部のあたりからムラムラと突き上がってきた。
しかも彼は一口どころか、いつまで経っても箸を止める気配はなく、ついにスープまで喉を鳴らして飲み干してしまった。
舌なめずりをして「あぁ美味かった!サンキュ!」とご満悦。
私の前に、空っぽのカップをコンと置いて戻っていった。
普段ならば、なんてこともない食べ終わったばかりのカップヌードルの残骸が、このときばかりは非常に醜いもののように感じた。
そして何よりも、私だけではなく、私の母までも侮辱されたような気分にもなった。
うちに帰ると母から「実験うまくいったの?美味しかった?」と聞かれたが、私は「うん、美味しかった」としか答えることができなかった。
我が家では毎年、誰かの誕生日にはささやかながら誕生日会を開いていた。
この前、実家で懐かしい写真を見つけた。
私が小学生になったかならなかったかくらいの年齢だと思う。食卓の前で姉と一緒に写っている写真だった。隣の姉に笑いかけている私がいた。
姉は真正面を向いてカメラに向かって笑ってはいたが、どうにも満面の笑みに見えなかった。姉の前の食卓には、折り紙で作った手作りの器の中に、ひなあられのようなお菓子が入ったものが置いてあった。
なんとなく思い出してきた。
確かあれは私の何歳かの誕生日であった。
ご馳走を食べて、ケーキを食べ終わり、親からのプレゼントをもらってからである。
姉が私に、そのひなあられが入った手作りの器をプレゼントしてくれたのである。
普通に受け取れば良かったのだが、私は変なところにバカ正直な節がある。受け取ったからには、ひなあられを完食しないとならないと思い込んでいた。
ご馳走とケーキのあとである。もう満腹で、ひなあられを食べられる隙間は幼い胃にはない。
「いいよいいよ。もう食べられないから」
「え、せっかく作ったんだからあげるよ」
姉とこのような問答を繰り返した記憶がある。
結局ひなあられは受け取らず、変なタイミングで「ハイ、チーズ」となってこの写真が残されたのだろう。
どうして隣の姉に私が笑いかけていたのか当時の私の心境は一切判らないが、この直後に母から、「別に食べなくても良いんだから受け取るだけ受け取りなさいよ。お姉ちゃん可哀想でしょ」と言われた記憶があった。
どうも私は昔から断り方だとか遠慮とか、言われたことの受け流し方が不得手である。
そういえば、もう一つ似たようなことがあったのを思い出した。
小学校低学年だったか、父の叔父の家にお呼ばれしたときだった。
その叔父は夫婦で不動産関連の会社を営んでいて、とんでもなく羽振りが良かった。
「そうだ、セスナでも乗りに行こうよ」と叔父が言い出すと、私は何のことやら判らぬまま飛行場へ連れ出された。
貧乏一家ゆえ飛行機に乗る機会すらなかったうえに、私は高所恐怖症だったのでセスナなんかに乗りたくない。
私は嫌になり、母に辞退を懇願した。
「この子、怖いから乗りなくないって」
母がこう言っても、なにせ怖いもの知らずの父に「男のクセになに情けないこと言ってんだ!」と一喝されれば抵抗は、はいそこまでである。
父も費用を支弁する叔父の手前、体裁もあったのだろうが。
同じく怖いもの知らずの姉はウキウキの遊園地気分になっていた。
万が一があって、一家全滅では始末が悪いとのことで、母(高所恐怖症)と叔母は地上に残った。このときばかりは母たちが本当に羨ましくて仕方なかった。
セスナでの遊覧飛行は三十分程度だったが、生まれて初めての高度で眺める街並みは、怖くもあったが、地図を見ているような新鮮な気分になった。
操縦席の隣に座った父は「一回転の宙返りとかできないの?」とか馬鹿な無茶を操縦士に言ってガハガハと笑っていた。
無事に着陸したときは全身の力が抜けたのを覚えている。
しかしながら思うに、ひと昔前で大人二人に子供二人でセスナでの遊覧飛行とはリッチなお遊びであった。
叔父は思い付きで動いていた様子だったが、改めて今は亡き叔父さまには「ありがとうございました」と感謝の意を申したい。
セスナに乗った日の夜のことだったかは記憶していないが、その叔父の家で晩ご飯を食べたときのことである。
店屋物だったが、これがまた立派な特上のお寿司を振る舞ってもらったのである。
当時は回転寿司もほとんどなかった時代であり、かつ貧乏一家がお寿司にありつけるなんて滅多になく、お寿司という食べ物の全貌すら私は知らないでいた。
なまもの自体がようやく食べられるようになった年頃だったが、親の目も気にしながら、なるべく安価で子供らしいカッパ巻きやかんぴょう巻き、玉子を中心にお腹を満たしていた。
セスナの件や、このお寿司の件もそうだが、叔父夫婦には一人娘がいたが、まだ未婚で孫がいなかった。なので私たち姉弟が孫のように可愛がられていた。
どこかに買い物へ行っても叔母から「好きなもの言ってごらん。何でも買ってあげるから」と言われ、真に受けて、ときにはおもちゃ、ときには絵本を買ってもらっていたのだが、それは父からしたら面白くなかったらしく、「そういうときは遠慮するもんだ!いくらすると思ってんだ!」と毎回厳しく怒られるため、次の機会には子供なりに必死になって遠慮をするのだけれど、そこはやはり大人には敵わず、「なによ、子供が遠慮なんかしてどうするのよ」と押し切られてしまう。
お寿司のこのときは、そんな堂々巡りにも慣れてしまったころだったが、やはり親の目の前である。大トロだとか、イクラだとか、本能的に美味しそうに見えた興味のある寿司ネタには目をつぶって食べていた。
「あらなに、さっきからカッパ巻きばっか。ほかのもおあがんなさいよ」
さすが大人である。おもてなし上手な叔母からツッコミが入った。
もちろん丁寧に遠慮をして断ったのだが、「ここの甘エビの軍艦美味しいのよ。食べた?食べてない?ほらおあがんなさい」と私の手元の小皿に移されて、半ば無理やり勧められてしまった。
ここまでされて食べないのは逆に失礼にあたることくらい私も判っていたし、さすがの父も目を三角にして睨んでも来なかった。
私は生まれて初めて甘エビの軍艦巻きを食べてみた。
これまで食べてきたエビは、ひな祭りのちらし寿司に入っていた小さな蒸しエビくらいなもの。なまのエビがこんなに美味しいものだとは知らず、脳ミソが痺れるくらい感激した。
私がみっともないほどの美味しそうな顔をしていたのか、どんなリアクションをしてしまったのか判らないが、叔母はほかの寿司桶にある甘エビの軍艦巻きをせっせと集めて私の小皿に乗せていった。
「さぁお食べお食べ!美味しかったんでしょう」
さて、こうなってしまった以上はこれも平らげないと失礼にあたる。
それ以上に、私自身も甘エビの軍艦巻きの美味しさに化かされてしまっており、箸を止めることが不可能になってしまっていた。
いくつ食べたか覚えてちゃいないが全部平らげて、それまでに食べたカッパ巻きなどの影響もあり、私の胃袋はパンパンの大満腹状態になっていた。
と、私が「ご馳走さまでした」と言おうとした刹那であった。「あら、全部食べた!よっぽど気に入ったのね!ちょっと待ってね!」と言ってから、叔母はなぜか電話の方へ行ってしまった。
私だけでなく、その場にいた父、母、姉も「???」であった。
叔父は赤ら顔でニコニコしながら、お寿司のネタの方だけをつまんで食べていた。
奥の方から叔母の声が聞こえる。
「そうそう甘エビね、甘エビだけもうひと桶持ってきてくれない?」
え、なに言ってんの?と心の中の私の声。
母が電話をしている叔母に駆け寄って遠慮をしていたようだったが、そんな遠慮を聞き入れるような人ではない。
信じられないことに数分後、甘エビの軍艦巻きのみが敷き詰められた寿司桶が届いてしまった。
「せっかくなんだから、おあがんなさいよ!」
私はすでに満腹なのだが、そういうときに身内は案外冷たいものである。
いつも大食いの父も、母も姉も、家族は誰も手伝ってくれる気配もない。
甘エビの軍艦巻きがとても美味しいものだったことは痛いほど判った。が、しかし満腹状態で目下にひしめく甘エビ艦隊は、もう私にとって脅威以外のなにものでもない。戦う前にして早々に白旗降参であった。
だがここでまったく箸をつけないことは、叔父や叔母に対してとんでもない失礼にあたる。
私は一人でこの甘エビ艦隊に挑んだ訳であるが、しょせん私の弱小な胃袋が敵うはずがない。
それでも二、三貫は頑張って食べられたのだが、結果は惨敗も良いところ。
母に連れられ、はばかりにおいてリバースである。
リビングのライトが差し込む隣のあれは和室だったか、母の膝枕で横になっている記憶が微かに残っている。
その夜、帰宅後に父からこっぴどく怒られて、ご遠慮の難しさというものを痛感した幼き敗戦録である。
おわり
ご遠慮の作法
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。