ぶどう農家民話・トンビの星
そのトンビは誰にとっても特別だったのです。僕にとっても、お父さんにとっても、カラスたち、そして他の鳥たちにとっても。
始業式が始まったばかりの春のはじめです。学校が終わるとお父さんの畑にダッシュして、僕はトンビをさがします。トンビはいつも、突き抜けてしまいそうな青く澄み渡る高い空にいると決まっています。
僕は首を90度、めいいっぱい上に曲げて、空に顔を突き合わせて叫ぶのです。
「トンビー!」
たちまち、空という波にたゆとうているトンビは、時に急降下して、時にじらすようにらせんを描きながら、いずれにせよ、しまいに必ず僕の前に降りてきてくれるのです。そして
「キミのお父さんの畑のミミズ、太くて立派だよ」
とか言って、地面をくちばしでつついたりするのです。
彼は僕の親友の、トンビです。
そこいらのありふれたトンビとは違って、誰よりも上へ、大空へ昇ることができる、現トンビ界の偉大なるジャンパー。生きるレジェンドと呼ばれています。
僕たちが親友になったのは、ごく自然のことでした。
僕は、雲ひとつない空という青い色紙の上を、ゴマ粒大のトンビが縦横無尽に旋回するのを眺めるのが大好きでした。いつまでもいつまでも、飽きることなく、寝ころがってただ見続けていたのです。
あんまり僕の様子が甚だしいものだから、ファンの熱意に根負けしたトンビが舞い降りてきてくれて、ごく当たり前に親友になったのです。
鳥なんてどれも同じだと言ったお父さんすら、僕のトンビだけは認めてくれました。お父さんも、なみいるトンビの中で、僕のトンビだけは遠くからでも瞬時に見分けることができるといいます。
だって僕のトンビは、他のトンビより筋肉隆々(誰よりも早く空駆けるように)で、毛艶が良く(ベストな飛行にはベストな羽毛)、瞳がらんらんと輝いている(完全な肉体を作る栄養を摂取するため)のです。
「カラスと友達になるよりはいいんじゃないの」
うちの畑のブドウを狙うカラスを、お父さんは常々嫌っているのです。でも、僕の友達は違います。ヒトが汗水流して育て上げた収穫物を盗み食いだなんて、決していたしません。何故なら、ポリシーがあるのです。
「大地を自由かったつに掘りまわっていた野生のミミズは、繊維がきょうじんでコリコリして美味しいし栄養まんてんだ」
「冷たい川の水にもまれたサカナと文字通り死闘を繰り広げるスリルはたまらないね」
「この間、ヘビを捕まえてね。クネクネ動くんで落としそうだったよ!」
自分の食事は自分の腕で納得のいくものを狩猟する。一本筋通った主張がカッコ良いのです。
一般的に、カラスはトンビと仲が悪いものですが、僕のスーパートンビに関しては当てはまりません。
カラス3兄弟が群れている横を僕のトンビが通りかかろうものなら、彼らは一斉に姿勢を正して会釈します。カラスも認める、男気あふれる任侠トンビなのです。しかも、僕のトンビはそのことを鼻にかけたり、お高くとまったりしません。気さくにカラスたちに話しかけ、どこのミミズが上等なのか惜しまずに教えたりします。
スズメやヒヨドリなどの小鳥たちからも絶大な人気があります。巣から落ちた雛を拾ってあげたこともあったし、イタチやヘビが狙っているとそれを逆に捕まえてくれたりするからです。
そんな姿勢はトンビ仲間からも評価され、一目置かれていました。みんなに愛され頼られる、そんなスーパートンビが僕の親友だったのです。
陽が沈みだすと、トンビはお父さんのぶどう畑の柵に停まってジッと空をにらむのが常でした。
「狩りには視力が必要だからね。星を見て鍛えているんだ」
僕の疑問にそう応えると、また一途に夕焼けに向き直ったものです。それを素直に信じた僕は、お父さんの仕事が終わるのを待ちながら、トンビと一緒に星々が満天にきらめき始めるまで眺めて過ごしたものです。
まさかトンビが、あんなとんでもないことを考えているなど、その頃は知る由もありませんでした。
その日もいつものように学校帰りに畑に立ち寄って、軽トラにランドセルを放りなげトンビを呼ぶ―――はずでした。
それが、軽トラを回り込むと、僕が来るのを待ち構えたように土の上にたたずむトンビがいたのです。
「びっくりしたなぁ、どうしたの?」
戸惑いがちに、でも親友に早く会えたのが嬉しくて僕は声を弾ませました。
しかしトンビは悲しそうな目を見上げると、口ごもって言い出しました。
「やぁキミ。ボクは・・・、ボクは、キミにさよならを言いに来たんだ」
突然の告白に驚くというより僕はむしろ戸惑いました。さよならってなんだい? トンビはツバメみたいな渡り鳥じゃないよね?
もちろんトンビは渡り鳥ではありません。むしろ僕のトンビは先祖代々、ここ岡山県北部に一族郎党繁栄を続けてきた由緒ある家系です。自分を厳しく律し、他者に優しく、曲がったことは許さない、それを代々家訓として引き継ぐことにより周囲からの信頼を築いてきました。僕のトンビもそれを守りつつ、次の世代へ継承していくはずでした。
「でも僕は、どうしてもあの星が気になって仕方ないんだよ」
ずっと以前から、トンビは『あの星』に魅入られていたというのです。『あの星』は誰よりも輝き、『あの星』は誘うようにまたたく。『あの星』は惑わすように刻々と姿を変え、『あの星』は時おり夜空から姿を消してしまう。
「『あの星』が夜空からいなくなると、いつも心がねじ切れるようなんだ。ひょっとしてもう二度とボクの前に現れないかもしれないって!」
「『あの星』ってどの星なんだい? 僕にはよく分からないよ」
「『あの星』は『あの星』だよ。でももうキミに説明している暇はない。ボクは今日、日没と共に『あの星』を目指して旅立つと決めたから」
いつの間にか、僕らの周囲をカラスや小鳥たちが取り囲んでいました。みんな、不安そうな、悲しそうな目でトンビと僕を見比べています。その様子で僕は察しました。僕が来るまでの間、彼らはトンビの決意を覆そうとさんざん説得していたのでしょう。それでもトンビの気持ちは揺るがなかった。だから、最後の頼みの綱として僕が来るのを待ちに待っていたのでしょう。
僕というヒト族に課された期待に応えようと、頼りない知識を総動員して話し始めました。
「星というのは、すごくすごーく、遠い所にあるんだよ」
「それは分かっているよ、だから今まで諦めていたんだ」
「多分、着けない」
「そうかもしれない、でも、そうでないかもしれない」
初戦はあっけなく僕の負けでした。あぁもっと真面目に理科の勉強をしておけばよかった!
「空のすごく高い所は空気が少なくて、そうだ! その上の、星がある所の宇宙には空気がまったく無いんだよ! 無理なんだよ!」
するとトンビはほんのちょっと肩をいからせて、誇らしげに答えました。
「水中での魚との死闘の成果でね、ボクは結構長く息を止められるんだよ」
「そんな数分のことじゃないんだよ、だって遠いから。ずーっと息をしないでいられる? あとそうだ、寒いんだって」
「ボクの羽毛はすごく暖かいんだ。去年、50年に一度の寒波が来た冬もへいちゃらだったよ」
徐々に、周囲の鳥たちの目に失望の色が漂い始めてきました。僕は今、明らかに役に立たないヒト族だと思われているとヒリヒリしだしました。
「もう帰ってこられないかもしれないんだよ。先祖代々守ってきたこの地になんの不服があるというんだい? 僕や、ここにいる友達の鳥たちと別れてまでして、どうして行かなければならないんだい?」
叫ぶような僕の、いや、僕たちの訴えに直面して、トンビは目をギュっと閉じると絞るように声を震わせて言いました。
「ボクだってこの地が、みんなが大好きだよ。いつまでも一緒にいたいよ。ずっとあの星を見続けてきて、とうてい無理だと思ってボクの生活を大事にしてきたんだ。だけどボクはずっとこのままなんだろうか。神様、このままずっとしたいことを後回しにして、最後には死んでしまうんでしょうか。いや、そうはならん。そうさせてはならない」
トンビは瞳をうるませながら、僕や鳥たちの顔を代わる代わる見つめつつ訴えました。
「わがままを貫くボクを許してください。信じてもらえないかもしれないけれど、ボクにとってキミたちとのこの生活は人生で一番大切なものなんだ。だけどそれを置いてまでしても、かなえたい夢がどうしてもあるんです」
みんな押し黙った重苦しい雰囲気につぶされそうになった時、スズメの中で一番小さい子がか細い声を上げました。
「・・・せめて送別会をしてからじゃあ、ダメかしら?」
どことなくホっとした空気が流れだしたのもつかの間。
「すまない。『あの星』は今夜を最後にしばらく空から姿を消してしまうんだ。だからどうしても、今日じゃなきゃダメなんだ」
「何時ごろに発つんだい?」
僕は時計を持っていません。けれど鳥ならばだれでも、常に時間を把握しています。
「あと少しさ」
僕以外のみんなは既に知っていたらしく、諦めて吐息をつくと肩を下ろしました。僕は、そうだ学校さえなかったのなら。せめてもう少し長く、最後の時を過ごしたかった。
「最後にキミに会えて良かった」
「もし僕が来なかったら、出発しなかったの?」
すまなさそうな顔をして、トンビは首を横に振りました。
「その時は、カラス君たちに伝言したよ。ボクのことを思ってくれるのなら、たくさん勉強して『あの星』について学んでおくれ。そしてまた会おう」
それから180度首をぐるりと回して
「みんなも、また会おう!」
そう言い放って、トンビは暮れ始めた空に羽ばたいていきました。そしてたちまちゴマ粒くらいの大きさになると、さよならの合図のように一回りしてから、さらに小さくなって、やがて見えなくなりました。
名残惜しくみんなで空を見つめていると、一羽のカラスが呟きました。
「トンビさんには言えなかったけれど、昔、トンビさんの遠縁の鳥が夜空高く飛んで行ってしまったと聞いたことがあります」
「その鳥、どうなったの?」
誰かが尋ねました。
「星になってしまったと聞きました」
小鳥たちが小さく叫んだので、僕はわざと強い口調で自分に言い聞かせるように呼びかけました。
「僕らのトンビは大丈夫。強いし勇敢だってみんな知っているだろう。トンビはきっと、その星に行って戻ってくるよ」
そうさ、きっとトンビは戻って来る。だから、みんな悲しまないで。
しかし、十日経っても、一か月過ぎても、季節が変わっても、トンビが帰ってくることはありませんでした。
トンビがいなくなってから、僕は畑にまっしぐらに向かうことはなくなりました。トンビのいない空など空ではなかったからです。
鳥たちとの関係も変わってしまいました。みんな互いによそよそしくなり、カラスなどはお父さんの畑のぶどうをまた狙い始める始末でした。
「あのトンビ、どこに行っちゃったんだろ」
カラスよけのため、ぶどう棚に網を張りながらお父さんはひとりごちました。もちろん、さり気なく僕の反応をうかがっています。けれど僕が黙ったままなので、それきり何も言わなくなりました。
やがて鳥たちの声も分からなくなってしまい、僕は一人でトンビとの会話を、特に最後の言葉を思い返すことしかできませんでした。
たくさん勉強して『あの星』について学んでおくれ―――
僕は学校の授業をしっかり聞いて、自分でも学習して、先生に質問さえするようになりました。鳥たちは、すれ違ってもすっかり他人のようになってしまったけれど、もう畑に行くこともなくなったので気になりませんでした。
そしてまた春が来て。僕は畑に帰ってきました。
綿密に計算した日付の近くから、日没に合わせて畑に立って『その時』を待つのです。初日は空振りで、珍しそうな表情をこちらに向けるお父さんとたたずむ僕だけが、からっ風に吹かれていました。
翌日も同じ行動をしている時に、周囲の鳥たちの視線を感じるようになりました。
その翌日から、明らかに僕を囲むように鳥たちが徐々に集まり始め、一週間も経つ頃には、僕が畑に着く前すでに彼らは大挙して待ち構えるようになっていました。
西の空に向かって、僕は仁王立ちします。その空は、あの日トンビが羽ばたいた空なのです。
そしてその日がやって来ました。ようよう黒くなる山際の向こうに小さな胡麻のような点が現れたかと思うと、たちまち大きさを増してまっしぐらに僕らのもとへ向かってきました。―――トンビです。
わぁっと鳥たちが声を上げました。それぞれの鳥の独特の鳴き声が交差する中、やがてそれらが意味する言葉に変わって行きました。
「トンビだ! 本当に帰って来たよ!」
興奮の渦中にトンビは急降下して舞い降りたかと思うと、澄ました顔で言いました。
「ただいま。お迎えをありがとう」
鳥たちの歓喜に包まれ、しばらくは僕も含めてみんなが抱き合ったり叫んだり興奮状態でした。ようやく落ち着いてトンビが僕のほうを見ると
「キミは分かっていたんだな。ちゃんと勉強したようだね」
「君は『あの星』は消えても戻って来ると言ったから、次に星が戻ってくるタイミングで君も戻ってくると思ったんだよ」
そうだったんだ、ちゃんと説明してよと一羽の小鳥が声を上げたのだけど、そうしたくても僕と鳥たちの間には壁が出来てしまっていたのです。でも、トンビが帰ってきた今となってはそれも過去のことです。
「送別会ができなかったから、歓迎会をしない?」
と一羽の小鳥が提案し、皆がイイネと連呼しました。離れて見守っていたお父さんが
「それじゃあ、うちの赤秀のシャインマスカットを提供するよ!」
と叫んだので、カラスたちは羽を広げて大喜び。小鳥たちも嬉しそうに競ってお父さんの肩に止まります。
そんな光景を満足げに見守っていたトンビは、僕に向き直るとくちばしを開けて奥から小石を放り出しました。
「お土産だよ。キミは好きかと思ってね」
「スゴいや。金星の石だね。ありがとう」
「ヒトは『あの星』を『金星』と呼ぶのかい」
金星は太陽系において地球より内側に位置する星で、地球からは夕方と朝方のどちらかで見える周期を繰り返しています。月以外では地球に一番近い星のため、輝きがひときわ美しく、トンビが魅入られたのも無理もありません。
「『あの星』では『あの星』のことを、なんと呼ぶんだい?」
トンビは待ってましたとばかりに、僕の目をまっすぐとらえて答えました。
「『トンビの星』と呼ぶんだよ。トンビの星には、トンビがたくさんいたんだ。まぁみやげ話は、おいおいゆっくり話そう」
お父さんが並べた長机に鳥たちが集まり始め、シャインマスカットを広げると同時に歓声が上がりました。馴れ馴れしく肩に止まったカラスの足を振り払うお父さんは、だけれど満面の笑みを浮かべています。小鳥たちが、トンビさん、あいさつをしてよとさえずり、トンビは照れたように主賓席にいざなわれました。
僕はトンビと、戻ってきた日常の価値を噛みしめながら、ひょっとしていつか自分もトンビと同じようなことをしてしまったりするのだろうかとぼんやり考えていました。僕の手には、小さい金星の石ころが固く握られていました。
ぶどう農家民話・トンビの星