私が不老不死なのを、どうか恨まないでください

前編

 私は、不老不死だ。
 私は、自分がいつ生まれたのかも、忘れてしまった。ただ、傍らには孤独と言いつつ、常に異性がいた。
 だが、みんな私を置いて、亡くなっていった。
 みんな、老い、亡くなっていく。中には、私が出会った姿のまま寄り添うことを恐れ、離れていった。または、それが原因で自死を選んだ。
 私は、傍にいる異性が離れるたびに胸を痛まなくなっている。
「どうせ、私よりこの子の方が先に死んでしまう」
 そう思うと、何も感じない、一枚の分厚い壁が胸に立っていると感じていた。

 懐かしい話をしたくて、今日はこの場をお借りした。
 旧友と語らう時間を、どうか私にも分けてほしい。

 あれは、いつだっただろうか。街は、下品なネオンが光っていた。
 繁華街の路地裏。私は一人で梯子酒をしている。いつものことだ。
 ネオンが消えかかったその店で、私はその人と出会った。
「カンパリオレンジで」
 私は、カウンターに座ると、初老のマスターにそう言う。
 横には、髪を結んだ男性が腰をかけている。インスタントカメラを片手に。
 風変わりな人だ。私は出されたカンパリオレンジを片手に、その人を眺めていた。
「コープス・リバイバーを」
 と、優しい瞳で言う。カメラを置くと、カクテルを待つそのひと時に、煙草の火を灯す。
 海のように青いボックスから、細い指が煙草をつまむ。
「マイルドセブンだね」
 と、思わず私は声をかけた。私はそう言いながら、紺色のピースの箱を取り出す。
「今はメビウスっていうんですよ」
 そう彼は、私の方を見て微笑む。
「そうなんだね」
 いささか20代になったばかりの容姿。長く細い髪が、目を引くには十分だった。私は、カンパリオレンジを傾ける。
「渋いね、君」
 と、私。
「そうですかね」
 と、彼は出されたカクテルを会釈して受け取った。
「あなたも、お若くていらっしゃる」
 彼は、そう言うと、一口目を飲んだ。
 二つの煙が、くゆる。
「私は、不老不死なんだ」
 酔った勢いもあるのだろう。何せ、もう三軒目だ。私は、夢見心地に、意地悪にそう言い放つ。
「面白いですね」
 彼は、それだけ言った。その横顔を眺めながら、私は煙草を吸う。
「君の名前は」
 私は、副流煙を吐きながら、彼に声をかける。彼は少し悩んだのち、
「露草。カメラマンをしています」
 それだけ、答えまた柔和な笑みを浮かべる。慣れた手つきで、煙草を灰皿からすくいあげた。
「へえ」
 私はカンパリオレンジを一気に飲み干す。
 面白い人だ。そう思った。
「マスター。スクリュードライバーを」
 と、言って私は露草に視線を戻す。
「何を撮っているのさ」
「主に廃墟を撮影しています」
 露草は小さなボディバックを漁ると、一冊のアルバムを見せた。
 フィルムカメラで撮った、やや粗めの写真たちが、並ぶ。人の気配はなく、否、かつて賑わっていたものたちが、ひっそりと佇む姿が、そこに映し出されていた。
 それは何十枚にも及んでいて、全てに私は釘付けになっていた。
「何がそんなに素敵なのさ。こんな、永遠ではないものたちが」
「朽ちているから素敵なんですよ」
 露草は、嬉しそうに語る
「儚さと、過去の喧噪が入り混じっている。人の手では、作り上げられません。そんな永遠の朽ち果てを、切り取っています」
 と、露草。
「へえ」
 私は手元に来たスクリュードライバーを、飲んだ。
「私、死なないんだけど」
 と、からかいついでに、私は言う。
「そういうの、僕は好きですよ」
 露草は、グラスの淵をなぞりながら、伏目がちに言う。長いまつげは、影を落としていた。
「私のことを、大概の人は気持ち悪がるか、好奇な目で見るのにね」
 私は、煙草の火をもみ消す。
「でも、正直羨ましさはあります」
「って、みんな言う」
 露草は、二本目の煙草に火を点ける。空気の焼ける臭いがした。
「廃墟のように、ゆっくり人に忘れ去られる様が、羨ましいです」
 この二十代の若者は、何を考えているんだろう。今まで感じたことのない感情に、心臓の裏がぞわぞわとしたのを、はっきりと覚えている。

 火を点けようとして、ライターのオイルが切れていることに気づく。
「ライター、あげますよ」
 と、煙を燻らせる露草は、言う。
 そのライターは、二軒手前のスナックのもので、私はつい笑ってしまった。
「ねえ、不老不死さん」
「や、私にも名前があるんだけどね」
 と、言ったところで気が付いた。
 私の本当の名前って、なんだっけ。
「オトギリっていうんだけど」
 と、咄嗟に言う。全然本名ではない気もするが、それは露草とて同じだろう。
「写真に納まっていただいてもいいですか」
 それを全く気にせず、露草は煙草をもみ消すとインスタントカメラを構えた。
「いいのかい」
 私は、斜に構える。
「あなたがいいんですよ」
 そう露草が言うから、少しばかりむず痒い気持ちになる。
 私は空をあおいだ。天井だが。どんなポーズにしようか。
 私は、思いつく。そうだ、あれだ。
 咄嗟に私はカウンターに肘をついた。そして、足を組み、露草の方を向いた。
「過去の文豪みたいだろう」
 と、私は空いた片手で煙草を吸った。
「いいですね、太宰治みたいで」
 露草はそう言うと、フラッシュを焚いて私を写した。

 露草はカクテルを飲み干す。
 私は、それを眺めていた。
「そういえば、僕」
 露草の頬は桃のようだった。
「明日、廃墟を撮影しに行くんですよ」
 ほう。私はその言葉に頷く。
「あなたと廃墟を撮影したいのです」
 と、露草が言うものだから、私は椅子から転げ落ちそうになる。
「ええっ、私なのかい」
「ええ。あなたは不死なのでしょう? 廃墟のような存在です」
 露草も、大分酔いが回っているな。私は、その頬を眺めながら、苦笑した。
「私のクソ長い人生の暇つぶしになるのなら」
 私は、苦笑いを浮かべる。露草は早速、行先のメモ帳を書き、私に渡した。
「現地集合で、お願いします」
 と、露草は言うと、
「マスター、会計を」
 マスターに話しかけて、退店をする。その時、振り向いて
「楽しみにしています」
 と一言、私に添えた。

 翌日。かすかに頭痛がした。
 昨日も飲みすぎたな。そう思いながら、服を選ぶ。と、いっても気取った服など持っていないものだから、白いネルシャツにジーパンを身に着けた。
 電車に揺られて一時間。私の記憶では、このあたりに線路が敷かれていなかった。いつの間にできたんだ。私は、車窓を眺めながら、ぼんやりと露草のことを考えていた。
「廃墟のような人」
 そうだ。私は、誰からも取り残される存在。ただ、そこにいるだけの、存在。
 廃墟だ。でも、奇怪な目で私を見ていない。澄んだカラスの瞳で、私のことを見つめていた。
「不老不死? 笑わせるな」
「痛いキャラ設定だね」
 そんなことを、さんざん言われた。だから、隠した。
 そうしたら、自分がわからなくなった。
「何考えているのか、わからない」
「気持ち悪い」
 そう何千年も言われたから、自分は自分を卑下した。
 酔いのつまみに、自虐的に語った。
 それなのに、露草は。
「廃墟のような人」
 と、自分の生きる存在を表した。それは、喜んでいいものなのかはわからない。だけど、私にはそれが嬉しくて。
 不意に、露草のことを、もっと知りたくなった。

後編

 鬱蒼と覆い茂る森の中。そこで、素朴なパーカーを羽織った露草は待っていた。
「よくこれましたね」
「君のメモが、精密で来れたよ」
 息一つ上がっていない露草を横目に、私は、はあはあと呼吸を繰り返す。
 眼前には廃ホテルが。バブル期に建てられたものだろう。大きく突き出したパノラマ窓は、全てのガラスが割れていた。
「行きましょう」
 と、露草はインスタントカメラを片手に、廃ホテルへ歩みだした。
 中はすっかり荒廃しており、足を踏み入れるだけで、拒絶の軋みを生み出す。
 ホテルのフロントには、散乱した書類たち。その間を縫って、植物たちが自生していた。
 かつては沢山の旅行客が食事をしたであろう、ダイニングキッチン。椅子はまばらに配置されている。
「その椅子に、座って」
 と、突然露草が声をかけるから、私は驚く。
「これに?」
「そう」
 私は、指定された椅子に座る。なぜかぬくもりを感じ、賑わっていた人々のことを考えると、切なくなった。
 きっとこの椅子も、誰かの思い出なのだろう。
 私も、誰かの思い出であったか?
 否、自分本位で生きて、勝手に相手に失望していた。どうせ私の命は長いから、と軽視していたまである。
 なんてさみしい人間なんだろう。
 この椅子は、誰かの思い出だ。
 私は、一筋雫が零れ落ちた。
「どうしたんですか」
「過去を回顧してしまって」
 シャッターを切られる。フラッシュが、眩しかった。
「この椅子たちには、物語があるんだね」
 私は鼻を啜ると、立ち上がって露草の元へ歩く。
「私を廃墟と例えてくれたのに、私にはなんの物語もない」
「じゃあ、今から作っていけばいいんですよ」
 インスタントカメラの二台目を開けながら、淡々と露草は話す。
「あなたは不死なんでしょう? ならば、今からでも物語の構築は遅くはない。早いくらいです」
 これから作る、私の物語。
 それを聞くと、少しだけ視界が開けた、気がした。

 滑落せぬよう、ゆっくりと二人で進んでいく。すると、パノラマ部分の開口部に辿り着く。
 そこからは、山々と、山間の街が一望できた。贅沢な眺めだ。
「廃墟カメラマンをやっているとき、この景色を見られることが一番の幸せです」
 と、恍惚とした表情でシャッターを切る、露草。
 私は、目いっぱい息を吸い込んだ。かび臭い風が入ってくる。もっと森の清涼な空気かと思ったのに。むせる。
 そんな私をよそに、表情を崩さぬまま、露草はまっすぐそれを見つめていた。
「露草、君にとって、廃墟は何なの?」
 私は、煙草に火を点ける。
「破壊。かつての繁栄から転落した、過去の栄光。痛み朽ちていく美学」
 と、露草は流ちょうに語る。
「不老不死と似ていて、人よりゆっくり朽ちていくんです。あなたは朽ちていくかは知りませんが」
 と、言い切ると、その柔らかな髪をなびかせながら、私の方を向いた。
 日が差し込むのと同時で、破壊の美学者は、そこで微笑んでいた。
「私が物語を作っていく中で、君と言う存在を連れて行ってもいいかい」
 私は、その微笑みに尋ねた。
「面白いことを言いますね」
 それしか、返ってこなかった。

 外階段に出る。あちらこちらが錆びており、体重をかけるところを間違えれば、落ちてしまう。
「この階段で、一枚撮りたくて」
 と、私をファインダーに収めた瞬間。ガクガクと外階段が不穏な音を立てた。
 崩れる。
 二人で意識した。でも、どうしようもなかった。
 ここは、四、五階くらいの高さだろう。鉄骨と共に、踊り場に転落していく。
 人って、驚くと声なんか出ないんだな。
 落下直後。私はそんなものを感じながら、頭に落ちた鉄骨をどかす。
 露草は。
 私は、周りを見渡す。いた。鉄骨の下にいた。
 頭から血を流す彼の腹部には、大きな鉄骨が一本刺さっていた。
 直感で分かった。すぐ死ぬ。
「不老不死は、本当なんですね」
 と、小さな声がするから、慌てて露草の元へ向かった。
「露草」
「僕は、あなたに惹かれ過ぎたみたいだ」
 私は、露草の手を握った。冷たく、指先は出血のために、青白い。
「廃墟みたい、だから?」
「そう、今も、廃墟みたいにみんなを置いて生きていく」
 か細い声だった。
「どうか、私が不老不死なことを許して、恨まないで」
 眼から、ぼろぼろと水が滴り落ちる。
「恨まないですよ。ただ、オトギリ」
 その冷たい手は、私の頬を撫でた。
「一緒に死ねなくて、ごめんなさい」
 そう言って、手の力は抜けていった。

 私は、一人で下山した。泣きながら。
 ああ、私は。今まで抱いたことのない感情を、彼に抱いていたんだ。
 でも、彼はどうだったんだろう。私のことを、どう思っていたんだろう。
 でも、それを聞く手段はもうなく。
 そういえば、本名すら知らなかったな。悔しい。
 やっぱり私は、独りぼっちだ。
 私は、彼のインスタントカメラを持ってきた。
 翌日。インスタントカメラの現像を、近所のカメラ屋に頼む。
 現像された写真は、さすがプロと思わざるを得ない、芸術作品。自然光の中に、一滴の毒をはらんだ、儚い作品たち。
 私はそれをスクラップし、本棚に隠した。

 それから私は、普段通りの生活に戻った。酒を飲み遊び、異性と付き合い、家を行き来する生活。あの露草と言う不思議な彼と出会ったことは、日に日に薄れていった。

 つい最近だ。これは、雨がしとしとと降り続くある日。
 掃除をしていた時に、一冊のスクラップブックを見つける。
 露草。
 露草の写真を見つけた。中は、すでに色褪せてはいた。
 だが、私と廃墟を美しく、丁寧に撮ってくれていたことが、伝わる。
 私が不老不死と言ったとき、拒絶をしなかった。
 死の間際で、恨んでいないと言ってくれた。
 それどころか、一緒に生きられなくて、ごめんなさいと。
 ああ。私はあの青年の本名すら知らない。
 一緒に生きられないことが、波のように押しては引いた。私は、こんな人と人生をともにしたかった。
 嗚咽が、止まらなくなった。目から涙が、ぼろぼろと零れた。
 この一生のうちで、もう会えない人を、激しく後悔することは、初めてだった。
 こんなに優しくて儚い人は、初めてだった。
 泣いた。泣いた。泣いた。
 スクラップブックがくしゃくしゃになるまで、抱きしめた。
 そんなことをしても、露草は戻ってこない。
 私は、天を仰いだ。
 露草に笑われない、廃墟になる。
 そう思うと、自然と涙は、止まっていた。

私が不老不死なのを、どうか恨まないでください

私が不老不死なのを、どうか恨まないでください

不老不死である「私」は、とあるバーで青年カメラマン、露草と出会う。二人は意気投合し、廃墟の撮影に向かう。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-14

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Copyrighted
  1. 前編
  2. 後編