百合の君(96)
水面下で進む戦の準備に、穂乃はまだ気づいていなかった。穂乃は本当に戦のない世をつくるには、どうすればいいかを考えていた。というより、義郎との面会が穂乃にそれを考えさせた。穂乃は義郎の言葉を否定した。否定して否定して、それでも否定し尽くせないものが残った。子の出世を願うのは、親として当然のことかもしれない。しかし、その心が戦を起こし悲劇を生むのだ。
女は、子を誇りにしてはいけない。夫を誇りにしてもいけない。
自らを誇りとして生きねばならない。
新たな決意を実行するのに、皮肉にも戦の後は良い時期だった。同じ境遇となった未亡人を中心に、穂乃は百合隊を再結成した。しかし今度は戦闘部隊ではない。傷病兵や孤児の世話をして、珊瑚から禄をもらって自活するのだ。だから今回はヒャクゴウタイとは読まない。ユリタイと読ませる。
あざみは初め、百合隊への参加は気が進まなかった。兵や子供の世話をするのはいいが、主催者が出海浪親の妻というのが気に入らない。
あざみの夫は出海と喜林の戦で死んだ。小さな畑を持つに過ぎない、城の殿様とは無縁の夫が、なぜ出海浪親のために死なねばならなかったのか。しかも喜林との戦の原因は、妻である百合の君の不貞が原因と聞く。その当の本人がいけしゃあしゃあと、夫を亡くした女を集めて仕事をするというのだから、恥を知らぬにも程がある。が、百合隊に惹かれてしまうというのは背中の旬の事で、女手一つで赤子を育てようと思ったら、他には体を売るしか道はない。
十二月一日、あざみはやむを得ず禽堂矢城に向かった。城の庭には大きな釜が置かれ、立ち上る湯気を掻き回して、女達がお盆やら食材やらを持って走り回っていた。空は一面よく晴れていて、たむしばの莟の産毛に貼りついた湯気が、きらきらと光っている。
あざみは、ただでさえ細い目をさらに細めた。そして、ここで働くのは、体を売る事にはならないが心を売ることではないかと思った。働く女達はみな忙しく、あざみに気付く者はいない。今なら、まだ帰れる。
しかし、赤ん坊の泣き声があざみを引き留めた。旬ではない。声のする方を見ると、一室に子供が集められ、喪服姿の女が泣いている赤子をあやしている。一人抱っこする間に他の子が泣き、女は二本の腕が十本でも足りない様子だ。あざみは思わず笑った。いかに子を育てたことがある女でも、一度に十人の面倒を見るのは初めてに違いない。あざみはほっとした。ここでなら、旬と一緒に働くことができる。振り向いた女は、あざみに気付いて優しく微笑んだ。
穂乃は慣れない子守で忙しく、最初に会った時のあざみの印象は覚えていない。しかし、百合隊に入隊を希望する女はみんな同じだった。穂乃に恭しく接しつつも、心の中に恨みを隠している。戦で夫を亡くした女が、君主の妻をよく思っているはずがない。百合隊は、穂乃の謝罪でもあった。
しかし女の自立を目指す自分が、夫のしたことで謝るのは矛盾する。だから穂乃は、彼女たちに仕事を与え、安心して子を育てられる場を整え、そして自分が率先して働くことによって、その責を果たそうとしていた。
会釈をするあざみに、穂乃はすぐに名乗った。
「私は穂乃と申します。百合の君と呼ぶ者もいます」
それを聞くなり、椿の花のようにあざみは頭を地面に落とし、膝を突いてひれ伏した。肩が震えている。そんな女達の姿を見ると、穂乃はいつも申し訳ない気持ちになる。しかし最初に名乗っておかないと、後々厄介事になりかねない。穂乃はなるべく穏やかに、親しみを込めて話しかけた。
「あざみと言いましたね、あなたには炊き出しを命じます。あそこにいる人たちと一緒に、おかゆを作ってけが人や病人に配りなさい」そして一呼吸おいて続ける。「赤ん坊は背負ったままでも、私に預けても構いません」
「かしこまりました」と言って大釜に向かうあざみは、上げた頭で穂乃を見ることはなかった。その背中の赤ん坊は、さも珍しそうに、振り返り穂乃を見ている。
百合の君(96)