舞台『ピーターとアリス』レビュー
『ピーター・パン』と『不思議の国のアリス』。児童文学の名著である主人公のモデルとなったルウェイン家の五人兄弟の一人であるピーターとアリス・リデルがとある書店のイベントに同席していたという事実を元にして幕を開ける本作は、出版社を営むピーターがアリスに対して「自らの半生を赤裸々に綴った本を出しませんか?」と持ちかけるところから理想と現実が瓦礫の山と化すカタストロフィへの序曲を奏で始めます。
幼い頃に読んだ記憶と、心を躍らせた体験によって人々の間で理想的に磨き上げられた主人公のイメージに苦しめられた者同士としてお互いに明かし合う思い出の中に息づくのは有名作家となる前のジェームス・マシュー・バリーと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン牧師(筆名『ルイス・キャロル』)。自分たちが当然のように備えていた純粋さを言祝ぎ、輝かしい日々を共に過ごした彼らはピーターとアリスにとって間違いなく大切な人でしたが、一方で性的な偏りを疑われる部分があり、経済的な諸事情も絡んでその関係性を大きく変化させました。その内幕が明かされる度に劇場内はスキャンダルを暴かんとする雰囲気に満ちていきます。偉大なる作家の言葉に招かれて舞台の上に姿を現した《ピーター・パン》と《アリス》をも巻き込み、誰もが一度は読んだことのある名作が泥の上に咲いた花のように思えてくるのです。
被害者と加害者。空想と現実。二項対立の枠組みの中で迸る世俗的な激流は、しかしながら永遠には続きません。物語のスポットがピーターとアリスの実人生に当たった途端、ストーリーの風向きが一気に逆転するからです。
秘密の恋に差別意識。平等には愛せなかった子供たち。夫が亡くなった後の貧困。高齢の身。金銭を得るために講じた手段。誰も私を覚えちゃいない。酒に溺れては子供に暴力を振う。出版社だって、愛憎半ばにこき下ろしたジムおじさんの出資金で起こしたのだ。それから戦争。死地に息子たちを送った。それを誇らしく思っていた。自分の手でも人を殺した。死体を踏んで、生き延びた。病んだ精神を抱えて、どうにか踏み止まっている。ジムおじさんは僕たちに手を出しちゃいない。それを伝えられる資料が《モルグ》にはある。あるんだ…。
語り部に選ばれた《ピーター・パン》と《アリス》が山のように積み重ねていく彼らの選択と結果は、走り出せば出すほどに転んでは汚れ、転んでは汚れを繰り返す大人の姿であり、かつての輝かしい日々にあって二人の作家が「そうなって欲しくない」と彼らに願い続けた姿そのものでした。「生きる為には仕方がない」、免罪符のように語り出せるこのフレーズも、ピーターとアリスが当事者として関わった第一次世界大戦の前では木っ端微塵に吹き飛んでしまいます。彼らの手は既に真っ黒。そこに流れていた真っ赤な血も、見えやしないのです。
オセロの石のように「生」きることをひっくり返せばそこにある「死」。永遠の少年と謳われる彼が決して迎えることのない結末を、意識せざるを得ない出来事が二人の周りにはあり過ぎた。
ああ、醜い。汚い。穢らわしい。
物語も終盤を向かえ当初、現実主義者のように振る舞っていたピーターが重い瞼で蓋をしてかつての時間を愛おしく振り返れば、人々が望むように《アリス》になることを厭わない彼女がその目を開き、リアルを語る。客席に突出した花道で交差する嘆きと悲しみ。それこそが本舞台のハイライトだと評価することに私はなんの躊躇いも覚えません。その瞬間、目にすることができたのは『シェフは名探偵』、『不死身ラヴァーズ』で拝見してからその演技をずっと追い続けている佐藤寛太さんの底知れぬ実力。役にのめり込むのでもなく、だからといって役を突き放すのでもないその距離感で育まれるピーターの《命》はリアルタイムの感動。その佐藤さんと体格で見劣りすることなく、堂々とやり合う麻美れいさんの声は80歳のアリスとして老齢の響きを劇場に轟かせ、魂の慟哭を、天の胸元に強く押し付けてみせる。その凄みに圧倒されて調べてみれば麻美さんはあの宝塚歌劇団でトップスターを務められていたそうで、その事実に全てが腑に落ちました。不勉強の恥をあっさりと乗り越える快感。脳内ループの演技。むちゃくちゃ格好良かった。ブラボー。
その後に迎えるラストも圧巻の一言。終幕を迎えたのかどうかも分からなくなるぐらいに救いのない幕の下ろし方には慄くばかりでしたが、それと同時に妙な清々しさが心の奥底に残るのもまた『ピーターとアリス』の真実。誰がこんな魔法をかけたんだ?と疑問に思い、こちらもまた調べて見れば映画『007 スカイフォール』の脚本を務めたジョン・ローガンの名前をそこに発見。シリーズの中でも大好き一作だったので、劇場を後にしながらひとり大興奮でした。
映画『飛べない天使』以来の大ファンである《ピーター・パン》役の青木柚さんの演技も信じられないくらいの距離で拝見できたし、空を自由に飛び回るだけでなく、舞台と客席を自由気ままに行き来したりする姿を観ているとやっぱり暗めの役より断然こっち!と私的な高評価。映画『街の上で』でその存在を知り、直近では『ほどなく、お別れです』での好演が光る古川琴音さんは《アリス》として見せる無邪気で、無防備な可愛さをもって観客を魅了します。舞台のあちこちで色々やってるんですよ、この二人。物事が同時進行に進む舞台ならではの面白さを体感することができました。こちらにも拍手喝采です。
ポスタービジュアルのみで観に行こうと決めた舞台だったのですが、ほんと大正解の判断でした。最高に面白かったです。どの公演も余裕ありなので興味がある方は是非、池袋にある東京芸術劇場まで。公演期間は今月の23日まで。舞台好きは勿論、文学好きにも刺さる作品だと思います。お勧めです。
舞台『ピーターとアリス』レビュー