帰らぬ鼠
住宅街の一角に誰も住まなくなった古い家がある。その屋根裏から声が聞こえる。
「近頃猫の奴、家の中にばっかりいやがる」
栄養満点の溝鼠が仲間に言っているのだ。
「そうだな、追いかけられなくなったら太っちまった」
もう一匹もまるまる肥えている。
「いったい猫は家の中でなにをやっていやがるんだ」
鼠は最近の家にはいっていくことが難しい、特にマンションって奴は手強い。それで中に入れないので猫が家の中で何をしているのかわからないのだ。何とか入り込んだ奴らがいるが、そいつらは誰も戻ってこなかった。三匹の鼠が庭の水道の下にある下水の穴の蓋が開いていたので潜り込んだのだ。一度もどってきて、あそこは風呂場に通じている、中に入れると、うれしそうな顔で我々に言った。そして、あらためて意気揚々と出かけて行ったのだがマンションにはいったままだ。
下水の蓋はすでに閉められていて、開けようと試みたが無理だった。
あいつらも無理に家に入ろうとしなくても、食い物は外で十分にみつかるのにな、とみなは思ってはいたが、冒険心というか、毎日の暮らしに飽きが来ていたのか、ともかく動いていないと辛い鼠族の中でも動きたいやつらだったんだ。
「いや、あいつらは、家の中の猫がなにしているか、本当に見たかったんだよ」
「たしかにな、猫がいるおかげで、俺たち鼠は注意深く、繊細に反応する頭脳を発達させてきたのだからな、あいつらがいないと、退化しちまうよ」
「まったくだ、犬っころじゃ、どうしょもないからな」
「そうだよな、犬のやつら首輪にひもをつけられてよく平気だな、おれなんかまっぴらだ」
「鼠はみないやさ、そこは猫と似てらあな」
「でもよ、猫も首輪した奴が窓から外を見ていたぜ」
「ああ、最近は首輪猫がふえたな、だけんどよ、縄をつけられて散歩している猫はまだこのあたりにはいねえよな」
「うん、都会には着物きせられ、首輪をやって、ひもで引っ張られて歩いている猫もいるそうだ」
「そんなやつ、しっぽをかじりとってやる」
「でも、たしかに外に出てこない猫は家の中でなにをしているのか見てみたいねえ」
「窓からのぞくしかねえだろうな」
そういっても、今の建物はとても高い、5階のマンションの一番上まで考えて登らなければならない。
「やってみっか」
それでも、二匹の鼠は、窓からのぞくだけと思って、マンションにいってみることにした。
住んでいる古屋(ふるや)の屋根裏の隙間から外をのぞいた。もうすぐ日が昇る。
平屋だから回りの高い建物を見上げることになる。少し離れたところに5階建てのビルが見える。それが仲間の鼠がはいったまま戻ってこないマンションだ。
二匹の鼠は古家から出て、周りに気をつけながら、マンションに向かった。
「あのマンションには猫がたくさんいるはずだぜ」
「ああ、ゴミ捨て場のゴミ袋の中にゃ猫用の餌の袋がたくさん捨てられているからな、それに、缶を捨てる日には猫餌の空き缶がずいぶんある、あの缶をなめるのは楽しみだ」
「猫缶は以外とうまい」
「だが、味が薄いぜ」
「人間の缶詰のほうが味が濃いな」
「犬の缶詰もずいぶんあるな」
「みんな猫か犬を飼っている、半分ぐらいは猫、半分くらいは犬だ、人間だけじゃ生活ができないんだな」
「そうさ、あいつ等、猫や犬をかわいがって、動物を下にみてるが、言葉がなきゃ会話ができない人間ほど相手のことを読めない生き物はない」
「そうだな」
「言葉を作り出した脳を高等だと思ってるが、そんなことをしなくても通じる方がより高等なのにな」
二匹の鼠はときどき、キュウとかチュウとか声をだすが、あとは目の動きや髭のふるわし方、顔の表情を見ることで、相手が言いたいことがわかる。猫も同じだ。鼠や猫の顔は毛におおわれていて表情がないって言うのかい、ばかいうな、毛の一本一本のなびき方が表情になるんだ。だから獣の表情は大変複雑なんだ。獣は毛者なんだ。
「それじゃ、仲間がはいったままのマンションをのぞきにいくか、下水溝の蓋があいていても、はいるのはよしておこう、どうなるかわからんからな」
「どっちみち開いてないさ、あの時は清掃会社の清掃のあとだったんだ、閉め忘れたのじゃなくて、わなだったかもしれない、下水管の途中に鼠取りの毒薬がまかれていたとしたら、あいつら死しんじまったんだな」
「気をつけような、それでどこから入るかな」
マンションの敷地に入った二匹の鼠は立ち止まって周りを見回した。
「ほら、脇にアオギリの木があるだろう、枝がマンションの2階あたりまで伸びている」
「そうだな、2階のベランダに入れれば、足がかりを探して、まず屋上にでよう、その後、窓からのぞいてみよう、うまくすりゃ、どこか入り口が見つかるかもしれん」
「そうだな」
アオギリの木をするするとかけ登り、枝の先から二階のベランダに飛び降りた。そこにはクーラーの外せん機やイスなどがおいてある。隣の家とのしきりは鼠には簡単に登れるざらざらした素材だ。
「これなら上に行けるな」
二匹の鼠はうまく登って5階のベランダにきた。
朝日が昇ってきて、マンションを照らした。
「屋上に行く前に、五階の窓から中をのぞいてみようぜ」
のぞいた家には犬がいたのでパスした、隣の家にいった。そこでは三毛猫が餌をもらっている。
「ほら、あの猫缶うまいやつだ」
相手の鼠はうなずいた。すぐに、
「あ、っと驚いた」
マンションに入った三匹の中の一匹が、部屋の隅のゴミ箱の中から顔を出した。
「あいつ生きていたじゃないか」
「おどろいたな、ほかの二匹もいるのかな」
その一匹の鼠はゴミ箱から出てくると、三毛猫の食べているところにきた。
三毛猫が気がついて、どうぞと後ろに下がった。
なんてことだ、と窓からのぞいている二匹の鼠は驚いた。
家の中の鼠は猫におじぎをして、どうも、と言って、猫缶に顔をつっこんだ。
「うまそうだな、あいつ、猫と仲良くなりやがったんだ、うまくやったね」
「だから帰ってこなかったんだ」
「今の猫はみんな避妊手術をされちまってるから、あの三毛猫のやつ自分の子供がほしかったんだな、鼠を自分の子供にしたんだ」
「そうかもしれんなあ、他のやつらはどうしたかな」
次の部屋をのぞきにいった。その家には犬と猫がいた。仲良く絨毯の上でよりそっている。
「猫も犬もないね、ペットという動物になっちまってる」
「どうだい、屋上はやめて、下の階をのぞこうぜ」
もう一匹もうなずいて下の階に見に行った。
端の家をのぞくと、猫が三匹、ソファーの上でテレビを見ていた。猫の番組をやっている。岩合光昭世界ネコ歩きという番組のようだ。世界のどこかの国の風景だ。ほら、猫だって、家の外で牛と一緒に暮らしているし、町の中を悠々と歩いているじゃないか、何だ、都内じゃそんな風景ないじゃないか、日本は猫を外に出すなっていってるバカな国だな、と二匹の鼠は思った。
「あ、あいつがでてきた」
見ていると、いなくなった一匹がテーブルの下からでてきて、三匹の猫の脇におちゃんこをした。
一緒に岩合さんのネコ歩きを見ている。
ネコの一匹があいつの頭をなめ始めた。鼠のくせに猫になめられて嬉しそうに髭をふるわせてやがる。
「鼠が猫のペットになっちまった、しょうがねえな、もっと鼠のプライドをもて」
「ほんとだよ、次いこうぜ」
鼠たちはまた下の階にいった。
真ん中の家をのぞいたらまたびっくりした。
「なんだよ、あいつ」
帰らなくなった、最後の一匹がその家の部屋の中にいた。
鼠がのぞいているベランダの窓の部屋の中では、母ネコが寝ころんで、六匹の子猫におっぱいをやっている。とおもったら一匹はあいつじゃないか。
鼠が子猫に混じって、おっぱいをちゅうちゅう吸っている。
ちゅうちゅうとは鼠の鳴き声だ。おっぱいを吸う音で鼠の鳴き声をしていやがる。
二匹の鼠は憤慨したがすぐ冷静になった。
「おい、家畜化されるのは楽しそうだな」
「うん、うまいもんが食えるな」
「家の中に入るところをさがそうぜ」
「どこいく」
「俺、ネコ缶のあるところ」
「おれは、子供産みそうなネコとなかよくなる」
こうして、二匹の鼠もマンションの隙間を探しに行った。
「屋上に行くと入るところがあるかも知れんぞ」
二匹の鼠はマンションの外壁をいとも簡単に登っていくと屋上に到達した。
長い尾っぽがするっと屋上の中に消えた。
それいらいその二匹も帰らぬ鼠となった。
帰らぬ鼠