たぁとあおいの○休み
「たぁ、待っててくれたんだ」
「いや、今週は掃除当番だから。今終わったところだ」
「そうなんだ。帰ろ」
そう言って男子の手を取って引っ張るのは関根あおい、そのあおいに引っ張られている「たぁ」と呼ばれるのは田原爽真だ。
二人は家も近所であり、それこそ生後数か月からの付き合いで幼稚園、小学校、中学校と一緒で高校も自宅から一番近いという理由だけで最寄りの公立高校を選んだ。最寄りと言っても路線バスに揺られて約三十分は必要な距離だ。
正門の近くに「高校前」のバス停があり、既に帰宅部の生徒達でバス停は埋まりつつあった。勿論、徒歩や自転車で通学する生徒の方が多く、あおいや爽真のようにバス通学している生徒は全校で言えば半数にも満たない。
「たぁ、今日、うちにおいで」
いつものようにあおいが爽真を誘う。幼い時からお互いの家を行き来しており、小学校から今に至るまで放課後は必ずどちらかの家で宿題したり、遊んだりしていた。
関根あおいは黒髪ロングで容姿も良く、性格も明るくて誰からも好かれており、男女を問わず人気も高い。
一方の田原爽真はあおいよりも身長はやや高いぐらい、あおいほど人気があるわけでも無く、同級生と程よく付き合っているという感じだ。
あおいが爽真のことを「たぁ」と呼ぶのは幼い頃に「田原」が上手く発音できずに「たぁ」と言っていたことに由来する。当然、今は普通に発音できるのだが、あおいは相変わらず爽真のことを「たぁ」と呼び続けるし、爽真の方もそれが当たり前になっていて気にしたこともなかった。但し、他の人があおいを真似て「たぁ」と自分のことを呼ぶのは嫌がっていた。
高校に入るとあおいの真似をして爽真のことを「たぁ」と呼ぶ女子もいたが、爽真は露骨に嫌な顔をして無視している。
あおいと爽真を知る人達、同じ地域で生まれ育って早ければ幼稚園から一緒、小学校や中学校も同じで自宅から一番近いという理由で同じ高校へ進学した生徒も多い。
二人が通った小学校、中学校は一学年で二クラスしかないような土地であり、同級生どころか先輩、後輩、果ては教師に用務員まで二人が交際しているのを知っていた。それでも爽真は自分からあおいとの関係を語ろうとはしなかった。口が堅いのか、話すのが億劫なのか、生まれ持っての性分なのか、答えは誰にもわからないが、兎に角、爽真はあおいと交際している事を率先して話さない。
あおいが爽真から離れず、二人が交際しているのは一目瞭然なのだが、それでも爽真は語ろうとしなかった。
その代わりなのだろうか、あおいは二人が交際していることを隠すこと無く話しているし、それについては爽真も否定はしないし、あおいを止めることも無かった。
あおいも爽真との関係をなんでもかんでも話すわけではなく、どちらかというと意図的に爽真とべたべたすることで周囲に付き合っていることをアピールしている。
そう言う事もあって同じ中学校から一緒に進学してきた面々は間違っても爽真を「たぁ」とは呼ばないし、あおいの真似をして爽真を「たぁ」と呼ぶ人が有れば止めに入るほどだった。
話を放課後のバス停へ戻そう。
「そう言えば、二人って付き合って何年になるの?」
何かと聴かれる質問だ。今はあおいの同級生が聴いてきた。爽真は毎回答えるのに困ってしまう。幸いにして今は真横にあおいが居る。代わりに答えてくれることを期待している。
爽真の期待通りにあおいが「幼稚園の時からだよ」と屈託の無い笑顔を見せて答えます。
「長いねぇ」
同級生は感心した様子を見せる。
「うん。長いよ」
あおいは応じます。真横にいる爽真は「そんなになるんか」と口にします。
「うん、だって、幼稚園の時に初めて誕生日プレゼント貰ったし、それから、毎年誕生日と、クリスマスとプレゼントくれるでしょ。ホワイトデーも必ず、だし」
「ホワイトデーも、毎年?」
同級生が聞き返してくる。
「うん。毎年チョコを貰うから……」
思わず爽真が答えていた。
幼稚園の時、誕生日にプレゼントを渡すとか、そういう行事があったのでそれ以来、爽真はあおいへ誕生日にプレゼントを渡すようになった。その頃、爽真自身はあおいに対して異性として意識していたのか、それとも近所に住む友達として捉えていたのか、定かでは無いし、覚えてもいない。当初は贈るプレゼントを母親に選んで貰っていたが、いつの間にか自分で選ぶようになっていた。
別の女子が「二人は喧嘩とか、したことあるの?」と質問してくる。
あおいは即座に首を横に振る。
「喧嘩とか、ないんだ」
同級生らは驚いているが、あおいは「無いよ」と答えている。あおいの横にいて話を聞いていた爽真も驚いている。喧嘩したことが「無い」と答えているあおいを見ていると却って周りから嘘だと思われないか、その点が爽真は心配になった。
「だって……たぁ、優しいんだもん」
あおいは一人で惚気ている。横に立って聞いていた爽真は恥ずかしくなったが、あおいを止めることもできず、黙って聞いている以外、何もできなかった。
小学五年か六年か、爽真もはっきり覚えていないが、一度だけあおいを本当に泣かしたことがある。
その日は土曜日か日曜日で小学校は休み、爽真は若干体調がすぐれず、時間を気にすることなくゆっくり寝ているつもりであった。しかし、いつも通りにあおいが朝から田原家を訪ねて来た。
いつから始まった習慣なのか、もはや誰も覚えてはいないが、土曜日や日曜日などの休日になるとあおいは朝八時頃、遅くとも九時には田原家を訪ねてくる。それも玄関からでは無く、何故か毎回台所の横にある勝手口から入ってくる。勿論、勝手口にも鍵があり、内側から施錠されているし、あおいが合鍵を持っているわけでも無い。しかし、例え休日であっても土曜日や日曜日でも田原家では朝七時以降には誰かが起きて朝食を摂っていることをあおいは長年の経験から知っており、玄関のインターフォンを鳴らすより、勝手口の戸を叩いた方が早いとわかっている。そして爽真の家族に挨拶をしてから爽真の部屋へと向かう。そして爽真を叩き起こすというのがあおいにとって休日の始まりだった。
いつものように爽真を叩き起こそうとするあおい、抵抗する爽真、無理にベッドから引っ張り出そうとするあおいに対し、爽真はついにキレてしまって枕から何から手に触れた物を投げ付けて部屋から追い出していた。
あおいは自分がどの様にして家へ戻ったか、覚えてもいなかった。兎に角、人生で初めて爽真が怖いと感じた日でもあった。
そして迎えた月曜日の朝、いつも通りの時間に玄関を出たあおいだが、いるはずの爽真が居ない。慌てて田原家の玄関前まで行ってみるが、爽真の姿が見えない。
小学校の方向へと早歩きで進んでみると爽真と快徒の姿が見えた。ホッとしたのも束の間、声を掛けても爽真は振り返りもしない。急いで爽真に追い付いてもう一度声を掛けても無視される。小学校に着くまでの間、幾度か声を掛けたが、爽真に無視され続けた。
「快徒……、どうしよう……」
快徒に助けて貰おうとしたが、快徒も困惑しているだけで返事すらしなかった。そもそも兄があおいを無視すること自体、始めてみる姿だった。
あおいにしても爽真に無視されたことが始めてだったからどの様に対応して良いかわからないし、その日一日を何とも言えない表情で過ごした。
そして迎えた放課後、帰宅しようとしたら既に爽真は正門を出ていた。
あおいは走っていた。
「待ってぇー」
走って追い付いたが、無視され続けた。
翌日も朝から帰宅するまで無視されてしまい、あおいは日頃の元気を失ってしまう。一日中表情は暗いし、同級生たちも心配して声を掛けるし、女子の中には「田原君と喧嘩でもしたの?」と図星を突いてくる子も居たが、あおいは自分に原因があると信じて疑っていないしから首を横に振って否定することしかできなかった。
そして水曜日、小学校まで来たまでは良かったが、爽真から無視され続けていることに耐えられず、朝礼が始まる前にあおいは泣き出してしまった。
同級生の中には何もできずにオロオロする子、とりあえず職員室へ担任を呼びに行く子、隣の教室にいる爽真を呼びに行く子、頑張ってなだめすかす子と分かれた。しかし、そもそもの原因が爽真にあるから呼ばれた爽真は困惑するだけで何もできなかったし、爽真の姿を見たあおいは火に油を注いだように泣き声が大きくなるだけで誰にも止めることができなかった。
担任が教室へ駆け付けて来たが、あおいに話を聞こうに泣くだけで会話が成り立たない。
困り果てた担任は「具合が悪いのだろう」とあおいを保健室へ連れて行く。
保健室の先生も泣き止まないあおいに困ってしまい、「家族に迎えに来て貰いましょう」と担任へ提案、あおいの自宅へ連絡する。あおいの両親は仕事へ出ており、祖母が電話に出て「すぐに迎えに行きます」と返事する。
あおいの祖父が軽トラに乗って迎えに来るが、泣くだけで祖父の問い掛けにもほとんど応じない。
帰宅して祖父母も改めて問い掛けるが、それでも状況は変わらない。この数日、あおいの元気が無く、食事も喉を通っていないのは知っていたが、原因がどこに有るのか、病院へ連れて行って診察して貰った方がよいのか、判断に困っていた。
祖父母はあれこれ言葉をかけてようやくあおいから週末に爽真の機嫌を損ねてしまい、無視され続けて「どうしていいかわからない……」と回答を得る。祖父が「一緒に爽真君に謝ろう」と提案して一旦はあおいを落ち着かせた。
下校時間、祖父は自宅の門前で爽真が通るのを待ち構え、爽真の姿を見付けるや否や有無を言わさず自宅へ連れ込み、客間へ通してお茶菓子などを出して「あおいのことを許して貰えないだろうか」と頭を下げた。
実を言うと爽真にしても引っ込みがつかなくなっていたのであおいの祖父が間に入ってくれたことでホッとしていたが、この事は誰にも言わず、生涯隠しておこうと決めていた。
翌木曜日、ようやく以前のように二人並んで通学したのだが、お互いに相手を意識して会話が出来無いままだった。それは下校時も同じで翌金曜日もそのままだった。
そして迎えた土曜日の朝、今まで通り朝から爽真の部屋へ行きたいと思う一方、また爽真の機嫌を損ねるのではないか、その不安もあって玄関で立ち尽くして動けないあおいが居た。
あおいの両親と祖父母が「出かけるか、部屋へ戻るか」を選ぶよう、あおいに言うのだが、あおいは玄関に立ち尽くしたまま時間だけが過ぎていく。
一方、爽真も土曜日の朝に訪ねてこないあおいが心配になったのか、十一時と言う中途半端な時間になって関根家を訪問した。
爽真が関根家のインターフォンを鳴らすと間髪入れずにあおいが玄関の戸を開ける。
お互いその場で固まってしまい、しばらく動けなかったが、ようやくあおいが爽真を自室へと案内したのは数分後のことであった。
あおいと爽真の関係が元に戻るのにはなお数日が必要であったが、いつの間にか元へと戻っていた。
そしてこれ以降、あおいは休日の朝、爽真を叩き起こすことを控えるようになった。
ちなみに翌日曜日の朝、あおいはいつもどおりに爽真の部屋を訪ね、寝ている爽真を起こさぬよう、本棚から漫画や小説を取り出し、部屋の隅にちょこんと座って爽真が起きるまで物音一つ立てずに過ごしていた。
あの日、たまたま爽真の具合が悪かったと言うことにあおいは気が付いていなかったし、爽真もそれをあおいには何故か伝えようとはしなかった。
たぁとあおいの○休み