『卒業研究。』

1.ノートのきれはし。研究のはじまり。

障害者を受けとめていない組織に障害受容とは言われたくない。
障害者と障害者を争わせたり障害者と健常者を条件を整えず競争させお互いに無理をさせたりする企業に私は就労を求めなくて良い。


私を傷つける人びとの言葉より私を認めてくださる人たちの話を聴こう。
大丈夫。正しさはひとりひとり違って良い。
だったら私の言葉も私にとって正しい。
それも否定されることではない。


ありがとう。

2.組織考察 犬笛の組織像。

彼らは当たり前だが彼らという組織の中にいるため、自分たちがどういった組織像を作り出すパズルのピースのひとつなのか、よくわかっていないのかもしれないと私は思っている。


彼らはわたしの立場から見るといつもなんらかの正解、正しい答えというものを常に求めているような切迫感を覚える姿をしている。
ひとつの答えを求めて日々を懸命に生きているわりには、この場合の問いはそもそもなんなのか、この立場にいる自分は現時点でなにを問われているのかを、自身の頭で考えている時間もないのか、そこは組織の一員ではない私にはよくわからないのだが、彼らはひとつの答えばかりを追い求めている印象である。


この問いはある程度正しいのかとか、この問いについての答えは幾通りも考えられるとか、答えについての自分の解釈や落としどころは現時点はこうしようとかそういった想像力は彼らにはとても少ないように私には思えるのだ。
彼らには問いではなく疑念が、答えではなく与えられたひとつだけの正解が、解釈ではなく盲信が、私には垣間見えるのである。


彼らは少しの刺激で自分が騙されているのではないかと疑心暗鬼の連鎖に何故かいつもと言っていいほど陥る。
自分が信じたものに裏切られることばかりを気にして、自分が信じるものやものごとを認める深さが足りない。
信じる強さを手の届かない何かに彼ら自身がしてしまっているように私には見える。


一方的なひとつの答えを他者から与えられたとき、その他者の唇を見ることよりも、唇が飛び出た言葉が、そのひとつの答えが長期的に見てどのようなものか、どのような影響を全体に及ぼすのかを自ら考えなければならない。
良いか悪いかである。
良ければ放っておく、悪ければ解釈の出番だ。
解答は解釈をして自ら噛み砕き味わい消化すること。
それからブラッシュアップした自らの答えのようなものが出てくる。
他者同士で意見をくみかわしてもよい。


解釈は認知的な癖や個人の特徴が障害者健常者関係なく出てくる。
グループ分けはできるだろうが基本的に多種多様だ。
考え方はいろいろあっていい。
答えだっていろいろあっていい。
ただ一度自分でちゃんと出た答えは自分の気分で動かない。


私は彼らがちゃんと自分で考えて出した答えを自ら信頼しているとは思えない。
彼らの問いも解釈も答えも気分のようにころころと変わり、まるで自分たちは今までもこれからも正しかったのだという強いメッセージ性だけを常に外部の不特定多数に打ち出しているかのようだった。
それは建設的な組織としてのステップアップやブラッシュアップとは無縁で、私達は正しかっただから私達は正しいで終わる虚しいループをずっとわたしは見せられている。


こちらとしては、彼らの組織像は犬笛に見える。
彼らは何をそんなに押し潰されて日々生活を強いられているのだろうか。
起爆剤に火をつけることは簡単だ。
燃えるための起爆剤だからだ。
火種なんて現代においてどこにでもある。
彼らは犬笛の組織像を生かされている。


これが答えだと一方的に与えられた答えを上手く飲み込めるならばまだ良い。
彼らを見ていると小組織を横断した小グループに分かれているためさらに事態は複雑怪奇だ。
私は幾種類ものアメーバを見ている気持ちになる。
合理的に与えられた答えを飲み込めるグループと飲み込めないが飲まなければならない不満分子たちと、我関せず転職組と、居残り停滞ゾーンにいざるを得ないと諦めているグループ。
まだ種類はあるだろうが、とりあえず大きく分別するとこう見えた。


このどこかのグループに属した彼らは、面白いことに1つの解答をそれぞれに与えるとそれぞれに種類別に反応する。
ある者は自分の正しさを強化され、ある者は自分の自信を喪失し、ある者は冷えた無感動で応え境界線を引き、ある者はなんらかの鬱憤晴らしをするといった具合に。


本当はもっと1つの解答を前提としなくて良いのだ。
誰かや何かに騙されているのか騙されていないのかは全く問題ではないことに彼らは気がつかない。
騙されているのかどうかが何故関心にあがるのかというと、その前に信じる信じないの課題があるからだ。
信じることも何を信じるのかどこまで信頼するのかという問いが発生する。
信じないならばなぜ信じられないだろうかそれはどうして信じるに足らないのだろうかという問いが生まれる。
問われているのはいつも彼ら自身なのである。
彼らが自分自身に問われているのだ。


なぜ俺は私はそれを信じるのか信じられないのか、その解答に彼ら自身が納得したり腑に落ちていないまま、一方的な他者から与えられた答えをその時々の彼らの気分しだいで信じたり信じられなかったり日常している。
重大な決定は上意下達で日々上層で為されていてそれを上手く飲み込める者、飲み込めない者、無関心な者、鬱憤晴らしをする者で彼らの組織像は成立している。
重大な決定はイコール絶対解ではないのである。
それは現時点での決定であり、解釈は彼ら自身に委ねられている。
決定を超える答えを彼らは自ら想像できない。



私は彼らの組織像を間近で見ていて彼らのエネルギーは彼らのものであるのにとても非効率的なエネルギーの利用方法だと哀しく思うのである。
彼らになぜ根拠の無い噂話が流布するのか今なら解る。
根拠の無いことは誰にも責任が発生せず誰も責任を取らなくて良いからだ。
そこには想像もなく創造もありえない。
現状停滞のみ許される。
そして責任の無い創造はこの世には無い。
犬笛の組織像はこうして完成する。

3.ある計画の感想。

夜と霧という計画を受けた者として思うことがある。
それは本当の意味で生命の大切さや倫理観を持っている大人は現代ではごく少数だということ。


支援者でも医師でも看護師でもカウンセラーでも、職業は関係なく、町のひとでも老若男女は関係はなく、施設内外にいる障害の有無に関係なく生命をなぜ育む必要がありなぜ護るものなのかをわからないまま、生きている人々が現代社会では実に多い。


つまりなぜ生きるのだろうという質問自体が出てこない人々が世界には大多数だということを改めてわたしは気がついた。
生きている人間たちのほうがなんだか幽霊みたいにわたしには見えた。


きっとただ単に生きて呼吸をするだけなら生まれられれば良いわけで、究極自分の命だけ(もしくは自分たちの命だけ)が大事なのだと思う。
彼らは自分(たち)のためだけに命や金をおしみなく使える。
ただ、他人の中に命の流れを見ることは難しいのかもしれない。
日本では戦争が一度起きたならたぶん大きな禍根を残すだろう。


生命の本来の大切さや倫理観は、自分の命だけが大切な人々にはたぶん響かない性質がある。
生命の繋がりや倫理観の広大さは自分だけではなく他人の存在が必要不可欠だから。


夜と霧というこの計画がドクターフランクルの著作よりなんだか幼い印象を受けるのは夜と霧計画自体が生命の大切さも倫理観も欠いているから。
自分本位さをいつまでもぬけきれていないのだ。
ドクターフランクルの著作には他人が生き続けている。
迫害されたユダヤ人やマイノリティも、虐殺に加わったナチスも、熱狂にかぶれたゲルマンも。


わたしは、この企業を意図せずそばで見続けていたが、彼らの現象から学ぶことや気がつくことは多い。
それは失望を意味せず世界へ繋がる扉である。

4.実験 集団の眼差し。個人の眼差し。


なにか、あまり良くないものに取り憑かれている集団の目をニュートラルな眼差しに変容させていくことは実に難儀だ。

それが個人ならばそれこそ小集団を利用し対象の個人の周りを囲みゆるやかな優しい同調圧力を展開させることで、その個人の眼差しを中立に近く反発が少なく、できるもの。


これが組織的な全体に良くないものの影響がおよんでいる集団だと私個人として変容に向けてできることはほぼ無い。
個人のパワーが組織の権力に負けてしまうからだ。
ただ、鍵を私が握っている場合は少し状況は異なる。


鍵というものは便宜上の表現だが、つまり私の一挙一動に集団の偏った眼差しが集中している場合である。
これは私が何かをしたり言ったりすることでその集団の動きが良くも悪くも決定される状況のことだ。
現実的にはあり得ない状況だけれど、今回のキーはそれだ。


集団を統率している者はいつも私については後手になる。
つまり反応と対応に追われるかたちが常につくられる。
パターンと対策を幾通りも張り巡らせていてもその理は変わらない。


結論を言ってしまえば、なにかあまり良くないものに取り憑かれている集団の目をニュートラルな眼差しにするには、集団から見た集団の統率者の指示系統を混乱させその指示命令自体の信頼度をなるだけ低下させることである。
つまり集団が間違った判断をしつづけるという状態を連続的に作り出すことだ。


これで集団は小集団くらいにはバラける。
もともと4、5タイプくらいいる一枚岩ではない組織だったからそこはバラけやすい。
これだけではまだ集団の中、個人個人の人々が中立な判断を自分自身でするに至るまでは遠い。


今度は集団が注視しつづけている私の現実、現時点をなるだけ詳細に語り表現することである。
それは私の福祉面、精神面、身体面、経済面、人生観、生活観など多岐にわたる。


私という人間性を世界へ向けて表し尽くすということである。
私も集団と変わらぬ人間性を持った人間であると広く集団の個人個人の身体や精神に訴えかけ続けるという行為をすることだ。


このざっくばらんな2方向の矢印の情報を地道に提供することで、なにか良くないものに取り憑かれている組織的な集団を中立な眼差しをたずさえた個人個人に一時的に戻し還すのである。


そこからは彼らそれぞれの選択になる。
中立をたずさえた彼らの選択はもう自由から発せられる。
なにをこれから信じるのか、という話はそれからのことだ。
自由には必ず責任が降りかかる。
彼らはもう不自由だったころには戻れない。
なにも知らずなにも見なかったなんて彼らは体面では言えても心内では自分自身の人間性からは逃避できない。
自分自身がどのような判断をし世界を見ている人間だったのか、常に思い出すのだ。


なぜ私がこのようなことをしたのかしようとしたのかを問われたなら、せざるを得なかったからだと返すだろう。


私はなぜか理由は知らないが私の一挙一動に集団の偏りある眼差しが集中するという状態に陥った。
ただ、その状態をなにかより良いものにブラッシュアップできないかとはずっと考え続けていた。


であれば、なぜだかは理由はわからないが、なにか悪いものに取り憑かれている組織を近くで他人として10年以上見続けてきたひとりの人間として、ちょっとこの組織を良い方向性へ、解体とまではいかないが、一部揺らして崩せないかとは思った。
崩しても復元性があるものが組織というものだ。


そして現実、多少の私の刺激では彼らはびくともしなかった。
面白いものだった。
強くぶつからなければ音は大きく鳴らない。
私は過去、全身全霊で彼らにぶつかり続け、ブラッシュアップを試みていたが彼ら組織集団はやはり私にとっては大きいものなので集団を個人個人に戻し還すという行為はとてつもなく難しいのである。


私はこのなにかに取り憑かれていた集団のそれぞれ個人個人がいつか目を輝かせ未知の組織像をその足場から少しずつ創り出す想像をするような未来があれば良いなと、思うのだ。


今は上意下達の像が強いがそれも悪いわけではない。
組織内で誰が誰の指示を聞くかというよりも大切なことはいかに企業として地域の存在感を発揮するのかという視点だ。

5.付録 宛名のない手紙。


先生へ。


職員、患者や関係者がマスクをするしないについては私はこう思います。
まず、この病院はコロナ関連で人を殺しましたか?
もしも殺したなら殺されたひとにどういう思いを抱かれていますか?
殺していないならばなぜ堂々といつまでもできないのですか?


マスクをしてもしなくてもかかるひとはかかり、死なれるひとは死に、生き残るひとは生き残ります。


病院はそもそもどのような目的の場所ですか。
あなたたちはなぜその場にいるのですか。
なぜ殺したのですか。
逆になぜ、殺さなかったのですか。
なぜ、生かしたのですか。
なぜ生かすことができなかったのでしょうか。


問いは尽きません。
それは命の課題は答えが無いからです。
ですが出ないわけではありません。


あなたたちは命を生かすために人を傷つける人間たちです。
あなたたちにとって命とはそもそもどういった存在、関係ですか。


マスクはしてもしなくても、そのこと自体はあまり重要ではありません。
ただ、あなたたちは自他ともに命への価値観は常に問われています。


最初に戻ります。
あなたたちはコロナ関連で人を殺しましたか?


コロナは感染症です。
あのロックダウンはコロナだけのお話ですか。
コロナで亡くなった人びとはあのときどうすれば助かる確率がより上がりましたか?
それはマスクだけのお話ですか。
治療薬や予防薬などは現在、他に何がありますか?
手指消毒はどうでしょうか。
どういった効果が科学的にありますか。


マスクの有無や病院の主導権を誰が握るのかよりも、この病院の価値観は何かが一市民の私には何も見えません。


あなたたちは命を金に変えましたか?
それはどういった理由からですか。
そのときと現在は周りや自分たちの状況はまったく同じでしょうか?
本当に?
あなたたちは金を助けているのですか?
人々ではなく?
あなたたちは本当に命を金に変えたのですか。


金は金を生みます。
あなたたちは、いや別にあなたたちでなくても、その思考は誰にでもできます。


ですが命のことについては命の専門家たちは考えることからはどうしても逃げられません。
呼ばれた証です。

私はそう思います。

『卒業研究。』

『卒業研究。』

企業を、多角的に視る。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-01-22

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  1. 1.ノートのきれはし。研究のはじまり。
  2. 2.組織考察 犬笛の組織像。
  3. 3.ある計画の感想。
  4. 4.実験 集団の眼差し。個人の眼差し。
  5. 5.付録 宛名のない手紙。