第一章 小さきミュウ 後編

 いつも見る夢だ。
 いつも見て、いつも目覚める頃には忘れる夢。
 それをミュウは見ていた。
 
 小さな体に抱かれて、夜の森を走っている。遠くには、白亜の城。ぼんやりとして見えるのは、眠いのか、それとも涙が止まらないからか。
「眠っていいよ」
 優しい声がする。聞き慣れた少女とも少年ともつかない声、アイの声だ。アイが小さな自分を抱きかかえて走っているのだ。
「……ああ、お前に名前をつけないといけないね。新たな名前、お前は生まれ変わって、生き直すんだ」
 その名前は───
「そうだなあ、ミュートス……いや、お前の名前はミュウ。この神話の終わりの世界で、神話の歌を歌い続ける名前だ」
 ああ、そうだ。僕はミュウ。
 けれど、ミュウの前……本当の名前は、何て名前だっけ?

 ミュウは目覚めた。
「……」
 おはようという、世界への挨拶の声は、今日は出なかった。

「干し肉にカセウス(チーズ)まで? 良いんですか?」
「ああ、世の中助け合いだろ?」
「大したことはしていませんよ。……でも、うれしいです。助かります」

 村長がアイと嬉しそうに話しながら、アイとミュウの背嚢にどんどんと食料を詰めていくのを、ミュウは椅子に座ってアマリエから受け取った水を飲み干しながら見ていた。早朝、ふたりは村人の手伝いをするために早起きをしていたのだ。木を切り出して、薪を作った。軽々と斧を振り下ろすアイとは真逆に、ミュウは一段落つく頃にはふうふうと息が上がっていた。
「あんなにきれいな大きな声が出るのに、腕の力はないのね」
 からかうアマリエに、ミュウはむっとして応えた。
「悪かったね」
「ふふ、冗談よ。ありがとうね、ミュウ」
 アマリエは人をからかうのが好きらしい。昨夜彼女の口から出た、『幼なじみのバジル』もさぞ苦労していただろう、とミュウはむっとした表情をすぐに崩して苦笑した。アイとミュウは、今日この村を発つ。行き先はユスティーア王国の予定であったが、国境で止められたらこっそりと入るか、とアイは絶妙に冗談とは思えない顔でミュウに言っていた。
「……さっき気づいたんだけど、ミュウって剣を持っているのね」
 アマリエの言葉で、ミュウは今朝の思い出から今に引き戻される。彼女の視線の先には、鞘に収まった細身の剣が壁に立てかけられてあった。
「ああ、うん。護身のため」
「へえ、なんかかっこいい」
「剣術に長けているわけじゃないよ。本当に、あくまでも護身用。刃物を抜いて構えているだけで、なんとなく賊も距離を置くし」
「なんだ、逃げるため? ふふっ」
「だから護身用だって言ったでしょ……」
 ミュウは自身の剣を見ながら、過去に想いを馳せる。───幼い彼に剣を渡したのはアイであった。自分の身は自分で守るようにと。ふ、とさらに過去に想いが潜っていく。アイは剣術をほとんど教えてはくれなかった。けれど、ミュウにはある程度の技術が備わっていた。未だ人を斬ったことはない。けれど体は剣に従うように動く。それを活かして、たまに歌ではなく剣舞を舞ったりするときもあった。誰が自分に剣を教えたのだろう? ……それを考えると、ミュウはなんとなく頭がぼんやりして、もやがかかった心持ちになる。そう、ミュウは十四歳。アイと出会うまでの記憶が、無い。

(でも別に、生きていくうえで必要なものってわけでもないし)

 ミュウはふいと、過去から目をそらした。大事なのは今、歌って日々の糧を手に入れて、世界をアイと見て回ることだと、そう思ったのだ。思い出せないならば、その程度のことなのだろうと、ミュウは自分の過去を自身の愛剣のように細く軽く見ていた。
「なんか寂しいな~。ミュウ、アイ、いつかまた来てくれる?」
「気が向いたらね」
「もー!」
 村長の娘との軽口の叩き合いをして、ミュウは窓の外を見た。すると、村民の一人の男が空の水桶を持って村長邸に走ってきた。

「そ、村長! 大変だ大変だ!」
「どうした?」
「山賊が来た! 水汲みに行った女たちがみーんな連れて行かれて……お、俺、何もできなかった。情けなくてしかたねえよ……! またここに来るかもしれねえ!」
 そう言う男の腕は明らかに刃物でできた傷ができていた。かすり傷のようなものだが、襲われたその恐怖は計り知れないだろう。
「何だって!? ……皆家に帰れ! 男たちは武器を持て! もう何も奪われるわけにはいかん!」
「何もって……今までもこんなことがあったんですか?」
 静かな声がした。アイのものであった。
「……そうなんだ。戦に乗じて、傭兵崩れの賊が出るようになった……ミュウくんとアイちゃんは裏口から逃げなさい」
「……わかりました。ありがとうございます」
「アイ!」
 静かな声を崩さないアイに、ミュウは声を上げた。
「僕……僕、戦うよ!」
「何を……あっ! 待て、ミュウ!」
 ミュウは剣を持ち、扉を開けて出て行った。彼の褪せた白い髪が揺れた。
「ミュウ! 待ってよ! 私も行く!」
「あ、こら! アマリエ!」
 今度はアマリエが、弓と矢筒を携えて少年を追った。村民の怪我の手当をしていた村長は、反応に一拍遅れ、娘の蛮勇を見逃してしまった。
「このっ……ばか!」
 舌打ちをして、アイもまた屋敷を出ていく。これから起こるであろう悲劇を、少しでも減らそうとして。

「と、止まれ! それ以上進んだら僕が許さないぞ!」
 森の中、斧を持ち、ずんずんと進む筋骨隆々の男たちに向けて、少女のように小柄で華奢な少年ミュウは剣を抜き大声を上げた。だがその声は震えていて、男たちを笑わせるにはじゅうぶんであった。日の光に照らされて、剣がきらりと光っていても、である。
「はーあ? なんだこのガキ。女か?」
「女なら良いなあ!」
 曝け出された悪意を感じ、ミュウは声だけでなく身をも震わせた。だが、今さら退くわけにはいかないと、彼は剣を構えた。

『力を入れるな、大地に預けろ』

 アイの数少ない指南の言葉を思い出し、構える。刃はぶれず、肩は落ち、視線だけがまっすぐ前を射抜く。それは教えられた型であり、守られてきた時間そのものであった。
「……ふっ!」
 山賊の一人が大きく振り上げた斧を、ミュウは息を吐いてかわした。そして、おおっと、と間抜けな声を上げる男の隙を突き、勢いよくその腕に剣を突き立てた。
「いいっ……!?」
「……! は、はあ、はあ……!」
 肉を裂く感触と、悲鳴に、ミュウは剣を取り落としそうになる。息が荒くなり、苦しい。すると、しゅっ……と空気を切る音がし、また一人山賊が地に膝を付いた。肩口に矢が刺さっていた。
「ミュウ!」
「アマリエ……!? ダメだよ! 逃げて!」
 弓を構えながら駆け寄ってくるアマリエに、ミュウは叫んだ。
「私、もうこれ以上我慢できないもの! 私の命はどうなっても良い! でも、みんなを襲って、これ以上奪うのだけは許さない!」
 同じ声量で叫ぶアマリエ。彼女は、きっと今まで守られてきたのだろう。村長の娘だからと、屋敷の一番奥に。それを許せない性格だったのだろう。それが彼女の戦う理由であった。───ミュウは剣をぐっと握り直し、アマリエの前に立ちはだかった。
「どうなっても良いなんて、言うな!」
「……みんなそう言う! 私そんなの嫌! ……っ! ミュウ! 危ない!」
「え……」
「おいおい、いちゃついてんじゃ……ねえよっ!」
 振りかぶられる斧。ミュウはそれを辛くも避けたが、ぐっと手首を掴まれ、捻り上げられてしまった。
「あっ! ……ぐ、う……!」
「ミュウを離して! 撃つわよ!」
「へっへ、撃ったらこいつに当たるかもなあ? どれどれ……ツラを拝んでやろうかね」
 山賊の脅しに、アマリエは唇を噛みしめた。ミュウは前髪を掴まれ、上に引っ張られる。彼の両の目が晒された。
「痛っ……や、めろ……」
「お、おい、この目の色……それに目の中の模様、もしかしてこいつ、噂の……!?」

「おいおい、村のお客人を痛めつけるのはやめてもらえますか……ねっと!」
 山賊の驚愕を示した言葉は、最後まで続かなかった。その背には長柄の槍が突き刺さり、彼は無様に倒れた。ミュウの拘束も自然と解かれる。ミュウは力なく地面に伏せた。
 槍の持ち主は、黒毛の馬に乗った、鎧をまとった緑髪の青年であった。アマリエは彼の顔を見ると、ぱっとその表情を輝かせる。
「バジル!」
「やあアマリエ、久しぶり……じゃなくて。この……ばか!」
「ば、ばかとは何よ!」
「飛び出していったって親父さんから聞いたぞ……無茶なまねはするな!」
「体が勝手に動いたの!」
「まったく……おいジンジャー! それと……キリエ様! 残り、片付けちゃいましょう! アマリエもいっそ戦っちゃえ!」
 ダ、ダ、ダンと蹄の音がする。バジルと呼ばれた青年の後ろから現れたのは、彼と同じく鎧を纏った騎士たちであった。赤髪の青年と、銀髪の壮年。長柄の武器を携えた彼らは、怯えた声を上げる山賊たちを蹴散らしていく。銀髪の騎士の後ろには、宝玉が嵌まった杖を持つ白衣の少女が乗っていた。
 銀髪の騎士は、ミュウの近くに少女を下ろす。少女は晴れた空色の髪に───ミュウの片目と同じ炎のような真っ赤な瞳を持っていた。違うところといえば、少女の瞳には星のようにきらめきの粒子が散らばっていることくらいか。
「ユリン様。怪我人の治療をお願いいたします」
「はい、キリエ。お任せください」
 キリエと呼ばれた騎士は敵陣に向かっていった。ユリンと呼ばれた少女は杖を構える。この世界には外傷を治す祈りの力を持つ杖と、それを扱う聖職者や杖使い(クレリック)がいる。ユリンはどうやらその杖使いのようだ。ミュウはそんなユリンを見て、首を振った。
「みんなの元へ行って……僕、どこも怪我してないから」
「いいえ、お顔に傷が……」
「……見ないで」
「……あ……」
 ユリンの手を、ミュウは払いのける。軽い力であったが、ユリンはよろけてしまった。「あっ」とミュウはユリンの体を支える。すると彼女はミュウの顔を見て目を見開いた。

「……その目の色……! 貴方さまは、もしかしてティレアさまでは……!?」

 ティレア。
 聞き慣れない響きであった。少なくとも、ミュウにとっては。
「ティレア……?」
「ああ、ティレアさま! 私です、ユリンです!」
「ま、待って、何が何だかさっぱりわからないよ」
「え……?」
「ティレアって、誰? 人違いじゃない?」
 ミュウの言葉を聞いたユリンは、口をぱくぱくと動かし、俯いてしまった。
「……やっぱり、覚えていないのですね」
「……本当に、何の話……?」
 しばらくすると、三人の騎士たちと、アマリエがミュウのもとへ戻ってきた。山賊たちは、全員倒したようだ。
「終わり終わり~! バジル、俺の方が多く倒したから俺の勝ちな」
「ばかのジンジャー。誉れは数じゃないから」
「こいつ、すぐばかって言うよな。アマリエさん」
「そうなの」
「二人とも調子に乗るのは止せ。……ユリン様、その方の傷の具合はどうでしょう」
 キリエに声をかけられたユリンは、びくりと肩を震わせた。そしてそれ以上に、ミュウも驚いていた。ユリンが、突然泣き出したからだ。
「……ユリン様?」
「……う、キリエ。このお方は、間違いなくティレアさまです。白髪に、片目は紫水晶、そしてもう片目には、炎の紋章……」
「……! まさか、そんな! こんなところで出会えるとは……!」
「……だから! 僕はそんな名前じゃないよ! 僕の名前はミュウ、アイが名付けたミュウだ」
 ミュウは大声を上げた。今日はよく叫ぶ日だと、彼は彼自身思った。しかし、ミュウと名乗ると、騎士たちと少女は顔を見合わせる。アマリエだけが状況が分からずぽかんとしていた。

「……ミュウ! ここにいたのか」
 ミュウにとって安心する声が聞こえた。
「アイ……! 聞いて、この人たち、僕をティレアさまって……」
 半ば泣きつくようにミュウはアイの腕を掴む。
「もう行こうよ。僕ここにいたくない」
「……いや、ミュウ」
「アイ……?」
 アイは苦々しげに口を開き、騎士たちとユリンを見つめた。そしてミュウの目を……長い前髪を払って、両目を見る。

「ティレアは、お前の過去の名前。わたしと出会う前の名前。……本当の名前だ」

 ティレアは、今度こそかろうじて握っていた剣を手から滑り落とした。

第一章 小さきミュウ 後編

第一章 小さきミュウ 後編

二次オリファイアーエムブレム 『ハルモニア叙事詩 天地の王』第一部 黎明の太陽第一章後編

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-01-22

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