あるバーのお話
アルコール類はほとんど呑まないのですが、思い付いた話なので投稿します。
金曜日の昼休み、休憩室でお弁当を食べていると久しぶりに部長のCさんが声を掛けてきた。
「今夜、空いているか?」
「あ、はい」
「呑みに行かないか、久しぶりに」
「はい、お供します」
「そしたら、また、夕方に」
そう言うとCさんはスッと去って行った。
それだけの用件ならLINEとか内線電話でも充分だろうと思いつつ、お弁当を食べ続けた。
最近、Cさんの部署は立ち上げた企画が上手くいって軌道に乗ったと聞いていた。取引相手は大手企業とも聞いていたし、色々と気を使うことも多かったようだが、呑みに誘ってくれると言うことはある程度落ち着いたと言うことなのだろう。
そして夕方の退勤時間、幸いにして残業する案件もなく、帰宅の用意をしていたらCさんが部署まで来て「行こうか」と声を掛けてくれた。
Cさんの横には係長のKさんがいる。Kさんの部下になったことはないが、Cさんとは仲が良く、自他共に認める呑み友達らしい。
私が入社して約二年Cさんが直属の上司で社内のあれこれを叩き込まれたが、部署を異動になったあとも何故か誘ってくれる。
オフィス街を抜けて駅前にある飲食店街へ向かう。この辺りの飲食店は昼間にはサラリーマンへ昼食を提供し、夜になるとアルコールを影響する、いわゆる呑み屋へ化ける店舗が多い。
それにしても金曜日の夕方とも不景気と言われつつもどの店舗も混んでいる。
Cさんは飲食店街を無視するかのように駅の構内へ入り、券売機の前に立つ。そして二駅先までの切符を購入してKさんと私に手渡し、さっさと改札口を通っていく。Kさんもこういうことは初めてのようで私と一緒にCさんを追い掛けていく。帰宅時間と重なっているから車内では座ることはできなかったが、押し潰されるような混み具合でもなかった。
予定通り二駅で電車を降りる。駅前にはささやかな商店街があったり、住宅街も目に入ってくる。僅か二駅でここまで駅前の風景が変わるのか、何よりも普段利用しない駅に関心を持っていなかったことを改めて感じたりもした。
C部長に続いて歩くと商店街へ入っていく。私らと同じ仕事帰りの人、今から夕飯の支度をするのだろうか、主婦とおぼしき人も歩いている。
商店街の出口に近い所に店を構えている小さな中華料理屋の前でCさんの足が止まる。
「ここで腹ごしらえをしていこう。腹八分目を守ってな」
そう言うとさっさと店内へ入って「三人、な」と店主へ告げている。
先客も数人いて店自体の席数も少ない、どちらかと言えばひなびた感じだが、先客が食べている料理を見るとどれも美味しそうだ。
「ラーメンと餃子ね」
C部長はさっさと注文している。K係長もこの店は初めてなのだろう、私と並んで壁に貼られている年季の入ったお品書きを見て悩んでいる。
「同じのにすれば良いよ」
Cさんの声で「ラーメンと餃子」とKさんは厨房へ声を掛けるが、私は「炒飯と唐揚げ」と声を掛けていた。
「攻めるなぁ、炒飯大盛りにしてやって。若いから、それぐらいは食べるだろうし。あ、それからビール三つね」
今夜の呑み会はこの中華料理店が会場なのだろうか。その様に思っていたら「ビールは一杯だけな」とCさんが言い、「今から、バーに行くから、そこでゆっくり呑もうな」と続ける。
「バーですか?」
Kさんが尋ねる。
「今、周年祭なんだ。顔だそうと思ってたんだけど、忙しくって、ゆっくりお酒を楽しんでいる気分でもなかったしね。さすがに今夜ぐらいゆっくり呑んでも、怒られはしないだろうし」
本当に企画が落ち着いたのだろう、屈託のない笑顔でCさんは話す。
話している内にラーメンと餃子が運ばれてくる。ラーメンは本当にシンプルな醤油ラーメン、餃子は平均よりやや大きいと言った感じだ。そして炒飯と唐揚げが運ばれてくる。
唐揚げは一つ一つが大きいし、大盛りの炒飯も食べきれるか、やや自信が無い。
頑張って大盛りの炒飯と唐揚げを食べ終えて店を出る。
商店街を一旦駅の方へと戻り、踏切を渡って住宅が目立つ地域へと移る。
住宅と商業施設が入り混じっているようだが、その中にビジネスホテルが一軒あった。
「ここだよ」
Cさんはそう言ってホテルのドアを開ける。
余程の常連なのか、Cさんはホテルのフロントにいたスタッフに軽く会釈をしてエレベーターへ乗る。
てっきり景色の良い最上階かと思いきや、Cさんが押したのは二階のボタンだった。
エレベーターが二階で停まる。目の前にレストランが現れた。
「ここは朝になると、朝食会場になるんだよ」
そのレストランの片隅が仕切られており、そこがバーになっていた。
「こんばんは」
Cさん、早速バーの中へ声を掛ける。
「いらっしゃいませ」
女性の声が聞こえてくる。
ウェイトレスがカウンター席を勧めてくれる。カウンターの奥に先客が一人いるだけで店内はとても静かだ。
「お久しぶりです」
ウェイトレスがおしぼりを手渡しつつ、Cさんに声を掛ける。
「忙しくって、来れなかったよ」
「そうなんですね」
Cさんへ答えつつ、ウェイトレスの視線はKさんと私へ向けられている。
「うちの職場の人だよ。この店を紹介したくて一緒に来たんだ」
そう言ってCさんはKさんと私を紹介する。
カウンターの中にはバーテンダーのおじさんがいるのだが、ずっと無口で一言も話さない。
「彼がこの店のマスターさんなんだ」
おじさんは会釈するだけだ。
「彼、無口だから」
Cさんはそれだけ言うとカクテルを注文、Kさんと私にも好きな物を注文するよう促す。
「何年前だったかな、今日よりも冷える日に、彼、黙々とちらし配ってて、手に取ってから、この店を使うようになったんだよ」
ウェイトレスが「古参の常連さんですよね」と付け加える。
「そうとも言えるかな。僕よりも古い常連さんが居るかも」
Cさんがマスターを見るが、マスターは小さく首を振るだけ、どうやらCさんが本当の古参のようだ。
Cさんが語るにはまだ部長へ昇進する前でその日は偶然、この近くで商談があったそうだ。それで会社へは帰らず、自宅へ直帰しようとしたものの時間が早かったから何気無くこの界隈を歩いていたらちらしを配っていたマスターと出会って今に至るし、先程利用したこぢんまりとした中華料理店もマスターから教えて貰って利用するようになったそうだ。
いくら週末で明日が休みとは言え、終電を逃すようなことになっては困るので二時間ほどで店を出た。
今日はマスターと一言も交わすことはなかったが、幾度か通えば話すこともあるのだろうか。それがいつになるかはわからないが、あのバーに通ってみようと思った。
あるバーのお話